第20話 二人の娘、二人の王女

「……そう。そうなんだ。……つまんないの」

「そんな言い方……」


 一体何なんだろう、この人は。


 隣の王女の真意がつかめずに、少女はちらりと向こうの殺し屋の様子を伺う。相変わらず彼は竜の世話をしながら、その魔獣に話しかけては笑っていた。


「大丈夫よ。今すぐに殺すつもりはないみたいだから」

「……あ、はい」


 こちらの考えを読み通しているかのように、王女の話題が常に先手。そのくせそちらは何を考えているのか分からないのだから、ひどくやりづらい。


「あのリオルとかいうクソ眼鏡でも待ってるんじゃない? きっと何か用があるのよ、私達に」

「はあ……そうですか」


 その用が済んだら、終わりなのだろうか。そう考えて、少女はぎゅっと膝を抱いた。


「だからね、はい、これ」


 ひょいと王女が差し出したのは、骨を削った様な白いナイフ。その刀身を納める鞘には、豊穣を表す稲と穏やかな海を花の輪で囲うジオの王家の紋が美しく染められていた。


「いざとなったら、自決用に」


「……え?」


「昔ね、馬鹿な渡しがくれたのよ。森の中は何があるかわからないから、野盗なんかに手籠めにされそうになったら使えって。それ以来、私のお守り」


「……えっと……でも」


「あ、気にしないで。私は他のを持ってるから」

「いえ、でも、これは……あなたの――」


 馬鹿な渡しが、あなたのために作ったものです。


「いいのよ、もう。私には、必要ないもの」

「っ、そんな言い方!!」


 それまでもごもごと口ごもっていた少女の剣幕に、レイシア姫は驚いたように向き直る。


「失礼ながら、私、とある物語を読ませて頂いてレイシア様の乙女心にキュンキュンさせて頂きました。それが何ですか、頭が良いくせに、人の頭を見透かしたみたいに喋るくせに、肝心な所には鈍感なんですね! 正直がっかりです!」


「ちょ、ちょっと、どうしたの?」


「どうしたもこうしたもありません! 馬鹿が馬鹿なりに心を込めて作ったものを『私のお守りぃ』なんて言っておいて、必要なくなったらポイですか!? きっとそんな感じでディンさんにも命じたんでしょうね、ひょっとして最初っからそのつもりで仲良くされてたんじゃないですか? 最初っから、南の邪魔者を潰すために、案内役のディンさんと」


 それが、レイシアの逆鱗に触れた。


「ふざけないで! そんな訳ないでしょ! なに、あなた馬鹿なの? あんな本なんかで、私の気持ちを解った気にでもなってるわけ? 馬っっっ鹿じゃないの! そっちこそ自国の政治にも関わらずにお祈りばっかしてるからそんな発想になるんじゃない? あなた自分で何かを決めたことある? そのために大切な物を切り捨てたことある?」


「あるわけないじゃないですか! 『大切な物は絶対に手を離してはいけない』って、ティッパーフィールドだって言ってますもん。私は、そう決めたんですもん。そりゃあ私の大切な物なんてあなたよりは随分少ないんでしょうけど、こっちがあるからこっちは要らないなんて切り捨てたりなんか絶対にしませんので!」


「へえ、それじゃああなたにとってはピスタティアの国民も、他の国の人々も大切じゃないってわけなんだ? 『世界が平和になりますように』とか言いながらあんたの国がどんだけ強力な軍隊抱えてるか知ってるの? 一つの宗教せいぎがそれをまとめ上げてる危険性を理解してる? あげくに八王家とかなんとか言っちゃって、金持ち同士で世界連合なんて団体組んで、自分達の正義に従えない他国をどんだけ除け者にしてるかわかってんの? あなたには、それを何とかできる力があるんじゃないの? そう言うの全部、見ない振りして、お祈りでもしてればどっかの誰かが何とかしてくれるとでも思ってるの?」


「違います! 私は、私の夢を、私の人生をこの手できちんと掴むために――」


 掴むために――貴族の嘆願を無視して、八王家の娘と言う生まれを放棄して――


 言葉に詰まった少女に、はあ、と王女は溜息を吐く。


「別に、それが悪いって言ってるわけじゃないわ。ただ……なんかムカつくのよ。八王家のやり方も、それに従わざるを得ない自分も」


「……ええと……その……ごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げた少女に、レイシア姫はもう一度溜息。


「ううん、こっちこそ、まだ正式な王女ですらないあなたに言う事じゃないわよね。ただの八つ当たりだったわ」


 そうしてレイシア姫は、いがみ合う二人の様子を訝しげに眺めていた殺し屋に。


「なんでもないわ、オホホのホ」


 と軽く手を振ってから。


「ごめんね、エチェカリーナ。何だかんだ言って、正直私びびってるのよ。今『立て』って言われても難癖つけて立ち上がらない位に足ががっくがくなんだから」


「そうなんですか?」


 言われて少女は、白く長いスカートに包まれた彼女の足をちらりと見やる。

 途端にぱっとその足を押さえた王女が笑う。


「おおっと、お嬢ちゃん、スカート越しでも見物料は高くつくぜ?」


「……つくづく商魂たくましいお国柄ですね」


「あはは、まあね。今のところは観光と一次産業が主力ですから。実の所今宵の式も、他国にウチの生産物と美しさをアピールする良い機会なわけでして」


「……いろいろ、考えてるんですね」


「そりゃそうよ。なんてったって――オホン、『私、こう見えてしっかり王太子なわけでございますわよ?』」


「ピスト語ですと、馬鹿丸出しですね」


「あれ? そうだった? おかしいわね、結構勉強したんだけど……って、別に私は馬鹿じゃないし。ちょっと若いころにお勉強をサボってただけよ」


「若いころって……今でも十分お若いですよ」


「あら、そう? 嬉しいわね。でもそう言われて喜んじゃうのが年取ったってことなのかしら?」


 両手を頬にあてて微笑んだり顔をしかめたり、忙しい人だと少女は笑う。


「ふふ、実際、おいくつなんですか?」

「え? 私? 十九よ十九」

「……え?」


 冗談なのか、本当なのか、微妙な年齢に少女は戸惑う。


「………あら? なあに、その顔は? もしかして老け顔だとか言うのかしら? 言ったらぶつけど」

「あっ、いえいえ、まさか、そんな。ただちょっと、いろいろ苦労されてるんだな、と――んぎゅ」

「あらあらあら、随分世渡りの下手なお口だこと」

「は、ふぁなひてふだはい」


 頬を両手で挟み込まれ、随分と強引なマッサージを受けながら、少女は必死に懇願する。


「ふん、まあいいわ。多少年上に見えた方が色々と便利ですからね。連合のじじばばにあんまり舐められても困るわけだし」


 まるで自分に言い聞かせるように、ぐにぐにと少女の頬をいじりながらレイシア姫はジトリとした目で少女に告げる。


「な、成程。分かうぃます、私は若く見られてしゃんじゃん馬鹿にされまひたから」

「何それ? 自慢? ねえ、自慢なの?」

「め、滅相もにゃい! 子ども扱いふぁれて困ると言う話でう」

「ふーーん……そう。じゃあ『私は色気の無い子供です』って言ってごらんなさい」

「な、なえほんなことを……」

「い・い・か・ら」


 目が、怖かった。


「わ、わたひは……いろへのない……こどもでふ……うう……」

「『レイシア様の大人の魅力にはとても太刀打ちできません』。ハイ」

「ほ、ほんな……」

「ハイ」


 目が、怖い……けど、負けたくない。


「わ、わたひもそこそこイケると……」


「え? 何かしら? 誰が苦労顔ですって? うりうり、何を生意気にお肌をつやつやぷるぷるさせてんのよ、この痩せっぽちめ。肉を食べなさい、肉を」


「あばばば……た、たべまふ、たべまふ」

「ふん、解ればよろしい」


 やっと、解放された。


「ううう………」


 確かに痩せている頬をさすりつつ、いろいろと肉付きの違う姫様の身体を横目で観察。


「あら? 私の身体がそんなに魅力的? 残念だけど今夜辺り愛するダーリンに捧げる予定よ」

「ちょ、わ、ち、ちち、違います!」


 オトナだ。圧倒的なオトナの女だ。少女はその時、恋物語の先の大人の世界を垣間見た。


「は、破廉恥な……」

「あらあら? 赤くなっちゃって、かんわいい。ふふふ、さすがに十四、五のお嬢ちゃんには刺激が強かったかしらね?」

「そ、そんなの、だ、大丈夫です! もうすぐ十七ですから!」


「………へ?」


「な、何ですかその顔、失礼な! どこからどう見ても立派な淑女予備軍ですから! それで今宵の式にも呼んでいただいたんですよ!?」


「あー……そうよね、さすがに十四五じゃ、まだ学校に行ってる歳だものね」


(……十歳から行ってませんけど)


 思わず目を逸らした少女の前に、再び粘り気の強い王女の視線が割り込んでくる。


「じゃあなに? あなた二つしか違わないのに私の事を老け顔だとか抜かしてたわけ?」

「いえいえ。まさかそんなつもりはありませんわ。ただ少しばかりジオの言葉に不慣れなものでして」

「あら、ちょっとは言うじゃない、おこちゃまの癖に」

「お子様じゃありません」


 むすっと膨れる少女の前で、ニヤリと笑った王女様が楽しげに髪を掻き上げる。


「ふふ。だって私、十七の時にはフリオと良い感じだったもの」

「なっ、べ、別にそんなの、人それぞれじゃないですか……」


「そうねえ、あなたにはもうちょおおっとお勉強が必要かもね。なんなら私が昔読んでた絵本を貸して差し上げても良くってよ?」


「絵、えほ!?」


 口元に手を当てオホホと笑うレイシアに、少女はぐぬぬと屈辱を噛みしめる。


 確かに、少女が今までにときめいた人物はティッパーフィールドとジュラルド様……どちらも本の中の人物だった。


「で、ですが、私だって、ディンさんに美人だって言われましたもん―――五回……位」


 少しばかり数を増した少女の報告を王女様は鼻で笑う。


「あーら、そんなの私は毎晩愛してるって言わせてるわよ、私のフリオに」

「あっ!? あば!? な、何て……」


 ふふんと笑った姫様が、少女の目を覗き込む。


「それに、ディンは美人を見れば美人って言う男よ? 別にあんたを口説いてるわけじゃないんだから勘違いしない方が身のためよ? 私も昔は結構言われたもん」


「………はあ……そう…ですか」


 かわいそうなディンさん。

 物語では鈍感なのはジュラルド様だったはずだが、こっちの方が本物だと少女は思う。


「あの……つかぬことをお伺いしますが」

「ん? なあに?」

「正直、レイシア様にとってディンさんはどういう存在なのでしょうか?」

「え? ディン?」


 ぱちくりと目を瞬かせた王女は、うーんと唸って空中に言葉を探し。


「『弟』ね。それもとびっきりに生意気で、手のかかるひねくれものの」

「あー……そうですよねえ……」


 整った眉尻を下げて笑ったレイシアに愛想笑いを浮かべた少女は、目の前の土を両手で集めて小さな山を作りその上に左手のパルムシェリーをそっと乗せる。


「え、それってパルムシェリーじゃない。何してるの?」

「あ、はい。ディンさんのお墓をちょっと」

「え!? ちょっと! あなたディンは死んでないって言ったじゃない!?」

「あ、いえ。死んでませんよ、きっと。なにせしぶとい方ですから」


 小指で光る真実の指輪に――母のローブに縫い付けられていたその指輪に誓って言える。あの人は、絶対に生きていると。この先もずっと生きていってくれるのだと。

 だって彼は、見込みのない片思いを続けてしまう程度にはしぶとい人なのだから。


「何よ、もう。悪い冗談はやめてくれる?」


 むすっと腕組みをした王女様に、少女は呆れて物を言えない。これ位図太くて真っ直ぐな人間でなければ、きっと王女など務まらないのだろう。


 それくらいに、彼女の横顔は気高く、美しく。ちょっとした仕草の一つ一つが王女と言う存在を感じさせる物だった。


 どこか寂しげなその鼻を照らす光の海に目を落とし、少女は小さく頭を振って。


「「はあ……」」


 二人の溜息が重なった。


「あら、何をいっちょまえに溜息なんかついてるの?」

「そちらこそ、ピスタティアでは溜息を吐くと皺が増えると言いますよ?」


 ちらりと互いを見合った二人の視線が一瞬交わり、次の時には向こうで佇む竜を見つめ、 くすくすと笑い合う。


「不思議ね。私あまり同性の友達って近くにいなかったから、こんな時なのに何だか楽しい」


 と王女が言えば。


「そうですね。本当にこんな時でなければ良かったのでしょうけど、でも――」


「「こんな時に出会えて良かった」」


 呟いた少女の声に、王女の声が優しく重なる。


「……読んでますね、レイシア様も」

「まあね。読みやすいもの、あれ。異国語の勉強にちょうどいいわ」

「憧れたりはしないんですか、ティッパーフィールドみたいな冒険に?」

「そうね、子供の頃は憧れてたかもしれないわ。ふふ、どっかの誰かさんはいつまでも憧れてたみたいだけど」


 自分のことをからかわれたのかと思った少女は、目に映った彼女の横顔に言葉を飲み込む。だって彼女は、一瞬、ほんの一瞬、寂しそうな顔をしたのだ。


「……ディンがね、昔よく言ってたのよ。『俺はティッパーフィールドよりもすごい冒険家になる男だ』って。それこそ私が十四五位の頃の話だけど」


 おかしいでしょ、とでも言いたげに王女はにこりと微笑んでみせた。


「何と言うか、あの人からは想像できない言葉ですね」


「まあね、昔は結構やんちゃだったのよ、あいつ。それこそあいつと一緒なら、どこかへ行けそうな気がしてた。見た事も無いどこかに連れてってくれるんじゃないかって、そんな感じで。……あ、もちろんあれよ。これは内緒ね」


 いたずらっぽく笑う王女の瞳が内側からきらりと輝く。


「……え?」

「ふふふ、好きだったのよ、あの頃。私。ディンの事が」

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