第6話 王の娘
「……『助けて』ってのは、どういう意味だ?」
聞くべきでないのは、分かっていた。
それでもこぼれてしまった問いかけを受けて表情を消した少女の顔に、改めていびつな笑顔が浮かぶ。そして、まるでからかう様な声。
「言葉の意味は、辞書で調べるのが一番ですよ」
「……あんなもん、何をどうしたら良いのかもわかんねえよ」
苦笑混じりに返したディンは、くしゃくしゃと頭を掻いた。
「言いたくないんなら別にいい。結局俺は、あんたを外へ連れて行くだけだからな――」
言葉を切って、少年は森を見つめた。相も変わらず静かな雨が葉を叩く音だけが延々と響いている。夜明けはまだまだ向こうの方だ。
「――だからこれはただの好奇心、余計な詮索だな。勝手に起こして悪かった」
聞いているのかいないのか膝を抱えて床を睨む少女の横顔をちらりと眺め、ディンは寒さに縮んだ背中を伸ばす。
と。
「ずるい人ですね」
静かに響いた冷たい少女の物言いに、こめかみがぴくりと反応する。
「……あ?」
「『言いたくないなら言わなくていい』……ですか。気を使っている振りをして、本当は聞くのが怖くなったんじゃないですか? あなたの『単なる好奇心』が、相手の気分を害したというのに」
少女のその責める様な口ぶりに、聞いているディンの気分も害された。
「何だよ。だったらどうしろっつうんだよ」
「自分の好奇心に責任を持つべきだと言ってるんです。扉を叩いてからそこに魔女が住んでいると気付いたからといって、向こうが扉を開けたらそこから姿を消しているような、そういう真似はずるいんじゃないかと思います」
あなたが扉を叩かなければ、魔女は眠っていられたのに――。そう、金髪の少女は付け足して強い瞳でディンを見つめた。
「私、あまり人とお喋りした経験が無いので、あなたみたいな人でもお話しするのが楽しいです。ですから、先程調子に乗って渡しになった経緯をお伺いして――その時のあなたの顔を見て、しまった、と思いました。あなたみたいな心無い嘘つきでも、話したくない事があるんだなってそう感じました。でも、私がそれを思い出させてしまった以上、私は扉の前から逃げる様な真似はしません。あなたが扉を開けてくれるか、あるいはそこに鍵をかけるまで、ずっと扉を叩き続けます。それが好奇心に対して責任を持つと言う事です。それが、冒険家の心構えです」
――きっと、さっきの私も同じような顔をしていたんじゃないですか。
――それを見て、あなたが逃げようとしたのが分かりました。
そう言って膝の間に顎を埋めた少女の顔は、緩やかに広がる金色の髪で見えなかった。
少女の言葉が途切れると、渡しの少年は不機嫌に舌打ちをして。
「……もしも俺が辞書を作るんなら『うざったい』って言葉のとこにはあんたの顔を描いておくな」
「では、次に会う時は国際法廷ですね。ジオが連合に加盟してくれて助かりました。国際法に基づいてあなたに裁きが下ることでしょう」
「そこは神様の罰じゃねえのか?」
「……神の前では一個人など意味を持ちませんので」
「はっ、なんだよ、だったらお祈りなんて意味ないじゃねえか。神様はたくさん祈った奴を救ってくれるんだろ?」
「あなたみたいな打算的な人にはそうなるんでしょうね。祈りにまで対価を求めるなんて、哀れな人ですね」
抱えた長い足の間に顎を埋め、少女はディンを軽蔑の眼差しで見つめてくる。
「だったら、俺なんかじゃなく神様に『助けてください』って祈っときゃいいさ」
「神は多くの人の心を救いはすれど、決して個人を助けたりはしません。もし神が動くとしたら、それは御自らこの世を破壊し、愛を持った者達のために永遠なる楽園を再構成なさる時なのです」
「なんだそりゃ? あんたんとこの神様に良い顔した奴がずっと仲良くするってか? はっ、そいつはつまんねえ世の中だな」
「…………おかしいですね。ピスト教においても、この世は一度審判を受けた楽園のはずなのですが。ならばなぜ、あなたの様な悪人が存在しているのでしょうか?」
「はっ、大方俺の先祖があんたの神様に金でも渡したんだろ?」
「何と言う失敬な。ああもう駄目ですね。これは紛れもない冒涜ですよ。今から祈ったって駄目ですから。例え神がその広い御心であなたを許そうと、この私が命に代えても次の楽園には立ち入らせません」
これはまた随分嫌われたもんだと、ディンは苦笑を漏らした。
「んじゃあ、せっかくの楽園でも見張り番か。大変だな、あんた」
「……まったくです」
呟き肩を落としたお嬢様に、ディンは皮肉な口調で。
「んじゃ、暇になったら呼んでくれ。いつでも喋り相手位にはなりにいくさ、地獄の土産話を一杯持ってな」
「…………こっちに一歩でも入ってきたら突き落としますけど、それでよろしければ」
「十分十分、片道千ブル頂ければ飛んでいくさ。もしも地獄に行きたきゃ言ってくれ。二千ブルで招待するぜ」
ちなみに帰りは十倍だ、と笑う少年を照らす花の光が一瞬揺れて。
ふふっと声に出して笑った少女が、ディンの方に向き直った。
「では、もしよろしければ、聞いて頂けますか? 私がどうしてあなたみたいな人に頼っているのかを――」
そこで一度俯いた彼女は、訴えかける様な目でジオの若者を見つめ直す。
「――私のいた、楽園のような、地獄のお話を」
「……聞いたらいくらかもらえんのかよ?」
悪態をついたディンに、少女はにこりと笑って見せた。
「そうですね。私の話を聞いて頂けたら、次はあなたのお話を聞いて差し上げますよ」
「なんだそりゃ? 割に合わねえぞ」
「そうですか? 何でも聞いてあげますよ? あなたの夢も、自慢も、後悔も――懺悔でも。意外と聞き上手な私が、静かに聞いてあげますから」
長い睫の向こう側、きらきらと光る瞳がディンを見ている。
「……結局、あんたが俺の話を聞きたいだけだろ?」
「もちろんですとも。あんないかにも何かありそうな顔されて、聞き逃せるわけないじゃないですか」
少女は笑う。
「あなただって同じですよね? 秘密の匂いに心躍るのが、我々ティッパニスタなんですから」
「その『我々』にゃ、俺は入れてもらえないんじゃなかったのか?」
「それが何と今だけ特別に期間限定入会を認めてるんですよ。良かったですねえ。言っときますけど、こんなの普通は無いんですからね。あ、ちなみにもちろんタダですから、その辺はご心配なく」
さすがと言うか何と言うか、宗教国ピスタティアのお嬢様は実になめらかに怪しげな勧誘の台詞を吐いて微笑んだ。
「いや、忙しいんで遠慮しておくわ」
「ダメです。人の好意は有り難く受け取らないと損ですよ。しかもタダなんですよ、タダ」
ぱっと両手を広げて驚きを表現する少女にディンは笑う。
くるくると表情が変わって忙しい女だ。
「わかったよ。んじゃ、今夜だけ、今夜だけあんた達の仲間になってやる」
今夜だけだぞ、ともう一度しつこく念を押し、闇と見分けがつかない漆黒の髪をした少年はゆっくりと左右に身体を揺らした。
「まあ、どうしてもって言うなら仕方ないですね。許可しましょう」
「ありがたいね。これで俺もエロ師匠の弟子入りだ」
「……殴りますよ」
拳を固めて睨む少女に、ディンはあっさりと両手を頭の脇に広げジオで一番の屈辱のポーズ(当然嘘だ)を取って見せた。
「冗談だって。ほら聞いてやるからちゃっちゃと話せ。んで、暖かくして寝といてくれよ」
わかりました、ちゃんとあなたも話してくださいよ。と言って拳を下ろした金髪は、羽織った大きめのローブの前をぎゅっと合わせて語り出した。
「――ピスタティアというのは、美しい国なんです。イストフェリカという静かな湖を中心に、この国にも負けない程の景観を抱く国なのです。そして……彼女――エチェカリーナは、その国で国王の娘としてこの世に生を受けました」
胡坐の上に頬杖を付き、面倒くさそうなポーズを取っていたディンの瞼がピクリと動く。
「ちょっと待て、イ、エチク? その何とかリーナってのは、あんたの事か?」
「……あなた、恐ろしい程の聞き下手ですね。聞いていれば分かりそうなことを一々確認しないで下さい。それと、エチェカリーナです。ちゃんと契約書くらい読んだらどうですか?」
王女様ねえ……と肩をすくめた少年は、口の中で何度かその名前を転がしてみたが上手く発音することはできなかった。
「……まあ、それで、ご存じのとおりピスタティアと言うのは、ピスト教の大本山です。かつては八王家の一角として世界連合の盟主まで務めたその王家も、世界中に教徒を持った今となっては、教会の権力のまえではお飾りにすぎません。それでも、国の体制として王制が存在しているということは、国王の権力はその国の内部において絶対であると言う事なんです」
「本当は王様の方が偉いってことか?」
差し込まれたディンの問いに、少女はこくりと頷いた。
「仕組みとしては、そうです。ですが国民のほぼすべてがピスト教徒であり、資金力も軍事力も遥かに教会が国を凌駕しているという状況では、王の力など紙に書かれた言葉の上でしか存在しません。ましてや民の模範である王族も敬虔な教徒である以上、実質あの国は教会の物であると言えるでしょう――」
暗闇の中、淡淡と。
「――ですが、権力と言う物は必ずどこかに不満を生みます。あの国ではそれが、かつて国王から権力を与えられた貴族達でした。国民を主導とした教会のやり口に異を唱える彼らは熱心に国王の、ひいては自分達貴族の復権を唱えていました。国王の主な仕事と言えば、彼らの不満を聞くことだと言ってもいい位に――」
「――優しい国王は彼らの訴えを丁寧に聞き、ピスト教の教えに照らして諭していました。ですが、それは教会からすればあまり好ましくない事態だったのです。万が一にも国王が貴族にそそのかされて反旗を翻したり、あるいは他の宗教に鞍替えしたりすることが無い様に、教会は国王を言いくるめて彼の娘を人質に取ることにしました。国王がそれを彼女に告げたのは、エチェカリーナの十歳の誕生日でした」
ディンはぽきりと首を鳴らす。消えかかった花の光に照らされて、少女の白い肌が揺れて見えた。
「それから彼女は、母と二人、湖畔の塔で暮らすことになりました。まるであの冒険譚に出てくるような、世界中の本が並べられたその静かな塔に、まだ何もわからない子供だった彼女は少しわくわくしていました」
「遊びに行くことすらできなくて少し泣きそうになることもあったけれど、これも神様のおぼしめしならとそう思って、彼女はたくさんの知識と異国の言葉を学びながら、三年程、塔の中で毎日を過ごしました――」
「――身体を弱らせた母のための祈りも、毎日欠かさず続けていました」
「四年目に、母は亡くなりました。それで、やっと、彼女は、どんなに大きな声を出しても誰も助けに来ないその塔の生活を抜け出そうと考えました――どうしようもなく冷たくなった、母の横で」
「どこでもいいから、どこかに行きたいと思ったのです」
「閉じ込められている事よりも、閉じ込められたままでいる自分が嫌でした。ただ言いなりにそこにいる自分がたまらなく嫌いでした。エチェカリーナ・フォン・ピスタティアは、国王の娘であり、世界中の言語を理解でき、たくさんの――本当にたくさんの本を読んで生きて来た、何者でも無い少女でした。世界中のどこを探しても、どこにもいない少女でした。だから、このまま朽ちて死ぬまでに、何かになってみたいと思ったのです」
「とにかく外へ――それだけを心の支えに、少女は必死に時間を重ねました」
「そんな彼女がすでに国王が亡くなっていたことを知らされたのは、貴族たちが塔を訪れるようになった五年目でした」
「格子の向こう側に彼らの不満と蜂起への誘いを聞きながら、彼女は、もしもこの生活が国王の娘に生まれたためだと言うのなら、両親が亡くなったことで自分はそこから解き放たれるべきだと考えました。そうしてそこから二年間、部屋の中に溢れた本が手垢で汚れきった頃、いつの間にか十六歳を過ぎ、もうすぐ王位の継承権を得られる少女に、ついにチャンスは訪れました。ジオという国のお姫様の結婚式に、八王家の一員として招待されたと言うのです。彼女は、ジオがどういう国なのか知っていました。何と言ってもあの光の海がある国ですから。ジオの言葉を理解できるのは内緒です。そしてその国にある森は、渡しと言う道案内なしには越えることができないはずなのです。一度従者を撒いてしまえば、彼女は自由になれるのです――なれる、はずなのです」
「わくわくして、どきどきして、胸にこみ上げる期待と不安を抑えながら、彼女はその街の片隅にある渡しの店をくぐり、少し浮かれた振りをして店主の女性と会話をしつつジオの言葉で契約を交わします。生まれて初めて手が震えました。何しろ後ろに控える従者にばれたら終わりなのです。それに、少女は少し焦っていました。なぜなら腕のいい渡しがいると聞いて尋ねたその店には、まるで緊張感の無い不潔な酔っ払いの若者しかいなかったのですから。何とか噂のディンという人を呼んでもらえないか、あるいはもう少しマシな人を用意してもらえないかと考えた少女は、とっさに己の窮状を伝えるべく計画には無かった一言を付け足しました。それは、母が亡くなったあの時から、どんなに叫んでも無駄だと知ったあの時から、口にすることをやめた言葉でした」
「――たすけて、です」
そこで、ふう、と息を吐いた痩せた金髪の少女は少し疲れた顔でディンを見た。
「と言うのが、あの言葉の大まかな意味です。ご理解いただけましたか」
「……大体は、な」
荷物の中から水筒を取り出したディンは、曖昧に頷きながらそれを少女に握らせた。
そうしてこくこくと水を飲み下す少女を横目に、彼は奥歯を噛みしめる。
割に合わない。まったくもって割に合わない仕事を引き受けた。彼女の話が本当ならば、この仕事には嫌な匂いが漂っている。ちらりと少女の様子を伺うと、何も知らない彼女はゆっくりと呼吸を整えていた。そうして、再び水の入った筒を唇に運んだ彼女の手首に巻かれた花環に気付くと、ディンは小さく舌打ちをした。
なぜなら、彼女の腕に巻かれていたのはサザメ、オリッジ、グラダロの花を編んだ物。
花言葉である『旅立ち』と『永遠』に『再会』を組み合わせたその花環には、解釈するほどの意味は無い。ジオの国では、街全体の祭りや祝い事の最中、身内に不幸のあった家は玄関先にそれを吊るす。そして、祭りが終われば墓に掛ける。
パルムシェリーと呼ばれるその花環は、特別な意味を持たない葬送花だ。
話を聞くまでも無く、ジェシカは事の次第に気づいていたと言う事だろう。
思えばディンは、従者を連れて歩く年若い少女を見て身分の高い人間だと思ったのだ。従者の人数からしてそこそこの名家なのだろうと。だが、遠く離れたピスタティアから、そこそこの貴族をいちいち招待するわけが無い。あるいは契約書に書いただろう名前からか、奇しくも紙の上をのたうつことになった『助けて』という一文か。とにかく、ジェシカは見抜いていたのだ。一国の王女が、それも、王族の権力が地に落ちた国の最後の血の一滴が深い森に連れられていくという状況に。王女がたどるだろう結末に。
それでいて彼女を『外へ渡せ』と言うのだから人が悪い。
深い溜息を吐いた少年の横、輝きを取り戻した少女の瞳がディンを覗きこむ。
「約束ですよ。次はあなたの番です」
「俺の番つってもな……」
頬杖を付いて岩の天井を睨むディンを王女様がせっついた。
「渡しになったきっかけから、お仕事でのエピソードなどを、ぜひ!」
ぜひ、の所でぐっと身を乗り出した少女の姿にディンはぼりぼりと頭を掻いた。
「きっかけねえ……」
正直、それどころではなくなった気がしていたが、無理に客を不安にさせる必要も無い。今は上手く仕事をこなすだけだ。そう思い直した彼は、不潔と言われた顎髭に手を当てて森の向こうまで続く闇を見やった。
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