「”あやか”というのが自殺した子なんだね?」

 住吉は抑えたトーンで訊いた。経験上、ここが重要なポイントだとわかる。

 美也子の眼が激しく泳いだ。「あたしは悪くない」

 その声は誰かに聞かせようとするかのように大きくなる。

「あんなことで死ぬなんて思わないじゃん。遊びでしかないのに、なんであたしがこんな――あたしは悪く――ない!」

 美也子は急に立ち上がると、出口に向かって走ろうとした。

「千枝子ちゃん、押さえて!」

 華奢な体つきの美也子だが、本気で暴れる患者の力は馬鹿にできない。抱え込むようにして千枝子が押さえつける。

「痛っ」

千枝子が自らの手のひらを押さえる。いつのまにか美也子は小さなカッターナイフを持っていた。

「持ち物チェックはしなかったのか!?」

「しました! けどあんなの、隠そうと思えば――」

 美也子は立ち尽くしていた。

 住吉は背筋に冷たい汗が伝い落ちるのを感じる。

「千枝子ちゃん、自分の手当てをしなさい。彼女はいいから」

「少し切っただけです」

「でも血が出てる。言い方が悪かったかな、今のうちに手当てを済ませてほしいんだ。僕一人じゃ押さえ切れないと思う」


 彼女は微笑んでいた。

 無邪気な子供のような、表情。ただそのくらい眼は、住吉が見たことのないものだった、

 住吉は懸命に頭の中のケースレポートを探す。――違う人格ペルソナ

「君は――”あやか”なのか?」



 美也子の病状は妄想というよりは解離性同一性障害――昔は多重人格とも呼ばれていた――なのだろうか、と住吉は思った。ただ、人格交換に伴う健忘は起こっていないようだ。

 

 おそらく美也子は、学校でいじめを主導する立場にいたのではないだろうか。しかし、突然あやかは死んでしまった。無意識の自責の念が――『自分の中にいる』と言っていたのは、つまりそういうことなのだろう。

 自他傷の行為を含め、症状はかなり重いと判断せざるを得ない。入院が必要だ。あえて今できる診断をするとしたら、解離性障害――原因を特定するには情報不足にしても、”あやか”という子が鍵に違いない――というところになるか。

 たった一日で診断するのは無茶もいいところだが。


「美也子!」

 母親が飛び込んできた。

「近づかないで、


 しかし、この違和感は何だ。

 少女の目のせいか。あの光を映すことさえ拒絶するような、深い闇のような眼。


「先生はカウンセラーなのだからたぶん、あたしのことを美也子が作った人格ペルソナみたいに思っているんでしょう。しかたない――ひとはそのひとがって立つレンズを通してしか世界を見れない。でも違う」

 その口調は本当に別人に聞こえる。ただ確かに喋っているのは美也子なのだ。

 少女は袖をまくった。たくさんの盛り上がった線。傷跡の数々。

「あたしは美也子を殺す。美也子たちがあたしを殺したように。二か月かけて、ようやくコツがわかったの」

 皮膚の下に何かがうごめいていた。

 自らの腕にカッターナイフを当て、引く。わらいながら。

「やめるんだ、君!」

 住吉は叫んだ。そして見た。

 美也子の新しくできた傷から鮮血がにじみ、ぽたりぽたりと床に染みを作る。

 そして血に混じり傷口から這い出す黒い糸のような、寄生虫のようなもの。ばさりと束になって落ちた。


 


 馬鹿な。ありえない。

 あれだけの髪が体内にどうやったら入り込める。無理だ。

 いったい何が起きている――。


 

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