第29話 夢にまで見たまだ見ぬ何処か
王都の外れ、隣街へとつながる橋を塞いだ通行止めの看板の前。
片手で荷物を肩に背負い、もう一方の手で黒髪をくしゃくしゃと掻きながら、無駄なバツ印がいくつも書き込まれた看板を睨みつけるようにして彼は立ち尽くしていた。
息を切らし、膝に手を付き、少女はこっちを見ようともしない彼の背に告げる。
「……北の……アルセン橋を………使えと……書いて、あります……ウプッ……」
「……………なんであんたがここにいるんだ?」
ようやっと、まるで嫌な物でも見たかのように振り向いたディンの胸に、少女は握りしめていた花環を突きつける。
「会いたいと言われたので、会いに来て差し上げました」
「……は? ……ああ、成程ね。あのな、言っとくけどこれは『金は次に会ったときに』って意味だ。この国で暮らすんなら、んな事位知っとけ馬鹿」
ぽかんと口を開けたパルムの胸の内を恥ずかしさが全力で走り回る。
「あ、な……ば、馬鹿って! 字も読めない様な人に言われたくありません!」
「はっ、バーカ。別にんなもん出来なくたって困りゃしねえっつうの」
「バカバカバ~カ! 格好つけても駄目ですから。自分だって知ってるんでしょう? 字が読めない様な人が言葉の通じない国で旅なんて出来るわけ無いんですから! 日記だって、冒険譚だって、書けないんですよ? お宝見つけてそれで終わりじゃ、ティッパーフィールド師匠にはなれないんですもん! それで諦めたんでしょう? 貯めてたお金をプエラトの人のために使ったんでしょう!?」
「……知るか馬鹿。言葉なんてどうにでもなるだろ? それに、俺は別に冒険譚なんか興味ないしな」
「嘘つき嘘つき、馬鹿嘘つきっ! どうにもならないに決まってます! 言っときますけど、ご飯食べようとしたって『いつもの』も『あいつと同じ』も通じないんですからね!? メニューだって自分で選べないくせに! 違う国の文化を舐めないで欲しいですね! ピスタティアだったらディンさんなんて即逮捕されて処刑なんですから」
「何でだよ、馬鹿」
「顔が神を冒涜してます。これはもう即処刑の冒涜顔ですねっ」
「嘘つけ、聞いたことねえぞ、そんなもん」
「言ってないだけです。言わなくても看板に一杯書いてありますもん。『冒涜顔厳禁』って」
「へえ、さすが馬鹿な王女様がいた国は馬鹿なんだな」
「馬鹿じゃありません!」
「ん? あんたはパルムだろ? いつまで王女様気取りしてんだよ?」
「き、気取ってません。そっちだって無職のくせに偉そうな顔しないで下さい」
「てめえな、誰のおかげで――」
「あーっと、本音がでましたね。思わず本音が出ちゃいましたね。格好つけといて結局私のせいですか? はいはいそうですね、ディンさんが無職なのも悪人顔なのもモテないのも全~~部このパルムシェリーの責任でございます」
やれやれと手を広げて見せたパルムに、肩をすくめたディンは背を向けながら。
「悪かったな、本当はちっともそんなこと思っちゃいねえから、あんたはさっさと戻って――」
「おおっと、ディンさん! さては早速お困りですねっ! これは責任! 私が責任を取らせて頂きましょう!」
「……あん?」
しゅたたっとディンの目の前へと回り込んで冒険家のポーズを取った少女の瞳に、きょとんとした少年の顔が映る。
「説明しましょう。実はこのパルムシェリー、世界中の言葉を話すことが出来まして、通訳としては非常に優秀であるとこのように自負しております」
うんうんと頷き自信満々に言いながら、少女は『ああ』と気が付いた。
「幼少の頃からの読書を通じ、世界の文化にも明るく、何よりその類稀な文才があなたの冒険をより魅力的に彩ってくれることでしょう」
片手を腰に、片手は胸に。己と言う存在を精一杯目の前のひねくれ者に伝えようとする度に、口から飛び出す言葉の流星群がじわりと小さな胸に喜びを広げていく。
『ああきっと、本当に運が良かったんだ』と。
「ですから、今回だけ特別、そんなすごい私がディンさんの相棒として力を貸して差し上げましょう。どうですか?」
ちらりと見上げた男がわざとらしく溜息を吐いたのを見て、少女の頭には彼の次の言葉が予想できた。果たして彼はその通り。
「……割に合わねえ。正直に言うぞ。宿に泊まるも何をするも、見た目も違う俺とあんたじゃ苦労する。二人で居りゃ、面倒くさい事が増えるだけだ。要するに、あんたは足手まといなんだよ」
小さく首を振った住所不定無職の言葉を、パルムはぴしゃりと手のひらで遮って。
「ええええ、確かに私は足手まといになります。ご迷惑をかけるつもりもありますし、たくさんわがままを言う予定ですよ」
――今、一つの旅が幕を閉じる。
頭に浮かんだそんな予感に、パルムはくすりと微笑んた。
何故ならば、今、ずっと遠くに生まれた二人が、長い長い旅路の果てに。
「世間知らずを丸出しにして、それと気づかず危険な事に首を突っ込むでしょう。古代文明だとか言い出して、白い目で見られる自信もあります。しかもどうやら美人らしいので悪い男も寄って来るかもしれません。おまけに人見知りで体力もないため、きつい仕事はお断りです」
言葉が届くところまで。
「ですが、そんな私は、あなたに――」
互いに、辿り着くことが出来たのだから。
「他でもないダメ人間で足手まといなディンさんに、あのパルムシェリーと一緒に行く面倒くさくも楽しいスリル満点ウキウキワクワク大冒険をプレゼントしてあげましょう」
『えっへん』とふんぞり返って見上げてきたパルムに、ディンは溜息。
「………つうか、あんた仕事はどうした? 紹介してやっただろ?」
「一応、試用期間は終わりまして三日後に本契約を結ぶ運びです。まあ、いいんじゃないですか? その辺はきっと、誰かが何とかしてくれますよ」
あっけらかんとした少女の態度に少年は鼻に皺を寄せてみせる。
「んなわけねえだろ。何であんたのことを誰かがやってくれるんだよ?」
「違います。あなたのためですよ。実を言いますと、私が今ここにいるのも本当に色々な方のおかげなんです。色々な方が、ディンさんの元へ私を届けようとしてくれたおかげなんです。きっと、私ならあなたの役に立てると思って。ですからそれらの方々が、きっと何とかしてくれるはずです。ディンさんがいなくなっても、ディンさんのために。それ位あなたはこの国で、あの街で、あの人達にたくさんの物を渡して来たんじゃないですか?」
仏頂面の少年の前、軽く目を閉じたパルムシェリーはそっと胸に両手を当てて。
「今の私にならわかります。だって、私はディンさんを知っていますから。この目で見て、この耳で聞いて、この手で触れて、あなたと、あなたの周りに居た人達と、心を繋いじゃったんですから。あ、異論があるなら原稿用紙で提出してくださいね」
いたずらっぽく笑ったパルムに、ディンは舌打ち。
「書くかよ、馬鹿」
「ふふ。悪い子ぶらなくていいですって。あなたの足跡も、あなたの生きた証も、雨が降っても消えない程度に、確かにこの国にあるんです。だって私は、それを追いかけてここまで来たんですから」
「……ごちゃごちゃうるせえ。おら、行くぞ。さっさと歩け」
「はい!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ、ほらほら、私すんごい走ってきたんですよ? 日頃の運動不足と言うのはいざと言う時に足に来るんです。ですのでここは、ちょっと待つべきだと思います」
偉そうな顔で休憩を要求するパルムに、ディンは呆れた息を吐いて。
「却下だ。言っとくが、俺の『ちょっと』はとっくに過ぎてんだよ――」
くしゃくしゃっと髪を掻いて歩き出した少年の言葉に、パルムの胸がトクンと跳ねた。
やっぱり彼も、ここで自分を待ってくれていたんだと。
嬉しさと照れくささで出かかった少女の生意気な言葉は、しかし。
「――あの日、あんたが、あの店の扉を叩くまでにさ」
「っ………!!!!」
途端、言葉にならない風がぞわりと身体中を突き抜けて。疲れすらも置き去りに駆けだした少女は、少年の背にドーンと思いっきり身体をぶつけた。
「……ってぇな」
少し照れくさそうに振り返った不満顔の黒髪に、両手を広げた金髪は目を輝かせて。その台詞を口にした。
あの日。光の海の中で閃いた、このどうしようもない感動を彼に伝えるための一言を。
「『ディンさん、次はどこへ行きましょうか!?』」
「………まあ、とりあえず外だ」
「やる気ないですねっ!」
晴れた空に笑い声。
それぞれの冒険を終えて、世界の端の道なき道を並んで歩く男女が二人。行く先は、夢にまで見たまだ見ぬ何処か。
少女の名は、パルムシェリー。どこで生まれたのかも、どうやって生きて来たのかも秘密の、葬送の花の名を持つ美しき少女。それでも『君は何だ』と聞かれれば、胸を張って《冒険家》だと答えるだろう。
男の名は、ディン。苔の花咲く谷底で生まれ、覗き見た世界の眩しさに一度は目を閉じてしまった、嘘の名を持つ弱気な男。ひねくれ者で、格好つける割に女にモテず、底意地が悪くて、読み書きもままならない愚か者。それでも、そんな彼こそが、きっといつかティッパーフィールドを超える大冒険をするのだろうパルムシェリーの、相棒だ。
――D&P 『果てしない旅 第一集』より――
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