あとがきに代えて

第30話 おしまい

 ぺステリア歴 二百六十六年 七月十八日

 

 

「――相棒だ」


 キリッと格好の良い顔でキメた私は、颯爽と原稿用紙を膝に置く。安宿の窓の外は、すっかり夜の色に染まっていた。


 カビ臭い部屋の空気を吸い込んで、腰かけたベッドの上から床に胡坐をかいたディンさんに、どうですかと視線で感想を。


 すると、我が相棒は感動に声も出ない様子でくしゃくしゃと黒髪を掻いてから。


「……ちょっと待て。聞き違えたかもしれねえから、もう一回、最後んとこを頼む」


 やれやれと肩を竦めた私は、疲れた喉に鞭を打ち。


「わかりました、行きますよ? ええと、『そんな彼こそが、きっといつか大冒険をするだろうパルムシェリーの相棒だ』」


 後半を早口で言い終えると同時、ディンさんは大きく頷いた。


「よしわかった。『だろう』の後を消せ」

「えっ、何でですか? 駄目ですよ」


 さも意外そうに驚いた私に、ディンさんは口の端を歪めて人差し指を突きつける。


「何ではこっちの台詞だっつうの。何で俺があんたのおまけみたいになってんだ?」


「またまたぁ、そんなことありませんってば。ちゃんと聞いてました? ほらほら、最初に登場するのはジェシカさんとディンさんですし。それに比べて、私など名前も知らない謎の美少女扱いなんですよ? わーお、まるでディンさんが主人公みたいじゃないですか。素敵ですねっ♪」


 大げさに驚いてうんうんと頷く私。対するディンさんは胡坐の膝を指先で叩きながら。


「『まるで、みたい』じゃねえっつうの。つうかあんたが『神々しいほど美しい』ってのはなんなんだ? 自分で書いてて恥ずかしくねえのかよ、おい?」


「もちろん私はちっともそんな事思いませんけど、ディンさんが言ったんですもん。『いかにも宗教っぽい美人だと思った』って、だから仕方ないんです。いえ~い」


 ベッドに腰掛け踊り出した私をディンさんは不満一杯に睨み付けて。


「だったらそう書け。嘘を書かねえってのと、嘘を読まないってのが約束だろ?」


「はい、ですから嘘吐きディンさんの言葉から真実の心情を探るのはとっても骨が折れました。そんなに心の中で褒められると照れちゃいますね」


 にっこり笑顔で告げる私。


 染みの目立つボロイ壁を照らすランプの灯が、窓から流れる湿風に微かに揺れていた。


 ジオの北西に位置する国『ランビア』の端、アレリアの風。海の様に大きな河川沿いに発達したこの国の風は、森の匂いを運ぶジオのそれとは随分違う。


 その湿った風の終わりに溜息を乗せて、ディンさんが髪を掻きながら。


「……くそ、おかしい。つうか、何で怪我ぁ抱えて助けに行った俺より、あんたがおろおろ困ってる方ばっかり書いてあるんだよ? そこはもっとこう、俺を……こう……格好良くだな」


 少し照れくさそうなディンさんの頼みを聞いて、私はちょっぴり意地悪に。


「ふむふむ。格好良くですか。そうですね、例えば――さらわれた少女を助けるため、少年は脇腹の痛みに奥歯を噛みしめながら必死の形相でツキノオモカゲを木々に塗りたくり――ばふ~っ、これは地味、地味ですねっ」

「うるせえ」


 吹きだした私をディンさんが睨む。


「おいこらパルム、ふざけんな。つうか、後半はほとんどあんたが主役じゃねえか。貸せ、見せてみろ。どっからだ? いつの間に俺が脇役になってんだよ?」


 ディンさんはぐいっとベッドに乗り出してきた。まるで泥沼から這い上がる魔物の様な彼から、原稿用紙を抱きしめた私はじりじりと逃げる。


「ダメです、これは渡せません。それに見たってどうせわかんないじゃないですか。ディンさんばっかり主役はズルいです。これは二人の冒険譚なんですから、私だって主役なんですぅ~」


「んじゃあせめて最後を逆だ、逆にしろ。ほら、あれだ、『ディンは、ガキの頃の予言通りティッパーフィールドより凄い冒険をする男なのだ』とか、そんなんにしろって」


 襲い掛かってきた獣の魔の手から、間一髪、私はひらりと華麗に逃げ出した。


「嫌です、駄目です。ディンさんばっかり目立つのは平等ではありません」


 ベッドから飛び降り狭い部屋の中をくるくると二人は追いかけっこをして。


「はっ、平等ってのはまずは俺がごっそり頂いて、他の奴らで残りを分ける事をいうんだよ。だからとりあえず後ろの方にも俺を出せ。このままじゃほとんど俺が活躍してねえだろうが」


「そんなことないですよ、ディンさんだって『シェーラの鍵』を使ったりして目立ってましたってば――きゃっ、ちょ、ちょっとディンさん、こら、だめ、だめですってば、は、破廉恥ですよ! これは責任! 責任をとって一生養ってください、遠くから!」


 そんな風にどたばたと暴れていると、ふいに隣の壁がドン! と叩かれて。


『うるさいな! ここはそういう宿じゃないんだぞ!』


 神経質な怒鳴り声に動きを止めて目を見合わせた二人は共にバツの悪い顔。


 私は硬めのベッド、ディンさんは床の上の愛用寝袋。すごすごと互いの寝床に戻りながら。私はそれまで聞けなかったことを聞いてみた。


「……あの、ディンさん。でも、本当に良かったんでしょうか。あの鍵を渡してしまって」


 それは、《シェーラの矢》に関する仮説。


 向こう側のランプを消そうと壁に歩み寄ったディンさんは、『さあな』と肩を竦めた。


「考えたんですけど。……もしも『シェーラの矢』というのが、他の魔導機関を停止させる古代兵器だったとしたら……空を飛ぶほどでないとはいえ、魔導機関によって発展したこの世界は――再び落ちてしまうのではないかと」


 口をつぐんだまま、ディンさんはランプの底蓋を閉じた。安宿の古くて薄い壁に、空気を求めて喘ぎ始めた灯の影が揺れる。


「もしも、本当にそんな事が起きてしまったら……。少なからず、私は責任を感じます」


 背中から巻き付けた大きなローブの裾を、ぎゅっと握った。するとディンさんは、意地悪そうな笑みで振り返り。


「はっ、んな顔すんな。他の誰かがやる事が、ピーピー泣いてただけのあんたのせいなわけがねえ。いつもみたいに能天気でいりゃいいさ」


「でも……」


 胸の奥につっかえたままの不安を吐き出した私の前、彼は身体を床へと投げ出して。


「ジオの奴らはさ、『縁があったらまた会おう。その時は初めまして』ってのが好きなんだ。時間が経ちゃあ、人も状況も変わってる。その時はその時、だから『もしもこうなったらどうしよう』だなんてのはしょうがねえんだってさ……寝るぞ。俺は明日早えんだ」


 途中、唇を尖らせた私をちらりと肩越しに振り返って、ディンさんは背中を向けてしまった。その背中に、私は頬を抓りながら。


(ディンさんが言う通り、頬を抓るのは私の癖らしい)。


「むぅ。何とかなる、ですか。いいですね、能天気なお方は。《選ばれし者》の余裕ですか?」

「んん? 何だそりゃ? 俺は誰にも選ばれちゃいねえって」


 緩やかに壁の灯は消え、部屋の中を照らすのは、窓から差し込む青い月明かりだけ。


 私はその場に倒れる様に、ごてん、と横になった。


「そんなことないですよ。あ~あ、いいなぁ、私もディンさんみたいに古代呪文とか唱えたいです」


「だから呪文なんかじゃねえって。昔っからの合言葉なんだと。『戦いの民』の血を引く人間、要するにアレを光らせられる人間から族長が選ばれるって決まりで、ガキ共全員がやらされたんだ。誰でも出来るっつうわけじゃなかったけど、俺しか出来ねえってもんでもなかったしな」


 本当に大した事なさそうに言う彼に、私の胸の中で理不尽な嫉妬がチリチリと。


「むぅ~。私が出来なきゃ意味が無いんです~」


 ふてくされ、枕代わりの荷物の中に顔を埋めた私。我ながら子供だと思う。だから、そんな私をディンさんは笑って。


「いいじゃねえか。ティッパーフィールド師匠だって、変な力は使えなかったろ?」


「そうですけど……、でも師匠は技術師でした。手に職がありました。それに比べて、私はお客様に声を掛ける事も出来ないもじもじ芋虫なんです」


 眠気に任せ思ったままに自分を卑下する私に、ディンさんはあくび混じりに。


「通訳は?」

「ディンさんで手いっぱいですよ~ぅ……」

「そっか」


 笑い声を聞きながら、私の言葉もまどろみ始めて――。


 河が揺らぐ波の音と共にいくばくかの時間が行進をしていって。やがて私の意識が落ちていく間際、彼はとても眠たげな声で。


「……なあ、パルム。一つ訂正だ」

「はぅ~~?」

「……俺は、あんたに選ばれてた」


 ふわりと吹いた暖かな風に、少しだけ頭が冴えた気がして、私は慌てて寝たふりをした。


 開けっ放しの窓の外には、川面に垂れる月の影と風の音。


 水運業かはたまた漁か、人々が眠る時間にともる灯も幾つかあって、お隣の部屋からは時折『う~ん』と唸る声。

 

 

 静かな相棒の寝息を聞きながら、私も頑張らなくちゃ、と考える。

 恥ずかしながら花屋さんはクビになってしまったけれど、人見知りだとか数字に弱いとか言ってる場合ではない。


 何せこのアレリアの賃金は高い。ご飯もおいしい。ピョルクというお菓子は素晴らしい。水に包まれたかのようなひんやりとした層の下から、甘いふわふわの焼いた果物が顔を出す。舌の上で至福が踊るとはあの事だ。この街に居る間に、もっと食べたい。でもちょっと高い。


 ああ、ああ。なんて素敵なんだろう。見た事も無いおいしいお菓子を、名前も知らない人がどこかで作っていたなんて。


 なんて不思議なんだろう。今この瞬間を懸命に生きている人達が、世界中にいるなんて。


 たくさんの人生が、この世界を共に紡いでいく。

 今、自分がその輪の中にいるのがたまらなく嬉しくて。


 生きている事が嬉しい。生きていく事が楽しい。ずっと、こんな日を待っていた。きっと、こんな夜の為に生きて来た。


 溜息を吐き出して、床の上で呑気に寝息を立てている黒髪を見つめる。


 ふっふっふ……見ていなさいディンさん。


 実はこの私、明日から例のレストランで働くことが決まっているのです。

 ディンさんの驚く顔がとっても楽しみだ。

 私も頑張っちゃいますから。

 だから今日はここまで。

 

 おやすみなさい。

 今、世界のどこかで生活をしている人達に小さな祈りを。

 今夜、少しでも良い夢が見られますように。

 そしてあなたには、明日も暖かい風が吹きますように。

                          

                    ――ある少女の日記より――


                           おしまい。

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