第28話 そして旅立ちの鐘は鳴り響き
「…………え?」
目を丸くした少女に、カウンターの中の彼女は手にしたグラスの氷を鳴らしながら。
「今日をもって、あの子は持っていた資格を失ったのさ。事故とは言え、どっかの国の王女様を仕事中に死なせてしまったってんだからね。もともと姫様の温情で続けられてた商売さ、二度目の罪が許されるほどは甘くない」
荷物を抱えた手に、力が入る。膝が、小さく震え出した。
「……嘘……」
「嘘じゃあないさ。嘘じゃないんだよ、お嬢さん。元々がこの国の人間じゃないあの子だからね。国外退去ってご寛大な処分が出たのさ」
「……うそ……だって、そんなの……誰も……」
気怠くカウンターに突っ伏した店主は、グラスに映る少女の顔を眺めながら。
「誰もあんたに言わなかっただけで、嘘じゃあない」
「だって、それじゃあ、約束……」
「そんな顔しなさんな。別に死んだってわけじゃない。縁さえありゃあ、いつかどこかでまた会えるよ」
「そんなの! そんなの、嫌です! 何で? どうして何も言ってくれなかったんですか? 私、ちゃんと手紙、書いたのに……」
ジェシカはふっと微笑むと、壁の花に挟まれた便箋に目をやって。
「残念だけど、あいつにゃ手紙なんて読めやしないよ。あの王女様みたいに、よっぽど特別な便箋に入れてやらなきゃあ、誰からの手紙かもわかりゃしないさ」
どんよりとしょげたパルムの顔が、ジェシカのグラスでくにゃりと歪む。
「字がね、読めないんだよ、あの子はさ。西方の学者さんが言うには、理解できないって言った方が正しいらしいんだけど。覚えられないもんだから、書くのも読むのもてんで駄目なのさ。ふふ、気が付かなかったかい?」
字が読めない。その言葉に少女は目を丸くした。気が付くも何も、そんな事思いもしなかったから。だって彼は国一番の渡しで、有数の医者で、そして何より――。
「だって、ティッパーフィールドを……」
「ガキの頃に読んでもらったのを、全部覚えちまったみたいだね。頭はいいのさ、あの子は。だけどまあ、異国ってのはさぞかし苦労するんだろうねえ。なにせ言葉も分からないってのに、勉強のしようもないんだからさ」
窓の光にグラスを掲げたジェシカは、ぼそぼそと独り言を呟くように。
「その何とかフィールドっつうおっさんみたいにあちこちを巡るだなんて言ってたけど、商売人としては、致命的なんじゃあないのかね」
それを聞いて、パルムは拳を握りしめた。
「それは……私の夢なのに……待ってるって、言ったのに……」
悔しかった。約束をしたはずなのに、どうして自分を置いていくのかと。せっかく会えたのに、また一人ぼっちにさせるつもりかと。黙って約束を反故にする様な人間が震える程に嫌いなのに、ならばどうしたら良いのかはわからずに。そんな自分がとても腹立たしく、たまらなく寂しくて――。
「――ひゃっ」
頬に当たった冷たい感触に、パルムは驚いて顔を上げた。
「ふふふ。そんな顔しなさんなって。言っただろ? 縁があれば大丈夫だって。お姉さんにはわかるんだ」
カウンターに手を付いて、グラスを片手に小首を傾げた店主が笑う。
「こうして何年も酒を挟んで客を見てるとね、分かるようになるもんなんだ。このおっさんは随分と周りに嫌われてるな、とか。こっちの若いのはあっちの娘が好きなんだとか。でも上手くはいかない二人だな、とか。人と人の繋がりって言うのかね? 誰かと誰かの間にある透明なもんが、不思議と見えて来るんだよ。それがこの狭い店の中で他の誰かと交わって、少しだけ変わっていく。それを楽しみに眺めながら、若い奴もご老人も男も女も、偉いお方も卑しい下衆も、随分とたくさんの人達を見て来たよ」
そして彼女は、何とも言えない色っぽい仕草で一口くいっとグラスを煽り。
「だから、あんたを見た時も一発でわかったよ」
指先で濡れた唇を拭いながら、まるで溜息を吐くように微笑んで。
「『ああ、この子なんだ』ってさ」
途端、ふわりと。まるで神様が息を吹き込んだように活気が戻った店の中を、ジェシカはしなやかに歩み寄り。
「不思議だね。初めて見たはずなのに、すぐにわかっちゃったんだ。きっとこれが『運命』って奴なんだって」
「あ、いや、多分、違うと思いますけれど……」
運命だなんて、と恥ずかしくなったパルムは両手でミルクを包んで首を縮めた。
その金色の頭に。
「あはは。そういえば、あんたに預かってるもんがあるんだった」
わざとらしくそう言って、ジェシカは一つの花環を乗せた。
「!」
何も言われずとも、誰からの物かはすぐにわかる。慌てて頭に手をやって、その言葉を手にした少女は。
「あの……これは、何て?」
彼女の真っ直ぐな青い目を見つめて、ジェシカは笑う。
「意味かい? そうだねぇ……『また会いたい』って、ところかな?」
その瞬間。強い風が、爪先から吹き上げる様に少女の身体を駆け抜けて、
「~~~バカっ!!」
一声大きく叫ぶと同時、パルムは急いで駆け出した。その背に、ジェシカの笑い声。
「西だよ、店でて左に真っ直ぐ行きな! 絶対に逃がすんじゃないよっ!」
「はいっ! ありがとうございます!」
馬鹿丁寧に頭を下げて、少女は店を飛び出した。
当たり前だけれども、彼の姿はそこに無く。晴天続きの王都の石畳には、足跡も無い。
「西、左!」
それでも少女は、胸に抱えたバッグを揺らしながら懸命に通りを駆け抜ける。速く、早く。その一心で攣りそうになるふくらはぎに無理なお願い。町外れのジェシカの店から、朝の賑わいが残る市場の中へ。路肩に並んだ店にたかる人の間を、華麗とは呼べないステップで抜けていく。
息が上がる。胸が苦しくなる。こんなことなら、もう少し運動をするべきだった。『お菓子おいしい』とか思っていた夕べの自分を少し呪う。
「――あの、通して、通して、ください」
楽団の陽気な演奏に集まった人だかりの中、喘ぐように声を上げ、背の高い彼等を掻き分けて短い金髪の少女が行く。足がもつれ、肩を押され、転んで、すぐに起き上がる。攣りそうになるこの足でどこまでいけるのかも分からずに。ただひたすらに前を見つめ、少し前を走る自分を信じて。
身体が疲れた。心が弱った。でも、神様には求めない。辛い時こそ、空を見上げるのではなく、目の前の道を睨みつけて。
『――だから、旅立つなら雨の日だ。』
頭に響いた言葉に頷きながら、少女は力を振り絞る。
「っ!」
何度目だろう。ブカブカと楽しげな音楽の邪魔をする少女の身体が踊る人にぶつかって、弾き飛ばされた勢いで散らばった荷物を急いで拾い集めていると。
「おうてめえら道を開けてやれ! 葬送王女のお通りだ!」
大きな声に驚いて振り向けば、人ごみの向こうでいつかのお喋り陶器屋さんが親指を立てていて。
「うおっと、何だよ遅いぜお嬢ちゃん! 早く立て!」
と人ごみの中から誰かの声がかかり。少女の周りから荷物があっという間に拾い上げられ、差し出され。
「西だよ! 西の門から出て行った!」
「がはは! そういう事か! ほら、橋だ、橋に行け! 今日なら絶対追いつける!」
見ず知らずの人達から受けた優しさに驚く少女の戸惑いを裂くように、ジオの空にパイプの音が鳴り響いた。
「あ、ありがとうございます!」
左右に出来た人垣から囃し立てる声の一つ一つに礼を返しながら、少女は走った。つんのめりそうになるのを必死でこらえ、何度も荷物を抱え直してただひたすらに王都を走り、門を抜け、木立の中を迷うことなく一直線にパルムシェリーは走って行った。
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