第14話 追跡者
「そんな……だって…でも……」
旅に出る事を支えに生きて来た少女にとって、それは残酷な宣告だった。冒険への憧れを共有できると思っていた少年に言われたことが余計に堪えて言葉がつまる。
「だっても何も、あんたに何ができるんだ? 飯の注文の仕方だってろくに知らねえじゃねえか」
思ったよりも強い口調が出たことに、ディンは驚く。自分は何に苛立っているのかと。
「そう……です、けど」
しょぼくれた顔をする少女をとりなす様に、少年はガラにもなく優しい声を心掛けた。そうすることで、変に熱くなった自分の心を冷まそうとしたのかもしれない。
「……まあ、そういうことだ。旅を続けて生きるなんて普通の奴に出来る事じゃない。間違っても自分がそっち側にいるなんて考えない方が身のためだ」
ぐっと唇を噛みしめた少女が、俯いたままぽつりともらす。
「試したこともないくせに……」
「……あ?」
青い瞳に激情を灯し、少女がじろりとディンを睨んだ。
「出来るかどうか、やってみたことも無いくせに、私を馬鹿にするなと言ってるんです」
その透明な声の底の熱に釣られるように、ディンも思わず熱くなる。
「……忠告してやってんのがわかんねえのか? あんた、本ばっか読んでたくせに無謀って言葉の意味も知らねえんだな」
「そちらこそ、自分にできそうもないからって私に出来無いと決めつけないで下さい! 自分だって何も知らないくせに……そんな諦め仲間に引き込もうとしたって無駄ですから! ……私はやってやりますから! ずっと……ずっと、夢見てきたんですもん! 絶対諦めませんから!」
言葉を切って、すうっと鼻で息を吸った少女が深く頷き。
「さあ、アイディアを下さい!」
両手を広げて堂々と言ってのけた。
「……は?」
「ですから、あなたが無理だと判断したところまでの最善の方法を教えてくださいと言っているんです。確かに私はあなたよりも未熟で、体力もありません。でも、あなたに出来なくとも、私ならその先に辿り着けるかもしれないでしょう? 先人の知恵を借りるのが近道だと言うこと位知ってますので!」
「……本当に図々しいな、あんた」
突然に聖女の様な大人びた顔をしたかと思ったら、我儘な子供の目になりやがる。
呆れた目をする少年に、少女は鼻息荒くふんぞり返る。
「王族たる者、目的のためにそしりを受ける覚悟位学んでいます」
「成程ね、そういや、知り合いにもそんな女がいた気がするな」
夜勤明けで寝ているディンの家まで訪ねて来ては、森で見つけた珍しい物を取り上げていったどこかのやんちゃな王女の捨て台詞を思い出して、ディンは笑う。
やがて彼女は立派になって。
『この国の未来のために、彼らを谷の蛮族の元へ渡してください』
騎士団の精鋭を控えさせ、蛮族の子供に命じたその瞳は、見事に王太子の威厳を宿していた。
生意気にもどこか似たような芯の強さを見せる金髪は、透き通るほどに白い頬を興奮で紅潮させたまま腕組みをして。
「だからって代わりに私に惚れても無駄ですけどね。素敵な騎士様と結婚しちゃいますので」
その言葉に、ディンの頬がぴくりと動く。
「……埋めるぞ、てめえ」
「う、埋めるですと!? さすがに酷過ぎますよ! さっきは絶対逃がすって言ってたじゃないですか!? ちょっ、何でこっちに来るんですか!? 目が怖いです! 森の中で殺させねえとか言ってたあの頃に戻ってください!」
「心配すんな、顔だけ出して埋めてやる。時々飯は運んでやる」
「嫌です! 絶対に嫌です! 人をマンドラゴラみたいにしないで下さい!」
顔だけ出して埋められた自分の姿から地面の中に人型の根を生やす魔草マンドラゴラを連想して少女は叫んだ。そうして、両手を掲げてにじり寄るディンから逃れる様に後ずさった彼女は木の幹に背中をぶつけて万事休す。
「う、嘘ですよね……何だかんだ良い人なのは……知っていますよ?」
にっこりと微笑んで見せた少女の顔の両脇に、どしっと少年の手が押し付けられた。
「残念だったな。あんたの旅は、ここまでだ」
「ご、ごめんなさい。謝りますから許してください」
「駄目だな。世の中、同じミスを繰り返すのは許されねえ。そんなんじゃ、せっかく生き残っても仕事につけやしねえぞ」
「し、仕事ですか?」
涙目の少女の頭を軽く一つ叩いてからディンは言う。
「ああ。簡単な話だ、金だよ金。夢じゃ飯は食えねえが、金さえありゃあくいっぱぐれることはねえ。だからまずはどこかで腰を落ち着けて仕事をして、金をためろ。そんで次の街まで旅をしてまた働いて金をためる。その繰り返しが一番早い……と、俺は思う」
少女が言う通り、少年もまた旅から旅への生活に憧れていた時代があった。多くの人と触れ合いながら冒険をして、遠く離れた子供達に夢を見せたいと思っていた事があった。その時に建てた現実的な計画を――いつしか己が諦めた生活を口にしながら、腕を組み、森の間の空を見上げて、ディンは地べたにへたりこんだ少女に視線を落とした。
「ですが、仕事……と言いましても……私、人と喋るのも苦手ですし……」
「嘘つけ、むしろうるさい位にしゃべってるぞ、あんた」
「それはディンさんが私を馬鹿にするからではないですか」
むっと唇を突出しながら、お尻をはたいて立ち上がった金髪が渡しを睨み上げる。
「それに、何かと話しかけてくるのはディンさんの方ですし」
「アホか。俺は話しかけられない限り客とは喋らないことにしてんだ」
「またまた。忘れたとは言わせませんよ、夕べ寝てる私に無理やり話しかけてきたじゃないですか」
肩の高さで両手を広げ、やれやれと首を横に振る少女を横目で見て、ディンは笑う。
「悪いな、あん時はちょっとどうかしてた」
言いながらディンは軽く自嘲した。どうかしてるのは今だって同じなのだ。
目の前の金髪が書いた一文を聞かされたあの時から、自分はずっとどうかしてる。
「人の寝顔を思い出してにやつかないでください、エッチですね」
「するか、馬鹿」
痩せた少女の抗議を鼻で笑い一歩二歩と歩き出した彼の横、少女は腕組みをして考える。
「それにしても、仕事……ですか……」
「ああ、仕事だ。あんたが旅をしたいんなら、間違いなくそれが手っ取り早い」
「そうですね、ティッパーフィールドは技術師だったので……あの時代ならどこへ行っても仕事はあったようですし」
「へえ、技術屋だったのか、あのおっさんは」
「はい。旅に出る前は中央連合国の技術師だったそうです。本編中にもそういう描写がありますよね。確かイードブールでは
「どうだかな。それにほら、いくら師匠だっつっても確か金を持ち逃げされて困ったみたいな話もあったろう?」
「そう言われれば、そうですね……その後のギャンブル編が面白くて失念していました。成程、言われて見れば確かにあの時の師匠の食生活は惨めでした。成程成程、旅にとってお金は大事なのですね」
腕組みをしてう~んと唸りだした少女の前で、ディンはぼりぼりと頭を掻く。
と。
「……あの、では、例えば世界中を旅したいと頼んだら、おいくら位かかるのでしょうか?」
「は?」
虚を突かれたディンの前、空が映りこんだかのように青い瞳がキラキラと輝いていた。
「ですから、あなたの場合いくら払えば世界の果てまで渡して頂けるのかと聞いています」
完璧なプランを練り上げたとばかりに晴れやかな顔を浮かべる少女の前で、少年は呆気にとられて瞬きを繰り返して。
「……あのな……言っておくが、この森を出たら俺なんか一つも役に立ちゃしねえぞ」
困惑に眉を歪める少年を不思議そうに眺めた少女は言う。
「そんなこと無いと思いますけど? 根が善人でお人よしの私にとって、神様さえも疑う程に性根が腐っているあなたは、中々良いパートナーだと思いますよ?」
「……そいつはどうもありがとよ」
ディンが笑うと、目の前の金髪も笑って返した。
「どういたしまして。よし、決めました! 何とか私にも出来る仕事を見つけて、お金をためてあなたを雇いに来ますから、それまでにせいぜい私の役に立てるよう他国にも詳しくなっておいてくださいね。絶対ですよ、予約しましたからね、忘れちゃダメですから」
ととっと少年の背後に躍り出て念を押す様に振り返った少女の輝く笑顔に。太陽の様なその髪に、ディンは苦笑を浮かべてあらぬ方へと視線を向けた。
「……あのさ」
「はい?」
さっきまでの動揺などすっかり忘れてしまったかの如く左右に身体を揺らして笑う少女に、ディンはぶっきらぼうに口を開く。
「もしあんたがそれでいいなら、紹介してやれる仕事はあるぞ」
「……ほえ?」
「つってもこれは国内だから、あんまりお勧めはできないんだが……」
「も、問題ありません!」
前のめりになった金髪に、ディンは言葉を濁す。
本当に目の前の少女の事を思うなら、どこか、彼女の事を誰も知らないような遠い国へ送ってしまう方が安全に決まっているのだ。
それでも、先程少女の言った言葉が、語った夢が、少年の心をざわめかせていた。
「どうせどこへ行っても、見つかってしまえばそれまでなんでしょう? だったら信頼できる働き口を紹介していただける方が遥かにましです」
少女は鼻息荒く渡しに詰め寄る。
――チャンスの穴はとても小さい。だから一度それを見つけたら身体ごとねじ込まなくてはならないのだ――
命を懸けたギャンブルの最中にティッパーフィールドが言った通り、少女はこのチャンスに全てを掛けてきた。
だから、酔客でごった返した宿酒場の部屋から飛び降りたのだ。バランスを崩してしこたまぶつけた肩の痛みなど塔の生活に比べればどうと言うことはない。いつ殺されるのか分からない生活なんて、正直彼女は慣れっこだった。
真直ぐに、真っ直ぐに見つめる少女の瞳から逃れる様に、渡しの少年は空を見上げた。
「ここからだと反対側になっちまうが、王都の北に学者の集まる街がある。そこが今、翻訳家を集めてるらしいんだ。寮もあるって話だし、噂じゃ給料も相当だ」
「翻訳家?」
「ああ、異国の技術書やら何やらを訳す仕事だよ。細かい手続きはこっちで何とかしてやれるし、あんたならすぐに雇ってもらえるだろ。あそこは異国の人間も多いから、その頭でもそうは目立たないだろうしな」
「……それは……確かに、かなりいい話に思えますが……」
唇に拳を当てて考えだした金髪に、ディンは首を傾げる。
「何か不安があるのか?」
すると少女はとんでもないと言う風に手を振って、
「い、いえ! ただ……あまりにいい話すぎて、冷静になってみると、後であなたに何を要求されるのかと思いまして」
自らの身体を抱くようにした少女が、じとりとディンの顔を覗きこむ。
「…………」
ディンはぼりぼりと頭を掻いた。
「夕べからの言動からして、あなたが只の親切心で言っていると考えるのはあまりにも浅はかかと」
「……心配すんな、こっちが勝手に言い出した事だ」
肩をすくめた少年はぶっきらぼうに。
「その代り、旅に出る時はたっぷり金持って依頼に来い。特別に二割増しで受けてやる」
それを受けて、金色の髪を風に揺らした少女はいたずらっぽく笑う。
「そうですね。その時は札束で頬を叩いて差し上げますので楽しみにしておいてください」
「ああ。せいぜい期待しといてやるよ」
遠い約束を交わした二人は、にやりと笑い合った。
まるで自分達にそういう未来が訪れるとでも本気で思っているかのように、彼らは迂闊に笑っていた。
そうして二人が青い墓石の元を離れ、街へと歩き始めたその時。
突然。
「ピューイ!」
鳥よりも太く、獣よりも高い鳴き声が空に響いた。
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