花守家の家族会議

「ら、ランデブーだって? でも、我が家はクリスマス・ケーキをみんなで食べるのが恒例……」


「それじゃあ、ダメなんです! ダメなんですよ、柳一様!」


 奉公人のスミレが柳一の耳元でそう叫ぶ。驚いた柳一は「こ、鼓膜が破れるからやめろ! なんで、うちの女どもは人の耳元で叫ぶのが好きなんだ!?」と抗議したが、スミレは力説をやめない。


「桜子お嬢様もロマンチックに憧れるお年頃! きっと、柳一様とクリスマス・ランデブーがしたいはずです! いつまでも家族でクリスマスを祝いたい子供ではないのです! 柳一様は、もう少し桜子お嬢様のことをレディーとして扱う努力をするべきだと思います!」


「お、俺は別に子供扱いなんてしていないぞ? むしろ、最近、急に美人になってきて戸惑い……ごほん、ごほん!」


 ポロリと本音を言いかけて、柳一はわざとらしい咳をした。そんな兄のことを菜々子は面白くなさそうにジト目で睨んでいる。


「別に、こんな寒い日にお出かけなんてしなくてもいいじゃないですか。寒さに強い桜子お姉様は平気でも、一日中ストーブの前にいるじじ臭いお兄様がこんな寒い日に街をぶらついたら風邪を引いちゃいますよ」


 菜々子がちょっと嫌味をこめてそう言うと、仙造は頭を振って「菜々子、よく聞いてください」と言った。


「これまでのクリスマスで、柳一が桜子さんに行った仕打ちを考えたら、結婚する前にクリスマスの良い思い出を一つぐらい作っておくべきだと思うのです。このままだと、残念なクリスマスの思い出しか作れないまま、桜子さんの少女時代は終わってしまいます。それでは桜子さんがかわいそうではありませんか」


「残念な思い出って…………あっ」


 菜々子は、過去二回のクリスマスを思い出した。





 桜子が花守家にやって来た最初の年のクリスマス。


 柳一は近所の子供たちがサンタクロースの話をしているの聞き、


「小さい子供たちは夢があっていいよな。サンタクロースなんて作り話なのに」


 と桜子に何気なく言った。その直後、桜子は、


「さ……サンタクロースのおじ様って、本当はおらへんだの!?」


 と驚き、ショックのあまり大泣きし始めたのである。


(しまった……。そういえば、この子は飛び級して女学校の一年生だが、本当はまだ尋常小学校に通っている年齢だった……)


 年齢のわりにはしっかりしている子だからサンタクロースなんてもう信じていないだろうと思い、不用意なことを言ってしまったと柳一は後悔した。でも、後悔先に立たずで、桜子は一晩中しょんぼりとしていたのである……。




 そして、昨年のクリスマス。


 関東大震災から三か月しか経っておらず、比較的被害が少なかった麻布西町の花守家も聖夜のお祝いムードにはなれなかった。しかし、ケーキとささやかな料理ぐらいは作って家族のみんなを元気づけようと考えた桜子は、麻布十番の商店街に出かけた。


「まだ治安が不安定だと聞くし、物盗りが出るかも知れない。俺もついて行こう」


 心配した柳一は桜子について行った。そして、桜子の買い物を手伝おうと思い、桜子が八百屋でいい野菜を厳選している間に、隣の牛乳屋で牛乳を買った。


 その牛乳が、混ぜ物の牛乳だったのである。

 女学校の生徒たちは、「牛乳は腐りやすいし、少量の牛乳に混ぜ物を入れた商品を売りつける店もあるので、必ず信用のできる牛乳屋で買いなさい」と授業で教えられていた。しかし、男の柳一はそんなことは知らないので、まんまと粗悪品を買わされてしまったのである。


 桜子は「柳一さんはとっても頼りになる人やもん」と許嫁のことを信頼しきっていたので、そのまま牛乳をケーキの材料に使った。


 その結果、クリスマスの夜に家族のみんなが腹痛になってのたうちまわったのであった。桜子は二日後まで回復しなかった……。






「……そういえば、桜子お姉様は花守家でろくなクリスマスを送っていないわ。おもにお兄様のせいで」


「ぐっ……」


 菜々子に痛いところを指摘されて、柳一は気まずそうに顔を歪めた。


「た、たしかに、俺のせいで残念なクリスマスになってしまったことは認めるよ。でも、なんで急にそんなことを言いだしたんですか、父さん。もう少し早くに言ってくれたら、俺だって色々と計画を立てられたのに……」


「朝目覚めた時に、大変なことにふと気がついたのです」


「大変なことって何ですか」


「桜子さんは今年で十四歳。そして、来年の四月の誕生日には十五歳になります」


「それがどうかしたのですか?」


「我が国の法では、女性が結婚できる年齢は十五歳から。つまり、桜子さんは来年の春にはいつでも柳一と結婚できるということではないですか」


「え? あ……。たしかに、そう……ですけど」


 結婚の話が出てきて何だか急に恥ずかしくなった柳一は、声をつまらせた。そして、


(あの桜子が……二年前には四尺一寸(約一二五センチ)しか背丈がなかったちんちくりが、あと四か月で嫁入りできる年齢になるのか……。そりゃ、急に大人っぽくなるはずだ)


 と、妙な感覚にとらわれた。この世で最も身近で愛しい少女の成長を素直に嬉しいと思う気持ちもあるが、心のどこかで何だか寂しいような……とも思ってしまったのである。


「青春時代は長い人生の中ではほんの一瞬です。もちろん結婚は桜子さんが女学校を卒業して、柳一が経済的に自立できる時まで待つ予定ですが、彼女が『子供』でいられる時間は刻一刻となくなりつつあるのです。だから、貴重な青春の一ページにクリスマスの素敵な思い出を残して欲しいと私は思ったのですよ」


「父さん……」


 許嫁のためにランデブーをしてこいなどと言う父親は、なかなかいない。

 仙造はこの時代にしては珍しく恋愛結婚だったため、自分の息子とその許嫁にも愛に花やぐ青春を送って欲しいと考えているのだろう。


「む、むむむぅ~……。桜子お姉様のためだというのなら、仕方ないわね……。お兄様、ちょっと待ってて!」


 腕組みをしてむぅむぅ唸っていた菜々子はそう言うと、ドタバタと走って自分の部屋に行き、一枚のチラシを持って来た。チラシは可愛らしいデザインで、たくさんの果物の絵が描かれている。


「何だ、これ?」


「銀座千疋屋せんびきやのチラシです。このチラシを持って行ったら、二階のフルーツパーラーで、フルーツポンチを三割引きで食べられるそうです。お二人様限定と書いてあるので、桜子お姉様と一緒に食べにいったらどうですか」


「え? い、いいのか……? お前のことだから、桜子とフルーツポンチとやらを一緒に食べたくてこのチラシを取っておいたんだろ?」


「……ぜんぜんよくはないですけれど、桜子お姉様に素敵なクリスマスの思い出を作ってもらうためですから」


 菜々子はそう言うと、ぷくりと頬を膨らませた。拗ねた時の彼女の癖である。柳一は微笑み、「ありがとう」と言いながらチラシを受け取った。


「べ、別にお兄様のためじゃありませんからね! 桜子お姉様のためなんだから!」


「分かった、分かった。ありがとうな」


 仙造とスミレは、仲がいいのだか悪いのだか分からない兄妹を見て、ニコニコと笑っていた。

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