第15話 暴力は全てを

 何事かと見上げた二人の頭上を大粒の影がゆっくりと旋回する。太陽を反射する白い体、大きな翼、細長い首、鍵爪、頭には一本の角。


 それは少女にはまだ見たことの無い生き物で、少年には見覚えのある魔物だった。頭が良く人に懐きやすいため、その筋の人間が好んで使う乗り物だった。


「くそっ!」


 事態を理解した少年が少女の手を取り走り出そうとした瞬間、彼らの行く手を遮る様に空から男が舞い降りた。ずざっと地面をえぐる音を立て、しゃがみこむ様にして着地の勢いを殺した軽装の男が、後ずさりする少年少女に一礼してから顔を上げる。


「お騒がせして悪い。ここいらに街があると聞いたのだが、心当たりは無いですか?」


 言葉自体はあまり流暢とは言えないものの、妙に落ち着いた、低い声。年の頃は三十程、浅黒い肌の長髪を後ろでくくった端正な顔立ち。真っ直ぐにディンを捉えていた彼の目が、吸い寄せられるように隣の少女を――正確には、その金色の髪をまじまじと見つめた。


 その瞬間まで腰に差した一振りの刀が無ければ街の住人と区別がつかない様だった彼の顔が冷たく凍り、細い目の奥に怪しい光が灯った。


 その視線から少女を背に隠すようにして前に出たディンが、街の方向へと左腕を真っ直ぐに伸ばす。


「プエラトならすぐそこだ。あれにのってりゃ、すぐに見えるさ」


 言って、ディンは右脇に着地して翼を畳む飛竜を顎でしゃくった。このまま目の前の男が立ち去ってくれると言うならば、どんな神様にだって祈ってやれる気分だった。


 だが、日ごろの行いの悪い少年にそうそう神様が微笑んでくれるはずも無く。


「……ふむ。ありがとう、渡しの少年」

「……一応言っとくが『渡し』ってのはかっこいいって意味じゃねえぞ?」


 ディンの軽口に薄く笑って、男は一歩前に出る。


「では、私は『殺し屋』であっておるか? かっこいい渡しの少年」

「ああ、多分ね」


 立ち振る舞いで相手の強さがわかる様な力を持たないディンではあるが、それでも目の前の獣の危険さを肌で感じられる程度の経験は積んでいた。その点、相手がこの男だったのは幸いだった。この感じの獣であれば、目が合った瞬間に終わりなのだ。人間相手で助かったと言うモノだ。


 男がゆっくりと口を開く。


「ところでかっこいい渡しの少年。その小さな姫君をこちらに渡してはもらえないか?」


 男の目はディンを確かにとらえているものの焦点がどこか曖昧で、その異様さがまた対峙する者の恐怖感を煽ってくる。背中の少女が、ぐっとディンの服を掴んだ。


「悪いけど、こっちも仕事でさ。ただでってわけにゃいかねえな」

「君の命と引き換えでは、まだ安いか?」


 言って男は、まるでそうすることが当然かの様な仕草で腰の刀を抜ききった。


 漆黒。


 午後の光が差し込む森の中にあって、そこだけ光が無くなったかのような暗さを放つ刀身が、男の右手でゆうらりと揺れる。

 背中を駆け上がる嫌な予感に、ディンの服を掴んでいた少女の力が一層強くなる。


「個人的に、己の命よりも大事な仕事は無いと思う」


 続けられた殺し屋の台詞に、ディンは笑う。


「ああ、安いね。こちらの姫君は、俺なんかの命じゃ全くもって割に合わねえくらいのまともな人間さ」


 言いながら、ディンは腰に下げていたナイフを左手に握って前に構えた。


「ま、当然あんたの命と合わせても足りやしねえから安心してくれ。こっちも手加減したりはしねえからさ」


 すると、自分に向けられたナイフを見た男の眉がピクリと歪む。


「……いつ嗅いでも、その匂いは好きにはなれない。これは割に合わない仕事を受けてしまったようだ」


「話が早くて助かるよ。お察しの通りこいつにゃポルカシオの毒が塗ってある。あんたの体格なら二分で息が出来なくなるぜ。命よりも大事な仕事が無いってんなら、引いてくれるとありがたいんだが」


「それはできない。すでに引き受けた以上、その姫君には消えてもらう」


 体の正面に刀を構えた男が、すり足で前へ。


「おい」


 男から視線を外さぬ様に、ディンは背中の少女に声をかけた。


「俺が殺られたら、とにかく走れ。明け方一番明るい星の方へ向かって行けば王都に着くだろうから、ジェシカの店に行け」

「!? そんな」

「いいからあんたは竜を見てろ」

「は、はい!」


 切羽詰まったディンの声に動かされ、金色の頭が男の乗ってきた竜を向く。


 白い鱗に大きな翼、真っ直ぐにこちらを見つめる赤い瞳。地域によっては信仰の対象にまでなっているというその魔物は、成程確かに神々しい程の美しさだった。


「離れるなよ。どっちかっつうとあの竜の方がヤバい」


 ディンは男の『消えてもらう』という言葉を信じてはいなかった。もしそれが本当ならば、この身ごと、さっさと仕留めてしまえばいいだけの事。


 そうしないという事は、そうできない理由があるからだ。


 おそらく、男の目的は彼女をどこかへ連れて行くこと。生意気お気楽女とはいえ、血筋は王女だ。できるだけ無事に、という依頼なのかもしれない。


 その意味で、あの竜に少女を空に運ばれたらゲームセットだ。


 男を視界で、竜を気配で捉えながら、ディンはじりじりと後ずさる。


 一介の剣士として高い域にあるだろう殺し屋とは違い、適当な構えでナイフを持ち、重心等にも気を配ることなく、背中で少女を押しながらただ単純に後ろへ下がる。


 だがそれでも、街の依頼に従って森に住む多くの獣を狩ってきた少年の眼光は、かすり傷一つで相手をしとめる危険な毒の匂いと相まって、男の攻め込みを躊躇させているようだった。


 やがて、緊張からか寝不足か、ディンの額に浮いた脂汗がゆっくりと顎に回った時。素早い踏込を見せた敵に合わせて引いた少女の足が、ガツンと何かにぶつかった。


「あっ」


 バランスを崩して転んだ少女の手は、少年の背を掴んだまま緊張で固まっていて。


「っ!」


 ディンがかろうじて踏ん張ると同時、滑る様に近づいてきた男が刀を振った。

 渡しの狙いは、その腕。

 半歩体を踏み出して、闇色の刀を振るう男の右手に左手のナイフを差し出す。が、蛇の様に軌道を変えた男の肘をナイフがかすめると同時、右肩に焼ける様な痛みが走った。続いて、胸の下に強烈な衝撃。


「がっ」

「ディンさんっ!?」


 蹴り飛ばされ、鮮血と共に地面を転がっていく少年に駆け寄ろうとした少女の後ろ髪が、殺し屋に掴まれる。


「嫌っ! 離して、離して! 離せ、離せっ! 離せよ馬鹿!」


 転んだ身体を引き起こす殺し屋に、少女は必死に抵抗する。

 腕を振り、汚い言葉を叫び、ただただ必死に少年に向かって、自分のせいで傷ついた少年の元へと走り出そうと地面を足で削りとり、


「離せえぇぇ!!」


 夢中で手にした青い墓石で背後の男を殴りつけようと身を捻っても、あっさりとその腕は掴まれて。簡単に捻り上げられる。


「いぎっ!」


 と、ふいにキイイィィン……と甲高い音が辺りに響いた。


 見れば、捻り上げられた左手の中で透明な墓石が不気味な光に包まれていて――

 

 瞬間、ぐりっとその手首が強く捩じり上げられた。


「いっ……ぅ!」


 同時、少女の胃に石のような拳がめり込んで。


「うぇ……ろえっ」


 思わず先程食べた昼食を吐き出した彼女の口に、男がそっと小さな布を当てた。呼吸を求めた少女の肺に、一気に何かが流れ込む。


 それだけ。たった、それだけで。


 自由で気ままな世界旅行も、空想を掻き立てる不思議や謎も、お金を貯めるために働くことも、大好きな本を語り合える友人も、その少年の誓いも――全部目の前で血にまみれて。


 深い眠りに落ちるのか、気ままな夢から覚めるのか。


 少女の意識はその間へと溶けていった。

 

 

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