第12話 葬送の花環

「おう。やっぱここにいたか」


 軽く手を上げ歩み寄ってくる大きな体の威圧感に、少女が小さく肩をすぼめる。


「ようディン、珍しいな。お前が客と一緒のテーブルにいるなんて」


 せっかく相手してやろうかと思ったのによ。と言って、小屋の主人は二人のテーブルに腰を下ろした。


 途端にちらちらと気まずそうに主人を伺いだした少女を見て、ディンは肩をすくめた。


「まあな。注文の仕方も知らねえようなお嬢様だからよ」


 縁の無い同席者の登場で借りてきた猫の様に小さくなりながらも、金髪頭はちらりと抗議の視線を送ってくる。


「へえ、やっぱりどこぞのお嬢様かい。確かにやたらと美人だとは思ったが……そういやお前、そんなお嬢様と二人っきりで一体どこいくってんだ? 光の海でも見に行くのか?」


「ああ……」


 店主の問いに、少年は言葉を濁す。そう言えばこの金髪娘をどこへ送り出すのかなど、考えてもいなかった。目の端で少女の顔を伺い、ディンは店主から視線を外して。


「明日出発する時には教えるさ」


 どうせこの少女に行き先などあるわけでは無いのだから。どこにでも行きたいところに行けばいい。近隣の国の様子を一通り教えてやって、それで。自分がどこへ行けるのか、今夜位はゆっくりと考えた方がいい。


「おうおう、何だ、若いじゃねえか。駆け落ちでもするってのか、おい? 羨ましいねえ」


 ニヤニヤと笑う巨漢の店主は、遠慮のない視線で少女を眺めまわす。


 そうして彼は、居心地の悪さに口に手を当てて咳払いをする彼女の手首にその花環を発見して眉をひそめた。


「パルムシェリー……か」

「はい?」


 不審な目で男の顔を盗み見た少女が、彼の視線の先に気が付いて手首を返す。


「ん? ああ、嬢ちゃんが手に付けてる、それの名前だ。誰に騙されたのか知らねえが、あんまり縁起のいいもんじゃねえよ」


「そうなんですか?」


 肩をすくめて坊主頭を撫でまわす店主に言われ、きょとんとした顔の少女が左の手首とディンを交互に見つめる。


「ん? ああ……まあ、な」


 余計な事を言いやがって、と渋い顔をした少年は片手を上げて店員を呼んだ。


「あんた腹減ったろ、何か食え」


 愛想よくやってきた若い女性を親指で示し、何か言いたげな少女の口を注文で塞ごうと言う腹だ。


「……ごまかされませんよ」


 そんなディンをジトリと見つめていた少女は、竜車小屋の店主と同じものを頼んだ渡しに促され、にこやかに佇む女性店員に慌ててバホを注文した。


 そして。


「お待たせしたネ、ハイどうぞ」


 女性店員が最後の料理を運んで来る頃には、少女はすっかりふてくされていた。


 それは、目の前の男達が少女には入る余地のない商売の話を延々し続けていたからと言うだけでなく、その話の内容から『ディンさんてお医者さまなのですか?』と聞いたのに軽くあしらわれたからでもあり、ならば料理を作るところを見てみたいと思い立って厨房を覗きに行こうとしたところを『汚ねえ格好で入るんじゃねえ』と目の前の不良少年に怒られたのも大きな原因である。


「……汚くなんてありませんし」


 仏頂面でスープに浸したパンを口に運ぶ少女がその台詞を口にすることすでに四度。

 さすがに四度目のぼやきが頭に来たのか、ぴたりと店主との商談を中止したディンが大きく溜息を吐いた。


「あんたさ、そんな顔して飯食うのは料理人に失礼だとは思わねえのか?」

「それは……そうですけど……」


 もっともな事を指摘された礼節の国の王女様は自分の頬をつねりながら。


「これ、何だか似たような味なんですもん……」


 それもそのはず、彼女の前に並べられたスープはクリームとチーズと鳥の卵の三種類。

 そんなもの、似たり寄ったりの味であるのは食べる前からわかると言うものだ。


「……センスねえな」


 少年の呆れた笑いに少女はむくれながら。


「あなたが焦らせるからつい好きな物を選んでしまったんですー」

「ですぅじゃねえよ。あんたさ、思った事を口に出す前にちょっとは考えた方が良いぞ」

「自分の想いも口に出せない様な人に言われたくありませんね」


 大してうまくもなさそうに目の前の料理を削っていたディンのスプーンがかちゃりと止まる。


「……何の話だ?」

「あら、よろしいのですか? 言ってしまっても?」


 傍らの店主へとちらりと視線を走らせた少女の笑みにディンは嘆息。


「……やめろ」


 すると少女は髪を払って片耳を向け。


「え? なんですか? 人にものを頼むのにはそれなりの態度というものが――んぎゅ」

「もぐぞ」


 テーブルに身を乗り出し指の間で少女の高い鼻を摘まんだディンは、低い声と共にぐりぐりと彼女の目の下を圧迫する。少女はその顔の骨を突き上げるような痛みに顔をのけぞり目には涙で。


「ふみまへんでひた。ゆるひてくだふぁい」

「……ったく」


 腰を椅子に戻したディンは腕組みをして、ニヤニヤと二人のやりとりを眺めていた店主を睨む。


「なんだ、おっさん?」

「いや、何。随分と仲がいいんだなと思ってよ」

「どこがだ、ボケ。目ぇ腐ってんのか?」

「だはは。そうかもな、何せ腐ったモンばっか見てきたからよ。んじゃまあ、なにはともあれ、女と友達は大事にしてやれ」


 ジロリと睨み付けるディンから逃げるように席を立った巨漢の店主は、ひらひらと手を振りながら。


「王都の人間が、今日という良き日を、こんなとこで背中を丸めて過ごすんじゃねえってこった」


 彼の背で扉が閉まる音が店に響くと同時、ディンは鼻に皺を寄せて。


「何しに来たんだよ、あのおっさん」

「さあ。私にはさっぱりです」


 少年の皿から奪った肉片を優雅に口に運び、少女はしれっと首を傾げた。


「それにしても、ディンさんて意外と好かれてるんですね。街の方に」

「俺はそれほど好きじゃねえよ」


 言いながら、ディンは少女のパンをひとちぎり。


「まあ、当然ながらそれ以下の好かれ具合なんでしょうけど。おまけにお医者様だったとは驚きですね。てっきりただの金に汚い男として蛇蝎のごとく嫌われているのかと思ってましたから」


 千切ったパンをクリームのスープで泳がせて。


「そう思ってる奴も大勢いるぜ? 特にこの街にゃあな。それに医者つっても、あんたの国のお医者様とはちが――」


 続いてとろけたチーズの海へと漕ぎだしたディンの舟が、少女の手で叩き落とされる。


「ちょっ! 何してるんですか!? え? やだ、わっわっ!」


 意に反してチーズの波に沈み行くクリーム号に慌てふためいた少女は、叩かれた手の痛みを気にするディンの方へチーズの海をずいっと押し出した。


「早く! 取ってください!」


「……はあ?」


 ディンには目の前の金髪が何を言っているのか、良く分からない。それゆえの「はあ?」である。


 いや、勿論、人の心を持たない愚鈍な渡しの少年にも何となくだが察しはつく。


 少女は恐らくスープの味が混ざるのが嫌なのだ。だが、彼の知る限りこの二種類のバホはこうして食べるのが一番うまい。クリームの柔らかな甘さとチーズの塩気が絶妙に合うのだ。というかそもそも彼女自身が似たような味だと言っていたスープである。それを少し混ぜた所で叩かれる程の非があったとは到底思えない。あるいはもっと単純に自分で取れと、そう言った意味をすべて含めて、一端きちんと喉もとで考えた挙句の「……はあ?」である。


「……ああ、もう、最悪です」


 横波に襲われた難破船の様にくるりとチーズの上で身を翻したクリームスープ付きのパンを見て、少女は金髪頭を両手で抱えた。


「言っておくが、クリームとチーズはこうやって食うのが一番うまいんだぞ?」


 ひっくり返った難破船に更なる試練を与えようとスプーンで突くディンを、少女は上目に睨みつけた。


「知らないと思って馬鹿にしないで下さい。もしそれが本当に一番美味しい食べ方でしたら、最初からその状態で出すはずじゃないですか。プロの料理人がそれをしていないと言う事が、何よりもその食べ方が邪道だということの証明です」


 そう言って、何かしらを勝ち誇ったように片眉を持ち上げる少女の顔をディンは疲れた顔でしばらく眺め、溜息と共に言葉を吐く。


「だったら自分で食ってみろよ」


 良い具合にチーズが絡んだ舟をスプーンですくい上げ、少女の前に突きつける。

 しかし少女は唇を固く結んで横を向き。


「嫌えふ」


 と拒否してみせた。そんな彼女の態度を鼻で笑い、ディンは気怠そうに肘をつく。


「……なあ、あんたの言う冒険ってのは、メニューを片っ端から注文してうまいモンがうまい食い方で出てくるのを待ってるって事なのか? そいつは随分つまんねえ大冒険だな」


 横目でちらりと渡しの顔を見やった少女に、ディンは挑発的に笑いながら。


「道を究めた奴の言う通りに歩くよりも、どこに行くかもわかんねえ邪道を行く方が面白いとは思わないか?」


 すると、目を閉じてすうっと息を吸った少女が、がぶりとスプーンに噛みついた。そのままスプーンごと食いちぎる勢いでパンを奪い、上品に口元を隠してもぐもぐと咀嚼する。


「どうだよ?」


 問いかけたディンの見つめる中、こくんと少女の喉が動いて。


「……まあ、確かに。チーズの塩気の中から甘いクリームを吸ったパンが出てくるのは中々の組み合わせではありますね」

「素直に美味いって言えねえのか?」


 勝ち誇った笑みを浮かべる百戦錬磨の渡しに対し、冒険家気取りの少女はさらりと髪を掻き上げて。


「ですが、私でしたらもっとおいしい組み合わせを千個は見つけられると思います」

「……へえ。そいつはさすがでございますね」


 鼻に皺を寄せ、光にきらめく金髪を眺めたディンは肩を竦めて食事に戻る。と、正面からひょいと伸びた細腕が彼の皿から肉を一片さらって行った。


「おい」


「まずはお肉をパンに合わせて……」


 澄ました顔で肉パンを口に運ぶ少女の手を、下からディンが跳ね上げる。


「ふぁっ!」


 肉が直撃した鼻の下をごしごしと袖で拭いつつ、少女が視線をディンにぶつけてくる。


「ひどい、なんなんですか? はっはーん、さては早速私があなたを超える発想を見せたので嫉妬してるんですね? つくづく器の小さい男性です」


「そうじゃねえ、馬鹿。俺が取ったパンは一つ、お前のそれは二つ目だっつってんだ」

「想像を絶する器の小ささですね。成程、モテない理由がわかりました」

「……あん?」


 睨み付けるディンの視線から、少女がさらりと華麗に目を逸らして話題を変える。


「と言うか、ディンさんもバホを頼んでいただければもっと色々な組み合わせを楽しむことが出来ましたのに」


「そうしようかと思ってたら、どっかの金髪が違う物を注文しろってうるさくてさ」


「ええ!? 誰ですかその金髪美女は。きっとひどい男に朝ご飯を食べさせてもらえずにお腹が空いていたに違いありません。まったく、最低な男ですよね」


「本当にな」


 と、ディンは笑った。


 表情だけでなく身振り手振りを交えながら頭と口も良く動く少女を見ていると、自然と口元が緩んでしまうのだ。ちらりとその顔を伺った少女は、器に残っていたスープをパンの欠片で拭いとりつつ冷静に忠告をする。


「気を付けた方がいいですよ。ディンさんがそうやって笑うと不審人物にしか見えませんから」

「ほっとけ」


 むっとした少年の視線を受け流し、金髪の少女はぱくりと口に放り込んだパンを飲み込んで。


「怒るとまるで犯罪者ですね。というか怒った顔が正に罪です。それだけでもう立派な暴力ですよ、一体この国の警察は何をしているのでしょうかと疑ってしまいます」


「いいからさっさと喰らって死ね」


「!? ひどいです! 冗談でも人に死ねなんて言うべきではありませんから!」


 食事を取ったことで眠気が増し、気怠そうに頬杖を付くディンを指差して抗議する少女の手首には葬送花。ディンは小さく肩をすくめた。


「……ああ、悪かったな」

「まったくですよ。死んでください」


 閉口したディンの前、少女は澄ました顔でもぐもぐと。そして気が付いた様な顔をして。


「あ、そう言えば、今から王都に戻れば式に間に合うのではないですか?」

「馬鹿か。あんたは逃げなきゃならねえんだろ? わざわざ戻ってどうすんだ」


 渡しの少年は苛立ちを込めてトトンッとテーブルを指で叩いた。


「まあ……そうですけども……でも……」


 歯切れの悪い少女を睨み、少年は髪の毛をくしゃくしゃと手でかき混ぜて。


「……ったく、変な所で気を回すな。あいつらと友達だったのは、もう昔の話だよ」


 溜息と共に吐き出した少年の言葉に、少女の眉が八の字に。


「悲しい人ですね、本当に」


 からかうのではなく、哀れむ様に。指先で耳の上の髪を撫でて。


「まったく、羨ましい限りです」


 友達など遠い昔に置き去りにした王女様は、そんな風に優しく寂しげに微笑んだ。


 その顔を見ていた少年は、頭を振って席を立つ。


「わかんねえな。ほら、食ったら行くぞ」


 はいはい。と言いながら優雅にローブをまとった少女が、ふとディンに声をかけた。


「そう言えば、パルムシェリーでしたっけ、この花環」


 愛想の良い女店員に食事代を払うディンがちらりと振り向き、渋い顔をして歩き出す。


 あまりその花については知らなくていいと思ったのだ。

 だが、彼女の次の言葉にディンの顔がさらに渋みを増すことになる。


「ジェシカさんから、あなたにも渡す様に言われていたんでした」


 そう言って少女がポケットから取り出した少し大きめの潰れた花環を受け取り、ディンは深い溜息を吐いた。


「ったく……本当に余計な気を回しやがる」

「はい?」


 王女様の結婚式が今日なのは、今日がこの国の出発の日だから。


 それはつまり、二年前のこの日に年若い少年が故郷の谷を訪れたということである。

 その背に、圧倒的な武力と兵器を誇るジオの正規軍を引きつれて。


 髭を生やし、背が伸びて、あの日よりもずっと大人びた少年は葬送の花をくるりと回し、ぼそりと自分の掌に呟く。


「………少し、付き合ってもらっていいか?」

「ええ。わたくしでよろしければ」


 まるでダンスにでも誘われたかのようににこりと微笑み、少女が恭しく膝を曲げて少年の背を追いかけた。

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