YUME日和
押入れを整理していたら、小学生の頃の日記を見つけた。小学6年生だった私は何を思っていたんだろう。確かクラスのみんなから無視されていたんだっけ。そんなこともあったな、なんて懐かしみながらページをパラパラとめくってみる。
確かに何ヶ月間も私はクラスでひとりぼっちだった。おはよう、と声をかけても返してくれる人はいなかったし、遠足バスで私の隣に座る友達はじゃんけんで負けた人だった。なのに、小学生の書き慣れない文字で綴られているこの日記にはそんなことは一つだって書いていない。
ピアノの練習をして楽しかった、ドッヂボールでアウトにならなくて嬉しかった、帰り道に四葉のクローバーを見つけた。そんなことばかり書いてある。書いてあることは楽しそうだけれど、自分の文章だからわかる。言葉の端々から感じる、悲しさ、寂しさ。記憶が断片的だけれど思い出される。心の奥に沈めておいた懐かしい思い出が少しずつ湧き上がってくる。
明日になったらみんなおはようって言ってくれるかな。
私の机の周りを、たくさんのクラスの友達が囲んでいる様子を想像しながら眠る。寝る前の毎日の私の習慣。明日こそは、明日こそは。だから毎日学校には行っている。だって、もしかしたら明日は楽しくお喋りができるかもしれないじゃない。
毎晩、次の日の授業の用意と一緒に、明日はどうかな、と少しの希望をランドセルに詰める。期待なんて裏切られるんだけれど。
ある夜、特に用があったわけではないけれど、ベランダに出てみた。身を切るように寒かった。星がとても綺麗だ、なんてことを感じる余裕はなかった。ここから飛び降りたら死ねるのかな。そんなことを考えていた。
今まで一度だって死にたいと思ったことはなかった。今だって、本当に死にたいとは思っていない。ただ、今私が死んだら、私のことを無視している人たちは、どう思うんだろう。ごめんね、って思ってくれるかな。それなら一回死んでみたいな。死んでからみんなのこと見てみたい。みんなが私のことを好きだって思ってくれているのを見てみたい。なんてね。死んだら見られないもの。それくらいわかっている。部屋に入って暖かい布団に入り、また、幸せそうな明日の自分をまぶたの裏に想像しながら目を閉じる。
確かにこうだった。私にだけお菓子をくれなかったり、目の前で放課後の約束をしていたり。今思えばなんてことない。でも小学生の頃の私には。それがとても寂しかった。いや、違うな。恥ずかしくて仕方がなかったんだ。寂しいなんて感情は最近覚えた。あの頃は、ただただ恥ずかしかった。無視されている自分が、一緒に遊んでもらえない自分が情けなくて恥ずかしくてたまらなかった。
だから、日記には書かなかったんだ。
友達に嫌われていることを自分で認めたくなかったから。もう大人になったし、それなりにたくさんの経験もしてきた。あの時のことを懐かしいね、って笑えるようになった。みんなよりちょっとだけ可愛くって、みんなより少し頭が良くって、みんなより足が速かった。
今ならわかる。小学生のみんなに嫌われるには私は十分すぎた。今ならクスって笑っちゃうような理由だよね。むしろ喜んでもいいくらい。でも。寂しいっていう感情も嫉妬っていう感情も何にも知らない小学生たちは攻撃するしかなかった。
学校に行かなくなったことも、担任の先生が家に迎えにきたことも、卒業式にだけは出たことも、今はもうあんまり覚えていない。ふと日記と一緒に出てきた卒業文集を開けてみる。確か、先生が家まで来て原稿用紙を置いて帰ったんだっけ。家の机で書いた記憶がなんとなくある。
わたしは、だれかの心がキズついていたら、その心のキズにばんそうこうをはってあげられるような、優しい人になりたいです。
たくましい字で綴ってあった。ああ、私は、あの頃望んでいた、優しい私になれているだろうか。傷ついている人の痛みをわかってあげられる人になっているだろうか。人の悲しみを自分のことのように思ってあげられる人になっているだろうか。人の幸せを自分の幸せと感じられる人になっているだろうか。
色んな感情を知ってしまった大人は、人の弱みを握れるし、人の悲しみに漬け込むこともできるし、人の幸せに嫉妬だってできる。大人の世界はそんなものだけれど、小さい私があのとき頑張ったから、私は今とても幸せだ。明日また、幸せでいられるように、今日を優しく生きていきたい。
いつの間にか書かなくなった日記の最後のページに、私は、小さな私にありがとう、と書いた。昔よりもずっとずっと綺麗で強くて優しい文字で。
一部引用
島谷ひとみ. (2003). YUME日和. avex trax.
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