第15話 降って湧く騒動
中東アジア、デイル共和国内【アル・アルド駐屯地】。
敷地中央に位置する司令塔の上層にて、フィン・ズィーリオス中尉は身に余る待遇を受けていた。
高級なソファー、ふかふかなクッション。小洒落たカップに注がれたコーヒーから立つ良い香りが、鼻孔を通じて疲れた体を刺激する。
「まあ飲みたまえ」
そう言われ眼前に差し出されるも、しかしフィンは見つめたまま手に取る事は無かった。
それ自体は何の変哲も無い高級なコーヒーなのだが、問題は状況にある。
右にはスキンヘッドの巨漢。左にはサングラスをかけた長身の男。些細な違いこそあれど、威圧感のある存在には違いない。
そんな二人に挟まれる形となっているフィンの心情はよろしくない。
一方でコーヒーを勧めたシュバルツ・ロッホ少将はと言えば、フィンとは真逆に悠々とコーヒーをたしなんでいる。
その後ろでは、シンプルなドレスに身を包んだ少女が、これまた優雅に微笑みながら紅茶を口に含んでいた。その傍らには使用人の様に直立不動で立つピスの姿がある。
時折その姿を見惚れたように口元を緩めるが、幸いな事に少女を含めその場の人間に見咎められることは無かった。
「落ち着かないかね?」
首を傾げながら聞くシュバルツに、遠慮がちに「少し」と応える。
あい分かったとばかりに、シュバルツは優しく微笑んだ。
控える男二人に視線を送ると、両脇を固めていた二人が移動し、フィンの背後に回った。
状況は変わっていない。むしろフィンからすれば悪化すらしている。
背後から感じる二つの視線に冷や汗を流しながら、フィンは覚悟をかけて切り出した。
「まことに勝手な事を言わせていただきますが、何か一つでも説明いただけませんでしょうか?」
真っ直ぐな視線で射抜かれ、眩しそうに目を細めながらシュバルツは頷いた。
「極めて重要。かつ極秘裏な作戦とだけ言っておこう」
「それは」
「納得出来ないかね?出来ないだろうね」
ため息混じりにテーブルの上からチョコレートを摘まんで口に入れる。気に入ったのかもう一つ摘み上げ、上手そうに味わった。
どう反応したものかと固まるフィンに向け、シュバルツは胸に付けた階級章を指差した。
「見えるだろう?君のより線が太くて立派だ」
自慢するように縁をなぞりあげながら「しかし」と続ける。
「権力を乱用するつもりは無い。が、それに見合う働きが求められているのだよ私は。故に――」
その指がフィンへと向く。
「我々はこの作戦の遂行に当たって、あらゆる障害を排除する必要とその権限が与えられている。……とはいえ、私だって不要な犠牲など出す気はない。君、ないし君の大切な人達が傷つく必要もない」
その口調は落ち着いており、いい年してチョコレートを頬張った時と変わらなかった。
それ故に恐ろしく、フィンは指の一本まで動かす事ができないでいた。
そんなフィンに向け、シュバルツはやはり優しく微笑む。
「君個人の国連への忠誠心を信じたいのだが。言いたいことは分かるね?」
その言葉を十分に理解し、整理し、フィンは言うべき言葉を見つけた。
「本日は悪天候の為視界が悪く、何も見ておりません」
「よろしい。では戻って休みたまえ」
勢いよく立ち上がり、見事な敬礼を取ってフィンは退出した。
電光石火の勢いで部屋を出るフィンの姿に、思わず笑いそうになるのをシュバルツが堪える。
そんなシュバルツに詰め寄る者がいた。
「よろしいのですか?」
控えていたユーゴ・コルヴィス大佐が尋ねた。
「映像は消したのだろう?」
「もちろん。送信された形跡もありませんでした」
「ならいいじゃないか。下手に騒ぎを起こしたくない。不安ならば君の方で監視をつけたまえ」
「では」
シュバルツの言葉に、ユーゴがピスへと視線を向ける。
柔らかな乙女の唇へと視線を向けていたピスは、慌てて背筋を伸ばし、敬礼を取った。
シュバルツは完全に吹き出した。
一夜明け、土砂降りだったのが嘘のように、七色の空が顔を出した。
それはともかく、水無月ユリは不機嫌であった。
終末の午後を二人きりで過ごそうと決めていたはずなのに、日付が変わっても相手が現れない。
徹夜で待ち続けた末、ニュースでテロがあった事を知ったのが朝になった頃である。
そこまでなら、しかたなかと済ませるところである。だが問題はその後だ。
一晩越しの再開を喜ぶユリに対し、フィンの顔はどこか冴えない。
遠くを――正確には食堂に設置されたテレビに映る少女を眺めている。
『お伝えしました通り、慰霊祭後一時的に行方が分からなかったルース公国王女クレイス・ミラク・エリュトロス殿下の無事が確認されたとのことです』
画面の中で人形の様な少女が微笑む。
『ひと月後に控えた結婚式を前に、いっそうの警備を強化するとしており、その姿をお目にかかることは出来ませんでいた』
いつ撮られたのかわからない映像のループは三週目に突入した。それほどに彼の国が国交を絶って久しいのだと物語っている。
三度目の微笑みに、三度目の惚けた声が多数上がった。
その姿は美しく、世の女の大半とは一線を画す存在という事が画面越しにも見て取れる。
眼福にあずかる男共に対し、ユリの心情はよろしくない。
――ああ、男ってあがん女が好きなんばいね。
ついつい頬を引っ張って自分の方を向かせてしまうユリを責める者はいない。
しかし周りで見ている側は困ったものである。
アリーチェは珍しくユリとの間に距離をとり、ソガイヤルは口をつけたコーヒーを一分以上かけてゆっくりと飲み干し、そんなソガイヤルにピートは何とかしろと視線を送っている。
話題を変えようと、ソガイヤルが口を開いた。
「トコロデ、あのヒト何でこっち見てるんですカ?」
見れば紅茶を片手にフィンを凝視するピスの姿があった。
隣席に人はおらず、近くのテーブルに座る者達も遠巻きに視線を向けている。
その不審な行動に察しのつくフィンであったが、力技で排除するわけにもいかない。ならばとこれ見よがしにユリの体を引き寄せ、聞こえるように言った。
「モテなくてひがんでるんじゃない?」
「ハハッ違いねえ」
ツボに入ったのか、ピートが腹を抱えて笑いだした。ソガイヤルもそれにつられる。
悔しそうな歯ぎしりの音が食堂に響いた。
好きでやっているわけではないのだろう。しかし、監視されていい思いはしないのだからお互い様だ。
憂鬱な気分を晴らすためにフィンはユリとのひと時を楽しみ、それまでの不機嫌さが嘘のようにユリはそれに応えた。
嵐の夜から三日が過ぎたが、ピス・カニスによる監視業務は続けられている。
最初こそ適当にあしらっていたフィンだったが、二日三日と続くうちにストレスも溜まっていった。
「いつまでついてくるんですか?」
司令塔外周にある休憩所にて、自販機から紙コップを取り出しながらフィンが尋ねた。
「今は休憩中だ」
そう言ってピスは隣の自販機からコーヒーの入ったコップを取り出して飲んだ。
「何飲んでんだ?」
「麦茶です」
「美味いのか?」
「健康にいいそうです」
人気の無いベンチに腰かけ、同時に大きくため息をつく。
「あの人どうなりました?」
「ん?」
「膝折られた」
「ああ」
フロント少尉の事だと思い至り、僅かに目を細める。
「国へ帰った」
「退役したんですか?」
フィンは驚いた顔を向けた。
若い退役は珍しい。
多少の怪我ならば、人工臓器を無償提供される上、しばらくはベットの上で給料を受け取れる。
そもそもが訳有りや借金持ち。あるいは、よほどの正義感や愛国心を持っている人間の集まりなのだ。手足が吹き飛んだ程度で音を上げるような者は訓練の段階でふるい落としている。
となれば――。
「トラウマになりました?」
「内勤に移っただけだ。サイボーグになる気は無いんだと」
「カッコイイのに」
ボケとも本心ともつかないつぶやきを聞き流し、今度はピスが尋ねた。
「お前の方はどうなんだ?」
「何がです?」
「派手に壊してただろ」
「ああ」
壊したという言葉で【グラインド】の事だとフィンは察した。
頭部装甲およびセンサー中破。脚部バーニア摩耗過多。胸部装甲小破ただし異物流入有り。その他擦り傷多数。
以上が先日の戦闘でのダメージである。
それを見たカルエムがフィンをどうで迎えたかは語るまでも無い。とは言え――。
「いつもの事ですから」
壊したという言葉で瞬時に【グラインド】を連想するくらいには慣れてきているなと自覚し、いかんだろうと慌てて反省する。
「お前も大変だな」
「ええお互いに」
一緒にするな。とも言い難く、ピスもそこは黙っておいた。
「まあ、一番難儀なのはあの嬢ちゃんだろうよ」
「いいんですか?お姫様をそんな風に言って」
「いいんだよ。あれは……いや、なんでもねえ」
言いかけた言葉ごと一気にコーヒーを飲み干し、ピスは立ち上がった。
「そういえばお姫様は何処で寝泊まりされてるんですか?」
「少佐の部屋」
フィンは思わず麦茶を吹き出した。
「冗談だよ」
笑いながらピスは司令塔を指差す。
「非公式来賓者(ゲスト)用に泊まる部屋があるんだよ。ちょうどあの辺の――」
「あの辺の?」
ふたりの視線はちょうど一点で重なり、同時に言葉を失った。
灰色の外壁に、花弁の様にヒラヒラとなびく人影が映り、凝視する。
ちょうど巻き上がった風が赤いドレスをまくり上げ、優美なシルクををはだけさせた。
見てはいけないと思いつつ見ずにはいられず、視線が赤から肌色と白へと向かう。
男二人の視線に気づかずその少女はいた。何故か窓を跳び越え、足場にもならない外側の縁へと足を乗せて。
あまりに唐突であり、嫌な想像だけが先行してしまう。運の悪い事にその想像は現実となった。
二人の見上げる上で、話題に上っていたクレイス・ミラク・エリュトロスは身を投げたのである。
「嘘ぉ!」
カップを投げ捨ててフィンは走りだした。
同時にピスも動き、ビーチフラッグのように落下予測地点へとそろって飛び込む。
落下する体に飛びつき、その身を抱え込み、抱きかかえたまま背中から着体した。
「ズィーリオス」
「はい」
「よくやったと褒めてやるが、次やる機会が合ったら場所代われ」
フィンと地面の間に挟まれながら言った言葉にフィンは「了解です」と答えた。
肌触りの良いドレス越しに抱え起こし、声をかける。不安気に見つめる先でクレイスは目を開いた。
「何?」
具体性の無い質問に、無い聞きたいのはこっちだと言う反論を抑えて気遣いの言葉を述べる。
「大丈夫ですか?けがはありませんか?」
奇跡的なキャッチが功を奏し、ドレスには汚れひとつない。痛がるそぶりも無く、見た目には問題無い。
しかし目の前の少女は残念そうにため息をつき、不機嫌そうな顔を向けた。
「えーっと」
困り果てた所へ複数の足音が聞こえた。
起き上がった三人を取り囲むように、保安部の服装の男達三名が駆け付けた。
「少将直属の者です。殿下をお預かりします」
上官と思われる男が告げ、残る二人がクレイスの両脇に立つ。
その腕を掴もうと手を伸ばすのを、しかし寸前でピスが遮った。
「待て」
「何か?」
警戒する男に、ピスは口に指をあてて騒ぐなと指示する。
「見られるのが一番まずい。非常用の方で行け」
周囲に騒がれた様子は無いが、昼間から連れてある国は目立ちすぎる相手だ。
しかし心得ているとばかりに男は微笑んだ。
「問題ありません。プラン通りに運びます」
男の言葉に、ピスはやれやれとため息をついた。
「運べねえよ」
「は?」
「人間扱いしてたら、なッ」
男の半身が揺れた。傾いた重心を支えきれず、頭から地面に倒れる。
「ええっ!?」
声を上げるフィンに向け、別の男がナイフを抜いて切りかかる。
驚き反応が遅れるも、フィンは本能的にそのナイフを掴んだ。
とがれたナイフを素手で掴まれ、男が驚いて僅かに動きを止める。その隙を逃さず、フィンは男の足を払った。
「何なんですかもう!?」
声を上げるフィンに背を向け、ピスは男達との間に立った。
「ったく、どっから入り込んだか知らねえが面倒なこった」
「とりあえず説明してください」
「後だ。女連れて隠れてろ。間違っても見られんなよ」
「分かりましたよもう」
怒りながらもその言葉に従う。
「とにかく危ないですからこっちへ」
クレイスの腕を掴み、フィンはその場を離れた。
人目を避け、裏手から人通りの無い保管区へと向かう。
どこか身を隠すか、せめて目立つドレスをどうにかしたい。そう考えていた矢先に見知った人上げを見つけた。
「あっ」
「あっ」
同時に声を上げ、目をパチクリする。
「何してるの?」
「洗濯」
フィンの問いに、アリーチェ・リンクスは一面に干された衣類の列を指差した。
「いっぱい干したね」
「洗濯日和」
見上げれば晴天のオーロラが揺れる。
なるほど雲一つ無い七色の空は洗濯にはもってこいだ。
張られたワイヤーの上に干された軍服や作業着をみて、ふと思いつきフィンはアリーチェに向き直る。
「これ借りていい?」
おそらくユリの物であろう軍服を掴み尋ねると、二つ返事と共にアリーチェは右手を出した。
「一泊五ドル」
「良心価格」
「安全安心」
「高品質」
息ピッタリにハイタッチをする二人を、呆気にとられてクレイスは交互に見る。
「というわけでこれ着てください」
渡された服を流れで受け取りながらクレイスは尋ねた。
「あんたたち兄妹?」
ユーピテル停泊区内にある仮設洗濯場にて、エプロン姿で精を出すユリの姿があった。
脱水が完了を確認し、大型洗濯機のふたを開く。
「次で最後だっけ?エマちゃん」
「はい。今ソフィア先輩が持ってきます」
同じくエプロン姿で控えていたエマ・アリエスがかごを手に答えた。
抱えられたかごの中に、色とりどりの下着類が次々詰められていく。
細腕には少々余る重量に、思わずかごが地面に着いた。二人分ではなく、【ユーピテル】内女性兵士全員分のものだ。
少ないとはいえ女性も一定数存在する第5.1試験部隊において、洗濯やシャワー等は明確なルールのもとに行われている。
基本的に男子禁制であるが時間制限がある為、一斉に行われる。故に――。
「マダですカ?」
「まだです」
洗濯もの片手に廊下で待たされるソガイヤル・サイーブに、エマは鋭い目を向けた。
肩を落とすソガイヤルに、共に待つディッパー・ムーア軍曹が、だから言ったでしょ?と視線を向ける。
そんな二人と洗濯場の間には、タウロ・サイレンス曹長が仁王像の様に立ち塞がっている。
その無言の圧力故、直接文句を言いに行くことも出来ない。
そこへ最後の洗濯物を持ったソフィアが現れた。
小さなかごの中に男の夢を詰め込み、直立不動のタウロの前で止まる。
「あら、ご苦労様」
無言の敬礼と共にタウロは道を開けた。
押し出される様にその背後で後進する二人の視線は、当然かごの中へと注がれる。
アレって副艦長ノ?
キャラ的にどうなんですかねぇ?ありがとうごぜぃやす。
「……」
そんな邪心を見抜かれたのか、タウロの眼光に慌てて背を向ける。
そこへ足音と共にオリバー・レプスが現れた。
「すみませんグローム副艦長。一枚判子をもらい忘れてました」
そう言って差し出された書類を受け取ろうとし、両手がふさがっている事に気付いたソフィアは、傍らに立つタウロにかごを預けた。
「少しお願い」
「え!?」
声を上げたのはタウロではなく、後ろに立つ二人である。オリバーも声こそ上げないものの、目を丸くしている。
一方で渡されたタウロはと言えば、僅かな逡巡こそ見せたものの、視線を下げる事無く見事に受け取って見せた。
「はいこれでいいわね。次からは確認するように」
「は、はい。すみませんでした」
書類を受け取り、オリバーは足早に立ち去った。
タウロからかごを引き取り、洗濯室へ入ろうとするソフィアを、おもわずディッパーは引き留めた。
「少佐殿ぉ」
「何かしら?」
「自分達と曹長殿との差は何でありましょうか?」
前のめりに迫るディッパーと直立で立つタウロを交互に見やり、端的に答えた。
「姿勢ではなくて?」
ありったけの洗濯を終え、一人見張りについているアリーチェのもとへとユリは向かった。
保管区の端に造られた物干し場に立つアリーチェを見つけ、声をかける。
「おつかれアリー」
「疲れた」
座り込むアリーチェに冷えた麦茶を渡し、ユリは尋ねた。
「フィン見なかった?」
「見た」
素直に答えるアリーチェに、続けてユリは聞く。
「何してた?」
「浮気」
見たままを伝えたアリーチェの前で、ユリは固まりなが聞き返した。
「はい?」
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