第9話
八月十六日は京都にとって特別な日だ。五山送り火。京都の山々に作られた火床に点火して、消灯し暗くなった京都の街を六つの火の形が彩る。そして、お盆でやってきた先祖の霊を再びあの世へ送り返すともしびとなる。観光客は河川敷やホテルの屋上に陣取り、その鮮やかな炎を見物することになる。
最も有名な「大文字」は一番東側にある。その名も大文字山に、まずは「大文字」が点火される。時間は夜八時だ。次にほぼ真北に位置する松が崎山にある「妙法」。次にその西側奥にある船山にある「舟形」。船に帆柱と綱をあしらった絵になっている。次に金閣寺近くにある通称「左大文字」。この文字は若干小さめだ。そして、最後が最も西にある「鳥居」。その名の通り、鳥居の形をしている。嵯峨野にある曼荼羅山にあり、僕の部屋からは最も遠くになる。ほかの四つは常設の火床があるが、この鳥居だけは当日松明を持って設置場所に走るらしい。最初の大文字が午後八時に点火されると五分ごとに西側が点火されていく。最後の「鳥居」は八時二十分点火だ。各々の送り火は三十分くらい燃やされているので、六つの文字図形が見られるのは八時二十分から三十分の十分間ということになる。
京都市内は規制が厳しく大都市のような超高層の建物がない。市内全域を見ても三十メートル以上の建物は作れないことになっている。僕が住んでいた部屋は京都のほぼ中央、堀川三条にあった。四階に住んでいたのでベランダからでも十分に見えるのだが、一番西側にある「鳥居」だけ下半分が見えない。しかし五階建てマンションの屋上に登ればおそらくすべての送り火が見えるだろう。北側には二条城があるが天守閣は江戸時代に落雷で燃えてしまい、今は低層の御殿と櫓があるだけなので、見通しは問題なかった。
当日の午後四時にトシと由有ちゃんが部屋に来ることになっていた。大家さんには二人増員の許可をもらっていた。年に一度のイベントを特等席で見られるのだから、狭い屋上に殺到するかと思っていたのだが、やはりお盆ということもあり、それほど人は来ないらしい。
前夜、美智代は泊まらなかった。僕は誘わなかったし、彼女も言いださなかった。きっと、僕と同じような気持ちだったからだと思う。僕たちはつい十日ほど前に初めてセックスしたばかりで、あれから彼女が泊まるたびにお互いを求めあっていた。だから、前夜一緒にいたらきっと、してしまうと思う。一晩泊まると僕たちは最低二度はセックスしていたから、濃密な気配や匂いを発散してしまうだろう。そんな気配が残る空間に近しい友人を入れたくはないと思った。
実際には窓を全開にして換気扇でも回して一時間もしたら空気など入れ替わってしまうだろうけど、なんとなく気配は一日では消せないと思ったのだ。じゃあ、二日経てば消えるのか、と問われると困ってしまうのだけど。
午前中に起きて、ベッド周りは完全に綺麗に整えた。シーツは取り替え、ブランケットも差し替える。完全に「新品」の状態にした。寝室に二人が足を踏み入れることはまずないだろうけど、念には念を入れた。
朝昼兼用でインスタントラーメンを作り、腹を満たしたあと食器を洗い、シンク回りも綺麗に片づける。寝室とリビングを仕切るふすまを全開にして窓も開けた。室内の空気を入れ替えつつ、掃除機をかける。うかっとしていたが、コンドームの箱もしまい込んだ。
だいたい二時ごろにすべての掃除が終わった。そのころに、美智代がやってきた。
「おー、きれいになってる」
「今日は客が多いからね」
寝室を覗き込みながら「なるほど」なんてうなづいてる。
「どうしたの?」
「すごいキレイになってる。ホテルみたい」
「乱れてたら、変な想像されちゃうでしょ」
「……そうだよね」
そういうと美智代は顔を赤らめて首をひっこめる。もう最後の関係に至っているのに、まだ気恥ずかしい。それはきっと「スイッチ」が入っていないからだろう。実際のところ、僕たちはお互いの性器を口で愛撫しあう、なんてこともしていたのだから。
「掃除も洗い物も終わってるし、あと二時間どうする?」
「買い物に行こうかなって」
「ジュースとか?」
「ま、それもあるけど。晩飯作っちゃおうかなって」
「え、なに作るの?」
「カレーライス」
「あ、いいかも」
美智代がなるほどと笑顔で答える。予定では近所の定食屋にでも行こうと思っていたのだけど、四人で一緒に食べるのも悪くない。カレーなら好き嫌いはないだろうし。ただし、先に作っておいたほうが味が落ち着くので、早めに作っておこうと思ったのだ。
「近くのスーパーに食材買いにいくから、一緒に行く?」
「もちろん!」
僕たちは連れだって出かけた。
スーパーで並んで食材を選んでいると、なんだか大人になったような気分になってくる。デートやセックスだけではこんな気分は生まれない。つまりは、生活感のあることを一緒にすれば「新婚」ぽくなるのだろう。一緒に風呂に入ったり、料理したりしても同じような感じになるから。
「ひき肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、カレールウ……と」
「お肉、ひき肉なんだね」
買い物かごを覗き込みつつ、不思議だなあっていう感じで聞いてくる。
「三山家のカレーはそうなんだ。具がゴロゴロしたものじゃなくて、小さく切って溶かしこんじゃう」
「なるほど。みっちゃんがココイチのカレーが好きな理由がわかった」
「あはは。そうそう、似てるんだよね」
「じゃあ、今日も作るの見てていい?」
「なんだ、手伝ってくれないの?」
「だって……私がやるとたぶんめちゃくちゃになると思うし……」
そうなのだ。美智代は料理については不器用だった。僕だと目分量で作ってしまう味噌汁も、薄すぎたり濃すぎたり。目玉焼きは、焼く以前にうまく卵を割ることができない。特訓して、なんとか一日で力加減を体得させたけど、おかげで卵を一ダース使うことになり、オムライスとスクランブルエッグとかきたま汁という、謎のメニューを夕食で取るハメになったこともあった。
帰宅後、まずはご飯を仕込む。五合炊き炊飯器のスペックをフルに使うのは初めてだっれた。購入時、一人暮らしなのに大きすぎると思ったのだが、「私たちが泊まったときに全員分炊けるもの」「大は小を兼ねる」などと親に言われたからだった。今回はその進言をありがたく思った。
ご飯は水に浸しておいて、出来上がりの時間を夕方五時半にセットしておく。
次はいよいよカレーだ。といっても具材を切って炒めるだけだ。
じゃがいもはメークインより男爵のほうが溶けやすい。逆にじゃがいもの食感を生かしたい気分なら、メークインを使うこともあった。皮を剥いだあと、二センチ角くらいのさいの目に切っていく。あいにく包丁は一つしかなかったので、美智代は見学だった。
「皮を剥くのは俺も不得意だから、かなり粗く剥いてるよ」
「うん」
切り落とした端材はすぐに三角コーナーへ。料理は、調理しながら片付けていくのが極意だという。人参は頭をカットして皮を剥いたあと、五ミリくらいの短冊切りにしていく。
「切ってみる?」と美智代に聞いてみるけど、ぶるぶると頭を振る。
「みっちゃん、前から料理してたの?」
「普段はインスタントラーメン作るくらいだよ? 味噌汁やカレーは母親が作ってるのを横目で見てたけど」
「はぁ~~、私も同じようにしたのになあ。どうしてうまくできないんだろう」
「慣れだよ。料理は毎日のことだからいつのまにかうまくなるさ」
次はたまねぎだ。頭とお尻を切り落として、二つに切る。そして、みじん切りにしていく。その前に十分ほど水につけておく。
「どうして水に?」
「ほら、たまねぎ切ると涙出てくるじゃん」
「ああ、そうね」
「その成分は水に溶けるんだよ。だから、しばらく水につけておくと後が楽なんだ」
「みっちゃんって、なんでそんなの知ってるの?」
「うーん、まずは涙が出てくるのがいやだったから、なんでこんなことになるのかを調べて、それを防ぐ方法を調べたんだ」
二つに切ったたまねぎを伏せて置き、両サイドから切っていく。コツは全部切らないこと。真ん中を少し越したくらいに、切れ込みを入れていく感じだ。切れ込みと切れ込みの間に逆側から切れ込みを入れていく。切れ込みを互い違いに入れ終えたら、直角にざくざく切っていく。そうしたら、形が崩れないみじん切りができる。
切った具材は小鉢に入れておく。深い鍋にサラダ油を敷く。
「ちょっと待って」
「ん?」
「今、さあって油を入れたけど、計らなくていいの?」
「あー、最初の頃は計って入れてたけど、最近は目分量かなあ」
「そっか……」
油をしいた鍋にひき肉を投入、塩こしょうを適当に。美智代が何か聞いてきそうだったので、解説しながら調理していくことにした。
「塩コショウは適量かな。これまで何度か作ってしょっぱすぎたりしたから、その辺は適宜変えて」
「うん」
ひき肉に火が通ってきたら、みじん切りにしたたまねぎ、短冊切りにしたニンジン、さいの目に切ったジャガイモを入れて炒めていく。たまねぎが透明になり、ジャガイモの色が澄んできたら、火が通ってきた証拠だ。火が通ったら水を入れていく。
「さて、しばらく休憩」
強火でまずは沸騰するまで。ぐつぐつしてきたら中火に弱めて、鍋の蓋をして十五分煮る。蓋は透明だと中が見えやすい。
「こういう、手が開いたときに片付けたり、刻んだ食材を入れていた小皿を洗っておくと、作業台が空いて便利だよ」
「うん」
「キャベツがあったら千切りにしてサラダ代わりにしたり、レタスだったら手でちぎってやっぱりサラダにするけど、今日はいいかなー」
「みっちゃん、ホント料理うまいね」
「自分の欲望に忠実なだけだよ」
「欲望?」
「自分が食べたいものを作る。それだけ」
「なるほどね」
そうなのだ。料理なんてつまるところ「自分が食べたいもの」か「誰かに食べさせたいもの」を作る、というモチベーションでするものなんだから。
ぐつぐつ煮てくると灰汁が出てくるので弱火にしてお玉ですくっていく。この作業は丁寧に行っていく。キッチンタイマーで十五分経ったら、固形ブイヨンを入れる。
「へー、そんなの入れるんだ」
「うどんでいうダシみたいなもの。これの代わりにダシを入れたら、和風になるよ。立ち食いそば屋のカレーがおいしいのは、うどんのダシをベースにしてるからなんだ」
「へー、みっちゃんってホント物知り」
「また惚れた?」
「うん!」
ブイヨンが溶けたら、カレールウを割りいれていく。僕は一種類じゃなくて、銘柄の違う二種類を半分ずつ入れる。今回は辛口と中辛を半々にしてみた。ルウを割りいれるときもただ入れるのではなくて、一つずつお玉の中に入れて浸しながら箸で崩して溶かし込んでいく方法を取る。味噌汁を作るときと同じだ。ルウをすべて溶かし込んだら、十五分弱火で煮る。
「さてと、この間に調理に使った道具や皿はすべて洗ってしまう」
「きれい。なるほど、こうやってするんだね」
「もともとは実家のキッチンが狭かったから、苦肉の策で編み出したんだけどね」
カレーは適宜かき混ぜながら。弱火でも焦げ付くことがあるからだ。そして十五分経ったら火を消す。
「あとは、味を落ち着かせるために寝かせる」
「おいしそう」
玉ねぎやジャガイモはすっかり溶けてしまった。細かい人参とひき肉のつぶつぶがかろうじてわかる、キーマカレーのような感じになった。時間は三時半。
「食べ始めるのは六時とか六時半頃だろうし、二時間置けばいいかな」
「どんな味がするのか、楽しみ~」
あと三十分でトシと由有ちゃんが来る。不得意で疲れる対話をせねばならない。僕は今日は四人で話をするんだから、これまで聞いたことのない事柄を、由有ちゃんに尋ねようと思っていた。それはすなわち「どうして由有ちゃんはそんなに世界の成り立ちや自分の存在について関心を持つようになったのか」ということだ。おそらく、由有ちゃんの精神の根本に迫る事柄だと思っていたので、これまでは避けていた。そんな話をして懐かれたり、逆に嫌われたりするのがイヤだったからだ。
ジュースやコーヒーを用意した。僕自身はコーヒーはあまり飲まないので来客用だ。アイスティーをデキャンタにたっぷり用意しておく。
ピンポーン。
五分前にチャイムが鳴った。ドアを開けるとトシと由有ちゃんが立っていた。
「よっ。ま、入って」
「お邪魔します」
トシはすでに何度か来ている。由有ちゃん、くれぐれも二度目だなんて言わないで。少し長めのアイコンタクトをすると、軽くコクンとうなづいた。おそらく俺の言わんとするところがわかったのだと思う。
「カレーの匂いがするな……お、作ったのか?」
トシがキッチンのコンロに置いてある鍋を見つけた。
「外で食べるより、みんなでカレーでもと思って」
「松沢が作ったの?」するどい突っ込みをしてきた。美智代が料理が不得意なことは誰にも言っていない。
「え、あ……私は今日は見てただけ。みっちゃん家伝来の味を食べたいと思って」
にっこり笑いながら美智代がそう答えると、「なるほど」と、トシはすんなりと信じてしまう。
「さて、座ろうか」
テーブルに四人が囲むように座った。壁際に僕、ベランダ側にトシ、玄関側に美智代、そして、僕の対面に由有ちゃんが座った。テーブルの真ん中には一口チョコとポテトチップス。由有ちゃんとトシはアイスコーヒー、僕と美智代はアイスティーを選んだ。
「さて、始めようか」
僕が宣告すると由有ちゃんが顔を引き締める。トシはノートを取り出してメモの準備だ。
「あ……ええっと」こんなふうにかしこまると逆に話しずらいのだろう。
「世界のなりたち、その存在意義について、もう俺なりの見解は伝えたと思う。それについて追加の質問は?」
「じゃあ……三山くんはその結果についてどう感じる?」
「そうだな……この世界に意味はなく、自分や世界の存在意義なんてものはそもそもない。虚無的な結果だけど、普段はあまり意識していない。自分で楽しいと思ったり、気持ちいいと思ったりすることで時間が過ぎていくからね」
「そうか……普段あまり気にしていないんだ」
もちろんそうだ。普段の世界はおそろしく瑣末な事柄の集積で出来ていて、でも、一つ一つをクリアしていかないと、生活に支障が出てしまう。だから、それらに忙殺されていて、世界の始まりなんて意識はしていない。逆にいえば、いつもそんなことを考えているほうが精神的に辛いんじゃないかと思った。
「由有ちゃんはどうしていつもそれを考えているの? それが知りたい」
一歩踏み出す。由有ちゃんのダークサイドを明かすために。
「……とても影響を受けた先輩がいたの。その人がいつも自分の存在意義を自問自答してた。とてもきれいで頭が良くて、素敵な先輩なの」
それを聞いて不思議に思う。
「じゃあ、その先輩に聞けばいいじゃん」簡単なことだ。
「ああ、その人はずっと年上。本で読んで知ったから」
「なるほど。なかなかコンタクトを取るのは難しい?」
「うん、まあ」
あいまいな返事だなあと思ったけれど、ここでは追求せずにおいた。
「由有ちゃん自身はどう思うの。世界の存立の意味について」
「理性的に考えれば、三山くんと同じだよ。でも、感情的にいうと残念というか」
「何か意味がほしい、と?」
「うん」
そうは言っても、宇宙は百五十億年前、虚無の揺らぎから生まれ、急速に膨張して誕生したんだ。そこには神なんて存在しない。
「根本的に意味を求める人が神様を作ったんじゃないかな。人は知恵と思考を手に入れたから、後付でもそこにレーゾン・デートルを見出すことはできると思うよ」
「たとえば?」
「たとえば……大好きな人と一緒に過ごすこと」そう言いながら、美智代を見つめる。美智代が視線を合わせてきた。なんだか、まんざらでもない顔をしている。
「由有ちゃんだってわかるだろう? トシと一緒にいて、柔らかくて優しい気持ちにならない?」
そういうと、由有ちゃんは傍らにいるトシを見つめた。長いまつげが揺らめいているのが見える。あの日。僕のそばで丸まって眠っていたときには気づかなかった。由有ちゃんは優しく微笑みながら答える。
「それは……なるよ」
「それこそが自分と相手の存在意義になると俺は思った。矮小化していなくもないけど、でも、人の存在なんて宇宙の大きさに比べたら小さいものだし」
「人と人とのつながりによって、意味が出てくる、と?」
「普遍化すればそうかもね。でも、俺はもっと個人的な次元でいいと思ってる。好きな人とのひとときが一番そう感じるから」
「それはその……セックスしたから?」
ズドンと由有ちゃんが攻め込んできて、僕は少し焦った。
「それもあると思うよ。女の子とつきあって、一番最後にいきつくところはそこなんだし」
「三山くんは、その……して、何か変わった?」
「うーん」
わからないな。たぶん、僕自身は何も変わっていないと思う。
「じゃあ、美智代に聞いていい?」
「え。私?」
完全に観客モードだったところに、超特大のネタを振られて美智代は焦っていた。
「そう……三山くんとそういう関係になって、なにか自分が変わったこと」
「うーん……大人になった、と思ったけど、そういう感想じゃないんだよね、由有が求めているのは」
「自分の存在意義」
こんなに根本的な考査対象をまるで昨夜の献立を聞くかのように話している。不思議な感じだ。美智代は中空を見つめながら、しばらく考えていた。
「私はそこまで俯瞰で見れないの。意識を飛ばすっていうか……みっちゃんが説明してくれたこともあるけれど、私はそこまで意識を飛躍できない。ただ、人の身体はとても温かくて、一つになったときの心の中の充足が心地いいの。もちろん、キモチイイことしてるんだから、その快感も」
少し顔を赤くしながら、美智代にしては突っ込んだ表現で返事をしてきた。するとさらに由有ちゃんが攻めてくる。
「もう、気持ちよくなった?」
「……うん」
はにかみながら美智代が答えている。すでに快感を感じ始めていることはもちろん知っていた。これからもっと深くわかってくるんだと思う。
「してみたら、なんだか奥が深いね」
美智代がある夜に言っていたけれど、まさにそうだと思った。
美女二人がセックス談義をしていて、僕とトシは黙りこくっていた。トシは顔を赤くして俯いている。純情なやつだな。
「由有ちゃんもしてみたらいいんじゃない。相思相愛の彼氏がいるんだから」
僕がけしかけると、トシがさらに挙動不審になった。
「私は……怖いの」
「痛いのは最初だけだよ」
美智代がフォローに入る。なんだかセックス・カウンセリングになってきた。しかし、由有ちゃんは思わぬ反応をしてきた。
「……さっき言った先輩がね……経験して、人が変わってしまったの」
「どんなふうに?」
「……男の人を求めるっていうか、いつも自分を必要としてくれる人を求めるというか」
「依存症かな」
「どうなんだろう……その人、初めてが、彼氏でもなんでもなくて……無理やりされたみたいなの」
「それって……レイプされたってこと?」
「うーん、最終的には合意してるけど、サークルの人とお酒飲んで流れでって感じ」
「好きでもない人と、飲んだ勢いで半ば無理やりってことか」
「そう」
なんだか複雑になってきた。由有ちゃんの心を構成しているものは、なんだかワケありの人たちばかり。初心者がいきなり難しい問題を押しつけられて困っている、というように見えてしまう。
「でもさ、トシとは相思相愛の仲なんだし、お互いの覚悟さえあれば、その先輩のようなことにはならないんじゃない?」
「そうだよね……でも……怖いな」
そこから先は立ち入るべきではない。二人の問題だ。
「そこからは二人の問題だよ。俺は口出しできないし、しない。人生の一大イベントなんだからしっかり考えて。トシは幸い、そういうことにガツガツしてるほうじゃないし、由有ちゃんの気持ちを考えてくれると思うよ」
そう言いながら、トシを見ると、うんうんとうなづきながら、なにやらメモしていた。何を書いてるんだか。
ここで僕が最大の疑問をぶつけてみた。
「由有ちゃんは地元が栃木だよね」
「うん」
「なんで東京の大学に行かなかったの?」
そういうと、由有ちゃんの顔が少しゆがむ。
「言いたくないのなら、いいけど。まさか、うちの大学しか受けていないわけじゃないでしょ」
「うん……一応、立教と学習院受かってたけど」
だとしたら、なおさら不思議だ。
「地元から近いじゃん、東京のほうが。どうして京都に?」
知名度や偏差値だって上なはずなのに。
由有ちゃんは少し考えていた。
「……親から離れたかったからかな。東京じゃなくて、まったく違う文化圏に行きたいって」そういう由有ちゃんだけれど、僕はなんとなくそうじゃないんじゃないかと思っていた。
「ありがとう。もう大丈夫だよ。美智代、ずっと借りててごめんね」
「もうこれでいいの? もう貸さないよ?」美智代が冗談めかして言ってるけれど、目は笑っていなかった。それに、由有ちゃんの話の切り方も、なんだかヤバイことを聞かれそうだから急速撤退した、って感じに思えたけれど、これで一連のゴタゴタが終わるんだと思う安堵感で、なにもかもに蓋をしたくなっていた。
「カレー食べようか」
美智代が言って、一同がうなづいた。
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