千の言葉より、強く抱き締めて

 岡田は、毎年律儀にクリスマスカードやニューイヤーカードを手渡してくれていた。いつからだろう。在り来たりで優等生然としていた文面が、長い年月を共に過ごす内、家族に向けるような情愛を伴ったものに変わっていったのは。


 初めは、それが嬉しかった。職場の雰囲気が良くなって、仕事もやりやすくなる。そんな風に思っていた。


 だが、今年のクリスマスカードには、こんな風に書いてあった。


『メリークリスマス、親愛なる福山さん。貴方と一緒にいると、日常の全てが輝いて見えるんだ。いつもありがとう』


 紛れもなく親友に贈った言葉に違いないが、俺はそのカードを開いて、気付いてしまった。俺の、岡田に対する気持ちを。


 女に不自由した事のない俺が、生まれて初めて『恋』という淡い心地を知ったのが、同性の岡田だなんて。


 俺は、ギクシャクとカードを閉じ、やや素っ気なく岡田に言った。


「サンキュ、岡田。でも俺、面倒臭くて毎年カード返してねぇんだから、もういちいち俺宛てには書かなくて良いぞ」


「良いです、返事なんて。ただ僕が、日ごろから思ってる感謝の気持ちを、直接福山さんに伝えたいだけですから」


 日ごろから思ってる? その言葉に心臓が跳ね上がった。『初恋』の動悸をおさめる術を知らず、俺は不自然に背を向けた。


「そういうのが、面倒臭せぇんだ。ニューイヤーカードは要らねぇからな」


「えっ……」


 背後で岡田の、哀しげなため息が聞こえた。胸が痛い。気まぐれを装って、俺はヒラヒラと片掌を肩越しに振りながら立ち去った。


「気楽に行こうぜ」


 それが、クリスマスの出来事。それから数日、俺は岡田を避けがちになっていた。同僚が居る場では普段通りに振舞ったが、極力二人きりにならないようにした。


 何故かって? 決まってる。モラリストの岡田に、プレイボーイの俺が告白した所で、軽蔑されるのがオチだからだ。もっと悪ければ、人事課に異動を願い出るかもしれない。


 岡田が近くに来るたびに鼓動を早める自分の心臓が恨めしくて、拳でひとつ、軽く胸を打った。


「福山さん、どうしたんですか?」


 背中からわいた声に、ギクリと俺は身を竦めた。このタイミングで、寄ってくるんじゃねぇ!


「あ~、食い過ぎかな。胸やけがしてよ」


「でも今、心臓……」


「医務室行って寝てくるわ。報告書頼んだぞ、岡田」


 駄目だ……。あれ以来、まともに会話していない。


 俺は外れの医務室に向かい、勤務医不在のそこで、惰眠を貪る事にした。眠ってしまえば、どんなにイイ女を抱いた後でも、翌朝にはもう忘れていた。この気持ちも、そうだったら良い。眠りに落ちる寸前、微かに残った意識の中で、俺はそんな風に願った。


「……くやまさん。福山さん」


 夢にまで見るか。視界いっぱいに岡田の、女と見まごう端正な貌が近付いてくる。実際にこんなに近付いた事はない。まるで誘うように顔を覗き込まれ、俺はもう、理性のたがを外して、その桜色にチラつく唇にキスをした。


「岡田……!」


 自分の寝言で目が覚めると、ドッドッと身体中が脈打っていた。夢でキスしてこのザマか……。まるでチェリーだ。


 軽く自嘲を零し、もう真っ暗になった景色を窓に認め、俺は一人家に帰った。クリスマスから、軽薄に寄ってくる女たちに手を出していない。


 俺は、他者を懐の内に入れた事がなかった。すなわち、『愛』を知らない。女を抱く事で束の間、孤独の埋め合わせをし、それで良いとさえ思い始めていた。そんな罪作りな行いをしてきた罰のように、突然やってきた『初恋』の壁は高かった。


 昼間散々寝たはずなのに、何処かショートしているのか、また泥のように眠って俺は出勤した。そろそろ、不自然に避けているのを、岡田が気付き始める頃合いだった。


「おはようございます、福山さん」


「お、おう。岡田か」


 長年一緒に仕事をして、もう背を向けていたって気配で互いが分かるほど、俺たちは一体化していた。岡田以外の誰が、真っ先に自分に声をかけてくるというのか。


「今日の忘年会、福山さん何時まで居ます?」


 だがそんな俺の自問は窺えない風に、岡田は笑顔で尋ねてきた。夢に見た桜色がチラつく……。


「ああ、忘年会か。そうだな。思いっきり呑みてぇ気分だから、帰らねぇかもな」


 一緒に帰ろうなどと切り出される前に、口実を作ってしまう。


「そうですか。でも福山さん、幾ら強いからって、呑み過ぎないでくださいよ!」


 いつものように苦笑されて、何故だか俺は安心していた。この想いがバレる事を、俺は恐れて岡田を今まで避けていたのだ。上手く誤魔化しきれている事に安堵して、俺もいつものように返した。


「あ~、分かった分かった」


「返事は一回ですよ!」


「ハイハイ」


「福山さん!」


 そう、こんな風に気の置けない友人のままが、一番幸せなのだ。そうやってまた俺は、孤独に蓋をして生きていく。やっと見付けた微かな光が眩しくて。これ以上近寄っては、太陽に焼かれたイカロスのように、失速してしまう。


 岡田は、まさに『嗜む』程度に酒を呑むと、挨拶をして帰っていった。いつもの、優等生らしい岡田だ。そんな岡田を見送った後、俺は忠告も無視して強い酒を浴びるように呑んだ。言葉通り、帰るつもりは最初からない。


 らしくなく、ひとしきり同僚と騒いだ後、いつの間にか奴が庶務課の新人の腰に腕を回し、『お持ち帰り』していくのを見る。同僚は、チラリと振り返って俺に小さくVサインをし、帰っていった。


 アイツも女に節操がないが、俺みたいに孤独を抱えてる訳じゃない。そう思うと、何だか空しくなって、俺は人影もまばらになり始めた総務課を出た。医務室に直行し、布団に潜り込む。眠って忘れてしまうのが、一番だ。


 真夜中から早朝まで、酒が効いてぐっすりと眠った。本来なら始業過ぎまで眠っていてもおかしくなかったが、不意に目が覚めた。魂が震えて。二日酔いもなく雲が晴れたようにスッキリと目覚め、俺はベッドの上にザッと半身を起こした。


「……岡田……!」


 目が覚めたのは、まさに、魂が共鳴したからに他ならなかった。ベッド脇に、岡田がそっと立っていた。ただ驚くばかりの俺に対し、岡田はいつものように微笑む。


「おはようございます、福山さん。やっぱり帰らなかったんですね。呑み過ぎてませんか?」


 ばつが悪く、俺は布団から抜け出ると、俯いて靴を履きながら不明瞭に言った。


「おう、幾ら呑んだって、二日酔いにならなきゃ良いだろ……」


「駄目です、福山さんの身体が心配なんです!」


「ハイハイ」


 いつものように返して、うやむやにしてしまうつもりだった。俯き気味のまま、立ち上がって前を塞ぐ岡田を押し退けようとする。だが岡田は、頑として退こうとはしなかった。


「福山さん、これ」


 と、俺の手に二つ折りにされた小奇麗な色のカードを押し付ける。


 あれだけ要らねぇって言ったのに。これ以上岡田を拒絶して、傷つけない為の予防線を張った気になっていた。また鼓動がいう事をきかなくなる。


「だから、要らねぇって言っただろ」


「お返しなんて要らないんです、僕の気持ちです」


 その『気持ち』ってのが、俺には甘い毒なんだ。気付かない内に身体中を侵食して、何もかもを一瞬にして壊してしまう極上の毒薬。


「……分かった」


 俺はそれを手中に収めると、寝癖のついた後ろ髪を更にかき乱しながら、大きくひとつため息をついた。


「後で読む」


「今、読んでください」


「は? いつだって良いだろ」


「今読まなきゃ、意味がないんです」


 視線を上げると、岡田の真剣な眼差しと目が合って、『何故だ』という問いも発せなかった。カードの表には、『A HAPPY NEW YEAR』の七色。問題は、中身だった。


 蓋をしたはずの孤独が騒ぎ出したが、この数日で幾らか耐性がついた分、理性は保てるだろう。己を落ち着かせるように深く深く深呼吸をした後、俺はカードを開いた。そこには、シンプルにたった一行の言葉が、岡田らしい綺麗な文字で踊っていた。


「…………岡田、これ……」


「カードのお返しは要らない。言葉も。貴方は夢だと思ったみたいだけど、キスしてくれたのは、僕なんだ」


 俺はニューイヤーカードを取り落とすと、早急に岡田の華奢な身体を腕に閉じ込めた。細くしなやかな腰に両腕を絡ませ力を加えると、軽々と岡田のつま先が地を離れてしまう。


「ちょっ……福山さ……」


「苦情は聞かねぇ。こういう事だろ」


 照れて僅かに空を蹴る岡田のつま先の下に、カードが落ちていた。そこには、たった一行の光が踊っていた。


『千の言葉より、強く抱き締めて』


End.

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