1-2. Open The Book
◆
「ゲズゥ、ジェット、噂の漂流者はどこだい?」
手をハンカチで拭きながら扉を開けて入ってきたのは首から上に四つの頭蓋骨を浮かべた男だ。どこか黄ばんだ頭蓋骨は四つとも笑うかのように口を開かせている。
「ボス! 俺の仕事ってなんか辛いものが多くない? もっと楽な仕事をあの女とかに優先的に回してんじゃ──っぐえ!」
「ボスの邪魔。あと獣臭い」
部屋へと入ってきた頭蓋骨の男に詰め寄る人狼のジェットの前に、喪服のように黒一色に身を包んだ女性が間に突然割って入る。そのついでと言わんばかりに男の股を二つに割くが如く蹴り上げる。無防備な男の股間をその鋭い蹴りが直撃する。
股間を抑えたまま膝をつき蹲るジェットの悲鳴は言葉にもならない呪詛のような声が漏れている。
「ぬぉぉぉ──てめえ、急に出てきやがってっ!? 俺様自慢のキャノン砲が使い物にならなくなったらどう責任とってくれるんだよっ! 世界の美女が泣く文化的損失だぞ! オルッ!」
「切ったって再生するんだし、一層のことちょんぎってあげようか? それが世の女性のためにもなるし。それに私は悲しくないし」
「てめえは俺の言う美女の扱いじゃねえ! いつか犯すぞ!」
「ゲズゥ、肝心の漂流者はどこにいるんだい?」
喧騒を背に頭部に四つの髑髏を浮かべた男は優しい、柔和な声でゲズゥに語り掛ける。
落ち着きがあり、乱れることのない息遣いで男はゆっくりと語る。
「あれ、さっきまでそこらへんに居たのに」
「この無限空間に迷われると面倒だね」
「私が連れてこようか?」
「あのー……もしかして私のこと探してますか?」
おずおずと本棚の影から出た女性は一冊の本を抱えている。銀色の太い三つ編みを腰まで垂らし深い度の眼鏡をかけた女性は本をその凹凸の薄い胸に抱えてゆっくりと寄ってくる。
踝まで隠れそうな紺色のロングスカートに毛玉の目立つハイネックのセーター。全身から地味と言う言葉が溢れ出てくるような出で立ちを前に頭蓋骨は手を差し出す。
「君が話しに聞いていた漂流者か。ようこそガルディオンへ」
「が、骸骨が話してる……」
異形に見慣れたとはいえやはり頭蓋骨がそれも四つも頭部にある生物を前にするとルフサはつい言葉が口を出ない。
その眼鏡の奥に見えた怯えた目を前に、頭蓋骨は差し出した手を下げ大きく礼をしてみせた。
「これは自己紹介が遅れた。私はこの次元集約点ミリオンロンドで多次元管理局ガルディオンの長をやっているボルトベヒア=テレステビア一三世=ブックマンだ」
「ボル、ぼるぼる……も、もう一度だけお名前を聞いてもよろしいですか?」
あまりに聞き慣れない名にルフサは目をきょとんとさせた。一陣の風が吹くが如く言い切られた名前はまるで頭に入ってこなかった。
「皆はボスと呼んでいるし、ボスで構わないよ」
「ボス……さんですか。えっと、ガーネット=ルフサと言います!」
ぺこりとルフサは頭を下げると、その勢いに任せてまるで別の生き物のように銀色の太い三つ編みが躍る。
「改めて、ようこそ多次元管理局ガルディオン本部へ」
浮かぶ四つの髑髏頭から優しい声がルフサの耳朶を打つ。
「がが、ガルディオンですか?」
「ん? ゲズゥ、説明したんじゃないの?」
「一から全部説明したら長くなるし、テキトーに割愛したよ。ボスのこともガルディオンのことも一切話してないよ。せいぜいロンドミリオンについて軽く話しただけ。
どうせ半日もすれば帰るんだから知ってようと知るまいとどうでもいい話でしょ」
「確かにそれもそうだな」
ボスと呼ばれた頭蓋骨は何度か頷いてみせた。
「まあ半日程度なら寝ていればすぐだろう……その本……」
おもむろにボスがずいっと体を寄せる。
頭蓋骨の眼の無い眼がルフサの抱えた一冊の本へと行く。
赤黒いな背表紙の本。
「あ、あの……すいません! 奥から取ってきちゃいました。元の場所に戻しておきますね」
「その本は……」
「ひゃっ!!!」
ボスはルフサの腕を握り持ち上げる。血で色を塗ったかのような淀んだ赤黒い一冊の本が音を立てて床に落ちる。
ボスが知る限り、この際限ない倉庫、無限空間のなかで濁った赤黒い表紙をしたものは数少ない。
「な、なに? なんかあったの?」
「ボス、そんなチンチクリン相手になに欲情してんだよ?」
ボスの元に寄ってきたオルとジェットもその後ろから覗き込むと床に落ちた一冊の本に視線が向けられる。
赤黒い表紙の目立つ本。表紙に刻まれた解読困難の異界言語によって題字が刻まれている。
「あ、あの……なにか不味いことしちゃいましたか?」
頭蓋骨の男を前にルフサは恐怖で目尻に涙が浮かび始める。
相手は異形の者たちだ。彼らがその気になればただの人間のルフサなど塵へと還ることになるだろう。
「この本は──」
無限空間。その名の通り地平の果てまで本棚が並んだ奥底から一陣の風が吹き、ルフサ達を撫で過ぎていく。
風に表紙は持ち上がる。
「嘘!? 誰も触ってないのに……」
化け物が封印されている数多の本。決してそよ風程度で開かないことはジェットやオルは承知している。
それどころか、大半の本は開こうと思ったところで幾重にも魔導錠によって封されている。それも人智を遥かに超えた力によって。
開かれた本が風によってページが捲れ、最後のページまで行く。
何が飛び出すか全員が身構えてるなかで、白紙のページだけが続いていた。
「な、なんだよ。ボス。ただの自由帳じゃねえか。脅かすようなこと言うなよ!」
「おかしい……」
ジェットが床に転がった本を蹴とばそうとすると落ち着いた声でボスがその本を拾い上げる。
蹴るものがなくなったジェットの体が盛大に転ぶが誰一人としてそんなことは気にしない。
ボスの手に持った赤黒い本に注目している。
「この本の魔導錠が全て解除されているっ!?」
「そんなに驚くこと?」
「私の聖骸の血で描かれた魔回導が解かれている」
「ボスの魔導錠が解かれるって……ヤバイね」
ゲズゥがぽつりと呟いた。
魔回導の構造は全てが紐解かれたわけではない。いまだブラックボックスに満たされた術式構造をしたものや、呪法結界などがこの世には満ち溢れている。
そしてボス、ブックマンが自らの血をもって施した魔導錠もいまだそれを解いた前例が一人としていない、究極魔回導の一つだ。
「でも、魔導錠の影も形もないよ」
ジェットはのんきな声と共に落ちた本を拾い上げ開く。
どれだけページを捲ろうとも出てくるのは若干黄ばんだ白紙のページだけだ。
「君!」
「ひゃっ、ひゃいっ!!」
四つの頭蓋骨が、怯えるルフサの眼を睨む。
何が起きてるかわからないルフサにはただただ立ち尽くして震えてることしかできない。まるで判決を待つ加害者の気分だ。
眼鏡の奥で目尻にわずかに涙を浮かべた彼女の鳶色の瞳のその奥。
──瞳が赤く……
ボスが覗き込んだルフサの眼が下から次第に赤黒く変色していく。瞳を染める色の正体は、瞳のなかに組み上げられていく百、千、万、もゆうに超えた魔回導だ。
──この魔回導は──
瞳のなかで組み上げられていく。ナノ以下の歯車と歯車が一つの型を作り上げていく。美しく精緻極まる深紅の魔回導。ボスには見覚えのあるものと同時に咄嗟に背筋が寒くなる。
──赤黒い瞳……赤き魔神……
「オルっ! この子を確保しろ!」
「な、なに突然?」
「急げ!」
「わ、わかったっ!」
怒鳴るようなボスに対してオルはさきほど解いた手錠をどこからともなく再び取り出すと、コマ落ちするかのように瞬間にオルは立つ。その手には鈍色の手錠が握られている。
「ブックマン、気が付くのが一足遅かったな」
瞳の奥で組み上げられた魔回導が一つの歯車として形を成す。赤く染まり切った瞳と同時に白い歯を見せてルフサが笑う。怯えた表情ばかりみせる彼女が決して見せない表情だ。
──アガルトの庭園!!
束縛を試みて伸ばしたオルの手が、まるで水に触れるようにルフサの体をすり抜ける。
深紅の魔回導が作り出した結界を前にオルの手は何度触れようと試みたところですり抜けるだけだ。
姿こそあるが熱も感触もない。まるでそこに存在しないかのように。
「次元魔術!? ゲズゥ、この子、ただの能力も何もない子じゃないの!?」
「そ、そのはずだよ」
万を超える魔回導によって形を成した歯車が音を立てて回る。眼鏡の奥で深紅の瞳が煌々と輝く。それはルフサが持っていた表情ではない。見た目こそルフサだが、その中身にいるのはまるで別の存在だ。
「久しぶりだな。ブックマン。だが今は貴様と争う気はない」
その喋り方も、深紅の魔回導もブックマンと呼ばれたボスはよく知っている。
今でこそ白紙となった本に厳重に封じられていた存在だ。
「それではそろそろお邪魔しよう」
赤黒い瞳を輝かせたルフサは細い指先で空間を撫でるようにすると同時に急速に展開される幾何学模様の魔回導が円となって彼女の体を呑み込む。
「ま、待てっ!」
ボスが手を伸ばすが掴めるはずもなく、消えていく彼女の体をすり抜ける。
「ね、ねえボス。さっきのあれ、なんだったの?」
ルフサの姿は完全に消えた部屋でオルは呟くように話す。
連結した次元ならばどこへでも自由に跳び回れる次元回遊族のオルですらも触れることのできない隔離次元を構築した魔回導。何億にも及ぶ精緻を極めた魔回導に次元を作り出す。
人智などでは計り知れない化け物と呼ぶに相応しい能力。
数えきれないほどの災厄と呼ばれる存在と対峙してきたオルの記憶のなかにそんな前例はない。
「ふう。こういう時こそ落ち着くための日課のプリンを食べよう。話しはそれからだ」
ソファーに腰を下ろしたボスは深い息を吐いて落ち着いた声で提案してみせた。
◆◇◆
「この街を見るのも何万年ぶりか」
強い風が下から吹き上げるなか、この街を一望できる塔の先端にルフサは器用に立つ。
眼鏡を外し、人智の及ばぬ魔回導によって型を成した歯車が蠢く深紅の双眸で眼下に広がるロンドミリオンの街並みを見下ろした。
絶えることなく黒煙を吐き出す太い煙突。様々な種族が行きかい諍いの絶えない街。それに伴いときおり聞こえてくる爆発音、発砲音に悲鳴。尽きることのない次元を集約し無秩序と混沌を擬街化した街。
「万も億にも上る術式に満たされた街並み。
ありとあらゆる次元の集合体にしてカオスそのもの。ロンドミリオン」
ありとあらゆる術式技術を取り入れ、日常のごとく使役されている魔回導。
その全てが煌々と輝きをやめない深紅の瞳には懐かしい風景だ。
──あのー……
「ん?」
銀色の太い三つ編みを腰まで垂らし歪な笑みを浮かべるルフサのなかからもう一つの声がした。
体の自由を奪われ考えることしかできないルフサ本人のものだ。
その声は誰にも聞こえない。聞こえるのは赤い瞳を持ったルフサのみだ。
──あなたが……私を呼んだんですよね?
恐る恐るとしたルフサの声。紛れもなくルフサ本人のものだ。
この世界へ来る直前も、あの赤黒い本を手に取ったときも、全てはルフサを呼ぶ声が始まりだった。
「そうだ。
魔神である私、アカルダイト=ルシェノエル=△☆♪〇Ω=イーロッドがお前をこの世界に呼んだ」
言語として聞いたことのない言葉の混じった長い名前。一瞬の名乗りで覚えられるはずもないルフサが記憶したのは最後のイーロッドの部分だけだった。
──イーロッドさん……なんで私をこの世界に読んだんですか?
「簡単な話だ。あの憎たらしいブックマンの血で作り出した究極にして絶対の封印結界を詠み解く者、『リードマン』の力を持った貴様が必要だっただけだ」
ルフサには言葉の意味がさっぱりだ。
体の自由も奪われたルフサは首を傾げながらも気が付けば目がくらむような高さの光景が広がっている。
落ちればハンバーグの材料のようにミンチ待ったなしの光景に背筋が寒くなる。
──それで私の体はいつになったら返してもらえるんですか?
「私の体が戻ってくるまでだ」
街を見つめる深紅の大きな瞳が細くなりいやらしい笑みを浮かべる。
──体ってどこにあるんですか?
「あのクソヤロウ。ブックマンのところだ」
憎しみを孕んだ簡潔な答えがなんの間断もなく返ってくる。
その答えを考えるだけでルフサは嫌な予感しかしない。
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