第24話 例えば、空を落とすような

「……なあ、知ってるかよ、クソ眼鏡」


 鋭く、強く。音の無い光の世界を切り裂いた声に、顔を上げた。


 目に入ったのは、真っ白な光。地面を覆った光の花が、夜空を消し去ろうとするかのように白く燃え。


 気付けば、辺りに響いていたキィィィイイイインという耳触りな高音がどんどんと音量を上げて行き――炸裂する音の波に思わず肩を竦めて辺りの光に目を凝らすと、真っ直ぐに天へと伸びた一本の光柱の中に浮かんだ闇色の髪の少年が、両手で顎の下の輪を掴んで実に悪どい笑みを浮かべているのが見えた。

 

「これ……は!?」


 思わず耳を塞いだリオルの声も呑みこむ程の高音が、崖の内側に幾重にも反響して。


「谷の底から見てるとさ、この森は空に生えてるみたいに見えるんだ。どうやったって届かねえ場所に思えんだ。なのに、ようやく何とかやってくりゃ、もっと上があるんだって言う馬鹿がいる。自分はそこにも行くんですとか、馬鹿げた事を言う馬鹿がいる。んなもん無理だって、そう思う。だけどさ――」


 言葉を切った少年の薄い笑みが、刃物の様に鋭くなった。


「あいつの馬鹿げた『お話』の方が、てめえらの言う古代兵器なんかより、ずっとずっとわくわくすんだよ!! 馬鹿野郎っ!!!」


 まるで世界が軋むような暴音と、己が命を燃やし尽す程の花の光が大きく膨れて――。


我々はここに至るべきエピ・セナァト・では無かったウル・ウル・ダンク全てを無へ・リピ・テ・ムレ!!」


 少女でさえ咄嗟に理解出来なかった程に特別な言語が、谷の子の身体を突き破り。


「――――空が落ちるぜ。気を付けな」


 飾った台詞を薄笑いで呟くと同時。


 ふっと、全てが事切れたかのような闇が訪れた。


 その闇の中たった一つの光であった少年の首元の不思議な輪は砕け散り、ツキノオモカゲが形作った闇の海にはらはらと溶けて呑まれていく。


「くっ!?」


 輝きを取り戻した星の下、崩れ落ちた眼鏡の従者が伸ばした腕は何の意味も無く。まるで滑稽な道化師の様。


「……馬鹿な……貴様、一体何を!?」


 どさりと地面に膝をついた渡しの正面、苦渋に顔を歪めたリオルが言葉を絞る。


 少女が慌てて見やったジオの姫も、何が起きているのかわからぬ様子で辺りを見回していて。


 ただ一人不敵に笑ったディンは、顔中から汗を噴き出させ、痛めた脇腹の辺りを押さえながら。


「はっ、これぞ秘術ってやつだ。谷で生き延びてきた『戦いの民』が、魔導兵器とのやり方を用意してねえとでも思ってたか?」


 震える指でゆっくりと眼鏡を押し上げたリオルは、複雑な感情に顔を歪めて吐き捨てる様に。


「……ふざけたことを。私の魔導力が消えるなどと、そんな馬鹿な事が――」


 ディンは笑う。相手の感情を踏みにじる様な、意地悪な笑み。


「はっ、見た事も無え古代兵器は信じられるのに、自分の見た物は信じられねえってか? そいつはつまらねえ人生だ。魔法なんざが使えるよりも、毎晩日記でもつけられるようになった方がよっぽど楽しい人生だと俺は思うけどな?」


「……そうですか。クク……久しぶりですよ。私は、久しぶりに特定の人間に嫌悪感を抱いています」


 俯き眼鏡を押さえる使者の前、ディンは両手を広げておどけながら。


「ははっ、いいぜ、眼鏡。ちょっとは人間らしくなったじゃねえか」


 挑発を受けたリオルはつまらなそうに舌打ちをして、冷たい目を取り戻す。


「そちらこそ。谷底の虫の分際で、魔導装具プルシカを封じれば勝負になるとでも?」


 言いながらただの装飾品と化した腕輪の手で眼鏡を押し上げたリオルが、湯気の様にゆらりと立ち上がった。


 するとディンは渋い顔で頭を掻いて。


「はっ、眼鏡の癖に頭悪いんだな。あんたが気にしなきゃならねえのは、とっくに俺なんかじゃねえっつうの」


 言ってディンが示した闇の先で、騎士の蹴りが殺し屋の胸を吹き飛ばす。短い男のうめき声に続いて、空しい竜の鳴き声が切なく夜に響いた。次の瞬間、上下に剣と剣がぶつかり合う火花に照らされ、燃える様な騎士の瞳がリオルを捉えた。


 その眼光に射抜かれびくりと身体を反応させた魔術師は、時間の問題となった騎士と殺し屋の姿に小さな溜息を吐くと。


「……成程、ご忠告をどうも有難う。状況は理解しました」


 眼鏡と同時に顎を上げ、口元を歪ませる。


「では、こうしましょう。私はエチェカリーナ様を連れて国へ帰る。我が王女をさらった不届きものについては、後日改めて処罰を求めるという事で」


 両手を広げておどける彼に、王女が眉をひそめた。


「何ですって?」


「いえいえ、そう怖い顔をなさらないで下さい。誘拐された王女が正式な使者と共に無事に国へ。何もおかしなことは申し上げていないつもりですが?」


「……ふざけたことを」


 唇を噛んだ王女に、ピスタティアの使者は柔和な笑顔を浮かべながら。


「例えば、の話ですよ。殿下。例えば私はあなた様と穏やかにお話をさせて頂こうとしただけで、あそこで騎士様の剣の練習台となっているあの男など言葉を交わしたことも無ければ、怪しげな術など使うこともできないただの敬虔なピスト教徒であります、と。そう申し上げさせて頂くことも可能かと」


 彼の言葉に、王女の美しい顔がぎりぎりと歪む。


 このまま国へ帰してしまえば、誰にも知られず金髪の少女はその存在を消されるだろう。だが、相手はジオの法律で裁くことの出来ない正式な八王家の使者なのだ。どんなに証拠を積み上げたところで、田舎の王国の言い分が八王家子飼いの国際法廷で相手にされるはずが無い。


 そもそも、例えリオルを捕まえた所でピスタティアの王女を引き留め続けることは難しい。かの大国に返せと抗議されれば、返さないわけにはいかないのだ。


 リオルは冷たく微笑んだ。


「改めて礼を言いましょう、あなたが王女を攫ってくれたおかげで、スムーズにレイシア殿下とお話ができました。さすがはディンさん、噂に違わず、予想以上に素晴らしい仕事ぶりでしたよ」


 麻痺草マーリーが回りすぎた頭を振った少年は、必死で打開策を探るレイシア姫を振り返り。


「……無理なのか、レイシア?」

「ちょっと待って、今考えてるわよ!」


 苛立つ幼馴染に肩をすくめ、ディンはちらりと少女を伺った。


「あんたは、それでいいのか?」


 夜闇の中、少女の瞳が小さく揺れて。

 それを見たディンは、彼には似合わない真剣な表情で頷いた。


「では、ここで私を殺しますか? 正式なピスタティアの使者を、この森で?」


 トンと心臓を叩いてみせたリオルの言葉に、レイシアはぐっと唇を噛みしめる。

 感情に任せて彼一人を殺したとして、それが何の意味も持たないことくらいわかっているから。


「……ククク、では。いずれまた」


 芝居がかった仕草で礼をした眼鏡の使者は悠然と、座ったままの少女に歩み寄る。ついさっきまで輝いていた花を、一歩一歩踏みつけて。


 少女は小さく首を振る。嫌だった。とても、嫌だった。


 生きていたかった。もっと生きてみたかった。当たり前の様に他の人が暮らしている毎日を。友達とのお喋りを。格好良い決め台詞を。お仕事をして給料を。つらくても楽しい生活を。心躍る様な冒険を。いつかはきっと恋だって。


 それなのに、まだ何もしていないのに。もう少しで、届きそうなのに。


 道なき道を歩むその楽しさを知ってしまったら。誰かが選んだメニューになんて戻りたくはない。何者でもない人間として、死にたくはない。


 それでも、思わず喉に込み上げた『助けて』という言葉は必死の思いで飲み込んだ。


 じりりと動いた獣の目をした少年を、声にならない声で呼び止める。

 あの少年に、縋ってはいけない。あの優しい渡しが、他人に縋るだけの自分のために傷つくのは、己の死よりも嫌だった。


 しゃがみ込んだままどうしたら良いのかわからない自分が嫌で嫌で仕方がなくて。じりじりと下がったお尻に、ちくりとした痛み。振り向くまでもなく、少女はその痛みを理解した。


 それは、かつて一人の少年が森を冒険する少女のために心を込めて削ったナイフ。王女様には要らなくなった、自決のナイフ。ディンという少年の優しさが込められた、王女を殺すためのそのナイフ。


 ――もう、あそこに戻りたくないのなら――


 ピスタティアの王女は、夢中でそれを手にした。慌てて刀身を掴んでしまった右手の痛みも気にせずに、素早く首の裏へと刃を向ける。


 ――ここには、いたくないと思うのならば――


 そして、真っ直ぐにナイフを引いた。


 ――行くしかない――


「……っ!」


 少女は叫ぶ。神に祈るのではなく、誰かに救いを求めるのでもなく。どうしようもない闇の中でかすかな希望をねだって泣き叫ぶ子供の様に。ただひたすらに『とにかく外へ』。それだけを思って、あらんかぎりの大きな声で、嘘を吐いた。


「ひ、人違いです! 人違いですからっ!!!」


 切り取った金髪を掴んだ腕をぐるんぐるんと振り回し、ぜえぜえと肩で息をながら、時が止まったかのような周りの様子をちらりと伺う。


 従者は眉間に皺を寄せ、王女様はぽかんと口を開けたまま、その向こうでは闇に刃を煌めかせた剣士達が何合も剣をぶつけ合っていて、黒髪の渡しはニヤリと笑って頷いた。

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