フルーツポンチを食べに行こう

「あれ? 柳一さん、玄関の前で何しとるんですか?」


 学校から戻った桜子が花守家の門をくぐると、柳一がチラシを片手に持ってうろうろしていた。柳一は、着物の下にスタンドカラーのシャツ、下は袴といういわゆる書生スタイルで、外套マントを着ている。今からどこかへ出かけるつもりなのだろうか。


「えーと、あーと、うーんと……。何だ、あれだ。フルーツポンチだ」


「ほえ?」


「フルーツポンチは桜子を好きか?」


「???」


「あっ、違った……。桜子はフルーツポンチ好きか?」


 挙動不審な許嫁のことを不審に思いつつも桜子は「食べたことないので……」と答えた。


「そうか、奇遇だな。俺も食べたことがない。そもそもフルーツポンチの『ポンチ』って、どういう意味なんだろうな? あははははは!」


「…………り、柳一さん?」


 桜子は、不審すぎる柳一を困惑しながら見つめ、首を傾げた。


 その直後、玄関がガラリと開き、


「どえーーーい!! さっさとランデブーに誘わんかーーーい!!」


 菜々子が数軒先の家にまで届きそうな大声で喚いた。


「ら、ランデブー!?」


 桜子は赤面し、柳一の顔を見上げた。

 四尺八寸(約一四五センチ)の桜子に対して柳一は六尺一寸(約一八五センチ)。昔に比べたら身長差は五十センチから四十センチに縮まったが、それでもかなりの身長差なので、桜子は許嫁の顔を見る時に仰ぎ見るかたちとなるのだ。


「さあ! お兄様、早く! 早くランデブーに行こうと誘いなさいな!」


「……いや、もうお前が言ってしまっているだろ」


 柳一は泣きそうな顔で言った。


「桜子お嬢様! 旦那様と菜々子お嬢様のお昼ご飯は私が即席カレーを作りますので、どうぞランデブーを楽しんで来てください! あとでフルーツポンチを召し上がった感想を聞かせてくださったら嬉しいです!」


「家族そろってのクリスマス・パーティーは明日やりましょう。今日は二人で思いきり楽しんできてくださいね」


 スミレと仙造も玄関から顔を出し、桜子にそう告げた。柳一が言おうとしていたことを全部……。


(何だかもう、最初からぐだぐだだ……!)




            🎄   🎅   🎄




「お待たせしました! 柳一さん、行きましょうか!」


 セーラー服から外出用の洋服に着がえた桜子が、ウキウキの笑顔で柳一に言った。


「柳一さん。このワンピース・ドレス、雑誌に載っていたココ・シャネルの服を参考にして作ってみたんです。……に、似合っとるかな?」


「お、おお……。何だか……その……フランスっぽいな!」


 淡いバラ柄のワンピース・ドレスを着た桜子に心を奪われ、かなり動揺してしまった柳一は意味不明な褒め言葉しか言えなかった。そんな様子を見ていた仙造や菜々子、スミレは「はぁ~……」と深いため息をついていた。


 ココ・シャネルが好んだシャネル・レングス――膝が隠れる程度の長さのスカート丈は、この時代においては十分ミニスカートの部類に入る長さであり、「女性が肌を見せるなんてけしからん!」と言われていた日本ではまだまだ過激なファッションである。

 だから、桜子はココ・シャネルの服を参考にしつつもスカート丈をちょっと長めにして、肌を見せないように黒のタイツを履いていた。海外の先進的なファッションに挑戦してみたいという気持ちはあるが、外を一緒に歩く柳一までもが古い考えを持った大人たちに批判されるのは嫌なので、ちょっと大人しめにしたのである。

 ただ、日本でも海外の新しいファッションはどんどん流入してきている。あと数年もしたら、ココ・シャネルの影響を受けた洋服が東京の街のあちこちで見られるようになるかも知れないと桜子は密かに期待しているのであった。


「桜子さん。今日は雪がちらつくそうですから、午後からはかなり冷えこみますよ。防寒コートを着てお行きなさい」


 仙造が新聞の天気予報欄を見ながらそう教えてくれると、桜子は素直に「はい!」と返事をした。


 この年(一九二四年)の八月から新聞で天気図が掲載されるようになり、来年にはラジオ放送で天気予報が流れるようになる。そのおかげで人々は「明日は雨だから明後日に買い物に行こう」などと外出の予定を立てやすくなっていくのである。


「スミレさん。お昼ご飯、本当に大丈夫なん?」


「心配ご無用です、桜子お嬢様。即席カレーぐらいなら、料理が苦手な私でも簡単にできます。カレーの粉末をお湯で溶かして、お肉や野菜を煮た鍋に移してかき混ぜるだけですから。…………菜々子お嬢様の妨害さえ入らなかったら、完璧なはずです」


 最後のセリフだけ、スミレは小声でぼそりと言った。


 壊滅的なほど料理の才能がないうえに余計な調味料を足して創作料理をしたがる菜々子が作ると、即席カレーですら「カレーではない何か」になるのである。

 家族全員が風邪で倒れた時に、一人だけ元気だった菜々子が即席カレーを作ったことがあったのだが、心配した桜子が煮込み中の鍋をのぞくとカレーは虹色の光を放っていた。


 菜々子に無理やり毒味させられた柳一は泡を吹いて気絶した……。


「くれぐれも菜々子さんを台所に入れやんようにな」


「はい。命に代えても死守します……」


 深刻そうな顔でひそひそ話をしている桜子とスミレを見て、菜々子は何を話しているのかしらと首を傾げるのであった。

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