第5話
四竜揃いし時 扉は開かれ
光が闇を救うであろう
名を受け継ぐ者よ 長を従え
光を呼び戻せ
――むか~し、むかし。遥か昔の昔話じゃ。
――悪い神が、世界を壊そうとしたんじゃよ。この四匹の竜がな、世界の危機を救ったのじゃ。
かっかっかっ!と豪快な笑い声が聞こえる。
元気な婆さんだったな、とイザヤは彼女の姿を思い出す。
腰の位置まで伸びた白髪。皺だらけの顔に手。
しわがれた声は威厳を放ち、しかしどこか優しげであった。
慈悲深い笑顔が印象的な、快活な女性だった。
彼女は今、どこにいるのか。
依然として行方は知れない。
遥か昔、暗黒神から破滅の危機を救った四匹の竜。
その竜の主が【竜の王】。
後に世界を救った英雄たちは、其々の意を持つ名を授けられた。名を受け継ぐ者たちとは、彼らの子孫だ。
≪テラ≫は≪地≫を意味し。
≪アグア≫は≪水≫を意味し。
≪フェオン≫は≪風≫を意味し。
≪ホイアン≫は≪火≫を意味す。
――この名を受け継ぐ一族が世界のどこかに存在し、今も伝承を伝え守っているそうじゃ。
――もし悪い神が甦ったら、この者たちを探さねばならんのぉ。
かっかっかっ!と他人事のように笑いながら言っていた彼女は、この現実を予見していたのだろうか。
雑談混じりに話してくれた言葉が、唯一の手掛かりとなった。
しかし、捜索は難航を極めた。
情報はたったそれだけだ。この世界の中に、どれだけの人間がいるだろう。
何億という人の中から、四人の人間を探すのは途方もない作業であった。
失敗は許されない。
黒竜は十年前のある戦いで力を使い果たしたのか、気配がきれいさっぱり消えており姿も消している。
しかし、必ず黒き破壊神はこの世界のどこかに存在している。
力を蓄えるために、息を潜めているのだ。
黒き竜を消滅することが出来るのは、対になっている白き竜だけだ。
白き竜を降臨させるには、世界を構築する森羅万象を司る四大元素である四竜の力が必要不可欠だ。
四竜の魔力がひとつになった時、白き竜は光を伴い現世へと舞い降りる。
十年前の死闘は、途方もない魔力を持つ竜の力を削ぎ、一時的に眠りを与えるだけの時間稼ぎ。
その代償はあまりにも大きかった。勇敢に戦った者たちだけに限らず、民の命も呑み込み一夜にして国が滅んだ。
そしてその死闘は、残酷にもイザヤとクレメイアの両親の命も奪っていった。
もしかしたら、奇跡的に命を取り留めているかもしれない。しかし、確かめに行く術が無くなってしまった。
その国があった場所は、草や木すら生えぬ砂漠地帯になった。
王宮があった場所は、『黒き大地』またの名を『呪われた地』と呼ばれ誰も近付こうとしない。
否、近付けなくなってしまった。
黒く厚い雲のような、霧のようなものが行く手を阻んでいるからだ。
黒い竜を放っておけば、世界全土が滅んだあの国のようになるだろう。
世界は絶望と悲しみ、憎しみが溢れ、混沌へと化す。
全世界の滅亡を阻止する術を見つけ出すことが、イザヤの命がけの使命であった。
そう、命を賭してでもやり遂げねばならぬ使命。
そして、やっと可能性を見つけ出した。
名を受け継ぐ者たちを。
妥当といえば、妥当な結果だった。
これ以上ない後継者たち。
(ひっそりと奥地にでも引っ込んでいるのかと危惧したが、実に分かりやすい者たちで助かったな)
イザヤはくすりと笑んだ。
≪地≫を意味する≪テラ≫を受け継ぐ者。
アルディア王国、アルディアナ王家だ。
アルディアナ王家の姓は、【テラ・アルディアナ】
≪テラ≫も≪アルディアナ≫も≪地≫を意味する言葉だ。
【地竜の王】が治める【地】を司る大地。
まさに、これ以上ない相応しい名だ。
「王宮の図書室の奥に閲覧が制限されてる書棚があるッス。その更に奥には閲覧禁止で、鍵で厳重に隠されている書物があるという情報まで掴んだッスけど……どうやらそこは国王陛下しか入れないそうです。王妃様はもちろんのこと、王子たちも立ち入り禁止らしいッス」
「その部屋が明らかに怪しいな」
「でしょ?」とイザヤの科白に、ヴァンが頷く。
「そこに忍びこめないのか?」
カイトの言葉に、ヴァンが力なく首を振る。
「どうやら特殊な力が働いてるようで、鍵を回しただけでは開かないんッス。【地】の力を持つ者が鍵を使わないと開かない仕組みになってるんッス」
「なるほど。だから、国王陛下だけしか入れないのか。【名を受け継ぐ者】にしか開けられない扉か……そりゃ、ヴァンには絶対に開けられないな」
「開くどころか、反発しあって大変なことになるかもね」
「大惨事ッスよ……。あと、開くことが出来るとしたらもうひとりッスね」
「もうひとり?」
フレアが不思議そうな顔で首を傾げる。
確かに、もうひとりいる。その扉が、【地】の力を持つ者しか開けられないのなら。
きっと、その部屋はそのもうひとりを待ちわびていることだろう。
「伝承の運命を背負われし者――……【地竜の王】の器なら開けられるってことだな?」
ニヤリと不敵に笑うイザヤに、ヴァンがその通りと笑みを返してきた。
「王宮でも黒い竜のこと話題に上がってたのよね?陛下と神官長が伝承を御存じなら、当然【地竜の王】の器について知っているはず。何か動きがあればこちらとしては助かるのだけど」
「伝承が必ずしも、【地竜の王】の器の内容だと伝わっているわけではない。時を経て、多少の変化もしているだろう。もしかしたら、何を意味しているのかすら、国王陛下には分かっていないかもしれない」
カイトの科白に、フレアはため息を吐きながら眉間に皺を寄せた。
「……そうね、その可能性が高いわね。やっぱり私たちで探すしかないのかしら?」
「事情を話して協力……ってわけにはいかないッスもんね……」
「そうだな……黒い竜があいつだとわかれば事情を話して協力を仰げるが、今は圧倒的に情報が不足だ」
今の状態では、事情を話したところで信じてはもらえないだろう、というのがカイトの見解でイザヤもその通りだと頷いた。
「後手に回るのが歯痒いわね。相手が相手だけに、先手先手を取っていきたいわ」
「先手を取らせてくれる生半可な相手ではないだろう。フレア、焦りは禁物だ」
「カイト隊長……」
「今は、団長な」
カイトの科白に、フレアは視線を逸らした。
イザヤたちの故郷は、あの黒き竜に滅ぼされた。
突然奪われた日常。
愛した人々。
一生癒えない傷。
未来永劫、失われた未来。
もう戻らない。何もかも、もう戻らない。
失われた未来に代わり、新しい未来を生きるしかいない。
その未来を生きるのは、後悔と共に皆の心に多大なる重責を背負わせている。
人類の存亡が、自分たちの手に懸っているなど。そんな壮大な物語を生きることになろうとは。
ここにいる誰も想像していなかっただろう。
イザヤは力が欲しかった。皆を護れる力が。
皆の心に、安寧を齎すことが出来る力が。
イザヤは籠った空気を外に逃がすため、窓を少し開けた。
外の冷たい外気が肌に触れる。
室温に温められた身体には、心地よい冷気だ。
いつの間にか夜の帳が降り、辺りが暗くなっている。
あの後、クレメイアはアプリコットの仕事の手伝いが残っているからと店へと戻って行った。
自分よりも随分と小さな後ろ姿に、愛おしさが込み上げる。
せめて彼女だけでも幸せに、と祈る。
そのためには、己がしっかりしなければと、イザヤは気を引き締めた。
「でも、黒竜は絶対に復活するんッスよね?国王陛下は前国王陛下みたいに頭固くないし、事情話したら協力してくれそうッスけどね」
「……だから、情報が足りないと言っているだろう?もし、国王陛下が伝承の意味を理解しておられない場合、信じてもらえる可能性が低い。……それに」
カイトがちらりと、イザヤに視線を送る。
「どこに、黒竜の刺客が紛れ込んでいるか分からない。あの時、あの竜は【何を消せば、己の封印が完全に解かれるのか分かっていた】。四竜の王が一人も見つかっていない今、真実を話すのはのはあまりにも危険」
カイトの切羽詰まった表情に、イザヤは口を噤む。
四竜が揃ったとしてもその時に、黒竜が消そうとした【何か】が存在していなければ、光の竜は降臨しない。
「……そうか、あの時、あの竜は何か目的を果たそうとしていたわ。ならば、今度も何かを目的を果たすために復活したってこと?」
「逆だろう、十年で力が溜まり動けるようになった。動けるようになったから、別の目的を果たそうとしているのだろう」
「別の目的……何かしら?四竜?」
「四竜が一匹でも欠けたら駄目なんッスよね?」
「それ以前に、器が死ねば四竜の長も目覚めんだろうな」
「……狙いは器か」
イザヤの言葉に全員が、まさか、と驚愕に息を呑む。
ある程度、あの竜には知能があるのだろうと推測していた。
が、そこまで狙ってくるのなら、知能がある、というだけではない。
知能もあり、知恵もある。人間と同じように物事が考えられる。
――あいつの狙いは器だけじゃない。
イザヤの直感がそう告げる。
何か、簡単なことを見落としている。
それも、随分と早い段階で見落としている気がする。
「それにしても妙ッスよね」
「何がだ?」
「だって、イザヤの旦那。ジーク帝国との話は俺も今日知ったんッスよ?なのに何で、街の皆は知ってたんッスかね?王宮でも広まらないように緘口令が敷かれていたはずッス」
「確かにそうだなぁ……ヴァンの言う通りだ。どこから漏れたんだ?」
ヴァンの言葉に、うんうんとヴォルグが頷く。イザヤは胸のつっかえが取れたように、すっきりとした。感じていた違和感はそれだ。
口を開こうとした瞬間、こちらに向かって来る乱暴な足音が耳に届いた。
全員が扉の方へと視線を映す。
集中して気配を探ると、よく知った気配だった。
足音が扉の前で止まる。次の瞬間、バン!っと扉が乱暴に開かれる。
ジェイドが何故か焦りの表情を浮かべていた。走って来たのか、息が酷く乱れている。
「ジェイド!戻って来たのか!というか、よく戻って来れたな」
「ああ、抜け出して来た」
「よく抜け出して来れたッスね」
「ふっふっふっ。バレねぇーように作った抜け道がいっぱいあるからな!部屋に鍵かけて監禁したくらいだったら、抜け出すのは御茶の子さいさいだぜ!」
腰に手を当てえっへんと得意げに言うジェイドに、一同がそれは威張って言う事だろうか、と心の中で突っ込みを入れたことは言うまでもない。
「それで、そんなに急いで戻って来たっていうことは、何か緊急なことが起こったのか?」
心配そうなイザヤに、ジェイドは「可笑しいんだ」と返した。
「クソ親父の野郎、俺に戦には絶対に参加するなって言うんだ。てっきり王族として参戦しろー!って言われるものだと思ってたから、拍子抜けしちまったんだけど……何故だと問いただしても理由は言ってくれねぇし。ただ、戦に参加するなとだけしか言ってくれねぇんだ。しかも、酷く取り乱した様子でさ。あんなクソ親父初めて見たぞ。それに、神官長も『お願いですから行かないで下さい』とか言うし、何がなんだか」
「それは、妙……だな」
「だろ?いったい何が起こってんだ?」
イザヤたちも、ジェイドが連れ戻されたのはそれが理由だと思っていたのだ。
しかし、国王が告げたのは全くの逆だ。行くなと言う。
(ジェイドには何か秘密がある)
そして、その秘密を国王は知っている。
その秘密を前国王も知っていた。
知っている二人は、彼に対し過剰な反応を見せている。
(ジェイド、お前はいったい……)
――何者なんだ?
と口から零れ落ちそうになる疑問を飲み下す。
彼の様子から、彼自身は己の秘密を知らないだろう。
ジェイドの秘密が、自分たちが探し求めているものな気がしてならない。
どうしたものか、と思案しているとヴァンがジェイドの顔を見ながら首を傾げている姿が目に入った。
「……何だよ?人の顔じろじろ見やがって」
ギロリと睨みつける。大人でも睨みつけられれば身が竦むほどの威圧感を発する彼だが、ヴァンは気にした風もなく尚もジェイドの顔をじっと見つめる。
「おい、いい加減に……っ」
「王子なんか落ち込んでます?」
「はっ?」
「買い出し戻って来た時から思ってたんッスよねぇ。空気読んでないって分かってるッスよ?ただ、ずっと気になって気になって」
「俺は落ち込んでなんかいねぇ」
「え?本当ッスかぁ?まぁ、どうせクレメイア関係でしょうけど!」
ヴァンの科白に、ジェイドの身体が固まった。
肯定と受け取ったのか、金髪の少年はにやりと意地の悪い笑顔を浮かべる。
(ああ、まだあれ気にしてたのか)
二人きりで買い物に行くことを、彼女に拒絶されたのが未だ堪えているらしい。
ジェイドは大きな身体を机に突っ伏し、情けない声で呟いた。
「クレメイアに大きくて怖いって言われた……」
あ、そっちか。そういえば、そんなことも言われていた。
「へぇ~、相変わらずロリコンしてるんッスね」
「ロリコンじゃねぇ!」
間髪入れず、ジェイドが反論する。
「もうすぐ成人の儀を迎える十七歳の男が、十二歳の女の子好きって立派にロリコンッスよ」
「……す!?バカ!そんなんじゃねぇ!!それに五歳しか違わねぇーだろ!」
「顔真っ赤にして言われても説得力無いッス。五歳しか違わなくても、相手は十二歳ッスからね」
ヴァンの科白に、うっと言葉が詰まる。
アルディナ王国では、十八歳で成人とみなされる。
少年が言うことは最もで、自分でもわかっているだけにジェイドは反論出来なかった。
相変わらず口達者な奴だ、と舌打ちをする。
「まぁ、クレメイアから見たら王子大きいッスもんね。巨塔ッスよ巨塔」
「巨塔巨塔、連呼すんな!何か腹立つ!」
「そういえば、あんた一気に身長伸びたものね」
フレアは出会ったばかりの頃のジェイドを思い返した。確か、自分と同じくらいの身長だったはずだ。
それが今はどうだ。自分よりも遥かに高く、立派な男子に成長した。
「出逢った頃は、まだクレメイアと頭一つ分ほどしか違わなかったもんね。今は頭二つ分くらい違うものね……いきなり身長伸びたもんだからびっくりしてるのかもね」
「びっくりしてるだけだったら良いんだけど、本気で怖がられてる気がする……。イザヤも一緒に伸びたのに、俺だけ怖がられるって不公平じぁね?」
「イザヤはお兄ちゃんだから、怖がる対象にならないでしょ」
「そういうことだ。残念だったな、ジェイド」
イザヤの勝ち誇った顔を、ジェイドは恨めしそうに睨みつける。
そして、深いため息と共にガクッと肩を落とした。
「二人で買い物も嫌がってたしな……」と、寂しそうに呟くジェイドが可哀想になったが、両人の問題なのでイザヤにはどうすることもできない。
ジェイドすまない、と心の中で謝っておく。
「街の綺麗なお姉さんたちには人気あるッスのにねぇ。いつか振り向いてもらえると良いッスね」
「お前、絶対そんなこと思ってないだろ」
「酷いッスね。こんなにも心から思ってるのに」
「嘘つけ!」
ぎゃあぎゃあと言い争う二人に、みんな自然と笑みが零れる。
「おお、そういや王子。何も言わずに出て来たなら王宮で騒ぎになってるんじゃねぇか?」
ヴォルグの言葉に、ジェイドは「それは抜かりねぇぜ!」と右手でピースを作る。
「『戦にはイザヤたちと行く』って手紙置いて来たからな!」
「……それはそれで大丈夫なんですかい?」
「え?大丈夫だろ?」
「……お前じゃなくて俺たちがな」
王子を誑かした罪とかくだらない罪きせられて裁かれるの嫌だなぁ、とイザヤは顔を歪める。
「何で名指しで書いたんッスか!」
「所在明らかにしておかねぇと、今度は本気で軍動かすぞあのクソ親父」
ジェイドの答えに、その方が面倒だな、とその場に居る全員が思った。
「それに、今回の戦は行かなきゃいけねぇ気がするんだよ。行って、見なきゃならねぇものがある」
「……何かに呼ばれている?」
「そうかもしれねぇな。それが何なのか分からねぇけど、俺は絶対に行かなくちゃいけねーんだ」
そう言った彼の横顔は、遥か向こう、ガザル山脈の砦を見ていた。
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