第17話 嫌な流れ
明け方。中東アジア、デイル共和国アル・アルド駐屯地【ユーピテル】内、艦長室にて。
画面に表示された名前を見て、イワン・ヴェーチェル大佐は思わず目を瞬かせた。
自室モニターに現れた三十年来の友人の顔に、しわの刻まれた頬をほころばせる。
『よう元気か?』
「ははっ、変わらんなヨハン」
お互い昔のままとはいかない年季の入った顔を眺める。
「どういう風の吹き回しだ?」
『なに、里帰りの前に顔が見たくなってな。あいさつ回りって奴だ』
「里帰りだと?」
表情が険しくなるが、画面越しに男は気にせず笑顔で頷く。
『田舎の空気が懐かしくなってな』
「お前……今どこだ?」
『ダレスのターミナルだ。パスポートも持ってる。来た時と違ってな』
懐かしい場所に、思わず記憶がよみがえる。初めてアメリカの土を踏んだ場所だ。
「冬だったな」
『ああ、雪が降ってた』
西暦二千四十五年。新型アウラ弾頭ミサイルによる広範囲殲滅戦。――の、失敗により第三次大戦は事実上その日の間に終結した。
膨大な予算と下準備は、技術の進歩と一人の犠牲。そして多大な資源の浪費によって地球外へと投棄され、地球の明日は救われた。
しかし問題は残った。問題だけが残った。
問題解決の為、旧国連を主体とした数多の国家群は、その場しのぎの延長戦を敢行。
ある国は隣国と共謀し、ある国はマスコミを抱き込んで国民を押さえつけた。
二人の生まれたロシアも例外ではない。
他国を批判して自国の正義を主張したが長続きせず、広大な領土内での反政府デモや独立運動等を抑え込めないまま、泥沼の内乱へと突入した。
当然苦労するのは現場の一兵卒。そしてそれらを率いる上官だったイワン達である。国を守る為――と言えば聞こえはいいが、必要な戦いかと言われれば答えに窮する。
守る為でも滅ぼす為でもない。どう隠すか、誰へ擦り付けるかを決める為の時間稼ぎ。
イワンとヨハン、共に馬鹿らしい戦いを知る世代である。
そして混乱が一段落し、政府から軍部へと嫌悪と偏見の目が流れたころ、一部の兵士たちは祖国を離れた。
ある者は親戚や知り合いのいる国へ渡り、また国外任務中に脱走し帰化した者も多い。
彼らもその例に漏れない。
生まれた国に見切りをつけ、片道切符で新天地へと赴いた。二千四十七年の冬の出来事である。
『あの嬢ちゃん元気か?ほら、よく叫んでた』
「ああ。飽きずに副官をやってくれてるよ」
『叱られてるな』
「ほっとけ」
年甲斐も無く頬を赤くし、子供の様に顔をそむける。
『続けてんのか?親代わり』
「むしろ俺が世話してもらってるよ。昨日も年寄り扱いして」
『もうジジイだろ』
「うるさい」
しばらく軽口を言い合うも、歳には勝てずにお互い息を切らして中断する。
次に口を開いたのはヨハンからだった。
『御袋がな、生きてたんだ』
「ミール婆さんがか?」
『今更になって情報公開だ。待たせる国だよ』
「そうか」
『おめえの親父さんだって、ひょっとすりゃ』
「いや、俺が看取った」
驚くヨハンに、目を逸らしながらイワンは言った。
「墓参り頼めるか」
『探してみる』
「頼む」
そして僅かな沈黙の後、名残惜しそうにイワンが口を開いた。
「行ってしまうのか」
『すまんな』
剥げかかった頭に手を当て、ヨハンは通信を切った。
「里帰り、な」
まさか、死期でも悟ったのだろうか?
そういえばやつれて見えたと思い、ふと鏡を見る。
「俺もいい歳か」
深く腰掛け、目を閉じて若かりし日に思いをはせた。
そして時計の短針が上昇を始めた頃、乗り込んできたソフィアに叩き起こされるのであった。
早朝。【ユーピテル】内、とある階段にて。
その形相に思わずピート・メテオは道を譲った。
「あら、おはよう」
表面上は努めて平静に挨拶するソフィア・グロームに、見事な敬礼でピートが応える。
「お、おはようございますであります」
反射的にとられた敬礼に、こちらも反射的に審査するように上から下へとソフィアが視線を向ける。
やや硬いが及第点。というかこの男、普段はだらしないくせに、礼儀や規則はしっかりと心得ている。
士官学校を出ているのだから当然と言えば当然だが、真面目に勉強する人間が少なくなった昨今では珍しい。
「トレーニングかしら?」
「日課なもんで」
――日課ね。
言われてみれば、同じ時間によく見かける。
「どのくらい続けているの?」
「七歳くらいからだから、もう二十年以上ですかね。……えっ、なんすかその顔?」
「あらごめんなさい。意外だったもので」
思わず持っていたタブレットでソフィアは口元を隠した。
恥ずかしがるにはいい歳をしているが、美人がする分には微笑ましいものだとピートはその仕草を目に焼き付ける。
最初の重い空気は霧散し、気が楽になったピートは会話を楽しむことにした。
「最初は親父にやらされたのんです」
「厳しい方だったの?」
「軍人の家系なもんで、例にもれず」
ああ、うちもそうだったなと厳格な父を思い出す。
「貴方はもれているようだけれど?」
「母親似なんです。昔は女の子に間違われるくらいの美少年だったんすからね」
「……へぇ」
過去最も気の無い返事に肩を落としながら、ピートは続ける。
「厳つい人だったんすけど、俺が生まれてすぐに肝臓を患っちまって。大戦前に退役して今も自宅療養の身です」
「いいの?地球の裏側になんかいて」
「むしろ帰り辛いと言うかその。少佐殿はどうなんですか?実家とか家族とか」
ピートの問いに、ふむと口元に手を当てる。
「そうね。実家は……たぶんもうないわね。家族はむしろ私がいないと怠けるから気が抜けないわ」
「え?そりゃ」
「そういう事だから、もう行くわ。頑張りなさい」
首を傾げるピートの肩を叩き、ソフィアはその場を後にした。
名残惜しくもその後姿を見送ると、視界の端に見知った青年の姿を見つけた。
「フィンか?」
早足で歩く様子を目で追い、通路に消えていったところで首を傾げた。
朝っぱらから何事だろうか?
普段はぼんやりしている印象のあるだけに、気にもなる。なるが――。
「野暮ってもんかね」
他所の事情に首を突っ込むのも良くないと思い、ピートはトレーニングに戻った。
朝。アル・アルド駐屯地内、構内図に無い部屋にて。
痛みに悲鳴を上げながらも、その少女はそれを受け入れた。
掴まれた腕は石のように堅く、雨に濡れた服はいっそう重く体を押さえつけた。
行くのは刑務所か、それとも都市伝説のような収容所か――。
などと考えていた意識は反転し、小奇麗なベッドへと引き戻された。
寝汗に濡れた髪をかき上げ、ベットから起き上がる。
近くの机から果物を摘み、行儀のよいとは言えない食べ方で口に含んだ。
カーテンを開け、差し込んだ光に眩しそうに目をつぶる。
施錠され、格子まではめられてしまったが、窓として最低限の機能は残っている。目を開き、ガラスに映る自分の姿を見て、確認するように自分の事を思い出す。
名前はレインと言う。ファミリーネームは本人も覚えておらず、必要も無かったので気にしたことは無い。
歳はおそらく十代後半。自慢ではないが発育は良く、最近は食事の質が上がったことで肌の艶も良くなった。
僅かな微調整のみで済んだ顔立ちは、今更語るまでも無く美しい。
優雅な寝具も着こなしており、部屋の調度とも合っている。
何処へ出しても恥ずかしくないお姫様の姿だ。
「あークソダルイ」
その振る舞い以外は、であるが。
日はずいぶんと昇ってきているが、二度寝を決め込もうと横になる。
小さなノック音が聞こえたのは程なくしてからだった。
「失礼しまーす」
遠慮がちに入室したフィンと目が会うが、すぐに逸らされてしまう。心なし相手の頬が赤い。
視線を自分の周囲へと戻し、慌てて起き上がった。
気付かぬ間に服がはだけて扇情的な恰好になってしまっている。
同じく顔を赤くしながらレインはフィンを睨んだ。
――何か睨んでばっかよね私。
反省すべきなのか、間が悪かっただけなのか。
ペースを崩されながらも、レインはフィンの運んできた食事を受け取った。
「お邪魔ですか?」
「向こうだけ向いてて」
指差した方へフィンが振り向いたのを確認し、レインは食事に手を付けた。
右手にはハーブを添えたパン、左手には薄く切られたハム。
思い出したよう押し寄せた食欲を満たす為、同時に口へと押し込む。
気品どころか礼儀すらなっていない。自覚しつつも三大欲求のひとつを抑えることは出来ず、黙々と食べ進める。
すべて食べ終えるのに五分とかからなかった。
「ゴチソウサマはしました?」
「なにそれ?」
「命をもらった事に感謝するんです」
「ふーん」
昔教会で見たお祈りを思い出し、レインは十字を切った。
食器を片付けるフィンを横目に、椅子へと腰かけた。
窓は厚いカーテンで覆われて鍵がかけられ、その周囲を無駄に装飾された鉄格子が覆っている。
装飾品はほとんどが撤去され、ハサミやナイフはもちろんペンや食器も全て回収済み。
そして当然の様に目と耳が埋め込まれているのだろう。むしろ隠す気の無いのか、既にそれっぽいものを二・三個見つけている。
息がつまるなどという感想はとうの昔に投げ捨てた。
どうせ見ている側も人間として見てはいない。
しかし、ふと思う。
――じゃ、コイツ何?
腕を組み、観察するように視線を向ける。
監視しているようには見えず、かといって世話係にしては気配りが足りない。現に今も右手に持った食器を落としそうになった。
上から下まで眺めていると、視線に気づいたフィンが困ったように微笑む。
「な、何か?」
「あんた暇人?」
「一応仕事中です」
「一応?」
「本来の任務は試作型トゥルーパーのテストパイロットなんです」
「あの白いやつ?」
無骨なトゥルーパーとは一線を画すシャープなデザインを思い出す。
「エリートなの?」
「たまたまです」
「たまたま?」
さて何と説明したものか。
困ったように頬の傷をかき、その手を広げて見せた。
「この手を無くした時、命まで失くしかけました。でも僕だけしぶとく生き残って、頑丈さに目をつけた先生が臓器代がわりにパイロットをやれって」
ちなみにフィンは前任が三人ほどいるとユリやピートから聞かされているが、詳細については聞いていない。
というか聞かなくても想像は容易い。実際に乗ってその加速を全身で味わったのならば。
「あんたも大変ね」
同情する反面、それでも笑顔を向けてくるフィンに、嫌な感情を覚える。
一度は自棄になったが、自分が世界で一番不幸だなどと甘ったれる気は無い。だが少なくともボタンを押される側にいる事は確かだ。
我が身可愛くて何が悪い。
「――ねえ」
「は、いっ!?」
目の前に現れたレインの瞳に思わず後ずさりしかけ、その腕を掴まれて止められる。
「今の生活どう思ってる?」
「え、あの」
鼻先まで迫った瞳に射抜かれ、赤くなりなる。
下がろうとするのを背中に回された腕に遮られ、両手と胸部に挟まれて動けなくなる。
「逃げ出したいとか思わない?」
「今のところは」
「危険なんでしょ」
「危険手当もつきますから」
「ふーん」
じゃあ、と上目で見上げながらレインは尋ねる。
「一緒に逃げようって言ったらどうする?」
「ごめんなさい」
あっさりと。想定外なほどあっさりと断られ、不満気にレインが頬を膨らませる。
「美人と駆け落ちは嫌なの?」
「自分で言うんですか」
「この可愛さがわからない?」
「分かりますけど」
なにやら脱線してきたが、それはそれ。女として譲れないものもある。
かくなる上は――。
「サービス……する、わよ?」
「えーっと」
困惑しながら下がりそうになる視線を持ちなおす。
駆け落ちどころか同伴を誘っているようにしか見えない。
「非常にそそられる提案ではありますが、自分は現在の職務と生活に満足しています。うまい言い方が分かりませんが、大事な人がいるので、こういう事はやめてください」
「……あっそ」
興味を無くしたようにそっぽを向いて座り込んだ。
「もう行きますね」
という声にも反応を示さず、フィンは一礼だけして退出した。
しかしそれで済むことは無く、待ち構えていた兵士たちによってフィンは拘束された。
昼前。アル・アルド駐屯地内、地下二階、とある一室にて。
窓の無い子部屋の中心に置かれた椅子の上で、
ひとつの説明も無く歩かされたかと思えば、今度は椅子に拘束である。不機嫌にならない方がおかしい。
「この基地の人はそういう趣味の人ばっかりなんですか?」
『この時世の軍人なぞそういうものだ』
頭上のスピーカー越しに返事が返った。
聞き覚えのある声に耳が反応し、それがユーゴ・コルヴィスのものだと気付く。
「ひと世代召されているようですが」
『私だってまだ若い。こうして野心もある』
――野心ね。
いい迷惑だと思いながら、仕方なく出方を待つ。
『帰りたければ簡潔に話たまえ。あの部屋で何をしていたのかね』
「雑用と世間話を少々」
『それに逢引を断っていたな』
――聞いてた。いや、見てたのか。
フィンも予想はしていたが、人権無視もはなはだしい。
「分かっているなら聞く必要は無いでしょう」
『分からんこともあるからだ』
高圧的にユーゴは尋ねる。
『何故あの娘のそばに置かれた?』
「食事を持って行ってほしいと頼まれまして」
『ロッホの判断か?リブラ中将も絡んでいるのか?』
「……?おっしゃっている意味が解りません」
『いらぬごまかしはするな。聞かれた事に答えろ』
「えーっと」
『いつの段階から絡んでいた?それとも私が動いたからか?』
「あー」
顔を覆いたくなるが、生憎腕は固定されて動かない。
この手の人はまずい。最初から疑ってかかって真偽にかかわらず自説以外を認めようとしない。
良く出世で来た。むしろこういう人間だから他人を蹴落とすのにためらいが無いのか。
「提案はされましたが、行ったのは個人的な判断です」
『それでお前は何を得た?』
「良心が痛まずに済みました。少しは」
『それは無知だからだ』
「……はい?」
扉が開き、入ってきた兵士たちがフィンの拘束を解いた。
『深くは関わるな。半端な正義感は不幸な結果を生むものだ』
「良く知ったような言い方で」
『お前よりは世の中を知っている』
開かれたままの扉を一瞥し、尋ねる。
「帰っていいんですか?」
『構わん。だが少しは大人しくはしていてもらう』
「何かするたびに連れてこられるのは嫌だな」
返ってきたのは予想外の言葉だった。
『イワン・ヴェーチェル艦長を拘束した』
「は?」
遅れて言われたことを理解し、聞き返す。
「いや、何の権限があって」
『今朝方国連軍所属の男がロシアに逃亡した。帰還したと言った方が良いか。元々ロシア内戦時に亡命した男だ。内勤で目立たない男だったようだが、思い切ったものだ』
「それが艦長と何か?」
『その男が最後に連絡を取ったのがヴェーチェルだった。調べるといろいろ分かったぞ。ロシア内紛終結後、同じ日に亡命……その五日後にグローム少佐も合流し、国連部隊へ入隊した』
「……5.1部隊はどうなるんです?」
『ヴェーチェルの処分にかかわらず、お前達には予定通り出て行ってもらう。それまで大人しくしている事だ』
兵士達に挟まれながら移動し、建物から出た所でフィンは解放された。
正午。【ユーピテル】ブリーフィングルームにて。
集まった一同の前にソフィアは一礼した。
「うちの馬鹿がやらかしたわ」
笑ってほしいのか、単に不機嫌なだけなのか。はかりかねる一同に、でもとソフィアは続ける。
「戒告や裁判沙汰にはならないし、貴方達に飛び火することは無いから安心なさい」
その言葉にひとまずはホッとするものの、それで済ますわけにもいかない。
ピートが手を上げて質問する。
「俺達(5.1部隊)はどうなるんすか?」
「既に待機命令が出ているわ。一人を除いてね」
「僕……ですか?」
自分を指差すフィンに、ソフィアが頷く。
「気に入られた様ね」
「そうなんでしょうか?」
「私に聞かないでちょうだい。……一応は貴方の判断に任せるけれど。あれこれ聞かれても答える必要は無いわ。ズィーリオス中尉に限らず、詮索されても無視する事」
いいわね?と見渡すソフィアに、一斉に頷く。
「――で、フィン以外は半分休暇って事でいいんすよね?」
「そんなわけないでしょう」
呆れながらタブレットを操作する。
「本艦は半月後に予定通りこの駐屯地を出発し、アフガンへ入ります。それまでは艦のメンテナンスと物資搬入に努める事」
ソフィアからのスケジュール配布をもってその日は解散となった。
夕方。【ユーピテル】内、ユリの士官室。
ベットの上で並んで横になり、困ったねと顔を見合わせる。
「大変な事になっちゃったね」
「うん。いろいろと立て続けに起こったね」
「……何か悩んでる?」
「まあ……ね。でも、みんなそうでしょ?」
「そうだね」
起き上がり、ユリはフィンの顔を上から覗き込んだ。
「フィンは何に悩んでるのかな?」
「……言いたくない」
珍しく顔をそむけるフィンに、しかし追求せずユリは微笑んだ。
「うん、いいよ。一人でどうにかしたいんだね」
困ったように頬をかき、ごめんとあやまる。
「それはそれとして」
おもむろにユリがフィンの胸元へと顔を近づけた。
「何だか良い匂いがする」
犬の様に鼻を動かすユリに、冷や汗をかきながらフィンは声を上げた。
「艦長心配だなー、わー心配だー」
ヘタクソな誤魔化しであったが、フィンの必死の演技によってその場は流れた。
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