第3話

 二度目の予言が来た。


 絵里は高校生になっていた。学校は絵里の家から一番近い高校を選んだ。その高校は同じ中学の者も通う。当然、中学時代の絵里を知っている者もおり、暗くて不気味だった彼女を敬遠する者も多くいる。絵里の中学三年時の担任教師は、知る者が誰もいない遠くの学校もある、と勧めたが、彼女はあえて知り合いのたくさんいる近所の高校を選んだ。母の死後、中学でできた数人の友達は皆、よその高校へ行ってしまった。絵里は高校で友達ができるだろうかと不安を抱えていた。


 アンテナのコントロールはもう十分できる。ネガティヴな電波はシャットアウトする。大抵の電波に悪意は無く、好奇心で絵里のアンテナに接触する。嫉妬からくる電波や、ただの自慢を伝えようとする電波もある。だが、そのもとを辿れば皆、臆病に震えている。ブルブルと。


 登校初日。絵里は教室にいた。担任となる女性教師が教卓の前に立っている。これから一年間、この教室で、これらのクラスメイトと過ごすことになる。絵里の席は、教室の左端、後ろから二番目。

 どこからか絵里に電波が伝わった。教室の誰かが絵里のアンテナに触った。好奇心でも嫉妬でも自慢でもない、両手でグシャっと鷲掴みするような雑な接触だった。

 アンテナに触る者はすぐに判明した。右端の前から二番目の席。真っ黒なストレートの長い髪の女子が絵里をじっと見ている。透き通るほどの真っ白な肌の顔に埋まった大きな二つの目からの視線が、絵里のアンテナを通して心臓を突き刺す。彼女は意識して絵里のアンテナに接触している。絵里は、予言か、と感じたが、それは以前感じた母の死の予言とは違っていた。絵里はアンテナをシャットダウンした。


 絵里の不安は案外簡単に解消された。入学から一週間も経たずに、二人の友達ができた。おっとりしていておとなしく、読書が好きな女の子、三浦千枝。しっかり者でお節介、お喋りの田辺加代。昼休み、ひとりでお弁当を食べていた絵里と三浦千枝に、お節介な田辺加代が声をかけた。

「ねぇ、一緒に食べようよ」、田辺加代が近くにいた絵里に話しかけた。

 絵里が躊躇していると、それを近くの席の三浦千枝がチラッと振り向いた。田辺加代はそれに気づくと、「三浦さんも、一緒に食べない?」と声をかけた。絵里と三浦千枝は二人ともお箸を持ったまま立ち上がって、オロオロしはじめた。

「二人とも落ち着いて、取ったりなんかしないから」

 田辺加代は笑いながら二人の顔を交互に見た。絵里の箸には玉子焼きが、三浦千枝のにはソーセージが刺さっていた。

 初めての三人の昼休みは、ほとんど田辺加代が喋っていた。家族のことや中学時代のこと、好きなアイドルのことなど。絵里と三浦千枝はほとんど喋らなかったが、田辺加代は気にしなかった。それに、彼女は二人の私的なことを、ずけずけと尋ねることもなかった。三浦千枝は常に笑顔で田辺加代の話に頷いていた。絵里はそんな三浦千枝を見て好感を持ち、田辺加代からも安心感を得た。

 絵里のアンテナに接触した水沢瑠璃子もひとりでいたのだが、田辺加代は彼女を誘わなかった。絵里が田辺加代に、なぜ彼女を誘わないの、と聞くと、彼女はひとこと、怖い、と言った。あとでわかったことだが、それは水沢瑠璃子が怖いのではなく、水沢瑠璃子を見る絵里の顔が怖かったそうだ。


 水沢瑠璃子はクラスの厄介者だった。高校生活にも慣れてくると、彼女は皆に見せつけるようにクラスの男子生徒とイチャイチャするようになった。しかも、一週間ごとにその相手が代わるのだった。その度に髪型や化粧を変え、雰囲気ががらりと変わる。

 入学から二か月を過ぎるころ、水沢瑠璃子は皆から「魔性の女」と陰で呼ばれるようになった。そして、傷心の男子生徒もひとりずつ増えていった。

 絵里への電波は定期的に発信される。それは毎週決まって金曜日に彼女のアンテナを震わせた。



 五月の終わり。学校の行事でクラスの親睦を深めるための一泊ニ日のキャンプが催される。行き先は茨城県のとあるキャンプ場。五人ひと組のグループで行動することとなり、グループは仲良しの生徒同士で集められる。宿泊先のログハウスにも、そのグループで泊まることとなる。

 絵里は当然、三浦千枝と田辺加代とでグループを作った。もうひとりは学級委員の大石美穂に決まった。大石美穂自身にも仲良しグループはあったのだが、学級委員の責任として、人数合わせに自ら進んで絵里のグループに加わった。残りのひとりは溢れていた水沢瑠璃子が入ることとなった。クラスの女子は男をとっかえひっかえの水沢瑠璃子に誰も近づかない。彼女自身もクラスの女子に媚びることはなかった。大石美穂も心の中では水沢瑠璃子を毛嫌いしていたのだが、学級委員の手前、女子から敬遠されていた水沢瑠璃子を加入せざるを得なかった。田辺加代は、キャンプの最中に何か事件が起こる、と予言した。


 キャンプの日程は五月の最後の週の土曜日と日曜日。前日の金曜日の午後、学級でキャンプの持ち物や予定の確認の会が行われた。グループ別の行動では、意外なことに水沢瑠璃子が積極的に行動していた。メンバーにも気を遣い、終始笑顔でリーダーシップを発揮する。リーダーは田辺加代なのだが。

 その日の帰り道、絵里と三浦千枝と田辺加代は、いつもと違ってご機嫌な水沢瑠璃子を不気味だと言いつつも、これならうまくいきそうだと語っていた。

「彼氏交代の修羅場を見れるかもしれないわよ」と田辺加代はケラケラと笑いながら言う。

 月曜日に彼氏が代わっていることは、クラス全員が知っている。水沢瑠璃子は週末にことを起こすのだろう、と誰もが予測した。現在の水沢瑠璃子の彼氏である柴田洋介だけは、このキャンプを不安で過ごすことになりそうだ。

 毎週金曜日に決まって絵里のアンテナに届いていた水沢瑠璃子からの怪電波は、この日は届かなかった。


 土曜日の朝、学校からキャンプ場へのバスが出発した。バスの中ではグループで固まって座ることになっている。五人のグループなので、二人掛けのシートにそれぞれが座ると、ひとりが溢れる。当然、水沢瑠璃子がひとりになると思っていたのだが、溢れたのは絵里だった。しかし、その場でも水沢瑠璃子は絵里にも他のメンバーにも気を遣い、誰もひとりぼっちにならないように、お菓子を配ったり、ゲームをしようと誘ったり、声をかけていた。田辺加代は他のメンバーに、水沢さんって案外いい子じゃん、と漏らしていた。あれだけ毛嫌いしていた大石美穂でさえ、キャンプ場に到着するまでに、彼女と仲良く手を繋ぐほどになっていた。

 キャンプ初日の夜は、グループごとに飯盒でご飯を炊いて、カレーライスを作ることになっている。水沢瑠璃子は料理上手だった。彼女たちのグループのカレーは、水沢瑠璃子が持参したオリジナル(彼女が自分で香辛料を調合した)のカレー粉を使っていた。それはメンバー全員の舌を唸らせた。キャンプファイヤーでも、アカペラで英語の歌(ビートルズの曲)を歌い、皆に絶賛された。彼氏の柴田洋介とは、イチャイチャを周りに見せつけることもなく、爽やかな高校生カップルのように振る舞っていた。

 三浦千枝も田辺加代も大石美穂も、水沢瑠璃子を受け入れ、彼女に心を開いた。唯一彼女を敬遠していたのは絵里だった。絵里は金曜日の彼女からの不可解な怪電波を気にしている。

 予想に反してキャンプでは何事もなく、田辺加代が予言した修羅場さえ起こらず、無事に終わった。少なくとも絵里以外の三人にはとても楽しいイベントであったようだ。

 キャンプ帰りのバス中では、はしゃぎ過ぎて疲れたのか、田辺加代と三浦千枝と大石美穂はぐっすりと眠っていた。絵里の隣には水沢瑠璃子が座った。

「ねぇ、イダエリ。今晩あなたの家に泊めてくれない?」

 絵里は水沢瑠璃子の突然の依頼に驚いた。「え?」

「だって、あなたの家、ひとりなんでしょ? 明日は学校が休みだし。そうだわ、みんなも誘って二次会しましょうよ」

「でも、もうみんな疲れてるわ」

 絵里はなぜ彼女がそんなことを言い出すのかを考えていた。怪電波と関係があるのか、警戒していることがバレているのか、ただ家に帰りたくないだけなのか。不気味に思い、こう言い訳した。日曜日はおじいさんの家で過ごすことになってるの。だから、家には帰らないわ、と。実際、毎週末は比嘉のおじいさんの家で過ごしている。だが、キャンプから帰ったこの日曜日に、比嘉宅へ行く約束はしていない。もっとも、比嘉夫婦はいつでも絵里を歓迎してくれるのだが。

「そう、残念」

 水沢瑠璃子は無表情のまま黙ってしまい、学校に到着するまでずっと遠くの空を眺めていた。絵里はアンテナをシャットダウンし、終始寝たふりをした。

 夕方五時、バスは学校に到着し、クラスは解散した。絵里は自宅ではなく、比嘉宅への帰路へ向かう。水沢瑠璃子の電波は背後からアンテナを刺激したが、彼女はそのまま下を向いて急いで学校を離れた。


 絵里は比嘉宅に帰った。おじいさんもおばあさんも当然のように、おかえり、と絵里を迎え入れた。

 夕食のとき、おじいさんに水沢瑠璃子の怪電波のことを話した。

「そうかい。きっとその子は寂しいんじゃろうな」

 心優しいおじいさんは人を悪く言うことはない。

「多分、週末に何か嫌なことがあるのよ」

「なら、来週にでもここに連れておいで」、おじいさんは深い愛情で絵里を見つめる。

 絵里は優しいおじいさんの顔を見ると、水沢瑠璃子を敬遠した意地悪な自分を不甲斐なく感じた。「もしかしたら、予言かもしれない。でも、お母さんのときと感じが違うの」

「お前さんのアンテナのことは、わしにはよくわからん。無理をすることはないんじゃ。お前さんのやりたいようにやりんさい」

 比嘉のおじいさんは絵里の心境を察し、ごく自然に信頼と愛情を示した。


 火曜日、振替休日の翌日の朝。水沢瑠璃子とともに教室に入ってきたのは、先週と同じ柴田洋介だった。その日のうちに、真面目で実直な柴田君が水沢瑠璃子を変えた、との噂がクラスに広まり、女子の間で彼の評価が高まった。水沢瑠璃子は田辺加代や大石美穂にもキャンプのときと同じように明るく接している。キャンプから帰った夜、彼女が大石美穂の家に泊まったという話を、絵里は田辺加代から聞いた。


 水曜日と木曜日、水沢瑠璃子はキャンプのときの明るい女の子のままでいた。


 変化は金曜日に起こった。

 金曜日の朝、水沢瑠璃子は柴田洋介とともに教室に入ってくると、イチャイチャの儀式を始めた。皆に見せつけるように、甘えた声で、柴田洋介の首に手を回した。田辺加代が、瑠璃子おはよう、と声をかけると、昨日までとは別人のように、「呼び捨てにしないでくれる?」と彼女は吐き捨てた。大石美穂や三浦千枝にも同様の素っ気ない態度を示す。別人というよりは一週間前にすっかり戻っていた。

 田辺加代も大石美穂も三浦千枝も呆れている。それ以後、彼女たちは水沢瑠璃子と話さなくなった。クラスの反応も同様に、彼女はまたひとり溢れることとなった。柴田洋介の二週間の記録も、今週末で終わりだ、と誰もが予想した。そして、その通りとなった。

 絵里にもまた怪電波が来た。絵里は水沢瑠璃子を比嘉宅への招待するのを辞めにした。おじいさんの提案だが、やはりあの不可解な電波を受け入れられなかった。

 この後、一学期が終わる二週間前まで、水沢瑠璃子の態度は変わらなかった。



 それが予言だと絵里が気づいたのは、ひと月半ほど後のことだった。

 社会の授業で「地元の歴史」というレポート課題が与えられた。

 土曜日の午前中、絵里は田辺加代と三浦千枝を誘って、地域の図書館へ行った。自分たちの町の歴史が綴られた書籍はたくさんあった。三人で協力してレポート用紙にそれらをまとめていたが、なかなかはかどらず苦戦していた。

 田辺加代がはじめに彼に気づいた。

「あ、柴田君」

「ほんと、柴田君も社会の課題を調べに来たのかな?」と三浦千枝が誰に尋ねるでもなく呟いた。

「ねぇ、柴田君も誘おうよ。彼、頭いいから、レポート進むはず」、田辺加代が二人に提案した。

 絵里は乗り気ではなかったが、三浦千枝も賛成だったので、絵里もしぶしぶ賛同した。

 早速、田辺加代が図書館の隅の席にいる柴田洋介のところに駆け寄って、「柴田君、あなたも社会のレポート?」と声をかけた。

「ああ、うん」

 水沢瑠璃子の件以来、柴田陽介はクラスの女子を避けていた。彼は「記録保持者」と陰で囁かれている。水沢瑠璃子と二週間続いたのは彼だけだ。

「あっちで一緒にやらない?」

「あ、いゃ。おれ……」

「さぁ、さぁ、遠慮しないで」と田辺加代は柴田洋介を無理やり絵里たちの席のほうに引っ張った。

「遠慮じゃなくて……」と言い終わる前に、田辺加代は彼の腕を掴んで、強引にみんなのいる席に連れてきた。荷物を席に残したまま。

「あ、ども」、柴田洋介は恥ずかしそうに挨拶をして、頭をボリボリと掻いた。

「もう、あなた記録保持者なんだから、もっと堂々としてなさいよ」、田辺加代が遠慮もなく口走る。

「加代、ダメよ。それ禁句」と三浦千枝が小さな声で田辺加代に注意した。

 柴田洋介は、またか、と小さくため息をついた。 

 水沢瑠璃子の元カレたちは、別れたあと決まって物静かになる。水沢瑠璃子が生気を吸い尽くす、とクラスでは噂されている。まるでヴァンパイアだ、と絵里は水沢瑠璃子を蔑視した。

「資料がいっぱいあるじゃないか」

 柴田洋介は早速、机上の地域の歴史資料を探った。

 それから二時間ほど、皆は集中してレポートを作成に集中した。三人の女子はレポートの書き方や、構成の仕方、考察のアドバイスなどを柴田陽介から訊いた。

 彼が参加してレポートは順調に仕上がっていったが、土曜日の図書館は午後に閉館になる。

「もう少しなのに、閉まっちゃう」、絵里が焦りながら呟く。

「でも、使えそうなページはコピーしたし、メモも取ってるわ」、三浦千枝がおっとりと絵里に伝えた。

「あとは分担すれば家でもできる」

 柴田洋介はこの場から逃げ去る作戦に出た。

「柴田君のおかげね。さすが、記録保持者!」と田辺加代はからかう。

「あれは、たまたまキャンプがあったことと、大石さんのおかげだよ」と柴田洋介は謙虚に答えた。

「どういうこと?」、絵里は机に身を乗り出して、興味津々に尋ねる。

「水沢は父親を避けたいんだ。キャンプがあったし、大石さんちにも避難できたから」

「避難?」、三浦千枝が首を捻った。

「お父さんから逃げてるの?」、絵里はさらに身を乗り出して立ち上がり、再び尋ねた。

「お父さんは平日、名古屋だったかな、単身赴任っいうやつ。遠くで仕事をしていて、土日に帰ってくるんだ。お母さんは中学一年のときに自殺してる」

「自殺?」、三浦千枝は大声を出して立ち上がったが、図書館であることに気づき、周りを見渡して口を押さえて座り直した。

「彼女はそれがお父さんのせいだと思ってるんだ。どうもお父さん、束縛する人みたい。お母さんが死んだあと、その束縛が水沢に向けられたってわけ」

「土日のキャンプ。日曜日の夜には大石さんちで、お父さんから逃れられたってことね」

 絵里はテレビの情報番組の司会者のように、状況を整理して皆に示した。

「そう」

「そういえば、キャンプの帰り、お父さん迎えに来てたわよね」と田辺加代は三浦千枝の顔を見て、同意を求めた。

「私、話しかけられたの。瑠璃子は帰りましたか? って。絵里が帰ったあとよね」、三浦千枝が言う。「ちょっと怖そうな感じだったわ」

「水沢さん、もういなかったわ。美穂ちゃんのうちに行ったのよ」、田辺加代は立ち上がり発言した。

「月曜日に彼氏が代わるのはどう言うわけ?」、絵里が次の質問を柴田陽介に投げかけた。

「ほんとのこと言うと、俺たち付き合ってたわけじゃないんだ」

 柴田洋介だけが落ち着いて席に座っている。

「元カレじゃないの?」

 田辺加代は机をタンと叩いて目を見開いた。

「うん。みんなも同じ」

「え? 他の男子も彼氏じゃないの?」

 絵里は冷静になろうと努めたが、次々に出てくる水沢瑠璃子の秘密に驚きを隠せなかった。

「水沢はそう思ってるかもしれないけど、実際は彼女が選んでるんじゃなくて、俺たちで次の週の保護役を決めてるんだ」

「なに、なに? それどういうこと?」

 田辺加代は前のめりになって、興奮しはじめた。

「最初の彼氏は、杉村。彼は、まぁ、一目惚れってゆうか、気があって気軽に声をかけた。付き合ったのも事実だ。けど、その週末、水沢は杉村に助けを求めたんだ。父親から逃げるために家に泊めてほしいってね。杉村は親にも相談したんだけど、家に泊めるのは無理だった。そこで、杉村は夜になって水沢を連れ出そうと、彼女の家に行ったんだ。水沢は隙を見て家を出た。杉村は水沢をバイクに乗せて家から離れたんだけど、深夜過ぎに父親の捜索に捕まった。杉村は父親に、これ以上娘につきまとうと殺す、と言われたらしい」

 柴田洋介はふぅーっと長く息を吐いた。

「杉村君、殺されると思って逃げたのね」、田辺加代がそう推測した。

「いや、杉村を遠ざけたのは水沢のほうさ。父ならやりかねない、ってね。母親の死も、自殺に見せかけて父が殺した、って言ってたそうなんだ。水沢に拒否されては守るものも守れない。それで、杉村は親友の伊藤に頼んだんだ」

「次の彼氏ね」

 絵里が納得したように頷く。

「杉村は月曜の朝、伊藤に事情を話して、彼氏のふりをして彼女を守ってくれるように頼んだ」

「水沢さん、お父さんから守ってくれるなら誰でもよかったのね」

 絵里は真相を知り、ようやく落ち着きを取り戻して席に座った。

「それだけストレスを感じてるのよ」、三浦千枝が付け加える。

「その状況が今まで続いてる、ってことか」

 田辺加代は腕を組んで頷く。

「実際、水沢がお父さんから暴力を受けている現場を見たわけじゃないし、水沢の妄想かもしれない。週末に保護役は水沢を連れ出す。だけど、どこへ逃げ隠れしても父親の捜索に捕まってしまうんだ」

「発信機でもつけられてるの?」、田辺加代がシャーペンをくるくる回しながら尋ねた。

「それらしきものは見つかっていない」

「体に埋め込まれてるとか?」、三浦千枝が遠慮がちに尋ねた。

「まさか……」

「あの父親ならやりかねない」

 田辺加代は決めつけて言った。

「そんなに悪い人なの?」、三浦千枝が訊く。

「185センチの大男で、捕まったら最後。水沢は彼氏が殺されるのを恐れて、それ以降は関わらない」、柴田洋介が答える。

「行き過ぎた愛情も、人によってはストレスにもなるわ」、絵里はどこかで訊いた風なセリフをそのまま伝えた。

「実際、彼女は死にたいってことも口にしてたし」

「電波!」、絵里は急に立ち上がって、そう口走った。

 絵里はそのとき気がついた。電波は運命的に起こる死の予言ではなく、水沢瑠璃子が自ら選択した死を意味している、ということを。

「電波?」、三浦千枝は絵里に聞き返した。

「いいえ、何でもない……」

 絵里は、自分が予言者であることも、金曜日に水沢瑠璃子から怪電波が届くことも、彼女たちに話していない。皆に変人だと思われたくはなかったからだ。

 館内に閉館を知らせるアナウンスが流れた。

「ねぇ、これから私んちに来ない? レポートの続き」、田辺加代は皆を誘った。

「加代ちゃん、柴田君の話の続きを聞きたいだけなんでしょ」と三浦千枝は突っ込んだ。

「バレたか……」、田辺加代は舌を出して頭を掻いた。


 一行は図書館を出た。そして、ハンバーガーショップで昼食を、コンビニでおやつを買い込み、田辺加代の自宅へ向かった。柴田洋介は逃げ出そうとしたが、田辺加代が腕を掴んで離さなかった。

 田辺加代の自宅に到着すると、玄関前で大石美穂が待っていた。

「美穂ちゃん、待った? 遅くなってごめん」

 田辺加代は皆には内緒で、大石美穂を電話で誘っていた。

「あら、美穂ちゃん。いつの間に呼んだの?」

 絵里が田辺加代の策略に気がつく。

「だって、レポート作成には最強の戦力でしょ」、田辺加代はにこやかに答えた。

「嘘ばっかり、どうせ水沢さんのこと聞きたいんでしょ」と三浦千枝が言い当てた。

「あれ、柴田君も一緒なんだ」

 柴田洋介は少し遅れて到着した。これから女子たちの胃袋に放り込まれるであろうハンバーガーやスナック菓子、チョコレートの入った袋を持たされて。


 田辺加代の部屋に入るや否や、女子会(男子がひとり混じっているが)が始まった。

「美穂ちゃんの分も買ってあるからね」

 田辺加代が食料の仕分けをはじめる。

「俺の今月のバイト代が一瞬で消えた」

 柴田洋介は部屋の隅でしょんぼりと三角座りをしている。

「柴田君、あなたはここ!」と田辺加代が柴田洋介を部屋の中央に呼び寄せた。

 柴田洋介は仕方なく部屋の中央に出て、そこで正座をした。

 それぞれ、お気に入りの食べ物を頬張りながら、田辺加代が大石美穂にこれまでの経緯を伝えた。

「なるほど。男子たちが水沢さんを守ってるってわけね。確かに、あの父親は異常かも」

「どういうこと?」、絵里が訊く。

「キャンプのあと、お父さんが迎えに来てたの。みんなほとんど帰ったあとだったけど。私と加代と千枝は先生とあと片付けをしてたの。三十分ほど。加代と千枝もお父さんに会ってるわ」

 田辺加代と三浦千枝は、口をもぐもぐさせながら頷く。

「それで?」

 絵里は前のめりになった。

「水沢ですけど、瑠璃子は帰りましたか? って校門のところで。確かに大柄な男の人だった。で、加代が、帰ったと思います、って伝えたの……。ほうとうに? って疑われたから、私たち同じクラスの同じグループなので、って言ったら信じたみたい。名前も聞かれたわよね」

「異常といえば異常だけど……」、田辺加代がチーズバーガーを頬張りながら答えた。

「そのあと、帰り道で水沢さんに会ったのよ。泊めてくれないか、って。お父さんが迎えに来てたことを伝えたんだけど……」

「それで?」

 田辺加代は口の中のチーズバーガーの残骸を飲み込んだ。

「これから仕事だから家にいないと伝えに来ただけ、って彼女が言ったの。でも、つい数分前のことだから、水沢さん、お父さんとは会ってないはず。で、おかしいと思ったのね。それでね……」

 うんうん、と田辺加代は大きく頷く。

「たまたまうちも両親が留守だったの。ひとりで寝るの怖くて、それで水沢さんを泊めたの。だけどね……」

「何が起こったの?」と今度は絵里が尋ねた。

「夜中の三時に水沢さんのお父さんが迎えに来たの」

「えー!」

「三時に?」

「ちょっと異常よね」

 皆は驚いて口々に言い放った。

「夜中の三時に玄関のチャイムが鳴ったのよ。水沢さんはすぐお父さんだってわかったみたい。おとなしく出て行ったわ。私、怖くて朝まで眠れなかったのよ」

「親子そろって異常ね」

 田辺加代はフライドポテトを頬張りながら言う。

「でも彼女は、女子たちが思ってるほど嫌なやつじゃないよ。ほら、キャンプのとき。あれが本当の水沢だ」

 柴田洋介は水沢瑠璃子の擁護し、女子たちの顔を見渡す。しかし、それに同意する者は誰もいなかった。

「確かに、家に来たときも、気遣いができて明るくて、親友ができた、なんて思ったわ」、大石美穂が自宅に来たときの様子を話した。

「やっぱり、お父さんがよっぽどのストレスなんだよ」

「他に何か気になることは?」

「そうね。私が死んでも悲しむ人はいない、って」

「このままじゃ、あの子、ほんとに死んじゃうかも」、絵里は予言のことが気になり、そう予測する。

「まさか……」、田辺加代が他人事のように言う。

「もう俺たちにも限界がくる」、柴田洋介が呟く。

「限界?」

「協力してくれる男子がもういないんだ。一度付き合った男子は、水沢が拒否する。父親に殺されると思ってる。夏休みまでになんとかしないと」

「夏休みはどうなるの?」、三浦千枝が柴田陽介に訊いた。

「そういえば、毎年の夏には北海道のおばあちゃんところに行く、って言ってたわ」、答えたのは大石美穂だった。

「うん、お母さんの実家らしいんだけど、お母さんの死が原因で、向こうの祖母宅にお父さんは近づけないみたい」、柴田洋介がそう付け加える。

「二週間。あと二人ね」

「ところでさぁ、柴田君、水沢さんと……、その……やっちゃった?」、田辺加代は単刀直入に尋ねた。  

 三浦千枝は田辺加代の肩を叩き、それ禁句、と注意した。

「さっきも言ったけど、俺たちは彼氏じゃない。はじめは杉村に協力してただけだったけど、実際に彼女と一緒にいるとさぁ。なんて言うか……いい子なんだよね。杉村もいいやつだし……。俺たちのルールなんだ。彼女には手を出さない、って。父親から守れたやつがほんとうの彼氏になれるんだ」

「ふーん」と、田辺加代は呆れ気味に相槌を打った。

 すると突然、

「私が彼氏になる!」と絵里が立ち上がり、宣言した。「二週間、水沢さんは私が預かるわ」

 他の者は一斉に「えー!」と声をあげて、ぽかんと口を開けていた。

「水沢さんは、お父さんに顔を見られた相手を拒否する。関わると、お父さんに殺される、と思ってるのよ。私はまだお父さんに会ってない。お父さんに会わなきゃ水沢さんも拒否しないってことよ」と絵里は説明する。

「なるほど!」と絵里の単純な発想に女子たちは納得した。

 柴田洋介は納得しなかった。「だけど、一週間後のお父さんの捜索を逃れた者はいないんだぞ。何がいい手段はあるのか?」

「それは、これから考えるのよ」、絵里は自信たっぷりに答えた。

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