第11話 ハーシェラの災難

 1

 俺達はマーシル王国の東の拠点であるガレンの街まで歩みを進めていた。本来ならガレンはバーレガル王国の最西端の街カプノザから徒歩で五日程度の位置にあったが、ドラゴンの依頼を受けたことで二十日程遠回りをして本来のルートに戻る形となった。

 これほど時間が掛かったのは、修道院で妖魔の撃退に成功したその後も、施設の復旧と妖魔の再襲撃に備えて、ユラント教団の援軍が到着するまで修道院に滞在していたからだ。もっとも、この間に本来の任務であった謎の力の源、すなわちユラント神の敬虔な信徒であるスナイの存在をドラゴンに報告し、俺達は憂いを抱えることなく修道院を出発した。

 いや正直に言えば、若き院長のスナイを始めとする修道院で暮らす人々との別れは俺達に寂しさを齎した。一週間近く一緒に暮らせば、やはりお互い気心も知れて来る。実際スナイからも、好きなだけ修道院に滞在して欲しいと誘われていた。その彼女の申し出はありがたくもあったが、俺達は丁重に断ることにする。ドラゴンから課せられている契約のためでもあったが、俺達のいずれもがまだ見ぬ世界に憧れを抱いており、これからも旅を続けるつもりでいたからだ。それでもスナイ達は俺達の考えを尊重してくれ、最後の夜は精一杯のもてなしで送り出してくれたのだった。

「スナイ達との別れは寂しいけど、宿屋でゆっくり寛げるのは楽でいいわね!」

「ああ、まったくだな!」

 旅装を解いて寝台に腰を降ろしたメリーナが伸びをしながら問い掛けるので、俺は乾いた笑みを浮かべながら同意を示した。修道院での清貧とも言える自給自足の生活は新鮮ではあったが、俺達は世俗の人間だ。たまには香辛料を使った贅沢な料理も食べたいし、良い酒も飲んで、細々とした生活の準備は他人に任せてのんびりもしたかった。そして何より、俺とメリーナは恋人同士として二人だけの甘い時間を切望していた。

「ねえ、早く!」

 メリーナは俺が剣帯を外すのを見ると、扇情的な表情を浮かべてこちらに向かって大きく腕を広げる。今俺達が居るのはガレンの宿屋〝樫の木亭〟の一室だ。二人用の客室で、その名のとおり内装の家具には樫の木が多く使われており、居心地はかなり良い。ミシスとハーシェラは別に部屋を確保しているので、室内にいるのは俺とメリーナだけだ。しかも、ミシス達は一足先に様子を見て来ると街の散策に出掛けているので、待ち望んだ二人だけの時間だった。メリーナが大胆になるのも仕方がないだろう。それに釣られるように俺は前方から彼女に飛び付くと寝台に押し倒した。

「きゃっ!」

 驚きながらも、どこか嬉しそうな悲鳴を上げるメリーナの口を俺は唇を重ねることで塞ぐ。まだ陽は高いが俺達に夜を待つ忍耐力はなかった。


 一方、俺とメリーナが情報収集の名目で宿屋に居残っていた頃、ミシスによればこんなやり取りが彼女とハーシェラの間で交わされていたらしい。

「あの二人には、二人きりの時間を定期的に用意してやらんとなぁ」

 ハーシェラはガレンの表通りを歩きながら、苦笑とも取れる笑みを浮かべてミシスに語り掛ける。

「うん。メリーナ姉さんの機嫌が悪くなっちゃうからね!」

「ははは、そうだ!さすがミシス、わかっているじゃないか!」

 ハーシェラは笑い声を上げながらとミシスの頭を良く出来ましたとばかりに撫でる。

「へへへ」

「まあ、そんなわけだから、あたい達は別の場所でしばらく時間を潰そうってわけさ!」

「でも、おいら達は何をしよっか?街の中だと精霊の声は聞こえ難いから、祈祷魔法の練習には向かないんだよね?」

「ああ、あたしの言ったことをしっかり覚えているな。まさにそのとおりだから、今日はミシスに合う弓を買ってやろうと思う。本当は材料集めから初めて一から作ってやりたいんだが、それだと時間がかかり過ぎるからな。まずは人間の作った既製品で始めよう。あたしに言わせれば人間の作った弓はまだまだなんだが、入門用としては充分だろう」

「やった!おいらも弓が使えるようになるんだね!」

「おいおい、短剣もそうだが武器は使い方を誤ると自分だけでなく仲間も傷付けることがある。あまりはしゃぐなよ!」

「う、うん。もちろん、気をつけるよ!」

「よし、とりあえず。武器屋が集まっている通りを目指すか!この手の店の回りは自然と柄が悪くなるからな。ミシス、あたしから離れるなよ!」

「わかった!気を付ける!」

 こうしてミシスとハーシェラは冒険者が集まるような通りを目指して、ガレンの裏通りに足を踏み入れて行ったのだった。


 2

「この辺りっぽいな」

 武装した人影が目立つようになった人の流れに乗りながら、ハーシェラはミシスに告げた。エルフ族である彼女の正確な年齢は不詳とされていたが、二百年前に活躍した英雄と共に行動をしていたので、少なくともハーシェラが二百歳以上であるのは間違いない。しかもこの年月を故郷の森を離れて冒険者として生きて来た彼女は、人間の基準からすれば歴戦の猛者と呼べる実力を持っていた。初めての街とはいえ、優れた感覚を持って目当ての冒険者達を相手にする地域を探り出したのだ。

 もっとも、正確無比な矢を早業のように放ち、祈祷魔法の心得もあるハーシェラではあるが、見た目は妙齢の美しいエルフ女性にしか見えない。更にミシスが人間の美少年に見えることから二人の姿は周囲の関心を集めることになる。

 自分とミシスを見つめる回りの視線を感じながらも、ハーシェラは武器屋の看板を掲げる店の前で足を止める。こんなことならフード付きのマントを被ってくれば良かったと思うが、夏が終わり秋の気配が漂う最近は日差しも柔らかくなり、気温も快適だったので宿に置いてきていたのだ。

「・・・とりあえず、ここから見てみるか!」

「うん!早く見たいな!」

 看板には取り扱っている武器を人目で知らせるためだろう。弓や弩、槍の絵が描かれている。おそらくは射出武器を専門に扱っている店に違いなかった。店前を改めて確認すると、しっかりと掃き清められておりゴミの類は一つも落ちていない。エルフ族であるハーシェラは商売に興味はなかったが、これまでの経験で汚い店は総じて〝ハズレ〟であることを学んでいる。まずは合格と判断した。

 そして、早く自分の弓が欲しいミシスもハーシェラの意見を素直に受け入れる。その嬉しがる様子にハーシェラは先程のちょっとした懸念を忘れて、早速とばかりにミシスを連れて目当ての武器屋に入って行った。 

「いらっしゃいま・・・せ!」

 入店と同時に主人と思われる中年の男の声に出迎えられるが、ハーシェラ達の姿を認めた彼は一瞬だけ声を詰まらせる。客達の思わぬ美しさに驚いたのだ。

「え、エルフの方に起こし頂いたのは初めてです・・・何をお探しですか?」

「矢包を二束と、この子に入門用の弓を買って上げようと思ってね。弱くても良いから小さめの短弓を見せてくれないかな?」

「はい、ただいまご用意いたします!準備をしますのでお待ち下さい!」

「ああ、頼むよ!」

 当初は驚いていた主人の男性だが、さすがは商人といった具合で直ぐに対応に入る。その間にも彼はハーシェラ自身の持つ弓を目に焼けつけるように見つめていた。ハーシェラが自分のために拵えた弓の素晴らしさにいち早く気付いたのだ。弓と祈祷魔法を得意とする彼女の実力は目立つことはないが、見る者が見ればその内封された力に畏怖することになる。何しろ優れた射手は時として百人の剣士に勝ることもあるのだ。

「まずは、矢からお確かめ下さい」

「・・・うん、悪くないね。こっちは問題なしだ。ミシスこの弓をこうやって引いて見な」

 主人から出された矢筒から不作為に何本か引き出したハーシェラは、しばらく吟味した後に合格を告げると、今度は幾つか用意された弓を手に取り扱い方をミシスに示した。主人の計らいで既に全ての弓に弦が張られている。

「こう?」

「いや、腕の力だけじゃなくて背中の筋肉も使うんだ。肩甲骨を背骨の辺りでくっつけるように・・・そうそう、そんな感じだな。・・・だが、もう少し弱い弓の方が良いかな・・・」

「う、うん。ちょっとこの弓はおいらには・・・」

 助言を与えながらハーシェラは用意された弓を順番にミシスに構えさせていく。

「よし、これがミシスには一番良いみたいだな。慣れて来たら今度は二人で一緒に専用の弓を作ってやるから、しばらくはそれで基本を覚えるんだぞ!」

「うん!おいら、弓の扱いもがんばって覚えるよ!」

「ああ。・・・では主人。この弓とさっきの矢筒。あと予備の弦を二本分くれないないか?幾らになる?」

 選定を終えたハーシェラは主人に呼び掛けて本格的な取引を開始する。本来この店の主人は射出武器の専門店として、経験の浅い冒険者に対して扱い方等の助言を与えることも多いのだが、この二人に対しては静かに見守ることとしていた。彼自身は冒険者の経験はなく商人であり職人に過ぎないが、ハーシェラが尋常でない腕前を持つ射手であることを悟っていたからだ。そんな存在に余計な口出しするのは『ユラントに説法』並に愚かな行為だった。

「はい。矢筒一束が銀貨一枚と銅貨二枚、その弓が銀貨三枚です。弦に関しては纏め買いとして勉強させて頂きますので、計銀貨五枚と銅貨四枚になります!」

「・・・少し高いな。銀貨四枚にしてくれないかな?」

「お言葉ですがお客様。この品質で提供しているのは、ガレンでは当店だけだと自負しております・・・」

「なら、銀貨四枚と銅貨十枚でどうだい?」

 店主からやんわりと断られるハーシェラだが、条件を変えて再び問い掛ける。冒険者として永らく生きてきた彼女にとって言い値で買うことはありえない。

「銀貨四枚と銅貨十二枚でいかがでしょう?」

「じゃ、それで!」

「ありがとうございます!」

 これで商談は成立してハーシェラは支払いに入る。銅貨二十枚で銀貨一枚分の価値があるので、提示された金額から銅貨十二枚分を下げた勘定となった。彼女としてはもっと粘れば更に安く出来たと思っていたが、本来は森で暮らすエルフ族にとって商談はそこまで重要な文化ではなく。早目に切り上げることにしたのだ。それに主人の主張のとおり、この店の品は人間が作った物としてはなかなかの高品質であった。彼女はざっくばらんな性格だが、相手に敬意を示すことは忘れていない。客観的に見ても妥当な取引だと思われた。

「じゃ、ありがとね!」

「ありがとう!」

「こちらこそ、ありがとうございました。またのご来店を!」

 予備の矢筒を背負い袋に入れ。購入したばかりの弓を持ったハーシェラとミシスには主人に礼を告げると店を出る。主人も良客だった二人を店先まで出て見送った。弓を得意武器とするエルフ族に品質を認められ、代金も妥当な額で早々と納得してもらえたのだから悪い気はしない。主人としても有意義な取引だったのだ。もっとも、ガレンの暮らす人々が全て彼のような本質を見抜くことが出来る人物とは限らないのであった。


 3

「ミシス!うれしいのはわかるが弓の鍛錬はある意味、祈祷魔法より大変だぞ!指先にマメが出来るだろうし、そのマメが潰れて更にその下からマメが出来るくらいやらないと上達しないからな!」

「え、それってかなり痛いんじゃないの?」

「ああ、痛いなんてもんじゃないな。あたしも指先が堅くなるまでは包帯を巻いて泣きながら親父の指導を受けたからな!」

「そんな・・・」

 店を出て〝樫の木亭〟に戻るルートをゆっくり歩んでいたハーシェラは、自分の弓を手に入れて浮かれているミシスに、これから訪れる苦難について諭すように説明した。脅かすつもりはなかったが、実際にマメを潰す覚悟がなければ弓術の練習は覚束ない。ミシスには苦しいかもしれないが、理解してもらわねばならなかった。

「あたしは自分でもかなりの腕前だと思っているが、そこに至るまでにはかなりの代償を払っているってことなんだ。・・・ミシスもある程度まで弓に慣れるまでには、かなりの努力を重ねる必要があるだろうけど、めげずに頑張って欲しい。お前には才能があるからね!諦めなければ、かなりの手練れになるはずだよ!」

「・・・うん、おいら頑張る!それにマメが出来たらメリーナ姉さんに薬の作り方を教えて貰うよ!」

「ははは。お前はメリーナからは薬の知識を教えられているんだったな。別の知識で何か補う発想は悪くないぞ。けどな、祈祷魔法には怪我を癒す術もあるんだぞ!」

「え、本当!それじゃマメも治せるんだね!」

「ああ、マメくらいで使うのはもったいないが、毒や病気を治す技もある。ミシスがあたし達の教える技術を全部覚えたら、凄いことになりそうだな!」

「そうなのかな・・・おいらは教えてくれるなら、何でもやってみようと思っているけどね」

「まあ、それは悪いことじゃないな。お前は頭も良いから、混同することもないだろうし教える側としては理想の生徒だよ」

「えへへ、でも今ははやく弓を上手くなりたいな。弓が使えればおいらもあの夜にもっと役に立てたと思うし!」

 褒められたミシスは照れながらも、決意を表明する。あの夜とは修道院での妖魔迎撃戦を指すのだろう。彼女はメリーナの護衛を頼まれていたが、それが危険な戦いから自分を遠ざける方便であることを理解していた。そして、ハーシェラの活躍を聞いたミシスは小柄な自分でも弓ならばいち早く戦力になれると気付いていたのだった。

「まあ、焦ることはないさ、祈祷魔法と合わせてあたしがみっちりお・・・」

 ミシスの考えに頷こうとしたハーシェラだが、こちらに迫る人影に気付くと慌てて仲間の腕を引っ張ってそれを避けさせる。だが、まるで人影の後ろに隠れていたかのように別の人影が現れるとミシスにぶつかって行った。

「うわ!」

 人影は小柄な男だったので衝撃自体は強くなかったが、それでもぶつかられたミシスは弾かれたようにハーシェラに受け止められる。彼女がいなければ尻もちを付いていただろう。だが、ぶつかった男はその非礼をわびる事なくその場から逃れようと駆け出した。

「待ちな!」

 それを見たハーシェラはミシスの脇から素早く前に出ると男に足払いを掛けてそのまま地面に転ばす。そして彼女はすかさず、男の懐から本来はミシスの持ち物である、あのバーニス皇家の紋章が刻印された短剣と財布を取り返した。男がぶつかった拍子にミシスからスリ取ったのだ。

「てめえ!!」

 短剣と財布を取り戻された男は立ち上がると同時に居直って拳を振るうが、ハーシェラはそれを簡単に躱すと逆に蹴りを与えて男を再び地面に寝転ばせた。

「はっ!相手を良く見てから、仕掛けるべきだったね!」

 ハーシャラは腰の矢筒に右手をやりながら男を恫喝する。先程の気配はこの男にスリの標的として狙いを定められていた視線だったようだ。買い物帰りなら〝おけら〟であることはなく、ある程度の金額を持っているのは間違いないからだ。もっとも、ハーシェラからすれば、人の物を盗む者に釈明の余地はないが、命を奪うほどではなく。これで退散させるつもりでいた。

「言い掛かりはやめてもらおうか!お嬢ちゃん!」

 残念なことにハーシェラの思惑は相手方には通用しなかった。彼女とミシスを女子供とみたスリの仲間、最初に突進してきた人影が援護のように現れると、逆にハーシェラを脅かす。この男はやや大柄でハーシェラよりも頭一つ分は背が高かった。

「やめなかったら、どうなるのさ?!」

「痛い目を見ることになるな!そして詫びをその身体で払ってもらうぜ!へへへ・・・うぎゃあ!!」

 体格差をものともせずに啖呵を切ったハーシェラは、相手が腰から小剣を抜くのを見ると一瞬で矢を番えて男の足元に向けて放った。当然と言うべきか、その素早い動きに男は対応出来ずに矢を足の甲に受けて悲鳴を上げる。

「もう一度言ってみな!」

 既に第二射目の準備を整えたハーシェラは相手の頭部に狙いを定めながら改めて問い掛ける。

「た、助けてくれ!」

 しかし、男はハーシェラの問いには答えず、仲間に助けを求めると肩を借りて逃げて出した。もちろんハーシェラもその背中を射るつもりはなく。拙い撤退を鋭い視線を維持したまま見送る。妖魔に容赦はしない彼女も街中で人間を殺めるほど好戦的ではないのだ。

「大丈夫かミシス?!」

「う、うん、大丈夫!おいらも戦うつもりだったけど・・・ハーシェラ姉さんはすごく強いね!」

 緊張している様子はあったが、ミシスは取り戻された短剣を鞘に戻しながらハーシェラに答える。

「よし、面倒になる前にさっさとあたし達も逃げるぞ!」

 正当防衛のはずではあったが、ハーシェラはミシスの腕を掴むと移動を開始しようと誘う。だが、顔を上げた彼女の視線に通りの先に騒ぎを聞きつけてやってきたと思われるこの街の衛兵達の姿が映った。この状況で逃げ出せば彼らも必死に追ってくるだろう。彼女は無理な逃走を諦めると弁明の言葉を考え始めた。衛兵の相手は面倒だが、きちんと話せば理解してくれるはずだとこの頃のハーシェラは考えていた。


「あたしが悪いってどういうことさ?!!」

 ハーシェラはユラントの聖印を首から下げた衛兵に喰って掛かっていた。

「それは正しい解釈ではない。我々はそなたの証言を信用しないとしているだけだ。ガレンを始めとするマーシル王国はユラント神の教えを実践する善良な市民で構成されており、その市民の声をそなたのような偉大な神の存在を蔑ろにするエルフ族の言葉よりも信用している。そして、後に被害者が現れてそなたを訴える可能性があるので、身柄を拘束するだけである。大人しく従えばこちらも手荒なことはしない。そなたの言い分が正しいのなら直ぐに嫌疑は晴れて自由になるだろう!」

「なんで、スリに遭った方が捕まるんだ!おかしいだろ!!」

 当然とも言える理屈を掲げて激高するハーシェラだが、さすがに街の衛兵相手に無茶をするほど愚かではなく、矢筒に手が伸びないように利き手である右手に弓を携えていた。

「それはそなたの主張に過ぎない。我々には街中で武器を使った者の逃亡を防ぐ義務がある!」

「・・・くそ!」

 ハーシェラは自分を心配して見つめるミシスに視線を合わせると決断を下す。自分一人ならいくらでも逃げられるが、そうすればミシスも巻き込んでしまう。大人しく衛兵の要求を飲む事にしたのだ。

 それに気に入らないことではあったが、衛兵達の言い分もある程度ならば理解出来た。余所者、しかも神へ信仰が強い地域でエルフ族の言葉を人間が重視するとは思えなかったからである。また逆の立場、エルフの縄張りである森に武装した人間がやって来て騒ぎを起こせば、同じようなことが起るのは間違いないと思われた。

「わかった。大人しくあんたらに従おう。でも武器を使ったのはあたしだからね。捕まるのはあたしだけだよ!」

「・・・うむ、そなたが素直に拘束されるならば、我々も追及をむやみに広げる意図はない」

「ミシス、悪いけど・・・このことをあの二人に伝えてくれよ!宿まで気を付けて帰るんだぞ!」

「うん!わかった。兄さん達がきっとなんとかしてくれるよ!」

 ハーシェラはミシスに別れを告げると、衛兵の一人に自分の業物の弓を手渡す。降伏した以上は下手な抵抗は却って立場を悪くするだけである。衛兵達もハーシェラに逃亡の意志がないと判断したのか、周りを取り囲みながらも、縄で縛るようなことはしなかった。

 いずれにしてもミシスは衛兵達に連れて行かれるハーシェラを見送ると〝樫の木亭〟への帰路を急いだのだった。


 4

 ミシスが宿に帰ってきたのは俺とメリーナがお互いに満足して、一足早く一階の酒場を兼ねた宿の食堂で一杯やろうとした所だった。深酒するつもりはなかったが、給仕が最初の一杯を運んでくる前だったのは、俺達にとって僥倖であったに違いない。やはり酒精は人の判断力を鈍らすからだ。

「兄さん!それにメリーナ姉さん!た、大変なことに!」

「そんなに慌ててどうしたのミシス?・・・・それにハーシェラは?!」

 俺達の姿を見つめたミシスは泣きそうな声で訴え掛け、メリーナはそんな彼女の背中に手を回しながら落ち着かせる。もっとも、ミシスを労わるメリーナの顔にも既に心配の影が浮かんでいた。ハーシェラがミシスを放り出して街中をうろつくはずがない。この場に姿を現すことの出来ない理由があるのだと直感的に気付いたのだ。

「そ、それがスリに襲われて、ハーシェラ姉さんが撃退したんだけど、衛兵に街中で武器を使ったと言われて・・・」

「まさか衛兵と戦っているのか?!」

 これまで二人のやりとりを聞いていた俺は先を急ぐようにミシスに質問を与える。まさかと思いたいが、ハーシェラの性格からすればありえないことではなかった。

「ううん、戦ってはいないけど、捕まったというか・・・自分から弓を預けて衛兵に従って連れて行かれちゃたんだ!」

「投降したってことか・・・」

「うん、それだと思う!」

「ふう・・・・そうか・・・ハーシェラが衛兵に連れて行かれたとしたら、この街のユラント教団の本部だな・・・」

 最悪の事態を想定していた俺は一旦、安堵の溜息を吐いた。衛兵相手に一戦交えたとなれば、かなり面倒なことになったに違いないが、投降したのならまだ交渉の余地があるはずだからだ。

「よし!俺がハーシェラの釈放を求めに出掛けて来よう!メリーナとミシスはこの宿で待機していてくれ。下手に全員で動くことはないからな!」

「・・・ええ、わかったわ!でも気を付けて、この街の衛兵は頭が固そうだからね!」

「ああ、俺も下手なことはしないつもりだ!じゃ、二人とも留守は頼んだぞ!!」

「うん!兄さんも気を付けて!」

 俺は二人に告げると宿を急いで後にする。ハーシェラが責めを受けているとは思わなかったが、なるべく早く解放するに越したことはないからだ。

 

 マーシル王国は王国を名乗っているものの、現在の王とその王族は権威のみの存在で、実質的にはユラント教団が国を管理運営している。そして、この街ガレンもマーシル王国の首都でありユラント教団の総本部があるロスフェルトから派遣された大司祭が教団の教えだけでなく、司法や行政等の政を司る役目も担っていた。そのため、ガレンの教団本部が宗教的、政治的両方の中心地となっている。

 もっとも、街で実際に働く役人の多くは現地採用された世俗の人間で構成されていた。これは役人の全てを教団関係者で揃えるのが物理的に不可能であるのと、教団の運営と街の運営が異なることであることを試行錯誤で知った結果であった。神の信徒は神の教えこそが優先すべき事象ではあるが、人は食を始めとする様々な欲求や問題を解決しなければならない。修道院のような小さなコミュニティであれば神の教えを最優先に出来るのかもしれないが、数千から数万規模の人間が暮らす街となると理想だけを追求するのは現実的ではないのだった。

 それでも教団内部にはユラントの信徒で固めている部署があった。大司祭とそれを補助する司祭階級はもちろんだが、治安を維持し外敵を防ぐために存在する街の衛兵隊もその一つだった。彼らは総本部から派遣された神官戦士で構成されており、高い士気と練度を誇っていた。このようなユラント神と教団に高い忠誠を誇るガレンの衛兵隊に目をつけられてしまったハーシェラは運が悪かったと言うしかないだろう。

 メリーナの指摘のとおり、融通の効かない彼らには袖の下や賄賂等は通じないと思われる。むしろそんなことをすれば侮辱していると怒らすだけだろう。俺は教団本部がある街の中心を目指しながら、交渉相手となるユラント教団とその傘下にある衛兵について正攻法しかないと腹を括った。


「だめだ!被害者が名乗り出る可能性がある三日間はあのエルフの女性は釈放することは出来ない。それに街中で武器を使って人を傷つけた者は三か月以上の懲役刑に課せられることになっている」

「でもそれは、スリに襲われた正当防衛のためでしょう?温情があっても良いのではないでしょうか?」

「現在の所、スリがあった事実は確認されていない」

「被害者が名乗りでないのは、スリであったからではないですか?」

「それは憶測でしかない」

 衛兵隊の詰所にハーシェラの釈放を願い出た俺を出迎えたのは、まさに融通の効かない衛兵だった。俺より十歳ほど年上のこの男は自分が頑固であることも理解していないのだろう。俺としてはいくつかの点で、例えば『スリが存在する時点で衛兵隊の怠慢と言えるのではないか?街の不十分な治安状況に自力で解決した旅人を責めるのはおかしい!』等で彼を論破することも可能と思えたが、俺の最優先課題はハーシェラを無事に取り戻すことであるので、我慢してその考えを飲み込んだ。いくら正攻法とは言え、この男を感情的にさせてしまえば更に悪い状況に陥るのはわかりきったことだ。それに俺、いや俺達には一つの切り札があった。

「・・・自分から名乗り出ることではないと思っていましたが、我々・・・私とハーシェラ、拘束されているエルフ女性を含む四人はガレンより北東に位置する修道院で、院長のスナイ氏に協力して襲ってきた妖魔と戦ってこれを撃退しています。私とハーシェラはユラント神の信徒ではありませんが、光の陣営に属する者の義務として修道院防衛に協力しました。・・・ユラントの信徒を守るために戦った彼女を疑いがあるとは言え、拘束するのが果たして正義と言えるでしょうか?」

「なんだって?!確かにここからもスナイ司祭の修道院への増援を送り出したが・・・まさか?!」

「これが、証拠の品です。スナイ氏からマーシル王国内でユラント教団に力を借りたい時はこれで便宜が図られると彼女の善意から贈られた感謝状です。まさかこんな状況で使うとは思っていませんでしたが・・・」

 俺が差し出した丸められた羊皮紙を受け取った男は、目を丸くしながら中身を確認すると直ぐに反応を示した。

「これは本物の・・・スナイ司祭の感謝状!・・・しばらくお持ち下され!」

 男は面会室と思われる小さな部屋に俺を残して慌てて部屋を出て行く。おそらくは上役に相談しに行ったのだろう。ハーシェラが釈放されるのは時間の問題と思われた。


「はあ、助かったよ!あたしは自分から修道院を救ってやったなんて言えなかったからね・・・まあ、人助けはしておくものってことかな!」

「俺もあんな手の平返しは初めて見たな!まあ、ハーシェラが無事で何よりだった!」

「ええ、それはもちろんよ。でもハーシェラ!私達、心配のし過ぎで気が気でなかったのよ!」

「それについては謝るけどさ!仕方がなかったんだよな・・・」

「うん!ハーシェラ姉さんがあの時、おいらの短剣を取り返してくれなかったら・・・もう二度と爺ちゃんの形見を見る事がなかったと思う・・・」

「ハーシェラは良くやったさ。今回は運が悪かったと思うしかないだろう!とりあえず、仲間の無事を祝って一杯やろう!」

「そう思うしかないかな・・・まあ、スナイには感謝だな!」

 夕食頃までには俺とハーシェラはメリーナとミシスの待つ〝樫の木亭〟に戻ることが出来た。スナイの感謝状を見せた後の展開は劇的に変化し、ハーシェラの釈放はもちろんだが、この街の最高責任者でもある大司祭とも面会を果たし、修道院救済の感謝を直接告げられたのだった。何でもスナイは初老の域にあるこの大司祭のかつての弟子であったそうで、次代のユラント教団を背負うスナイを助けた俺達を恩人とまで呼び、これまでの非礼も詫びてくれたのだった。また、俺達四人全員を客として迎えたいとも言ってくれたのだが、それについては丁重に断わった。何しろ、清貧を掲げる教団の施設で寝泊まりするよりも〝樫の木亭〟の方が遥かに快適であるに違いないからだ。いずれにしても俺達はスナイの感謝状のおかげで、危ういことになり掛けた窮地を脱することが出来たのだった。

「ああ、スナイに乾杯だ!」

 俺達は一時ではあったが共に戦ったユラントの司祭に対して乾杯を上げた。

 

 5

「ふふふ。そう、ハーシェラはそんな目に遭っていたの!助けてあげたのに仇で返されそうになるなんて災難だし、そのようなことが起こるなんて人間社会の不思議さの象徴みたいな出来事と言えるわね!まあ、そこが面白いのだけれど。ふふふ!」

 俺の語った顛末にドラゴンの化身は芸術作品のように整った顔に微笑を浮かべる。ハーシェラには悪いと思ったが今回の逸話には彼女の事件を使わせてもらった。何しろ今週はガレンへの旅路とこの騒動で新たに逸話を集める余裕がなかったのである。身内の不幸をネタにすることには躊躇いもあったが、俺の主人である黄金の古龍〝イーシャベルクオール〟とハーシェラは既に面識のある間柄だ。ある意味、近況報告のようなものだろう。そして、俺の目論見どおりドラゴンはハーシェラのちょっとした災難を気に入ったようだった。

「ハーシェラには災難でしたが、奇しくもご主人様が前回依頼された一件で窮地を抜けることが出来ました」

「ええ、偶然だけどそうみたいね。なぜか私の従者であるあなた達がユラントの使いにされたことは気分が良くないけど、ユラントの奴がまた地上世界に強い関心を持つようになったのを突き止められたのは良いことだわ。・・・あいつが動くと、ダンジェグ側も触発されて活発になるからね・・・。私はただ、優雅な時を過ごしたいだけなのに、大事になる前になんとか釘を刺さないといけなくなりそう・・・。あなた達にはまた何か頼むかもしれないけど、その時はお願いね!」

「・・・はい、かしこまりました」

 ドラゴンの言葉に違和感を覚えながらも俺は頭を下げて彼女に従順の態度を示す。まるでこの引きこもりのドラゴンが世界の調和を保っているようなことを呟いたからだが、俺の立場からそれを深く問うのは出過ぎたことなので口を塞ぐ。真相はともかく、彼女が世界に影響を与えるだけの力を持っているは間違いないのだ。

「では、ハーシェラにお大事にって伝えておいてね!ミシスもまた今度ね!ふふふ」

 最後に類い稀な微笑を残してドラゴンとの謁見は終わりとなり、俺とミシスは仲間達の待つガレンに戻る。

 この後、ドラゴンに自分の失態を告げ口されたと判断したハーシェラが俺に不満を漏らし、それを宥めることでメリーナの機嫌が悪くなるというちょっとしたトラブルが起きるのだが、これは余談である。

 

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