誘う声

 この街では人が消える。

 閉鎖された空間にいると、いつの間にか消えてしまうことがある。

 だから、部屋のドアは完全に閉じてはいけない。車の窓は少しだけ開けていなければいけない。電車に乗るのは危険だ。エレベーターは避けて階段を使った方がいい。飲食店の個室も、わずかな隙間を残すような作りにしなければ、会計をする前に客が消えてしまう。

 この街から人々は逃げ出した。

 逃げ出したのは、消えてしまうからだけではない。消えた人々が、まるで幽霊のように現れては、また消えていくからだ。

 幽霊のような消えた人たちは、おいでよ、と笑顔で囁きかける。こちらにおいでよ、と。知らない人が、親しい人が、街のあちらこちらから現れて、おいでよ、と誘う。

 それに耐えられず、逃げ出した人々も多い。そして、消えてしまった親しい人の姿を求めて街にとどまる人も、一度出て行って、また戻ってくる人も少なくなかった。

 閉鎖された空間で人が消える現象はいっこうに解決の糸口が見えず、住民を強制退去させ、現象が起きている街ごと封鎖された。

 しかしそれでも、金網で囲まれた街に潜り込む人は後を絶たない。

 北島もその一人だった。彼が出張中に、街に残してきた妻子は消えた。街を出るまで、北島は一度も妻子の幽霊を見つけられなかった。だから、探しにきた。

 おいでよ、と見知らぬ幽霊が北島を誘う。繰り返される言葉は、まるで呪いのようだ。

 行けるものなら、北島はとっくに行っている。おいでよと誘うのだから、きっと向こうはいい世界なのだろう。

 はやくそこへ連れて行ってくれ。

 幽霊たちはおいでよと誘うばかりで、いっこうに連れて行ってくれる気配がない。閉じられた空間に入ってみても、北島が消えることはなかった。

 消える前に、力尽きて死ぬのかもしれない。果たしてそのとき、妻子に会えるのだろうか。


 おいでよ。こちらへおいでよ。


 飽きるほど聞いた同じせりふだが、声には覚えがあった。探し続けた姿は、知らないマンションのベランダにあった。北島を見下ろし、微笑んでいる。

 閉鎖されてから、街は文字通りのゴーストタウンになった。マンションの入り口にあった自動ドアのガラスは割れ、エレベーターは当然動かない。

 階段を駆け上がり、妻子がいた六階にたどり着く。廊下の端の、非常口の前に二人はいた。

 おいでよ、こちらへ。

 妻が手招きをする。北島は二人の名前を呼び、廊下を駆けた。

 おいでよ、と妻が非常口の扉を開け、外へ出る。

 待ってくれ、と叫びながら、北島は非常口から飛び出した。非常階段があると思ったそこには何もなかった。

 いつの間にか地上に移動した妻子が、おいでよ、と繰り返す。

「……すぐに行くよ」

 北島を見上げる二人に向かって、両手を広げた。

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