欲しい。

『育田。クリスマスプレゼント、くれよ』


 俺は、クリスマスイヴの台詞を思い出していた。そう言って、思いきって目を瞑ったのだけど。望んでいた場所ではなく、額に軽く衝撃がきて。瞳を見開いて、デコピンされたのだと知った。


『貴方には、これで充分ですよ』


 そう言って、育田は可笑しそうに笑う。……育田、本当に気が付かなかったのか? 俺には、一欠片も恋愛感情を持ってないって事か? 合コンでは、たまに男もお持ち帰りするって聞いたのに。


「育田。お年玉、くれよ」


 これは、俺が今言った台詞。逃げられないように、ルーズに締められた育田のネクタイを、きゅっと握って引き寄せた。


「ん」


 顎を上げて、また目を瞑る。戸惑ったような沈黙のあと、そっと感触があった。髪に。あの時と同じように瞳を見開いて、育田がちょっと困ったような表情で、俺の頭を撫でているのを知る。


「これで良いですか? 夏実さん」


「……駄目だ! 育田は、男も相手に、するんだろ? 俺じゃ……っ俺じゃ、駄目、なのかっ……?」


 想いが届かない切なさに焦れて、俺は小さくしゃくり上げた。大粒の涙が、ぱたぱたと床を濡らす。育田は、驚いて目を丸くした。


「夏実さん……」


「本当は、クリスマスプレゼントに、お前が欲しかった。他の男にも手を出してるんなら……俺でも、良いだろう?」


 育田のネクタイを掴んだまま、俯いて涙に濡れた頬を、厚い胸板に擦り寄せる。屋内階段の踊り場には、ざわざわとした遠くの雑音と、俺の細い嗚咽だけが、しばらく響いてた。


 たっぷり一分は、そうしていただろうか。激情にまかせて言ったけど、ふいにその静寂が、恐くなる。『好き』と言わなかった。『俺でも良いだろう』だなんて、尻軽だと思われたかも。やや青ざめて間近で見上げると、やっぱり育田は困った角度に眉尻を下げてた。


「……すまん。迷惑、だよな、こんなの。俺、育田が優しいから、勘違いしてた。もう、諦める」


 ネクタイから手を離し、横顔を見せて涙を拭ってしまう。


「忘れてくれ。……育田、好き、だった」


 言った途端、踵を返そうとしてた右の掌が握られて、強く引かれた。


「待ってください。何、過去形にしてるんですか」


 俺は涙の名残に、ヒクッと一度、しゃくり上げて育田を見詰める。


「育田?」


「僕は、ずっと好きでした。今も、好きです。愛してます。でも……貴方の人生を、僕の色に染めてしまうのが、貴方の為にはならないと思ってました」


 そして、文字通り夢にまで見た柔らかい唇が触れた。本当に、触れるだけ。だけど、長く、長く、触れていた。夢の中では俺は瞼を閉じて口付けに酔うのだけれど、いざ現実になってみると、驚きの方が勝ってそんな事も忘れていた。眇められた育田の鳶色と、ひどく近くで目が合っている事にようやく気付いて、パッと身を引く。


「……どうしました。怖じ気づきましたか」


 唇を手の甲で覆って目を泳がせる俺に、育田が静かに訊く。ああ。育田は、俺のこの中途半端な覚悟を試してたのか。そう気付いて、こくりと一度喉仏を上下させると、今度は俺の方からゆっくりと育田に近付いた。背伸びして、そっと唇の端に触れる。瞳を閉じて。


 すぐに離れて目を合わせながら、愛おしい頬に、短い顎髭に、長めの後ろ髪に、薄い唇に、指を這わせた。


「……好きだった、ですか?」


「いいや。好きだ。大好き、だ」


 そう吐息で秘めると、育田は俺を初めてきつく抱き締めて、欲しかったものを与えてくれた。息が上がるまで愛おしみ合って、息継ぎをするのに離れたけれど、俺は追いかけてもっともっとと何度も触れる。


「焦らないで、夏実さん。貴方の部屋で、たっぷり……ね」


 欲しがりの俺の肩を優しく押し離し、育田が耳元で囁いた。


「貴方が欲しいです……夏実さん」


 育田。俺、も。言葉の代わりに、もう一度唇を触れさせた。


End.

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