第10話 修道院の聖女

 1

「いいかいミシス。何度も言うけど、祈祷魔法と呼ばれているこの技は、精霊や祖霊を支配して使役させるのではなく、お願いして彼らの力を借りるのが本来の姿なのさ。精霊達は使い方によっては戦闘・・・人や生き物を傷つけることも可能だけど、あんたがこれから一人前の使い手になったとしても、そんなことをするのは自分や仲間を守るためのやむを得ない時だけだと約束して欲しい。いいね?」

「もちろん、約束するよ!兄さんに短剣の使い方を教わる前にも似たことを言われたしね。おいらは自分と皆を助ける時以外は、誰も傷つけない!」

「よし!良い返事だ。じゃ、今回は風の精霊の声を感じてみようか?!」

「うん。・・・これも意識を薄くして・・・風と同化した自分を思い浮かべればいいのかな?」

「そうだ!お前は本当に教えがいのある奴だな!まずは・・・」

 手綱を握る俺の耳にミシスとハーシェラのやり取りが届く。彼女達にとって荷馬車に揺られている時間は祈祷魔法の修練に使われている。そのためかミシスはこの数日間においてハーシェラの教えを、乾いた大地が水を吸い込むが如く学んでいた。これはミシス自身が優秀であると同時にハーシェラが一見ぶっきら棒でありながら、相手を褒めて伸ばす巧みさを持っていたからだろう。いずれにしても二人は良い子弟関係になりつつあった。

「ねえ、ハーシェラ・・・悪いけど、髪を纏めたいのでちょっと手伝ってくれないかしら?」

 ミシスへの助言が一段落したところでメリーナがハーシェラに何かを頼み込む。

「ああ、いいよ。・・・メリーナの髪は緩い巻き毛なんだね。あたしの髪は真っ直ぐで面白みがないから羨ましいよ」

「そんな・・・私からしたらあなたの輝くような銀髪が綺麗で憧れてしまうわ」

「そうかな、本当言うとあたしはこっちの方がすっごく羨ましいんだよね!」

「きゃ!もう!ハーシェラ!変な所触らないでよ!」

「ははは、少しくらい良いじゃない!減るもんじゃないし、それにあたし達は女同士だろ!」

「だ、だからっていきなりはやめてよね!」

「でも、触らせて欲しいって言ったら逃げるだろ?」

「ふふ、それはもちろんそうよ!」

 背後で行われるとメリーナとハーシェラのやりとりを俺は何とも言えない気持ちで聞いていた。この感情の名称は知っている。正直に言えば認めたくなかったが、俺はハーシェラに嫉妬を覚えていた。彼女が仲間に加わるに当たって俺は、メリーナがこの美しき女エルフに嫉妬を催すのではと心配していた。だが、それは良い意味で裏切られハーシェラとメリーナの関係は、今後ろでじゃれ合っているように非常に良好だ。良好なのだが・・・その様子は俺の胸をヤスリのようにざらつかせる。

 俺としてはハーシェラに弟分のミシスの尊敬と恋人であるメルーナの歓心を纏めて盗まれたような気分だったのだ。もちろん、それがやっかみであることは理解しているし、まさか彼女のような美しいエルフ女姓に対してこのような対抗心や嫉妬心を思い浮かべる日が来るとは夢にも思っていなかった。だが、感情というものは理性だけで推し量れる存在ではない。俺はハーシェラ対してこんな気持ちを抱くのは間違っていると感じながらも、内心に湧きつつある嫉妬心を必死に抑えていた。

 この感情を表に出ないように制御出来たのは、俺がこの一行のリーダーであるからだろう。ハーシェラが二人の仲間といち早く打ち解けたことは、リーダーとしては歓迎すべきことなのだ。また、ハーシェラ自身は俺に対して悪気を持っているわけではなく、ミシスやメリーナと同じように分け隔てなく友好的に接してくれている。そんな相手を理不尽に扱うほど俺は嫌な人間には成れない。いや、成りたくはなかった。

 そのような背景もあり、俺はハーシェラが仲間に加わってからの数日間を、自分の感情と立場の狭間で悶々とする気分を味わっていたのだった。


「皆、カプノザの街が見えて来たぞ!」

 街道沿いに生える木々の合間から次の目的地であるカプノザの城壁を見つけると、俺はこれまでの憂鬱を忘れて声を上げた。荷馬車を使うことで徒歩の旅よりかなり楽になってはいたが、やはり目的地を自分の目で捉えた時の高揚感は格別だ。脅威から人間を守ってくれる城壁の信頼感と、今晩の夕飯と新鮮な麦酒を提供してくれる旅籠屋の喧騒、そして清潔な寝台で寝られる幸せ、これらが一気に頭の中に思い描かれたのだ。

「あの街がこの国の一番西にある街なんだよね?」

「ああ、カプノザはバーレガル王国の西の守りの拠点だ。あの街を過ぎると国境の平原を経てマーシル王国領となる。予定ではカプノザに二日滞在して、その間に情報収集と例の契約を済ませるつもりだから、明後日にはバーレガルを離れることになるな」

 祈祷魔法の鍛錬に一段落付けたのだろう。俺の声に反応してミシスが隣に座りながら問い掛けてきた。この親しげな態度は俺が彼女から兄貴分として信頼されている証のように感じられて、思わず笑みが零れそうになる。もっとも、俺はそれに耐えて僅か口角を上げるに留める。ミシスには冷静沈着で頼りになる男として認識もらいたかったからだ。

「もう・・・こんな遠くに来たのね」

「ああ、俺もカプノザより西は行ったことがない。これからは今より気持ちを引き締めないとな!」

「ええ、頼りにしているわよ!ふふふ」

 メリーナが後ろから俺に背中に抱き付くように会話に加わる。これまで王都マイゼラで生まれ育った彼女にしてみれば、世界の果てにやって来たように感じられるのかもしれない。俺は肩に置かれたメリーナの手を優しく握って元気付けるとともに、改めて旅の心構えを指摘する。また、逆に彼女から伝わる体温と柔らかい感触、そして微笑みは俺に男として生きる活力を与えてくれた。

「あたしはマーシル王国には何度か訪れたことがあるから、多少の土地勘はあるよ。この国は北部を妖魔の支配地域と接していて今でも小競り合いをしているから、商売よりも軍事に関心が高いんだ。それで、妖魔と戦っているからだろうね・・・ユラント信仰が流行っていて、宗教の力が強い。王国と名乗ってはいるが、実質的にはユラント教団が国の実権を握っているみたいだね」

「・・・へえ、さすがエルフってことかしら、見聞が広いのね!」

「まあ、自分で言うのもなんだが、修行の旅をいつまでも終えずに森に帰らないエルフなんてあたしくらいだろうからね。多少は世間について詳しくなるさ!」

 俺がミシスとメリーナから旅慣れた熟練者として尊敬と期待を受けていると、ハーシェラがマーシル王国に関する情報を補足するように披露する。

 ユラントとは法と秩序を司っている男神の名前だ。神々の大戦では、光の神々の首領を務めたとされている。そのためか、光の神々の中では特に武闘派と知られており、信者に混沌の勢力と戦うことを教えの中に取り込んでいた。勇気を持って立ち向かった者に神の加護がより多く与えられると信じられているのだ。妖魔の脅威に晒されているマーシル王国で、ユラント教団が力を持っているのは納得出来る経緯だろう。もっとも、これは一般的に知られているマーシル王国の基本情報であり。俺もこれから仲間達に語ろうと思っていた話だった。

「ハーシェラ姉さんは凄いなぁ!何でも知っているんだね?」

 ハーシェラに先を越されて歯がゆい思いをしている俺だったが、ミシスが俺の内心を知るわけがなく彼女は好奇心と尊敬に満ちた瞳で問い掛ける。

「そうだな、あたしエルフは人間達より長生きだからな。自然と知識が集まってくるのさ。・・・それと予め言っとくけど、あたしの正確な年齢は聞かないでくれよな!別に隠しているわけじゃないんだが、人間に教えるとドン引きされる。・・・あたしも女なんでその手の話題は禁句ってことにしてくれ!」

「そ、そっか・・・おいら、気を付けるよ!」

「うん、頼むよ。・・・まあとりあえず、マーシルはバーレガルとは根本的に違うってことは覚えておいて損はないはずだ。マーシル領に入ったら街道もこんなに平らじゃないし、妖魔に出会う可能性も高いってことを忘れないでくれよな。今から気持ちを引き締めておこう!」

「うん、わかった!」

「ええ、そうするわ!」

 ハーシェラの言葉にミシスとメリーナが改めて気を引き締めるように返事を行う。客観的に見ればハーシェラの情報と忠告は有難いと思うべきだろう。やはり全くの未知の土地に出向くのと、仲間の中に土地勘のある者が存在するのとでは不安感は違ってくる。

 だが、ハーシェラを旅の熟練者として敬う二人の姿は、落ち着きつつあった俺のエルフ女への嫉妬心を再び擽るのだった。


 2

 おそらく、人間は日々の生活の中で生まれる憂いを抱えながら生きて行かなければならないのだろう。マイゼラでの事件が物語るように、華やかで恵まれた生活をしているはずの王族や貴族にも一族の繁栄を賭けた駆け引きや表に出ない影の戦いがあり、市井の人々には商売の成功や農作物の出来栄え等、生業や地位に似合った様々な心配や悩み事が存在する。そして俺も胸の中に負の感情を抱えつつ、週に一度のドラゴンとの会見に備えなければならないのだった。

 カプノザに到着した俺はまずはこの問題を解決するために、精力的にドラゴンに語るための逸話の収集と吟味に務める。本来なら契約としての義務ではあるが、今の俺には何かに集中することで心の安定を保つ助けとなった。そしてその甲斐もあって、良作とも言える逸話を見つけ出してその時を迎えていた。

「・・・今回の話は凄く面白かったわ!まさかガチョウの腹の中に隠しているなんて思いもしないわね!人間の中にも切れ者がいるのね!」

「・・・喜んで頂いて恐縮でございます!」

 俺の目論見は見事に嵌り、今回の逸話〝隠し財産の行方〟は主人であるドラゴンから高い評価を得ることになった。本体は恐ろしい古龍とは言え、絶世の美女の姿となっている彼女から褒められたことで俺の気分も高揚してくる。

「ええ・・・それで話は変わるけど、あなたにちょっとしたお願いがあるのだけれど良いかしら?」

「・・・はい、如何されましたか?・・・どのようなことであろうと何なりとお申し付け下さい」

 満更でもない気分でいた俺だったが、ドラゴンはその余韻を打ち消すように問い掛けてきた。口では殊勝に受け答えながらも、俺は若干の驚きを感じている。何しろ、ドラゴンから個別の要件を依頼されるのは今回が初めてのことだったからだ。

「実はあなた達が滞在している場所の近くに、人間界で感じる力としてはかなり強い力を感じたの。その原因が何なのか、あなたに確認して来て欲しいのよ。私があなたと結んだ契約は人間達の逸話を語ることで、調査の依頼は本来の仕事とは異なるけど・・お願い出来ないかしら?・・・私が直接見に行く程でもないし、ここから動くのは色々面倒なのよね。どうかしら?受けてくれるなら、来週分の話はこれの報告で構わないわよ?」

「畏まりました。謹んでお受け致します!」

 特に吟味することもなく俺は二つ返事で承諾する。断ってドラゴンの不興を買いたくはないし、彼女がこの神殿を出るようなことになれば、人間世界には様々な面で影響が出るだろう。古龍にはここで大人しく引き籠ってもらうのが人類・・・いやこの世界にとって最良の事象だと思われた。また、この依頼内容からドラゴンは俺やミシスのような契約者の位置だけでなく、何かしらの力も感知出来ることが改めて判明した。怠惰に過ごしているように見える彼女だが、この世界の情勢に全く無関心というわけではないようだ。

「ありがとう。それではお願いするわね!」

 その後、俺はミシスも加えながらドラゴンから具体的な内容と力を感じた場所の大まかな位置を教えられると、いつもの報酬を手にカプノザの街へ帰還を果たした。


「・・・と言うわけでドラゴンから依頼されて、俺とミシスはその力の発生源が何であるのか調べることになった。彼女の不興を買うわけにはいかないし、塒から動かれても困るのでメリーナとハーシェラにも協力してほしい!」

 カプノザに戻った俺は同席していたミシスはもちろんのこと、留守番役だったメリーナとハーシェラを交えて依頼の内容とこれからの方針を相談する。ドラゴンの話では脅威に感じるような力ではないとのことだったが、それは絶大な実力を持った古龍の判断だ。俺達人間にとって、どのように作用するかは未知数である。最善を尽くす必要があり、まずは仲間の理解から始める必要があった。もちろん彼女達が拒絶するとは思えなかったが、やはり何事も段取りがある。

「もちろん、手伝うわ。・・・ドラゴンを怒らせたら大変なのでしょう?!」

「あの女の頼みってのは気に入らないけど、あんたが引き受けた以上、あたしも付き合うさ!」

 予想通り二人は承諾してくれた。立場を理解してくれているメリーナは当然として、ハーシェラもリーダーである俺の判断に従うと納得してくれた。

 先祖の縁もあるのだろうが、ハーシェラは俺に対してかなり友好的だ。彼女は大雑把ながらも豪胆と評価すべき性格なので、変な気遣いをするとも思えないから本心からの好意だろう。実際、黄金の古龍〝イーシャベルクオール〟とは何かしらの因縁があるらしく、近い内に会いに行くと宣言しておきながら、〝転移の鏡〟を使うことは拒否していた。その理由はドラゴンの道具を使うことで借りを作りたくないとのことだ。そんな矜持の持ち主が俺をリーダーとして認めて敬意を表してくれるのだから、やはりハーシェラに嫉妬心を抱くのは間違いであるように思えて来る。

「・・・ああ、では具体的な説明しよう。予定ではこのまま西に進んでマーシル王国の首都を最短距離で目指すつもりだったが、ドラゴンの依頼を達成するために北西方面に進路を変更する。おそらく主街道から外れるので、これまでよりも難儀な旅になるだろうから、明日は情報収集とともに必要な物資を手分けして入手してもらうことになるだろう。そして準備を整えて一晩英気を養った明後日に出発しよう」

 ハーシェラへの複雑な思いを抑えながら、俺は淡々と依頼に関する計画を仲間達に告げる。やるからには成功させたいし、準備を怠って窮地に追い込まれるような目には会いたくはない。

「ええ、そうね。必要な物資をリスト化して買い漏れが無いようにしないとね!」

「あたしも矢の予備を大目に買っておくよ。普段なら自分の作った矢以外は使いたくないんだけど、万が一に備えないとな!」

「ああ、頼む!では、買い出しはメリーナとハーシェラに任せて、俺とミシスは目的地周辺の情報取集役として動くことで構わないか?」

「うん、おいらは兄さんと一緒だね!」

「ええ、二手に別れて効率よく仕事を熟しましょう!」

「ああ、それで構わないよ!」

「では、必要な物資をリスト化しよう。まずは水と食料だな・・・」

 更に細かく計画を詰めている間に俺は心の憂いが軽くなっていくのを感じていた。改めて旅慣れして尚且つ戦闘力もあるハーシェラの存在が頼もしく思えたのだ。お嬢様育ちのメリーナを土地勘のない街に一人で買い出しに行かせることは出来ないが、ハーシェラと一緒なら安心して送り出せる。俺は彼女を正当に評価し始めたのかもしれなかった。


 3

 カプノザを離れて三日後、俺達は北西方面を目指して細い田舎道を旅していた。ドラゴンが力を感じたと主張した一帯はマーシル王国領の東の外れであり、小さな集落とユラント神を信仰する修道院が存在するだけだった。そのためだろう、ハーシェラが指摘したとおり道の質はバーレガル領と比べると明らかに落ちて、これまでの快適な旅は無縁となっている。踏み固められただけ土の道は轍によって擦り減った場所も多く、荷馬車に乗って揺さぶられるくらいなら歩いている方が、まだましと思うような場面が幾つかあった。

 道質の悪さの原因は主街道を外れたこともあるが、根本的にはやはり交易を重視するバーレガル王国と神聖国家であるマーシル王国との考えの違いだろう。整った街道は商人を始めとする行き交う人々達の脚を速くするが、その整備には膨大な資金が必要となる。マーシル王国にはこういった地味だが、繁栄に必要な社会資本に対する概念が低いのだろう。あるいは、バーレガル程の余裕がないからか、いずれにしても道質の低下はマーシル領に入ったことを顕著に俺達の知らしめた。


「確かにこの先に修道院があった。遠目からだが、特に異常はなく平凡な様子に見えたよ」

 斥候役として先行していたハーシェラが、後から追い着いた俺達に報告を行う。身軽で目の良い彼女がこの役目を率先して引き受けてくれた。ひょっとしたら乗り心地の悪い荷馬車から解放されたいだけだったかもしれないが、見知らぬ土地での偵察は危険でありながら大事な役目だ。

「よし、では予定どおり訪問する。修道院の人間が何かの異常に気付いているかもしれないし、少なくても今晩の寝場所は提供してくれるだろう!」

 探索場所の第一目標としていた修道院の確認が取れたことで、俺は改めて仲間達に宣言する。この修道院で手掛かりがなければ、近辺の集落を地道に回ることになるだろう。〝当たり〟であることを期待するしかない。

「お、お風呂もあるかしら?」

 俺の考えに異存はないとばかりに、後ろからメリーナのか細い声が届く。これまで旅に耐えてきた彼女だったがここ数日での悪路で荷馬車酔いに苛まれていた。

「どうだろう?・・・最悪、身体を洗う場所くらいはあると思うが・・・」

「そ、そうね!それくらいはあるわよね・・・」

「ああ、じゃあ先を急ごうか!ミシス、済まないがもうしばらくメリーナに付いていてくれ!」

「うん、まかせて!」

「ここからはあたしも後ろに乗るよ、神の信者とエルフは相性があまり良くないんでね」

「・・・確かにそれが無難だな」

 俺はミシスにメリーナの対応を頼むとともに、ハーシェラが後ろに乗り込むのを確認すると馬に鞭を入れる。

 エルフ族は祈祷魔法の使い手であり、精霊や祖霊の力に頼るためか神を信望する概念が薄い。そのため熱心な神の信者からは、神を蔑ろにする不届き者としてみなされることがあった。本来人間とエルフは〝神々の大戦〟において光の神々側として戦列に加わった戦友とも言える間柄だったが、永い年月において両者の価値観は変化していた。森を棲家としたエルフはより身近な精霊達を大切にするようになり、人間はその多様性を深めて組織的に神の力をこの世界に取り戻そうとする者達、いわゆる〝信者〟が現れたのだった。

 もちろん、全ての神の敬虔な信者がエルフを嫌うとは限らないのだが、避けられる面倒を冒す必要はない。こうして俺達は一先ずの目的地であるユラント神の修道院に向かった。


「ようこそおいで下さいました!」

 その女性はまるで俺達を待っていたかのように修道院に繋がる門の前に佇んでおり、顔が判別可能な距離に近づくと朗らかな声で挨拶を口にした。髪を隠すための頭巾を被り、身体は質素なローブに身を包んでいるが若くて整った顔をした女性だった。修道女と言えば年老いた老婆を想定していた俺としては肩透かしを食らったような気分だ。

「は、はじめまして。我々は行商を営んでいる者です。この辺りは宿場街もありませんので、一宿一飯の庇護を与えて下さいませんでしょうか?よろしければ、薬をお分けすることも出来ます」

 まさか誰かが待ち構えているとは思わなかったが、俺は用意していた挨拶の台詞を口にする。当然だが、ドラゴンに依頼されてこの辺りの調査に訪れたと正直に言えるはずがない。

「はい、旅の疲れを癒す準備は整えてあります。詳しいお話は後ほどゆっくり致しましょう。ご案内いたしますので、そのまま荷馬車で私の後にどうぞ!」

 その女性はまるで全てを把握しているかのように告げる。この時エルフ族であるハーシェラの姿も見ているが心配していた反応は全くなかった。

「・・・ありがとうございます。御厄介になります」

 俺は仲間達に一度確認の目配せを与えると、揃って神妙な面持ちで女性の後に続いた。『なぜ彼女が俺達を待ち構えていたのか?』という疑問は俺を含めて敢えて誰も口にしなかった。ユラントの信者が罠を仕掛けるはずがないし、何よりこの謎を解明するには彼女から直接聞くのが最良と皆わかっていたのだ。


「遠路遥々、ようこそおいで下さいました。改めまして、私は当修道院を預かるスナイと申します。・・・我々がもてなしの準備を整えていたことを不思議とお思いのようですが、あなた方がこちらにお見えになることは既にユラント神の思し召しで存じておりました。・・・そして近い将来に訪れる困難への援軍であることも理解しております!」

 旅装を解いて晩餐に招待された俺達はその席で、先ほどの修道女スナイから告白とも言える説明を受けた。彼女の言うとおり、俺達はまるで宿屋のような歓待を受けている。風呂も用意されていたし、目の前に並ばれている料理も修道院と言う場所柄を考えるとなかなか手の込んだ料理だ。事前に来訪を予期していなくては、ここまで滞りなく準備するのは無理だろう。もっとも、驚かされたのは後半部分の援軍という物騒な単語だ。言葉通りの意味であるなら、これから戦いが起きることを意味している。

「・・・私達が訪れことを、ユラント神の預言か啓示で知っていたと言うことですか?」

 戦いという新たな謎が提示されたが、俺は状況を把握するために前提らしいことからスナイに問い掛けた。

「はい、ご指摘の通りです。一昨日、私は夢という形で神の警告を授かりました。神の御心を私のような未熟者が正しく理解することは不可能ですが、当修道院が妖魔の群によって襲われている様子をまるで現実の出来事のように夢の中で見たのです。・・・それは恐ろしい光景でしたが、その中には妖魔に立ち向かう見知らぬ戦士達の姿がありました。私は直感的にこの方達がユラント神の思し召しで導かれた勇者だと悟り、お顔を必死に覚えてこちらに現れるのをお持ちしていたのです。・・・先程、夢で見たあなた方の姿を拝見した時は・・・精神が高揚してしまって失礼な対応していたかもしれません」

「妖魔が・・・ここを襲う?!俺達がユラント神の・・・の勇者?!」

 俺は予期していなかったスナイの言葉と展開に驚きの声を上げた。

 

 ドラゴンの依頼でこの地にやって来た俺達と、修道院の院長を務めるスナイとの間には大きな認識の違いがあったが、妖魔がこの修道院を襲うと聞かされては無下にすることは出来なかった。

 もてなしを受けている間に修道院内部を観察いたが、この施設には身寄りのないミシスよりも年下の子供達や身体の不自由な老人達も多数存在している。これだけの人間を一度に避難させるのは、俺たちの荷馬車を使っても不可能であるし、そもそも非難した人々を受け入れてくれる場所があるのかも不明だ。近くには集落が存在しているが、そこが安全とも限らないし、一般的な人間は自分と家族を養うので精一杯なのである。ここで暮らす人々にとって修道院という生活の基盤を失うことは、緩やかな死を迎えることを意味していた。

「妖魔が襲って来るのは何時ですか?」

「おそらくは・・・明日の夜だと思われます。」

「マーシル王国のユラント神殿に助けは求めましたか?」

「はい、私もあなた方だけを頼りに出来ませんので、お告げがあった日の朝には外の世界に慣れた者を王都の教団本部に使いに出しました。もっとも、どんなに急いでも往復で六日は掛かりますから・・・おそらくは間に合わないでしょう」

「ここで戦える者は何人ほどいますか?」

「・・・正式に訓練を受けた者は私一人だけです」

 妖魔の群に襲撃されることを知りながら、スナイが落ち着いていられるのは、ユラント神の啓示にあった俺達が実際に現れたからであろうか?それとも元から揺らぎにない信仰心の持ち主であったのかだろうか?彼女は俺の質問に淡々と答える。いずれにしても修道院が置かれている危機的状況は俺達の知ることになった。

「なるほど、状況は理解しました・・・それで一つで気になることがあるのですが、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「はい、何なりと」

「この修道院を妖魔達が襲う理由に心当たりはありませんか?この地は妖魔の勢力範囲からは離れていますし、戦略的に重要とも思えません。だからこそ、手薄だったとも言えますが・・・何か思い当たることは?」

 修道院の現状と脅威について理解した俺は、改めてスナイに問い掛ける。この質問は本来の目的であるドラゴンの依頼内容でもあった。現在のところは推測に過ぎないが、妖魔側も何かしらの力をこの修道院に感じており、それを確認するか、手に入れるために手勢を差し向けているのではないかと思われたのだ。

「それは・・・おそらく・・・」

 やはり彼女もその理由に心当たりがあるようだった。

「・・・私がユラント神の御声をより深くお聞きすることが出来るようになったためでしょう。自惚れているように聞こえるかもしれませんが・・・私はユラント神の御心をより多く知ることが出来るようになりました。神の信徒となった者は、光の神々に限らず邪神の徒であっても・・・お互いに信仰心とこの世界に神から授けられ力を感知することが出来ます。今回の妖魔の襲撃は・・・私がユラント神へより深い信仰に目覚めてしまったことで、彼らの邪悪な関心を寄せてしまったのだと思われます・・・」

 これまで快活に受け答えしていたスナイだったが、自責の念に駆られたように言葉に詰まりながら説明を行なう。ユラント神の教えを体現するべく孤児達のような社会的弱者を助けるための修道院を運営し、そういった日々の生活の中で信仰を深めた彼女が原因で、肝心の修道院を妖魔襲撃の危機に陥らせているのだから皮肉としか言いようがない。もっとも、彼女からすれば俺達はそのような絶望的な状況を救うためにやって来た勇者と言うことなのだろう。

 いずれにしても、彼女の説明によりこれまでの疑問や謎は全て繋がった。ドラゴンはよりユラント神からの寵愛を授かったスナイの存在を地上界には過分な力を感知したのだろう。俺には彼女が持つ力がどの程度なのか見当は付かないが、ドラゴンと邪神の徒である妖魔を刺激する程なのだから、おそらくはスナイが待つ潜在的な力は相当なものに違いなかった。

「・・・妖魔の襲撃に迫られている修道院の状況は理解しましたが・・・我々はある程度の自衛手段こそ持ちますが、一介の旅商人です。申し訳ありませんが、防衛協力をこの場で即答することは出来ません。仲間内で相談する時間が欲しいのですが、よろしいでしょうか?そして・・・その結果は希望に沿える保障はありません。何しろ・・・我々はユラント神の敬虔な信者ではないのです」

「はい、私も今あなた方にお聞かせした内容が、即答出来るような問題でないことは存じております。食事が済みましたら、この食堂を人払い致しますのでご相談にお使いください」

「・・・ありがとうございます」

 俺の申し出にスナイは納得して頷いたが、その瞳には不安の色は微塵も見つけることは出来なかった。


 4

「西側から五匹だ!」

 そう叫びながらハーシェラは納屋の上から立て続けに矢を放った。すかさず、指示された方向から耳障りな悲鳴が上がり、瞬く間に三匹のゴブリンが斃される。どれも狙い通りと思われる頭部に矢を射られている。エルフ族自体が弓を得意とする種族ではあるが、ハーシェラはその中でも特別な存在に違いなかった。

 弓の攻撃で数減らしたゴブリンだったが、臆して逃げ出すようなことはなく、残った二匹がこちらへと迫る。俺は改めて片手剣の重さを確かめると迎撃態勢に移った。時刻は真夜中で月も雲に隠れていたが、俺の瞳には正確に敵の姿が映る。一見すれば子供か小柄な人間のようだが、緑染みた灰色の肌に乱杭歯が覗く口を持った醜いゴブリンの容姿は、人とは相容れない存在であることを物語っていた。

 俺の役目はハーシェラに納屋の上で弓での遠距離攻撃に集中してもらうため、接近してきた敵を彼女に近づかせないよう防ぐことにある。さすがのハーシェラも数を頼って襲い来るゴブリン全てを倒すことは出来ない。接近戦は俺の担当だった。

「おお!」

 捩じれた鉤爪を突き出すようにして迫る妖魔の尖兵であるゴブリンを、俺は気合いの声とともに一太刀で切り捨てる。本来ならばゴブリンを始めとする妖魔の有利となる夜間での戦闘だが、以前にミシスがドラゴンから賜わった兜のおかげで俺は夜目の効く妖魔に対しても同等の条件で戦うことが出来た。まさかこんなにも早くこの兜の出番が来るとは思わなかったが、予想どおり魔道具はその力を充分に発揮してくれていた。

 素早く先頭の一匹目を屠った俺は、更に迫る二匹目に向き直る。だが、間合いを詰めようとしたところで、そのゴブリンは頭頂部に矢を受けて崩れ落ちた。

「悪いね!そいつもあたしがもらったよ!」

 口では謝っているが、喜色を隠しきれないハーシェラの言葉が耳に入る。獲物を横取りされたような形となったが、そんなことで文句を言うほど俺は戦闘狂ではない。どちらかと言えば、礼を言うべきだろう。

「構わんさ!むしろありがたい!」

「それを聞いて安心したよ!ルヴィーは下手に手出しすると怒ったからね!」

「昔話は後回しだ、他に敵は?!」

「ああ!同じく西から六匹・・・。くそ、その内の一匹はオーガーだ!」

 言葉を言い終わらない内にハーシェラは再び弓弦を連続して打ち鳴らす。俺は接敵してくる敵を迎撃するために再び剣を構えた。


 修道院を妖魔の襲撃から防衛する役目について一旦は答えを保留にした俺だが、それは仲間内での意見の再確認のための段取りであって答えは予め決まっていた。妖魔を人間よりも積極的に敵視しているエルフ族のハーシェラはもちろんのこと、ミシスとメリーナも修道院が置かれている状況を理解し、防衛戦参加に賛成を示した。

 荒事には慣れていないメリーナが反対を表明したら、妖魔の群がどこかに潜伏している土地で野宿する危険性と、戦力が不足しているとはいえ、石造りの建物で立て籠もりが可能な修道院で妖魔を迎え撃つ優位性を比べて説得するつもりでいたのだが、それは杞憂に終わることになった。彼女はこの程度のことが理解出来ないほど愚かでも、人間として利己的でもなかったのだ。これは俺にとって喜ばしいことだった。

 意見を統一させて腹を括った俺達はスナイを交えて、具体的な防衛対策に移る。数時間の協議の結果、俺の案が全面的に採用され、妖魔襲撃の夜にはこの修道院で最も堅牢な場所である礼拝堂に全ての人間と家畜を集めて籠城することとした。その他の施設が荒らされる可能性もあるが、最悪の場合家畜と礼拝堂さえ残ればこれからも生きて行くことは可能のはずだからだ。

 そして俺達の役割としては主に二手に別れ、俺とハーシェラがコンビを組んで礼拝堂の外から妖魔を迎撃、ミシスとメリーナにはスナイと彼女の部下である修道士達に交じって、子供や老人達を守る役目を負ってもらうこととした。これはまともに戦える者が俺とハーシェラと院長を務めるスナイの三人だけである苦肉の策だ。頭数の少なさを俺とハーシェラが身軽さを利用して積極的に攻めることで補う作戦だった。

 こうして俺達は昼の間に礼拝堂の補強と運べるだけの物資と家畜の移動を済ませると妖魔の襲撃に備えたのだった。

「兄さん!おいらも一緒に連れてって!おいらだって戦えるよ!」

 夕暮れが迫り最後の仕上げである礼拝堂の入口を塞ぐ段階になって、ミシスは必死に俺に訴える。

「・・・お前にはメリーナに付いていてくれと頼んであるだろう。この中も完全に安全とは言えない。万が一の時はミシス、お前が俺のかわりにメリーナを守ってくれとな!それにこの兜を貸してくれるだけでも大助かりだ!」

「・・・うん・・・ごめん!おいらメリーナ姉さんを絶対に守るよ!」

「ああ、頼んだぞ!」

 ミシスも家宝の短剣を持って俺と一緒戦うことを希望したが、俺は彼女を宥めると再び約束を交わした。本音を言えばミシスの腕前では足手纏いになるだけだが、彼女にもプライドはある。俺はメリーナをミシスに任せる形にして断念させた。

「行って来る!」

「・・・死なないで!」

「ああ!」

 次に俺はメリーナと抱き締めると、しばらくの別れを告げた。潤んだ瞳には別れへの葛藤が浮かんでいたが、それを口にする程彼女は分別のない女ではなかった。誰かが外で妖魔と戦わなくてはならず、それは俺とハーシェラしかいないのだ。

「ハーシェラ!この人をお願いね!」

「ああ、任せておくれ!」

 俺とミシスとの立場を入れ替えたようにメリーナがハーシェラに頼み込む。自分の面倒は自分で見られると言いたくなったが、先程の彼女もそんな気分だったのかもしれないと思い、黙って受け入れることにした。

「・・・あなた方に最も危険な役目を負わせてしまって申し訳ありません・・・」

「大丈夫!この戦い方が俺達にとって最も効率が良いのです。あなたには最後の番人を任せます!」

「はい!それは任せて下さい。我が命がある限り妖魔を誰にも近づけません!!」

 最後に俺とハーシェラに向けてスナイから声が掛けられる。今や彼女は鎖帷子を纏い戦槌と盾で完全に武装している。装備そのものは古い物だが、普段から手入れは怠ってはいなかったのだろう。錆び等は一つもなかった。さすがは若くしてユラント神から特別な加護を授かる修道女と言うべきか。

 スナイも当初は俺達とともに外で戦うことを希望していたのだが、今回の作戦は夜目の効くエルフ族のハーシェラとあの兜を持つ俺の二人で臨機応変に走り回ることを前提としている。彼女のような防御力を重視した重武装には不向きなために最後の番人の役目を頼んでいた。

「ええ、ではもうそろそろ扉を閉めましょう!」

「はい!あなた方にユラント神の加護を!」

 この言葉を持って礼拝堂の扉が堅く閉ざされる。予定では内側からバリケードが築かれているはずだった。

「じゃ!行こうぜ相棒!」

 外に取り残された俺にハーシェラが屈託のない笑顔で告げる。彼女はこの危険な役目に同意してくれ、尚且つ俺を相棒として認めてくれているのだ。そんな仲間の信頼に対して俺の胸に何か熱いモノが込み上げて来る。

「・・・ああ!妖魔を徹底的に叩きのめしてやろうぜ、相棒!」

 俺はハーシェラに力強く頷いた。


「こっちだ!クズのうすのろ!!」

 オーガーの関心を寄せるべく俺は挑発の声を上げる。言葉が通じるとは思えなかったが、人間の倍近い体格を持つそいつは吠えながらこちらに突進してくる。悪態は言語と種族を越えて理解出来るようだ。

 この巨人は人食い鬼とも呼ばれる大型の妖魔である。原始的な狩猟生活を営んでおり、狩の対象にはその別名のとおり人間が選ばれることが多い。知能は低いが体格に似合った膂力を持つ、ゴブリンとは比べものにならないほど危険な敵だった。

 そんな圧倒的な体格を誇るオーガーの突進を前にして俺は恐怖心と戦っていた。今直ぐにでも逃げ出したい衝動に駆られるが、この化け物を自由にさせてしまってはハーシェラが狙われてしまう。彼女にはゴブリンの頭数を減らしてもらう大事な仕事があった。俺はなけなしの勇気を掻き集めてその場に留まった。

 丸太のように太い腕が横一線に薙ぎ払う動作を見せると、俺はすばやく後ろに退いた。回避には成功するが、激しい突風が身体に吹き付ける。余韻でこの勢いであることを思うと、まともに喰らったらどうなるか想像もしたくなかった。

 それでも俺は空振りした隙をついてオーガーの左脚に斬り掛かる。膝を狙った攻撃は僅かに逸れて剣の切っ先が腿を切り裂いた。深手とは言い難い傷ではあったが、オーガーは痛みに対して怒りを交えた悲鳴を上げる。それは鼓膜を激しく震わせるほどの大声であったが、逆にこの化け物が決して不死身ではない証拠にも思えた。

 気を良くした俺は追撃を仕掛けるためオーガーの後ろに回り込むと、同じく膝裏を狙って突きを繰り出す。これだけの体格差である。まずは動きを封じるつもりだった。

「うぐ!」

 戦術としては間違っていなかったはずだが、膝裏を剣で刺されたオーガーはその傷に怯むことなく踵を跳ね上げて俺の胸を蹴った。それにより俺は後ろに吹き飛ばされる。なんとか受身を取るが、立ち上がる頃にはオーガーが脚を引き摺りながらこちらに迫っていた。巨大で太い腕が俺を叩き潰そうと持ち上がる。

 胸の痛みを堪えながら、俺は横に向かって転がる。ほんの一瞬の後にオーガーの腕が俺の居た場所に振り降ろされた。辛うじて窮地を脱した俺だったが、それで攻撃の手を休めるほど敵も甘くない。オーガーは自由の効く左足で俺を踏み潰しそうと足を上げる。更に転がって距離を稼ごうとする俺だが、その背中に硬い物が当たる。納屋の壁だった。追い詰められた俺の頭上に今度はオーガーの巨大な足が踏み降ろされようとする。

 だが、次の瞬間オーガーが頭を抱えるようにしてその場に倒れ込む。理由は不明だが、俺は一気に跳ね起きると勢いのままオーガーの脇腹に片手剣を突き刺した。それでもまだ絶命せずに暴れる敵から俺は一旦距離を取る。全体を見渡せる位置に退いたことで、オーガーの上半身に夥しい数の矢が突き刺さっていることに気付いた。ハーシェラがこれまで援護してくれていたのだ。

 状況を理解した俺は倒れたオーガーの頭部にとどめの一撃を与えると、銀髪のエルフの姿を探す。ハーシェラは納屋の上から降りて地上で戦っていた。俺を助けるためにかなり無理をしたのだろう。周りを複数の敵に囲まれており、その中の一体は人間大のフード付きのマントを纏った者でゴブリン達の背後から何かを呟いている。魔法による攻撃と判断した俺は、本能的な判断でそれを阻止するために飛び出した。

 接近に気付いた護衛らしきゴブリンを剣で刺し殺すと、俺はそのまま倒したばかりのゴブリンをマントの人物にぶつけるように蹴り飛ばす。死体は目論見どおりにマントの敵に衝突して体勢を崩させる。だが、そいつの魔法はぎりぎりで完成していたのだろう。矢を放とうとしていたハーシェラがその場に蹲った。その光景を兜の効果ではっきりと瞳に映した俺は、怒りを込めて魔術士と思われるマントの敵に斬撃を繰り出した。

 片手剣の切っ先が頭部を掠めてフードが剥がす。中から現れたのは癖のない黒髪を持った浅黒い肌の若い女だった。こんな状況ではあったが俺はその女の顔形が美しく整っていることに気付く。更に先のとがった耳を確認したことで、この女の正体を完全に看破した。こいつはエルフ族とは近縁種でありながら不倶戴天の敵であるダークエルフだ。

 ダークエルフは〝神々の大戦〟で混沌の神側で参戦したエルフの氏族である。氏族丸ごと混沌の神々に忠誠を誓っており、その証として混沌の神々の加護とエルフ族とは異なる浅黒い肌を与えられたとされている。妖魔の支配者階級であり、エルフ族だけでなく人間にとっても手強い敵だった。

「おお!」

 女とはいえダークエルフに手加減する必要はなく、俺は雄叫びに合わせて追撃を放つ。だが、ダークエルフの女は何かを早口で罵りながら後ろに逃げて回避する。魔法の詠唱と思い慌てて身構えるが、まだ残っていたゴブリンが俺を目掛けて前に出て来た。接近戦では不利と判断したダークエルフは配下のゴブリンを盾にするために命令したに違いなかった。

 ここでゴブリンに足止めされれば、先程のハーシェラのように魔法による攻撃を受けることになるだろう。俺は捨て身の覚悟でダークエルフに迫る。ゴブリンからの多少の攻撃は諦めた。

 前から腰に飛び付いて来る一体のゴブリンに膝蹴りを与え弾き返すが、別の個体が横から俺の脇腹に鉤爪を突き立てた。それでも俺は痛みを無視して突進を続け、ダークエルフに肉薄すると勢いのままに剣を振るう。

 魔法の詠唱に入っていたダークエルフからすれば俺がこんなに早く接敵するとは思っていなかったのだろう。首を狙った斬撃は僅かに躱されたが肩に深傷を負わる。

「あっぐう!」

 悲鳴を上げて崩れるダークエルフにトドメをさそうとしたところで、ゴブリン達が再び俺を阻む。

「おのれ!」

 二匹のゴブリンの相手をしながら、俺は目の端でダークエルフが苦痛に喘ぎなから懐の中から何かを取り出そうとしているのを逃さなかった。

 敵の目論見を阻止しようと再び迫るが、最後の一撃を振り下ろす前にダークエルフは懐から何か取り出すと同時に忽然とその姿を消した。それでも俺はダークエルフが存在した場所に向けて剣を薙ぎ払う。姿を隠した場合に備えてつもりだったが、剣は虚空を斬るだけだった。詳細は不明だが、ダークエルフはこの場から逃走したに違いなかった。おそらく〝転移の鏡〟のような魔道具を使ったのだろう。

 俺は逃げられた敵のことは一先ず忘れて、残っているゴブリンの掃討とハーシェラの救出に意識を集中させた。


「今、助けてやるからな!」

 頭目と思われるダークエルフが逃げ出したことで、生き残っていた僅かなゴブリン達も蜘蛛の子を散らすように姿を消していた。生かしておくと後々厄介な存在となるが、今優先するべき行為はハーシェラの安否だ。俺は彼女を励ましながら礼拝堂に急ぎ、予め決めていた合言葉でスナイ達に助けを求めた。

「・・・う!」

 スナイの神聖魔法による治療でハーシェラは俺の胸の中で意識を回復させた。それは劇的な効果であり、一瞬で苦痛に歪む彼女の表情にいつもの優雅とも言える美しさが舞い戻る。確かにこれほどの神聖魔法の使い手が辺境に現れたとならば、ドラゴンや妖魔の関心を惹きつけるのも頷ける。もっとも、今はハーシェラだった。

「ハーシェラ!良かった!妖魔どもは撃退したぞ!」

「・・・そうか・・・良かった・・あたしは・・・エルフ一族の面汚しにやられちまったようだね・・・」

「おそらくは、体内に毒物を発生させる混沌の神の下僕達が好む〝毒〟による効果だったと思われます」

「そっか・・・あたしも祈祷魔法で毒を消せるんだけど・・・そんな暇もなく意識が朦朧としてしまったよ・・・」

「認めたくありませんが・・・妖魔の首領はそれほどの使い手であったということでしょう」

「いずれにせよ、ハーシェラ。お前が無事で良かった!俺の援護で無理をしてくれたのだろう?!」

 スナイの説明にハーシェラは悔しがっていたが、俺は彼女に改めて感謝を伝えると無事を祝って抱き締めた。彼女程の手練れなら俺を助けるために無理をしなければ敵に囲まれるようなことはなかったはずなのだ。

「へへ、そんなに気にすることはないさ。そっちもあたしを助けてくれただろう。おあいこさ!ところで・・・メリーナがこっちを凄い目で睨んでいるから放してくれないかな・・・」

「おお、そうか・・・済まない!」

 俺はハーシェラの言葉に我に返ると、彼女から身を引いた。嬉しさのあまり思わず抱き締めてしまったが、確かに要らぬ誤解を招きかねない行為だった。

「・・・皆さんの尽力で当修道院は妖魔の脅威から救われました!・・・このご恩は言葉では言い尽くせませんが、まずはお礼をお聞き下さい。・・・ありがとうございました!」

 ばつの悪い思いとなった俺だが、スナイが今回の防衛線に対する感謝の言葉を口にすることでその場の空気を変えてくれた。

「・・・いえ、当然とも言える行為ですし。妖魔が追撃戦を仕掛けて来る可能性もあります、このまま油断せずに夜が明けるのを待ちましょう!」

 俺はこちらの見つめながら何か言いたそうな顔をしているメリーナの圧力に耐えながら、スナイに言葉を返すのだった。


「さっきは悪かったよ!あれはハーシェラが・・・仲間が助かった嬉しさで・・・思わずやってしまったことなんだ!本当に他意は無い!怒らせたのは謝るよ!」

 夜が明けて、交代で仮眠を終えた俺達は後始末の作業を開始していた。運び込んだ物資の片付けや壊された施設の修理などだが、それには妖魔の死体の処理も含まれている。妖魔とは言え死体をそのままには出来ない。離れた場所にある共同墓地の片隅に埋めることになった。

 もっとも、俺が最優先するべき仕事はメリーナのご機嫌取りだ。人気のない場所に彼女を誘い出すと俺はひたすら謝った。

「別に・・・怒ってなんかないわよ!」

「・・・何しろハーシェラは俺を助けるために身代わりになったようなものだったんだ!理解して欲しい!」

「そう・・・、私にはあなたと一緒に戦う術も力もなくて、ごめんなさいね!」

 そんなつもりはなかったが、メリーナは俺の説明を曲解したのか嫌味を口にする。彼女の反応から想定以上に厄介な事態であるらしいことを理解した俺は奥の手を使うことにした。

「・・・俺が男として抱き締めたいのは、メリーナ、君だけだ。・・・また、こうして君の温もりを感じられて、生きている喜びが湧き上がって来る!」

 俺は不意に後ろから彼女に抱き締めると、耳元で精一杯に甘えるような声で呟いた。歯の浮く台詞だが、恥ずかしさに耐えて言い切った。

「・・・本当に?私は戦うことも出来ないし、魔法も使えない・・・私なんか足手纏いなだけじゃないの?」

「そんなことはない。薬の知識は即効性こそないが貴重な技能だ!それに・・・俺にはこうして再びメリーナを抱き締められることが出来て嬉しくて仕方がないんだ!」

 俺はメリーナに掛けていた腕を彼女の胸元に押し上げる。柔らかくてずっしりとした心地良い重みが感じられた。これは本当に素晴らしい温もりだった。

「ふふふ、・・・ここじゃダメよ!」

「ああ、何しろ修道院だからな!」

 やっとのことでメリーナが笑顔を浮かべくれたので俺は軽口を返す。どうにか彼女の疑心を解くことが出来たに違いなかった。ある意味、メリーナは妖魔よりも手強い相手だったが、こういった意思の疎通を蔑ろにすると後々に大きな災厄となることがある。ドラゴンの従者として数々の逸話を集め出してから、俺は男女の世事に詳しくなっていた。愛情とは失いたくなければ、常に細かい繕いが必要なのだ。

「兄さん!ハーシェラ姉さんが、こっちを手伝って欲しいって!」

「おう!それじゃハーシェラを手伝うか!」

「ええ!」

 呼び出しに来たミシスと合流すると、俺達は揃ってハーシェラの待つ礼拝堂に向かう。この頃になると俺の中にもハーシェラに対する蟠りは存在しない。ミシス、メリーナ、ハーシェラこの三人はそれぞれ役割や関係は異なるが、大切な仲間であることに間違いないのだ。


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