親しき仲(自転車)にも礼儀あり

 自転車に轢き逃げされた。

 なんだ自転車かよと軽く受け止めることなかれ。私の轢き逃げされた足は憤慨し噴火直前であった。

 犯人は女子高生だった。二次元ではご褒美だが三次元ではそうは問屋がおろさない。おろす一部の方、申し訳ないが私とあなたは相容れない。

 最初は何が起こったのか解らなかった。かかとと足首を踏みつぶされたような感覚が走った。一瞬の激痛に、私は固まる。なにが起こったんだ。慌てて振り向けば右のブーツのかかとが泥で汚れている。おいおい母上からのお下がりで年に一回入院して頂いている高貴なブーツに泥をかぶせたのはいったいどこの誰じゃ!(ここまで1秒)

「あ、やばい」

 ぼそりと小声が耳に入ってくる。目と目が合った瞬間、女子高生は(それで下着を隠しているつもりなのかと思うほど)短いスカートを翻し、ペダルに足をかけて走り去ろうとした。

 逃げる気か! こんな往来で堂々とパンチラしてやったのだから許せと言う意志表示をしたつもりか愚か者。残念ながら見えそうで見えないラインにセンサーが働く私にとっては御褒美でも何でもない。なによりも礼を失する者は嫌いである。

「気をつけて下さいよ!」

 大声で注意した。もちろんすみませんと返ってくるわけもない。完全に無視。変に背筋を伸ばして彼女は颯爽と漕ぎ去っていく。マスクをしてても目元のメイクが濃すぎて残念な仕上がりだった。まったく、最近の女子高校生はどうなっているんだ。私はブーツの泥を拭ってから「イヤ待てよ」と思い直す。

 あの年頃は妙につんけん澄まして生意気なのだ。私にも覚えがある。世の中をまるっきり舐め、大人を見下していた。とりあえずなにもかも憎んでいた時期が確かに会ったように思う。

「おもとは、あの頃難しい言い回しをこれ見よがしに使って人を責めていたわ。だから、お母さんは先生に『困らせていませんか?』と聞いたのよ」

 これは最近母から得た衝撃の証言である。これに関しての記憶は一切ない。ないが、まるで厨二病を発症したかのような扱いではないか(今でも患うことはあれど、発作のようなもので一時的にすぎない)。この母の心配に対し、担任は苦笑しながら「そんなことはありませんよ」と言ってくれたらしい。おそらく苦笑は失笑だったのであろう。高校生の私のドヤ顔がくっきり浮かんでくる。私は恥ずかしさに枕を涙で濡らした。

 轢き逃げ直後は「高校に電話してくれるわ小娘……」と息まいていたが、被害は一瞬。二時間後にはけろりと怒りはとけた。さすが、喉元過ぎれば熱さを忘れる私だ。怒りや苛立ちを持続するのは疲れるので、甚大な被害を被ることさえなければネタにして消化するのも有である。

 ときにマイ自転車は出逢ってから十余年が立つ。塾に入った記念に買ってもらったものだ。時には暴走チャリと化し、または荷物の多い私のアシスタントとして、病める時も健やかな時も一緒に乗り越えて来た。しかし、月日は残酷なもの。地元では気にならないが、ビルの駐輪場で余所様のものと比べれば「なにこれ粗大ゴミ?」と一目瞭然満場一致でオンボロさが際立つ。あまりのオンボロさに祖父が新しい自転車を買おうとする動きを見せたが、私は拒否した。

「私はあの自転車が盗まれるか爆発しない限り、乗り潰すわ」

 車体に問題はない。乗れて移動できるならば良いのだから。だから今日もオンボロな相棒に跨って家路につく。違和感を抱いたのは駅の辺りでがっくんと車輪が震えた時だ。石ころでも踏んだのだろう。だがまるで機織り機で鶴が忙しなく布を織っているかの如くその音は続いた。気にしないように流れる商店街の街並みを見つめる。真っ先に目をひいたのは新しいワインバルのウェルカムボードだった。『パスタは飲み物。スキップ20秒でつきます』パスタは飲み物? 某声優が某イベントで「鼻からパスタがでてる~食べちゃおう」とか言っていたが、そういう感じなのだろうか。駄目だ想像できない。そして、スキップで20秒。こはいかに。徒歩ではいけないのだろうか。イヤ待て待てこれはもしかして、陰陽師が使う反閇のアレンジバージョン?

 ……やはり車輪の振動は止まらない。自転車を止め、どれどれと後輪を眺め触ってみれば、空気が抜けている。しかも、栓がない。まさかと前輪を確かめれば前輪も以下同文。いったいいつからこんな悲惨な状態だったのだろうか。人間に例えれば両足に力が入らず立ち上がるだけで精いっぱいといったところだ。他人の礼儀に文句を言う筋合いなど私にはない。私は満身創痍の自転車に心を込めて語りかけた。

「自転車(あなた)とは十年以上の付き合いになるけれど、気付けなかった私を許してちょうだい」

 どうりで祖父が哀れむ筈である。私は負傷した相棒を労わりつつ自転車屋に連れて行った。店員のおじさんにキャップがどちらもないと訴えれば、ころりと二つ差し出された。

「あの、お代は……」

「有り余ってるからいらないよ」

 お金をとらないだなんて! この不況真っ盛りの世で! 昭和のかほりがうっすらと残る商店街の粋を感じた瞬間である。私は恭しくゴムキャップ二つを受け取り、無料の空気入れを使って車輪に空気を満たした。まだまだ乗れそうである。直して使えるならば、これからも仲良くしていきたい。


                      150320/原稿用紙換算:6枚/2150字

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