第4話

 美智代と恋人になったけれど、表向きは何も変わらなかった。授業のときに、隣同士に座る率が少し上がったくらいで、そのくらいのことは周りからみたら誤差としか思われなかったようだ。そのくらい、僕と美智代は当初から一緒にいた。

 美智代とは次のことを取り決めた。

「ほかの人から『つきあってるの?』と聞かれたら正直に答える」

「自分たちからつきあってることはわざわざ言わない」

 芸能人じゃあるまいし、自分たちから発表することでもない。専攻の誰かに話が伝わったら、半月後には誰もが知ってることになるだろうという目論見もあった。

 トシと由有ちゃんの仲はどうなっているのかイマイチわからなかった。一般教養科目では一緒になることがあるものの、トシは違う専攻だからだ。それでもトシから「由有ちゃんとどこそこに行った」なんて話を聞くと、たぶん順調なんだろうなと思っていた。

 そんな日常のある日、ひさしぶりにサークルの部室に顔を出そうかと思った。例の月例から、かなりご無沙汰状態になっている。由有ちゃんが怒って飛び出してきた件も気になった。あれから由有ちゃんとはアイコンタクトはあるものの、核心に触れる会話はしていない。

 学生会館にある部室に入ると、重々しい空気にUターンしそうになった。まだちゃんと認識はできないけれど、おそらく上級生たちが雁首そろえて暗い顔をしている。そこに足を踏み入れてしまった僕に視線が集まった。

「お。お前……確か一回生の三山だったな」

「はあ」

「ほら、新入生歓迎コンパでスリーサイズ当て五人連続的中させた」

 つまんないこと覚えてるな。

「はあ、そうです」

「お前、……平塚と同じ学部?」

「平塚って、平塚由有ですか」

「そうだ」

「専攻も同じですけど」

 そういうと場がどよめいた。なんだ? ここで「同じベッドで寝ました」なんていうと大変なことになりそうなのはわかっているので絶対に言わない。

「仲いいのか」

「まあ、普通に話しますよ」

 そう言うと、先輩方ががやがやと相談し始める。しばらくすると。

「なあ、三山。お前に頼みがある」

「はあ」

「今、我がサークルは存亡の危機にある」

「はあ」

「実は、女子部員全員が辞めると言って退部届を出してきた」

「え。なんでまた……」

 そこから説明されたことは、あの月例の日に起こったことと、トシと由有ちゃんが学生会館が飛び出してきた時の話だった。


「酒の席で女の子の身体を酔いに任せて触るなんてことを許容するほうが間違ってます。そりゃ、怒ってあたりまえです」

「……じゃあ、どうすりゃいい」

「代表は責任とって辞任。どのみち、そろそろ三回生と交代ですよね」

「まあ、次の月例で交代だが……」

 視線が一点に集まる。

「次の代表予定がなあ……」

 視線の先には意固地そうな男がバツの悪そうな顔をしていた。

「だいたいお前が平塚にエロいことするからこんなことに」

「……すんません」

 こいつか。こいつにはガツンと言っておく必要があると判断した。

「月例のあの日、平塚と一次会で消えたのは俺です」

 場がざわつく。

「平塚、怒り狂ってましたよ……あなたは次期代表になるべきではないです」

 僕にしては大胆な物言いだったが、もともと幽霊部員でやめてもかまわないと思っているからこそ、辛らつな言い方になっていた。次期代表候補(陥落寸前)は下級生の僕に鋭く言われていらだつ感情を押しとどめているように見える。仮にも次期代表に考えられていたんだから、このサークルではそれなりに重きをなしていたんだろうが、そんなことは僕には関係なかった。

「そこをなんとかならんかな」

 弱々しく代表が言うけれど。

「話がここまで大きくなって何言ってるんすか。平塚は学校事務局に訴えるとまで言ってましたよ」

 大声で言った。座が静まる。

「下手したら認定取り消しになって、この部屋から追い出されるかもしれない」

 部室の壁には五十年ほど前からの、在籍した先輩たちの落書き、サインなどが記されていた。先輩たちの表情が凍っている。長い伝統のあるサークルが自分たちの代で終わる、なんてことになったら、OBたちから半殺しにあうかもしれない。

「実は……事務局からもう問い合わせが入っている。事実確認だけだが……」

 由有ちゃん、躊躇ないな。仕事が速い、というべきのか。

「私にも落としどころはわからないけど……女性部員の納得を得るんだったら、これだけはいえます。今の代表は責任を取って辞任。次の代表に問題の方はぜったいにさせない。あらゆる役職もさせない」

 本当は追放処分と言いたいところだ。

「次の代表は……そうですね……三回生の女性はどうでしょう。それだと話を聞いてくれるかもしれません」

 由有ちゃんにエロいことをした男以外が色めきたった。

「平塚に同調して怒り狂ってた菅原はどうだ?」

「三回生の女の先輩ですか」

「うん。人望もある。あいつが怒ったおかげで女子全員結束だ」

 代表がいまいましげに言う。

「僕はどっちでもいいですけど。このままだったら、サークルなくなりますよ。それと、平塚とコンタクト取るなら、僕よりトシ……成田のほうが適任です」

「なぜだ?」

「よく二人で会ってるようですから」

 場がざわつく。「平塚と成田はつきあってるのか?」

「さあ……そこまでははっきりと聞いてないですけど。デートらしきものは何度もしてるって聞きました」

 それを聞いてしばし黙考した代表が場を仕切りはじめた。

「俺が成田と菅原に今夜連絡してみる。条件はさっき三山が言ったのでかまわないか」

 反論は出なかった。何も言えるはずはない。一回生の女子に引っ掻き回され歯がゆいのだろうけど、一連の事件が公になれば立場が悪いのは自分たちだからだ。代替案もない。

「それから市川」

 視線がさっきの主犯に投げられる。「お前はしばらく顔を見せるな」

「辞めろってことですか」

「はっきり言うと一番いい解決策はそうだ。お前が引き起こしたんだからな」

 かなりひどいことを代表は言ってるが、自分も辞める立場だから同情はしていないように見える。

「そんな……先輩たちだって同じようなことしてきたくせに……」案の定の言い訳をしている。

「お前がヘタうったからこんなことになっているのがわからんのか。俺たち四回生はどのみち次の月例で引退だ。就職活動もせにゃならんしな。次の役職関係はすべて女子、くらいにしないとこの危機は乗り越えられない」

 代表は、ことここに至って状況を認識してきたらしい。それならなんとかなるかもしれない。やはり上に立つ人っていうのはそれなりに頭がいいのか。

「俺から辞めろとは言わない。菅原には半年間謹慎する、くらいで話をつける。それが嫌なら代替案を今すぐ出せ」

「……それでいいです」

 俺の頭の中でエロ市川は「最低リスト」入りした。エロ市川はそのまま「失礼します」と言って出て行った。次期代表候補から追放候補への失墜。本人の心情はいかばかりか……なんて微塵にも思っていないけれど。


 夜、テレビを見てたら電話がなった。トシだ。

「さっき代表から電話があった。俺と由有ちゃんのこと話したのか」

「つきあってる、なんて言ってないよ。なんとか由有ちゃんとコンタクト取りたがってたから、ぐうぜん部室に顔を出した俺に声かかって、それならしょっちゅう会ってるらしいお前のほうがいいよって言っただけ」

「そういうことか……」

「どうした?」

「いや……、由有ちゃんのところにも菅原さんから連絡があって、いろいろ条件つめてるらしい」それを聞いて、僕は由有ちゃんの心情を考えてみた。

「由有ちゃんは革命を起こしたいのかもしれないな」

「革命?」

「うちのサークル、どっちかというと男上位な雰囲気があるじゃん。それをひっくり返すかもしれない」

「なるほど」

 僕の心の中に、ほのかに、由有ちゃんが何をプリンシプルとしているのか、浮かび上がってきていた。


 二日後、女子部員だけの総会を開いて、条件案を話し合うことになった。男子部員はトシと、なぜか僕だけが出ることになった。代表も出たがっていたが、菅原さんの鶴の一声で拒絶されている。


 女子だけの総会で決まったことは……

・代表と宴会委員は任期満了ではなくて責任を取って辞任と記録。

・次の役職は宴会委員以外は女性。宴会委員は店との折衝をするため、男性のほうがいいとの判断だ。

・月例は一次会で終了。二次会以降行きたい人は個人でどうぞ。

・酒の一気飲み、無理やり飲ませる行為は禁止。

・女性に対してのハラスメント行為があった場合は追放。


 素案は由有ちゃんが考え、菅原さんが修正したものだという。この案はただちに代表に電話で伝えられ、現執行部の了承を得た。このようにして根回しが行われて、月例総会となった。年に一度の執行部交代の月例総会は酒席ではよろしくないということで、学校内の会議室を借りて行われた。


「我がサークルの長い歴史の中で、今回のような不祥事が出たのは痛恨の極みですが、時代の要請や時流の流れも考えて、現執行部は責任を取って全員辞任します」

 ざわつく。総辞職とは。予定では代表と宴会委員だけだったのだが、これも代表が考えたんだろう。どのみち交代だし、内閣の総辞職ってことでもないから、後年不祥事の責任を取ってやめた、なんて誰も覚えちゃいないだろうって考えたのかもしれない。

「次の執行部にはサークルを立て直してもらう必要があります。そこで一部以外は女性によって執行部を構成してもらおうと考えました。次期代表は三回生の菅原さんを推薦します。賛成の方の挙手を」

 いちいち数は数えない。全員挙げてる気もするが、ここで「反対の方は挙手を」と言ったところで手を挙げるやつはいないだろう。

「賛成多数と認めて、次期代表は菅原さんと決しました。では、議長を交代します」

 実はこれまで「三回生の菅原さん」がどんな人なのか認識していなかった。呼ばれて前に出てきた女性は長い黒髪が美しい、才女といった雰囲気のきれいな女の人だ。

「代表に選ばれた菅原です。さっそくですが次期執行部案を出します」

 執行部は代表、副代表、会計、総務、広報、宴会、監査の七人で構成されており、前回は男五人女二人だった。菅原さんの口から出てきた案は僕が聞いていたのとほぼ同じだったが、ひとつだけ違っていた。役職自体が一つ増えていたのだ。

「このサークルでは女性に対して威圧的な態度や取り扱いをすることがありました。そのような悪しき伝統は今日この日で終わりです。それがいやな人は辞めてください。そして、この問題について取り扱う特設役員を作りました。この仕事をやってもらうのは、平塚さん、あなたしかいません」

 菅原新代表が高らかに由有ちゃんを呼び出す。由有ちゃんは緊張しているのか、なんだか怒っているような表情だ。

「平塚です。今回の件で私は学校に訴え出てから辞めてしまおうと思ってましたが、菅原先輩の話を聞いて考えを変えました。このサークルの悪しき伝統をぶっこわします」

 一息に言った由有ちゃんは、座をじろりとにらみつけた。怒っている顔でさえ、美しいと思う。

「この事件が起こって、私の家に電話してきたサークルの男性が五人います」

 由有ちゃんがそういうと議場はざわついた。何を言い出すのか、と。

「一人は前の代表。前代表は立場上私を説得しないといけないですから、かまわないですしとても紳士的でした。だから、私は問題視していません。問題はそのほかの四人。私を半ば脅したり、なだめたりしてなんとか丸く治めようと画策していました。さらにいうと、私を口説こうとしてきた人も」

 シーンとしている。きょろきょろしているのは心当たりがあるやつなのか。由有ちゃん、このタイミングで暴露するつもりか。それはちょっとやりすぎかもしれない。由有ちゃんはまるでジャンヌ・ダルクのように孤高の存在となりたいようだった。

「今回は前代表がわれわれ女子の要望はすべて受け入れてくれたので、私も矛を引きますが、名前はしっかり覚えていますので、次に同じことをしたらそれなりの覚悟してください」

 シーン。由有ちゃんの演説が続く。暴露は避けたか。そりゃ、そうだよな。そのあたりのことは、さすがにわかってるか。と思っていたら、衝撃は別の方向からやってきた。

「最後に、私は一回生の成田くんとお付き合いしているので、口説きの電話とかいりませんから。二度とかけてこないでください」

 トシが目を丸くしてる。口は半開き。ざわざわざわざわ。

「おい、いつのまにつきあってたんだ」

「いや……聞いてない」

「え!?」

 それはそれで衝撃だった。つまり、当の本人に伝えないまま、大多数の前で交際宣言したということか。まるで芸能人のような、劇的な公表。だけれど。トシは驚きの前で、それほど好意的にこのことを受け止めてはいないようだった。

「デートは毎週のようにしてたし……お前たちのデートを見て、急に『私たちも手をつなごうか』なんて言われて、つないでみたりしたけど」

「お前はそういう気持ち、ないのか」

「そんなわけないだろ……でも、いきなりすぎて信じられない」

 呆然とした顔でトシが由有ちゃんを見ていた。


 その後、白梅町で月例飲み会が行われ、もっぱら女子の祝勝会のような感じで宴会は終わった。

 二次会は取り決めとおり「行きたい人たちだけで」。ということで僕とトシと由有ちゃんの三人で近場に行くことになった。前代表や、菅原さんも混じりたかったようだけど、「彼氏とその友達と三人だけで飲みたい」と由有ちゃんが断った。議決において「二次会以降は自由参加」となっていたから、前執行部や現執行部は文句を言えるはずもなかった。一次会では全員そろっているから、一応トシも考えたのだろう、由有ちゃんと話すようなことはなかったのだが、その分聞きたいことはたくさんありそうだった。


 二次会の店に場所を移して落ちつくと、まずは僕が言った。

「由有ちゃんは革命家だな」僕が正直な感想を言うと、由有ちゃんはまんざらでもない表情をする。「トシとのことでも革命を起こしたみたいだし」。そういうと、黙ってたトシが聞く。

「驚いたよ。いきなり言われて」あまりうれしくなさそうな感じだ。

「ごめん。事前に言おうって思ってたんだけど、いろんなこと重なってて」申し訳なさそうに由有ちゃんが伝えるけれど。

「俺のことは最優先じゃないんだ」

 トシがグチり始めた。いかんな。でも、ここは他人が口を出す場面じゃない。黙って様子を見ていた。

「本当にごめん。事前に言わないで発表したほうが劇的かなってちょっと思ったのは事実。でも、トシくんの気持ちに沿わなかったのなら、私が空気読めなかっただけで……。ホント、ごめん。でも、……おつきあいしたいって気持ちは本当だよ?」そう言って、じっとトシを見てる。このルックス、この視線で落ちないやつはいないだろう。

「……まあ、そういうことなら、もういいよ」案の定、トシは瞬殺された。

 トシの機嫌も底を打ったことだし、万々歳といいたいけれど、僕には少し気になることがあった。

「由有ちゃんって、潔癖症?」

「え?」いきなり俺に言われて不審な顔をしている。

「敵をさ……とことんやりこめちゃうでしょ。あまりやりすぎるの、よくないよ。余計な敵を作る。ある程度、逃げ道を作ってあげないと」

 それはあの月例総会の、僕なりの感想だった。この問題について劇的に解決するために、ドラスティックな改革案を次々に出していったから、今回の由有ちゃんの態度や発言はそれらに埋もれてあまり目だっていない。だけど、同じような態度でやってたら、絶対にしっぺ返しを喰らう、と。

 敵を殲滅して理想的な改革体制がスタートしたばかりのときに、僕にそれを否定されるようなことを言われたと感じたのか、微妙な表情で由有ちゃんが見つめてくる。

「革命ってさ、一握りのエリートが考えて始めるものだけど……実は一般庶民はそんなに高邁な理想なんて求めてないことが多いものなんだ」

「どういうこと?」

 自分の考えをけなされたと思ったのだろうか、言葉に少し険が立った。庶民の意見を言ってみる。

「今回は、あのエロ市川がやりすぎたし、俺も話をしてみて『こいつは代表のタマじゃねえ』って思ったから、排撃して正解だけど、サークル活動中や飲み会で、男女間の丁々発止の口説き口説かれを楽しみにしてたり、ボディタッチで好意の有無を図るっていうのは普通にやることだからさ。あまり杓子定規にやるのは望ましくないって俺は感じる」

 そういうと。

「みっちゃんの口からまともな意見を聞いたのは初めてだな」

 トシが微妙な表情をしていた。まるで見知らぬ人を見る目だ。僕ってそんなに人としてダメなやつなんだろうか。由有ちゃんは……しいていうなら、ほぼ完璧の答案なのに、ケアレスミスで百点を逃したときのような顔をしていた。

「三山くんって……水素なみだと思ってたけど、わりとまともなのよね」

「由有ちゃん」トシがなだめる。由有ちゃんが俺のことをけなそうとしてると思ったのだろう。でも、わかる。この言い方はそうじゃない。前に一緒に飲んだとき、そして部屋に来たときの会話で。

「けなしてるんじゃないよ。ニュートラルっていうか。バランスをよく見てる。前に言ったよね、『なんか、いいね』って。それってたぶん、そういうところのこと」

「前に?」トシが突っ込む。つきあう宣言したばかりの恋人が別の男のことを「いいね」なんて言ってるんだからしょうがないけど。

「前に、二人で飲んだとき」

「ああ……」

 あの夜のことは絶対に知られてはいけないよな。破滅を意味するよな、これは。

「サークル活動の助言については了解。気をつける。あたし、とことんやっちゃおうとするところがあるし」

「何事も中庸さ」

「みっちゃんからそんな言葉が出るなんて」そこまで驚かなくてもいいじゃないか、トシ。。

「三山くんは実はそんなに軽い人じゃないし、知識も豊富だし、けっこう深いこと考えてるんだよ。このあいだの夜に話をしてそう思った」

「どんな話?」トシは少しあせっているようだ。自分が知らない恋人の一面を友人だけが知っているなんて、というところだろうか。

「人はなぜ生きているのか。この世界が存在する意味は」

 僕が簡単にまとめて言う。「日ごろの俺と対極の言葉だと思ってるだろ」一応、茶化して言ってみる。けれど、トシは難しい顔をしたままだ。

「その話は確かに由有ちゃんはよくするけれど……正直、俺にはよくわからない」

「わかるわけないじゃん。俺たちまだティーンだもん」俺もまぜっかえす。この話題は正直、三人のときに出したくはない。

「……酒を飲んでるときに難しいことなんて考えなくていいさ。今日はお前たちの記念日なんだし、夏休みのプランでも話し合うほうが建設的だぞ」

 そういうと「それもそうね」と由有ちゃんも応えてくれた。何か言いたげだったけれど、飲み込んだような表情だった。

「三山くんは? 美智代とはどうなの」由有ちゃんが改めて聞いてくる。あれ?

「ええと、つきあってるよ」

「え、そうなのか」

「あれ、言ってなかったか」

 そうだった。聞かれたら言うけど、改めて言ったりはしない、という取り決めに従って、言ってなかったのだった。トシと由有ちゃんだけは例外にしとけばよかった。てっきり言ったと思っていた。

「八坂さんでばったり会っただろ? あのあと、清水の舞台で。声がでかかったのか周りの観光客に丸聞こえで、みんなから祝福された」

「マジか」呆れ顔のトシだが、由有ちゃんは「そういうのも素敵よね……」と笑っている。「由有ちゃんは劇的なのがお好みみたい」僕が言うと。

「女の子はみんなそうだと思うけど。美智代の反応は?」

「泣きながら笑ってた」

「そうでしょ」


 酒も進み、ややグダグダとなりつつあった。付き合い始めの記念日だというのに、二人の間がしっくりいってないように見えるのも気にかかる。俺がいないとこの二人はどういう話をしてるんだろうか。

「由有ちゃん実家帰るの?」

「お盆のころには帰るつもりだけど、夏休み中ずっとは帰らないよ。せっかくの一人暮らしを満喫中なんだし」

「こういうときは実家暮らしを恨むなあ……」トシは京都生まれの京都育ちだ。

「じゃあ、旅行に行くとか」僕がけしかける。

「旅行?」これは由有ちゃん。

「それって……泊まりだよね……」情けないような感じでトシが言う。

「大学生だからね」

「お前は? 松沢とは」

「うーん……その前に稼がないと」

「いや、まあ、それもあるかもしれないけど、泊まりってことはその……」

 つまりトシは恋人と泊まりでの旅行に行くということは、夜にそれなりの関係になってもいいのだろうか、と言っているようだ。そんなのそれぞれの勝手なんだけど。

「私は……もう少しこのままがいいかな」恥ずかしがりながら由有ちゃんが言う。

「ま、お互い夏休みのプランを練るということで。大学一年の夏なんだから、人生最良の夏にしないとな」

「そうだな」

「そうね」

 トシと由有ちゃんが思わずユニゾって、見つめ合って笑って。

 なんかいい感じで締めれてよかった。

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