閉じ込められた世界
小さな頃から、閉じ込められた世界観が堪能できる雑貨が好きだった。それは、スノードームだったり、アクリル製の指輪に小さなキラキラや、ドライフラワーが入っているものだったり、中国製の安い飾り物だったりした。そういうものが売られているという事は、そういうものを好きな人間が多く存在しているという事につながる。人間は、なぜ閉じ込められた世界が好きなのだろうか?人間は、なぜ物を或いは動物を閉じ込めておくことが好きなのだろうか?人間には所有欲が強くあって、それを満たすために、物をどこかに閉じ込める性質が備わっているのだろうか?
写真も閉じ込められた世界だ。本も閉じ込められた世界だ。住処も閉じ込められた世界だ。周りにあるありとあらゆるものが、世界に閉じ込められている。
鏡に閉じ込められた世界の私は、私なのだろうか?小さい頃、私は鏡越しの世界の果てまで行ってみたかった。鏡を隔てて存在しているその世界には、私がいて同じように動いているのに、いつもそっち側へはいけない。反対の世界は、少し魅力的に映って、悲しいほど近くにあって届かない世界、触れ合えない自分によく似た人間を思い、切なくなった。
小瓶やケースに収まった生物標本のコレクションを集めていた時期もあった。博物館に行くと、そういうコレクションが展示されている。その小瓶に閉じ込められた生物は永遠にその姿のままぷかりと浮かび続けていて、まるで宇宙を浮遊している死体のようだ。寂しくないだろうか?やむ負えず体の一部を切断する事になった人間は、その自分の死んだ一部をどうするのだろうか?葬式を出すのだろうか?火葬して、骨壺に先に死んでしまった自分の一部を収めるのだろうか?ホルマリン漬けにして、全部死ぬまで取っておくのだろうか?自分の一部が死んでその葬式を出すというのは、なんと滑稽で奇妙だろう。
閉じ込められている人間たちは、見つかればニュースになって報道されるが、見つからないまま人生を終える人間も多くいるのだろう。誘拐されて、閉じ込められた人間。実の親に閉じ込められて、世界から隔離されて育てられた人間。自分で閉じこもる人間。同じ閉じ込められるでも、自分の意志で閉じ込められていない人間の心境とはどんなだろうか?あるはずの自由や、当たり前の生活を奪われてしまう、なんと理不尽な響きだろう。しかし、私たち人間は、地球という惑星に閉じ込められているのだ。そして、魂が仮に存在するとするのなら、その魂は肉体に閉じ込められている。そう考えると、私たちも実は理不尽な扱いを受けているのかもしれない。宇宙は広い。どのくらい広いのか分からないくらい広いし、宇宙が存在すること自体が巨大な謎で、そのどこかに存在している惑星、地球に住む私たちは、とんでもないくらい奇跡なのかもしれない。クズとか、ゴミのような私たちでも、奇跡のような、いや、奇跡の存在なんだ。そして、理不尽にも宇宙に閉じ込められているのだ。
そういう宇宙規模の世界を垣間見るために、私たちは必然的に閉じ込められた世界を再現して、小さな宇宙を愛でるのだ。私たちが実は閉じ込められているという事を忘れないように。
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