第17話 たとえ離れ離れになったとしても
「……ぃった……だ、大丈夫ですか……?」
落下による動揺と衝撃から我に返るや否や、パルムシェリーは己の金髪頭を抱くようにして朽ちた窓枠に飛び込んだ相棒に声をかけた。
「……ああ、大丈夫だ。そっちは?」
密着していた身体を離し、ゆっくりと立ち上がったディンが痛みに歪んだ顔を背けるのを見上げながら、パルムは肩と腰を少し払って歩き出す。
「ローブが少し汚れましたが、おかげさまで身体は無事です」
本当は腰の横がじんじん痛むが、そんなことは言っていられない。
「悪かったな。んじゃ、いくぞ」
上の階と同じような造りの部屋を急いで抜け出し、がむしゃらに回廊を走る。
「階段だ、パルム! 階段を探すぞ。とにかく下に行くしかねえ」
「わかりました! 下で脱出できそうな場所を探すんですね!?」
向かって左側に現れた階段の前で逡巡していた相棒に追いついた冒険家は、きょろきょろと廊下を見回す。追手の姿も、声も無い。
一瞬だけ目配せをしてうなずきあった二人は、どこへ続くとも知れぬ階段を一気に駆け降りる。
「ああ! このレベルで人が暮らしてたんなら、最悪でも下水溝があるはずだ! あの冒険家嫌いのじいさんが見たっていう川だってあるかもな!」
「ですね! やはりあのおじいさんが見たのはこの古代文明から流れ出した水だったのですね!?」
「はっ、こうなったらそうでなきゃ困るけどな。それに――」
一瞬振り向き、大きく首肯しながら髪を掻いたディンの隣に、パルムシェリーが猛然と走り寄っていく。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください、ディンさん! ということはっ! ほんの数十年前までこの遺跡は生きていたのではっ!?」
腰の痛みや身体の疲れも吹き飛びましたといわんばかりに、きらきらと輝く瞳にディンは苦笑。それからニヤリと笑って。
「はっ。まあ、俺が思うに――」
「へあっ!? それともまさかあの侵入者達のように誰かが遺跡を蘇らせたのでしょうか! そうかもしれません! しかしその方は一体何の目的で!? この遺跡には一体どれほどの秘密があるというのでしょうか!? ああああ、これは冒険、これぞ私たちが望んでいた冒険ですよぉぅっ!!!」」
二つ、三つと繋がっているだけの階段を飛ぶように駆け降りながら。
「だな。しかも俺が思うにゃ、多分そいつは――」
「ディンさんディンさん、魔導機関ですよ魔導機関! きっとこの遺跡に眠る古代生物と闘うための魔導兵器か何かを狙って――っ!? ひゃっ」
興奮しきったパルムが世界の秘密を解き明かそうとしたその瞬間、彼女の踏んだ階段の石端がぼろりと崩れ、ピスタティア生まれの冒険家は踵からずるりと滑り落ちる。
「ディ、ディンさあああああんっ!」
まるでそれは、遺跡の守り神が彼女の知性を恐れたかの如く。
が。
「……はあああああ。あ、有難うございます、今のはさすがに危なかったです。お店でオリッジソースの缶に頭から突っ込んでしまった時以来の走馬灯を経験しました」
間一髪、後頭部を強打するところをガシッと掴まれたパルムは、怒れる遺跡神から救ってくれた相棒に感謝と愛のこもった視線を送る。するとディンは少し得意げな顔になって。
「長い付き合いだからな、あんたがこける頃合いは把握してる。特に妄想とおしゃべりに夢中になってる時にゃ要注意さ」
口の端を持ち上げて見せた救いの神は、階段の終点となった廊下を素早く見回して。
「……おほん。で、だ。俺が思うに、爺さんが見たっていう奴がこの遺跡を動かして、地下の魔導兵器を持ち出したんだ」
「はい?」
上の階より狭くなった廊下を足早に歩く黒髪の顔を、パルムははてなと覗き込む。
「言ってたろ? そいつはあの魚みたいなもんに乗って川を下ってたって。多分、それが魔導兵器だ。きっと、魔導力で強烈な攻撃と速度を兼ね備えた小型の船なんじゃねえかと思う。平地が魔物で溢れてるなら、川を使って交流するのが人間の道理だろ?」
「成程! そして兵器の回収に成功したので、観光地として開放されるようになったのですね!」
「多分な。もしも現代によみがえりゃ、あっという間に貿易王かもな」
「ほえ~、成程。それは凄い。では、あのクイネの人たちもそれを……」
にやりと笑ったディンに頷いたパルムは、やがてぱちくりと青い瞳を瞬かせ。
「しかし遺物が無いとなると、いったいクイネ族の狙いは? それに、数十年前に兵器を見つけて運び出した方は、それを今、何に利用しているのでしょうか?」
彼女の鋭い疑問を受けた相棒ディンは、小さく肩をすくめた。
「さあな。奴らは奴らでまだあると思ってるのか、そうだな……もしかしたらこの遺跡を動かしてる魔導機関そのものが狙いかもな。こんだけの高さにまで水をくみ上げられるなら、世界中の土地の価値がひっくり返るしな」
分からない事を分からないなりに、ぶっきらぼうに答えたディンはくしゃくしゃと髪を掻いて。
「……ま、どっちにしろそいつを先に見つけりゃ勝機はあるかもしれねえが。向こうは地図かなんかを持ってるみてえだし……まあ、逃げるほうが先決だ」
言葉の途中、ふと疑問の顔を浮かべた彼はひとりごとのように。
「……だったらさっき、あの女は何をためらったんだ……?」
あのタイミングであの炸裂弾みたいな力を打ち抜けば、自分たちは無事でいられなかっただろう。良くて窓から真下へ真っ逆さま。悪ければ、この身体がちぎれ飛んでいたように思える。殺しはしない主義なのか――いや、そうじゃない。あのタイミングは、まるで。
自問した様子の彼に、パルムはおやおやとまつげを激しく動かして。
「あれ? もしかしてわかりませんか? なるほどなるほど、そうですか。本人は意外と気づかないものなんですね」
「……なんだよ? なにか知ってるなら答えろ、お互いに隠し事や嘘を言わないって約束だろ」
鼻をとんがらせた彼に、金髪の淑女は楽し気に身体をゆすりながら。
「ふっふっふーん、さーてどうしましょう。えへへ、嘘です嘘です、言いますよ。あのですね、彼女はディンさんの目を見たんだと思います」
「……目?」
「はい。いかにも、目、です。と言いますのも、クイネ族の一部に見られる特徴として『縦長の瞳』があげられるのです」
「へえ、縦長ね……」
「はい。近年では人種差別に当たるとしてあまり触れられない傾向にあるようですが、かつてはその瞳が迫害の原因になったとしている研究所も存在していたはずです」
ふむふむと己の記憶と知識をなぞる小柄な相棒の姿に、ディンは『で?』と言いたげに肩をすくめた。
「そして、先ほど間近で見てはっきりとわかりました。あのクイネ族の女性とディンさんには同じ特徴があります。それが縦長の瞳と、古代遺物を起動させる力です」
「……? 俺が?」
「はい。私が描写するならば、黄色み掛かった縁取りをしたわずかに縦長の瞳ですね。本を読んだ時には種のように細長い物を想像していましたが、実際はそれほどですね。あの女性が、先日ディンさんが唱えた呪文と同じ言葉を話さなければ結びつきませんでしたよ」
くりんとした大粒の青い瞳に見つめられたディンは、そっと自分の瞼の辺りに触れながら。
「……なるほどね。奴らからしたら、クイネに伝わる秘宝を探しに来たら、まさかの同じ瞳をした男が現れたってわけか……。ふうん、確かに獣みたいな目だって言われたことはあったが……ま、おかげで助かったぜ」
笑って見せると、パルムシェリーはなぜか急に不安気な顔をして。
「……あの、ええと……大丈夫でしょうか、彼らと、その……争っても……」
「ん? なんだよ、俺が奴らに寝返るとでも言いたいのか?」
ジオの若者の意地悪な笑みを見て、図星をつかれたパルムは慌てる。決してそう思っているわけではなかったけれど。故郷や仲間を思う気持ちは人一倍強い癖に、ひどく寂しがりやな人だから。同じ瞳と同じ言葉を持つ旅人に出会ったならば、もしかしたら。
「あ、いえ。決してそういうわけでは……ただ、その、そうです、ディンさんはリオルさんと比べても弱かったですし、いざとなったら命を大事にしたほうがいいのでは、と言うことです。なのでこれは裏切りへの懸念ではなく、投降の勧めですね」
するとディンは『ははっ』と愉快そうに笑って見せた。
それから少しの時間黙っていた彼は、いかにも下水かなにかにつながっていそうな細い通路の先を塞いでいた扉を押し開けながら。
ふいに。
「なあ、パルム」
「はい?」
「生きろ」
え? と戸惑った少女は、目の前に広がる大きな闇と、そこへ落ちぬようにと施された柵と、その横に取り付けられた装置や床の様子を探る相棒の横顔を見比べて。
「……確かに俺なんかにゃ歯が立たない様な奴らは世界中にごろごろいる。だから、いつか奴らや誰かに捕まってつらい目にあったとしても……生きてくれ。あんたさえ生きてれば、俺が絶対に見つけに行くからさ。そんで、また二人で気ままに旅をしよう。俺は多分、それでいいんだ」
神妙なトーンでそんなセリフを口にした彼に、淑女はぱちぱちと高速で瞬きを繰り返した。
「ふふ、えへへ。えへへへへへへへ」
そしてすぐにこみ上げる喜びを隠しきれなくなって、ディンの傍へとすり寄りながら。
「うぇへへへ。うれしいです、とても。そうします。でも、その時は私も一生懸命あなたを探しますよ」
ぶっきらぼうな物言いに、つたない言葉を話す黒髪の男。時折くしゃくしゃと髪を掻き、薬草や独に詳しく、瞳は黄色掛かった縦長だ。もしも冒険の果てに、斜面から滑り落ちたり川に流されたりして離れ離れになってしまったとしても、きっとすぐに見つけ出せる。
「ふふふ。えへへへへ」
かつて王女様には死ぬことを進めた彼が、生きろと言ってくれたことがうれしくて。
「動くぞ」
と言ったディンの言葉が、最初は理解できなくて。
「はい?」
と聞き返した彼女を照れくさそうに振り返ったディンは、なんでもなさそうに装置の表面にあった下向きの三角形のボタンをぐっと押し込んだ。
途端にブーンと魔導機関の駆動音が鳴り、足元の床がガクンと揺れた。そして。
「わ、わわわ――」
と声を上げて相棒のローブに掴まったパルムの足元の床が、壁沿いにゆっくりと下がり始めた。
「す、すごいです! もしかしたら、あの柱の中にも――」
と興奮を口にしたパルムの声は、すぐに。
『こっちだ! 何かが動く音がしたよ!』
頭上で聞こえた叫び声にかき消された。
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