第25話 時代の終り

「だははっ!」


 響いたのは、大きな笑い声。


「ああ、そうだったそうだった。そういやそうだったんだ。なあ、おっさん」


 そう言って、楽しげなディンが声をかけたのは血まみれの服を着た死にかけの男。


「?」


 何かしらの空気を察した二人の戦士の剣が止まる。


「何だ、少年?」


 竜の援護を失った殺し屋が、身体から血の湯気をあげながら黒髪の少年を振り返る。


「だからさ、おっさん。あんたはもう、その化物と闘う必要はないってことさ。この金髪チビがびびっちまってぶっちゃけやがった」


「うむ、そうか。それは本当に助かった」


「……良く分からないが、そうなのか?」


 血化粧を纏った二人の剣士は、互いの顔を見合って身体の力を抜く。


「ああ。そういうことだ、眼鏡さん。実はよ、あんたの国の王女様は俺とおっさんがやり合ってる内に、つるっとこけて死んじまった」


 ディンはニヤニヤと笑いながら。


「――んで、お互いこりゃあまずいってんで死体はそこの竜に食わせた」

「ほう。成程、それで?」


 薄く笑ったリオルと向き合い、少年は歪んだ笑みで秘密の計画を打ち明ける。


「そこの金髪は人買いから逃げてきた谷の娘で、馬鹿で仕事もできない貧乏人の癖に、ご覧の通り何の因果かあんたの国のお姫様にそっくりなんだよな。だからよ、俺とおっさんは、この女を騙して姫様に仕立て上げたってわけさ」


 ただただ口を開けるばかりの少女の前で、ディンはゆらゆらとリオルの元へ。


「おっさんと俺と、お互い金をもらったらとんずらかますつもりだったんだけどさ。まさかこんな大事になるたあな。まあ、ビビっちまうのは仕方ねえ。命より大事な仕事なんてないもんな。なあ、おっさん?」


「うむ、その通りである」

「悪いな、猿芝居に付き合わせちまって」

「いや、構わない。命と金の前では誰もが踊るものだ」


 白い歯を見せた殺し屋に、苦笑したリオルは押し上げた眼鏡の奥の目を光らせる。


「成程、成程。そうなりますか。では、すでに私の国の王女は死んでいると?」


「ああ、そうだ。そういうわけなんだ。だからさ、悪いな、フリオとレイシア。大事な日にこんな事になっちまって」


 肩をすくめたディンに、レイシアは頭を抱える。


「ディン……あなた、自分が何を言ってるのか分かってるの?」

「ああ。別にマーリーでボケてるってわけじゃねえさ。悲しい事故と、どうしようもねえ金の亡者のお話だよ」


「………それで、いいのね?」


 笑って頷くディンを見て息を吐いたレイシアは、ピスタティアの使者へと向き直った。


「ということらしいわ。我がジオとしても最大限の弔意を示させて頂きます」


「成程。では、殿下――いえ、ジオという国が我が王女エチェカリーナ様の死を認めて下さると言う事ですね? 行方不明や、ましてやどこかの不届き者の暗殺などではなく、不慮の事故として」


「ええ、ここにいる男が言うならそうなのでしょう。何しろ彼は国一番の渡しであり、有数の医者でもありますから」


 静かに告げたジオの王女とその傍らに歩み寄った騎士に、リオルは柔らかい笑みを浮かべて。


「そうですか。……その様な茶番に、私に乗れと?」


 一瞬にして冷たくなった彼の目が、じろりとディンを睨む。それでもディンは、胡散臭い笑顔を絶やすことはなく。


「ああ、もちろんタダでとは言わねえさ。俺が欲しいのはこの金髪のチビ女。あんたが欲しいのは、王女様の死と、それから――これだろ?」


 言ってディンが胸元から取り出したのは、青い光。見覚えのある、鈍く輝く青い板。


「はっ、どうしたよ? せっかく愛しの彼女を連れて来てやったってのに、見てるだけで満足か?」


 彼が摘まんで夜空にかざした旧友の墓標に、その中央で鈍い光の余韻を残す不思議な紋様に、リオルは大きく目を見開いて。


「……クク、本当に、全く、あなたと言う人間には虫唾が走る……」


「はは。同感だよ、クソ眼鏡。んじゃあ嫌われ者同志、仲良く取引しようじゃねえか。王女様の死と、谷の連中が守り続けてきたこの『矢』と、てめえ等が欲しい物は全部くれてやる。だから――この女には、指一本触れんじゃねえっ!」


 ドン、と。ディンがリオルの胸に青い板を叩きつける。ピスタティアの使者はそれを両手で鷲掴みにして哄笑した。


「あははっ! そうですか。これは誠に有り難い。ああいえ、勿論私としても敬愛する王女の死は嘆かわしい物ですが」


 ちらりと少女を見やったリオルは、くくく、と喉の奥で笑った。


「これも何かの縁です。御嬢さん、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


 一体何が起こったのか、ぼんやりと話す人間の口元を眺めていた少女は問いかけられて我に返る。


「えっ、あ、あの……ええと……」


 頭の中に浮かんだ名前を、少女はとっさに口にした。


「――パルム……私は、パルムシェリーと、申します」


「ほう。パルムシェリーさんですか。美しいお名前ですね。ふふふ……できれば、貴女とは二度と会わないことを祈りますよ」


 ニコリと笑った眼鏡の男は、優雅な仕草で一礼をするとゆっくりと入口の地竜の元へと歩いていく。途中じろりと一瞬殺し屋を睨んだ彼は、最後にもう一度深々とお辞儀をして。


「では、殿下。今日と言う良き日にわが王女がご迷惑をおかけしてしまい、誠に遺憾ではございますが、私は上への報告がありますのでこれにて失礼させて頂きます」


 ふわりと地竜に飛び乗ると、柔和な笑顔を浮かべて光の海に背を向けた。


 少女は、その背を信じられない思いで見つめていた。


 一歩、また一歩と竜は進み、やがてその背が崖に大きく空いた穴の中へ消えると、少女の身体がぶるぶると震えだした。


「ディン」


 呼びかけた騎士の言葉を無視するように、渡しの少年は殺し屋へと声をかける。


「悪かったな、おっさん。これであいつらからの依頼は無くなっちまうかもな?」

「いや、全ては命あってのことだ。それに、私の仕事は人がいる限りどこにでもあるのだ」


 ふん、とつまらなそうに彼は笑い、己の身体を切り刻んだ騎士と目を合わせる。


「ではな。私は、できれば二度と君に会いたくない」


 騎士もまたそれに答えて。


「俺も同じだ。人を切るのはいつだっていい気分ではない」


 互いに肩をすくめた戦士は唯一の会話をそれで切り上げた。そうしてかなり疲れた様子の白竜の背に乗った男の影は、月の様に輝く竜と共に夜空へと溶け込んでいった。


 じっとそれを見上げていたディンに、レイシア姫のかすかな声がかかる。


「……ディン」

「ん? ああ、まだいたのか? 王都の連中が待ってるぞ」


 ちらりと若い夫婦を見やった少年は、疲れた顔で顎髭を撫ると大きく伸びをしながら少女の元へと歩み寄る。


 その背に、一歩歩み寄ったレイシアは。


「……ねえ、ディン。あなた、どこから聞いてたの?」


 くしゃくしゃと頭を掻いた少年は、背を負むけたまま。


「まあ、どっかの馬鹿がぎゃあぎゃあ言い合ってる声はうっすら聞こえたかもな」


「そう。ねえ、ディン。確かに私は、あなたと仲良くするようにお爺様に言われた事があったわ。あなたの家に良く行ってた時も、そうする様に言われてもいた。あなたの様子や、家に何があったかを、聞かれるままに喋ったりしてた。でもね、信じてもらえないかもしれないけれど、それが、あの頃の私には、すごくすごく……幸せな時間だった」


 立ち止まり、苦笑を浮かべた谷の子は呆れたように背中を竦める。


「今更何言ったって、お前の心の中くらい、俺には最初っから分かってたよ」

「……ディン……」


 切なげに眉を寄せた幼馴染に、ディンはカラカラと笑いながら空を見上げて。


「なあ、フリオ。俺の言った通りになっただろ?」

「……?」


 変な顔になった王女の肩に優しく手を置いて、フリオも笑った。思っていたより、ずっと豪快な笑い方。


「ダハハ。そうだな、またインチキ予言者でもやって一稼ぎするか、ディン?」


 ディンは耳の脇でひらひらと後ろ手を振りながら。


「遠慮しとく。悪い方にしか当たんねえんじゃ割に合わねえさ」

「うむ、そうか。という事は、もう一つの予言の方も当たりにしてくれるんだろうな?」


 顔の半分だけを振り向いて、ディンはニヤリと笑って見せた。


 そんな二人をきょろきょろと見比べた王女は、まるで無邪気な子供の様な脹れっ面で。


「ちょ、ちょっと何よ? 何の話? おいこらっ、あたしも混ぜなさいってば!」

「何でもねえよ、何でもねえからさっさと行け」


 悪友はらしく悪態をつき。


「はは。それじゃあな、ディン。また会おう」


 宿屋の息子は大きな声で笑いながら。


「いつかどこかでな。おめでとさん」


 それはもしかしたら、あの頃の様に。いつまでも続く様な気がしていた《あの頃》に、過ぎた年月の分だけ荷物を背負い準備を整えた幼馴染達は今、それぞれの言葉で旅立ちを告げて。


「うん。ありがとう」


 ジオに咲く花の光の如く柔らかに笑ったレイシアを抱きかかえ、彼女の剣は猛スピードで駆けて行った。


 どこまでも真っ直ぐに走って行けそうなその男の背に、ディンは小さく肩をすくめて。


「お幸せに、ってか」


 ようやく姿を見せた崖の上の月に向かって、笑いながら呟いた。


 すると、地面の方から嗚咽混じりの少女の声が。


「……ぐすっ、い、いいんですか、ディンさん……?」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったその顔に、ディンは口元をにやけさせ。


「何がだよ、馬鹿」


「……だって、あんなに大事な物……なのに……ひぐっ……それに、馬鹿じゃないですし……」


「あのな。俺にとっちゃあ、お宝ってのは手に入れるまでが最高なんだ。後は王女だろうが眼鏡だろうが欲しいってんならそれでいいさ。部屋に飾るも世界征服も、どうぞお好きにして下さいってな」


 少し懐かしそうに笑ったディンは、ポンと、少女の金髪に手を置いて。


「……それにさ、あんな物のために人が死ぬ時代ってのは、もうとっくに終わってんだ」

「うぇっ、あぐぅ……で、でもぉ……」


 とめどなく溢れる涙で言葉すら滲んだ少女が聞いた声は。


「おら、泣くのは早えぞ。光の海ってのは、崖の上から見るのが一番なんだぜ? 今夜は特別、あんただけタダでとっておきの場所に渡してやるからさ。自分で立てるだろ? パルムシェリー」


 何だかとても優しくて。


「ま、今夜は新月になっちまったけどな」

「ばかぁ……」


 やっぱり意地悪な響きだった。

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