第11話 美味しいご飯

「ここだ。……おい、大丈夫か?」


 食堂の前で立ち止ったディンをぼうっとした様子で追い越そうとする少女に、呆れた口調で彼は尋ねる。


「えっ、あ、はい」


 はっとして見上げた少女の頬が色づいているのを見て取ると、ディンは眉をひそめた。


「風邪か? ったく、だから早く寝ろっつったんだ」

「ち、違います。ただ、先程のあれはいたく恥ずかしい事だと思い至っただけですから」

「先程?」


 言われてディンは記憶を少し巻き戻してみたが、先刻程から口数の減った少女の態度を見る限り、特に思い当たる節は無い。


「……? ひょっとしてあれか、値段を吹っかけあうのは貧乏くさいとかそういう事か?」


 以前世話をしたどこぞのお嬢様御一行に言われたことを思い出して問うてみる。


「そんなことは言ってません。まあ、いいんじゃないですか。あなたみたいな方には、女性の柔らかで繊細な心理は理解できないでしょう――」


 言葉の途中、髪を掻き上げ揚々と語る少女の腹が空腹を知らせる音を立てた。少女はとっさにお腹を押さえたものの、その行動に意味は無い。


「確かに、随分と繊細な腹じゃねえか」


 からかうディンに体当たりして肩をぶつけ、少女は『早く』と目でうったえる。


「よし、食うか。ああ腹減った」

「でしたら森の中で何か食べられるものを探せばよろしかったのでは?」

「さすがに俺だけ食ってたら泣くだろ、あんた?」

「ああ、そうでした。あなたにはお客様のために、という発想はないんですよね」


 他に客のいない店の中、壁際の席にどかりと座った彼の正面に少女は静かに腰を降ろす。


 落ち着きなくきょろきょろと周囲を見回すその様子から、ディンは目の前の金髪がどうしたらよいのか分かっていないのだろうと踏んで、壁に掛けられた黒板を顎で癪った。


「そっから選んで、決まったら教えろ」

「………なぜあなたに教える必要が?」


 警戒したかの様に向けられる少女の視線を手で払い、ディンはテーブルに肘をついて。


「だったら自分で知らない人に頼んでみるか?」

「……成程、そういうことでしたら良しとします」


 納得したようにうなずき、少女はほくほくとメニューの文字に目を走らせた。


「……ええと、あの『バホ』というのは何ですか?」

「ん? ああ、バホってのはなんつうか、いろんなスープにパンを付けて食う奴だ」

「成程。ではあの枠の中からスープが選べるんですね。むむむ……三種類も選べるのはなかなか魅力的です」


 言って、少女はおそらくそこに書いてあるのであろうスープの種類を呪文の様に口の中で唱え始めた。


「決まったか?」


 僅かに間を置き、少女が小さく頷くのを待ってからディンが尋ねた。


「あ、待って下さい。今オムライスを検討していますので」

「………スープを悩んでたんじゃねえのかよ」

「これと言った決め手が無いので後回しにしました。森のパスタというのも素敵ですし……ああでもせっかくだからここは郷土料理にした方が……あれ、私、お肉食べたいかも? ……はああん!」


 頭を抱えた少女にディンは溜息。


「早くしろ。俺だって腹が減ってんだ」

「わかってますよ。私だってペコペコなんですから。あ、ちなみにディンさんは何になさるんですか?」


 唇と声を尖らせたり、かと思えばパッと目を輝かせて人の注文を気にしたり。


「あんたと同じモンで良い」

「ええ? ダメですよ。別のにしてください」


「何でだよ、効率悪いじゃねえか」

「ダ・メ・で・す~! では私が食べたいものを二つ選びますので、その残りを食べてください」


「アホか。何で俺があんたの残り物を食うんだよ?」


「そうですね、ではこうしましょう。私が二つ頼みますから、その内私の口に合わなかった方を召し上がってください」


「少しも構図が変わってねえが?」


 呆れて言うディンの前、握った両手と身体を楽しげに揺らして『ど・れ・に・しようかな♪』と歌っていた少女が、突然何かを思いついたかのように「あっ!」と背筋を伸ばして。


「ディンさんディンさん、何か書くもの貸してください!」

 ぐいっとテーブルに乗り出してきた。

「せっかくですからメニューをメモしておこうと思いまして。私の冒険譚は、古代文明の謎に迫ると同時、世界のグルメガイドとして読んでもらっても一向に構わないんですから」


 ディンは頬杖を突いたまま、キラキラと輝く青い瞳を半眼で見つめて。


「構わないって、まだ書いてもいねえんだろ?」

「だから今から書くんです。メモを元に日記を書いてそれをきちんとまとめたら、ほうら、読むもドキドキ聞くもワクワクの冒険譚の出来上がりですよ」


 両手を広げて真面目に言う彼女に、渡しはふんっと鼻を鳴らす。


「そうか。良かったな。だけどあんたに貸すペンはねえ」

「ひどいっ! 何でですか!? ケチ、ケチ! ディンさんのケチ!」


 と犬歯を見せてむくれた金髪に、ディンはひらりと手のひらを振って。


「ケチじゃねえ。もともと持ち歩いちゃいねえってだけだよ、そんなもん」


 すると少女は胡乱げにディンを見つめ返しつつ。


「嘘ですね。商売人がペンを持ち歩かないなんておかしな話ですもの。サインが必要だったり、急な注文が入ったりしたらどうするんですか?」


 少女の詰問を鼻で笑ったディンは、トンとこめかみに指を当てつつ。


「んなもん拇印と頭で十分だ。自慢じゃねえが、俺は必要な事を忘れたことはねえし、後で思い出せなくなったこともねえ」


 十分自慢げに笑った彼に、少女はふふんと唇の端を持ち上げて。


「ではお聞ききしますけど、私の名前は何でしょう?」

「……イェ……エテャクリィナだ」

「ハイ残念でした。正解はエチェカリーナですよ、嘘吐きさん。さあペンを出してください」


 言って手を伸ばしてきた金髪に、ディンは溜息。


「だから本当に持ってねえっつうの。いいからさっさと注文を決めろ。こっちは腹が減ってんだ。俺も一緒のもんにするからな」


 トントンと指先でテーブルを叩きながらのディンにも、少女は臆することなく喋り続ける。


「そこはほら、私はお客様ですよ。お客様のご要望ですよ? ティッパーフィールドも言っていたでしょう? 『大切なのは心の中に芯を持つことなんだ』って。あなたは渡しで、私はお客様。その辺りを肝に銘じるべきだとは思いませんか?」


「だったら芯を持って一つに決めろ」


「それとこれとは話が別です。言っておきますけど、そもそも私と同じで良いなどという発想は料理人に対して失礼だと思います。おいしい物を提供しお客様に喜んでもらいたいという気持ちでいる方々に、考える事すら放棄して『何でもいい』と言ってるのと同じなんですからね? 空腹にもかかわらず食に対してときめかないなど心が死んでいる証拠です」


「はいはい、そうでござんすね」

「ああ大変、彼は心だけでなく目まで死んでしまっています」


 両手を組んで天を仰ぐ少女に、ディンはいらいらと顎髭を撫でまわす。


「喋ってねえでさっさと決めろ」


 じろりと睨み付けたディンに対し、少女は下唇を突き出してぼそぼそと。


「……分かってますよ。怖い顔しないで下さい」


 ディンは苦笑いで溜息をもらす。先刻背中に飛びかかってきた子供と同じ、楽しい時はやたらと饒舌で、相手にして貰えないとふてくされる。まるで盤面を睨む勝負師の様な真剣な眼差しでメニューを見つめる少女の鼻を、少年はぼんやりと眺めていた。


 きっとこいつは楽しくてしょうがないのだろうと彼は思う。


 とにかく外へ。外の世界へ。とにかく、ここにはいたくない。

 誰かの冒険譚に憧れ衝動に駆られる様に飛び出して、目の前に広がる自由に一時目を輝かせる。

 やがてどこにいけばいいのか分からなくなり、自分がどこにいるのか見失うまで。


 ずっと昔、光の海を求めて暗い谷底を抜け出した誰かさんと同じように。


「……なあ」


 情が移る、という奴だろう。


 ディンがゆっくりと口を開いたその時。


「おう。やっぱここにいたか」


 入り口の扉を押し開けて、竜車小屋の主人が声を響かせた。

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