第13話 泥沼の慰霊祭
雨音を遮り、雷鳴が響いた。
降り続く雨は止む様子が無く、濡れた両腕から伝わってきた寒気に、フィンは体を強張らせた。
周囲を見渡せば同輩の訓練生たちが不安そうに顔を見合わせている。
鳴り響いた音に、彼らから悲鳴が上がった。
雷鳴よりも更に大きく激しい光を伴って、炎と黒煙が上がる。
視線を感じて振り向くと、同室のアルと目が会った。同い年ながら頭一つ低い場所から、不安気な視線で見上げている。
ここにいる大半は訳有だ。
金銭的、肉体的、人種的――様々な理由でまともな職に付けず、縁故(コネ)や先行投資(ワイロ)で士官学校に潜り込んだ奨学兵達。
それでも家族はいる。帰る家もある。
いつだったかアルも言っていた。下の弟たちの為に早く出世して官舎住まいになりたいと。
自分にはもう無い。
飲んだくれだが頑固で仕事熱心な父は、過労とアルコールで覚めぬ眠りにつき、母は空が青かった頃に家を出た。
親戚に嫌な顔をされるのが嫌という理由で、寄宿舎のあるミュンヘンへ移り、軍人の道を選んだ。
ずいぶん遠くまで来たはずなのに、寂しいや帰りたいといった感情はわいてこない。
いっそ遠いアジアの砂漠にでも行けばホームシックになるだろうか?
「……いや、ないな」
首を振り、やれやれと緊張感無くため息をつく。
結局もう帰る家は無い。だったらここにいる誰よりも自分が適任ではないだろうか?
この僅か時を共にした同輩達を家族と言えるなら、危険に飛び込むのも悪くない。
フィンはその右手を高く上げて前に出た。
ろくでもない土砂降りの雨の日の出来事である。
自室のベットの上で、フィン・ズィーリオスは雷の音に目を覚ました。
外を見れば、厚い雨雲が七色の空を黒く覆っている。
汗でぬれた額を拭いながらゆっくりと立ち上がり、フィンはため息をついた。
雷に驚いたわけではない。
フィン・ズィーリオスは雨が嫌いなのだ。こんな土砂降りの雨が。
都心部から離れた静かな郊外の外縁。戦争の爪痕の残る陥没した荒野から壁と造園を挟み、小奇麗に整備された公園の中央にその慰霊碑はある。
雨の降りしきる中であったが、公人民間問わず多くの参列者が花を手に集まった。
生憎の雨と多くの者は思ったが、中には違う見方をする者もいる。例えばこの分厚い暗雲によって、摩訶不思議な七色の空を見ずに済むのだ。
慰霊碑を囲むように並べられた座席は参列者で埋まり、その外周を一般の参列者達が囲むようにして人の輪が出来ている。その中で一際目を引く人物がいた。
年配の男達に交じり、幼さの残る少女が貴賓席に腰かけているのだ。長い髪をまとめ、飾り気のない黒のドレスをまとった少女は、その落ち着いた雰囲気にどこか浮世離れした印象を与えながら周囲の目を引いていた。
その姿は遠く【グラインド】に乗るフィンもモニター越しに捉えていた。
「お姫様って、本当にいるんだなー」
そんな感想をもらす彼を、現実に引き戻す様に通信が入った。
『何止まってんだ。そこじゃねえだろ』
「あ、すみません」
盾持ちの【エスコート】に乗るピス・カニス大尉の注意に謝り、フィンは【グラインド】をゆっくりと移動させた。
流石に十メートル近い【グラインド】の下を通ろうとする猛者はいないものの、うっかりバイクでも踏み潰そうものなら給料が丸ごと飛んでしまう。
古くからそうであるが、軍人の受け取る給金は高い。
命を懸けるのだから当然であるが、大戦以降の志願兵減少を受けてそれは顕著になった。
公表されている金額自体はそれほど変化していないが、危険手当や年金の利率など、この十数年で大きく上昇しているのだ。
結果として一定数の軍人を確保する事に成功したものの、世間の軍人に対する印象はといえば――事情持ち、借金まみれ、元犯罪者などと、あまり良いとは言い難いものとなっている。
とはいえ、常に嫌悪の目で見られているわけでも無い。
悠然と歩く【グラインド】を見ようと子供たちが柵越しに首を伸ばしたのを見て、フィンは腕を操作して敬礼をとらせた。
実戦向けとは言い難い挙動であったが、少し前に暇を持て余したユリによってプログラムされ、専用のモーションリストに登録されているものだ。
歓声を後に持ち場へ到着したフィンは、姿勢を固定するために補助脚を降ろす。と同時に衝撃が地面を揺らし、周りにいた警備兵たちが驚いて飛び上がった。
『何やってんだ』
「すみません」
苛立ったピスの声に、再度フィンは謝った。
双方とも当日になって知ったのだが、偶然にも隣の場所に配置されてしまったのだ。彼に従う様に、同じく【エスコート】に乗る部下が後ろに控えている。
離れた位置で止まったピスの【エスコート】が、手本を見せてやるとばかりに踵部から補助脚を降ろし、同じく衝撃を響かせた。
『……んだよこの不良品』
「機体のせいにするの良くないですよ」
『うるせえ』
すねた様な声を出すピスに、彼の部下たちから励ましの声が届いた。
『ぜんぜん音しなかったッスよ隊長』
『マジ優雅な展開でした』
あれで人望はあるらしい。
そんな光景を微笑ましく見ていたフィンは、ふと【エスコート】の持つ盾に赤いマークがペイントされているのに気づいた。
よく見れば丸いリンゴのマークが描かれている。
趣味だろうか?だとしたら、まあ……可愛いところがある人なのだろう。
陰鬱な雨の下で、フィンは小さく微笑んだ。
吹き付けた雨に、ルース公国王女クレイス・ミラク・エリュトロスは思わず目をつぶった。
ルース公国はアジアの中央にありながら、欧州移民の血が多く混じる国である。
王族であるクレイスにも北欧系の血が色濃く現れており、彫刻の様に美しさは多くの目を引いた。
傘を持つスタッフが心配そうに目を向けるのを笑顔で返し、ハンカチで顔を拭う。うっとおしかった化粧がごっそりと剥がれたのを内心で喜び、なお美しいその素顔を慰霊碑へと向ける。
クレイスがこの慰霊碑を訪れるのは今回で五年目になる。
彼女はルース公国の王族でありながら旧デイル公国王族の一人を祖父に持つ。故に例外として入国と出席を許された唯一の人間なのだ。
その血統故に十八歳でありながら両国間をつなぐ存在として注目され、同時に扱いかねる存在として疎まれてもいた。
そんな彼女に一人の男が声をかけた。
「酷い雨ですな」
振り向いたクレイスに、軍服を着た中年の男が微笑む。
その服装から国連部隊の人間と判断したクレイスは、社交用の笑みで返す。
「本当に。風邪をひいてしまいそうですね」
「年寄りにも辛くなってきたところです。……おっと、トラブルですかな?」
慰霊碑の前で演説をしていた政治家が足早に奥へとさがった。
ざわめく参列者達に、軍服を着た警備員達が退席を促す。
「何かあったのでしょうか?」
「ただ事ではありませんな」
軍服の男が立ち上がり、クレイスに手を差し出した。
「こちらへどうぞ。私の部隊が貴女を護衛させていただきます」
周りの参列者達が驚く中、彼女はその手を取った。
「よろしくお願いいたしますわ。シュバルツ・ブッホ少将」
今日初めて会った男に手を引かれ、麗しの姫は雨の中に消えた。
突然のアラートにフィンは慌てて周囲を見回した。
「何なんです、いきなり?」
『さあな。だがただ事じゃねえ』
集合して機体の頭部を突き合わせる一同に、落ち着いた通信が入る。
『カニス大尉以下小隊へ。現在数か所にて攻撃を受けています』
「何処の誰が?」
『不明です』
『近いのか?』
『転送するポイントに急行後、迎撃を開始してください』
フィン側のディスプレイには何も表示されなかったが、受け取ったピスは確認し返答した。
『了解した。――行くぞ』
ピスの命令に、部下たちがその後に続く。
『おい、何でついてきてんだ?』
並走するフィンにピスに尋ねる。
「指示が無かったので」
『じゃその辺で立ってろ』
「それでお給料頂いちゃって、よろしいでしょうか?」
『よろしいんだろうよ。――警備部隊はこちらの中尉殿の指示に従って避難誘導しろ』
『了解ッ!』
威勢の良い声と共に、近くにいた軍人達が一斉にグラインドへと目を向けた。
『じゃ後はよろしくな』
「行っちゃった」
遠ざかるセーフティからの通信に、フィンはため息をついた。
面倒を押し付け荒れた形だが、給料の内と割り切ってフィンは避難誘導を開始した。
もっとも誘導と言っても【グラインド】を走らせるわけにもいかず、目立つ目標として仁王立ちし、高い視点から指示を出すくらいである。
政治家や高官達は最初の一分で既に移動し終えており、防護盾を持つ【セーフティ】と【エスコート】の二段防壁に守られている。残る一般参列者や宗教関係者らの避難も十五分ほどかけて完了した。
『中尉殿』
「どうしました?」
『小隊規模のジャーナリスト共が市内に潜伏。撮影機材を所持し、取材活動を行っているとのことです』
「ほっときましょう」
真面目な報告に面倒くさそうに返していると、唐突に通信が入った。
『ず、ずぃーりおす中尉殿聞こえますか?』
「はい、聞こえます」
先程ピスへ通信を送った通信官からの呼びかけに、フィンは応えた。
『北東の部隊が救援を求めているようです』
「カニス大尉ですか?」
『別の部隊です。距離は近いのですが、応答がないもので』
「わかりました。えーっと」
送られたデータと地図情報を確認する。
「五分で行けます」
『早っ!ではお願いします』
「了解」
返信を終え、今度は眼下の衛兵隊長へ通信を送る。
「ここまかせてもいいですか?」
『どうぞ。行ってください』
聞いていたらしい隊長はすぐに了承し、それを受けたフィンは、彼らの敬礼に見送られながら発進した。
郊外を抜けた【グラインド】は、スラスターの出力にまかせてぬかるんだ荒野へ跳びあがった。
「あっち……だよね?」
送られた位置情報へ近づいているものの、味方機の姿はおろか光源ひとつ見えない。
不安を覚えながら速度を落としたところで、前方に炎が上がった。
緑色の国連標章を施した【エスコート】が、その半身を引き裂かれながら身を焼かれる姿が映し出され、フィンは急制動をかけて機体を歩行へ移した。
機体を停止させようとしたしたフィンは、寸前でその不用意さに気づき、慌てて機体を上昇させる。
十数メートル先に光源が灯ったのはまさにその瞬間だった。その十数メートルを一秒足らずで駆け抜けた何かは、寸前まで【グラインド】がいた場所を薙ぎ払う様に通過した。
「な、何!?」
声を上げながら、フィンは巨大な影を見た。
それはトゥルーパーであった。少なくとも外見は人型であり、それに類するものだとフィンは判断した。
最初に思い描いたのは重装兵。無骨な【セーフティ】よりも洗練され、【エスコート】とは違う荒々しい進化を遂げた戦士だった。
関節部のシャッターこそ小型化されているものの、各部装甲は通常より巨大化されており、頭部も兜のような装甲がY字型のバイザーを覆っている。
そのトゥルーパー【BT-01(オリオン)】を駆る男もまた驚きと共に目の前の機体を見ていた。
バトル・トゥルーパーの呼称で開発された【オリオン】は、その重厚さと裏腹に高い加速力と突貫力を備えている。
先程の奇襲も相手が【グラインド】でなければ、手にした対トゥルーパー用突撃槍にその身を貫かれていたはずだ。
思わぬ強敵に出鼻をくじかれながらも、そのパイロットは攻撃を続けた。
着地しようと脚部バーニアを吹かした【グラインド】へ再度その槍先を向ける。しかし今回はフィンもその動きを予想していた。
「カウンター入れッ!」
腰部バーニアで体勢を流し、敵機の頭部めがけて腕を振るう。
ラリアットのように放たれた腕部が音と衝撃を持って打ち込まれる。だが【オリオン】を止めるには至らなかった。頭部を潰さんと放たれた一撃を、装甲の厚い肩で受け止めたのだ。しかもただ受け止めただけではなく、濡れた腕を滑らせるようにして【グラインド】へと【オリオン】は突っ込んだ。
「うそぉ!」
信じられないとばかりにフィンが叫ぶが、重装甲の機体に衝突された【グラインド】は鈍い音とともに弾き飛ばされた。
勝った。――と、オリオンのパイロットは確信した。苦し紛れのマシンキャノンをかわし、反転させた槍を倒れたグラインドへ向けて振り下ろす。しかし今度は彼が驚く番だった。
腹筋運動の様に上体を起こした【グラインド】が【オリオン】の腕と槍を掴み、勢いに押されながら脚部を跳ね上げて【オリオン】を蹴り飛ばす。
衝撃でバランスを崩すが、背部スラスターを吹かし【オリオン】はこらえた。立ち上がりながら挑まんとする【グラインド】を掴み、押し返す。しかし更に驚くべきことが起こった。
押し返されそうになった【グラインド】が自ら後方へ跳び退ったのだ。そればかりか器械体操のように空中で半回転し、その足を天へと向けた。
「反転きりもみぃ!」
いつか何処かで見た動きを再現しながら、フィンは【グラインド】を落下させた。
脚部バーニアを器用に使って態勢を戻し、意味のあるのかわからない回転を加え、いわゆる必殺の一撃を叩きこむ。
衝撃と同時に視界が暗転し、気が付いた時には背中に重力を感じていた。
――何が起きた?
一転して天を仰ぐ【オリオン】の中で、男は目を瞬かせた。
武術か格闘技のような動きに気を取られた一瞬で勝負は決したのだ。何が起きたかは理解できても、十メートルの巨体でそれをやるなど正気の沙汰ではない。そう考え、いや……と首を振る。
――こんなものを振り回す私が言えた話ではない。
機体の身の丈ほどもある突撃槍を掴みながら、ついその口元を緩める。
『このひと時を楽しむのもいいが、私にはやるべきことがある。縁があれば――また会おう!』
それは酷くノイズ混じりであり、発音もフィンの聞きなれぬものであった。故に相手が精一杯格好つけているとも知らず、反転して去っていく姿を警戒しながら見送った。
「……何だったんだ?」
天災にでも遭ったような、何とも言い難い気持ちもそこそこに、フィンは報告の為に通信を開いた。
先程と同じ通信官に部隊の全滅とその原因を説明する。
『新型ですか?』
「今データを送ります」
『確認しました。……どういう動きしたんですかこれ?』
何と説明知ったものか。自分でも無茶な動きをしたものだと反省しつつ、それに応えた【グラインド】を改めて恐ろしく思う。
『あのー』
「東洋の神秘です」
『なるほど』
納得したのか、呆れたのか。通信官はそれ以上聞くことは無かった。
『ところでカニス中尉と連絡は取れませんか?』
「取れないんですか?」
『はい。妨害とか無いんですけど』
電波状況を確認し、通信を開こうとするも、確かに応答は無かった。
『自分の上官殿は忙しいようなので、私からのお願いになるのですが、心配なので見てきていただけませんか?』
「あー、はい。わかりました」
迷子の子犬でも心配するように言う通信官に、フィンは快く応えた。
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