第12話 追い追われ


 トトットトットと階段を駆け下りる二人の足音が小気味良く響く。頭の上は小柄なパルムシェリーの二倍ほど、幅は彼女が両手を伸ばしても少し余裕がある位。

 しかし何しろ地下なので足下は見えにくく、いったん足を踏み外せば真っ逆さまに転げ落ちてしまう事間違いなしの急角度だ。


「ディッ、ディンさん!!」

「何だ!?」

 なのでパルムは、振り向くことなく怒鳴り返す背に向かい、俯き気味に走りながら。

「も、もしもの時はきちんと受け止めて下さい!」

「分かった! 転びそうになったらすぐに言え! ちゃんと――っと」

「うわっぷ!」

 しかしドシッと。

 心強い相棒の声にほころんだ冒険家の顔面は、突然足を止めた相棒の背に見事に受け止められることになった。


「……い、痛ったあああ。ひ、ひどいです。このこのこの――」

「……出口だ」


 ぶつけた鼻を突き抜ける痛みと怒りに任せて目の前の背中をポカポカと叩いていたパルムシェリーは、ディンの声に『はい?』と顔を上げた。


「慎重に行くぞ。多分、先に行った奴らが仲間を待ってるはずだ」


 その言葉にパルムははっと見開いた目で斜め前方数メーロ先の出口らしき薄明かりを確認し、それから慌ててこくこくと頷き、ディンに合わせて声を潜めた。


「……明るい、ですね」

「ああ」


 普段よりも低い声で頷いたディンが、まるで闇と壁に溶け込んだかの様に通路の端を歩きはじめる。それに倣って、そっと壁に背中を付けたパルムもゆっくりと、それでも少し急ぎ気味にじりじりと通路を下っていき――。


「しっ」


 漏れ出る光まであと数歩に迫った辺りで唇に指を当てたディンが、慎重に見えない場所の気配を探る。


 聞こえるのは、つばが喉を通る小さな音。それとドキドキと高鳴る自分の鼓動。やがて、無意識に掴んだローブの感触が無ければそこにいるかどうかすら怪しく思える程に深く意識を沈めていた彼が、慎重に次の呼吸を吐き出して。


「……いない、のか?」


 自分の感覚が弾き出した結論が信じられないとでもいう素振りで、またじりじりと進んで行く。


 そして。


 ――やはり、いない。


「ふふふ。『いない』という事を証明するのは、『いる』事を証明するよりも遥かに困難だとティッパーフィールド師匠も言っていましたね」


 とうとう辿り着いた階段の終りにしゃがみ込み先の空間を覗き込んだディンの肩の上。ひょっこりと顔を出してきた金髪に、ディンは少しばかり笑みをこぼしながら。


「だな。この場合はいない理由の方が大事そうだけどさ」


 言って、今にも走り出してしまいそうに輝く瞳をきょろきょろさせている相棒の腕を取りながら、階段の上の方から聞こえ始めた男達の怒鳴り声と悲鳴を振り返ると。


「ま、いろいろ考えてる時間はねえやな。行くぞ、パルム。どっちだ?」


 恐らく山の内部に沿って円状に造られていると思われる目の前の通路、その円の中心に当たる部分には柵があり、その向う側には床が無く、代わりに神殿の内部にまでつながっていそうな巨大な柱が一本、下から上へと高々とそびえているのが見える。

 だから、とりあえず選択肢は右か左。


「こっち――いえ、こちらです!」

「よし、行くぞ!」


 より濃い冒険の香りがする方を指差したパルムに従って、二人は環状通路を左に向かって駆けだした。

 山の外側に当たる左手の壁には、等間隔にいくつかの扉が並んでいる。どうやらそれが階層の中央を貫く巨柱の向こう側までぐるりと続いているらしいと判断したパルムは。


「ディンさん! とりあえずどこかの部屋に隠れてやりすごすというのはどうでしょうか!?」

「状況が悪い! っ! あれだパルム!」


 全速力で通り過ぎていく扉を気にしながらの提案が却下されると同時、パルムはディンが指さした場所を見る。

 上方から差し込む薄明かりの中、扉が無いのにぽっかりとあいた空間が見えた。


 あれは一体……?


「あっ、成程! 階段ですねっ!!」


 更なる地下へと続く階段が、二人がここへと下って来た階段の位置から斜め前方――もしも最初に右に行った方にもあるのなら、その三つで丁度この層を三分の一に区切る辺りの位置にある。


「はああディンさんはさすがですねっ!」


 そこへと再び身を躍らせながら、パルムは頼りになる相棒の背に向かって興奮気味にまくしたてる。


「もしも部屋の中で見つかってしまえばいっかんの終りですもんね! これはもういつかきっと『部屋に隠れよう』と提案をしたディンに『……いえ、進みましょう。進めばきっと道は開かれます』と私が言った事にして差し上げたい位の素敵さです!」


 そんな弾む声と足取りで階段を駆け下りるパルムの前を行く相棒は、いつもの様に意地悪そうな笑みで振り向いて。


「どうかな。あんたは『やっぱり隠れておいた方が良かったです』って言うかもだぜ?」


 山の内部だから当然なのかその形に添うように更に外側へと下って行く造りの階段の出口当たりで、再び彼は慎重に向こう側の気配を探り出す。

 息を殺して目を閉じて静寂の中へと深く潜ってしまったディンの裾をそっと握りつつ、大冒険に高鳴る自分の鼓動を聞いていたパルムの耳に、階段の上の方から『別れるぞ!』という数人の男達の怒鳴り声と、乱暴に扉を開け閉めする音が届き始めた。


「……よし」


 と言ってまた慎重に歩き出す彼に続き、パルムもまた次の階へと足を踏み出す。見た目はほとんど先程と同じその場所に、先行したはずの赤髪の女性と受付男の姿は無い。


「……あのあの、先程おっしゃっていた『いない理由が問題だ』と言うのは?」

 問いかけたパルムに、ディンは軽く髪を掻きながら。

「あ~、なんつうかまあ、いるだろ、普通? 初めて入る場所で後から来る仲間と合流するなら、あの場所で待つんじゃねえか?」

 言われてパルムは、こくこくと同意する。

「確かにそうですね。私ならあそこでディンさんを待つと思います」

「だろ? 俺ならどっかに隠れてあんたが来るまで入り口を見張る。でも、あの女達はそうしてない」


 言いながら、ディンはまた手近な階段の場所を見つけて。


「一番ありそうな理由は、後ろの黒服連中はここに来る予定が無いって事だ。そもそもあの二人だけで潜るつもりだったなら、一々待っちゃいないだろ」


 ふむふむと頷く金髪頭の反応を確かめながら、ディンは己の考えを言葉に変えていく。


「あとは、奴らが『ここを知っている』って場合だな」

「知っている?」


 きょとんとしたパルムに、ディンは頷いて。


「多分奴らはここに何かがあるって情報を手に入れて、この街に来た。んで、計画を練って仲間を受付の仕事に潜り込ませたんだ。それも、こっそり人を雇ったり、守衛仲間があっさり持ち場を離れる位の信用を得る位に、な」


 ディンは、自分の考えの正しさを確かめる様に少しずつ頷きながら。


「……確信だ。よっぽど確かな情報がなきゃ、そうはしない。多分、地図か、文献か。ここの造りが分かる情報を持っていて、いつ来るか分からない黒服達を待つよりも、先に行くから勝手に『例の場所』まで追いかけて来いってやり方なんだ」


 言葉の終りに、降りてきた階段を振り返る。上の奴らも躊躇なく『別れるぞ』と言った。多分、奴らも大体の構造を把握してる。

 なら。

 黒服は三人。

 自分なら。今この状況で、自分が本気で招かれざる客を捕まえるなら――まず扉の中を確かめるのに一人、左の階段に一人、右にも一人。それで次の階に降りた二人のどちらかがまた扉を巡って、一人は先に進む。んで、最初の階で扉の中を確かめた奴が次の階の奴を抜いて――。


「よし、パルム。もう一個下だ。次の階で隠れるぞ」

「わかりました! しかしなぜでしょう!?」


 素直に隣を走り出しながらも青い瞳を向けて来る相棒に、ディンは笑いながら。


「多分次の階で、真っ先に赤髪達に俺達の事を知らせに行く役目の奴が一人になる。だから俺達はどっかに隠れてそいつを追いかけて、まんまと奴らの秘密の目的地に案内してもらおうって魂胆さ」

「成程!! これはまさに悪党は悪党を知るってやつですね!」


 とててっと階段を駆け下りながら、パルムシェリーは彼の言葉を忘れぬように頭の中に書き止めながら、ふと笑って。


「……なんだ?」


 とキョトンとした顔を向けて来る相棒に。


「いえ、ふふふ。街で働きながら次の場所を追い求め、今はこうして遺跡に潜り込んでいる。なんだか同じ事をしているな、と思ったのです。もしかしてもしかしたら彼らもまた冒険家なのかもしれませんね」


 呑気な事をぬかしてくる呑気な相棒の呑気な笑顔に、ディンは思わず苦笑して。


「そうだな」

 とだけ呟いた。


 そうやって、楽しげに走る相棒の透明な金髪を眺めながら、頭に浮かんだ言葉を押しとどめる。


 多分奴らに捕まったら無事には帰れないし、階段の出口で息を殺していた自分だってしっかりナイフを握っていたんだぞ、と。


「? どうしました?」


 と振り向いたパルムシェリーに。


「いや、あんたの走り方が思ったよりも不格好だからさ」

「なっ!? えっ? え? そ、そうですか?」


 まあ、あんたはそれでいいさと笑った。


「あああひどい! ひどいです! 笑わないでください! ちょ、ちょっと待ってください! あなたのせいで愛しの相棒が走り方に困っているんですよ!?」


 ディンは、自分達はここで追われ、あるいは追いかけて。あんたは確かに進んで行くんだと、そう感じた。

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