第10話 最初で最後の
同日 昼前
「――どういうことだよ?」
辿り着いた南の街の竜車小屋のカウンターに手を置いて、ディンは店主に詰め寄った。
「だから言ったろ? いくらお前の頼みでも今日は竜車は動かねえ。つうか、全部王都に行っちまったんだから、出したくても出せるわけねえだろうが」
腕組みをしてカウンターの中に仁王立ちした身体の大きなおじ様は少しも悪びれることなく言ってのける。
「今朝方最後の便を出しちまったからな。
「……何で全部出すんだよ」
頭を抱えた渡しに、小屋の主が笑って答えた。
「んなもん、そっちの方が儲かるからに決まってるだろ? 一台十人乗っけて往復したらあっというまに一万ブルだぜ? まったく、ボロい商売じゃねえか。それともお前さんが一万ブルも払ってくれるか?」
「払うか、んなもん」
舌打ち交じりに言った少年に、ニヤニヤとした笑みを浮かべた主人は。
「ちなみに泊まっていくなら一人千ブルだ」
「ふざけんな。いつもの倍じゃねえか」
「わはは。外の連中は金持ちだからな。その値段でもすんなり払ってくれやがるぜ?」
「……成程ね。随分儲けてるってわけだ。んじゃ、こっちもいろいろ値段を上げさせてもらおうかな?」
そう言って渡しの少年が店のあちこちに視線を走らせると、店主は豪快に笑った。
「待て待て、冗談の通じねえ奴だな。言ったろ? 外の連中にゃその値段だが、お前さんなら特別いつも通り、そっちの客の分しか貰わねえよ」
「……ったく。んじゃ一人分、五百ブルでいいんだよな?」
ジロリと念を押す様に睨み上げるディンに、店主はニカリと笑って親指を立てた。
「もちろんさ。これからも良い付き合いを頼むぜ、ディン」
へいへいと肩をすくめ、ディンは背中に隠れるようにしていた少女を振り返る。
「だとよ、とりあえず今日は動けねえみたいだ」
溜息交じりの少年の言葉に、無言の少女は整った顔を小さく縦に。
「……飯、食うだろ?」
ちらりとディンを見上げた彼女は、脇腹に手を当てて何やら気まずそうに再び頷く。
「どうした? 腹でも痛いのか?」
竜車小屋の出口を引きあけてそそくさと出ていく金髪頭のつむじに尋ねると、少女はむにむにと自分の頬をつねりつつ。
「……いえ、ちょっと、知らない方でしたし……その……ちょっと、どうしたらいいのかと……」
歯切れの悪い少女の返答に、ディンは呆れて首を傾げる。
「どうしたもこうしたも、店の奴が知らない人間だろうと大したことじゃないだろ?」
「……いいじゃないですか、別に」
もごもごと口ごもりつつ、少女はついっとそっぽを向いた。
確かに店の人は見知らぬ上に風体もいかつかったが、彼女にとってはそれ以上に大したことがあったのだ。歩き出した少年の後ろに付けながら、街の入り口の向こうに見えるなだらかな斜面をみやり、少女はお腹の辺りに残った感触と共に先程の出来事を思い出す。
――『すぐに着く』と言われてからしばらく歩き、道中見つけたお気に入りの棒を振り回すのにも飽きてお腹と口数が減った頃、ふいに正面の方から楽しげな子供達の声が聞こえてきた。それに反応を示した渡しに続いていくと、いつの間にか背の低くなっていた木々の先、目の前が一瞬白くなるほど急に差し込んだ眩しい日差しの中、眼下に一つの街が見えた。
森から続く斜面を下って流れ込む細い川沿いに白木の水車が並び、各屋の屋根に突き出た煙突からぽこぽこと煙が立ち上る。その新しいのにどこか古臭く、わざわざ『化石の街』を再現したかのようなへんてこで美しい街並みに、少女は眩しさも忘れて目を見開いた。
『綺麗なもんだろ?』
隣で自慢げに言う少年に『まあまあですね』と笑って見せた瞬間、目の前の少年の身体が大きく揺れた。何とか踏ん張り、倒れることを拒んだ彼は、背中に飛び乗っていた男の子を地面に投げ飛ばし、腕に絡みつく少女をはたき落とし、足に纏わりついた小さな子供は蹴り飛ばした。傍目に見れば、悪魔の所業だ。そんな扱いをしながらも何故だか彼は人気がある様で、笑いながら飛びかかって来る子供達に何度も何度も名前を呼ばれてはその度にその子の名前を呼んで地面に転がしていた。
――で、問題だったのはその後である。
足下に見えていると言うのに、道なりに行くと斜面を大きく迂回しなければたどり着けない街と、子供達が持っていた薄く反り返った板。いくら私が紙の上の想像と部屋の中での空想以外の人生経験に乏しいとはいえ、それぐらいは簡単に予想がついた。つまり、ここからあれに乗って滑り落ちるのだ。
この、急な斜面を。
尻込みしてはみたものの、かといってかすかに漂うご飯の匂いと重たくなった足腰には逆らえず。渡しに促されるまま、少女は子供から借り受けた大きな板の上に腰かけた。
『お子様サイズでピッタリだな』
などとからかう不潔な悪人面を睨み付けると
『掴まってろよ』
という声と共に、板の前面に取り付けられたロープを片手で握った彼が少女の背中を押して斜面へ向かって走り出した。意味のある声を上げる間もなく、目の前の地面が空に代わる境界線が迫ってきて――ふわりと宙に浮いた感覚と、後ろに飛び乗った少年の両腕が脇腹に回る感触。背中に体温、左耳の脇でくすぐったい程低い声。
思わず、変な声が出た。
すると後ろの男は少女の自慢の金髪が『邪魔だ』とぬかしてきたが、もう、何と言ったかは覚えていない。そうして、同じく隣を滑りながら囃し立ててくる子供と速度を競うようにあれこれと指示をしてくる少年の声を頭の後ろで聞きながら、一気にふもとの街まで滑り降りて来たのであった。
すごいスピードで斜面を下る恐怖感と風を切って景色が吹き飛んでいく快感と、そして胸の内に湧き上がる妙な安心感。初めて見たはずなのにどこか懐かしく、焦りや不安で焦がれた心の火傷を優しく撫でてくれる街。
長く長く冒険に憧れてきた少女にとって、それが『エチェカリーナの冒険譚』に書かれるべき最初で最後の街の印象だった――
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