第2話

市場がある広場は、人の往来が激しくがやがやと賑わっていた。

 所狭しと露店が並び、飲食店からは湯気が立ち昇り風が美味しそうな匂いを運んでくる。

 何と食欲をそそられる、香ばしい匂いか。

 イザヤの腹がぎゅるっと空腹を訴える。そういえば、朝食を取っていない。

 精肉店の前を通り過ぎる。

 塩漬けにして燻製された豚肉を火で炙っている。

 肉汁が溢れ、滴り落ちる様は空腹感をさらに増長させる。

 空き腹には大変目に毒な光景だ。

(ああ、お腹が空いた……)

 気分を紛らわせるために他に視線を移すも、視界に入ってくるものは食べ物ばかり。

 新鮮な野菜や、魚類。瑞々しく艶やかな果実たち。

 一刻も早く買い物を終わらせて、腹を満たそうとイザヤは決意した。

 それにしても、と前を歩くジェイドに視線を移す。

 擦れ違う女性たちが、ちらちらと彼に視線を投げかける。

 無理もない。

 王家の証である銀の髪以外、彼の容姿は異端だった。

 ジェイドは王家の兄弟姉妹の中で唯一の妾妃の子。

 母方の血を色濃く受け継いだ彼は、この国では珍しい褐色の肌と翡翠の瞳を持つ。

 褐色の肌は、近隣諸国では見かけない。他民族に多い。

 それだけではない。母譲りの美貌が、街行く女性の心を鷲掴みにする最大の要因だった。

 彼の母親はそれはそれは見目麗しく美しい舞姫で、引く手あまたの売れっ子であったらしい。

 そのため、ジェイドも稀に見る容姿端麗な美男子に育ち、立っているだけで周囲の注目を集める。

 すっきりとした美しい顎のライン、端正な目鼻立ち、瞳はぱっちりと大きめで彼の快活な性質が窺える。

 容顔美麗なだけではなく、鍛え抜かれた体躯に、身長も高いとくれば魅了されぬ女はいないだろう。

(まぁ、どうやらうちのお姫様は違うみたいだが)

 ジェイドがうちへ出入りするようになったのは二年ほど前からだ。

 当初は本当の兄妹のように仲が良く、微笑ましい関係だったのだが……。

 いつからだろう?クレメイアが一定の距離を置いて彼と接するようになったのは。

 今も並んで歩く二人の間に、微妙な距離が開いている。

 彼女の気を引こうと懸命に話かけているジェイドに対し、クレメイアは買い物リストが記されている羊皮紙から視線を外さない。

 聞こえてくる内容から、どこの店が高い、どこの店は安い、と言っており買い物の相談だろうと推測出来るので不自然ではない。

 不自然ではないのだが。

 妹よ、一度くらいはジェイドの顔を見てやってくれ、とついつい彼の味方をしてしまうほどの素っ気無さだ。

 いつからだったかな?、と思案していると、ジェイドの横で羊皮紙と睨めっこをしていた少女がこちらを向いた。

「ぼーっとしてないで、兄様も手伝って!」

 量が多いんだから!と怒る顔も可愛らしい妹は、兄のイザヤと同じ紫水晶の瞳。黒髪であるイザヤとは違い、艶やかな金の髪は上質な金糸のようだ。

 腰の位置まで伸びた髪が、さらりと風に揺れる。

「兄様、聞いてる?」

「ああ、悪い悪い。いや、懐かしいな~と思っていただけだよ」

「何が?」

「ジェイドと初めて会ったのがここだったな、と」

「そういえば、そうだっけ?」

 やっとクレメイアの大きな瞳が、ジェイドの方へ向けられる。

 誤魔化すために選んだ苦し紛れな話題であったが、感謝しろよ、と彼に視線を向けるとジェイドは何とも言えない複雑な表情をしていた。

 どうやら彼にとって、あまり良い思い出ではないらしい。

「どうした?」

「思いっきり投げ飛ばされて、思いっきりみぞおち殴られたなと思って」

「気絶しない程度に手加減したぞ?」

 「動けなくなる程度には強く殴ったけど」と付け足すと、「それ一番痛いやつじゃねーか!」と突っ込みを受けた。

 うん、そうかもしれない。

「だいたい、こんな迷惑なところで喧嘩している方が悪い」

 そう、あの時も買い出しに来ていたのだ。

 コットおばさんに大量の買い出しを頼まれ、カイトと一緒に来たのだ。

 お菓子が欲しいと強請るクレメイアも一緒に。

 そして、ジェイドが数名のならず者たちと殴り合い、切り合いの大喧嘩をしている場面に遭遇したのだ。    

 その頃から腕が立つ彼は、多勢に無勢でも余裕の表情だった。

 その証拠に、既に何名か石畳の上に転がって気絶していた。

 立ち合いが派手だったのか、何軒かの露店が壊れ商品である果実や野菜が散乱し、大惨事だった。

 周囲は悲鳴を上げながら逃げる者、固唾を呑んで成り行きを見守る者で混乱していた。

 面倒臭いと思いながらも、クレメイアが怖がっていたのと、これ以上被害が拡大しないために仲裁に入ったのだ。

 話し合いに応じる所か、矛先がこちらに向いたため力づくで止めたが。

 自分がジェイドを投げ飛ばし殴っている間に、カイトがならず者たちを全員叩きのめしていた。

(ああ、確かに化物だよ。あの人は)

 今朝のジェイドが言った言葉を思い出す。

 確かに、隻眼の男は人間ではないかもしれない。強さに関しては。

「出会いは最悪だったけど、今は仲間なんだから良いだろ。終わり良ければ全て良し」

 「だから恨むな」とジェイドの肩を叩く。「あれ、めっちゃくちゃ痛かったんだけど」と恨めしい目で見られたが、イザヤはにっこり笑って受け流した。

「あの時のジェイド、目つきが鋭くて怖かったわ」

 当時を思い出しているのか、クレメイアが顎に手を当てながら言う。

 その科白に焦ったのはジェイドだ。

「え!?い、今は!?」

「今?目は怖くないけど……」

「怖くないけど?」

「背が大きすぎて怖いわ」

「そっちかよ!」

 イザヤは二人を交互に見比べる。

 まだこれから成長期を迎えるクレメイアは、ジェイドの胸部に届くか届かないかくらいの背丈しかない。

 すでに成長期を迎えているジェイドは、出会った当初よりぐんぐん背丈が伸び、少年から青年へと成長を遂げた。

 昔より頬が削げ落ち、どこか可愛らしい印象があった顔も、今では可愛さなど欠片もなく男の顔へと変わっている。

 成長期すごいな、と暢気なことを考えながら、なるほど、これは十二歳の少女には怖いと感じてしまうかもしれないと納得した。

 イザヤのように幼い子供の頃からずっと一緒で、信頼関係が強固に築けていたら問題なかっただろう。

 ジェイドの場合、出会ってからの彼の成長スピードが速すぎる。

 自分も彼と同じ、ここ二年ほどでかなり背が伸びた。

 ジェイドには及ばないが、標準よりは高い。

「まぁ、でも大きい方が良いんじゃないか?」

「どうして?」

「見つけやすい」

「それもそうね」

「俺を目印にすんな!」  

 実際、人込みで逸れた場合、彼を目印にすると合流出来るのだ。

 人より頭一つ分以上飛び出た頭に、目立つ容姿。

 これほど、目印に最適な人物はいない。

「これも、お前にしか出来ない素晴らしい取り柄のひとつだぞ。喜べ」

「言い方に悪意が感じられて、喜べねぇーんだけど」

「……素直に褒めてるんだが」

「イザヤ捻くれてるもんな」

 「言い方がな」と付け加えられる。

 毒舌だと言いたいらしい。

 状況に応じてわざと険のある言い回しをする場合もあるが、今は純粋に感謝しているから言っただけなのにな、と少し悲しい気分になる。

 お前は言葉が乱暴過ぎる、と言い返そうとした瞬間。

「泥棒ーっ!」

 という大きな声が市場に響き渡った。

 声がした方角から、「退け退け!邪魔する奴は殺すぞ!」という物騒な科白が聞こえてくる。

 近くに衛兵もいたのか、「待て待てー!」という声も耳に届く。

 衛兵がいるなら彼らに任せおけば大丈夫か、と胸を撫で下ろした三人だったが騒ぎがこちらの方へ広がってくる。

「ああ?もしかして、こっちに逃げて来てんのか?」

「あれだな」

 三人、四人か。奪った荷物を抱え、刃物を振り回しながら走ってくる男たちが見える。

 袋からはみ出している、キラキラした光に目を細める。

 金目になりそうな装飾品を強奪したようだ。

 面倒くさい、とため息を吐きながら腕を伸ばす。首を回し、運動前のストレッチを軽く施す。

「ジェイド、クレメイアを頼む」

「了解」

 ジェイドが彼女を安全な場所に連れて行く姿を見届け、さぁ行こうか、と指をポキリと鳴らす。

 イザヤの前方に、剣を振り回す男が現れた。

 その後ろに荷物を抱えた男。

 少し遅れて男が二人。衛兵を牽制するように、剣を構えている。     

 人質とか厄介なもの連れてなくて良かった、と安堵のため息を吐く。

 周囲にいた人々も、我先にと安全な場所まで避難している。

 運良く周りに店も無く、これならば多少派手に暴れても大丈夫そうだ、とイザヤはにやりと笑う。

「退け退け!……何だおめぇは?死にてぇのかぁ?」

 丸腰のイザヤに男がせせら笑う。

 お前らなんか素手で充分だバーカ、と心の中で吐き捨て挑発するように口の端を上げる。

 糸も簡単に挑発された男は、「ぶっ殺してやる!」と叫びながら剣を振り翳し突進してきた。

 振り下ろされた剣を軽やかにかわし、男の顔面を殴り飛ばす。ボキっと嫌な音がする。

 ああ、鼻骨折れたな、と冷静に考える。

 鼻血を吹き出しながら、殴られた勢いのまま後ろに倒れていく。強奪品を抱えた男が驚いて後ろへ飛び退いた。

 その拍子に荷物が地面へと落ちる。ガシャンと金属の擦れ合う音が響く。

 荷物を拾い上げようとしたところへ、顔面に蹴りをくらわす。

 何と無防備な盗人だろう。攻撃に対する防御が皆無だ。

 一撃で昏倒する男に、小物か、とため息を吐く。

 しかし、油断はしない。常日頃から、戦場において油断は己の身を滅ぼす、と口酸っぱく言われているからだ。

 残りの二人が、徐々に間を詰めながらこちらへと迫ってくる。

 警戒しているのか、無闇に突っ込んでこない。

(来ないなら、こっちから行くか)

 右足を踏み込み、加速する。 

 まず、右手側の男に狙いを付ける。

 中肉中背の中年の男だ。

 一瞬怯んだ後、意を決したかのように剣を振り上げ向かってくる。

 素早く右手に回り込み、脇腹を蹴り飛ばす。

 ぐっ!、という呻き声と共に、男の身体が傾く。

 左側から迫ってきていた男を巻き込んで、地面へと倒れ込んだ。

「くそっ!」

 呻く男の身体を押し退け、立ち上がろうとした男の喉元に刃が突きつけられる。 

「はい、そこまで」

 ジェイドだ。男は彼の銀の髪を見た途端、威勢を失くしたように項垂れた。

 銀色の髪。王家の証。

 こういう時、便利だよな、と羨ましい気持ちが湧き起こる。

 周囲から、わぁっと歓声が上がった。

「さすが、イザヤの旦那だ」

「お兄ちゃん、強いねー!」

「いやぁ、助かったよ」

 周りから労いの言葉がかけられる。

 イザヤは泥棒が落とした荷物を拾い上げた。

「軽いな」

「なに盗ったんだお前ら」

 答えようとしない男に代わり、袋の紐を解く。

「装飾品ばっかりだな」

 首飾りやら、腕輪やら、指輪やら、髪飾りやら、女性が好む物ばかりだ。

 どれも紛い物ではなく、良質の品物。

「さては、法外な値段ふっかけて売り飛ばそうとしてたな」

 ジェイドの科白に、男がびくりと身体を震わせた。どうやら、図星のようだ。 

 そうこうしているうちに、バタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。

 ようやく、衛兵様のご到着だ。 

「おやおや、もう全部終わった後ですか?」

 衛兵用無しですね~、と緩い口調で笑うのは市場の警備を任されている部隊長だった。

「ファーリア、遅かったな」

「王子もいらっしゃいましたか。ご協力感謝致します」

「俺は何にもしてねぇけどな」

 「全部こいつだ」とイザヤを指差した。

 最初に殴り飛ばし、蹴り倒した二人は未だ失神しており、衛兵に担がれながら運ばれている。

 脇腹を蹴り飛ばした男は、未だ激痛に悶え、「痛いから動かすな!」と衛兵に文句を言っていた。

 特に怪我もしていない運の良い四人目の男は、大人しく連行されている。  

「相変わらず、鮮やかなお手並み。さっさとフォルス殿下のお申し出をお受けすればよろしいのに」

 ファーリアの言葉に、イザヤは苦笑で返す。

 フォルス殿下とは、アルディナ王国の第二王子のことだ。ジェイドの母違いの兄である。

「自由気ままな傭兵が性に合ってるんだ」

「王国軍に入隊すれば、安定した収入得られますよ。わざわざ森に食料求めに行かなくてすむと思いますが」

 「収入も得られて、名誉も得られる。これほど、光栄なお話はないと思いますが?」と続ける部隊長に、痛いところを突いてくるな、とイザヤは辟易した。

 収入が少なくなった時に、衣・食・住の中で切り詰められるのは【食】だ。

 【衣】は既に切り詰めている。新品の服どころか、古着さえ最後に買ったのはいつだろうか。

 お洒落も気になるお年頃の妹には、大変申し訳ないと思っている。

 【住】は節約することはできない。家は毎月一定の金額を支払うという契約で、アプリコットから借りている。だから無理だ。

 滞納したら追い出される。

 幸い、森は誰の手も及んでいない食糧庫だ。肉が食べたければ、獣を狩れば良い。さすがに穀物や野菜類は生えていないが、山菜やきのこなど、食べられる物はたくさんある。

 それらが無料で手に入る宝箱。イザヤたち貧乏傭兵団にとって、森は神からの恵みを受けられる宝物庫という認識である。

 多くの危険が伴うので、食料を漁りに行くのはイザヤとカイトといった男衆だ。

 その姿を度々見られており、不憫に思った王子殿下様が声をかけてくれた、というわけだ。

 腕を見込まれて、ということは大前提だろうが、もうひとつ理由がある。

 イザヤとカイトが王国軍所属になれば、王家一番の問題児である放浪王子が王宮に帰って来るという狙いもあるに違いない。

 実際、王宮内で放浪王子と悪名高い彼は、宮殿に寄り付かない。

 だいたいアプリコットの宿舎に寝泊まりしている。

 彼女は料理店だけではなく、宿屋も経営していた。一階が食堂兼料理店。二階が宿屋だ。

「お気が変わりましたら、いつでもどうぞ。お待ちしております。さっさと、連れて行け!」

「はっ!」

 穏やかな笑みを残し去って行く後ろ姿に、捕えた褒章として金一封の報酬くれないかな、と視線を投げかける。

 彼は一度も振り返ることなく、詰所へと引き上げて行った。

 非常に残念だ。

 騒ぎが落ち着き平穏を取り戻した市場は、再び人の往来が激しくなる。

 二人はクレメイアと合流すると、壊れた露店の片付けを手伝うことにした。

 店の者だけではなかなか大変なほど破壊されていた。

「すまないねぇ、片付けまで手伝ってもらって」

 申し訳なさそうに、果物屋の店主のおやじがぺこぺこと頭を下げる。

「気にしないでくれ。いつも安く買わせてもらっているからな」

 イザヤが微笑むと、店主は安心した笑みを見せた。

「そうそう、気にすんな!」

「兄様の言う通り、そのお礼よ。気にしないで」

「有り難いねぇ……あ、そういえば。王子とイザヤさんに聞きたいことがあったんだ」

 店主は小耳に挟んだ話なんだけどね、と小声で耳打ちをする。

 だが周りの露店からも、俺も、私も、と声が上がる。

「何だぁ?」

 何やら皆そわそわしている。不安で仕方がないという表情だ。

「……ジーク帝国と戦争になるって本当ですかい?」

「はぁ?」

 驚きで声を上げるジェイドの隣で、イザヤは眉を顰めた。

「……どういうことだ?」

 そんな情報は得ていない。そのような重要な情報を、うちの嫌味なほど優秀な諜報員である彼が聞き逃すはずがない。

「どこの情報だ?」

「いや、俺たちも噂で聞いた程度なんだよ。『戦争になるらしい』ってな。だから、王子かイザヤさんに会ったら聞こうと思ってたんだ」

「噂……」

 思案するように、顎に手を当てた瞬間だった。聞き慣れた声に名を呼ばれた。

「あ、いたいた!イザヤ、急いで戻って来てくれ!団長が呼んでる」

 中年で小太りの男性が、体格にそぐわない俊敏さでこちらに駆けてくる。

 傭兵団の副団長であるヴォルグだ。

 カイトが呼んでいるということは、緊急の事態が起こったのだろう。

 しかし、アプリコットに頼まれた買い物が途中だ。

「じゃあ、二人で買い物……」

「あ、王子も来て欲しいってよ。買い物も途中で構わねぇそうだ」

 イザヤの言葉に嬉しそうに目を輝かせたジェイドだったが、ヴォルグの言葉にがっくりと肩を落とした。

 反対に、クレメイアはどこかほっとした表情をしている。

 ジェイド可哀想に……、と同情の念を抱く。

 ふと、視線を感じ振り向くと、店主をはじめ他の皆が心配そうな顔をしていた。

「とにかく、噂は噂だ。あまり神経質にならない方が良い」

 イザヤの言葉に皆、頷いたものの不安げな表情は消えない。ジーク帝国は強大な国だ。皆が不安がるのも無理はない。

 イザヤはどこか引っかかりを覚えながら、「行くぞ」と未だ肩を落として落ち込んでいるジェイドの肩を叩いた。



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