第16話 縦長の瞳を持つ民族
『な~んもないっすね。ていうか、やっぱ下だったんじゃないですかねぇ?』
慌てて身を潜めた小部屋の中、金属よりも暖かくそれでいて木や土よりも遥かに硬い扉の向こう側に呑気で大きな男の声が響き渡った。
「……動くなよ、パルム」
言われなくともとばかりに、閉めた扉の後ろで直立不動の態勢に入るパルムシェリー。同時にすっと気配を消したディンが待ち構える部屋に向かって、数人分の足音がコツコツと近づいてくる。
そして――ガチャリと。
『かもね。確かに地図にゃこういう小部屋は載ってない』
覗き込む様な女の声は、身動き一つとることなく息を殺していた二人の、すぐ隣の部屋の中から。
『う~ん……そうだね。お前の言う通り、戻って下に行ってみようか』
『へへ、さすが姫様だ』
『……御意』
廊下を歩く二人分の足音が扉一枚隔てた場所でピタリと止まり、そこへ再び女の足音が近づいてきて――
――お願い、そのまま通り過ぎて。空の神のご加護を。
どきどきと大きくなる心音に短い祈りがかき消され、今にもこぼれそうになった呼吸をこらえるために、少女は肩に乗せられた相棒の手をギュッと握りしめる。
『どこか、もっと広い部屋だ。それに……そうだね、水も近いほうがいい。工場みたいな場所のはずだよ』
扉一枚隔てた場所で聞こえる女の声。とても単純な構造の言葉。クイネだ。あれは、クイネ族の言葉に違いない。
しかしそんな才女の閃きにも関わらず、相棒はまるで影のように息をひそめ気配を殺したままだった。
『つうか、いいんですか、さっき言ってた金髪の女は?』
おそらく、遺跡の受付にいた男だろう声の持ち主がたらたらと歩き出す足音とともに聞こえてくる。
『……ふん。まあ、何が目的か知らないけど、荒事にゃ慣れてないようなお嬢だったし、もしも目的が一緒だっていうんなら、どっかで顔を出してくるさ。今はとにかく遺物を見つける事が優先だ』
――遺物?
リーダーらしき女が発したその言葉に、パルムは密かに目を見開いた。
やがて彼らの声の名残すらが幾千年の静寂の中に溶け、何度かぎゅっと瞼を閉じたあと。
「……あれは、クイネ族の言葉です」
ようやく相棒に人の気配が戻ったのを感じたパルムは、ほっと息を吐きながらディンを振り返った。
「……クイネ? なんだ? 西方の民族か?」
「え? ええ、確かにルーツはそちらにあるそうですが……今や世界中に散らばった民族の言葉です」
同じくふうと緊張をほどいた彼の言葉に、パルムは困惑気味にうなずいた。
「ええと、クイネ族とはかつて西の大陸にいたと言われ、紛争と迫害によって国を追われた過去を持つ民族です。しかし今でも彼らのつながりは強く、世界を影から動かしているとまで言われているんですね。なので研究の題材や物語の登場人物に選ばれることも多く、私のような知識層の人間にとっては非常に知名度の高い民族なのですが……まあ、そうですね、ディンさんの様な一般の方は知らなくても仕方がないかとは思います――」
頭の中で捲られていく本の文字をなぞるように知識を吐き出した冒険家は、自分の言葉を反芻するかのように大いに頷く。
そう。それはもはや、非常にマニアックな研究書や、彼らのコミュニティの中にしか存在していないはずの謎多き言葉。
そして、それは……それは――。
胸の中に湧いた気がした小さな不安を、あっというまに沸いた興奮と期待が飲み込んで。
「それを、今、遺跡の侵入者たちが使っている……。しかも彼らの目的はどうやら噂の古代遺物のようではありませんか! ふふふ……これはすごい、いわゆるそそる展開ですねっ!」
控えめにした声の分だけ鼻息を荒くして拳を握ったパルムシェリーの姿に、ディンは苦笑を浮かべながら。
「だな。まあ、何者なんかは知らないが、放っておいてもらえるんなら最悪よりかは随分ましだ」
「? 最悪とは?」
きょとんとした顔で問いかけた金髪に、ディンはにやりと笑いながら。
「まずはあのリオルって野郎が失敗して、仲間にあんたが生きてることがバレた場合。そんでもって、あの女たちがリオルの仲間だった場合だ。死んだはずのピスタティアの王女が遺物のある遺跡に姿を見せりゃ、問答無用で追ってくるだろうからさ」
ディンの言葉に、パルムは青い瞳をぱちくりと。それから大いに頷いて。
「成程、それは納得です。確かにそのケースであれば、私の背後にはあの夜に古代遺物を奪われたジオの王家と、さらにはその遺物を操ることができるディンさんの存在が予想されます。これは危険、彼らにとってはかなりの危険因子ですね」
一瞬むむむと難しい顔をしたパルムだったが、直後にはうれしそうな笑顔を浮かべ。
「ふふふ。しかしそうなりますと、このパルムシェリーという冒険家は例の『世界の頭』を自称する謎の組織にとってもかなり危険な存在ということになってきますよ。えへへ、これは何だか――何と言いますか……続きが楽しみですねっ」
自らの物語にうっとりと胸をときめかせる始めた相棒の姿に、ディンは一瞬呆れたような笑みを浮かべ――すぐに。
「えへへ。私の描く冒険譚は世界の謎をめぐるだけではなく、悪の組織との争いや謎の盗賊団との揉め事も絡んできて――」
「――パルム」
「?」
突然に真剣な目を浮かべると。
「……まずいな。奴ら、戻ってきやがった」
外の気配を探りつつパルムの肩を掴み、廊下につながる扉と背後の窓を何度も見比べる。
『おーい、シム。本当にさっきの女がいるのか?』
『……黙れラーケン。間違いない。声だ。若い女が、誰かと話している声がした』
遠くから響いた声に男が応じた場所は、思っていたよりも遥かに近く。
思わず口を押さえたパルムとディンが目を合わせた直後。
バンッ! とどこかの扉を乱暴に開ける音。そして、間を置くこともなくバンッ! バンッ! バンッ! と次々と小部屋の扉を破る音がすぐそこまで近づいてきて。
「パルム、窓だっ!」
もはや存在を隠す気もなく叫んだディンが朽ちかけた棚に飛びつくのを横目に窓へと走ったパルムは、相棒の体当たりによってぐしゃりと入口をふさいだ棚と、それごとドカンと蹴り飛ばされてわずかな隙間が空いた扉と、苦笑いで走り寄るディンの姿を目撃し。
「いたぞ、カリヤ!! どうする!?」
リーダーの支持を仰ぐ男の声と、
「つかまれ。絶対離すなよ」
自分を抱き寄せる相棒の声と。
「どきな! ラーケン!」
という女の声と扉の隙間でキラリと輝く光、それから指をパチンと鳴らす音。
ボガン! と激しい音を立てて扉ごと吹き飛ばされた長生きの棚。
窓を覆っていたツタを何度か引っ張り、数本を選んでローブのすそごと握りしめたディンの意地悪な笑顔。
そして、巻き上がった粉塵の中から光の文字を躍らせながら飛び出してきた女の姿と、パルムシェリーを抱いて窓を蹴ろうとしたディンと目が合った瞬間の彼女のひどく驚いたような表情と、今にも鳴らされそうだった指をためらわせる間にすうっと消えていく光の文字があっという間に目の前を流れて行って。
「じゃあな」
という声とともに窓を蹴り、遺跡の外壁に背中をこすりつけるようにしながら真っ逆さまに滑り落ちていくディンのローブを必死に掴んで。
「っっっ!!!!??? しぇしぇしぇ、シェーラ様ああああああっ!!!」
ものすごい速度で変わっていく景色と、風に巻き上げられる髪に空の神の名を叫び。
「こらえろよ!」
相棒の叫び声と共にグルンと真横に動く視界を感じ、勢い体ごと窓を打ち破る相棒の音を聞き終わるや否や、ドスンと床にたたきつけられる音が自分の腰の内側辺りで響くのを聞いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます