第9話 開幕
少しずつ自分達の周りに集まり出した人々の混乱を避けるかのように旧市街を右へ左へ歩いた美人女優一行は、やがてテラスからそれを見下ろしていた二人の方へ――つまり大神殿へと近づき始めた。
「凄い人気ですね、メンチさん。首都行きの都合がついたのでしょうか?」
光写機の蓋を取るのも忘れて行列行脚に見入っていたパルムが、ディンに向かって問いかけた。それにディンは肩をすくめて。
「さあな。案外二万ルエンが惜しくなって、やっぱり追って来たのかもしれねえぞ」
冗談のつもりで言ったディンの台詞に、まるで聖者の盗み食いを目撃したかのようにガビッと硬直したパルムシェリーは。
「なっ!? そ、そんな……あれは私のお菓子代で――」
「……菓子?」
ぎろっと振り向いたディンの視線から、金髪娘はするりと顔を背けた。
「あ、いえ別に。何でもありません。ただ、二人にとって最も良き臨時収入の使い道を考えていただけです」
などと口の中で音を転がしながら給仕仕事で鍛えた腕前で、ぱぱっと縁石の上の光写機を回収すると。
「さあ行きましょうディンさん! お得意のグズグズをかましていると、初めての冒険家としての収入が夢と散ってしまいますよ!」
と、神殿内部へと続く大階段にむかって駆けだして――
「待てこらおい」
「あうっ、何をするんですかっ!? ああもう、ディンさんも早くして下さい! 見通しの良いこのテラスに追いつめられたら終わりですよっ! 早く逃げましょう! 私達の二万ルエンを奪われる前にですっ!」
フードのてっぺんを掴まれたまま必死に逃走を主張し始めた青い瞳の冒険家に、黒瞳の倹約家は苦笑と共に顎をしゃくって。
「良く見ろ。あれは多分メンチじゃない」
「? ……はい?」
言われてパルムは、ディンが示した階下を再び覗き込む。全身黒の服装とそれを持ち上げる程の筋肉を身に纏った男達の隙間に見えるは、スラリと背が高い割に肉付きが良い身体、長い手足、帽子の下からはなびく金髪、美しい瞳を隠すサングラスに口元を布で覆った絶世の美女らしき姿。
「……まあ、そう言われて見れば素顔こそ見えませんが……う~ん」
自らの頬を抓りつつ腑に落ちていない感じの相棒の物言いに、ディンは小さく頷いて。
「上手く出来た話さ。舞台の上の女優の顔なんざ、近くで見てる奴はほとんどいねえ。良くて新聞だろ。それがあの格好で男共に身を守られて、ああやって手を振ってりゃ、勘違いする奴もいるだろう。そんで、誰かがそれっぽく『今日はメンチヴィクトリアが見学に来てますぜ』なんて噂をすりゃあ、見事に偽物のど美人様が出来上がりだ」
ニヤリと笑ったディンの台詞に、パルムはしきりに首を捻る。言っている事は十分わかるし、実際その可能性もあるだろう。
でも。
「どうして、でしょうか?」
「ん?」
「もしもあれがメンチさんでは無いとして、その偽物さんは、一体どうしてそんなことを?」
金色眉毛を毛虫型にしたパルムの疑問に、ディンは笑って。
「奇遇だな。俺もそいつがずっと気になってたんだ」
テラスから見える風景を意地悪な笑みで見下ろして、それからわざとらしい位に恭しく少女の前に跪いた。
「ではでは我が麗しのパルムシェリー。見に行こうぜ、偽物劇団様による、本日限りのふざけたお芝居を」
唐突に申し込まれた初めてのデートの誘いに青い瞳をぱちくりさせた少女は、すぐに大げさな溜息一つと呆れた声で。
「……もう。どっちがふざけているのかわかりませんね――」
それから、ちょこんと可愛らしく膝を曲げ。
「――でも、喜んで」
と胸に咲く気持のままに微笑みながら、差し出された相棒の手を取った。
そうして神殿内に戻ろうと階下とテラスを繋ぐ唯一の階段に足を踏みだした二人は、目の前の景色に小さく驚いた。
「わっ」
「……へぇ」
人が、多いのだ。四階建ての神殿のそれぞれの階にいたのだろう観光客達が、みな大階段付近に集って階下を覗き込んでいる。
原因は、間違いなくあの人だ。
「あいつ、こんなに凄ぇ奴だったのか」
階段の両側から降り注ぐ視線の雨を遮るでも無く、帽子からはみ出た金色の後ろ髪をなびかせて赤絨毯を真っ直ぐに歩いてくる美人女優風の彼女は、周囲を囲む黒服の護衛達と楽しげな見物人をたくさんたくさん引き連れて。
「祝祭会当日の演技は、ジオの新聞でも絶賛されていましたからね。『彼女が踊り出せば舞台の上に花が咲き、瞳と指先にまで言葉を宿した歌声が見る者の心を霞め取っていくようだった。間違いなく、メンチ・ヴィクトリアは究極にして至高の女優だ』と書いてあったと記憶しています」
その祝祭会のほとんどを泥の様に眠って過ごした二人の冒険家の話はどこにも載ってはいませんでしたけどと、反り返って笑顔を向けて来たパルムシェリーの後ろで、ディンは。
「……まあ、確かに歌は上手かったけどさ」
と今一つピンと来てない様子で、逆さに見つめて来る相棒の頭にフードを被せると、彼女の近衛の様な足取りと暗殺者の視線でもって人込みに向かって下り出す。
やがて、足音も無く静かに階段の端を降りていく黒いローブの谷の子と、茶白色の華やかなコートに身を包んで赤絨毯の真ん中を笑顔を振りまき歩くサングラスの美女がすれ違う。
場所は、神殿三階辺り。
瞬間、フードの下から黒服の男共の隙間を射抜くようにしてディンが放った視線に、サングラスの奥の瞳がぴくりと揺れた。
そして、ふんと微かに笑って人で溢れた階段を下りていく怪しげな男の背を、無言のままゆっくりと素顔を隠した女の笑みが振り返った。
誰だあれは、と言う様な顔で。まるで、見知らぬ獣に最大限の警戒を示したかのような表情で。
振り向きざまのその表情を見てしまったパルムは慌てて前を行く相棒の隣に走り寄ると、頭を覆ったフードと胸の光写機を両手で抑えて一生懸命に小さくなった。
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