第3話


 購入した荷物をアプリコットの店まで届け、ヴォルグと共に自宅へ戻ると机上に地図が広げられていた。

 その様子に、イザヤは嫌な予感がした。

 何の変哲もない世界地図だが、アルディナ王国とジーク帝国の国境である山脈に印がついている。


 ――まさか、店主が言っていたことは本当なのか?


 という疑問を抱く。ただの噂ではなく、真実の話。

「クレメイアは?店の手伝いか?」

 カイトの科白に、イザヤは頷いた。

「昼時で混んでいたからな」

「そうか、よし全員揃ったな」 

「……ジャンパールは?」

 イザヤはひとり足りないことに気付いた。

 ヴォルグと同じ、もう一人の副団長の姿がない。

「ジャンパールなら偵察に出した」

「どこに?」

「ガザル山脈の砦だ」

 ――ガザル山脈の砦。

 イザヤの直感はどうやら当たりらしい。

 ガザル山脈。アルディナ王国とジーク帝国の国境。

 目の前に広げられている地図に、赤い印がついている場所だ。

「ジーク帝国と戦争になるのか?」

「……知ってたのか?話が早くて助かるが、どこで知った?」

「俺もやっと王宮から探った情報ッスよ」

 驚いた表情で言う少年の名はヴァン。貧乏傭兵団の嫌味なほど優秀な諜報員である。

 隠密行動だけではなく腕も立ち、戦場では好戦的な彼だが、平生は周りを脱力させるほど能天気な性格をしている。

 金色の髪に褐色の肌という、本来諜報員としては欠点になるほど目立つ身なりをしているのだが、琵琶が得意な彼は旅芸人である楽士を装って他国の王宮にまでもぐりこんでみせるほどの腕前だ。

 旅芸人たちは褐色の肌をしている者も多く、疑われることは無いという。

 変装の術にも長けており、彼の技術にかかれば肌の色も、髪の色も、顔さえも変えてしまうのだから敵に回すと非常に厄介な存在だ。

 ヴァンが味方で良かった、と心底思う。

「つーか、王子なにも知らないんッスか?王子の情報も期待してるんッスけど……」

「はっはっはっ!それは期待する方が間違ってるよ。この子が知ってると思うかい?」

 ジェイドを指さしながら、カラカラと豪快に笑う黒髪の女性はローレン傭兵団きっての軍師だ。

 光り輝く長く艶やかな黒髪に、透き通る海のような碧い瞳。

 女の色香漂う妖艶な容姿に、唇には真っ赤な紅をさし彼女の美しさを一層引き立てている。

 彼女の魅惑的な容姿に虜になる男も多い。が、フレアは敵軍を罠にかけることに快感を覚える、という変わり者だった。

 彼女の変わった趣向は国中の者が知っている。

 おまけに弓の名手で、剣も扱えるときた。

 武術でも男顔負けの腕を持ち、性格も男勝りということもあり言い寄って来る男は皆無だ。

「フレアの言う通り。俺よりもおめぇの方が詳しいんじゃねーの?最後、いつ帰ったか記憶にねぇーし」

「はぁ……なるほど。それで、あんなことになっていたんッスね……」

「どんなことになってたんだ?」

「王子連れ戻そう計画が企てられてたッス」

「マジか……」

「マジッス」

 心底嫌そうに、ジェイドが眉間に皺を寄せた。

「あ、お前この間フォルス王子殿下がいらっしゃったのに逃げただろ。大変だったんだぞ」

 じろりとジェイドを睨む。睨まれた本人は、何のことだ?と言いたげに微笑みを返してきた。

 惚けた反応にイザヤはジェイドの頭を小突く。

「痛ぇ!何すんだよ!」

「それはこっちのセリフだ。粗相を起こせば、不敬罪になるのは俺たちだぞ。原因の権現が王子の弟とか笑えない。」

 幾らなんでも理不尽過ぎる。

 兄弟の問題は当人たちで解決して欲しい。

「……ああ、悪かったよ。一応、ヤバくなったら出て行こうとしてたんだぜ」

 フォルスたちが帰った後、クレメイアが名を呼んだだけですぐに姿を現した様子から、恐らく近くで事の成行きを見守っていたのだろう。雲行きが怪しくなれば、制止してくれだだろうが。

「あの時のソヴァロ様の顔……マジで怖かったッス!鬼の形相ってあれのことッスよ……っ!」

 ヴァンが身を震わせる。

 ソヴァロ・クラージュ。フォルスと同じ、王国軍副将軍である男。歳は四十代前半で、普段は穏やかな表情をしており温厚な性格なのだが、怒ると非常に恐ろしいというのは軍で有名な話だ。

 思い出し、イザヤもぞっと背筋を震わせた。確かに殺気だった顔で、眉間に青筋が浮かんでいた。

 怒りを視覚化して具現したら、彼は炎を発していたことだろう。怒りに満ちた、紅蓮の炎を。

「そんなに帰りたくないんッスか?」

「帰りたくねぇ」

 間髪入れず答えるジェイドに、周りから苦笑が漏れる。

「贅沢三昧ッスよ。良いじゃないッスか。あれ、美味しかったなぁ……カステラ生地にフルーツが挟んであって白いクリームで周りがコーティングされてるお菓子……」

 味を思い出したのか、ヴァンがごくんと生唾を飲んだ。

 どうやら相当美味しい食べ物のようだ。

「……ああ、あの甘ったるいやつな……。」

 ヴァンとは正反対なげんなりとした表情で、銀髪の青年は眉間に皺を寄せた。

 そういえば、彼は甘い物が大嫌いなはずだ。

「あんな美味しい高級なお菓子、庶民は食えないッス」

「お前、あんな甘ったるい食い物よく食べれるな……」

「菓子だけじゃないッス。朝食から高級食材のオンパレードで、夕食は多種の料理から選んで食べ放題ってどういうことッスか」

「お前、相当優遇されてたんだな」

 確か、楽師として王宮に潜入していたはずだ。

 琵琶の音色を気に入られ、破格待遇を受けていたようである。 

「別に贅沢暮らししたいわけじゃねーし、堅苦しい王宮暮らしよりお前ら傭兵みたいに自由気ままな生活が性に合ってるんだよ。俺にはな」

 そういう彼の瞳は、どこか遠くを見ているようで、こちらを向いているのに視線が合わない。


 ――どこを見ている?


 思わずそう聞いてしまいそうになるほど、銀の髪の青年はよくそんな目をする。

 彼が頑なに王宮に帰りたがらない理由も。

 初めて出会った時、王子であるにも関わらず街中で派手に喧嘩していたわけも。

 そこにあるのだろうか?

 前国王――……つまり、ジェイドの祖父に当たる人物だが。

 その人物から「差別を受けていた」らしいというのは、風の噂で聞いた。

 真実は、彼に聞かねばわからないが。

「まぁ、そう簡単には許してはもらえないみたいだが?」

 カイトが何やら含みをもたせた声で、会話を遮った。

 イザヤも気付いた。扉の向こうの存在に。

 他の全員も気配に気付いたようだ。

 カイトとヴァンは地図を素早く片付け、会議の形跡を消す。さすが、抜かりない。

 コンコンと、礼儀正しいノック音が響く。

 開かれた扉の向こうには、アルディナ王国軍大将軍であり百戦錬磨の老騎士、バリエンテ・ステフォンがいた。

 にかっと豪快に笑む男の後ろには、銀色の髪の青年。

 銀色の髪。王族の証。

 イザヤ達は即時に膝をつく。

 華奢な印象を受けるその青年は、文官服に身を包み静かに微笑んでいた。

 アルディナ王国第三王子、ソフィア・テラ・アルディアナその人であった。

 軍に所属するフォルスと違い、彼は内政を手伝っている。

 その手腕から、将来は宰相の地位へと期待も高い。

 そして、彼らの背後には一部隊はあるのではないか、と思うほどの大勢の兵士。

 ジェイドが、聞こえるような盛大な音で舌打ちをした。表情は不機嫌極まりない。 

「さぁて、今日は逃がしませんぞ。放浪王子殿下」

「……何の用だ」

 地を這う低音。バリエンテに対しては、フォルスをはじめ、王太子であるバタル・テラ・アルディアナでさえも師と仰ぎ敬愛の態度を取る。

 彼は前代王の治世からの臣下で、現国王からも厚い信頼を得ている。

 快活な性格だが厳格な人格で、武官だけではなく文官からも頼りにされ好感度は高い。

 そんな男に攻撃的な態度を取るのは、この破天荒な王子だけだ。

 それを快く思わない者は数多くいる。

 どうやら第三王子もそのひとりらしく、眉間に深く皺が刻み込まれる。

「お前も王族の一員なら、いつまでもフラフラしていないで戻って来い」

 王族の恥だ、と言わんばかりの口調にジェイドは異母兄を睨みつける。

 確かこの二人の仲の悪さは最悪だ、と以前にヴァンが言っていたような気がする。

 恐らく真面目一徹な性格である第三王子から見れば、王宮にも寄りつかず城下の街をフラフラするだけで、王族としての役割を全うせず不真面目極まりなく見えるジェイドに対し、憤りを感じるのだろう。

「これ以上、王族の恥を晒すな」

「何だと……っ!?」

 一瞬触発。そんな二人を落ち着かせるように、「まぁまぁ」と老騎士の声が遮る。

「緊急事態が起こりましてな。王子には至急王宮にお戻り頂きたいのです」

「緊急事態?どんな?」

 どうせ、ジーク帝国との戦争のことだろう。王族として軍議に参加しろ、国王軍として参戦しろ、という類いに違いない。

「国王陛下のご命令じゃ。我々と共に来て頂けますな?」 

 ジェイドの問いには答えない。そして、声色から有無を言わせない強い意志を感じた。

「……嫌だと言ったら?」

「今回は無理矢理にでも連れ帰れとのご命令ですので、少々手荒になりますがよろしいですかな?」 

 バリエンテの科白に、ジェイドだけではない。イザヤ達も違和感を感じた。

 現国王であるグロリア・テラ・アルディアナ陛下は、居場所が明白で、民衆に迷惑をかけていなければそれで良い、という放任主義だ。

 国王は分かっているのだ。ジェイドの性格上、最高権力を駆使し無理矢理押さえつければ押さえつけるほど、彼が反発することをよく理解している。

 だから敢えて、自由にさせているのだろう。彼が第一王子であった場合、そういうわけにもいかないが幸い彼は第四王子だ。王位継承権が最も低い。

「国王陛下は貴方様の身を案じておられる。それだけは、分かって下され」

 バリエンテは大きな身体を揺らし、地面へと膝をついた。臣下の礼を取る。

 そんな大将軍の姿を、翡翠の瞳を持つ青年はどこまでも冷めた目で見つめている。

 ジェイドは、王宮の人間全てに冷徹な瞳を向ける。

 まるで憎んでいるかのような。

 

 ――何故?


 と心の中で疑問を抱いた瞬間、甲高い女性の声が辺りに響いた。

「娘!ソフィア王子殿下の御前であるぞ。頭を下げぬか!無礼だぞ!」

「も、申し訳ありません……っ!」

 視線を向けると、クレメイアが急いで地面におでこを擦りつけるようにしゃがみ込む姿が見えた。手にはお盆を持っており、白い米の固まり――……握り飯だろうか?が、その勢いでころりと地面に転がった。

 彼女の前方には、ガーネット石のような色の甲冑に身を包んだ女が腰に手を当て、クレメイアを上から見下ろしている。 名をローザ・ステフォン。バリエンテの娘だ。

 背後から殺気を感じ振り返ると、フレアが男でも身震いするほどの殺気を込めてローザを睨みつけていた。

 そういえば、この二人仲が悪かったな。

 ローザはフォルスの軍に所属しており、戦場でもよく顔を合わせる間柄だが、事あるごとにフレアにつっかかってくる。

 どうやら、見事な策で敵を翻弄するフレアに、対抗意識を燃やしているようだ。

 ヴァン曰く、「女の嫉妬は怖ろしいッス」ということらしい。彼女がつっかかってくるのは、フレアの軍師としての才能だけではなく別のところにも理由があるようだ。

 何となく目星がついているものの、肯定すると話がややこしくなるのでイザヤは深く考えないようにしている。

 数人の兵士が、クレメイアに同情の眼差しを向ける。

 アプリコットの店には、国王軍の兵士たちもよく酒を呑みに訪れる。店の手伝いをしているクレメイアとは、顔見知りの者も多いだろう。しかし上官の手前、表立って彼女を庇う事ができない。

 助けに行くか、とイザヤが腰を浮かした瞬間、聞き慣れた声が彼女の名を呼んだ。

「クレメイア、それどうしたんだ?」

 ジェイドだった。彼はクレメイアの元まで歩み寄ると、ローザを一瞥する。

 鋭利な眼差しを向けられ、ローザが怯んだように身を引いた。

 「勿体ねぇな」と言いながら身を屈め、握り飯を拾うジェイドにクレメイアが安堵の表情を見せた。 

「コットおばさんが、皆お腹空いてるだろうからって。お米を握ってくれたの」

「わざわざ、持って来てくれたのか?」

 クレメイアはこくりと頷く。

「ありがとうな」

 優しい笑みを浮かべ、クレメイアの頭を撫でる。

 絹糸のような金色の髪はさらさらで、触り心地が良く気持ちが良い。

 不意な出来事に驚いたのか、クレメイアは勢い良く身を引いた。そして、「ジェイドもお腹空いたでしょ!」と握り飯が乗ったお盆を押しつける。

 ジェイドはお盆から握り飯を取り、そのまま頬張った。

 うんうん、と頷きながら味わうように咀嚼する。

「塩が良い感じにきいてる。相変わらず、アプリコットの飯は美味いな。」

 にかっと破顔するジェイドに、クレメイアにもつられて笑顔になる。

「じゃあ、行くか。」

 そう言って立ち上がるジェイドに、クレメイアは首を傾げた。

「行く?どこに行くの?」

 彼女の言葉に、煌めく太陽の光を受け光り輝く銀の髪を風に揺らしながら、ジェイドは困ったように微笑んだ。

「お戻りくださるのですな?」

 バリエンテの言葉に、彼は無言で頷いた。

「俺の気が変わらないうちに連れて行った方が良いんじゃねーか?すぐに変わるかもよ?」

 にやりと挑発するように笑む彼の周りを、素早く兵士たちが取り囲む。

 まるで、悪人を連行していくかのようだ。

 クレメイアが引き止めるように、か細い手を伸ばす。

 兵士に連れて行かれるジェイドにその手が届くはずもなく、虚しく空を切る。

 その後のバリエンテたちの動きは迅速で、ジェイドを乗せた馬車は瞬く間に視界から消えた。 

「行っちゃったッスね……」

 その場にいた全員が茫然と見守る中、ヴァンの呟きがやけに大きく耳元で響く。

 イザヤはああ成程と、ひとり納得をした。

「先日、フォルス殿下が連れ戻しに来たということは……あの時から水面下で何かあったのかもしれないな」

「市場でおじさんが言ってたジーク帝国との戦争が、王宮では前々から分かっていたってこと?」

「ああ、そういうことになる」

 クレメイアは年齢にしては聡明な少女だ。

 理解力が高い。今のように、ひとつの会話から明確に物事を把握する。

 アプリコットと出会う前に、クレメイアの世話を一手に引き受けていたのはフレアだ。

 頭脳明晰な軍師は、妹に様々な知識を与えてくれた。そのせいもあるのだろう。利口な子に育った。

 恐らく彼が連れ戻されたのは、王国軍として戦に参戦させるためだ。

 ジェイドには華がある。

 類い稀なる美貌。見る者を虜にする見栄えのある容姿は、王族として武器になる。

 それに、彼は民衆からの信頼もある。

 民の前に、兵の前へに立つことが仕事である王家としては、彼の存在を手放したくはないだろう。

「そうッスね。もっと注意しておけば良かったッス」

「ヴァンのせいではない。俺たちが調べたかったことは、もっと別の事だ……仕方ない。で、首尾は?」

「それがさっぱりッス。ガード固いッスね~……」

 そう、イザヤたちは別にジーク帝国との戦争を調べていたわけではない。

 全く関係の無い事を探っていた。そんな中、飛び込んで来た急報。

 王宮は今まで以上に警備を強化するはずだ。

 そして、傭兵団にも救援要請がくる。ここは一旦、手を引くほかない。

「でも、変よねぇ……今まで放任主義だったのに、どういう風の吹きまわし?」

 フレアが首を傾げる。

 国王陛下直々の命令に、異変を感じたのはイザヤたちだけではない。

 ジェイド本人もそう感じたのだろう。

 あの時、イザヤはほんの一瞬だけ彼と目が合った。

 すぐに逸らされた視線は、妙な感じがするから行って来る、と言っているようだった。

 どうやら、彼も国王の命令にひっかかりを感じたらしい。

「ジェイドも何か感じていたみたいだしな」

「ああ、そういう顔をしてたな」

「戦なんて今までは俺たちと一緒に行ってたのに、妙ッスけど……王子の成人の儀も近いしそれ関係なんじゃないッスか?」

「……それも一理ある、か」

 だが、果たしてそれだけだろうか?

 一抹の不安が頭を過る。

 何かが違う。何かが引っかかる。

 ――これは、何だ?俺は何を見落としている? 

 いくら考えても出口のない思考の迷路に迷い込む寸前、ヴォルグのお腹がぐぅっと空腹を訴えた。

「……面目ねぇ……」

「まずはお昼にしましょ!『腹が減っては戦は出来ぬ』でしょ?」

 クレメイアの言葉に、全員が頷き握り飯へと手を伸ばした。


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