第8話 思いがけない報酬
1
その兜は実直的な美しさを持っていた。宝石や貴金属が使われているわけでも、特に凝った意匠を施されているわけでもないが、人間の頭部を守るために作られた防具として、被った者に頼もしさと安心感を与える形をしている。
これは騎士が槍試合で使うような実用性を無視して華やかさを追求した大兜ではなく、実際の戦場で地に足を付けて戦う者のために作られた代物だ。動きやすさと防御力そして視界の確保、これらの要素を程良く保つように考慮されており、前部は開閉式の面頬によって覗き穴以外の顔半分を覆い、後部は貴婦人のスカートのように僅かに膨らみ後頭部と首を守っている。そして悠久とも思える歳月を過ごしていたにもかかわらず、兜は鋼鉄特有の灰色の地金を鈍く光らせていた。
その姿を赤錆の一つも浮かすことなく留めている理由は明らかだった。この兜は黄金の古龍〝イーシャベルクオール〟から仲間のミシスに賜われた物だからだ。数多くの宝物を所有するドラゴンの棲家に平凡な兜があるわけがない。この兜は何かしらの魔法が施された魔道具に他ならないのだ。そして先程ドラゴンとの契約を終えたばかりの俺達は、兜の価値を見極めようと調べているのだった。
もっとも、魔法の才能のない俺にわかるのは、この兜が実戦的に優れた業物というだけだ。内装や頭に固定するための革ベルトさえも綺麗な常態を保っているところを見ると、少なくとも歳月による劣化を防ぐ効果を備えているに違いないが、それ以上のことは掴めなかった。
「兜としては高品質のようだが、それだけなのか・・・何かの効果を持っているのか・・・わからないな。・・・ミシス、俺が試しに被ってみてもいいか?」
これまでの考えを口にするとともに俺はミシスの許可を求める。彼女は弟分ではあるが、この兜を賜わったのはミシスであり、俺の物ではない。約束や所有権を大事に考える〝あの女〟の影響だろう。俺はこういったことに拘ってしまうのだ。
「もちろんいいよ。おいらより兄さんの方が似合いそうだしね!」
「・・・でも大丈夫?魔道具の中には呪いのような効果を発揮する物もあるのでしょう?」
俺が兜を調べる様子を見守っていた二人の女性が順番に意見を述べる。ミシスは俺に肯定的だが、メリーナは心配を示した。マイゼラで新たな仲間となった少年のような恰好を好む少女ミシスと、成熟した女姓の魅力を持ちながらもどこか生真面目なメリーナの二人は、一見対照的にも思えるが既に本当の姉妹のように慣れ親しんでいる。おそらくは表現力は異なってはいるが、奥深い感情で二人は共通する部分を持っているからだろう。どちらも一度何かを決めたら、それを突き通す芯の強さを持っていた。
「ああ、魔道具にはそのような物もあるらしいが、ドラゴンの塒にある宝物はその全てが古代人によって貢がれた物だ。今回に限っては呪いの心配はないと思う」
そんな仲間達の反応を面白いと思いながらも、俺はまずメリーナに告げる。彼女の慎重な意見は自分の考えを俯瞰的に見るに丁度いい。ありがたかった。
「そうかもしれないけど。一応、気を付けてね!」
「もちろんだ。じゃ、ミシス借りるぞ!」
「うん!」
最後に兄貴分として慕ってくれるミシスに声を掛けると俺は兜を被った。おそらくは標準的な体格の男を想定しているのだろう。兜は違和感を覚えることなく頭に馴染んだ。だが、これといって変化はない。
「・・・どうやら品質が良いだけで、ただの兜のようだな・・・まあ、ミシスの身体がもっと大きくなったら・・・むう!」
面頬を下げたことによる違和感に俺は思わず息を飲む。これまでランプの淡い光に照らし出されていた部屋の中が突然、鮮明に瞳に映し出されたのだ。慌てて二人の仲間に視線を送るが、ミシスの顔に浮かぶそばかすと灰色にも似た青い瞳の色までも昼間のようにはっきりと見て取ることが出来た。メリーナに至っては薄い夜着の下にある豊満な身体の凹凸もはっきりと見分けられる。本人は薄暗いと思っているので、扇情的な姿となっていることに気付いていないのだ。
「おお・・・これは!」
「ちょっと、どうしたの?そんな声を上げて!」
俺の上げた声と自分をじっと見つめる行為に何かを感じたのだろう、メリーナは驚いた様子で問い掛ける。
「いや、この兜の能力がわかった!これは暗闇でも昼間のように見通せる力を授けてくれるようだ。この面頬を下げると発動するのだと思う。ミシス、お前も被ってメリーナを見てみろ。凄いぞ!」
「え、なになに?!」
何が凄いのかと思ったのか、ミシスはいち早く俺から受け取った兜を両手で支えながら被るとメリーナに顔を向ける。
「何これ凄い!まるで昼間みたいだ。・・・だからメリーナ姉さんの姿がはっきり見えるよ!」
「・・・ああ、そういうことなのね!・・・もう!変なところばかり見るのだから!」
ミシスの言葉で俺が先程凝視していた理由を察したのだろう。メリーナは怒ったような声を上げるが、顔には満更でもない笑みを浮かべていた。
「ねえ、次は私にも貸してもらえるかしら?」
「いいよ!はい」
「・・・うわ!本当にはっきり見える!地味に凄いのではないかしら、この兜・・・」
しばらくしてミシスから兜を受け取り、その力を実感したメリーナは感嘆の声を上げた。
「そうだ。防具としても優秀と思われるが、これを使えば夜間の活動は断然有利になるだろう。ミシスは極めて価値のある宝を授けられたことになるな・・・。あの時は、もっと高価そうな物を選べば良いのにと思ったが、結果的にミシスの目利きはかなりのものだった」
「へへへ」
ミシスの照れた笑い声を聞きながら俺は、彼女が〝あの女〟から褒美の品としてこの兜を賜った時のことを思い出していた。黄金の古龍はミシスの心遣いに対して感激し、自分の塒にある宝物の中でどれでも好きな物を一つ自由にして良いと彼女に告げたのだ。
当初、ミシスは遠慮をしたのだが、結局は様々な金銀財宝の中からこの兜を選んだ。おそらくは少年として育てられたことで彼女には武具に対する憧れがあったのだろう。兜の直ぐ近くには、鶏の卵よりも大きいサファイアと思われる宝石を頂いた首飾りもあったのだが、彼女はそれに対して見向きさえしていなかった。結果的には金には換えられない価値を持つ魔道具を手に入れたわけではあるが、本来は少女であるミシスの価値観はかなり男性的と言うべきだろう。
「私としてはミシスには兜ではなく、それこそ花冠や髪飾りが似合う女の子になってほしいのだけどね。・・・とりあえず、これはあなたに預けるわ。いらっしゃいミシス!寝る前に髪を梳いてあげる!」
メリーナは満足したのか兜を脱いで俺に渡すとミシスを呼びつける。
「ありがとう。メリーナ姉さん!」
「じゃ、ミシス。俺が預かっておくぞ、ご主人様への契約を果たしたわけだし、今日はもう寝た方が良いだろう。これはまた明日だ!」
「・・・うん、わかった!」
俺はメリーナと姉妹のようにじゃれ合うミシスに告げると兜を〝転移の鏡〟とともに背負い袋の中にしまう。今これを彼女に渡してしまうと、夜中に被って遊び回るに違いない。育ち盛りのミシスには充分な睡眠が必要であるし、彼女の夜更かしは俺とメリーナには色々と不都合なのだ。
2
宰相派との〝手打ち〟を成し遂げて王都マイゼラを出発した俺達は、順調に南の港街ラグリドを目指して旅を続けていた。もちろん最初の何日かは、宰相が後になって追手を放つ可能性も考えられたため、万が一に備えて警戒をしていたのだが、中間地点の街カリールに辿り着く頃になっても恐れていたようなことは起きず、遂に不安は完全に消えたと判断するに至った。
宰相は俺との取引を嘘偽りなく履行したのだ。彼が約束を守る矜恃を持った人物であったことは、俺達にとっては幸運であり、そういった人物がこの世界に存在していることは大きな喜びとも言えたが、今にして思えば自分だけでなく仲間の安否を巻き込んだ大博打であったのは間違いない。
これは本来なら失うモノは自分の身だけと割り切れるからこそ出来た行為だ。俺は二度とこのような幸運が今後も続くわけがないと自分を戒める必要があるだろう。もはや俺には互いの安否を心配する仲間が居る。その二人を思えば、このような一人で行動していた名残は早く忘れなくてはならなかった。
それでもやはり、大きな憂いが解決されたのは喜ばしいことだ。バーレガル王国の上層部の暗闘はこれからも続くと思われたが、俺達はもうそのような世界からは解放された。もうミシスを攫おうとする者はいないのだ。
追手の脅威が消えたことで俺は次の宿場街カリールでしばらく過ごす計画を立てる。まずは俺の本業である明日のドラゴンとの面会に備えるためと、旅慣れてないミシスとメリーナの体調を考えてのことだ。彼女達はいずれもマイゼラからほとんど出たことのない箱入り娘だ。今のところ体調の不備を訴えてはいないが、暑さの厳しいこの季節に無理をさせて熱を出させたくはない。そんな事態になる前にこの辺りで休息を取らせようとの判断だ。
また、荷馬車の後輪の車軸が少々傷んでいるようなので同時に修理に出すつもりでもあった。カリールはマイゼラとラグリドを結ぶ宿場街の中では最も栄えている街で、これを過ぎたらラグリドまで馬車を修理出来る機会はないかもしれない。俺としては厄介事の種や憂いはカリールで一気に解決させるつもりだった。
その旨を伝えると、彼女達は喜んで俺の考えに賛成を示してくれた。口には出さないでいたが、やはり二人とも急激な環境の変化で疲れを感じていたらしい。俺達には資金的に余裕があるので、無理に急ぐ必要はない。経済的な悩みだけはしないで済むのはドラゴンのおかげだ。何しろ週に一度、契約を果たせば金貨一枚が与えられる。特にドラゴンの塒にある金貨は古代のネーメル金貨であり、金の含有量も多く現在の東方地方では一般的に出回っている銀貨二十五枚分の価値がある。俺一人なら銀貨一枚もあれば並程度の宿に泊まって三食と麦酒をそれなりに飲んでもお釣りが出る程なので、よほどの贅沢でもしない限りミシスとメリーナを養っていけるだろう。
そして今回は既にドラゴンに語る予定の〝ネタ〟も手に入れていた。宰相派の追手を警戒しつつ、主人に語る逸話を探す旅路はかなり大変だったと言わねばならないが、今ではミシスとメリーナの二人の仲間が様々な面で助けてくれるので、全体的な負担は単独の頃よりも軽減されている。これこそが仲間を持つ最大の恩恵に違いない。
そんな余裕のある状態だったからだろう。メリーヌとミシスは昼食を終えると街道沿いの野原に二人で繰り出した。辺りには〝ウマゴヤシ〟と呼ばれる野草の小さくて白い花弁を始めとする様々な花が無数に咲き誇っている。どうやら彼女達はそれらの花を集める気のようだ。少年として育てられ、未だに男装を好むミシスにメリーナが女の子らしい遊びを教える気なのかもしれない。もちろん、そんな二人を邪魔するほど俺は野暮ではないので、この隙に荷馬車を牽く馬の手入れを始める。何しろ辺りには名前に由来となった〝ウマゴヤシ〟が無数に生えている。馬にも休息を与えてやるべきだった。
「はい、これは兄さんに!」
「おお、やるじゃないか!メリーナに教えてもらったのか?」
「うん!おいら、こんな遊び方あるなんて知らなかったよ!」
しばらくして帰ってきたミシスから、俺は花を織り込んで作った花冠を渡される。初めて作ったと思われる彼女の花冠はどこか不格好に見えるが俺は笑顔を浮かべて褒めた。
「そっちは自分用か?」
もう一つ花冠を手にしているので俺はミシスに問い掛ける。女の子と花冠を揃って被るなんて童心に帰った気分だった。
「ううん、これはイーシャ様に上げようと思って作ったんだ!」
「・・・なるほど」
意外な返答に俺は一瞬だけ茫然となる。ドラゴンに花冠を渡そうなんて、俺では絶対に出て来ない発想だ。これまで一年程〝あの女〟に仕えているが、逸話を探すのに夢中で俺は花を送るなんて考えは思いもしなかった。いや・・・これはミシスのような純真な子供だからこそ思いついたことだろう。俺は金髪の乙女となっても本体は強大な力を持った古龍であることを忘れることはない。それに対しミシスはあの絶世の美女こそがドラゴンの姿と捉えているのかもしれない。
それにドラゴンの従者となったミシスだが、彼女にはこれと言った役割はない。契約である逸話を聞かせるのは俺の役目であり、強いて言えば顔を見せて側に寄り添うくらいなのだが、このような曖昧な立場にミシスなりに思うところがあったのかもしれない。自分にも出来る事があるのだと。
「駄目かな・・・」
「いや、良いんじゃないかな。ミシスからの贈り物ならあのド・・・、ご主人様も喜んでくれるだろう。せっかくだから枯れないようにしないとな!」
「うん!そうする。空になった水樽の中に入れておくよ!」
一度は困ったような表情を浮かべたミシスだったが、すぐに元の調子を取り戻すと荷台へと走り出す。
「ふふふ、私とお揃いね」
それまで俺とミシスのやり取りを見守っていたメリーナが笑みを浮かべながら口を開く。その台詞のとおり彼女の頭にも花冠が乗せられている。
「そうだな・・・じゃ、花が枯れない内にカリールを目指そう!」
「ええ、そうしましょう!」
俺は照れ臭さを隠して花冠を被るとメリーナに告げた。
「あの・・・イーシャ様。これ、おいらが作ってみたんです。どうぞ受け取って下さい・・・」
カリールでの二日目の夜。俺にとっては毎週の儀式、ミシスには三回目の主人との謁見が始まり、呼び出された彼女は自分が作った花冠を照れ臭そうにして乙女の姿となったドラゴンに差し出した。この時のためにミシスは水で湿らした布で丁寧に保管しており、その努力によって花冠は瑞々しい姿を保っていた。
「これを私にくれるの?」
「はい、おいらがイーシャ様にあげ・・・贈れるのはこれくらいしかないんです・・・」
「ええ、ありがとう。素晴らしいわ!私に被せて頂戴!」
「は、はい!」
返事を受けてミシスは恭しく、ドラゴンの癖のない見事な金髪の上に花冠を乗せた。
「どうかしら?」
「はい、凄く綺麗です!」
「本当にミシスは可愛らしいわね!」
ドラゴンは満足気な笑みを浮かべると、この前と同じようにミシスを抱き抱えて自分の隣に侍らす。実際、花冠を被った金髪の乙女は、いつにもまして幻想的で美しかった。素朴で可憐な花冠が完璧な美を持つ彼女をより惹き立てるのだ。そして、これまでドラゴンがミシスの行為に対してどのような反応を取るのか不安な面持ちで見守って俺も安堵に満たされた。ミシスは彼女に気に入られていたので、邪険に扱われることはないだろうと思っていたが、ドラゴンがここまで喜ぶとは予想外だ。少女でありながらも少年らしい面影を持つミシスは、年上の女性に好かれる才能があるのかもしれない。
「あなたはどう思う?」
「はい、花冠によってご主人様の美しさがより際立って感じられます」
「そうね・・・私も人間達から多くの物を捧げられたけど、花を冠状にするなんてミシスの才能は素晴らしいわね!今までこんな贈り物をしたのはミシスが初めてよ!」
ドラゴンは手放しでミシスを褒める。もちろん、花冠はミシスが最初に考えついた技法でも作品でもない。おそらくは、人間が文明を持ち始めた頃から少女か若い女性の間で自然発生的に生まれた遊びなのだろう。そして下手に知識のある人間では、児戯とも言える花冠を強大な力を持ったドラゴンに捧げるなど、ありえない行為と思えたはずだ。ミシスはその常識を少女らしい純粋な気持ちで打ち破った。彼女はただ単にメリーナによって教えられた新しい遊びとその成果を、自分を可愛がってくれた美しい主人に受け取って貰いたいと願っただけなのだ。
「ミシスもご主人様に喜んで頂いて、恐悦至極の思いでしょう。では、私もお約束の逸話を申し上げてもよろしいでしょうか?実直に契約を果たす・・・これが私からのご主人様への忠誠の証でございます」
ドラゴンが喜色を浮かべている状態に乗じて俺は契約に移る。彼女の機嫌が良ければ俺が語る〝ネタ〟の反応も良くなるはずだ。ミシスは俺にとっても良い仕事をしてくれた。
「ええ、確かにあなたも私に・・・それなりに尽くしてくれているわね。聞かせて頂戴!」
「はい、ではこれは・・・」
主人の許可を得たところで俺は今回の逸話を語り始めた。
「・・・でございます!」
「・・・あら、それで終わりなの・・・。なんだか、あまり興味がそそられなかったわね・・・まあ、今回はミシスから贈り物もあるし、大目に見てあげる・・・」
「も、申し訳ありません、次こそは精進いたします!」
ドラゴンにダメ出しを喰らった俺は平伏するように頭を下げる。俺からすれば複数の恋人を手玉に取りながらも、最後は自業自得を迎える女の結末は最高に面白いと思うのだが、今回の逸話はドラゴンの趣味に合わなかったようだ。彼女は他人ごとであっても騙すという行為を嫌っているのかもしれない。それでも辛うじて新しい話を求められなかったのは、やはりミシスのおかげだろう。俺一人だけなら苦しい立場になっていたに違いなかった。
「ええ、お願いするわね。まあ、契約は契約だから今回も金貨を一枚持って行っていいわよ・・・。そうそう、ミシスにも褒美を出さないとね。ミシス、ここにある物なら何でも一つあなたに上げる。好きなのを選びなさい!」
「そ、そんな!おいら、そんなつもりでイーシャ様にその花冠を贈ったんじゃありません・・・」
唐突に褒美の話を切り出されたミシスは困ったように狼狽える。彼女も自分の捧げた花冠と財宝とでは釣り合わないことがわかるのだ。
「遠慮はしなくていいの!これはあなたの心遣いへの気持ちなのだからね!」
「・・・あ、ありがとうございます。・・・じゃ、あ、あれを下さい・・・」
ミシスは頭の良い少女だ。ドラゴンに対して固辞するのは却って良くないことだと気付いたのだろう。周囲を見渡すと、投げ出されていた兜を指差した。ミシスが何を選ぶのか興味を持っていた俺としては意外な選択に驚くが、彼女への褒美なのだから余計な口出しは出来ない。
「いいわよ!拾ってらっしゃい!」
「は、はい」
ドラゴン送りだされるようにしえてミシスは兜まで歩み寄ると、ゆっくりと兜を両手で持ち上げる。
「では、それは今からミシス、あなたの持ち物よ!」
「あ、ありがとうございます!イーシャ様、大切します!」
「ええ。・・・あと、その金貨もあなたの物よ」
「感謝いたします・・・」
ミシスと対照的にドラゴンは俺が拾った金貨の所有権譲渡も素っ気なく承認する。扱いにかなりの差があるが、俺は納得した態度で慇懃に礼を述べるに留めた。同じ従者とはいえ、美少女と成人の男である。対処に違いが出るのは仕方ない。俺だってミシスを優遇するだろう。気にしてはいけない。
「それでは失礼いたします・・・」
俺は主人であるドラゴンに別れの挨拶を告げると、ミシスを連れてメリーナの待つカリールの宿に戻るのだった。
「えへへ、イーシャ様からもらっちゃった!」
「お前の気遣いが認められた証だな!」
鏡を通り抜けたミシスは嬉しそうに兜を抱えながら、俺と出迎えたメリーナの双方に微笑みかける。ドラゴンの寵愛を一身に受けるミシスではあるが、俺が彼女に嫉妬を抱くなんてことは・・・やはりなく。素直に受け入れることが出来た。ミシスが同性の少年であったのなら、また違う反応を示したのかもしれないが、幸いにしてミシスは少女だった。それに一時は悩んだ彼女の血筋に対しても、俺はもう気にしなくなっていた。可愛いらしい少女とは大概の問題をねじ伏せる力があるようだ。
「でも、おいら兜の使い方なんて、わからないや。兄さん教えて!」
「ああ、それにあそこにある兜がありきたりの物とは思えないし・・・ついでに調べてみよう!」
こうして俺は留守番役だったメリーナにドラゴンとのやり取りの説明を終えると、ミシスから預かった兜を調べ始めるのだった。
3
ドラゴンとの契約を終えた翌日、俺は昼間から寝台に横になっていた。夏至は過ぎていたが、まだまだ暑い盛りが続いている。用もないのに昼間から宿の外に出ようと思わない。ミシスとメリーナの体調に考慮してのカリール逗留だったが、当然のことながら俺にも疲れは溜まっている。精神と身体を癒すために修理に出している荷馬車の車軸が直る明日までは、特に何もせずに過ごすつもりだ。
また寝室に籠った理由はもう一つあった。メリーナが隣の居間で薬の調合に取り組んでいるからである。俺と彼女は恋人関係になりつつあるが、いくら男女の仲と言っても一人で何かに没頭したい時はあるはずで、俺は気を使って寝室に引っ込んだ。薬師である彼女は家を出る際に多くの薬の材料を持ち出しており、腕を保つためと俺達の怪我や病気に備えて薬を作ってくれているのである。邪魔をするわけにいかなかった。
ちなみにカリールには最初から長く留まる予定でいたので、快適に過ごせるよう居間と寝室が別になった割高の客室を選んでいる。寝室も二つあり、一つは男である俺用となっていた。
そんなわけで本来は俺用の寝室なのだが、ミシスもこちらにやって来ては例の兜を被って二階の窓から宿の裏庭を覗くようにして暇つぶしをしていた。昼間では兜の持つ暗視能力は無意味とも思えるが、彼女としてはドラゴンから賜わった兜が気になって仕方ないのか。あるいは鋼鉄製の兜が齎す金属的な冷たさが夏の暑さを多少なりに解消してくれるからかもしれなかった。いずれにしても、俺は自分の頭に対して一回りは大きい兜を被って喜ぶミシスの姿をぼんやり眺めながら、久し振りの平穏を味わっていた。
その奇妙な鳴き声を聞いたのは、本格的に昼寝でもしようと思っていた矢先のことだ。窓から入る心地良い風が俺の眠気を優しく擽っていた。
「ミャアーミャアミャアア、ミャアミャ!」
だが、突然にどこか人間染みた猫の鳴き声が部屋に響き渡る。猫自体は珍しくもないが、何かを訴えかけるような鳴き方はこれまで聞いたことはない。俺は何事かと上半身を起こした。
慌てる俺の視界に移ったのは、窓枠に佇む灰色の猫と顔をつき合わせるように対面しているミシスの姿だった。彼女は奇妙な鳴き声を上げる猫に対して相槌を打っている。まるで猫と会話をしているようだった。
「・・・な、何をしているんだミシス?」
しばらくその光景を眺めていた俺だったが、猫が一旦鳴くのを止めたことでミシスに問い掛ける。子供が動物に興味を持つはよくあることだが、彼女のそれは直感的に普通ではないと思えた。
「あ、兄さん!マックスが困って・・・いや、えっと・・・お、おいら猫の言葉がわかるようになったみたいなんだ!!」
「ね、猫の言葉!!」
「う、うん!おいら、窓から外を見てたら・・・なんか屋根から声がして・・・誰かがいるのかと思って声を掛けたんだ。そしたら、この猫・・・マックスって雄猫らしいんだけど、マックスが窓枠に降りて来て、悩み事を相談されてたんだ!」
ミシスも軽い興奮状態にあるのか、自分の体験を必死に説明しようとしていた。
「・・・猫にも悩みがあるのか?!」
ある程度の状況が見えてきた俺は感じた疑問を口にする。ミシスの体験は常識では考えられないことだが、彼女は今、ドラゴンより与えられた兜を被っている。魔道具には複数の能力を持つ物も存在すると言う。ミシスが猫の言葉が理解出来るようになったのは兜の効果だと思われた。
「いや、そんなことよりも、ミシスとりあえず一旦兜を脱いでみろ!」
「う、うん!・・・あ、マックスが何を言ってるのか、わからなくなった・・・」
「やはり、その兜の能力のようだな・・・で、その猫は何を悩んでいるんだ?」
原因が解明されたためだろう。その頃には俺も落ち着きを取り戻していた。兜の効果が猫だけの限定なのか、他の動物の声も理解出来るようになるのかはまだ不明ではあったが、目の前の猫の悩みとやらに興味が移っていた。食って寝るだけの存在と思っていた動物にも悩みがあるとは知らなかった。
「なんでも、マックスはこの宿で飼われている猫だけど・・・宿に棲んでいるネズミが上手く獲れないみたいで、困っているみたいなんだ。それにマックスはただの猫でもないらしんだけど・・・、宿屋は別の猫を飼おうとしているらしくて、それはマックスにとってはすごく恥ずかしいことなんだって!」
「・・・けっこう複雑だな・・・、ちょっと直接猫から聞いていいか?」
「うん!」
ミシスから説明を聞いた俺は窓枠でこちらを不安そうに見つめる猫の視線を受けながら兜を借りる。
「・・・俺の言葉がわかるか?」
「はい、正しく理解しております。・・・正直に申しますと、お嬢さんよりあなたの力を貸して頂きたいと思っておりました」
「ほう・・・」
おずおずと語り掛ける俺の言葉に猫は饒舌に答える。その言い回しは洗練されていたし、ミシスが少女であると見抜いた目敏さには感心するしかなかった。
「・・・他の猫もお前と同じような、高い知性を持っているのか?それともお前が特別なのか?」
「マックスとお呼び下さい。ご質問のお答えですが、幾分ながら私が特別な存在であると自負しております。私はあなた方人間が猫と呼ぶ動物の上位種にあたるケット・シーでございます」
「な、なるほど・・・ケット・シーか」
マックスの説明に俺は納得を示した。ケット・シーは猫の妖精と呼ばれる種族だ。伝承で耳に挟んだ程度だが、実在する妖精あるいは種族であるのは知っていた。永年生きた猫がケット・シーに転生するといった説や、人間とエルフの関係のように近い種ではあるが、別の種族だとする説もある。マックスの話からすると後者のようだった。
「で、マックス。お前は何を悩んでいるんだ?」
「はい、話が早くて助かります。実は・・・」
素性が知れたことで本題に入った俺にマックスは自分が抱えている悩みと状況を語り出した。
「・・・つまり、マックス、お前はネズミ獲りが下手で俺達に協力して欲しいのだな?」
「左様でございます。恥を忍んで申し上げましたが、私は頭脳派で御座いまして、魔法は得意とするのですが肉体労働は苦手としています。お助けして頂ければ必ずやお礼を致しますので、お願い出来ないでしょうか?」
マックスの説明のよると、彼らケット・シーは掟により何年間かは人間に飼われる猫として暮らさなくてはならないらしい。その期間は飼い主にケット・シーであることを悟られないようにして、普通の猫として生活しなければならない。そして飼い猫としての修業期間なので、飼い主がネズミ獲りのために別の猫を飼うのはとても屈辱的なことらしいのだ。そのためネズミ獲りの協力を俺達に仰いだというわけだった。彼の話ではネズミはこの宿に幾つかの抜け道や隠れ家を持っているらしいので、そこに至る穴を塞いでくれれば、自分のネズミ狩の成功率が上がるはずだと言う。
「魔法・・・、魔法が使えるのなら、ネズミなんかどうにでもなるだろう?」
詳しい事情はわかったものの、俺はケット・シーに突っ込みを入れる。マックスがどの程度の使い手かは知れないが、魔法を使えるのならネズミ如きに遅れを取るとは思えなかった。
「修業期間中は基本的に魔法の使用は許されないのです」
「むむ・・・でも俺達に頼むのはいいのか?」
「私は猫の言葉で訴えておりますので・・・掟には反しておりません。たまたま猫の言葉を理解する人間の方に猫としてお頼みしているのです!」
「なるほど・・・」
屁理屈にも聞こえるが、一応の筋はとおっていた。おそらくマックスは屋根の上で独り言でも呟いていたのだろうが、兜を被っていたミシスがそれを偶然聞きつけて話し掛けたのだろう。そして、言葉が通じるならと取引を持ち掛けたのだ。
「この猫の言い分はわかった。ミシスはどうしてやりたい?」
兜を脱いだ俺は、それまで俺達のやりとりを辛抱強く見守っていたミシスに問い掛ける。
「せっかくだから助けて上げたい!」
「そう言うと思った!じゃ。助けてやるか!」
「うん、兄さん。ありがとう!」
再び兜を被ったミシスは窓枠の猫に優しく語り掛けるのだった。
4
俺とミシスはマックスの案内で屋根裏から厩舎へと、宿の内外を転々と動き回る。客が入れない場所には宿の使用人に〝心付け〟を渡して半ば強引に侵入する。それでいてやることはネズミの通り道になるような隙間を板で塞ぐといった本来は宿側がやるべき仕事なのだから、宿の者達も不思議に思ったに違いない。俺は妻役のメリーナが極度のネズミ嫌いであることにして、彼らの疑念を解消しなければならなかった。
それでも小一時間が経つ頃には俺たちはマックスが指摘するネズミの逃走経路を全て塞ぎ終えていた。そして厩舎ではミシスが馬の言葉を聞いたので、兜の効果が発揮するのは猫だけでないことも判明した。暗視能力と動物との意思疎通、もしかしたらまだ隠れた能力を持っているのかもしれないが、ミシスに賜わった兜は極めて価値のある魔導具と言えた。
「ニャニャアーナーニャ、ニャア!」
作業を終えて寝室に戻った俺達をケット・シーのマックスは複雑な鳴き声を上げて出迎えるが、兜はミシスが被っているので俺にはその意味はわからなかった。
「マックスはなんて?」
「とってもありがとうって言ってる!お礼がしたいから、おいらに手を出してくれって!」
「期待はしていなかったが・・・まあ、せっかくだから受け取ったらどうだ?」
「うん、そうする!」
ミシスは軽く微笑むと利き手の右手をマックスに差し出した。そんな彼女の手をマックスは両の前脚を使って包み込み、祈るような仕草を取る。しばらくすると雄猫はミシスの手を離すと何かを呟くように鳴きはじめた。
「これがお礼か?感謝の仕草のようではあるが・・・」
俺は再び通訳役のミシスに問い掛ける。感謝の気持ちを態度で表しているようには見えるが、一般的には〝お礼〟とは何かしらの対価を支払う行為のことを言う。マックスの行動は間違いではないが、感謝だけではやはり期待外れと思うしかなかった。もっとも、ケット・シーに人間の価値観を押し付けるのが間違いとも言える。世の中には助けられても、感謝すらしない人間もいるのだからそれに比べればまだ〝マシ〟だろう。
「・・・えっと、マックスは・・・おいらには魔法の才能があるらしくて、精霊の声を聞きやすくなるお呪いを掛けたって言ってる・・・。おいらがやる気になれば魔法を使えるようになるかもしれないって・・・」
「なんだって?!いや・・・そうか・・・」
ミシスの言葉に俺は驚くが、彼女の血筋を思い出すと納得の溜息を漏らした。彼女はバーニス皇家の末裔である。魔法の才能を持っているのは何ら不思議ではない。そして一口に魔法と言っても、大きく三つの系統に分けることが出来る。神々がこの世界を創造した技を人の身で操ろうとする根源魔法とその神々から力を借りる神聖魔法、そして神々以外の霊的存在である精霊や祖霊等を使役または力を借りる祈祷魔法である。俺には魔法の才能はなかったが、この程度のことは知っていた。そして精霊の声と言うからにはケット・シーはミシスに祈祷魔法に関する何かしらの効果を与えたのだと思われた。
「ミシス、体調に変化はないか?!」
「うん、特に何も・・・」
「そうか」
ミシスの返事に俺は安堵する。魔法は強力な力ではあるが、その力に溺れて破滅する者も出る危険な技だ。俺からすれば、マックスは余計なことをしてくれたとも思えるが、それを口にすることは避けた。いくら才能があっても直ぐに何かの魔法を使えるようにはならないはずであるし、ミシスの可能性が広がったことは喜ぶべきだと解釈することにしたのだ。
いずれにしてもケット・シーのマックスはお礼を終えると窓からその姿を消して行った。おそらくは、早速とばかりに逃げ場を封じたネズミを狩に行ったのだろう。
「おいらが魔法か・・・」
マックスを見送ったミシスが呟く。
「怖いか?」
「ううん、大丈夫!どっちかって言うと、おいらは短剣の使い方をもっと兄さんに教えて欲しいな!出来れば剣も!」
俺の心配をよそにミシスは武芸に興味を示す発言をする。
「・・・今日はゆっくりするつもりだったが、日差しも落ち着いてきたし軽く稽古を付けてやるか。でも剣はまだ早い。まずは短剣だ!」
「やったあ!」
屈託のない笑顔でお願いをするミシスにつられて俺の表情も緩くなる。少女であるミシスが戦闘技術の習得に励むのもどうかと思うが、俺達は街の外に出て旅をする身だ。最低限でも自分の身は守れるようにならなければならない。俺達は再び寝室を出ると、稽古のために裏庭に向かう。居間のメリーナはまだ調合に励んでいるが、夕食までには終わらせるとのことだったので、俺達もそれまでに稽古を切り上げるつもりだった。
ミシスとの稽古を終えて部屋に戻ろうとしたところで俺達はメリーナの引き攣ったような悲鳴を聞く。安全と思っていた宿内での出来事に俺は焦りながらも、ミシスを連れて階段を一気に駆け登った。
「メリーナ!無事か?!どうした?!」
臨戦態勢を整えて客室の扉を開けた俺が見たのは、テーブルの上に乗って慌てふためくメリーナの姿だった。顔には嫌悪にも似た恐怖を浮かべているが、その手には貴重な薬を抱えている。こういうところに抜かりないのがメリーナだった。
「ああ!良かった!た、助けて!」
今にも泣き出しそうな声でメリーナは俺に助けを求めるが、俺はまず周囲の警戒に移り二つの寝室に賊が隠れていない確認を行う。予想に反して人のいた気配を見つけることは出来なかった。
「何があった?!とりあえず降ろすぞ?!」
「あ、駄目よ!そ、そこに!」
安全と判断した俺はメリーナをテーブルの上から降ろそうと近づくが、彼女は再度悲鳴を上げながらテーブルの下を指差す。そこには十匹前後のネズミが群をなしていた。やはりメリーナはネズミが苦手だったのかと、俺は自分の予想が当たったことに一人納得するが、一度にこれだけのネズミが現れるのは異常事態でもあった。
「・・・も、もしかして、何か言いたいのかも」
少し遅れて部屋にやって来たミシスが、低い声で鳴きわめくネズミを見つけるとそんな言葉を呟く。
「・・・とりあえず確かめてみてくれ!」
さすがの俺もネズミ退治に自分の武器を使う気にならずにミシスに頼む。
「うん!」
ミシスは頷くと兜を被ってネズミとの交渉を始める。
その夜、俺とミシスはネズミを入れた箱を持って彼らの移住先とした街はずれの廃屋まで連れていってやることになった。ケット・シーのマックスによって一族を根絶やしにされかけた彼らはどういうわけか、その元凶が俺達であることを知り抗議に現れたというわけだった。ネズミは害獣ではあるが、俺達は妥協案として移住を手伝うこととした。これから一族が滅びるまでメリーナの前に現れ続けると言われれば、取引をするしかなかったのだ。
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