第21話 書く人は勝手に書いている(『リンドグレーンの戦争日記 1939-1945』)

 この夏は不衛生な貨物用車両に揺られてばかりいた気のする夏だった。


 といっても別に実際にそんな目に遭っていたわけではなく、第二次大戦中のヨーロッパが舞台の小説を読む機会が多かったというだけの話である。

 思い込みの激しいユダヤ系アメリカ人の少年とその昔はチェコ出身の奇術師だったが今は助平でろくでなしな老人の出会いが一つの軌跡を明らかにするエヌマエル・ベルクマン『トリック』という小説では、アウシュヴィッツに向かう極限状況の車両の中での出会いがある奇跡を生んでいる(この小説はアメリカ製コメディみたいな毒気の強い笑いがキツいのが好みだった)。


 『トリック』を読む前に、二冊ほど理由もわからず貨物列車で運ばれたり、ソ連やナチスに怯える本を読んでいた。児童文学、というよりYAになるのだろうか、ルータ・セペティスの『灰色の地平線の彼方に』と『凍てつく海のむこうに』である。

 この二冊は第二次大戦中の話で一部の登場人物につながりはあるが、語られる出来事は別々のものである。『灰色の……』はスターリン粛清によってわけもわからずシベリアに送られるリトアニア人一家の苦難をその家の娘視線のもので語った物語だ。ここに出てくるのが貨物運搬車両(家畜運搬車両だったか?)である。状況は各強制収容所に移送されるユダヤ人がのせられたそれと大差ない。辛い。

 『凍てつく海のむこうに』は海運史上最大の犠牲者を出すヴィルヘルム・グストロフ号の事故を扱った物語で、こちらには貨物車両で運ばれる場面はないが、プロイセンから避難する人々の過酷な道程が書かれた後に、人間でぎゅうぎゅうな船が沈没していしまうのでやっぱり辛い。


 もともとホロコーストがらみの小説を優先的に読んでしまう所があるのだけれど、だからといってこうも立て続けに読むと、不愉快な状況と不安と恐怖と肉体的疲労で限界に達しつつある人々の放つ気配や、トイレ替わりにおかれたバケツから立ち上る糞尿の臭気や時々なげここまれる食事としょうした残飯の匂いで包まれてくるような気になってしまうのだった。私は閉所恐怖症でプライベートゾーンを侵されることがどうしても我慢ならない気質であるために、却ってそういう状況を克明に想像しては「嫌だ……本当に嫌だ……人が人の尊厳を損なうようなことが二度とあってはならぬ……」とうなされる始末。とにかくインターバルを挟むべきだなと、今後の読書計画に対するひとつの気づきを得たのだった。

 

 ともあれ、先に挙げた『凍てつく海のむこうに』という本で語られるヴィルヘルム・グストロフ号の悲惨な事故については、作者が「タイタニック号より犠牲者は多かったのに殆ど知られていない」というようなことを前書き部分で書いていた。例によって手元に本が無いのでうろ覚えであるが。

 ソ連軍から逃げる為に東プロイセンからの避難民を輸送する船だったヴィルヘルム・グストロフ号が機雷を受け沈没し、着の身着のままの避難民や怪我をした兵士に看護学生たちまでのっていた乗客の多くが冷たい海に放りだされたという痛ましいこの事件のことは、確かにこの本を読まなければ知ることもなく過ごしていた事柄の筈である……――。


 ――が、いや待てよ?


 確かリンドグレーンが、『リンドグレーンの戦争日記』の中で確か「船が沈められて哀れな人々は極寒の海に放り出された」的なことを書いていたような……? それってひょっとして、このヴィルヘルム・グストロフ号のことを言っていたのかも? ああでもあの本も図書館で借りた本だから手元にないので今すぐ確かめるわけにはいかないや……と、ややもんもんとした思いを抱えることになったの。



 というわけで、相変わらず長すぎる前置きの果てにようやくタイトルをあげることができた。ここで語りたいのは『リンドグレーンの戦争日記 1939-1945』についてである。


 リンドグレーンというのは、ながくつしたのピッピやロッタちゃんやらやかまし荘で有名な、あのリンドグレーンである。私もこのエッセイで『川のほとりのおもしろ荘』についてとりあげたことがある。スウェーデンの偉大な作家である。全ての本を読めてはいないが、やかまし荘やピッピあたりに大いに親しんだ子供時代をすごしたこともあって、勝手に恩義を感じたりしている作家でもあったりする。そのせいで、本書のようなリンドグレーンの大人向け書籍などには極力目を通したりもしている。


 さて、本書の内容はというとタイトルが示す通り、ナチスドイツがポーランドに攻め入ったことで第二次世界大戦に突入した日から、その時は一介の主婦だったリンドグレーンがノートに新聞の記事をはりつけてそれに対する所感や変わりゆく日常を書き綴った日記を本にしたものである。

 その時は作家になろうともしていない(ただし後半になると娘に語り聞かせていたピッピが出版されることになったことも同時に書かれるようになる)、誰に書けと言われたわけでもない一介の三十代主婦が、ただ「これは記録せねばならない」という裡にある使命感に突き動かされて書いたという日記だ。

 

 その中でリンドグレーンはソ連に怒り、ナチスを憎み、ソ連の恐怖におびえるスカンジナビア半島の同胞フィンランドの悲運を憐れみ、ヨーロッパ全体が戦火による貧困にあえぐ中コーヒーや砂糖の配給が無いことなどで不満が出せる中立国スウェーデン人でいることを後ろめたく思い、いっけんすると無関心すぎるようにも思える高度な判断でぎりぎりの中立を維持し続けている祖国を恥じ入りつつも、家族の世話に明け暮れる日々を綴っている。ドイツの同盟国である日本の動向も新聞で書かれればしっかりコメントを残している。

 ナチスも許せないがリンドグレーンにとっては脅威なのはソ連の方で、戦局によってはナチスでソ連の足止めをしてくれるような状況になるときはそれを苦々しい思いで受け止めたりしている。


 比べるのもおこがましいが、何を読むなり聞くなりしても結局不愉快にならざるを得ない政治の話やむずかしくてついていけない国際情勢の話からは積極的に目を逸らしがちな者としては、戦争の記事にしっかり目を通して戦局を理解するだけでも相当な精神力だと見上げるしかない。よくまあ好き好んでそんな気の滅入る日記を書こうとしたな! とただただ驚く。

 しかもこの時のリンドグレーン、検閲局ではたらきながら亡命していたユダヤ人の手紙を読んでいたというのだからたまげる。ヨーロッパで自分たちの同胞がどれほど悲惨な状況にいるのかを、同盟者が家族あてに書いた手紙経由で知っていたのだというのだからもう、そのストレスたるや! である。ホロコーストから逃げ延びた人達が語る悲惨なヨーロッパ事情だぞ、連合軍が目の当たりにしてとっさに信じられなかったあれらをいち早く知ってたんだぞ。しかも勤める部署が部署だから大っぴらに出来ないんだぞ、そんな『幽遊白書』の黒の章一本分みたいな情報、一介の主婦が抱えきれるもんじゃないよ……。

 Twitterで流れてくる嫌なニュースだけで、「もう嫌だ、現実イヤ……。プリパラのある世界にワープする」とか言ってるだけの人間とは肝の据わり方が圧倒的に異なるのである。すごい人だよリンドグレーン、であるからこそ何気ない子供の世界ひとつかいても細部に洞察力の光るすぐれた物語をたくさん書けたのであろう、きっと……。



 とはいえ、この悲惨な現実から目を逸らさずにいられる力や、世界情勢にちゃんとアンテナをはっていられる広い視野などはどこで獲得されたものなのかとずっと気になっていた。リンドグレーンがさる事情により未婚の状態で長男を出産せざるを得なくなり、デンマークの養母に子供を預けて単身都会で働いていた事情は大人になってから知ってはいた。やかまし村のようなところで楽しい幼少期を過ごしたのちに怒涛のティーンエイジを過ごした状態で世界情勢にアンテナをはっていられるのって、相当知識欲が旺盛じゃなきゃ維持し続けていられないものではないだろうか。精神が披露しやすく怠惰な人間には無理である。

 果たしてこの感性はどこで培ったものなのか――、と野次馬的に関心を持っていたころ、数か月前にとあるwebの記事が目にとまった。


 そこで、岩波書店系列の本では「若いころの私は本当に愚かでした」みたいな言葉でぼかされがちな、若いリンドグレーンがシングルマザーにならざるを得なかった事情がまとめられていたのである。

 曰く、学校を卒業した後に新聞社に就職し、そのうちに記者を務めるようになったとのこと。そのあたりでは流行に敏感な若者の一人になって、いち早くフラッパースタイルを取り入れて髪を短くし、保守的な両親を仰天させたこと。その新聞社の社長との距離が縮まっていつしかわりない仲になっていたものの、妻子持ちのその男は結婚の約束はするものの妻が離婚に応じず……というような、よくある事情があっての妊娠と出産であったとのことが書かれていたのであった。


 新聞社での記者経験があり、保守的な田舎で最先端の思想やファッションに触れる機会があった(まず当時女性で新聞記者だったのが相当スゴイことでは……?)。

 なるほど、それなら文章も書けるようになるし、世界を見る目も養われる。悲惨な現実から目をそらさない胆力もつくわな……と、ようやく腑に落ちたのだった。



 ところで、日記にはところどころリンドグレーンの家族のことも語られる。特に高校生くらいの年ごろである長男のラーシュは成績が振るわず落第の危機を迎えているため母として頭を悩ませているリンドグレーンの心境も同時進行で綴られている。それなのにラーシュは地元のダンスパーティーに出かけたりするのだから、「お前はお母さんに心配をかけず勉強をしろ!」と説教もかましたくなる気持ちにもさせられる(それにしても、パーティーですよ! それくらい当時のスウェーデンは恵まれていいたんだなと思わせられますわな……)。

 しかし件のラーシュが、赤ちゃんのころデンマークで養母に育てられた子だと知ると、ラーシュも難しい年ごろで勉強どころじゃなかったのかもなぁ……と、唐突に同情心も芽生えるのだった。リンドグレーンもそういった我が子との関係を構築するのに悩みもしたことだろう、多分(ちなみに、デンマークの養母とは生涯よい関係だったらしい)。

 

 家庭でも悩み多き時期に、何れ何冊も本を出すとも、国民的作家とよばれる作家になるとも知らない状態で自ら進んで気の滅入るような世界情勢と対峙できたもんだな……と、勝手に尊崇の念がこみ上げてくるのだった。いずれ書く人は言われなくてもなにかしら勝手に書いてんだよな、うん。




 そんなわけでこの本、当時の出来事がデータ入りで書かれているので第二次世界大戦のソビエトやドイツネタでなにか創作したい人にとっては、いい補助資料になるかもしれないと勝手にお勧めする次第である。スカンジナビア事情が克明です。


 おまけとして、スウェーデンに亡命、もしくは戦後一時保護されたユダヤ人少年少女のお話・ノンフィクションとしては、アニカ・トールの『ステフィとネッリの物語』シリーズと、アニタ・ローベルの『きれいな絵なんかなかった きれいな絵なんかなかった―こどもの日々、戦争の日々』がお勧めです。

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