第9話 銀髪の射手

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「こ、これが海?!・・・聞いたことはあったけど、本当にこんなにたくさんの水があるんだ!!」

 係留されている漁船の間から望む、圧倒的な青の存在にミシスは驚きの声を上げた。正午を越えたばかりの日差しは肌を焼くほどの勢いだったが、彼女は被っていたマントのフードを邪魔とばかりに脱ぐと、五感の全てで海を感じようとしていた。

「・・・うわ!小さな家みたいなのが水に浮いてるよ!」

「ミシス!感激しているのはわかるけど、こんな日差しで素顔を出しちゃ駄目よ!そばかすが増えちゃうわ!」

 ミシスの気持ちに水を差すつもりはないのだろうが、炎天下で肌を晒してはしゃぐ彼女にメリーナが窘めの言葉を掛ける。実際、周囲には赤銅の肌をした漁師と思われる男達が何かしらの作業をしている。何も対策しなければ彼らのように日焼けしてしまうだろう。もっとも、ミシスの身を案じるメリーナも胸に湧く好奇心を抑えられないかのように、その視線は海に向けられている。どこまでも続く水平線、独特の潮の匂い、港に打ち寄せる波の音とどこか遠くで鳴く海鳥の声、内陸部の王都マイゼラで生まれ育った二人にとって、海はもちろん小さな船さえも初めて見る光景なのだ。

「・・・とりあえず今日はこれくらいにして、そろそろ宿に戻ろうか?!長旅の疲れを労わろう!」

 しばらく二人を好きにさせていた俺は頃合いを見て声を掛ける。まずは海を見せてやろうと、手近な漁港に連れ出したのだが、港街ラグリドにはしばらく滞在するつもりでいる。二人には時間を掛けてゆっくりとこの街を見せて周るつもりだ。

「うん、わかった!」

「ええ、そうしましょう!」

 ミシスとメリーナは示し合わせたように笑顔で呼び掛けに同意する。彼女達も焦る必要がないことを理解しているのだ。俺は宿に戻る二人を見守りながら、新市街側にある遠洋からの船を迎える港を彼女達が見たらどんな反応を表わすのか想像していた。漁に使う小型の船に対してもこれだけ驚くのだから、きっと凄いことになるだろう。その時が今から楽しみだった。


 前回、中継地点としたカリールの街でドラゴンからの恩恵とちょっとした厄介事に巻き込まれた俺達だが、それ以降は大きな支障はなく、予定どおり目的地である港街ラグリドに到着していた。

 その厄介の発端となった例の〝兜〟は俺が管理することとした。あれ程の業物を周囲に見せびらかしてしまうと余計な注目を浴びるであろうし、動物絡みでもミシスが余計な問題を呼び寄せかねないからだ。ミシスには悪いが彼女がある程度成長するまでは、暗視能力を頼りにするような非常事態にでもならない限り俺の背負い袋の中で保管されることになるだろう。

 話を戻すが、ラグリドは起源の古い街だ。現在はバーレガル王国の玄関口とも言える港街だが、その前身のバーニス帝国時代から既に東方地方における海洋交易の拠点であった。南方諸島からの香辛料等、その他各地の様々な商材や物資がこの街に持ち込まれ、あるいはここから新たに大陸各地の港を目指して旅立って行くのだ。

 もっとも、今でこそ大陸有数の港街となったラグリドだが、当初は小さな漁村でしかなかったらしい。躍進するきっかけとなったのは、天日を利用した塩田の普及だった。塩を大量に生産できるようになったラグリドの住民がこれを商材として売り出したのだ。最初は細々としたやりとりだったに違いないが、徐々に塩以外も扱うようになり、人が増え、人が増えればそれを見越して更に人が増えるといった具合に発展していったのだ。

 その度に街は拡張されて港の整備が行なわれたが、今から百年ほど前に大改革が行われラグリドは湾の反対側に新市街が建設されることになった。これによって溢れ返っていた街の人口は根本的な解決が図られ、遠洋や海外からの大型船は新市街。従来の小型船や漁船は旧市街と棲み分けが行なわれることになった。

 この改革は治安の改善にも大きく貢献し、新市街の一部の歓楽街を除けば、ラグリドは真夜中でもない限り年若い女姓でも一人で街中を歩ける程の治安を誇っていた。もっともこれは、街の暗部を一部の場所に閉じ込めたとも言える処置だろう。いずれにしても、旅人である俺達にとってはスリ等の悪党に悩まされずに街中を歩けるのはありがたいことだった。

 このような経緯を持つ古い港街ラグリドに夏の盛りにマイゼラから二週間ほど掛けて辿り着いた俺達だが、懸念された旅慣れていないミシスとメリーナ二人は健全な体調を維持していた。これは二人に無理をさせないように注意していた俺の配慮もあるが、メリーナ自身が優れた薬師でもあるからだろう。彼女は普段から食生活について俺とミシスに助言を呼び掛けてくれている。『麦酒は一晩に多くとも三杯まで!』『野菜も残さず食べるべき!』等、時には厳しく感じることもあったが、こうして暑さに項垂れることもなく健康でいられるのはメリーナのおかげに違いなかった。

 旅の敵は直接的に襲ってくる盗賊や怪物ばかりではない。ちょっとした怪我や病気も命を奪う脅威となる。その点では俺もある程度の知識はあるが、専門の薬師であるメリーナの存在は頼りになる。魔法を抜きにすれば、医者と薬師は唯一怪我や病気に対抗できる存在だからだ。

 このように仲間にも恵まれたこれまでの旅路だったが、俺は一旦落ち着いたらこの街で表向きの生業である薬の旅商人として本格的に復帰するつもりでいた。何しろラグリドは貴重な薬も大陸各地から集まっている。ここほどマイゼラで失くした商材を再び揃えるのに適した場所はないのだろう。

 一応の予定としてラグリドの次は陸路で西のマーシル王国に向かうつもりでいたので、この港街で日持ちのする薬を仕入れ、マーシル王国の内陸部で少しずつ捌くつもりだ。これならドラゴンを聞かせる〝ネタ〟を探す旅を続けながら、バーレガル王国の勢力範囲から離れることが出来る。マーシル王国はかつて存在したバーニス帝国とは起源を別にする国家であり、俺とミシスにとっては全くしがらみのない中立地帯のような国なのだ。

 とは言え、俺はミシスとの約束を果たすために、まずは今晩の夕飯に思いを馳せる。ラグリドで魚を始めとする美味い海産物を食べさせてやるのは、最初に出会った頃の約束だ。俺はやっとそれを果たせる機会がやって来たのだった。


 宿に戻った俺達は旅の疲れと汚れを落とすために、交代で風呂に入った。今日の宿は特に奮発してかなり上格の宿屋を選んでいる。これは風呂がある宿を選んだのもあるが、食事の質にも配慮したからである。

「美味しい!エビってこんな美味いんだ!トンボとはぜんぜん違う!」

 そんな俺の配慮に答えるようにミシスは喜色を上げながら丸々と太ったエビの串焼き頬張る。殻をむいて塩と僅かな香辛料で味付られたエビの身は、吸い込まれるようにして彼女の口の中に消えて行った。

「ミシス、お前が喜んでくれて俺も嬉しいが・・・トンボと比べるのは止めようか・・・」

 もっとも、後半の感想にはややバツの悪い思いでミシスに言い聞かす。幸いにして本格的な夕食の時間にはまだ早いのか、辺りには人影はまばらだ。ミシスの一般的でない味の評価を聞いたのは俺とメリーナだけだったようだ。そのメリーナも苦笑を浮かべるので精一杯だ。

「う、うん。でも本当に美味しいよ!」

「ああ、俺もエビを食べるのは久し振りだが、やっぱり何度食べても美味いな。日持ちがしないから海の近くでしか食べられないのが残念だ!」

 そう言いながら俺もエビを平らげると杯に残っていた麦酒を一気に飲み干す。エビは酒との相性も抜群だ。

「そ、そんなに美味しいの・・・」

 そんなやりとりの中、一人浮かない顔をしているのはメリーナだ。彼女はイカと二枚貝のポタージュは気に入った様子で食べていたが、エビの串焼きには手を出してはいない。どうやら、その姿に抵抗があるようだ。変にミシスがトンボの話を出したのでエビを虫の一種と思っているのかもしれない。まあ、実際見た目は虫と大して変らないのだが・・・、内陸のマイゼラで箱入り娘として育ったメリーナには少々勇気のいる食材なのだろう。

「抵抗があるなら、無理しなくてもいいぞ。メリーナにはカジキマグロの炙り焼きでも頼もうか?」

「だったら、それはおいらに頂戴!」

「・・・いえ、大丈夫よ!二人が食べて私だけ食べないんじゃ、面白くないじゃない!」

 気を使ったつもりだったが、メリーナはミシスの言葉を受けると目を閉じながらもエビの串焼きに口を付ける。こんなことで仲間外れにするはずはないのだが、彼女としても意地があるようだ。

「・・・これは・・・やだ、本当に美味しい・・・、あっさりしているようで・・・独特の甘みが・・・それを香辛料が惹き立てて塩味が全体をまとめ上げている!」

 一口目は恐々、二口目はしっかり、三口目には残った身を全て口に含むとメリーナは咀嚼の合間に感想を述べる。全て語り終える頃にはエビは頭を残すだけになっていた。

「どうやら、メリーナにもエビを気に入って貰えたようだな。せっかくだからもう一人前ずつ頼むか?!」

「やった!」

 ミシスの歓声に応えるように俺は給仕を呼ぶ。もちろん追加の麦酒を頼むのを忘れない。既に三杯目ではあるが、今日くらいはメリーナも大目に見てくれるに違いなかった。


 2

「ルヴィー!ねえ、あんたぁルヴィーでしょ!ひ、久しぶりじゃない!元気だったぁ!」

 宵の口を過ぎて酒場を兼ねた宿の食堂が賑わいを見せる中、俺は唐突に何者かに話し掛けられた。食事を終えて、ミシスとメリーナとこれまでの道中で大変だった場面を回想するように語り合っていたところだ。仲間との会話を邪魔された形ではあったが、俺は何事かと顔を上げる。そして相手の顔を見た俺は、それまでの酔いを少なくても半分は冷ますことになった。

 そこにいたのは粗野な語り口からは想像出来ない、若くて美しい女性だったからだ。銀色の髪はやや短めに切り揃えられているが、艶やかで輝いている。顔付きも均整がとれており、瞳は大きく金色で魅力的だ。〝あの女〟を知る俺からしても九十点は出しても良いと思うほどである。もっとも、それはこの女性の先端がとがった長い耳を見たことで納得する。彼女はエルフ族に違いなかった。彼らは男女ともに容姿が優れていることで有名だ。

「・・・人違いではありませんか?」

「やっぱり、ルヴィーだぁ!本当に久しぶり!あ、あんたぁ今までどこで何をやってたのぉ!」

 俺は当初の驚きから回復すると丁寧に人違いであることを伝えるが、エルフ女姓の耳には届いていないようだ。『その長い耳は見せ掛けか?!』と問い詰めたくなるが、呂律の怪しい喋り方からすると、完全に酔いが回っているのだろう。

「申し訳ありませんが、あなたとは初めてお会いするはずですよ!」

「もう、なんでそんなこと言うのぉ!あ、あたしとあんたぁの仲じゃない!一緒に冒険もしたし、あたしの髪を綺麗だって何度も褒めてくれたでしょ!まさか・・・あんたぁ、ご、ゴブリンをどっちが多く倒せるか競った時にあたしに敗けたことを、ま、まだ根に持ってるのぉ?!」

「ちょっと・・・そんな、くっつかないで下さい!」

 丁寧に対応する俺だったがエルフ女姓には全く効果はなく、むしろ感情的にさせただけだった。怒っているのか悲しんでいるのか判断が付かない態度で俺の身体に縋りついてくる。典型的な酔っ払いの仕草だが、俺の中にあるエルフへの固定観念は壊れつつあった。彼らは人間よりも洗練された種族と思っていたのだが、この姿は大概の人間よりもだらしがない。見た目が整っているだけに余計残念な気持ちにさせられた。

「ちょっと!本当に知らない人なの?!」

 椅子越しに背後から俺を抱き締めてくるエルフ女姓に怒りの目を向けつつ、メリーナが問い掛ける。

「本当に知らない!今日初めて会った!」

「・・・ちょっと、あなた!離れて下さい!」

「な、何!あんた誰!」

「私は彼の・・・こ、恋人よ!」

 俺の許可を得たとばかりにメリーナは席を立つとエルフ女に凄むように声を掛ける。自分の放った言葉で顔を赤くしているが、目元は何かやり遂げたような自信に溢れていた。俺としても自分の気持ちが一方通行でなかったことを確認出来たことに嬉しさを覚えるが、同時に照れ臭さもあった。

「え、嘘でしょ!ルヴィーあんたぁ!エイゼルはどうしたのぉ?!って言うか、あんたぁ女に興味があったの?!ならなんで、その相手はあたしじゃないのよぉ!!」

 だが、エルフ女はメリーナを無視して一方的に俺を責め立てる。話からすると俺は何か特殊な恋愛観を持っている人物に勘違いされているようだった。その人物は目の前の彼女よりも同性の仲間と特別な関係にあったのだろう。

「・・・メリーナ、ミシス、面倒になりそうだから部屋に戻ろう!」

 この頃になると、もうこの酔っ払いの相手をするのは不毛として逃げる判断を下した。彼女が口にしたエイゼルという名前にはどこか聞き覚えもあったが、俺も軽く酔っていたのでこの時は特に気にしていなかった。

「そうね、ミシス行きましょう!」

「う、うん・・・」

 メリーナが同意を示しミシスをエルフ女姓から庇うように椅子から立たせる。

「も、もうなんで、逃げようとするのぉ!あたし達、一緒にミノタウロスを倒したこともあったし・・・あ、あの黄金のドラゴンに会いに行ったこともあったじゃない!」

 俺達が逃げ出そうよしていることを察知したのか、エルフ女はこの世に破滅とばかりに泣き出した。そして最後の一言は俺達を凍りつかせるのに充分な力を持っていた。〝イーシャベルクオール〟に関することは俺達仲間内の秘密のはずだからだ。

「・・・どうしてそれを!」

 俺は慌てて腰を戻すとエルフ女姓を空いている椅子に座らせる。先程までは俺を信頼してくれていたメリーナの瞳には、どういうことだと言わんばかりの非難の色が浮かんでいた。この突然現れたエルフ女姓には詳しい説明、いや釈明をしてもらわねばならなかった。

「ど、どうしてって、あたし達四人で・・・ひっく!あの頃は・・・楽しかった・・・でも、あんたぁ達はあたしをおいて先に死んじゃうし・・・」

 肝心な所で彼女は泣き疲れたとばかりにテーブルに酔い潰れると寝言とも取れる独り言を呟くだけだった。


「いやー、すまない!昨日は悪いことをしたね!あたしも良く覚えていなんだけど、あんたに絡んだのは覚えているよ!だってさ、あんたがあたしの昔の仲間にそっくりでさ・・・冷静に考えればそいつはもう死んじまったんだけどね・・・飲み過ぎてその辺のことを忘れちまってたみたいなんだ!ははは!」

 銀髪のエルフ女性は悪気を感じさせない口調で昨夜のことを謝罪する。白百合のように美しい姿からは想像出来ないほど馴れ馴れしい態度ではあるが、迷惑を掛けた自覚はあるようだ。

 昨夜、疑惑を残して眠ってしまった彼女を俺達は客室で翌朝まで介抱していた。本来なら宿の者に任せるべきなのだが、彼女は酔い潰れる前に捨て置けない発言を残している。俺達以外では知るはずのないドラゴンの秘密を口にしたのだ。これをそのままにしておくことは出来なかった。これだけでも彼女から詳しい経緯を聞く理由になるが、俺としてはもう一つ重要な問題を解消してもらう必要があった。メリーナは俺とこのエルフ女姓との間に以前から何かしらの接点があったと推測している。これは誤解ではあるが、状況から見ればこのように思い込むのも仕方がない。ドラゴンに関することは秘密中の秘密だ。深い仲にあったと疑うのは理解出来る。そして俺は面識がないと、メリーナの質問に答えている。彼女は俺が嘘を吐いていると思っていたに違いない。これを放っておけば厄介なことになっただろう。エルフ女姓には何としても誤解を解いて貰わねばならなかったのだ。

「ふう・・・それについては今更文句を言うつもりはないです。えっと・・・あなたが・・・」

 俺は目を覚ましたエルフ女姓がいち早くこれまで面識がなかったことを認めたことに安堵の溜息を漏らす。ミシスを挟んでやりとりを見守っていたメリーナの視線が一気に柔らかくなったのが実感出来た。

「あたしはハーシェラさ。知り合いには銀の射手って呼ばれてるけどね!」

 この言葉を受けて、俺達もハーシェラに対して簡単な自己紹介を行う。〝銀の射手〟とは大層な二つ名だが、エルフは弓の名手として有名であるし、彼女の見事な銀髪からすれば納得出来るあだ名と言えるだろう。

「なるほど・・・では、ハーシェラさん・・・あなたは黄金の古龍のことをどうしてご存じなのですか?」

「それは・・・あんた達もあの高慢ちきなドラゴンに会ったことがあるってことかい?」

 俺の質問にハーシェラは質問で返す。彼女の金色の瞳はこちらを値踏みするような鋭い眼光となっている。一瞬前までの気の良い様子は消えていた。人間より遙かに長寿であるエルフ族の年齢は外見から窺い知ることは出来ないが、ハーシェラは経験豊かな冒険者に違いなかった。少なくとも昨夜の話しぶりからして、ミノタウルスと呼ばれる牛頭の怪物を倒す実力はあるはずだった。

「・・・そうです。俺とそこのミシスは会ったことがあります。・・・正直に言えばドラゴンに従者として仕える契約も結んでいます。現在、ドラゴンは人間に対して友好的ですが、一度その機嫌を損ねればどうなるか想像も出来ない存在です。私は彼女のことは世間に秘密にするべきだと思っています」

「やっぱり、あんたらもあいつに会ったことがあるんだ!・・・しかも従者の契約を結んでいるとは、経緯は知らないが同情するね。あいつは面倒な女だからね!・・・まあ、秘密にすべきなのはあたしも理解しているよ。記憶にないけど、深酒してしまって口を滑らせてしまったみたいだね。・・・それがあんた達の興味を惹いちまったってわけか」

 ハーシェラを実力者と認め、ドラゴンの存在を知る者に隠す意味は薄いと判断した俺はこちらの立場を説明する。それによりハーシェラも俺達の置かれている状況を正しく理解したようだった。

「もうわかってると思うけど、あたしもドラゴンに会ったことがあるんだよ。初めて会ったのは今から二百年前かな・・・当時の仲間達とあの神殿を目指したんだ。あんたと見間違えた、ルヴィウスとエイゼル、レッダスそれにあたしの四人でつるんでさ・・・」

「ねえ、いまルヴィウスって言ったのかしら?」

「ああ、ルヴィウスだよ。ルヴィーはすげー男だったよ!・・・昨夜はあんたと見間違えたみたいだけど、今思うとルヴィウスの方がもっと男前で精悍な顔付きだったかな?ははは!」

 メリーナの問い掛けにハーシェラは笑いながら答えるが、俺とメリーナはお互いの顔を見つめていた。ルヴィウスとはバーニス帝国末期に皇帝側に付いて戦った俺の先祖の名だ。それにレッダスの方はわからないがエイゼルの方には該当する人物に心当たりがある。バーニス帝国最後の皇帝の即位前の名前だ。

 その後俺達はハーシェラから酔い潰れた彼女を介抱した礼として、かつての仲間であったルヴィウス達の詳しい話を聞くことになる。その内容は子孫である俺とって衝撃的な事実が多く含まれていた。


 3

「・・・ご主人様、差し出がましい真似ではありますが・・・ご質問を致してもよろしいでしょうか?」

 ハーシェラと出会った数日後、週に一度の契約を無事に終えドラゴンの満足を得た俺は、彼女に個人的な会話を持ち掛けた。

 今まで俺はドラゴンに対してあくまでも従者としての立場で接することを貫いていた。これは自分が人の身であることを忘れないための縛めだった。黄金の古龍は神々にも匹敵するほどの力を持った存在だ。怒らすのも危険だが、愛されるのもまた危険だ。俺は彼女の寵愛を受けたら、ミシスのように兜を賜われただけで満足するとは思っていない、おそらくはドラゴンの力を自分の欲望のために利用しようとするだろう。そして、目的を達成させる前に身を破滅させるに違いない。それがわかっていたから俺は、ドラゴンとの距離感を常に主人と従者の間に留めていた。今回の質問はその均衡を破る行為だったが、どうしても確かめたいことがあったのだ。

「・・・何かしら改まって?今回の話はまあまあ面白かったし、答えられる質問なら答えてあげるわよ!」

 ある意味、決死の覚悟で行った質問ではあったが、ドラゴンの化身である金髪の美女は朗らかな笑みとともに肯定的な反応を取った。彼女の頭には先週ミシスが捧げた花冠が瑞々しい姿を保ったまま乗せられている。どうやって花を枯らさずに維持しているのか不明だが、この程度のことは古龍にとっては朝飯前の芸当なのだろう。

「では・・・ご主人様は二百年ほど前にルヴィウスという男にお会いになられたことを覚えていらっしゃいますか?彼らは・・・エイゼル、レッダス、ハーシェラの四人でご主人様の下を訪れたはずなのです」

「・・・ええ、ルヴィウスね。覚えているわよ。エイゼルとレッダス・・・確かこの三人は人間で、ハーシェラは耳長のエルフだったかしら?この者は人間よりもほんの少し寿命が長いだけで、私と張り合うような愚か者だったけど、今もどこかで生きているのかしらね・・・。それが何か?」

 俺の問い掛けにドラゴンは明確に答える。まさか、このようにはっきりと覚えているとは期待していなかったが、彼女からすれば二百年の歳月もほんの少し前の出来事なのかもしれない。まずはハーシェラの話が事実である裏が取れた。

「はい・・・先日そのハーシェラに偶然出会いました。伝言を預かっていますが、お伝えしても良いでしょうか?」

「ふふふ、あなた・・・あの耳長に会ったの?・・・まあ、そんなこともあるわよね。それで、彼女はなんて言っていたのかしら?」

「その内にご主人様の下を再び訪問したいと申しておりました・・・」

「ふ、そんなこと・・・勝手に来れば良いのに・・・わかったわ。ありがとう!」

 口ではハーシェラのことを小馬鹿にしている様子ではあったが、ドラゴンは伝言を聞くと微かな笑みを浮かべる。彼女達の間には余人が入り込むことのない奇妙な関係が築かれているようだ。それは人間、いや男では知ることの出来ない長寿の女性同士だから成り立つ感情なのかもしれない。

「はい・・・ご、ご主人様・・・それと・・・」

 いずれにしても建前であった要件を終えると、俺は胸の中に湧き上がっている疑問を口にしようとした。

「・・・いえ、以上で御座います・・・」

 だが、俺は途中で考えを改めると質問を飲み込む。やはり聞くべきではない、知るべきではない事実であると思い直したのだ。

 俺は先日のハーシェラとの出会いでこれまで漠然と感じていた疑問に答えを求めようとしていた。ルヴィウスの子孫である俺とバーニス皇家の末裔と思われるミシスとの邂逅についてだ。俺はそれまで偶然による運命の悪戯だと思っていたのだが、ハーシェラからルヴィウスに纏わる逸話を聞いたことで、この偶然にドラゴンが何かしらの形で関わっているのではないかと推測するに至った

 ハーシェラによれば、ルヴィウスは仲間のレッダスと後に最後の皇帝となる第三皇子として生まれたエイゼル皇子を連れて、帝国北東部の森林地帯に逃げて来たとのことだった。その頃のバーニス帝国は末期の動乱期にあり、次代の皇帝の座をめぐって皇族達は骨肉の争いを繰り広げていたからだ。彼らは森林に侵入した不審者として、エルフ族に捕えられるが、その身分が明かされると客人としてもてなされる。

 そしてエルフ達から黄金の古龍と彼女が持つ数々の宝物の噂を聞きつけると、ルヴィウス達はドラゴンに謁見することを決意する。この時以来ハーシャラは彼らの冒険に加わり仲間となった。この計画は見事成功しルヴィウスはドラゴンからとある宝物を賜わって、その宝物を使いエイゼルを皇帝の座に導くことになるのだと言う。

 この事実は俺に衝撃的な発想を齎す。俺とミシスはそれぞれ、ルヴィウスとエイゼルの生まれ変わりではないのかという考えだ。

 神々が定めた〝魂の輪廻〟についてはわからないことが多いが、人間はこの世界を魂の研鑚の場として生まれて来るのだとされている。一生を終えて磨かれた魂は祖霊もしく天使とも呼ばれる守護者となり、人間達を見守る役目と経て、更に最終的には神々の一員として列せられるのだ。そして祖霊に至らなかった魂は再び人間として生を受け、研鑚を繰り返す。この現象を転生と言うらしい。この際、新たにこの世界に生まれる身体には自身の血筋の者が選ばれると言われている。

 先祖の英雄がかつての俺だったなどと信じるのは自惚れが過ぎるとも思えるが、決して見当違いな見立てではないのだ。俺とミシスとの出会いは偶然にしては出来過ぎている。今思えば何かしらの〝力〟が働いていたのではないかと考えるが妥当だ。そして俺とミシス、ルヴィウスとエイゼルこの二組の関係において共通するのは黄金の古龍〝イーシャベルクオール〟の存在だった。

 ハーシェラの話に寄れば、ルヴィウスとエイゼルは主君と家臣の関係を越えた間柄だったらしい。ルヴィウスが最後まで皇帝に忠誠を尽くしたのは、そのような歴史の表に出てこない隠された理由があったのだ。そして黄金の古龍の力を持ってすれば、かつての仲間・・・いや、愛し合った者同士を今一度この世に引き会わせるのも不可能ではないと思えたのだ。

「本当にそれだけでいいのかしら?」

 禁断とも言える前世への介入を寸前で踏みとどまった俺に、ドラゴンは念を入れるように問い掛ける。俺とミシスとの出会いが彼女の影響によるものならば、ドラゴンは全ての事情を知っているはずである。彼女への返答は俺がこれからどのようにして生きるかの選択にも感じられた。前世を知れば俺はかつてのルヴィウスの生き方に影響を受けるかもしれない。俺は俺として生きるか、ルヴィウスの影を追うのか瀬戸際にいた。

「・・・はい、以上でございます」

「そう。では、また来週を楽しみにしているわね・・・あなた、メリーナだけにかまけては駄目よ。ミシスも大切にしなさいね!」

「は、貴重なご忠告を感謝したします!」

 俺は胸を張ってドラゴンの言葉に答える。ミシスは俺にとって可愛い弟分だ。メリーナとは別の意味で大切な存在となっている。言われるまでもなかった。だが、面識のないメリーナをドラゴンが俺の恋人として認めたことは一つの転機のように思えた。彼女はもしかすると、俺をかつてのルヴィウスの生まれ変わりから〝俺〟自身であると再認識したのかもしれない。先程の問い掛けはそれを確かめるものだったのだ。

 これまで俺は、なぜドラゴンが俺をそっちの趣味の持ち主だと勘違いしてくるのか不思議に感じていた。だがそれも俺とルヴィウスを同一視していたのなら納得出来る。おそらく、これで俺はもうドラゴンにその趣味だと間違われることはないだろう。

「ミシス!お前は俺の大事な弟分だからな!」

「もちろん!おいらもそのつもりだよ!」

 いつもの褒美を貰いうけて〝転移の鏡〟を通り抜ける前に俺はミシスを呼び寄せると、その頭をやや手荒に撫でる。例えルヴィウスが俺の前世であったとしても、俺は俺だし、ミシスはミシスだ。俺達は前世の縁ではなく、お互いが仲間になることを望んだからこそ今の関係があるはずだった。

 ミシスがどこまで理解しているかは不明だったが、俺の想いを込めた言葉に彼女は力強く応えてくれた。

「じゃ、メリーナのところに戻るか」

「うん!」

 俺達はこうしてお互いの気持ちを確かめ合うと、メリーナの待つラグリドの宿屋へと戻って行った。


 4

「あなたが仕えているドラゴンにあなたの先祖も会っていたなんて不思議なこともあるのね・・・」

 ミシスを寝かしつけて二人だけの時間になると、メリーナは俺に甘えるように問い掛けてきた。留守番役の彼女には、既に今回のドラゴンとの経緯を報告している。さすがに前世に関する憶測については口にしていないが、メリーナも勘は鋭い。ルヴィウスとエイゼル、この二人と俺とミシスの関係がその血筋において対比していることには気付いているだろう。

「ミシスは俺の弟分だ。俺の・・・恋人はメリーナだよ」

 俺はメリーナを抱き寄せると、耳元でそっと囁く。照れ臭さはあったが、こういったことはしっかりと口に出す必要がある。俺はミシスに続いてメリーナにもお互いの関係を明らかにしようと切り出した。

「ふふふ、嬉しい言葉だけど、・・・私がミシスに嫉妬をすると思ったの?彼女はまだ十一歳よ!」

 ランプは消していたので直接見ることは出来なかったが、メリーナが満面の笑みを湛えている様子を思い浮かべることが出来た。短い言葉だったが、メリーナは俺の意図を理解してくれたのだ。

「まあ、ないとは言い切れないからな・・・それにハーシェラが現れた時のメリーナの顔は怖かったぞ!」

「も、もう!あれは仕方ないわよ!あのエルフ女があなたにいきなり抱き付くんですもの!あの状況で怒らない女なんていやしないわ!」

「でも、その後ハーシェラがドラゴンのことを口にしたら、俺を裏切り者のような目で見ていたじゃないか?!刺されるんじゃないかって、あの晩はビクビクしていたんだぞ!」

「そんな、刺そうだなんて思わなかったわ・・・ただ、赤トリカブトをどこで手に入れるか少しだけ考えていただけよ!」

「いや、そっちの方が怖いんだが・・・」

 告白を無事に終えて軽口を囁く俺だが、メリーナの返答に背筋を冷やす思いとなる。もちろん冗談に決まっているのだが、薬師である彼女は当然の如く毒物にも詳しい。赤トリカブトは比較的に入手しやすい野草で致死性の毒物に調合可能だ。彼女がやろうと思えば不可能ではないだろう。

「ふふふ、驚かしちゃった?!もう!冗談よ!」

 怯える様子を見せた俺の態度にメリーナはおどけてみせる。それと同時に更に身体を寄せて豊満な肢体を俺に押し付けた。

「こっちも・・・ちょっとビビったフリをしただけさ!」

 俺はメリーナの挑発とも言える行為を、軽く嘯きながら全身で受け止める。やや嫉妬深いところもあるが、それを含めて俺はメリーナを恋人として受け入れるつもりでいた。いや、彼女が俺を認めてくれたことに今更ながら感謝を覚えていた。運命とは過去や前世から引き摺られることばかりではない。運命は新たに生まれる可能性も秘めている。俺はメリーナと出会ったことで新たな運命が開かれたに違いなかった。

「本当かしら?ふふふ」

 そんな俺にメリーナは思わせぶりな笑い声を上げるのだった。


「なあ、あんたらこれから西のマーシル王国に行くんだろ?あたしもそっちに行くことにしたからさ。しばらく一緒に荷馬車に乗せてくれないかな?あっちはこの国よりも物騒らしいじゃん!あたしの弓と魔法は結構役に立つぜ!な、頼むよ!」

 昼間見た新市街の港の話で盛り上がる俺達の前にハーシェラが再び現れると、唐突に話を切り出した。あれから三日が過ぎており、以来姿を見掛けなかったのでもうラグリドを離れていると思っていたのだが、まだこの宿に逗留していたようだ。

「えっと・・・」

 俺は一瞬の間、反応に戸惑う。内容も不意だったが、輝くような銀髪の間から覗ける彼女の顔だけを見ていると、本当にこの可憐なエルフ女性から今のような粗野な言葉が発せられたとは思えず、理解が追い付かなかったのだ。だが、間違いなくそれらは彼女の口から出た台詞だった。

「ちょっと、いきなりなんなのよ!」

 許可もなく空いている椅子に腰を降ろしたハーシェラの態度にメリーナが怒気をはらんだ声で迎え撃つ。彼女からすれば、このエルフ女性は厄介事の象徴のように思えたはずだ。そしてそれは俺にとっても同じだった。ハーシェラの冒険者としての実力を疑うことはないが、俺は昨晩、前世の縁よりも運命を新しく切り開くことを改めて選択している。その俺にとって前世かもしれないルヴィウスのことを詳しく知るハーシェラは正直、気まずい存在だった。

「なあ、頼むよ!あんたの男には手は出さないって約束するからさ!それに、あんたはあたしのことを嫌ってるみたいだけどさ、あたしはあんたのこと嫌いじゃないぜ!あたしは素早さも自慢なんだけどさ、こんな凹凸の少ない身体に生まれてちょっと悔しいんだ。だから、あんたみたいな魅力的で柔らかそうな胸や腰付きに憧れてて、どんな感じなのか抱きしめたくなるんだよ!」

「え、何?!ちょっと・・・」

 苛立ちを隠していなかったメリーナだが、ハーシェラの意外な言葉に戸惑っていた。敵だと思っていた同性がいきなり白旗を上げて、なおかつ自分のこと好きだと言ってくるのだから。狼狽えるのは当然だ。しかもそれが嘘ではないとばかりにハーシェラはテーブルの上にあったメリーナの手を素早く握る。慌てて手を引っ込めるメリーナだが、顔には困惑とともに恥じらうような赤味がさしており、当初の敵意は消えていた。

「・・・それと、そこのちっこいの!ミシスだっけ?お前は精霊の気配を感じ始めているな。このまま放っておくと良くないぞ!問題が起こる前にあたしが精霊達の扱い方を教えてやるよ。なんなら、ついでに弓の使い方も教えてやるぞ!」

「え、本当に!」

「ああ、本当だ。精霊の力に気付いた者を正しく導いてやるのは、先達者の役目だからな!・・・だから、あたしを一緒に連れてってくれよ!」

 ハーシェラはミシスに笑い掛けながらも最後は俺に問い掛けるよう呼びかける。ほんの数分とも言える間に外堀を埋められたような気分だ。俺としてはハーシェラの同行を断るつもりでいたのだが、ミシスの件を思うと無下に断るのは軽率と言えた。彼女の言うとおり、ミシスはケット・シーによって祈祷魔法と思われる才能を開花させられていた。これに関しては俺もメリーナも力になることは出来ない。魔法の才能に恵まれているのに制御が出来なくて不幸を招く事例は少なくないと聞く。ミシスをそのような目に遭わせたくなければ、先達者の指導が必要だろう。そしてエルフ族はその多くが優れた祈祷魔法の使い手だった。

「・・・俺の一存では・・・二人はどう思う?」

 俺はミシスのためを思うと賛成に傾いていたが、二人の仲間、特にメリーナに意見を求める。彼女がハーシェラに強い対抗心や嫉妬心を抱くようでは賛成するわけにはいかなかった。

「おいらは賛成だよ!エルフの人って面白そう!」

「・・・わ、私は賛成しないけど・・・反対もしないわ。魔法については私達ではミシスの力になれないし・・・」

 ミシスに関しては既に歓迎体勢だ。彼女は少女ではあるが精神的にはかなり快活であり、魔法と弓の扱い方を教えてくれるとあって血が騒いで仕方がないのだろう。そして肝心のメリーナも肯定こそしていないが、当初のことを思えばかなり譲歩したと言えるだろう。どこまで狙っていたのか知らないが、ハーシェラは仲間に加わる最大の障壁を既に打ち崩していた。

「わかった・・・ハーシャラ、同行を許可する。ミシスに色々教えてやってくれ。・・・それと、これからよろしくな!」

「おお、受け入れてくれてありがとうよ!それじゃ乾杯するか!」

「ああ、そうだな!」

「ねえ、おいらも麦酒を飲んでいい?!」

「うむ・・・一口くらいならな!良いだろメリーナ?」

「・・・まあ、今日は仕方ないわね!」

「やったー!!」

 メリーナの許可を得た俺達は改めて麦酒を頼むと新しい仲間を祝って乾杯を上げたのだった。

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