第12話 疫病の禍

 1

「・・・どうだった?」

 俺は口元と頭を手拭いや頭巾で覆い隠し、その身を薬師のローブで包んだメリーナが戻ると労わりも兼ねて問い掛けた。

「・・・私にも病気の種類は特定出来なかったわ。・・・高熱の症状は肺病の初期にも似ているけど、それとは違うらしく、咳では苦しんではいないの。これでは・・・薬を選ぶどころか、根本的な対処のしようがないわね・・・しかもトロチの実もそれほど効果がないそうなの・・・」 

「メリーナが対策も立てられない程の病なのか・・・」

 自分の力が及ばなかった悔しさを滲ませるメリーナを俺は腰に手をやって軽く抱き寄せる。何しろ彼女はユラント教団の聖堂に集められた流行病の患者達を薬師として診察して来たのだ。俺は恋人としてその勇気と讃えると同時に、病に対する危険を分かち合う必要があった。

「ありがとう・・・でも、一つだけ確信が出来たこともあるの。最初にこの症状の患者が教団の診療所に連れて来られたのは十日前らしいのだけど、それから教団内の関係者に発病した者は一人もいない。やはり、この病は人から人には直接感染することはないみたい。・・・そして、その特殊性の理由を詳しく調べれば感染原因を突きとめられるかもしれないわ!」

 メリーナは一度、俺を安心させるように笑みを浮かべるが、直ぐに真剣な面持ちに戻ると強い意志を持ってそう宣言した。


 ハーシェラがちょっとした災難に遭遇してから五日が経っていたが、俺達はまだガレンの街に滞在していた。元々ドラゴンへの報告が終わる一昨日の金の日までガレンに留まる予定ではあったのだが、不幸なことにこの間に街を巡る情勢が急変したため足止めを受けてしまったのだ。

 今、ガレンの街は流行病の恐怖に包まれていた。主に下町の住民を襲ったこの病は原因を特定出来ずに発病者の数を増やしつつあった。致死性そのものは高くはなかったが、罹った者は高熱を発症して意識が朦朧とした状態に陥るので、看病されなければ衰弱して死に至る。そのため、家族全員が発症してしまい発覚が遅れ一家丸ごとが犠牲になる例が出ていた。

 疫病による事態が深刻化し、ガレンの最高責任者であるユラントの大司祭に届くまでには時間差があったはずだが、彼は状況を知ると非常事態を宣言し街を素早く閉鎖、外界との接触を最小限にして疫病がマーシル王国内に伝播する可能性を封じた。そのために俺達もガレンを離れられなくなってしまったわけだが、この判断にケチを付けるほど俺も捻くれてはいない。為政者としては正しい処置だろう。これで最悪の場合でも被害はガレンだけに止まるのだから。

 もちろん大司祭が行なった処置は街の閉鎖だけでなく、自ら教団の指揮を執って発病者達をユラント神殿に付属する診療所と、更に足りない分は大聖堂も臨時の病床として感染者の保護と看病を開始していた。だが、現在の時点でも有力な治療法は見つからず、頼りになるのは大司祭その人と一部の幹部司祭のみが起こせる神聖魔法による〝病回復〟だけであった。そして、この魔法も実施する回数には限度があり、癒せる人数は一日に十名足らずで回復させる数よりも運ばれてくる患者の方が多いという状況だ。根本的な治療法か解明されなければ街は最悪の事態に陥ると思われた。

 そんな絶望に近い状況の中、俺達に大司祭から疫病原因究明の依頼が掛けられる。既に街の衛兵達も動いているはずであったが、彼としてはどんな細い藁であろうと掴みたい気分であったか、もしくはスナイの修道院を救った俺達に再び活躍を期待したのかもしれない。もちろん、俺達もその助けを拒む理由はなく承諾する。 

 特に薬師であるメリーナは大司祭の依頼に対して率先して行動を起こす素振りを見せた。また、ユラント教団とは先日の件で因縁のあるハーシェラも文句を訴えることはなかった。祈祷魔法の使い手である彼女が仲間であったのは俺達にとっても僥倖と言えた。彼女も病気を治す〝病回復〟の魔法を使えるからだ。

 こうして俺達はガレンの街を脅かす疫病にユラント教団とともに立ち向かうことになったのだった。


 2

 メリーナの診察と教団からの情報収集を終えると俺達は拠点としている〝樫の木亭〟に昼食のために戻っていた。大司祭からの直接の依頼で動いている俺達だが、教団施設の大部分が臨時の病院か保護施設になっているため、余計な負担を掛けさせないための配慮だ。今や教団は数人分の食事の準備さえ人手に困る有様なのだ。

 めっきり客が少なった一階の食堂で、俺達はこれから対策を小声で話し合う。街が閉鎖されたために割と高級志向の〝樫の木亭〟は客の数をかなり減らしていた。いつまでガレンに足止めされるかわからない状況で、他の客達は少しでも安い宿に移っていたからだ。喧騒に包まれていれば気にすることでもないのだが、こう人が少ないと会話の内容を他人に詳しく聞き取られる恐れがある。念のための用心は欠かせなかった。

「・・・人から人に直接感染しないのだとしたら、発生源はどこ?もしくは何なのだろう?」

 物流が途絶えているため、殆んど具の無いスープとパン、そして申し訳程度の燻製肉で昼食を終えた俺は代表するようにメリーナに問い掛ける。ハーシェラは精霊や祖霊へ働き掛けて病気を癒す〝病回復〟の魔法を扱えるが、それはあくまでも個人の病気を救済する魔法である。今回のような大規模な疫病を根本に解決するにはメリーナの薬師としての知識と審美眼が力を発揮するはずだった。

「・・・疫病が発生するにはいくつかのルートや原因があるの。まず一つは空気感染。これは病気を患った人の中で病気の元が作られてその人を蝕むだけでなく呼吸等で外漏れて、それを吸った人も同じように病気にしてしまう。あとは接触感染ね。これは正確には触ったから感染するというわけでなく、患者の鼻水や痰またはそれ以外の体液が口や鼻等から入って病気の元を運ぶ。これらの病気の元が体内に入ると身体の均整を壊して熱を出したり、お腹を壊したりさせるってわけ。でも、今回の病はこれらに当て嵌まらず、人から人へと感染するものではなかった・・・なのにこれだけの患者が出ている・・・考えられるのは病の元が含まれている食べ物や飲み水を摂取したことが原因じゃないかと私は睨んでいるの」

「確かにあれだけの人間が同時期に病に至るとすれば、飲食物が原因かもしれない・・・だが、皆が同じ物を食べたとは思えないから、考えられるのは水なのだが・・・井戸水は真っ先に疑われて問題ないとされていたな・・・」

「ええ。でも、もしかしたら何か見落としがあったのかもしれないわ。・・・私達で改めて調べてみましょう?!」

「あたしもその意見に賛成かな。この病はあたしから見てもかなり変わっているよ。人間の体内の精霊の均整は崩れていないのにあんな高熱が出るのはおかしいんだ。それでいて祖霊の守護が内側から阻害されて非常に弱くなっている。何か変な物を取り込んだように思えるね」

 俺とメリーナで続けられていた会話にハーシェラがメリーナの意見に賛成する形で加わる。俺としてはメリーナの見解に反対をするつもりはなく、客観的な立場から状況を述べたに過ぎなかったが、これで異なる技能を持つ二人の仲間が共に井戸水が怪しいと睨んでいることが判明した。

「なるほど・・・井戸水の再調査は必要だな・・・ちなみにミシスはどう思う?気が付いたことがあったら、遠慮なく言ってくれ」

 方針としては既に固まっていたが、それまで俺達の意見に耳を傾けていたミシスに確認のように問い掛ける。仲間内で一番若いので、このような話し合いでは率先して意見を述べる彼女ではないが、ミシスの発想力は独創的である。貴重な存在だった。

「おいらは・・・病気については良くわからないけど・・・なんか普通じゃないのは確かだよね。やっぱり、姉さん達の言う通り、一番可能性のある井戸水から調べるのが良いと思う」

「・・・よし。ミシスも賛成なら、そちらの方面から調査を開始しよう。まずは先程、教団から入手したこの街の地図で疫病発生地区と井戸の位置を確認だ!」

 今回のミシスの意見は無難とも言えたが、俺に声を掛けられたことで彼女は嬉しそうな笑みを見せる。こうした、ちょっとした気遣いが仲間内の結束を高める要素となるに違いない。かつては単独行動を好んでいた俺だが、ミシスを始めとする仲間達のおかげでリーダーとしての素質が鍛え上げられているようだ。

 いずれにしても仲間全員の合意を得た俺は、直ぐに具体的な方法を示唆しながら行動を開始する。何しろこうしている間にも新たな患者が増えているのだ。


「ここが一番被害者の多い地区の井戸だな・・・」

 俺は目的の井戸を前にすると仲間達に語り掛けた。疫病は人から人への感染はしないが、メリーナ達の判断が正しいとするとこの井戸が病の発生源である。どれほどの効果があるかは不明だが、俺達は全員が口元を手拭い等の布で口元を覆っていた。

「ええ。早速、水を調べて見ましょう」

「そうだな。だが、直接水に触れるのは最小限に抑えたいから、俺一人でやる。ハーシェラはもちろんだがメリーナとミシスも手伝わなくていいぞ!」

「・・・私は大丈夫よ!あなたと一緒に調べるわ・・・でもハーシェラとミシスはその通りにした方が良いわね」

「う、うん・・・わかった・・・」

「・・・ああ、そうしとくよ」

 俺としてはメリーナにも井戸水に触れてほしくはなかったが、彼女がかなりの頑固者でもあることは既に知れた事実であるので、ミシスとハーシェラも特に反対せずに受け入れる。もちろん、俺が危険を共有しようとするメリーナの心意気に感動したのは言うまでもない。俺とメリーナはお互いにそれ以上は余計なことは言わずにロープを括り付けた桶を石材で回りを囲まれた井戸に落とすと、協力して引き上げた。

 汲み上げられた水はメリーナによってガラスの小瓶に注がれると、布越しに匂いを嗅いだり、日の光に晒して覗いて見たり、様々な方法で調べられたが、最後は彼女が持参した薬を混ぜることで最終的な判断が下されることになった。

「・・・色々調べたけど、この水は衛生的に問題ないみたいだわ・・・」

 結論を出したメリーナはガラスの小瓶を手にしたまま俺と仲間達に残念な様子で告げる。

「・・・最後に入れた薬は何なんだい?」

「これは、水の中の成分に反応して色が変わる薬なの。水が透明で匂いがしなくても、人体に影響が出るほど何かの成分が溶け込んでいたら赤くなるはずなのだけど、それも起こらないから水質には問題ないのは間違いないわね。もう誰かが呪いでも掛けたとしか思えないわ!」

 ハーシェラが俺も気になっていた薬について言及すると、メリーナは説明をしながらもお手上げとばかりに溜息を吐く。彼女は自身の予想が外れ、疫病の解明が振り出しに戻ったことが悔しいに違いなかった。

「それだ!これは単なる病気じゃなくて、一種の呪いなんだよ!!」

 俺がそんな薬もあるのかという感心と、手掛かりが見つからなかった残念さが混ざり合った奇妙な気分でいると、ハーシェラは弾かれたように声を上げた。

「くそ!症状が病気に似ている・・・いや、わざと似せたに違いない!だが・・・呪いだと気付けば対策は取れるぞ!」

「何?本当に呪いなの?!」

「ああ、その可能性は高いと思う!あたしも忘れていたけど・・・こういうのはあの裏切りの者の黒い奴等が使う手だしね!」

「・・・そういえば、そんな連中と戦ったばかりだったな!」

 当初は驚いていた俺も、状況が読めてくるとハーシェラに対して頷いた。修道院を襲った妖魔を撃退した俺達だが、その時に敵の指揮官と思われるダークエルフには逃げられている。確証はないが、そいつかもしくは残党の一部がマーシル王国の東の拠点であるガレンに破壊工作を仕掛けた可能性は高かった。

「こんな街の中にまで・・・いえ、でも呪いだとしたら・・・どうすればいいの?」

「呪いとわかれば、対策はあるさ・・・呪いは厄介だが、どうしても憑代が必要だ。それを見極めて手繰れば呪いの出処は突きとめられる!」

 ハーシェラは自分に任せろとばかりに胸を叩いた。


 3

 暗闇の中、俺は造作なく壁を乗り越えると目的の敷地内に降り立った。元から夜目は効く方だが、ミシスの兜を借りているので視界は昼間並に良好だ。持ち主の彼女より俺が使っている時間が多いが、これだけ優れた魔道具を持ちながら使わない選択はない。俺は続いて屋敷の裏口に回り、使用人達が使う勝手口を目指した。 

 ハーシェラが祈祷魔法〝精霊感知〟の応用によって突きとめた呪いの発生地と思われる場所は、街の有力者の屋敷だった。彼女は井戸に掛けられた呪い、正確には井戸の投げ込まれた呪いの憑代となった人骨の存在を探り出し、更にその人骨から大元の呪いの発生地としてここを割り出したのだった。

 当初、妖魔の仕業を疑っていた俺達にしてみれば街の有力者の屋敷に行き着いたのは不可解なことではあったが、持ち主を詳しく調べることで、ある推測が成り立った。

 屋敷の持ち主であるハズウェルはマーシル王国が真の王国であった頃にガレンで太守を務めていた名門貴族の出身で、彼はマーシル王国の実権がユラント教団に移ったことで貴族の地位から一市民に言わば、降格させられていた。それでもユラント教団では個人財産の保護が認められているので、一定の財産が彼に残ったはずだが、ハズウェルは自分が権利と信じていた太守の座を奪われたとして、教団を非常に恨んでいたとのことだった。そのようなユラント教団に激しい敵意を持つ人物ならば、妖魔と手を結ぶこともありえない話でない。

 もっともこれは現時点では推測でしかなく、公的に調査するには証拠や手続きが必要だ。そしてその証拠を集めている間に事態はより深刻化するに違いなかった。

 俺は仲間と相談の元、この事実を直ぐにはユラント教団には伝えず、まずは独自に屋敷を探ることにした。ハーシェラの例の騒動でユラント教団の衛兵が融通の効かない連中であることは判明している。下手な動きを見せれば証拠隠滅の上に逃亡される恐れがある。そして解決が遅れればそれだけ被害が大きくなる。俺はハズウェルが関与している決定的な証拠を掴む目的で屋敷に侵入しようとしているのだった。

 勝手口に辿り着いた俺は鍵を素早く解除すると屋敷に侵入する。昼間の聞き込みでハズウェル邸の使用人達が、疫病が流行り出す前頃に屋敷を処分するという名目で解雇されていることを確認していた。これは使用人達の口から悪事の秘密を洩れることを恐れたためとも思われるが、忍び入る俺からすれば都合が良いことでもあった。人が少なければ、それだけ警備は薄くなるのだ。

 そのような理由もあり、俺は今回の強行偵察に際して単独行動を選んでいた。ハーシェラの祈祷魔法でハズウェルの屋敷を呪いの根源地として割り出していたが、それはあくまでも俺達の予想でしかない。現時点でハズウェルは限りなく黒に近い灰色だ。後々のことを考えると違法活動を行う者は最小限に抑える必要があった。もちろん、メリーナ、ミシス、ハーシェラの三人の仲間は万が一に備えて屋敷の直ぐ外で待機してくれている。彼女達に出番がないことが最善ではあるが、この事実は俺にとって最高の励みとなっていた。

 屋敷内に入った俺はハーシェラの警告に従いを地下室の入口を求めて忍び足で歩く。また彼女からは、この呪いが人骨を憑代に使っていることから凄惨な儀式によって発動、維持されているのは間違いないので、覚悟しろとも伝えられていた。俺は敵の残忍さの思うと、兜の能力に奢ることなく慎重に足を進める。

 やがて俺は応接間と思われる広間の奥に隠し部屋を発見する。僅かに歪な家具の配置から割り出したわけだが、俺の盗賊としての勘は未だ健在のようだ。早速とばかりに俺は聞き耳を立てながら、中に入るために周囲の家具を調べ始める。これからが本当の腕の見せ所だ。

 だが、背後からこちらに迫る足音を聞き取ると、俺は作業を中断して慌てて後ろを振り返る。これまで存在を示すような余計な音や気配を発したつもりはなかったが、何者かがこちらにランプを差し向けようとしていた。

「貴様ぁ何者だ?!」

 咄嗟に姿を隠そうとした俺だが、それよりも早く男の野太い罵声が投げ掛けられる。兜の力で俺は男の姿を正確に捉えるが、彼は目を爛々とさせた凄まじい形相で右手に抜き身の剣を構え、左手に携帯式のランプを持っていた。

「・・・お前がハズウェルだな?疫病の元凶を調べに来た!」

 こんなに早く見つかってしまうのは失策と言えたが、俺は激しく怒る相手の雰囲気に飲まれることなく逆に悪事を看破したように宣言する。これが出来るのも今までの冒険の成果だろう。俺は自分でも気づかない内にかなり胆が太くなっているようだった。

「そ、それを知っているとは何者だ?!・・・いや、いずれにしても生かして帰さんぞ!」

「さあな!」

 俺は斬り掛かって来たハズウェルの攻撃を窓側に向かって回避する。一対一ではあったが、こちらとしては勝負を馬鹿正直に受ける義務はない。そして、今の台詞はハズウェルが疫病に何らかの関与をしている証拠と受け取れた。後は屋敷の外で待機している仲間達と合流し、ユラント教団に全てを任せるつもりだった。

「おのれ!」

 初撃を躱されたハズウェルは更に激高の声を上げるが、俺は無視して身体ごとガラスの窓を突き破る。ガラス窓は非常に高価な代物だが、もちろん悪党のことなど気にするつもりはなかった。

 前回り受け身で衝撃を和らげ、距離を取った俺は素早く立ち上がるが、その途端に腹部に急激な痛みを覚える。まるで胃袋か内臓を直接握りしめられているようだ。俺は激痛に耐えかねてその場に膝を落とした。最後の力を振り絞るように後ろを振り向くが、そこには破壊された窓の向こうからこちらに手を翳すハズウェルの姿があった。おそらくは修道院でハーシェラが味わった〝毒〟の魔法に違いない。まさかハズウェル自身が暗黒神に仕える使徒であるとは、予想外の出来事だ。俺は自分の迂闊さを後悔するが、もはやどうすることも出来ずに激しい苦痛によって意識が刈り取られようとしていた。

「兄さん!!」

「・・・ダメ・・・だ!戻れ!!」

 気を失おうとした直前に俺はミシスの声を聞く。彼女がなぜこれほど早くこの場に現れたのかは謎であったが、俺は援軍を喜ぶよりもミシス自身のことを心配していた。彼女の力量では返り討ちに合うと思えたのだ。

「ぐお!」

 だが、俺の朦朧な意識の中に聞こえてくるのはハズウェルの悲鳴だ。ミシスは体格に勝る相手に接近する愚は犯さなかった。彼女は俺に駆け寄りながらも最適と思われる間合いで、覚えたばかりの弓で敵に矢を射掛け、それが男の肩に命中したのだ。

「ミシス!先行し過ぎだ!」

「クソが!」

 そしてミシスを追って来たと思われるハーシェラの声が聞こえると、ハズウェルは悪態を残して窓枠から姿を消す。敵は数的不利を嫌って俺への止めを刺さずに逃げたに違いない。俺はミシスに助けられたのだ。

「・・・ミシス!助かった恩に着る!やはり、この屋敷のハズウェルが犯人だ。追うぞ!・・ハーシェラはメリーナを援護しながらこの事実を教団に伝えてくれ!」

 ミシスに礼を伝えながらも俺は集まりだした仲間に指示を出す。あれ程俺を苦しめていた腹の痛みは既にどこかに消えていた。どうやら、ハズウェルの力量では永続的な〝毒〟を行使することは不可能であるようだ。

「わかった!」

「うん!」

 俺はミシスを戦力と認めると共に今度は破れた窓から屋敷に改めて侵入する。このままハズウェルを逃がすわけに行かない。〝毒〟の効果は恐ろしいが、二人ならばなんとか対処出来ると思われた。 

 屋敷内に戻った俺達は開かれた隠し部屋の入口に詰め寄る。やはり中には地下に続く階段があり、そこからは慌てて走る音が聞こえた。

「追うぞ!」

「うん、行こう!」

 俺は今こそが勝機と判断し、ミシスの手を取って暗闇に包まれた地下へと降りる。ハーシェラとメリーナが呼ぶ衛兵を待つ選択もあったが、敵のハズウェルも今の状況に対応していない。反撃か逃亡の機会を与える前に決着つもりでいた。


 4

「スカーチャ様!・・・スカーチャ様!賊が現れました。お力をお貸し下さい!」

 地下に降り立った俺とミシスの前に錯乱したように広間となっている地下室を歩き回るハズウェルの姿が映った。誰かを探しているようではあるが、兜の力で暗闇を見通せる俺の瞳にも彼以外の人物は見えない。いや、正確には広間の奥に祭壇と思われる意匠をされた石の台の上に人型の物体があったが、それは明らかに人間の遺体だと思われた。おそらくは呪いの儀式に使われた生贄であり憑代だろう。ここが呪いの根本的な発生源に違いなかった。

「そんな・・・スカーチャ様ぁ!私を見捨てられたのか?!!」

「もう、観念しろ!」

 俺は短弓を構えるミシスを斜め後方に待機させると、一人騒いでいるハズウェルに語り掛けた。疫病に見せかけて呪いをばら撒くような外道ではあるが、やはり何事にも順序がある。いきなり背後から襲い掛かることは出来なかった。

「・・・お前達は・・・・ユラント教団の者か?!」

「そんなところだ・・・、お前は教団への恨みから、疫病に見せかけて呪いを振りまいたのだな?」

「ふふ・・・そうだ。頭の固いユラントの信者にしては、よく気が付いたな・・・」

 観念したのか、ハズウェルは笑みを浮かべながら俺の質問に答える。正確には俺達は教団の者ではないが、大司祭の依頼を受けているので面倒は省いた。

「共犯者に逃げられたようだが・・・お前は逃がさんぞ!観念して法の裁きを受けろ!」

「馬鹿な・・・今更ユラントの裁きは受けぬ!それにこれはダンジェグ様の大いなる復讐の第一歩なのだ!ふははは!」

 答えはわかっていたが、ハズウェルは俺の言葉を否定すると狂ったように笑い出す。この男が暗黒神ダンジェグに魅入られているのは先程の〝毒〟の使用で想定していたが、それは神への忠誠を宣言したと言うよりは、仲間に見捨てられた事実を受け入れたくない強がりのように聞こえた。

「投降す・・・」

 会話で説得と時間稼ぎをするつもりでいたが、ハズウェルが腕をこちらに向けようとしたので俺は覚悟を決めて片手剣で斬り掛かる。〝毒〟の発動と俺の攻撃どちらが早いかの勝負だった。

「ぐ!」

 詠唱を呟きながら俺に掌を向けるハズウェルの腹部に矢が突き刺さり、彼は悲鳴を漏らす。俺はそれを冷静に見つめながら躊躇うことなく剣を振るい、ハズウェルの左肩から胸の半ばまでを切り裂いた。既に致命傷ではあったが、俺は素早く剣を引き抜くと止めとして倒れた敵の喉を突き刺す。暗黒神の使徒である、確実に絶命させる必要があった。

「お、おいら・・・」

「大丈夫だ!ミシスが居なければ俺がやられていた。ミシスは俺を助けてくれたんだ!そして敵は街を苦しめた犯人だ。斃さなくてはならない存在だった!」

 地下室の床に仰向けに倒れたハズウェルの死を確認した俺は、涙目で震えるミシスを抱き締めて彼女の昂ぶった精神を宥める。ハズウェルは確かに斃さなくてならない敵であったが、自分がその死に深く関与したことでミシスは慄いているのだ。俺はミシスを戦いに巻き込んだ責任を感じていた。これは冒険者として生きるならば、いつか越えなければならない試練だったが、彼女にはまだ早いとも思われたからだ。

「うん・・・おいら・・・兄さんと街の皆を守ったんだね・・・」

 ミシスの言葉は少し無理をしている気配はあったが、彼女は俺の顔を見つめながらはっきりと答える。

「そうだ!力は誇示する物でもむやみに振るう物でもないが、勇気を持って使う時があり、さっきはその時だった!ミシスはそれを見極めたんだ!偉いぞ!」

「うん!兄さん・・・おいら、がんばったよ!」

「ああ、よくやった!」

 俺は再びミシスを抱き締めた。そして、これまで彼女を過少評価していたことを知る。年齢故に技術的には未熟なミシスだが、その本質は英雄ともいえる精神的な強さを持っていたのだ。俺はそんな才能ある彼女から兄として慕われる喜びを改めて感じた。


 その後の始末はユラント教団の衛兵達によって滞りなく進められた。ハズウェルの屋敷地下の呪いの祭壇は大司祭達によって呪いを浄化され、疫病はそれまで蔓延が嘘であったように収束に向かった。

 今回の疫病騒動にユラント教団が後手に回ったのは、段階を置いた巧みな呪いの掛け方にあった。ハズウェルと既に逃げたと思われる共犯者はまず下町から攫ってきた生贄を使いその骨に呪いを掛け。そして、それを細かく砕いて警備の薄い下町の井戸を狙って投げ込んだ。骨にはこれを浸した水を僅かでも体内に入れた者を高熱に晒す病の呪いを付与させていた。これにより水そのものは物理的には汚染されていないため、原因不明の病として治療法を見つけることが出来ず、呪いも本来の発動地をハズウェルの屋敷としたために簡単には感知されることがなかったのである。

 おそらくは高位の祈祷魔法の使い手か司祭が呪いを疑って直接井戸を調べなければ、真相を暴くことが出来なかっただろう。病に偽装した呪いの存在に早く気付けたのは、薬師として優秀なメリーナと祈祷魔法を扱えるハーシェラが対等な仲間として活動している俺達ならではと言えた。

 もっともそれを自慢するつもりはないし、そんな俺達に立場に奢ることなく調査を依頼した大司祭の柔軟な発想の成果とも言える。唯一つ〝スカーチャ〟と言う名前の共犯者に逃げられたことは気掛かりであったが、その後の調査はユラント教団に任せているので俺達の出る出番は終わっていた。

 いずれにしても俺達は疫病事件解決の立役者として大司祭から褒美と感謝状を賜わったのだった。


 5

「まさか、ミシスの弓があんなに早く役に立つとね!あたしの教え方が良かったってことかな!」

「どちらかと言えば、ミシスが優秀なんじゃないかしらね!ふふふ」

 ハーシャラの自慢の声にメリーナが笑いながら嗜める。もちろん両者とも本気ではなく酒の席でのお約束の余興のようなものだ。

 疫病事件の解決により街の封鎖は解除されていたが、俺達は未だガレンに留まっていた。これは大司祭が主催してくれた感謝の式典に参加したためと、旅に出発するのなら次のドラゴンの契約を済ませてからとの判断だ。そのようなわけで俺達は事件を解決した昂揚感もあって、夜な夜な自然と内輪での宴会を開いていた。

「まあ、両方ということにしておこう!あの時、ミシスが駆けつけて弓で援護してくれてなければ、俺はどうなっていたかわからんからな。二人に感謝だ!」

 二人のやり取りに釣られて笑みを浮かべながら俺は率直な感想を述べる。

「ほらな、見る目がある奴はしっかり見ているんだよ!」

「なら、そういうことにしておいてあげる。この人が無事だったのは確かに二人、特にミシスのおかげだからね!」

「うん、おいらがんばったよ!」

 メリーナは二人の功績を認めて頷くと隣のミシスの頭を撫でる。一時は敵の死にショックを受けていたミシスだが、嬉しそうに応える様子からすると、なんとか試練を乗り越えたようだ。やはり彼女は英雄としての才能を充分に持っているに違いない。

「しかし、いきなりミシスが壁を乗り越えて走り出したのはびっくりしたな。その後に破壊音が聞こえたから、あたしも不味い状況だってのがわかったけど」

「・・・ん?俺がガラスの窓を破った音で駆け付けてくれたんじゃなかったのか?!」

 ハーシェラの指摘に俺は当時のことを思い出しながらミシスに問い掛ける。その後のハズウェルとの戦いが印象的だったので忘れていたが、確かにあの時俺は〝毒〟の効果に苦しみながらも、ミシスの素早い増援に疑問に感じていた。

「うん・・・おいらも必死だったんであんまり覚えてないんだけど・・・なんかイーシャ様の声を聞いたような気がして、それで兄さんのことが凄く心配になって・・・気付いていたら壁を乗り越えていたんだ!」

「・・・それって・・・」

 ミシスの告白に言葉を失った俺達だが、やがてメリーナが疑問の声を上げる。彼女はこの中で唯一黄金の古龍〝イーシャベルクオール〟と面識がない。そのために余計な先入観がなく客観的な判断が取れたのだろう。

「ああ・・・もしかしたら、ドラゴンがミシスを通じて俺を助けてくれたのかもしれない・・・でもどうやって・・・」

「あいつの力は・・・あたし達の想像の遙か先を行っているよ。考えるだけ無駄さ・・・あんた達は契約を交わした従者、言い換えれば眷属となっているから、それで何かしらの繋がりがあるんだろうね・・・」

「しかし、今まで何回か窮地に陥っているが、こんなことはなかったぞ?」

「・・・もしかしたら、今回の敵が暗黒神ダンジェグの使徒だったからかも。あいつは何を考えているかわからないけど、一応はこっち側だからさ」

「そういうことなのか・・・」

 俺はハーシェラの意見に一先ずの納得を見せる。彼女が言うこっち側とは神々の対戦で光の神々に協力した陣営を指す。ドラゴンは立場を明確にしていなかったが、人間やエルフに対して友好的な様子からすると確かに光の側だと言えなくもなかった。もっとも、俺個人の考えでは〝あの女〟が何かに属するとは思えない。これまでの彼女の発言からすると自身を唯一無比と思っている節がある。それでいて妙に約束事を大事にし、自身の持つ力を無駄に誇示しようとしないあたりが〝あの女〟の面白い特徴でもあるのだが、結局は怒らすと世界で最もヤバイ存在、それが黄金の古龍〝イーシャベルクオール〟の全てのように思われた。

「それだと二人に何かの不都合があるの?」

「・・・特にないだろうね。あいつを怒らせたら何をしても無駄だろうし・・・これからも従者として契約を守るならば不都合はないんじゃないかな」

「じゃ、特に問題無いわね!」

「うん!おいら達のことをイーシャ様が見守ってくれるなら心強いしね!」

 俺がドラゴンについて深い考察を巡らせている間にメリーナが笑顔で結論を告げる。嫉妬深いところもある彼女だが、こういった恋愛に絡まない場面での判断は素早い。そしてミシスもそれに同調するかむしろ、ドラゴンの加護として歓迎している節があった。

「そうだな・・・今更・・・気にしても仕方ないな!」

 メリーナの極めて現実主義的な考えに励まされるように俺は頷く。最近はハーシャラとミシスの活躍に目を奪われていたが、メリーナも強さを秘めた女性なのだ。

「とりあえず、俺をだけじゃなく皆が無事で良かった。・・・素晴らしい仲間達に!」

 俺は仲間に向かって敬意を告げると、杯を掲げて麦酒を飲み干した。そして口には出さなかったが、心の中では〝イーシャベルクオール〟への感謝を付け足したのだった。

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