第13話
丸太町通りを東へ走り円町までたどり着いた。ただ、ここからがうろ覚えだった。いったん自転車を止めて、街灯の下で地図を確認する。
「確か、丸太町通りから南へ少し下りたところにある踏切だったはず」
「ここじゃない? 天神通りって書いてある」
円町から少しいくと天神川を渡る。その次の通りだ。京都市中の通り名法則によると「丸太町天神」となるのだろうが、その小さな交差点には信号はあったが交差点名の掲示はなかった。ここを南へ折れる。小さな通りだ。街灯も暗い。それでもほどなく築堤が見えてきた。山陰本線だ。
そこには遮断機もない小さな踏切があった。山陰本線は単線だ。電化もされていない。
「誰もいない……」
美智代がつぶやく。暗い。街灯があるにはあるが、まるで光がすぐ闇に吸いこまれているように感じる。
「もう少し西だったはず」
「ここじゃないの? 踏切」
「目標はそこだけど、現場はもう少しあっち」
「現場?」
チャリを押しながら線路沿いを西へ歩いていくと、目の前にふっと人影が浮かんだ。
「トシ!」
呆然と立っているトシがこっちを向く。表情がこわばっている。
「どうだったんだ!」
そう叫びながら近づいていくとほどなく、二人目の人影が見えた。トシの足元にうずくまっている。両腕で自分を抱きしめるようにして。たどりつく。息がきれている。
由有ちゃんは泣いていた。これ以上にないくらい震えながら。
「ケガは?」
「たぶん、大丈夫」
トシが答える。
「お前に言われてすぐに飛び出した。十分後に踏切に着いたけど、誰もいなかった。それで言われたとおり、西に来たら、ここにいた」
「道路か?」
「ああ」
由有ちゃんを足元にして僕とトシが話しているところに、美智代がやってきて背伸びをしながらトシにビンタした。
「! っいて」
「なんで殴られたか、わかるわよね」
ほおを押さえながらトシは無言だった。
「いーい、女の子にとって一番大切なものを捧げるってすごい決断なのよ。それを取引がいやだかなんだか知らないけど、ガタイがデカいだけで、なんてちっちゃい事こだわってるの!」
攻勢に強い美智代に火が点いている。
「……わかってる」
「なにが」
「……日本海まで走りに行ってた。気分転換もある。何も考えたくなかったけど、浮かんでくるのは由有のことばかりだった。海に着いて家族連れやカップルが海で遊んでいるのを眺めてた。どうして、横に由有がいないんだろうって思ってた」
いつのまにか由有ちゃんの泣き声はやんでいた。
「私が保証する。みっちゃんと由有の間には何もなかった」
美智代が断言した。
「昨日、由有とみっちゃんがみっちゃんの部屋の前で話してるところに偶然遭遇したの」
「え」小さく由有ちゃんが言った。
「私はそれまで二人がデキてて、そのまま部屋に入っていくものだと思っていた。だけど……」
美智代は少し躊躇していた。由有ちゃんが俺に「つきあおう」なんて言ってたなんて暴露したら目も当てられないけれど、そのとき、僕は何も考えられなかった。
「二人は部屋の前で話をしてた。私は踊り場の陰に隠れて聞いていた。由有はあなたに拒絶されたことを、私に信じてもらえなかったことを訴えてた。だけど、みっちゃんは」
「みっちゃんは」
いきなり由有ちゃんが言った。
「みっちゃんは砕け散れって言った。トシくんに当たって砕けろって。だめだったら砕け散れ、だって。冷たいの。仕方ないってわかるけれど。それで目の前で扉を閉められちゃった。もう砕け散ってるのに」
そう言って再び号泣する。胸元に何かを持っている。紙のように薄くて小さい。手紙? まさか、遺書?
「由有、俺が悪かった」
トシがいきなり土下座した。
「許してくれ。自分がどんなに小さい人間か思い知った。過去は変えられないのに子供みたいなこと言った。世界で一番大事なものをくれるって言ってくれたのに……」
「そんなことしないで……」
かがんだ由有ちゃんと土下座しているトシ。
「由有ちゃん、なにを持ってるの?」僕が言うとトシも気付いたようだ。
「見せて」
由有ちゃんは少し躊躇していたが、トシに促されてその紙片を渡した。
そして、それを見た瞬間。
トシがワッと泣き崩れた。
「ごめん、ごめん」と何度も言いながら、頭を路面に打ちつけて。
「おい、トシ、やめろ、額割れるぞ」
「でも、これは……」
両手でささげ持つ紙片。ぽろぽろと涙がこぼれて舗装道路に黒いしみを広げていく。
「それ、見てもいい?」美智代がトシの前にしゃがむ。
「俺はホントにバカだった……」
うつろな表情で手に持ったそれを美智代に渡す。僕も横にしゃがんで覗き込んだ。
それはトシと由有ちゃんが二人で写っていた写真だった。
自分で腕を伸ばして撮ったようだ。背景には鉄骨。ゴンドラのようなものの中に二人でいる。鉄骨の向こうには海が見えていた。二人ははにかんだような、初々しい微笑みをレンズに向けていた。
「これ、観覧車の中?」僕が尋ねると「神戸行ったときの」と由有ちゃんが答えた。
「あ……ファーストキスの?」
こくんと由有ちゃんがうなづいた。
「キスしたあと、記念写真撮りたいって、トシくんが言い出して、それで」
トシはまだ泣き続けている。自らの悔恨をすべて涙にして流しだすみたいに。
四人が土下座したりしゃがんだりしてる姿は一種異様で、いくら夜だといってもあまり長居しないほうがいいと思い始めた。
「ちゃんと話そう。こんなところで立ち話で済ますようなことじゃない」
「みっちゃん、どうしてここだってわかったの?」
美智代が言って、由有ちゃんも顔を上げる。
「誰が……ここを?」
「みっちゃん」
「みっちゃん」
トシと美智代の声が重なる。
「それも話すよ。理由はそこにもある」
僕は線路の築堤沿いにある柵に手向けられていた花束を指差した。しおれたものから、真新しいものまで。幾束の花が築堤脇の柵に捧げられていた。
「……誰かがここで亡くなったの?」
美智代の疑問は当然のものだろう。
「そう。でもまあ、暗い中で話すようなことじゃないから。とりあえず丸太町通りまで出よう」
二人を暗い異界から連れ出すように、僕たちはさし当たって円町を目指した。
「どこか話ができる店はないかな」
そういうものの、すでに時刻は夜十時を回っていた。居酒屋くらいしかない。どうしようか迷っていると由有ちゃんが「帰りたい。部屋に」と言い出した。
「トシ、お前バイクで送ってやれよ」
「ああ……」
明るい街灯の下で見ると、由有ちゃんは泣き顔で、トシは額に血がにじみ、店に入れるような状況じゃなかった。
「美智代も三山くんも、来て」
由有ちゃんが言う。
「私の居場所がわかった謎も知りたいし……今日は四人一緒にいないとダメだよ」
確かに、由有ちゃんの言うとおりだった。
「由有の部屋にみんな呼んでいいの?」
美智代が確認したら、由有ちゃんはコクンとうなづいた。
「じゃあ、お前ら二人はバイクで行け。俺と美智代はチャリで行く」
「私の部屋、わかる?」
「ここに来る前、二人で行ってた」
「……そう、ごめん」
円町に近いトシの実家に二人は寄って、そこからトシの中型バイクで由有ちゃんを送ることになった。三十分後をメドに僕と美智代が自転車で行く。死に物狂いで漕いだ行きとは逆に、帰りはゆったりと二人乗りを楽しんだ。
背後から抱きついている、美智代の胸のふくらみを背中で感じて、勃起するくらいには心に余裕も出来ていた。
「みっちゃん、大丈夫? 脚」
「大丈夫」
「みっちゃん、いい匂い」
いきなり何言い出すんだ。そう思った。だって、夏の夜に猛スピードでチャリを漕いでたんだから。
「匂い? 汗だくで臭いだろ」
「私、みっちゃんの汗の匂い、好きだよ。だから、今、こうやって背中にほおをくっつけてると、二人で……してるときのこと、思い出しちゃう」
美智代にしてはかなり大胆なことを言ってる。
……ダメだな。洞察が甘い。
美智代は僕に「抱いてほしい」と言っているんだ。
「美智代……俺も早く、お前を抱きたい。だけど、由有ちゃんとトシがうまく元に戻れるようにがんばろ?」
「うん、もちろん」
そういうと、美智代はぎゅうっと僕を背後から抱き締める。胸のふくらみが背中に刻印される。まるで、すべてがうまくいったときのごほうびがコレだと言ってるようだ。
来た道を逆にたどって周山街道との交差点まで来た。交通量が多い街道を避けて、御室川沿いの道を北上していく。川の両側に道があり、僕たちは右岸の道を走っていたが、その道が行き止まりになった。ここが目印でここで左に曲がって細い道をしばらく行くと鳴滝駅に至近の踏切に出る。ここから由有ちゃんの部屋までは自転車だったらすぐだった。
自転車置き場に間借りさせてもらって、二人でエレベーターに乗る。自転車置き場にはまだ熱を持った二百五十CCの中型バイクが止まっていた。きっとトシのバイクだろう。
ほんの数時間前に緊張して立った扉の前に着いた。
ぴんぽん。
ほどなく、カチャっと解錠の音が鳴り、扉が開いた。
「早かったね」
由有ちゃんが僕たちを招き入れる。おそらくこの春に竣工したばかりのマンションだ。小さな玄関スペースを抜けて四畳半ほどのキッチンに入る。足元だけ冷気を感じる。目の前にはアコーディオンカーテンがあり、それを開くと真ん中に置かれた座卓の端にトシが正座していた。カーテンを閉じていたのはエアコンの冷気を閉じ込めるためだったようだ。スッと汗が引いていく。
「トシ、正座なんてしてないで崩せよ」
殊勝な態度のトシ。あまりに固いとみんなしゃちほこばってしまう。
「私も言ったんだけどね……」
額の傷には絆創膏が貼られていた。
「由有ちゃんが手当てしたの?」
「うん」
「向かい合って座ったんでしょ」
「うん」
「ちゃんとキスした?」
「え」
「え」
由有ちゃんとトシが同時に言ったので「はい」と言ってるようなものだった。
「仲直り、できた?」
「ん」
照れながら由有ちゃんが答える。トシはそれでも謹厳な表情を崩さない。たぶん、反省の気持ちを身体で表しているのだろう。
「二人は、美智代とみっちゃんはもう仲直り?」
「ここに来る前に、ちゃんと話して、キスも……したよ」
「そうか、よかった」
「昼間にバイト先に行ったら、ほら、みっちゃんのこと口説いた女の子がいるって言ってたでしょ」
「うん」
「そのコに、『喧嘩してるのなら、とっとと別れて私に譲って』って責められた」
美智代が昼間の一件を話し始めた。なんだかもう、遠い昔の話のように感じる。あれは今日の昼間の話だったのか。
「みっちゃん、そのコに言ったの? 美智代と喧嘩してるって」
由有ちゃんの疑問は当然だろう。種明かしをする。
「四日前、由有ちゃんと木屋町で話しただろ」
「あ、……うん」
「隣の席にいて、全部話を聞かれてた」
「ええっ」
「あそこ、衝立で仕切られてるから隣に誰がいるのかわかんないんだよな。でも、細かな細工で穴が開いてるから声は通る」
僕と由有ちゃんが二人でまた会っていた、ということはトシはこの時点で初めて耳にしたことだろう。それをフォローするために美智代が説明をし始める。
「トシくんに言っておくけど、四日前に由有がみっちゃんのバイト先に行ったの。それで仕事終わりでバーで相談してるところをバイト先の女の子に聞かれたわけ。でも、その女の子いわく、『みっちゃんはすごいストイックで、こんなときこそ、きちんとしなきゃダメだ、なんて言ってて、理想の人だと思って泣いた』って言うくらい健全な会話だったようよ」
「そうか」
短くトシは答えた。もう何があってもこれ以上、この問題に関して疑念を持たないようにしようと思っているようだった。
「志村……その、俺のことを好きだって言ってくれてるコだけど、なぜだか俺が珍しくキチンとしたときとか、ストイックな面を見せたところをよく見られるんだよね……」
「本当は水素なのにね!」美智代がまぜっかえすから、「だから、いっそのこと、本当は軽いんだよ~って抱きついたら、納得するかな、とか」
「みっちゃん!」
「ウソです、ごめんなさい」
慌てて土下座する。もちろん半ば冗談だ。
「やっぱり、みっちゃんは軽いほうがいいよね」
「普段軽いから、真面目な話をすると女の子がコロリと落ちるんだよな」
トシも軽口を叩くくらいに復活してきたようだ。
「コロリと落ちちゃいました~」美智代が笑って、やっと場が和やかになってきた。
「じゃ、二組とも元に戻れたってことでいいの?」
美智代が聞いて、僕を入れた三人がうなづいた。
「あとは、なぜみっちゃんがあの場所だってわかったのか、だな」
トシがそういうと美智代と由有ちゃんもうなづく。
「真面目な話は終わったから、飲む?」
由有ちゃんが言うと、「俺、バイクだし」とトシが言う。
「泊まっていけばいいじゃない」
あっさりと由有ちゃんが言ってトシが「ええっ」と驚いていた。
「あ、俺たちは、ほら、チャリを美智代んちに戻さないといけないから、話が終わったらおいとまするし」
「自転車にも酒酔い運転ってあるのかな」美智代が言うけれど。
「一駅なんだから歩いてもいいし」
劇的な和解を経た二人だから、もしかしたら今夜……。野暮なことをしてはいけない。美智代のほうに視線をやると、コクンとうなづいた。たぶん、僕の意図することはわかっていると思う。
隣のキッチンから由有ちゃんがビールとワインを持ってきた。
「普段から飲んでるの?」
美智代が聞くと「あ……今回のことで飲んだくれになっちゃって、買い込んでた」
「由有ちゃんでもそうなるんだ」
「言ったよ? 私は強くないって。三山くん、そろそろ種明かしして」
「うん」
四人分のグラスにビールが注がれて、まずは「元サヤ乾杯」となった。
さて。
「入学して、専攻の名簿を見てたとき、まず目がいったのは由有ちゃんだった」
「そのころからチェックしてたわけ?」
美智代の声が尖る。
「その頃はまだ顔と名前が一致してないよ。出身地が気になった」
「あ……」
由有ちゃんが反応する。
「うちの大学って大体、京阪神か遠くて愛知か岐阜あたりの人が多いじゃん。たまに中国や九州がいても、関東からっていうのはかなり珍しい」
「なるほど」
トシがうなづく。
「関東圏の人は普通、東京へ出るからね。それで関心を持ってチェックしてみたら、ものすごい美人だということはわかった」
「ふーん」例によって美智代のテンションの低い相槌。
「でもまあ、これは由有ちゃんには言ったから言うけど、俺はキレイ系よりはカワイイ系のほうが好みなので、広域スキャンの結果、見つけ出した美智代に接近したわけ」
「ふーん」
「もう……機嫌直してよ」
「ちょっと拗ねてみた。続きどうぞ」
「うん。由有ちゃんはサークルの改革の件で、けっこう危うい感じがした」
「危うい?」
美智代が聞く。この四人の中で美智代だけが同じサークルにいない。事情がわからないこともあっただろう。
「うん……ドラスティックなことを好むというか。一度、俺が由有ちゃんのことを『革命家だね』って言ったとき、まんざらでもない顔をしてた」
「うん」
由有ちゃんがうなづく。
「整っているルックスに何かを変えたいっていう変革志向というか。それにプラスして、世界の成り立ちへの飽くなき疑問。一つ一つがひっかかった」
「どんなふうに?」
「ん……なんか、以前にこんな人がいたような、デジャヴを感じたんだ」
そういうと、由有ちゃんの表情が変わった。もう、僕の謎解きがわかったようだ。
「いつ、確信したの?」
「一週間前。送り火の前に……セックスの話をしたでしょ」
「あ……」
「最終的には、名簿にある出身高校を確認して。先輩だって言ってたから」
「なんかよくわかんないから、わかるように言って」
美智代がいらいらし始めたので種明かしをする。
「この人だよ」
僕はリュックサックから一冊の文庫本を取り出した。
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