第3話 朝、登校、桜坂

 目覚ましはいつの間にか電池が切れていて深夜の3時を示したまま動かない。慌ててスマホを確認するも、時刻は始業10分前。家から走っていくにしても間に合うことはない。

 完全なる寝坊。

 飛び出すように着替え、パンをかじり、アパートのドアを叩くように閉めた。


 いつも夜に通る道とは違い、街は喧騒に溢れている。スマホを耳に当てながら歩くサラリーマン、市営バス、あまり聞こえがよくない言葉で会話をする褐色肌の女子高生達、それらと観光客を乗せる路面電車。信号待ちの車のクラクション。

 見知らぬ都会的な街を、僕は縫うように病院へ向かった。

 

 病院玄関正面はロータリーになっており、タクシーや乗用車がひっきりなしに往来している。市内で一位二位を争う大きな病院だ。リハビリを兼ねた受診するためのおじいちゃん、ランドセルを背負った男の子、付き添いの母親、遅刻が約束された通学路とは別世界の穏やかさがある。そのなかに私服の秋月がいた。暗闇じゃ分かりにくいけど髪が肩くらいまである。

「…遅い」ぶっきらぼうに秋月が言う。

「すまん」そんな事しか僕は言えない。

「とにかく急ぐぞ」

 秋月を自転車の荷台に座らせて、ペダルの足を踏ん張った。


 時計なんか見ている場合ではない。とにかく急ぐぞ。立ちこぎの僕とは裏腹に、後ろの秋月は悠然とベンチに座るような姿勢で器用にバランスを保ち、ほとんど見たこともない通学路を楽しんでいる。

「学校、いつ以来なの?」一応、誘ったのは僕だ。時計をみる暇はないけど、その辺りの情報は欲しい。もちろん振り向かない。

「…聞いてどうするの?」

「友達、作りたいんだろ?」

「私に死ねって言いたいの?」

「あのな」

 垂れ桜が舞い落ちる。その景色の艶に見とれ、秋月のネガティブ発言に呆れ、力が抜けて、立ちこぎをやめて座った瞬間だった。

 飛び出してきた猫に思わずブレーキを握った。

「ちょっ…」

 秋月の腕が絡み付いてきた。同時に桜の淡い香りも。大きく心臓が胸を打った。桜色の川は僕の心境を表してはくれない。

「気を付けてよね、病院、外出許可申請するの大変だったんだから」

「悪い悪い、自転車通学久しぶりで」

 眼鏡橋の先に桜坂が見えてくる。校門へ向かう人影は居ない。僕は再び立ち上がり、ペダルに力を込める。ゆっくり、ゆっくり、春の日差しを受けた二人のりの自転車は坂を上っていく。


 ホームルームは始まっていた。

 担任が教壇から生徒を見下ろし、端から端へ視線を移し、出席をとっている。

 それを引き戸の窓から覗き、確認する。

「入るぞ?」

「…うん」

「いいか?空気が悪くなるから、ひとまず笑え。笑えばなんとかなる」

 僕が眼下にしゃがむ秋月に作戦を説明し終えた時だった。

「なーにやってんだ?二人して」

 担任が引き戸を開けて顔を出して僕らを見下ろしていた。


「秋月が来た…」「秋月ってあの秋月が?」

 教室はどよめいている。大体予想通りだ。

 ただ、この反応は予想外だった。

「あ、秋月か…。」  

 明らかに担任は動揺している。その証拠に開いた口が閉まらない。

「はい。最近知り合いになって、暫く学校に来てないって言うんで、あ、すいません遅刻しちゃって。途中で自転車パンクしちゃって」「あ、すいません」から妙にわざとらしくなってしまう。直さなければいけない癖が露呈して、作戦とは別の笑いがでる。それ似合わせて、僕の後ろの秋月も。

 そう思っていたのはなにも知らない僕だけだった。

 後ろに視線を傾けると、秋月は僕の制服のブレザーをぎゅっとつかみ、口許に手を当ててしゃがみこんだままうつむいていた。

「秋月…」

 壁づたいに立ち上がった秋月は、口許に手を当てたまま逃げるように廊下に消えた。


 一時限目の休み時間10分は職員室の堅苦しい作業音に消えた。

「お前、何してるのかわかるよな?」

 担任が眉間にシワを寄せている。

「お前、編入してきたばかりでわからないかも知れないけど、秋月は生まれつき心臓が悪い。絶対安静が基本なんだぞ」

「だから何ですか?」

 その言葉に担任は机を叩いた。その音で職員室のプリントの掠れる音、赤ペンがその上を走る音、雑談さえ沈黙して、すべての視線が一角の質素な机に注がれた。

「お前は正気か?お前はあいつを殺す気か?」

「彼女には今しかないんじゃないですか?今、学校に来なければ友達も出来ずに死んじゃうんじゃないですか?」

「とにかく、すぐにアイツを帰すんだ」

「秋月さんはアイツではありません。秋月爽です。先生、何か秋月さんに戻られると嫌なことでもあるんですか?」

「いい加減にしろ」

「ちょっと、取り込み中申し訳ありませんが」

 割って入ってきたのは教育指導の根元だった。

「先生、ちょっとご相談したいことが」

 歯切れの悪い会話に苛立ちを覚えた。何か隠してるに違いない。話題が反れ、担任が根元と話してる隙に、僕は職員室を抜け出すついでにこの高校を選んだ「楽しみ」の鍵を拝借した。


 夜に見る月は寂しげで昼に見える月はどこか孤立している。それに比べて太陽は自己主張が強い。その光で数多の星に生命を宿し、反射させる形で光を持たない惑星にも光をもたらすことができる。月は、月はどうして孤独なのだろう?

 この高校には使われることのない部室がある。

 人気がない屋上。夕陽が作るオレンジの陽に秋月はいた。

 フェンスの向こうをぼうっと見つめている。

「ここにいたのか」

「探した?」

「いや。お前の自由だ。そしてこれは俺の自由」

 ポケットから例の「鍵」を取り出し、鍵穴に差し込む。

「ほんと自由だよね」

「当たり前だろ?俺は常に呼吸をしていたいんだよ。だれの許可もいらない」

「なにそれ?意味わからない」

 カチャっと鍵が落ちる音。

「私さ…」

 振り替えると、相変わらず秋月はフェンスの向こうの野球部が練習する声援に耳を傾けていた。

「私、クラスに居場所がないんだ。一年の2学期から来てないから、もう一年学校休んでる」

 そよ風に揺れる秋月の涼しげな横顔はどこか寂しげで頼りない。

「何かしたの?担任もなんか一物抱えてるみたいだけど?」

「昔ね、昔。私、それまでも学校休みがちで友達なんていなかったの。いつも本ばっか読んでてさ、知ってる?少女漫画ってさだいたい高校生が充実した日々を送るんだよ?それがどうしてもしたくて、学校はこれなかったけど、必死で勉強して」

「遅刻寸前で家を出て、パンかじったまま角で男子とぶつかって、こけた拍子でパンツが見られて、実はそいつは転校生で、学校着いたら「あ!」みたいな?」

「あはは、古い」

 秋月はいたずらをごまかす子供みたいにフェンスの側を腰で軽く手を結び、膝を伸ばしてあるきだした。

「みんなの中心だったんだぁ。先生。だから先生に気に入られればみんな私を見てくれるって、そう思ったの」

「だから…」

 立ち止まった秋月は、フェンスの空を見つめて急に延びをしだした。

「本当はなにもしてないのにね」と笑う秋月の輪郭は西沈む太陽の焼ける光で滲んでいた。


 兄貴はあの日、病室から抜け出ていた。シーツや布団はきちんとたたんであったそうだ。双子の勘と言うやつか、僕はなにげに例の天体望遠鏡でアパートの窓から観測していた。母さんは熟睡していた。これまでの看病が祟ったのか、病室から帰ると倒れ混むように寝てしまった。まだ、空にはかろうじてカストルとポルックスが瞬いている。

 スケッチブックに星の動きを書き留めようとしたとき、降りかえった手が望遠鏡に当たり、ずれてしまった。仕方なく覗き混んで微調整しようとすると、薄手のパジャマでスリッパ姿のがフェンスを乗り越えようとしていた。

 兄は中学に入るとすぐに余命を宣告されていた。享年15歳。


 翌朝、僕の足は自然と病院へ向かっていた。

 病室に入るとすぐに彼女のきょとん顔が現れた。編み物をしている。

「何しに来たの?学校は?」

「迎えに来たんだよ」

「私は」の先の言葉は言わせない。僕は秋月の手をなるべく優しく包む。

「今を大切に。今夜だって流星群が流れるから」

 時計を見やる。

 あの時変わらないなら、今頃婦長は一回の病室の佐竹さんと談笑してるに違いない。というか、佐竹さんに頼んできた。「珍しいのが来たなぁ、元気にしてたか」とは達者なもんだ。入院生活が長いおじいさんにそんなこと言われてしまった。僕は短く事を説明した。「青春だなぁ」と笑われてしまったけど、用事を終えた僕は後でお礼に来ることにして佐竹さんのいる病室を後にした。


 桜坂。ギシギシペダルはきしみ、ゆっくり景色は動いていく。

 登校する生徒のざわめき、白い目。

 彼女は何もしゃべらない。

 僕も。でも、学校に行かないことにはどうにもならない。

「ねぇ」何か喉につまったような声で、僕は本当に秋月が話をしているのか迷い、あえて無視した。

「ねぇってば」

「僕は「ねぇ」なんて名前じゃないけど?」

「じゃあ名前。教えてよ」

「もしかして僕を最初の友達にしてクリアしようとしてる?」

「それで良ければ病室出てこなくてすんだでしょ?」

 確かに。

「…空知暁」

「へぇ、いい名前。空知。だから天体観測してるの?」

「後で教える」それだけ言うと快晴の下校舎が見えてきた。



 

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