第4話 眠る前にはお話を

「……あの、あなたは光の海を見たことが?」


 少女の問いかけにディンは薄く笑った。なぜならそんなことは当然であるし、そう言って渡しを見つめる少女の瞳が、その手の中の花よりもよっぽど輝いている様に見えたから。


「ああ。あるよ。何度も。ここ最近は毎晩見てる。客を渡すついでにな」


 岩の天井に反射してあちこちからぶつかってくる少年の声に、少女は膝を強く抱えた。


「やっぱり、綺麗なんですか?」

「……人によるな。満足そうに笑う奴もいれば、こんなもんかって顔してる奴もいる」


 少女はうん、うん、と相槌を返す。


「――泣いた人はいましたか?」


 その何かを期待するような目に、ディンは苦笑。


「さあな。とりあえず、あの冒険家以外にゃそんな奴見たことも聞いたこともないな」

「そう、ですか」


 少し残念そうな顔をして、少女は膝の間に顎を埋める。


「……取りあえず今日はもう寝とけ。明日も少し歩くからな」

「少し、ですか」


 力なく笑った彼女は、溜息と共に小さな頭をかくりと伏せた。


「あんた、本当に体力無いな」


 先程感じた少女の軽さを思い出しつつ、ディンは呆れた様に笑う。

 とはいえ、その辺の男連中よりも長距離を歩いた彼女の気力には賛辞を送るべきであったが、普段客には無関心であるディンにそれを褒めるという発想は無かった。

 細身の身体を弱弱しく光る花に照らされた毛皮の上に横たえて、少女はくるりと丸くなる。


「掛けとけ」

 声と共に、頭の上からくたびれたローブがかぶさる。


「風邪、引きますよ」


 黙って外を見つめる少年をみやりつつ、少女は暖かいその布の中に遠慮なくくるまった。

 どことなく甘い落ち着いた香りに包まれた彼女は、その冒険の匂いを胸一杯に吸い込んで、


「変な匂いです」


 天邪鬼に笑って見せた。


「うるせえな。寝る時くらい黙っとけ」


 不意を突かれて苦笑したディンは、ここ最近行動範囲を広げてきた危険な獣を警戒するため夜闇の中へと視線を戻す――が、丸めた身体をくすくすと揺らして笑った少女は、格好つけた体勢で座る少年の足に狙いを定めてパンチをくれた。


「……おい、こら」


 さすがにディンが鋭い目で睨み付けても、顔だけをローブから出した金髪はしれっとした表情で。


「ねえ、何かお話していただけません? そしたら黙って寝てあげますよ」


 などと楽しげにのたまった。


「何があげますよ、だ。馬鹿。いいから寝とけ」

「足が痛くて眠れません」

「偉そうに言うな、馬鹿」

「馬鹿じゃないですし。それに、馬鹿馬鹿言う方が馬鹿なんですよ」

「どんな理屈だよ、金髪馬鹿」

「あなたは自分が馬鹿であると意識しているから、他人を仲間に引き込んで安心しようとして私に馬鹿馬鹿言うんです」

「意味がわかんねえよ、この――」

「バ~~カ」


「……あんた、その辺に捨てていくぞ」

「ちゃんと仕事してください」


 わざとらしく唇を尖らせた少女に、ディンは忌々しげに舌打ちを返す。


「わかってるよ。うるせえな」

「では、お話をどうぞ」

「何でそうなる」


 着古したローブにくるまりいたずらっぽく輝く少女の目を見て、ディンは大きく溜息を吐いた。


 ……調子が狂う。


 そもそも普段は知らない客と個人的な話はしないのだ。彼らの旅の邪魔にならぬ様、余計な気を使わせぬ様、なるべく気配を消して渡してやるのが一番だと思っているから。


 それがどうだ。


『とにかく外へ』――あての無い旅の始まりを告げる一文に惹かれ、断るはずの依頼を受けたのが運のつき。現れたのは小生意気で我儘で体力も無いくせに威張り散らす痩せぎすで美人なだけが取り柄の金持ち女。正直、一番苦手なタイプだった。こういう人間は大体出来たお供を連れてきているものなのだが、残念ながら今日はそれがいないのだ。


 きっと調子が狂うのはそのせいなのだろうとディンは思った。この女が一々楽しそうに話しかけてくるのが良くないのだ。そんな風に、何かを期待した瞳で、見るんじゃない。


 ディンは小さく首を振って。


「……つうか、あんた。やっぱり喋れるんだな」

「? はい?」


 闇に溶かす様に呟いた少年の脇、少女はぱちくりと長い睫をぶつけていた。


「ジオ語だよ。最初に店に来た時は、わかんねえ振りしてただろ?」

「ああ、そういうことですか。言葉が分からない振りをすれば、リオルさん――あの従者の方も油断してくれると思いまして」

「成程ね」

「ええ。実は私、世界の言語はほとんど理解できるのです」


 自慢げな少女の言葉に、ディンは驚いて。


「……本当か?」


 それでも訝しげに尋ねた彼に、ローブの中の金髪は寝転がったまま大層嬉しそうに胸を張る。


「もちろんです。ティッパーフィールド師匠の様に世界中を旅するため、幼い頃から身に着けてきましたから」


 そんな少女の微笑みをしばらく無言で見つめたディンは、素直にその才能と努力に感心した。


「…………すげえな、あんた」


 一国の王女たるレイシアにしても、さすがに主要な言語をなんとか理解できるほどだと言っていたのに。


「えへん、えへん。ダンクス、スペルシーボ、グラッチ、ウーシェイ」


 得意げに立てた指を振りながら少女が唱えた謎の呪文に、ディンは眉根を寄せた。


「うん?」

「えへへ。あちこちの言葉で『ありがとうございます』って言ったんです」


 ニコッと笑った金髪に、ディンは苦笑。


「そいつはどういたしまして」

「いえいえ。ところで、そんなあなたは異国の言葉はどれ位なのですか?」


 もぞもぞと冷たい岩の上で回転しながら上目に見つめてきた少女に、肩を竦めたディンは。


「どうもこうも、西と南の……隣の言葉がちょこっとわかる位だよ。ジオ以外の異国語なんてお手上げだ」


 すると少女は芋虫のように少しだけ少年ににじり寄り。


「そうなんですか。良くないですね、冒険に異国語は不可欠ですよ。それに、異国語を学ぶという事は違う文化やそれに伴う違う物の見方を知るという事なんですから。例えば『愛してる』って言葉にしても、『私があなたを愛している』のか『あなたが私に愛されている』のかっていう程に違いますし、ただ単に『愛してる』って動詞だけを言う国もありますし、そもそもそれを訳す段階でまったく違う表現をする文化だってあるんです。えへへ、『今宵の月は輝いておる』、なあんちゃって」


 闇の中で照れたように笑った大粒の瞳から、ディンは首を軽く背けて平坦な声で。


「んじゃ、また気が向いたらやってみるさ」


 すると、再びくるりとその場で回転してうつぶせになった少女は楽しげに。


「ではここで、そんなあなたに私から良いお話を一つ」


 いかにも面倒くさそうにその顔を見たディンではあったが、彼女の言葉を遮ることは無く。


「この世でたった一つだけ、全世界共通の言葉があるのをご存知ですか?」


 そんな問いかけにも、素直に首を振ってみせる。


「うんにゃ、何だ?」

「ふふ。正解は『魔導機関マギア』です」


 少し肩透かしを食らった気分のディンは渋い顔。


「……まあ、そりゃあれは新しいもんだからな」


 対する少女は勝ち誇ったようにニヤリと笑い。


「いいえ、それがそうでもないんです。『マギア』という物はかつてそれがこの世に登場した時から、世界のすべての文献に置いてマギアと言う名で記されているんです。それが必要とする『脈晶』に関してはそれぞれの国の名前が付いているのにも関わらず、です。不思議だとは思いませんか?」


 何が不思議なのか分からぬディンは眉間に皺を刻んで。


「だからそりゃ、脈晶ってのははもっと昔からあったから……」


「そうかも知れません。でもですね、ここでもう一つの疑問です。では『魔導機関』とはいったい誰が造ったものなのでしょうか?」


「あん?」


「有名無名にかかわらず、マギアを動力とした発明の数々にはその発明者の名前やエピソードなどが存在します。ですが、古今東西どの文献を漁ってみても、マギア自体が開発された経緯や開発した人たちの話は存在しませんし、そもそも『マギア』という単語自体、それの元となる言葉が存在していないのです。ですからきっと、もしかしたら、それはある日突然世界の中に――もっと言えば八王家のどこかに現れたのではないかと思える程に。しかも、一国政府の技術力を凌駕する個人が存在するこの時代においても、一切の複製を許さない機関なんですよ? 『マギアとは何か』を研究するのも魔導科学の一部門である位なんですから。ふふふ、これは秘密の匂いがプンプンしますよね?」


「……へえ、そういうもんだったのか」


 少し興味を示した少年の顔を、仰向けのままにじり寄ってきた少女がまじまじと覗き込む。


「そう、マギアです。誰が、どのように産み出したのかわからない謎の動力機関。その謎に迫ってみたいとは思いませんか?」


「……どうだかな」


 闇に煌めく瞳から目を背けた黒髪の腿の辺り、くるりと反転して両手の上に顎を乗せた少女が得意げに。


「ふふん。ではでは、ここで大大大ヒントのサービスです」

「あ?」


 どういう意味だ、と言いかけた少年の目の前に、にょきっと白い指が一本突き立てられた。


「ひとつ。この世界には、一度『滅び』が訪れています」


「……は?」


「えへへ、分かったらどんどん答えてもいいですよ? では、二つ目。世界各地に星の数ほどある異なる神話や伝承の中で、不思議な事にそこに表わされた『滅び』の概念は似通っているのです」


 ディンは思いっきり眉をしかめる。


「ちょっと待て」


 しかし待たない。一度火のついたお喋り女は、三つめの指をはじき出す。


「みぃ~っつ。それは『人が空の怒りに触れ、全てが洗い流される』という類のものです。ほらほら、早くしないと正解を言っちゃいますよー、いいんですか~? では、よぉーっ」


「だから待てっつってんだ」


 少女が闇に伸ばそうとした四番目の指を、少年の手が無理矢理に抑え付けた。


「よ……よー……よぉ~~っ」


 それでも意地になって指を立てようとする金髪頭のおでこを、ディンが弾いた。


「あとぅっ……むぅ……暴力で答えを聞きだそうだなんて、卑怯千万ですね」


 指で弾かれた辺りを両手で押さえた少女が、呆れた顔で睨み上げてくる。


「答えも何も、マギアの誕生は《謎》なんじゃなかったのかよ?」

「そうですよ。それ位は理解しておいてください」

「……んじゃ、その正解ってのは何なんだ?」


 少女は『はぁー』と溜息一つ。あきれ果てたかのように首を竦め、小馬鹿にするように眉を持ち上げるおまけつき。


「そんなの、私が考えたに決まってるじゃないですかうにゃっ」


 言葉の途中、少女の鼻の頭を指で押した。


「ちょ、な、や、やめ……やめてくださいって! うぬ、あ、な、なんで、鼻っ」


 真顔で鼻を連打する指から逃れようと身もだえるお嬢様だが、しかし寝転がっているのが仇になり、中々逃れる事はかなわない。うにうにとその高い鼻を弄り回す少年は、意地悪な笑みを口元に浮かべ。


「何がヒントだ、期待させんじゃねえぞコラ。あんたの考えなんか聞いても仕方ねえんだっつうの」


 横穴の底で必死に背筋を反らしていた少女が、己の鼻を弄ぶ少年の腕をペシペシと叩いて許しを請う。満足気に笑ったディンが腕を引っ込めると、少女はがくりと獣皮の上に倒れ伏し。


「……こんな屈辱は、初めてです……」


 と突っ伏した腕で必死に鼻をこすりながら涙声で訴え、仕返しとばかりに少年の腿を拳で叩きながら。


「罰として、私の話を聞いてください。私、本当にちゃんと考えたんですから」


 脹れっ面の下に期待と恐れを隠しつつ、少女はじっと少年を見た。不思議な花の薄明かりの下で、彼の瞳が湛える光が瞬いて。


「…………短めにしろよ」


 ため息と共に吐き出されたその言葉に、金髪頭が痺れたように左右に揺れる。そうしていそいそと起き上がり、ちょこんと座り直した彼女は湿った森の空気を胸いっぱいに吸い込んで。


「では、よっつ」


 睨みつけた少年の横、ぴょこんと四本指を立てた少女が熱で融けたかのようにふにゃふにゃと笑う。


「ふふふ、冗談ですよ。ちゃんと答えを言いますね。魔導機関の正体――それはズバリ『超っ古代文明』です!」


 低い天井に両手を伸ばし、異国の少女の目がキラキラと。間の抜けた少年の顔にもお構いなしに、腕組みした少女は紅潮した頬をしきりに頷かせながら。


「知ってますか、古代文明? 私達が生まれるずうっと前に栄え、滅んでしまった文明の事です。現在とは理屈も理論も異なる世界。マギアとは、そこで使われていた古代の動力機関なんですね。うんうん」


「…………」


 ディンは、それに何も言わずにくしゃくしゃと頭を掻いた爪の間をじっと見つめる。もしかして頭が悪くなる病気がうつったかもしれないと思ったのだが、体調を教えてくれる抜け毛もフケも、暗くてよく見えなかった。


「あ、さては信じていませんね? 良いですよ、別に。あと三十年もしたら世界中の人がその存在を認めちゃうんですから。勿論、私の残した冒険譚によってです」


 少女は得意げな顔でそんな事を。


「言っときますけど、超古代文明の存在は私だけの説じゃありませんからね。有名な魔導学者さんの中にだって、私と同じような考えの人はいるんですから」


「はっ、大方トンデモ博士で有名なんだろ?」


 少年の嫌味に、少女はむくれて身を乗り出した。


「そんなことありません。世界の神話に不思議と共通する概念や、その登場人物の造形などなど……古代文明こそが、そういった不思議を一つの謎にまとめ上げる存在なんです。そう考えたら辻褄が合う事や、そうとしか考えられないモノは他にもたくさんあるんです」


「……そりゃな。星の数ほどあるお話から都合のいいとこだけ切り取って空想に結び付けりゃいいんだから、どうやったって辻褄は合うだろうさ」


 今まで出会った人間の中にも、そんな事を口走る奴はいた。夢であくびをふんづける様な妄言を吐く自称『学者』や『研究家』など、現実離れした彼らの話を聞かされる度、ディンは何故かむかむかと苛立つ様になっていた。


「大体、そんなに栄えた文明ってのがそうそう簡単に滅ぶわけがねえだろ?」


 それも、その存在が歴史から弾かれた様に跡形も無く、だ。『滅びた』などという言葉でごまかされはしない。大洪水ではまだ足らない。空気が無くなったという説は嘘くさすぎる。だが、他にそんな出来事など、この世に一体何があると言うのか。


 普段は客に意見などしない腕利きの渡しも、今宵は少し様子が違った。

 しかし、斜に構えた少年の横で、にやりと笑った少女は言う。


「簡単ですよ。だって、その文明は空の上にあったんですから」


「……はぁ? 空の……上?」


 待ってましたとばかりに目を輝かせた金髪が、手の平一枚分にじり寄って来て。


「はい。かつて空の上から地上を支配していた文明は、大戦争の結果、滅びを迎えて地に落ちたんです。そうして空の文明と人は砕け散り、その曖昧な想像と記憶だけが、私達の先祖から伝えられているに違いありません」


 紅い顔で、熱っぽく語る異国の少女。。身体は疲れているはずなのに、おかしなテンションで良く喋る。経験上、こういう奴は時々いる。旅の解放感なのか何だか知らないが、気持ちが高ぶって眠れないのだろう。


 ディンは努めて冷静に彼女を見ていた。


 あまり良くない状態だ。自分の身体に正直でいなければ、思わぬ怪我や病気につながる。


「ちなみに、グラン山脈の洞窟で発見された嘴と翼をもつ人間の絵こそが、彼ら――空の上の人々の姿であると言うのが私の考えです。つまり、今の私達とは全く違う姿の人間が、マギアを有する超高度な文明を誇っていたんです! あの、空の上で!」


 夜空に向かってピシリと伸ばした少女の指先は、しかし岩の天井に遮られた。

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