第13話 収穫祭

 1

 黄金色の鱗に覆われた巨大なドラゴンの肉体は、眩い閃光から顔を背けた一瞬の間に消え失せていた。そのために古代の金貨を始めとする数々の財宝で埋め尽くされた空間が、急に本来の広さを取り戻したように感じられる。柱もなくどうやって支えているのかさえも不明なこの半円球状の広間は、俺がちっぽけな人間であることを改めて諭しているようであった。

 もっとも、ドラゴンに捧げられた神殿内の広さを再確認したのは一瞬のことでしかない。俺の視線は既に山盛りの金貨の上に立つ一人の美女に注がれている。身体の多くは緩い曲線を描く長い金髪に覆い隠されているが、その顔付きと肢体は男、いや性別に限らず見た者を魅了する完璧な造形を誇っていた。実際に俺の隣に控える少女のミシスも、彼女の姿を見つけたと同時に憧憬に満ちた声を漏らしている。

 この類稀なる美女は世界黎明期から生きる古の龍〝イーシャベルクオール〟が一時的に人の形をとった姿だ。俺の瞳はその姿をこれまでに何十回も捉えているが、未だ見飽きることはない。そして、彼女の姿を再び目の前にしたことで一つの確信を得る。二日前ロスフェルトの街中で見掛けた謎の美女は、このドラゴンの化身だったに違いないと。

「・・・本日も、契約に従い参上いたしました」

「ええ、確かに。ミシスも元気だったかしら?こちらにいらっしゃい!」

「はい、イーシャ様!」

 焦る気持ちを抑えながら俺は主人であるドラゴンに挨拶を捧げる。先程の疑念を直ぐにでも彼女に問い掛けたいが、従者の立場からすると迂闊な行動は取れない。機会を見定める必要があった。そんな俺の内情を知っているかのようにドラゴンは余裕のある微笑で答え、ミシスを側に招く。これはドラゴンとの謁見に際して毎回行われるやり取りだ。

「あら、ミシス。あなた少し背が大きくなったのかしら?」

「はい、おいら・・・じゃなくて、私は背が伸びました!」

「まあ、本当に人間は成長が早いわ。でも、あなたは可愛らしいから、もう少ししたら今の私くらいにはなるかもしれないわね!」

「そ、そんなことないです!」

「ふふふ、謙遜しなくていいのよ。あなたは間違いなく美人になる。私が保証するわ!」

「あ、ありがとうございます・・・」

 ドラゴンに褒められたミシスは顔を赤くしながら照れる。絶世の美女からお墨付きを与えられたのだから、舞い上がってしまうのは仕方ないだろう。

「ねえ、あなたもそう思うでしょう?」

「・・・はい、ミシスはあと数年もしたら・・・ご主人様に及ぶとは申しませんが、足元には立てる容姿の女性となるでしょう」

 それまで二人のやり取りと質問の機会を見守っていた俺だが、ドラゴンの問いに客観的な意見を述べる。メリーナの誘いで髪を伸ばし始めたミシスは、内面はともかく外見的にはこれまで宿していた少年の面影を払拭しつつある。順調に成長すれば多くの男達が無視できぬ存在になるだろう。

「ほらね、ミシス。あなたはもっと自信を持っていいのよ!」

「は、はい・・・」

 ミシスをいじめるつもりはなかったが、ドラゴンと俺の二人から期待を掛けられた彼女はこれ以上ないほど恥ずかしそうに顔を伏せると、蚊の鳴くような声で答える。最近、周囲から少女として扱われるようになったミシスは慣れない境遇にまだ心が追い着いていないのだ。

「それじゃ、そろそろ今週分の物語を聞かせてくれるかしら?」

「・・・はい、かしこまりました」

 ドラゴンもこれ以上ミシスを話題にするのは気の毒と思ったのか、仕切り直すように話を振る。俺は殊勝に頷きながらも、彼女への質問は仕事を片づけた後だと定めた。今回の逸話をドラゴンが気に入る保証はなかったが、なんとか機嫌を良くしてもらって最後の雑談時に上手く混ぜるしかないだろう。何しろいきなり『人間の街であなたに似た姿の者を見掛けましたが、本人だったのですか?』とは聞き難い。


 2

 ガレンの街で疫病事件を解決させた俺達だが、早々に準備を整えるとマーシル王国の首都であるロスフェルトに向けて旅立っていた。特別に急ぐ必要のない旅路ではあったが、秋の収穫祭をユラント信仰の総本山とも言えるロスフェルトで迎えようと仲間達と意見が一致したのだ。

 ユラント神は正義と法を体現する神なので、その教義は厳格になりがちだ。実際に敬虔な信者の中には以前のハーシェラと衛兵との間に起った事件のように融通の効かない者もいる。そんなマーシル王国の住人達に年に一度、羽目を外す機会を設けられたのが秋の収穫祭である。元々は農耕による大地の恵みをユラント神だけでなく全ての光の神々に感謝する祭りだったらしいが、マーシル王国でユラント教団の力が増すに従い、ユラント神を中心にして祝う祭りに変化していた。そのためにユラント教団ならば認めなかったであろう、様々な催しが行なわれている。旅芸人の見世物や、見ず知らずの男女が自由に参加出来る大規模な仮装集会等だ。秋の収穫祭は神を讃える祭りであるとともに、国の支配者であるユラント教団が市民達の日頃のガス抜きを行う機会でもあった。もっとも一般市民からすれば、そのような為政者の思惑等どうでもいいことだろう。単純に祭りを楽しみ、人生を謳歌するだけだ。この収穫祭が終われば、やがて耐えるべき季節の冬がやって来るのだから。そして俺達も収穫祭が始める前日にはロスフェルト入りを果たしており、充分に祭りを楽しむつもりでいた。


「わあ、凄い!あれは何かな?!」

「・・・あれは、機械式の遊戯だな・・・木で組み立てた大型の車輪を回転させて、乗っている人間に宙に浮かぶ動きを体感させているんだ」

「へえ・・・」

 旅の疲れを癒した翌日、ロスフェルトの街中を順に巡り歩く俺達だったが、中心地に位置する大広場にやって来るとミシスが驚きの声を上げた。彼女が指摘しているのは、一度に八人程が乗れる木製の回転式ブランコだ。大きな街の祭りでは、このような出し物も珍しくなく、ミシスが生れ育ったバーレガル王国の王都マイゼラの祭りでも似たような遊戯が催されていたはずだったが、彼女にはこれまで接する機会がなかったようだ。

「なんだ、ミシスは見たことがないのか?」

「うん、おいら初めて見たよ!」

「じゃ、乗ってみるか?」

「いいの?!やったぁ!!」

 俺の提案にミシスは満面の笑みを浮かべて喜ぶ。自分から乗りたいと言い出さないあたりが彼女らしい。年齢の割に利口で大人びているミシスは不必要な主張をしない傾向がある。兄貴分の俺としては、もっと素直に願望を相談してくれても構わないのだが、それが彼女の性分なのだろう。

「二人も良いだろう?」

「ええ。久しぶりに童心に返るのも良いわね!」

「ああ!もちろん、付き合うよ!」

 念のためにメリーナとハーシェラにも確認をするが、当然のように二人も快諾する。俺達は早速とばかりに順番を待つ列に並んだ。

「なんか、お腹の奥を擽られたような変な気分だったけど、面白かった!」

 大型遊戯を初体験したミシスは自分の腹を右手で擦りながら感想を口にする。彼女の言うとおり、回転式のブランコの乗り心地は特殊だ。足が地を離れたと思ったら上に引っ張られ、驚いている間もなく次は地面に向かって落ちる感覚に襲われる。そしてそれを円運動によって連続して味わうことになるのだから、貴重な経験と言えだろう。

「でも・・・ちょっと回し過ぎじゃないかしら・・・」

 喜ぶミシスとは反対にメリーナはげんなりした様子を見せる。一緒に乗った俺としてもその意見には同意出来た。ブランコの軸となる車輪の回転は人力で動かされているのだが、明らかに担当者が頑張り過ぎているように思えたのだ。もしかしたら、歓声を上げるミシスに合わせて回転を大目に回したのかもしれない。

「あたしは結構楽しめたよ。人間は面白い遊びを思いついたもんだね!」

「まあ、とりあえずこの辺で休憩と飯にしようか?腹も減って来たし、メリーナも座って落ち着いた方がいいだろう」

 それぞれの感想を口にする仲間に向かって俺は昼食の誘いを掛ける。ミシスとハーシェラの二人はまだまだ余裕があるようだったが、メリーナはやや疲れ気味だ。楽しむために祭りに来ているのだから無理をする気はなかった。

「ええ、少し落ち着きたいわね」

 メリーナは嬉しそうに俺に身を寄せながら同意を示す。

「じゃ、あたしとミシスが先に行って美味そうな飯屋を探して来るよ。行くぞ、ミシス!」

「うん!」

 気を使ってくれたのだろうハーシェラとミシスは含み笑いを残しながら、街の大通りに向けて先行する。俺は気分が悪い割にはしっかりした足取りのメリーナと二人の後をゆっくり追い掛けた。


「だから、こんな綺麗な栗色の髪を男の子みたいに短くしてしまうなんて、勿体ないって説得したの!」

「うん。短い方が動き易いのは確かだけど、あたしもミシスはこのまま少し伸ばした方が可愛いと思うな」

「そ、そうかな・・・」

「ええ、長いと思ったら結んでもいいし、改めて切っても良いのだから、もう少し伸ばしてみましょう!」

「そっか!」

 飯屋の店先に設けられた臨時の客席で軽い昼食を終えた俺は、腹ごなしの雑談に花を咲かす仲間達の声を半分流すように聞いていた。内容は最近流行りの服装や髪形に始まり、今はミシスの髪の長さに移行したところだった。この手の話題に男の俺が加わるべきでないのは経験から学んでいるので、付かず離れずの態度を取る。何しろ、彼女達はお洒落に関して俺の意見を積極的に聞こうとは思っていないが、全く無視されるのも同じくらい嫌う傾向があるので、話の流れ程度は抑える必要があるのだ。

「・・・!」

 だが、そんな平穏な日常の中で俺は思わず上げそうになった声を慌てて飲み込む。職業柄どんな時でも周囲の警戒を怠らない俺だが、警戒網にこの場にあってはならぬ存在を見つけ出したからだ。俺の瞳は大通りを歩く一人の女性らしき人影に釘づけになっていた。フードを目深に被っているので顔の下半分しか見えなかったが、白大理石のような透きとおった肌と絶妙な曲線を描く輪郭に整った鼻筋、それに僅かに零れる金髪は洗練された芸術作品のようだ。そしてこれらの特徴は全て〝あの女〟に通ずる要素でもあった。

「ちょっと、何を見ているの!」

 凍りついたように通りを凝視する俺の態度に気付いたのだろう。メリーナが抗議の声を上げた。問題の女性は既に移動して背中を見せていたが、纏ったローブの下から浮かび上がる均整のとれた身体の膨らみから若く美しい女性であることが窺える。おそらくメリーナは俺が通りすがりの美女にスケベ心から目を奪われたのだと思ったに違いない。

「・・・いや、違うんだ・・・あれは、あのおん・・・イーシャ・・・様かもしれない!」

「・・・なんだって?!それは本当か?」

「ああ、そうだ!完全に顔を見たわけじゃないが、俺の勘からすると十中八九、本人だ!」

 俺の釈明にハーシェラが最も早く反応して通りに視線を送る。だが、その頃には例の女性は人混みに紛れて、僅かに頭のフードが見えるだけだった。

「・・・苦し紛れに誤魔化しているわけではないのね」

「ああ、もちろんだ!」

 自信を持って断言する俺の言葉に、先程まで機嫌を悪くしていたメリーナも態度を軟化させる。少々嫉妬深い面のある彼女だが、俺がつまらない嘘を言う男ではないと理解してくれているのだ。

「確かめに行こう!」

 ハーシェラは立ち上がりながらそう告げる。俺の証言を確かめると言うよりは〝イーシャベルクオール〟が人間の街に現れた理由を純粋に知りたがっているのだろう。

「ああ!」

 そして彼女の思いは俺達にとっても共通の認識だった。俺とミシスの主人でもあり、強大な力を持った古龍がユラント信仰の総本山とも言えるロスフェルトに現れたのかもしれないのである。どんな意図があるのかは不明だったが、確認するべき価値はあると思われた。俺達は飯屋の会計を済ませると、慌てて通りに飛び出したのだった。


 3

「先に行く!」

「おいらも!」

「ああ、頼む!」

 ハーシャラとミシスはそれだけを告げると問題の女性が消えた通りの先を目指して駆けて行った。正午を過ぎた頃とあって大通りは行き交う人々で賑わっている。ここを四人揃って追い掛けるよりは、身軽な者に先行させるのが最良の手段だろう。俺はいつもながらのハーシェラ達の率先した動きに短い礼を伝えると、メリーナの手を引きながら再び大広場に向かって歩き出した。

「ドラゴンがこの街に現れた目的は何かしら?」

 逸れないように俺にぴったりと身体を寄せながら、メリーナは疑問を口にする。こんな時だが、彼女の柔らかい感触は心地良い。〝あの女〟は間違いなく絶世の美女に違いないが、俺にはメリーナの豊満な肉体も極めて魅力的だと改めて確信した。

「・・・もしかしたら俺達をからかっているのかもしれないが・・・」

「まさか、そんな!」

「ああ、まさかとは思うが、ありえないとは言い切れないのが俺とミシスのご主人様なんだ。何せ時間は腐るほど持て余しているからな」

「あなたって私が思っていた以上に苦労していたのね・・・」

「まあ、金払いは良いから・・・なんとも言えないな。俺達がこれまで金に困ることはなかっただろ?」

「・・・世の中って本当に、上手く出来ているわね!」

「まったくだ!ただ、前にも説明したが、彼女は彼女なりに世界の平穏を望んでいる。ひょっとしたらユラント信仰の総本山に現れたのも何か考えがあってのことかもしれない」

 先を進むミシスの栗色の髪を目印にして見失わないようにしながら、俺とメリーナはドラゴンに対する考察を繰り広げる。

「そういえば、あなたのことも見守っているのよね・・・」

「どうだろう。ただ単に手駒を失いたくなかっただけかもしれないけどな。まさかメリーナ!あのドラゴンに対して焼き餅を焼いているのか?俺達はあくまでも主従関係だからな!・・・なんせ彼女は俺とかつての冒険で知り合った男との友情をそっちの趣味と勘違いして、男同士の・・・愛情はどんな感じなのかと聞いてくるくらいなんだぞ!」

「ふふふ、その話は前にも聞かせてもらったわね。さすがに私も人を超越した存在に嫉妬するほど傲慢じゃないわよ。それに・・・怖いけど一度くらいはそのドラゴンに会ってみたいわ。意外と気が合いそう!」

 俺の疑念をメリーナは笑って退ける。一時期ハーシェラに対してはかなり焼き餅を焼いていた彼女ではあるが、ドラゴンに対しては特に思うところはないようだ。面識がないからかもしれないが、やはり人外の存在である認識が強いのだろう。

「おっと!ミシスがこっちに手を振っている!合流しよう!」

「ええ!」

 その多くが雑談と言えたが、メリーナがドラゴンに対して蟠りを持っていないことを確認した俺は、ミシスの姿を捉えると次の行動を示唆する。これで例の女性が〝イーシャベルクオール〟の化身だったとしてもメリーナが嫉妬や対抗心から厄介な行動を取る心配はなくなったと言えた。


「あっちだよ!」

 中継役となっていたミシスは早速とばかりに大広場の南方面に指を示す。おそらくはそちらに謎の女性と更にそれを追うハーシェラが向かっているに違いない。俺達は賑わう人々を巧みに躱しながらその方向、ユラント教団の神殿を目指した。

 マーシル王国はユラント教団が実質的に支配運営しているため国の施設の多くが教団の傘下にあるが、その中でも最大重要の施設はやはりユラント神を祀る神殿だろう。重厚でありながらも飾り気のない神殿は正義と法を体現したように聳え立っていた。それでもドラゴンの棲家を知る俺にすれば、圧倒されるような巨大さと威圧感もなく、ユラント神殿の総本山でもこの程度なのかと感じてしまう。

 もっとも、これにはいくつか理由があり、一つはユラント信仰の教義によるものだと思われた。ユラント神は地上世界に生きる全ての人間達の行いをつぶさに観察しているのだと言う。そして死後、人間は生前の行いによってユラント神の裁定を得てから、再び〝魂の輪廻〟に至るとされている。この裁定によって人は新たに生まれ変わる来世の定められるため、善行を成した者はそれ以上の善行を行なえる機会のある生を、逆に悪行を成した者はそれを償うための新しい生が与えられるのだ。俺としてはユラント神の信者ではない者はどうなるんだという疑問が残るが、この教義の注意すべき点は全ての人間はユラント神に見守られているということだろう。この考えからすると神に祈りを捧げる場所の価値は絶対的ではなくなる。神は常に見守っているのだから、その意思を感じるか感じないかは個人の信仰心次第という理屈だ。

 そしてもう一つの理由はもっと単純だ。純粋に資金に余裕がないのだろう。マーシル王国は建国以来、国土の北西地方を妖魔の支配地域と接しており、小競り合いを含めて幾度となく戦を重ねている。それに対する防衛費は国庫の中でも多くの割合を占めているはずだ。首都の神殿を必要以上に豪華にしても、国を妖魔に荒らされたのでは本末転倒である。ユラント教団が本拠地の神殿にそれほど力を入れていないのも、このような環境が原因だと思われた。

「目標はこの中に入って行ったよ!」

 神殿の前の一角に待機していたハーシェラが俺達に報告を行う。収穫祭はユラント神を主軸に行われる祭りであるので、周囲には参詣に集まった信者と思われる人々が集まっている。教義では神に祈りを捧げる場所は必ずしも神殿である必要はないが、やはり一般的な信者にとっては象徴となる聖地は必要なのだろう。

「ここは神殿の中でも、礼拝用に使われている本殿だな」

「そうなのかい・・悪いけど、ここから先はあんまり行く気がしないね・・・」

「そうか・・・なら、ここからは俺達三人で行こう。ハーシェラはどこか近くで待機してくれ。万が一逸れた場合は宿で落ち合おう!」

「ああ、そうさせてもらうよ!」

 ハーシェラの考えに理解を示すと俺はミシスとメリーナを連れて本殿に向かう。エルフ族の彼女は神を祀る習慣がないし、以前にはユラント教団と揉め事を起こしている。これは不幸な巡り合わせだったのだが、彼女の中に教団に対する苦手意識を植え付けさせたに違いなかった。


「・・・申し訳ありませんが、本日の礼拝は女性に限らせてもらっております」

 ミシスとメリーナと共に本殿に足を進めた俺だったが、入口に待機する女性信徒達からそう告げられる。彼女達はいずれも、かつて妖魔を撃退するために一緒に戦ったスナイと同じような髪と素肌を隠す衣服を身に纏っているので修道女の地位にあるようだ。

「え、男はだめなのですか?!」

「はい、本日の礼拝者は明日の大広場で行われる祭事の希望者のみでして、お連れの男性にはここから先をご遠慮して頂きます」

「祭事?」

「ええ、旅のお方でしたらご存じないかもしれませんが、ロスフェルトでは近年、収穫祭の二日目に一般の女性信者の中からユラント神から収穫の恵みを受け取る巫女役を選び、市民の方々にお披露目をする祭事が行なわれているのです」

「そんな祭事があるのですか・・・知らなかった。逆に女性なら誰でも入れるのですか?」

「ええ・・・現教皇様のお考えで、より多くの市民にユラント神の御心を知らしめようとなさっておられるので、この日は未婚でユラント神に敬意を持つ女性ならば身分に関わらず受け入れております・・・」

 俺の質問に年配の女性信徒はそう答えるが、その顔にはどこか無理に感情を抑えている気配があった。修道女である彼女にしてみれば、やや浮ついた祭事に思えるのかもしれない。

「なるほど、そういうことですか。ありがとうございます」

 説明を受けた俺はとりあえず礼を伝える。厳格なユラント教団らしからぬ祭事ではあるが、市民の中から巫女役を選ぶ企画そのものは面白そうに思えた。おそらくは器量の良い女性が選ばれるのだろう。街の男達からすれば楽しみであるし、選ばれた女性にとっても名誉なことだ。盛り上がるに違いない。もっとも、俺達の目的は謎の女性の正体の看破である。まさか、あのドラゴンがユラントの巫女役を望んでいるとは思えなかったが、それを確認するにも本殿の中に入る必要があった。

「・・・どうする?」

「大丈夫、ここは私とミシスに任せて!」

 問い掛けにメリーナは自信を持って答えた。俺がここから先に進む事は出来ないので、追跡そのものを断念する選択もあり得たが、彼女は続行を示唆する。どうやらメリーナも巫女役を決める祭事とやらに興味を持ったようだ。もしかしたら『あわよくば、私が!』等と考えているのかもしれない。

「おいらも大丈夫!」

 対象的にミシスは落ち着いた態度で頷く。

「じゃ、済まないが頼むぞ!」

 俺はメリーナに気付かれないようにミシスに目配せをすると二人に追跡を依頼した。ミシスは既にドラゴンと面識があるし、万が一メリーナが調子に乗りそうになっても抑えてくれるだろう。俺は彼女への感謝と期待を胸で呟くと後を任せたのだった。


 4

 礼拝料とも言える寄進を終えたミシスとメリーナは連れだってユラント神殿の本殿の中に入って行った。平穏を装っているミシスだが、内心では二つの意味で緊張している。この本殿のどこかにあの〝イーシャ様〟が存在するかもしれないという期待と、メリーナのことを兄貴分から託された責任感だ。かつては、彼に助けられ守られるだけの存在だったミシスだが、ガレンの街の活躍から一人前とは言わないまでも戦力として期待されるようになっている。彼女は自身の成長を実感するとともに、任された仕事をやり遂げる気概に溢れていた。

「どう?それらしい姿は見える?」

「ううん、今のところイーシャ様らしい姿は見えないかな」

 回廊を抜けて広間に辿り着くと、二人は礼拝を待つ列に並ぶ。広間の奥にはユラント神を象った神像と台座が鎮座し、その前で教団の司祭達によって参加者達が次々と祝福の儀を受けていた。ミシスはその間にも広間に集まった人々の顔に視線を送るが、似たようなローブを身に纏っている女性も多く、未だイーシャらしき人物を見付けることは出来なかった。

「そう・・・ああ、どうやら礼拝を終えた後は広間の左右に置かれている座席で待つみたい。そして全員が礼拝を終えてから、明日の巫女役を発表するのでしょうね。きっと礼拝を受ける仕草や様子を確認しているのよ!」

 ミシスは小声でメリーナと状況を確認し合うが、二人の態度には若干の温度差があった。彼女は本来の目的としてイーシャらしき人物を見つけることに注力しているが、メリーナはドラゴンと面識がないためもあってか〝収穫祭の巫女〟を決める儀式に気を取られているように思われた。

「もし、私が選ばれたら、あの人はなんて言うかしら?・・・きっと、辞退しろって言うわね。さっきも二人で歩いている時にね、あの人私を独り占めにするように、ずっとぴったり身を寄せてきたのよ!」

「う、うん・・・」

 続けて他の参加者の顔をさりげなく観察しながら、ミシスはなんとか同意の頷きを返す。普段のメリーナは優しくて何かと面倒を見てくれる憧れの女性ではあったが、兄貴分のことになると冷静さを失う気配がある。そして、どうやらそれが今、悪い形で現れているようだった。思い起こせばここ数日はロスフェルトに到着するために旅路を急いでおり、二人だけの時間を用意出来る余裕がなかった。先程二人きりにしたことで今まで抑えていた衝動が溢れ出したのかもしれない。ミシスは兄貴分の目配せを思い出すと、自分がしっかりするべきだと改めて心に誓った。

 イーシャ探しと浮かれるメリーナを抑えるという二つの任務を与えられているミシスだったが、しばらくして礼拝を待つ列は順調に減っていき二人の番となる。

「見ていて、ミシス。私のようにするのよ」

 小声でそう囁くとメリーナは、優雅とも言える仕草で高位司祭と思われる人物の前に膝を付いて聖水による祝福を受ける。その様子を言われたとおりに見つめていたミシスは、自分と兄貴分の心配が杞憂であったことを知る。これで後者の任務は無事に済ませたと思っていいだろう。

 正直に言えばミシスにとって礼拝は正式な目的ではなく二次的な要素に過ぎないのだが、メリーナに倣ってユラント神の祝福を授かった彼女の心は奇妙な満足感を得ることになった。これまでなんとなく光の神々に抱いていた畏敬の念が間違いではなかったと思えたからだ。とは言え、彼女が最も尊敬、敬愛しているのは自分を囚われの身から救ってくれた兄貴分と黄金の古龍〝イーシャベルクオール〟だ。この二人、いや一人と一柱はミシスにとって英雄と英雄を守護する神かそれ以上の存在だった。

 いずれにしても礼拝を終えたミシスはメリーナを追って広間に設けられた座席に移動する。この中のどこかにイーシャその人が正体を隠して座っていると思うと、彼女はその理由を自分に分ちあって欲しいと望まずにはいられなかった。

 

「この度、峻厳なる主上様の祝福を授かった美しい女性の方々・・・」

 ミシスがドラゴンの化身を見つけられぬまま過ぎる時間に焦りを感じる頃、それまで礼拝の儀を主導的な立場で執り行っていた初老の男性司祭が広間に座る女性達に向けて語り始める。どうやら、全ての希望者への礼拝が終了したに違いなかった。ミシスはこれまでイーシャを探すために個人の群と捉えていた広間の人々を、初めて全体像として捉えた。〝収穫祭の巫女〟の希望者の数はおよそ二百人といったところだろう。この数が多いか少ないかミシスには判断出来なかったが、もしこの中に〝イーシャ様〟が存在するとしたら巫女役は絶対に彼女の手に委ねられるであろうと確信していた。それ故にミシスは司祭の言葉に耳を傾ける。

「最初の一人は・・・そちらの黒髪の方。ご案内しますので前へどうぞ!」

 司祭に指摘された女性は歓喜に満ちた声を上げるが、直ぐに自分がいる場所を思い出したのだろう慌てて口を押える。ミシスはその様子を見つめながら、巫女役が複数選ばれる事実を知るのだった。

「四人目は・・・」

「はい!」

 順々に巫女役に選ばれた女性が指名される中、司会役の司祭の視線がこちらを向いたと思うと、彼はメリーナの特徴を口にして、隣に座っていた本人が返事とともに立ち上がる。本当に〝収穫祭の巫女〟の座を射止めたメリーナに対してミシスは驚くが、先程の優雅な振る舞いと彼女の器量を思えば納得出来る結果だった。

「最後の五人目は・・・」

 喜びを内心に秘めるメリーナに微笑みながらもミシスは司祭の動きに集中する。これがイーシャを見つけ出す最後の機会になると思われたからだ。

「先程の女性の隣の座っている栗色の髪のあなたです!」

 司祭の声の意味を一瞬で理解出来なかったミシスは五人目を見つけようと辺りを窺うが、周りの女性達の視線は全て自分に向けられていた。

「お、おいらが!」

「そうです。あなたです。ご案内しますのでどうぞ前に!」

 おそらくは広間には最後の巫女役を逃した嫉妬にも似た気配が生れようとしていたに違いないが、少女であるミシスの純真な反応に毒気を拭かれたのか参礼者の女性達は笑みと拍手を送った。

「では、今年の収穫祭の巫女はこちらの五人です。・・・惜しくも今回の巫女役に選ばれなかった方、主上様はあなた方の真摯な気持ちを見守っておられます。今回の礼拝は・・・」

 教団の関係者によってメリーナの横に並ばされたミシスは、礼拝の儀の締める司祭の言葉を湧き上がる羞恥心に耐えながら聞いていた。もう彼女にはイーシャを探す気力は残されていなかった。


 5

「あら?では、二人ともそのユラントの巫女役に選ばれたってことなのね?」

「左様でございます。とある女性を追い掛けたメリーナとミシスは奇妙な縁で巫女役を射止め、翌日の祭事に参加し、今年の〝収穫祭の巫女〟の称号を得たわけで御座います」

 本来の逸話を語り終えた俺は、雑談としてその場にいたかもしれない本人にミシス達が巫女役に選ばれた経緯を伝える。もちろんドラゴンが正直に真相を明かす確証はないが、何かしらの反応を示すのではないかとの判断だ。

「なるほど・・・メリーナって子は会ったことがないけど、なかなか面白そうな子ね。さすがはあなたの想い人ってところかしら」

「・・・お褒めに与り光栄です」

 だが、ドラゴンは俺の期待を裏切るかのように自身のことは触れずにメリーナを褒める。これでは礼を伝えるしかなかった。

「え、えっと、イーシャ様!おいら・・・ユラント神の礼拝を受けましたけど、仕えているのはイーシャ様だけです!」

「あら、大丈夫よ、ミシス。あなたが心から私を敬っているのは充分に理解しているから」

「は、はい、ありがとうございます!」

 ミシスはユラント神の礼拝を受けたことをドラゴンに釈明するが、彼女はそれに笑って答える。赦したというよりは元より気にしていなかったという態度だ。光の神々への信仰と自分への忠誠心は矛盾しないとの判断なのだろう。

「ご主人様!最後に無礼を承知でお聞きします!・・・ユラント神殿に如何なる理由があって出向かれたのですか?!」

 安堵の表情を見せるミシスに続くように俺は最後の手段としてドラゴンに直接質問をぶつける。何の捻りもない問い掛けではあるが、これを逃すと古龍がロスフェルトに現れた謎は永遠に失われると思われた。

「さあ・・・なんのことかしらね。いつもどおり褒美として金貨一枚を授けます。二人とも、今日はもう下がっていいわよ!」

「・・・か、かしこまりました」

 金髪の美女は質問を一蹴すると俺達に退室するように命じる。立場上こう告げられたら従うしかないだろう。それでも俺はこちらを見つめるドラゴンのエメラルド色の瞳に、何かを訴えかけるような憂いを見たような気がした。もしかすると彼女は人の子には聞かせることが出来ない秘密を抱えているのかもしれなかった。


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ドラゴンは動かない 月暈シボ @Shibo-Ayatuki

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