第7話 谷の子

「まあなんて言うか。それ位しか能が無かったからな。まだガキの頃にこの街に来て、ジェシカの世話になりながら、金を稼ぐために一番初めに覚えた仕事だ」


 と、肩をすくめたディンに対し、少女はふむふむと頷いていた。


「驚きました。意外にベテランだったんですね」

「まあな、今となっちゃ王都のあの地域の仕事は大体俺が扱ってるな」

「成程、なかなかやりますね。てっきりただの酔っ払いだと思ってました」


 苦笑いを浮かべたディンは冷たくなった拳を口に寄せて吐息を掛ける。

 すると、一瞬だけ閉じた少女の瞳が意を決したようにくるりと輝いた。


「その年でお金を稼ぐと言うことは、この街には一人でいらっしゃったのですか?」

「ああ」

「ご家族は?」


 ディンは少し言いよどんだ。家族について言いにくい事があったのではなく、それをどう伝えたらいいのか分からなかったから。


 あー……と唸りながら宙を睨んで逡巡し、腕組みをした彼は、ゆっくりと語り出した。


「ここからずうっと南に行くと、国境の所に『谷』って呼ばれる場所があるんだ。森の最後ら辺の地面がいきなりどかんと割れてるみたいな、そういう感じだ。いろんな国の奴がいろんな名前で呼ぶもんだからまだ名前も決まってない、デカくてやたらと入り組んだヘンテコな谷だ」


「聞いたことはあります」


 それは、例の王女と騎士の恋物語にも登場する『神秘の谷』の事だろうと見当をつけて少女は頷く。


「そこにはさ、昔っから変な奴らが住みついていて、外とは大分違う暮らしをしてたんだ。季節と気候に合わせて谷の中を移動しながら、田舎町位の数の人間がいた。どこの国にも属さずに、だから余所の法律にも縛られず、まあ、のんびりやってたみたいなんだが、外から来る人間をあんまり軽々しく受け入れてたもんで、いつのまにか犯罪者やらなんやら、外の暮らしを追われた奴の吹き溜まりみたいになって行ったらしい」


「元々の連中は、尊い使命のためにそこに住む『闘いの民』を自称してた。魔導力ってのは悪魔の力だって言う考えの、時代遅れの連中だった。それが結局、周りの国から谷の独立と自由を守るため、あるいは谷を越えようとする商人から荷を奪うため、そういう外の奴らの武器に対抗するために魔導兵器とそれを買う金を掻き集めるような、悪魔の手先になっちまったんだからお笑いだ」


 そこでディンは言葉を切った。どうにも自分は話が下手だ。こんなんじゃいつまでたっても本題に入れない。


「……まあ、この辺はどうでもいい背景だ。んで、連中はてっとり早く最新の武器と金を稼ぐために仕事を始めた。それが傭兵と殺し屋さ。んなどうしようもねえ仕事を始めるから、当然、ますます谷はおかしくなった」


 少女はぴくりと眉をひそめた。


「殺し屋ですか……はあ、成程。感心できる話ではないですね」

「元が犯罪者と『闘いの民』の集まりだからな。能無しの馬鹿ばっかりだったんだ」


 苦笑を浮かべたディンは続ける。


「んで、そういう頃に一人のガキが生まれた。古くっからの考え方で、誰の子だとかそういうのは別にない。みんなが家族っつうのかな、そういう谷の子として生まれたんだ。誰の子ってのがないから、名字も無い。ただ、気が付いたらディンって呼ばれてた」


「ちょっと待って下さい。ディンって、え? あなたの話ですよね?」


「……聞いてりゃわかることを確認すんな。さっきも言ったろ? ディンってのは俺の名前だよ。岩場の影に張りつく、花みたいな苔の名前さ。ちなみにジオでの花言葉は『嘘』とか『偽り』だとかそんな感じだ。なもんで、こっちに来てから名乗るたびに変な顔をされてたよ」


「あ……ええ、花言葉という風習でしたら聞いたことがありますが……」


 混乱したように金髪の頭を傾けた少女を置いてきぼりに、ディンは話の続きを喋り出す。


「――その集落の中に、ティッパーフィールドの話を聞かせてくれる爺さんがいて、俺は毎日みたいに聞きに行ってた。それこそ、全部覚えちまうくらいにな」


「別に何があったとか、そういう訳じゃないんだけどな。ただ、そのうちあそこにいるのが嫌になった……というか、外に出てみたくなったんだ。あの本に書いてあるものを自分の目で見てみたくってさ。なにせ向こうはぎらつく賭博街やら雪の海に丘の舟で、こっちは谷の底をこそこそ這いずり回る生活だ。面白くねえったらありゃしねえ」


「そんで、ふらっと外へ出た。とりあえず近くにあるって言う光の海って奴を見に、いっぱしの冒険家気取りでな。……だけど、そのガキは何にも知らなかった。森の中でヤバい獣にあっさり出くわして逃げてる内にどこにいるのかも分からなくなっちまってさ、一年位か、獣と同じ様な……いや、もっと最低な生活をして、とにかくめちゃくちゃ歩いてる内に、偶然――辿り着いたんだ」


「え?」


 言葉を切って意味ありげに笑ったディンに、少女の目が大きく見開く。


「それって、まさか……」


「ああ。ティッパーフィールドが見たって言う光の海だ。多分、見つけた場所も近いんだろうよ。崖下にぶわっと光の絨毯が広がってて、そりゃあもう綺麗だった。頭ん中が逆立ちしたみたいに痺れたよ」


「泣きました?」


 少女の問いに、少年は笑う。


「無様にな」

「いいなあ、羨ましいです」


「まあな。んで、もうわけわかんなくなって無理やり崖を転がり降りて花のど真ん中で寝てやった。そんで明け方、たまたま見に来てた渡しのおっさんに見つかって、そのまま王都に連れてかれた。あのジェシカの店にな。……ん? ああ……八年くらい前だったかな。あとは最初に言った通り、飯を食うためにおっさんの仕事を手伝って、そのおっさんが引退する時に仕事を引き継いだ。きっかけってほどじゃあないが、そんなとこだ」


 成り行きってやつか。と笑ったディンは、肩をすくめて足元に転がる花の屑を指で弾く。


「……でも、そうなんですね」


 ふいに聞こえた少女の呟きに、ディンは何のことかとそちらを向く。すると、まじまじとこちらを見つめている少女と目があった。花の光が弱った今では、彼女にはあまりこちらの顔が見えていやしないのだろうが、何だか少し照れくさく思えて目を逸らした。


「ジェシカさんでしたっけ。彼女が、出がけに言ったんです。『大丈夫、あんたは運が良いから頑張りな』って。何のことかと思ったんですが、案外そうなのかもしれませんね。まさか、こんなに簡単に『ディンさん』に会えるなんて」


「……あんた、さんざん人の事悪く言ってなかったか?」


「ええ。もちろん、あなたが尊敬に値しない人だという事には変わりありませんけど。仕事が出来るならまだましじゃないですか」


「そいつはどうも」


 いたずらっぽく笑う少女に、少年は皮肉交じりの視線を投げる。


「ふふ。それに、ディンさんてあの物語のモデルになった人なんですよね?」

「……あ? んなこと誰に聞いたんだ?」


 ぴくりと頬を引きつらせた少年の態度に、少女は少したじろぎつつ。


「ええっと、泊まっていた宿のお客さんが教えてくれました」

「宿の客? 旅行者か?」


 異国の旅行者にまでそんな話が広まっていたら、仕事がやりづらくて仕方がない。

 多分に苛立ちを含んだディンの問いに、金髪の少女は膝を抱える。


「違いますよ。一階にある酒場の方のお客さんで……確か近くで陶器屋さんをやっているとか……」

「……っのオヤジ」


 心当たりのお喋り陶器屋の顔を浮かべたディンは小さく舌打ち。


「まあいい。それよりあんた、宿酒場なんて随分安いとこに泊ってるんだな」


「あ、はい。ティッパーフィールドが最後に泊まった宿だと聞きまして、少々無理を言って取って頂いたんです」


 自慢げな彼女の言葉に、ディンはいつだったかに光の海へと渡したティッパーフィールド愛好家の集団を思い出した。確か彼らも自分達の宿についてそんなことを口にしていたはずだ。


「……最後の宿って、アダ何とかって言う、あそこか? フリオの親父の店の」


 少女はちらりと小首を傾げ。


「ええ。フリオと言う方は知りませんが、確かにアダンティアという宿ですよ」


 その言葉でディンはやっと今日の疑問に合点がいった。


「……はーん、道理で今夜は店に客が来ないわけだ」


 そもそも王都の連中は、明日が王女の結婚式だからと言って酒を飲むのを我慢する様な輩じゃない。むしろめでたいことにかこつけて明後日までは仕事もせずに飲み続けるという方が頷ける様な馬鹿どもだ。そんな常連客が今日に限ってジェシカの店を訪れなかった理由がようやくわかった。


「成程ね。全員あっちの店にいたってわけか」


 そう言われればそうなのだ。何しろその店はティッパーフィールドの宿というよりも――。


「ええ。お店の外まで人があふれて、ものすごいどんちゃん騒ぎでした。てっきりティッパニスタのお仲間かと思って尋ねてみたら、『あてどない旅』なんてまったくご存じ無いようでしたし」


「だろうな。この国じゃあ、あの本はまだ翻訳されてないらしいからな。読んでる奴なんてほとんどいねえよ」


「そうなんですか? もったいない。人生の大きな損失です………あれ? でも、じゃあどうしてみなさんわざわざあの酒場に?」


 拍子抜けした表情でディンは瞬き。


「何だ、知らねえのか? あの宿酒場の息子様が明日の結婚式の主役だよ。庶民出身の悪ガキが剣一本で出世して、明日には未来の国王様なんだからな。あの界隈じゃあすでに英雄みたいなもんさ」


「へえ。庶出の方だとは聞いていましたが、まさかあの宿が……あ、ではそのフリオ様というのが、ジュラルド様のことなんですか?」


「? ジュラルド?」


「はい。ああ、ええと……あの恋物語の騎士様です」


 憧れの恋物語の人物の登場に、少女は嬉しそうに両手を合わせた。


「いいですよね、ジュラルド様。一途で、どんな時でも前向きで、強くて、優しくて真直ぐで――ちょっと鈍感な所がまた読者をやきもきさせるというか……」


 うっとりと語り出した少女の鼻を見つめつつ、ディンはつまらなそうに溜息をこぼす。


「何だそれ? ただの馬鹿じゃねえか」


「失礼ですね。ジュラルド様は聡明なんですよ、かの南の谷の討伐作戦の時もディーノとかいう焼きもち男が仕掛けた卑劣な罠を切り抜け…………え?」


 唇を尖らせた言葉の途中、金髪の少女の表情が固まる。


 なぜならジオの南部討伐は、実際の出来事・・・・・・だったはずなのだ。


「言っておくけどな、フリオは確かに馬鹿だけどあんたの言うジュラルドとかいう奴じゃねえし、そのディーノとかいう奴も俺じゃねえ―――あ? どうした?」


 ふいに止まったお喋りを疑問に思いディンが隣の客を伺うと、先程までの楽しげな光の消えた瞳がぱちくりと瞬きを繰り返していた。


「あ、いえ……ええと……あれ? 確かあなたは先程、南の谷の御出身だと……」


 何かを察して戸惑った様子の少女に、黒髪の少年は口の端を歪ませて笑いかける。


「ああ、そうさ。だから俺が渡してやった。他の奴にはどこにいるかもわからねえ蛮族の場所まで、フリオ様率いる討伐軍をな」


 岩の上に座っていると、尻が冷える。もう一枚位、獣皮を用意するべきだった。


「……故郷、なんですよね」


 かといって二枚重ねのローブにくるまる金髪から取り上げるわけにはいかなそうだ。


「まあな」

「みんなが家族とおっしゃいましたよね?」

「昔の話だ」

「…………どうして、そんなことに」


 少年は、夜を見上げた。雨も弱まり、風の匂いも変わり始めた。

 明日の式はきっと素晴らしい天気になる。


「いろいろあるんだ、いろいろと」


 話は終わりと言わんばかりに光の消えかけた花の欠片を手で払い、ディンは

「もう寝ろ」と少女を促した。

 だが少女は生意気に「お断りします」ときっぱり言い切る。


「いろいろだなんて、ずるいです。もしティッパーフィールドの冒険が『いろいろありました』で終わっていたら、大変なことになってしまいます」


「知るか。だったらまずその『大変な事』ってのを具体的に言え」


 お喋り女を睨んでくしゃくしゃと頭を掻いたディンは、ふと気が付いて言い直す。


「待て、やっぱ言わなくていい。言わなくていいから早く寝てくれ」


 なんにせよ、明日になればお別れなのだ。


 朝から歩いて、昼頃には南の街に着くだろう。


 そこから彼女を竜車に乗せれば、それで終わり。依頼の内容はとにかく外へ、だ。後の事など知った事じゃない。世間知らずのお嬢様がその後どこでどう生きていくのか、あるいはそれすら許されないのか、それは自分のあずかり知らぬ事なのだ。


 きっと、神様とやらが決めてくれるに違いない。


 とにかく今は寝ておくことだ。余計な事を喋りすぎた。


「……んな顔してもだめだからな。明日は早いぞ」


 光が鈍り濃さを増した闇のおかげで見えないけれど、少女がどんな顔をしているのかは想像がついた。


「……わかりました、おやすみなさい。続きは明日お願いしますね」

「おやすみ」


 その言葉が胸の内側を通ると同時に沸き起こったむず痒さに、ディンは寝転んだ少女から顔をそむけた。言ってみると案外良い言葉だと思った。今度ジェシカに言ってみようか……いや、からかわれるからやめておこう。


 ――となるともう、言う相手がいねえじゃねえか。


 少年は、自嘲の笑みを浮かべた。この街に来てから数年間、それなりに上手くやってきたつもりだった。金を稼ぐ手段も教えてもらい、友人と呼べる人間も向こうからずけずけとやって来た。森の知識を活かして薬医になることを勧められ、今では人々の信頼も得られたと思う。そういう暮らしを続けているうち、初めに感じたどうしようもない疎外感は薄れていって、それでも、やっぱり、だめだった。


 結局すべては自分の勘違い。


 あの日。討伐軍の凱旋を祝って歓声と共にグラスを掲げた、馬鹿なんじゃないかと思う程優しかった人の輪の中に、入れはしないのだと痛感した。彼らの優しさを知れば知るほど、かつて自分達が奪ったものの大きさを感じるばかりで。


 あの連中が紡ぐ綺麗な花の環の中に、嘘偽りディンが混ざることなどないのだと――。


「……寝ないんですか?」


 左の肘の方から聞こえたくぐもった布越しの声をディンは無視した。


 最近は光の海を訪れる観光客のおかげで、すっかり生活が逆転している。昨日も一晩かけて北の街から訪れた老夫婦を光の海へと渡したおかげで、今日起きたのは夕方だった。


 だから、今夜は眠くないのだ。明日、家に帰ったらゆっくり寝よう。


 ゆっくり寝て、それで、気が付けばあの馬鹿騒ぎが終わってりゃそれでいい。


「寝ないと、明日大変ですよ」


 一発叩いてやろうかと思う気持ちをぐっとこらえる。

 今寝ちまったら、それこそ大変だ。雨のおかげで向こうがこちらに気付きにくいと言うことは、こちらも向こうに気付きにくい。この森の中はいろいろと危険が潜んでいるのだ。


「返事、してくれないんですね」


 特に、こういう、生きていることが権力につながる誰かには。


「しつこいな。わかったから早く寝ろ。次からもう無視するからな」

「……あの恋物語は読みましたか?」

「読めるわけねえだろ」

「……でも、本当にあの二人とお知り合いなんですね?」

「さあな」

「レイシア様って、やっぱり、綺麗な方なんですか?」


「…………まあ、な」


「あの、今度もしもお会いすることがありましたら、お礼と、お詫びを伝えてください」

「言葉だけなら五十ブルだ」

「あら、お安い」


 皮肉のこもった少女の声に、どうせ届けるつもりの無い言葉だとディンは胸の中で笑う。


 そうしてしばらく、二人の間に静けさが戻り。


「あの、もしかして、本当にあなたも――」


 何かを言いかけて飲み込む少女の小さな息遣いが聞こえた後。


「……明日、晴れるといいですね」


「…………そうだな」


 なんのことかを言った彼女は、ぐるりとディンのローブを巻きつける様にして壁の方を向き、あっという間に静かになってしまった。


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