第10話 迷惑な観客


 そうして、才能と美貌に恵まれた天才女優の姿を一目見ようと押し寄せる人の波を掻き分け辿り着いた一階にて。


「……で、どうするパルム? ここで待つか?」


 まるでそこに興味を引かれたかのように腕組みをして壁のレリーフを見上げたディンが言った言葉に、ちらちらと階段の上を振り返っていたパルムはきょとんと首を傾げて。


「? え? 待つって、何をですか?」


 ディンは瞬き、それから面倒くさそうにくしゃくしゃっと髪を掻いて。


「だから……何つうか、ほら、人がいなくなっただろ? みんな上に行っちまった」


 壁を見上げたままの彼の隣、パルムはくるりと首を動かした。

 言われて見れば、確かにホールの中に見学者の数がほとんど無い。旧市街をくまなく練り歩いていたスーパースターに連れられて、みんなテラスに足を運んで行ったのだ。

 あの雄大な景色を背景に金色の髪をなびかせる美女の姿は、それはそれは価値のあるモノだと思うけれど。


 と、そこまで考えたパルムシェリーは、ハッと背筋を伸ばして。


「あっ! つまりディンさんは、あの人達が人目を奪う囮だと?」


 きらきらと輝く青い瞳に、ディンは首肯。


「多分な、しかも――」

「という事はっ、人目が無くなった場所で何かが起こるという事ですね!? どこですかそれはっ!? あっ! ここ! ここですよディンさん! あの秘密の扉が怪しいとこの身に流れる探偵の血が騒いでうぐっ」


「騒ぐな馬鹿」


 衛士に守られた階段を指差したパルムは、途端にぺしりと鼻と口をふさがれふがふがと。


「わ、わかりまひた」

「ったく」


 苦笑まじりにディンが手を離すと、声の代わりに瞳を最大限にうるさく輝かせた相棒は、隣に並んで腕を組みつつおもむろに何も無い壁を見上げながら。


(……で、一体何が起こるのでしょうか?)


 と視線と唇と吐息で話しかけてきた。

 器用な顔だな、とディンは笑って。


「だからそいつを待とうって話さ。……ただまあ、あの見張りは――」

 言いかけたディンの背後で、カシャンと音。

 振り向けば、大きな神殿の入り口に、人間と鎧が一組ずつ。

 ほとんど人がいなくなったエントランス階段の向こう側へとすたすたと歩いて行く彼らの爪先は、果たしてパルムの予想通りに『秘密の扉』を守る全身鎧の衛士の方向だ。


(ディンさん、ディンさんっ!)

(分かってるから顔を出すなって!)


 とっさに柱の陰に身をひそめた二人は、息を殺して人気の少ないホールに響く鎧の足音に耳を立てた。


まさかそこに自分達を見つめている人間がいるとも知らずに、彼らは扉を守る二体の鎧に近づくと陽気な調子で話を始めた。


「……あれは確か、受付にいた方です」


 互いに声が聞こえる距離ではなかったが、それでもパルムは囁くように隣でぎらついている黒い瞳を振り返る。


「成程成程。やはりあの人も偽物劇団の一味ということですね。言われて見れば最初から怪しいと思って――ぅぐっ」


 三人の全身甲冑に囲まれながら談笑をする男の横顔を熱心に覗き見ていたパルムの口がぺしっとふさがれると同時、ぐいっと後ろに引っ張られ。


「顔を出すなって。金髪は目立つんだ」

「うぷうぷ……ぱふっ! だ、だからと言って突然鼻と口を塞ぐのはどうかと思いまぴっ!?」


 相棒の拘束を必死で逃れ抗議の声を上げる金髪の鼻をぴしりと指で弾き上げたディンは、柱の向こうを振り返った。


「行ったぞ」

「?」


 言うと同時、すぐに柱と脇の隙間に小さな金色頭が突っ込んでくる。


「……ふむふむ。つまり見張りが交代した、ということですね?」


 大方、お前らも噂の女優を見て来いとでも言われたのだろう。先程まで秘密の扉の前で仁王立ちしていた二対の鎧は、楽しげな足取りで屋上へと続く大階段を上っていく。


「ああ。つまりあんたの言った通り、何かあるぜ。あの扉の向こうにゃ――痛って……」


 言いながらぽすりとつむじ辺りに乗せられたディンの顎を、パルムは軽く後頭部で跳ね上げてやった。


「あ、すみません。まさかディンさんがそんな近くにいるとは思わず、積もりに積もった恨みが出てしまいました」


 この野郎と顎を押さえたディンは、思い出したように階段の方にへと一瞬視線を走らせて、ふふんと鼻を鳴らしているパルムの肩を押して立ち上がった。


「? な、なんですか?」


 真剣な気配にひるんだパルムが相棒に押されるままに、柱の周りを移動すると。


『だからどけっつってんだよ!!』


 という怒鳴り声が上の方から。その直後、階段に並んでテラスを目指す人の行列を押すようにして、短い赤髪の見るからに粗野な女性が現れた。


 周囲の人を威圧する様に大げさに悪態をついた彼女は、そのままゆっくりと階段をおりてくると、辺りをぐるりと見回して、やがてすたすたと歩き出した。


「――――さて、と」


 辺りがすっかり静かになった後、しばらくしてからようやく口を開いたディンは、たった一体きりの鎧が立っている扉の方と隣で餌を待つ犬の様にキラキラ輝く相棒の瞳を見比べて、


「上手い事やるもんだな」


 などと妙な感心を独り言ち。


「で、で、どうするんですかディンさん?」


 と、今にも扉に向かって走り出しそうな顔にうなずいて。


「そうだな……んじゃまあ、猿芝居にゃ猿芝居だ。うまく合わせろよ」

「はい? 合わせるって、え? 私がですか? ちょっ、ちょっとディンさん! どういうことですか!?」


 と慌てて追いかけてきたパルムをにやりと振り向くと。


「黙って見てんのにゃ飽きたから、舞台に上がってやろうって話さ」

「な、なんと迷惑な観客でしょうっ!?」


 と目を丸くしたパルムシェリーの肩を、彼は笑いながらポンと叩いて。


「何言ってんだ、ウチの主役はあんただろ? 頼んだぜ、大女優」


 つい先程赤髪の女と受付の男が中へ入っていくのを黙って見過ごした全身鎧へと楽しげに突き進んでいってしまう。


「だ、台本はないのですかっ!」

「ん? 悪いな、どうやらウチの脚本家は文字が書けねえらしい」

「それは今すぐクビにして下さいっ!」


 かくして緊張する間も台本も無いままに、女優・パルムシェリーの初幕が開けられた。

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