第7話 王都の変 後編

 1

 鏡を通り抜けた際に生じる軽い眩暈から回復すると、俺は空気が変わるのを感じた。身体が湿度の高い纏わり付くような暑さから、適度に乾燥した心地良い感触に包まれたのだ。三日前にこの場に来た時は、追い込まれていた状況だったので意識することはなかったが、ドラゴンの塒となっている古代の神殿はマイゼラよりも北にあり、外気を遮断する厚い石壁で造られている。真夏の暑さを避けて寝るには快適な場所に違いなかった。

 もっとも、あらゆる物を焼き尽くす灼熱の息吹を噴き出すドラゴンに、外気温がどう影響するのかは大きな疑問だ。自分の口から吐き出すのだから当然、彼女はその炎に耐えられる構造を持っているということである。ドラゴンが夏の暑さを嫌がるとは思えなかった。また、その息吹に限らずドラゴンの生態の多くは謎に包まれている。一部の魔術士達は、ドラゴンが空を飛ぶには背中に生やしている翼では小さすぎると指摘しており、その原理はわかっていないらしい。実際、こうして寝姿を目の前にしている俺にも、彼女の巨体に対して蝙蝠のような被膜に覆われた翼は体格に対して随分こじんまりとしているように見える。

 とは言え、彼女を間近にして真っ先にそのような些末のことを思い浮かべる人間はいないだろう。圧倒的な凶暴性と荘厳な美しさを兼ね備えた黄金の古龍の姿は、人間の理解を越えた存在であることを本能的に訴え掛ける。俺がこのようなことを思い付くのも、一年間従者として仕えた経験もしくは慣れがあるからだろう。実際、俺の後に続いて〝転移の鏡〟を通り抜けて来たミシスはドラゴンと遭遇するのはこれで二度目であったが、それでもその場で腰を抜かしそうになっている。俺は慌てて彼女を支えてやらねばならなかった。


「ミシス、こっちにいらっしゃい!」

「は、はい!イーシャ様!」

 眠りから覚めたドラゴンは、いつもの儀式として人間の乙女の姿に変化し、お気に入りとなったミシスを呼びつける。古龍の姿に怯えていた彼女も、ようやくその威圧感から解放されてその命に従う。ドラゴンはミシスを軽々と持ち上げると、自分が腰を掛けている金貨の山の傍らにミシスを座らせた。

「やはり、幼い人の子は可愛らしいわね・・・」

「・・・ミシスもご主人様の近くに侍ることが出来て栄誉と思っていることでしょう」

 ミシスがドラゴンの機嫌を損ねるとは思わなかったが、主人の相手を未熟なミシスにさせるわけにはいかない。俺が積極的に話し相手になる必要があり、彼女の言葉を慇懃に肯定する。

「あら、あなた。今日は元気がないわね?もしかして私がこの子を可愛がるから嫉妬しているのかしら?」

「そ、そのようなことは御座いません・・・ただ。少々個人的な悩みがあって気がそぞろとなっていたようです。お気遣い感謝いたしますが、ご主人様を前にして申し訳ありませんでした!」

 俺の感情を機敏に感じ取ったのだろう、ドラゴンは最初不思議に思うような表情を浮かべるが、直ぐに笑いながら問い掛ける。からかいも含まれているのだろうが、彼女の指摘は当たらずも遠からずといったところだ。もちろん俺は主人の寵愛を受けるミシスに嫉妬を催してはいない。だが、彼女に対して複雑な想いでいたのは間違いなかった。

 何しろミシスは俺の家系が二百年間以上探し続けていた、バーニス皇家の縁者なのだ。どの程度の身分と立場なのかは知れないが、俺は一族の宿命を捨てたのにかかわらず彼女と巡り合ってしまった。そして俺はそれをどう受け入れるべきなのか、定めることが出来ずにいた。本来ならじっくり時間を掛けて少しずつ理解し受け入れるだろう。だが、その時間を持つ前にこうしてドラゴンとの謁見の時間が来てしまったのだ。しかも俺には宰相派との対決、それに対する次の一手であるマイゼラからの脱出方法、メリーナの好意等、対処しなくてはならない問題が山積みとなっていた。先程、ドラゴンの生態に関心を持ったのは現実逃避の一種かもしれない。



「悩み?それは良くないわね。私の配下にある者が悩んでいるなんて、主人としても放っておけないわ。相談に乗ってあげましょう!」

「い、いえ個人的な・・・つまらない些細なことで、ご主人様を煩わせるようなことでは御座いません!本当です!」

「主従関係は気にしなくていいのよ。ねえ、ミシス。あなたは心当たりがない?一緒に行動しているのでしょう?」

 俺の返事にドラゴンは驚いたような仕草見せると、変な親切心に目覚めたのか食いついてくる。そして丁重に拒む俺に追及するよりも、ミシスに聞く方が早いと判断したのだろう矛先を変えた。

「え、えっとその・・・に、兄さんはメリーナさんのことが気になっているんだと・・・思います」

「メリーナ?それはどんな男なの?」

「いえ、女の人です。えっと、兄さんの恋人・・・みたいな人です」

「え、女?!あなたは女にも興味があったの?」

「も、もちろんです!そもそも女性にしか興味がありません!」

 俺をそっちの趣味と信じて疑わないドラゴンの問い掛けには辟易するが、ミシスの返答には胸中で賞賛を告げていた。もし彼女が俺達の身に起った一連の事件のことを口にしていたら、この古龍が人間界に介入するきっかけとなっていたかもしれない。俺の悩みが恋人に対して抱いている想いとするのが一番平和的にドラゴンを納得させることが出来るだろう。それに事実としても俺はメリーナの朗らかでありながら覚悟を決めた時に見せる芯の強い人柄に惹かれ始めていたし、あの豊満な胸は非常に魅力的だった。

「ふうん。・・・で、そのメリーナはどんな女なの?!」

「・・・健康的で行動力のある女性です」

「あなたはどう感じたのかしら、ミシス?何か特徴はない?」

 まさか、美の極みともいえるドラゴンの化身にメリーナの容姿を褒めるわけもいかず、俺は具体的な記述を避けて答えるが、彼女はそれに満足でなかったのか改めて傍らのミシスに問い掛けた。

「えっと、綺麗な人です。特徴は・・・おっぱいが大きい人です」

「おっぱいってこの胸の膨らみことね・・・。確かあなた達人間はこれが大きいと美しいと感じるのよね。私は人間が最も美しいと思う姿を象っているはずだけど、私より大きいのかしら?」

 ミシスの子供ならではの意見を聞いたドラゴンは、自分の乳房を両手で持ち上げると軽く左右に震わせる。均整のとれた双丘が揺れる様子は絶景と言うしかないだろう。

「たぶん、メリーナさんの方が大きいです・・・」

 その様子に同性であるミシスも顔を赤くして恥じらう。

「おかしいわね・・・私にこの場所と黄金を捧げた人間達はこの姿を最高と思っていたようだけど・・・少し眠っている間に人間の美の基準が変ったのかしら?」

「・・・」

 ドラゴンは考え深い表情を浮かべながら自分の胸を再び震わせる。彼女の疑問に俺は何と答えるべきか迷っていた。古龍を崇めていた古代人の美的感覚は俺・・・いや、おそらく現代の人間全てにも通じる普遍的な価値観に違いない。実際、自らの肢体を確認するように躍動させる金髪の乙女の姿はこの世の存在とは思えないほど美しい。だが、彼女の美しさは完璧過ぎた。あまりに崇高な美は畏れも同時に生じさせる。畏怖は親愛とは相いれない心の動きだ。外見的な美しさではメリーナはドラゴンに及ばないが、俺が抱きしめたいと願うのはメリーナなのだ。

「・・・人間の美の基準は変化しておりません。私も含めた人間の大多数は、ご主人様の現在の姿を最も美しい女性として認識することでしょう。ですが、それとは別に人間の男には女性の象徴であるおっぱ・・・乳房に深い憧れを抱いているのです」

「すると、あなたはメリーナの特別に大きなおっぱいが気に入ったのね?」

「そ、それは否定しませんが、私はメリーナの決断力と行動力にも魅力を感じています!」

 なんとかそれらしい返答を試みた俺だが、ドラゴンは遠慮のない質問を浴びせてくる。完全な否定は出来ないが、さすがの俺も胸が大きいだけでメリーナに惚れるほど単純ではない。・・・ないはずだった。

「ふうん、そう、そうなの・・・あなたには驚かされるわね。同性である男と絆を分かち合いながら、それでいて番う相手には女性的な特徴が強い胸の大きな女を好む。さらにミシスのような人間として未成熟な可愛らしい少女を配下に加えているなんて・・・一貫性がないわね!人間は神々が争いを始める前に自分達に似せて創ったらしいけど、あなたには混沌の神々の影響がより強く出ているのではなくて?!」

「・・・」

 まるで俺が邪神の使徒か性へのモラルを著しく欠いているようなドラゴンの指摘に、再び絶句する。男がお互いの力量を認めて友情を感じるのは特別なことではないし、豊満な肉体の女姓を好むのもおかしなことでない。それに好意を寄せてきたのはメリーナの方からだ。おまけに不遇な境遇にあったミシスを助け出したのは、お互いの血筋に気付く前であり、更に当時は少年と信じていた。俺が好き好んで幼い少女を巻き込んだわけではなかった。

「本当に人間、いえあなたは興味深い存在だわ!!」

 ドラゴンは極上のエメラルドのような瞳を輝かせながら、俺に賞賛と思われる視線を送る。どうやら先程の指摘は非難ではなく褒め言葉であったようだ。思い起こせば彼女は神々とも対等に張り合う古龍だ。根底には人間の常識では計り知れない価値観を持っているのだ。

「・・・ありがたきお言葉であります。で、ではそろそろ我々人間達が織りなす逸話をお聞かせしてもよろしいでしょうか?」

「・・・そうね、お願いするわ」

 詳しく釈明したい思いはあったが、頃合いと見た俺は本来の仕事に移る判断を下した。何しろ俺にはメリーナとの色沙汰だけでなく、解決しなければならない問題が山積みとなっている。契約を果たしたらマイゼラに戻り、それらに立ち向かなければならない。また主人であるドラゴンは変に俺を買いかぶっているようだが、その評価を敢えて自分から覆す利点もなかった。

「これはある少女が体験した・・・」

 俺は今晩のドラゴンとの謁見に際してメリーナから仕入れた、いくら使っても減らない財布に関する話を始めた。この話の体験者はメリーナ自身だ。彼女は幼い頃に父親のモーセルからお小遣いを入れた財布を貰ったのだが、この財布は中身のお金をいくら使っても翌朝には一定の金額を取り戻すのだった。オチを言ってしまえば娘を溺愛していた父親が補充していたのだが、まだ幼かったメリーナは魔法の財布と信じ、この財布を使って一騒動起こすのだ。生真面目な彼女にもこんな時代があったのかと思わせるが、大胆な行動力は今に通じているのかもしれない。いずれにしてもドラゴンの反応もよく、静かに聞き入っている。ダメ出しの心配はなさそうだった。


 2

「ああ、二人が無事で良かった!」

 ドラゴンの塒から戻った俺達をメリーナは破顔の笑顔で出迎えてくれた。既に彼女には〝転移の鏡〟の存在だけでなく、その先に居るドラゴンについても秘密を明かしている。もし俺とミシスが二人きりで部屋に籠ったらメリーナは怪しく思い部屋を調べるだろう。その際に〝転移の鏡〟を見つけるに違いない。変な誤解をされてから説明するよりも、正直に話すことにしたのだ。ついでに伏せていたミシスの本来の性別も明かす。ミシスがバーニス皇家に縁の者である事実に比べればメリーナに隠す意味があるとも思えない。もはや彼女は俺達が抱える問題の全てを把握していた。

「正直言うと・・・考えないといけないことが多くて、あなたが説明してくれたことはまだ本当に信じられないの、でもその鏡に二人が消えて、再び現れたことを思うと信じるしかないわね」

 簡単な食事を用意してくれていたメリーナは俺の横に腰を降ろすと呟くように語り掛ける。

「俺もそんな感じだ。ミシスがまさか俺の家系が探し求めていたバーニス皇家縁の者だったとは思っていなかった。今でも衝撃を受けている・・・だが、これも運命だったのかもしれない・・・そして今回のドラゴンとの契約はメリーナのおかげで無事に終えることが出来た!」

 メリーナに頷きながら俺は感謝を伝える。困惑が怒涛のように押し寄せた一日だったが、メリーナの理解と助けによって問題の一つは片付けることが出来た。もっとも〝あの女〟のおかげで俺はメリーナのことをこれまで以上に意識しなくてはならなかった。それを意志の力で封じ込めると、俺は改めて淡いランプの光に照らし出されるミシスの顔を覗き込む。名前を呼ばれたミシスは自分がどうしたら良いのかわからないのだろう。泣きそうな顔をしていた。彼女も明らかになった自分の運命に困惑しているのだ。

「とりあえず食べて、ミシス。こんなのしか用意出来なかったけどお腹が減っているでしょう?」

 重い空気を感じとったメリーナがミシスに向けてハムとチーズが乗った皿を差し出す。メリーナはこういったことに気が利いた。

「そうだ、頂こう!」

「うん・・・」

 俺の呼び掛けにミシスはやっとぎこちない笑顔を浮かべると皿を受け取る。俺を悩ますこの問題に彼女に非があるわけではないのだが、俺はあの時の衝撃を思い出していた。


「ねえ、大丈夫!」

「だ、大丈夫・・・だ。済まない、ありがとう」

 ミシスの短剣に刻まれた紋章を見た俺は、倒れそうになるのをメリーナに支えられて堪えた。そして落とさずに持っていた短剣に再び目をやって今一度、紋章の印を確認する。俺は物心付くころからこの紋章を見せられている。見間違うはずはなかった。俺は震える手を使って恭しく短剣を鞘に戻すとミシスの前に置いた。

「ねえ、この短剣から何がわかったの?」

 俺の動揺に何かを察したメリーナが諭すように問い掛け、ミシスも返された短剣より俺のことを心配そうに窺っている。

「こ、この短剣にはバーニスの皇帝一族の紋章が刻まれていた。ミシスは今では滅んだ皇家の子孫・・・少なくとも何かしらの縁者だろう」

「そ、そんな王家どころか・・・かつての皇帝の一族?見間違いではなくて?!」

 メリーナは俺の言葉に反応するが、ミシスは不安そうな顔を浮かべるだけだ。詳しい内容は理解出来ていないが、俺が取り乱した原因が自分とこの短剣にあることに気付いて負い目を感じているのだろう。

「見間違いじゃないんだ。俺は・・・俺の一族はメイズル家といってかつて皇家に仕える一族だった。そしてその末裔である俺にも皇家の末裔を探し出して保護し、再興させる役目が課せられていた。だから、この紋章は穴が開くほど見せられ暗記している。見間違うはずがない!」

 証明とばかりに俺は首から下げた一族の指輪を取り出してメリーナに見せつける。

「メイズル家ってあの皇帝の盾と謳われたルヴィウス・メイズルのメイズル家?」

「ああ、帝国の末期の内乱時代で最後まで皇帝を守って戦ったとされるルヴィウスは俺の先祖だ」

「まさか、でも・・・」

 ルヴィウスはメリーナの指摘のとおり、帝国末期にその勇名を馳せた騎士で俺の先祖だ。バーレガル王国を興した現在の王家とは対立したが、彼の活躍は今でもこの国に伝承として残っていた。

「ミシス・・・お前の祖父がこの短剣を家宝として大切にしていたことからの推測だが、お前はかつてこの国バーレガル王国の前身となったバーニス帝国の皇家に何かしら縁のある者に違いない!」

「お、おいらが?!・・・それだと、おいらはどうなるの?もう兄さんと一緒に海には行けないの?!それにイーシャ様とは会えないの?!」

 俺の宣言を否定するかのようにミシスは訴えかける。彼女が俺を頼りにしてくれる様子は嬉しかったが、その言葉は俺に動揺とともに忘れかけていた重要なことを思い出させた。ミシスの救出と衝撃的な真実、メリーナの思いがけない協力と俺への好意で、今日がドラゴンとの契約の日であることを失念していたのだ。そして俺は誰かが言った言葉を思い出していた。『面倒は一人でやってくることはない!』まさにその通りだ。

「イーシャ様?」

 新たに現れた言葉にメリーナは疑問を浮かべる。

「・・・ああ、俺達が仕えているドラゴンのことだ!ミシスちょっと待ってくれ・・・先にメリーナに説明する」

 勢いもあったが、もうメリーナに隠し事は無意味と判断し金色の古龍〝イーシャベルクオール〟に関する秘密を彼女に告げる。

「私・・・頭が混乱してきたわ・・・私を夜中に襲って興味を持たせたあげくに惚れさせて、命を掛けて助けた男はかつての英雄の子孫で、更にその男が助けた少年も皇帝の子孫かもしれなくて、おまけにその二人は揃って財宝を山ほど貯えているドラゴンに従者として仕えているってこと?!」

「・・・その通りだ」

 俺はメリーナの問い掛けを肯定する。ありがたいことに他人に指摘されることで俺は自分の立場を改めて自覚した。彼女が混乱するのは無理もない、俺も頭が痛くなりそうだ。

「しかも今晩、契約に従って謁見しに行かなければならない、この鏡を使って!」

 メリーナを苦しめる気はなかったが、俺は隠し持っていた〝転移の鏡〟も彼女に見せつける。大商人の娘だ、呆れながらもその価値には直ぐに気付いたようだった。

「ねえ・・・他に隠していることがあるなら・・・もう全部出してくれてもいいのよ!」

「そうだな・・・実はミシスは女の子だ。これは彼女の祖父の意向を尊重したので、おれが決めたことではないが隠していた。すまない・・・メリーナに隠していたのはこれで全部だ」

「本当に全部?」

「全部だ!」

「ありがとう・・・私を信頼してくれたのは嬉しいけど、受け入れるには時間が掛かりそう・・・さっきのミシスとの続きをしてあげて・・・」

 メリーナは俺の背中に寄り掛かるとそのまま黙って俯いた。言葉どおり俺から与えられた事実関係を理解しようとしているに違いなかった。俺は彼女をそっとすることにしてミシスに向き直った。

「待たせたなミシス・・・。正直に言うと俺はお前を・・・どう扱って良いのかわからないんだ。一時は弟分としたが、お前の正体は俺の一族が探し求めて忠誠を捧げる存在だった。そして俺はそんな本当にいるのかもわからない人間のために、自分の人生を費やすつもりはなかった。一族の務めを俺は俺の代で終わらせようとしたんだ。・・・だが、俺はお前に・・・バーニスの一族に出会ってしまった。俺は自分で選んだ人生を歩みたいんだ・・・」

「・・・お、おいらにとっては、兄さんは悪い奴らから助けてくれた恩人だし、寂しくてしょうがない時に一緒に逃がしてくれて嬉しかったんだ。ねえ、おいらをこれからも一緒に連れってよ!短剣の使い方も教えてくれるって約束してくれたじゃないか!・・・イーシャ様にお話しを聞かせるならおいらもがんばるから、お願いだよう!」

「・・・そうだな、ミシスには助けてもらわないと・・・とりあえず、今晩の謁見に備えよう。ミシスは何か面白い話は知らないか?」

 俺は一族の重責から逃れたいと思う一方で、ミシスをこのまま見捨てるわけにも行かない責任も感じていた。このどちらを選ぶかは考えるまでもないのだが、メリーナのように感情を整理する時間が必要だったし、何よりまずは今晩の謁見に備える必要がある。俺は一先ず気を紛らわすために、ミシスとの関係をドラゴンへの対応に絞った。

「うん、おいら・・・前にトンボを食べたことがあるよ!」

「そ、それはいきなり凄いのを出してきたな・・・・なんで食べたんだ?」

「猫が食べてるのを見て思わず真似しちゃった!面白い?」

「面白いと言えば・・・面白いが・・・これはあまりあのドラ・・・ご主人様には言わない方がいいかな・・・ちなみに味はどうだった?」

「ぜんぜん、美味しくなかった・・・」

 突然のミシスの告白に俺は噴き出しそうになるのを耐える。もしかしたらミシスはドラゴンではなく、俺を笑わせようとしたのかもしれない。

「・・・私もミシスくらいの年頃に、父さんを破産させる寸前に追い詰めたことがあるわ・・・」

 俺とミシスが相談をしているとメリーナ苦笑を浮かべながら会話に加わる。どうやら彼女なりに気持ちの整理が出来たようだった。

「ぜひ、聞かせてくれ!」

 モーセルは俺が子供の頃から大商人として既に名声を得ていた。その店を破産させる寸前に追い込んだというメリーナの話は俺の勘を擽った。これは使えると直感を受けたのだ。

「ええ、あれは私が・・・」

 こうして俺はミシスとメリーナの助けを借りてドラゴンとの謁見に備えることが出来たのだった。


「ミシス・・・俺と海を見に行こう。そこで海老を食べさせてやる。トンボなんかよりずっと美味いぞ!それとメリーナ・・・君も一緒に来てくれ!いや、嫌だと言っても連れて行くぞ!」

 ドラゴンとの契約を終えてしばらく黙って食事をしていた俺は二人に告げる。この頃にはもう迷いの多くは消えていた。家の宿命を捨てた俺にミシスの血筋などもはや関係ない。俺は俺が交わした約束を果たすだけだ。ミシスには海を見せて美味しい物を食べさせてやると約束している。それを実行するだけだった。そしてメリーナの存在はドラゴンの詮索もあって俺の中で極めて大きくなっていた。もう彼女を手放すことはありえなかった。

「や、やったあ!」

「・・・本当に!うれしい!」

「そ、それでが・・・」

 宣言を聞いた二人は左右から俺に抱き付いてくる。まさに両手に花だが、俺は肝心のことを口にする。

「そのためには、まずはマイゼラ、この街から宰相派の目を盗んで逃げ出す必要がある!ミシスを失った敵は必死になっているだろう。俺達はこの試練を三人で乗り越えるんだ!」

「うん!」

「ええ、そうね、やり遂げましょう!」

 二人は当然とばかりに頷いた。


 3

 マイゼラを抜け出す手段は順調に練られていった。まずは俺とメリーナが行商を営む夫婦を装い、ミシスは妻役であるメリーナの妹にする。ミシスにとっては本来の性別に戻ったわけだが、宰相派が確保し利用しようとしていたのはバーニス皇家の血を引くと思われる少年だ。変装には都合が良かった。

 そして明日の朝にはこの隠れ家を立ち、街で装備を整えた後に身軽な徒歩で城門を越える算段とした。メリーナが荷馬車を用意していたが、街を出る際に詳しく調べられる可能性を考慮して荷馬車の使用は断念する。お嬢様育ちのメリーナと軟禁されていたミシスには長距離の移動は厳しいかもしれないが、次の宿場街では改めて荷馬車を買うつもりなのでそれまでは我慢してもらうしかない。ドラゴンのおかげで資金が潤沢なのは強みだった。

「まさか・・・私が帝国貴族の末裔と駆け落ちするなんて、父さんは夢にも思っていなかったでしょうね!」

「嫌でも連れて行くと言っておいてなんだが、親父さんのことは大丈夫なのか?」

 俺は淡いランプの光の中、隣に横たわるメリーナに問い掛ける。既に明日の段取りの相談は終えていて、ミシスも寝かしつけている。今は二人だけの時間だった。

「大丈夫じゃないけど・・・こうでもしないと私は父さんの影響化から逃れられなかったと思うの。あなたは私の日常だけでなく、従順な娘に甘んじる私の殻も壊してしまった。・・・恩を着せるつもりはないけど、責任はとってよね!」

「ああ、もちろんそのつもりだ。でも、それにはマイゼラを無事に抜け出すために・・・明日に備える必要があるな。そろそろ寝ようか?」

「・・・ええ、そうね。明日はかなりの距離を歩くのよね・・・おやすみ!」

 一瞬だけ物足りないような仕草を見せたメリーナだが、結局は納得して俺の肩を枕とするとそのまま目を閉じた。その様子を見届けた俺も仮眠に入る。マイゼラの街中は宰相派がミシスを血眼になって追っているだろうから、万が一の場合に備えて熟睡は出来ないが、俺にも最低限の休息は必要だった。


 不測の事態に備えて数時間程度の眠りしか得られなかった俺だが、怪我の痛みもかなり引いており身体の調子は悪くなかった。無事に朝を迎えられたのは何よりの僥倖だ。

 起き出したミシスとメリーナも、朝の挨拶を終えると出発の準備を始める。ミシスは貴族好みの華美で質の良い服から、メリーナが予備としていた平民向けの地味な女物の服に着替える。彼女の体格には随分と大きいが、姉のお下がりを妹が引き継ぐのは良くあることなので姉妹の変装としては丁度良い。髪型もメリーナによって女性らしく切り揃えられて、見た目はまさに可愛らしい少女となった。

 その間に俺も身支度を整えて自分の荷造りに入る。この隠れ家を出たら街の市場で改めて装備を整えるつもりではあるが、メリーナがここにある物は何でも好きにして良いと言ってくれたので、日持ちのする食料や毛布等はもらうことにしたのだ。手に入れられる時は後回しにせず直ぐに確保する。冒険者時代から学んだ鉄則の一つだ。

 最後にメリーナが父宛の手紙を残して俺達は隠れ家を後にする。その際、厩舎の馬にたっぷりの干し草と水桶を用意してやるのを忘れない。モーセルが娘の家出に気付くのが遅れることもありえるからだ。


 朝と呼ぶには少し遅く昼にはまだ早い、そんな時刻を見計らって俺達は街に繰り出した。この時間帯なら通りにも人が溢れだして紛れることが出来る。その後、予定どおりに市場を目指した俺達は旅に必要な装備を、こまめに店を変えて少しずつ買い集める。その都度値切りの交渉を行うので手間が掛かるが、もちろんこれは金を惜しんでのことではない。まとめ買いをして店の人間に俺達のことを印象に残さないためだ。言い値で買うとそれだけで目立ってしまう。

 それぞれが旅に耐えられるブーツやマント等の装備を整えた頃には太陽が真上に来ていたので、俺達は市場の一角にある屋台で腹ごなしをする。おそらくこれがマイゼラ最後の食事となるに違いなかった。

 日陰のベンチに並んで黙々と揚げパンを食べる俺達の姿は、きっと微笑ましい家族の光景に見えたかもしれないが、そんな状況の中でも俺は周囲の警戒を怠らなかった。周囲には同じように軽い昼食目当てに集まった人間達が、それぞれの連れ合いと会話を楽しんでいる。そのような何気ない会話の中に貴重な情報が含まれていることも少なくない。俺は二人にも注意して周りの会話に耳を傾けるように促していた。

 誰かが誰かの女房に手を出した。今年の葡萄の出来はあまり良くないらしい。そんな会話の中に〝モーセル〟という聞き慣れた単語が現れる。俺はその声を意識すると続きを待つ。メリーナに目を向けるとこちらに驚いたような視線を送るので、彼女も気付いたに違いなかった。

「・・・モーセルが捕まったらしいぞ・・・」

「そうらしいな・・・なんでも国王の薬に毒を混ぜたとか・・・」

「あれの娘は薬師らしいからな、やばい薬も調合出来るのだろう・・・」

「ああ、その娘の方にも逮捕状が出ているらしい・・・しかし馬鹿なことをしたものだ。もう少し待てば王様もくたばっちまったのにな!おっと、今のは聞かなかったことにしてくれよ!」

「わかっているさ!ここだけの話だ・・・ははは」

 これで二人の男達の会話は別の話題に移るのだが、この時メリーナが彼らにモーセルのことを詳しく聞こうと取り乱さずに冷静でいたのは褒めるべきだろう。俺は感情を抑えるように茫然とするメリーナの背中を左手で抱き抱き締めると、余った右手で彼女の手をしっかりと握り絞める。反対側に座っていたミシスも俺達の異変に気付いて顔を近づけて来た。

「ミシス、場所を変える。反対側からメ・・・彼女を支えてくれ!」

「うん、わかった!」

 男達の関心を惹かないように俺は移動を試みる。メリーナの姿を見られると面倒なことになりそうだった。

「・・・今の話を確認するために場所を変えるぞ。大丈夫だ、俺がなんとかする!」

 ミシスの力を借りてメリーナを立たせながら、俺は彼女の耳元で励ますように囁く。名の知らぬ男達の会話とは言え事実確認をしなくてはならない。メリーナは血の気を引いた青白い顔で何も言わず頷いた。


 マイゼラ脱出を延期させた俺達は平凡な旅籠屋に身を寄せていた。もう一度、隠れ家に引き返すことも考えたが、モーセル逮捕が事実ならばあの邸宅も安全とは言い切れない。モーセルの部下や使用人の中には存在を知る者もいるだろうし、正規の衛兵による尋問に口を割るのは時間の問題と思われた。

 その後、ミシスとメリーナを客室に残して情報収集に出た俺は昼間に耳にした噂が事実であることを確認し、それ以外にも幾つかの情報を仕入れると夕暮れ頃には二人の下に戻った。

「ありがとうメシス・・・あなたのおかげで落ち着いてきたわ」

 一時は茫然としていたメリーナは会話出来るまで回復していた。ミシスがしっかり彼女の世話をしてくれていたのだ。

「ど、どうだったの?」

「・・・噂は本当だった。モーセル氏は国王の薬に毒を盛った疑いで逮捕され、共犯者としてメリーナにも逮捕状が出ている。・・・もちろんこれは、宰相派の陰謀だろう。俺達の行方を見失った彼らはメリーナ、君がミシスを奪還した俺と何らかの関係があると嗅ぎつけて、父親であるモーセル氏を人質にしたんだ。彼は元々王室派であるし、宰相ならいくらでもでっち上げられるだろう・・・」

「・・・そんな」

 いち早く真実を知りたいと焦るメリーナに俺は成果を聞かせるが、彼女は間違いであって欲しいと願いが崩れ去った衝撃から泣き崩れる。メリーナを少しでも励ますために俺は彼女の身体を労わるように支える。ミシスも反対側から彼女の腰を抱き締めていた。

 数日前には見ず知らずの他人だった俺達がこうして一つの気持ちになれるのは不思議な気分だ。これまで単独行動を好み、意図せずに二人の仲間を持つことになった俺だが、ミシスとメリーナを重荷ではなく、かけがえのない仲間として受け入れるようになっていた。おそらくミシスやメリーナも同じ気持ちに違いなかった。

「・・・メリーナ、ミシスも聞いてくれ。今の状況でのマイゼラ脱出はメリーナの父親を絶望的な立場に追い込むだろう。そのためマイゼラを出るのは延期する」

 俺の言葉にメリーナは顔を上げて微かに顔を綻ばせる。父親の影響から逃れるために家を出る決意した彼女だが、その父親が国王暗殺容疑を掛けられたとあっては、そのまま街を出る事は出来ない。そしてそれを俺達に願うことも心苦しいと思っていたのだ。マイゼラに残ることはミシスに危険が増すことを意味した。

「うん!そうしよう!」

「・・・ごめんね。ありがとう!」

 ミシスの言葉にメリーナは再び涙を浮かべた。

「それで噂を確認した俺はその後、モーセル氏、つまりメリーナの親父さんを助け出すための手立てはないかと様々な伝手を使って情報を集めてみた。これは酒場の聞き込みだけじゃなくて、北地区の下層街で玄人の情報屋から買った情報も含まれている。・・・そしてこれにはある興味深い話があった!」

 泣いていたメリーナだが、俺の言葉に反応して希望を見つけたような視線を送る。無理もないことだが、彼女は様々な感情の渦の中にいた。

「俺達は今までミシスを助け出したことで宰相派に追われていた。つまり、当初から明確な敵であったから相手側の立場を良く理解していなかったし、理解する余裕もなかった。・・・今回のことで俺は彼らと妥協か取引が出来ないかじっくり調べてみて、意外なことがわかった。実は宰相派とは敵対関係にある派閥、いわゆる王室派の貴族が以前から自分の息子と王女との婚姻を進めていたらしい。これは現在、病に伏している国王も乗り気で、力を持ち過ぎた宰相派の勢いを削ぐ意図があったようだ。・・・ここからは俺の予想になるが、これに宰相が反発して病になった国王に高熱に効くトロチの実の供給を遮断し、王女とは別の後継者を確保しようとする動きに繋がったのだと思う。そして宰相派は王族の隠し子を見つけ出そうとした過程でミシスの存在に気付いたのだ。ミシスが祖父の死を届け出たことで、隠していた秘密が漏れたのだろう。俺達と敵の置かれている状況が理解出来たか?」

 俺は説明を一旦切って二人の反応を見る。メリーナはともかくミシスが付いて来られるのか不安だった。

「ええ、大丈夫。王室派が宰相を追いこんで先鋭化させてしまったのね」

「・・・ええっと、おいらを無理やり閉じ込めていたやつらは・・・別のやつらに売られた喧嘩を買って、それにおいらは巻き込まれたってことだよね?」

「そうだ、二人とも上出来だ。だが、敵の立場がわかったなら次に行くぞ!聞いてくれ、これからが本題だ!」

「え、ええ」

「う、うん!」

 俺の心配をよそにミシスは彼女なりの語彙で状況を理解していた。やはりミシスは賢い少女だ。

「つまり、宰相にとってミシスは防衛手段であって、絶対的な目的ではないんだ。彼らは王室派との派閥争いに勝利するのが最終目的だ。そもそも王女は宰相の姪の娘でもあるのだから、王女の廃嫡は本意ではないはずだ。そこに俺達が取引する余地と妥協点がある。宰相は敵対する貴族ではなく自分の勢力の中から王女の婿をあてがって影響力を保とうと計画していたらしい。その動きが出て来たのは春頃からだ。・・・ミシス、お前が捕えられた頃だな。王女の婿として他の貴族が文句を付けることが出来ないような家柄で傀儡にも出来る立場の男子・・・お前の存在は丁度良くはないか?」

「そんなミシスは女の子よ!」

「それを知っているのは俺達とミシスの祖父だけだ。おそらく彼はミシスの優れた才能を隠すために男の子として育てたのだと思う。高い教育を施すなら女の子では目立ち過ぎるからな。だが、今回はそれが裏目に出てしまった。バーニス皇家の血を引く少年は王女の婿に最適だったのだ。だが、メリーナの指摘どおりミシスは女の子だ。この事実は宰相派に計画変更を余儀なくさせる事実だと思う。だから、俺はこれから宰相に会って真相を伝えると共に、モーセル氏の釈放も合わせて交渉するつもりだ!」

「そ、それは・・・いえ、危険よ!捕まったらあなたが拷問を受けるかもしれないわ!」

 おそらくメリーナの胸中では父親を助けたいという想いと俺の存在が天秤に掛けられていたのだろう。迷いを滲ませていたが、結局は俺を選んでくれたのか悲鳴に近い声で反対を訴えた。

「そうだよ!兄さん!どんなことをされるかわからないよ!」

 メリーナの態度にミシスも危機感を持って反対の声を上げる。昔の俺は他人に煩わされることを嫌っていた。それは他人の運命に巻き込まれるのが嫌だったからだが、今の俺には自分の身を心配してくれる者がいる。それがどれだけ贅沢な幸せなことであるかを俺は・・・知ることになった。

 おそらく。俺の人生はどこかで大きく変わったに違いなかった。そして転機と言えば、やはりドラゴンの従者となったことだろう。俺は〝あの女〟に聞かせる逸話を集めるために積極的に他者と接触を試みるようになったのだ。

「危険なのは間違いないが、さっきの説明したとおりミシスが少女であると知れば宰相派にとって計画変更は必須で、ミシスの価値は極端に低くなる。割に合わなければミシスの存在は逆に重荷だ、そしてモーセル氏が人質として価値がなくなれば拘束する必要もない。・・・それに俺には切り札がある。必ず戻ってくるから俺を信じてくれ!」

「でも・・・」

「・・・」

「いずれにしても宰相派とは決着を付けないと、モーセル氏は破滅し俺達も彼らにいつまでも狙われる可能性がある。マイゼラを出るには、やり遂げなくてはならない試練なんだ!」

「勝算はあるのね?」

「ああ、宰相がよほどの馬鹿ではない限り取引が成立するはずだ!」

「・・・宰相は切れ者で知られているわ。ええ・・・あなたを信じる!お願い、父さんを助けて!そして帰ってきて!」

 メリーナは俺の言葉を信じた。やはり彼女は大胆な決断力を持っている。俺はもう一人の仲間の答えを待った。

「・・・おいら・・・おいら達を海に連れてってくれるよね?」

「ああ、約束したろ!必ず連れて行く!」

「うん!」

 ミシスも笑顔で俺の決断を受け入れてくれた。


 4

 その日の夜、俺はミシス達を宿に残して一人、バーレガル王国の宰相であるゼルラントの屋敷に出向いた。事前に彼が王城から戻っていることは確認しており、在宅であるのは間違いない。

 もちろん王国の有数の貴族であるゼルラントの屋敷は街の中心地域にある。有力者の屋敷が立ち並ぶこの区域は衛兵達によって夜間の巡回が頻繁にあるため、俺は夜の闇に紛れながら慎重に目的地を目指した。不審者として衛兵に捕まってしまっては目も当てられない。勝負はもう始まっているのだ。

 そのようにして夜の暗闇の中から忽然と現れた俺をゼルラントの門番達は驚き慌てて警戒するが、モーセルの娘の居場所を知っていると訴えると、態度を急変させて伝令役が屋敷に向かう。上役の者を呼びつけたに違いなかった。

「・・・お前か!」

 しばらく屋敷の護衛達に囲まれるように待機していた俺の耳に男の声が届く。屋敷から呼び出された男から発せられたものだが、その声で俺にも相手の正体がわかった。これまで何回かやりあった、あのフードの男だ。門番達の態度からすると彼は宰相の側近だろう。因縁のある男だが俺として好都合だった。

「取引がしたい。ゼルラント卿に会わせてくれ!」

「・・・降伏の間違いではないのか?あの少年はどこだ?!」

「それも含めて、ゼルラント卿に直接話す!」

「馬鹿な!お前のような者を閣下に会わせられるか!少年を引き渡せば、命だけは助けてやる。観念したのなら早く教えろ!」

 敵意に満ちた声で男は恫喝するが、彼の立場からすれば当然の反応だろう。俺も簡単にことが運ぶとは思っていない。

「これをゼルラント卿に見せてくれ。そうすれば、彼は俺に会うと言うだろう!」

「こ、これは・・・」

 俺が差し出したメイズル家の指輪を見た男は上擦った声を出す。ミシスの正体を突き止めた宰相派である。メイズル家の紋章にも気付くに違いなかった。少なくともミスリル銀で作られた宝物であることは理解出来るだろう。よほどの愚か者でなければゼルラントに報告すべき案件と判断するに違いない。もっとも、俺にとってこれは賭けだった。指輪を奪われて、そのまま牢に入れられる可能性もある。俺は男の出方を高鳴る心臓の鼓動とともに待った。

「・・・待っていろ!閣下に確認してくる!」

 男はそう呟くと早足で屋敷に踵を返す。最初の試練を乗り越えたのだった。


「・・・取引がしたいとか?」

 指輪の吟味を終えた男はそれを俺側のテーブルの上に置くと、悠然とした態度で話を切り出した。髪には白い物が目立ち、顔にも多くの皺が浮き出ていたが、面構えには経験に支えられた余裕と自分に対する自信が見て取れる。壮年を過ぎて初老の域になりつつあるこの男こそが宰相のゼルラントだった。

 彼との会見はあの後、時間を置かずに認められた。書斎と思われる部屋に案内され、こうして対面を果たした。もちろん、執拗な身体検査をされて武器を隠し持っていないことを確認した後でのことだ、それにフードの男も宰相の後ろに影のように控えている。出来れば、ゼルラントとは〝差し〟で話し合いたかったが、さすがにそれは過ぎた要求だろう。俺はこの条件を飲んだのだ。

「そうです。単刀直入に告げましょう。俺の望みはミシスとモーセル氏の解放です。ええ、わかっています。バーニス皇家の縁者と思われるミシスはあなたにとっては利用価値があるのでしょう。・・・特に王女の婿としてね。ですが、その計画には最大の破綻があります」

「・・・ほう、面白い推測だ。・・・仮に君の推測が正しいとしてその破綻とは何かな?」

 一気に核心に迫る指摘にゼルラントは僅かに表情を崩すが、曖昧な受け答えに留めて手の内は見せようとしなかった。

「ミシスは女の子です。ですから王女の婿には出来ません!」

「・・・つまらない出まかせではないのか?」

「信頼できる女性を使って調べてもらえれば直ぐに判明する事実です。もっともそれに至るには、こちらの条件を飲んでもらうことになりますが」

 ゼルラントのいかにも政治家的な煮え切らない態度に対して、俺はあくまでも正攻法で交渉を試みる。下手をすればこちらが不利になるが、今回の状況に限っては相手をこちらの主張に巻き込む自信があった。何しろ俺は毎週、人智を越えた存在であるドラゴンを宥めすかしている。命を賭けた言葉のやり取りは何度も経験済みだ。

「彼らの解放は君に何を齎すのだね?」

「この指輪が証明するとおり俺はかつての帝国貴族メイズル家の末裔です。メイズル家にはバーニス皇家を守る宿命が課せられています。ミシスは、いえバーニス皇家の生き残りはもう表舞台に立つことを望んでいません。彼女は歴史的には名もない人間として人生を送りたいと願っています。俺はそれを叶えるつもりです。そしてモーセル氏ついては・・・協力者である彼の娘に対する義理です。大きな目的に小さな目的が加わるのはよくあることでしょう」

 さすがに俺も馬鹿正直ではないので全てを教えるつもりはなかった、ミシスと出会ったのは運命ともいえる偶然だが、以前から彼女を一族の宿命として見守っていたように誤解させ、メリーナとの関係には言及しない。

「なるほど・・・だが取引というからには私側にも何か利点があるのだろうね?」

「ええ、もちろん。まずミシスが女性であることを既にお知らせしました。これはあなたの計画にとってかなり重要な情報だったはずです。何しろ女性同士で婚姻を結ぶわけにはいかないですからね。別の手立てを講じる必要がありますが、それには早いほど傷が浅くなる。俺はこの時点でかなりの恩恵をあなたに授けたと思っています。・・・出し惜しみしなかったのは、あなたを取引が出来る相手と見込んだからです」

「ふふ。買いかぶってくれたようだが、それは一方的に君が伝えたに過ぎないし、事実である保障もない。また、王女の婚姻についてはまだ何も決まっていない・・・」

 口ではそう言いながらゼルラントは微かに笑みを浮かべる。褒め言葉とは彼のような者でも悪い気はしないのだろう。

「そうかもしれません・・・ですが、俺が提供するのはそれだけではありません。利用価値がなくなったミシスは俺が引き取って王室派の手が届かない所に連れて行きます、また王室派であるモーセル氏は娘から説得させて宰相派、あなた側に付くように促すことも出来ます。今回、王室派が彼を助けなかったことで本人も思うところがあるでしょうから、あなたが受け入れを認めれば彼も従うでしょう。それに俺の要求を飲んで頂けるなら・・・この指輪を差し上げます!あなたならそれを有効に使う方法を思いつけるでしょう」

「ほう・・・この指輪を・・・」

 ゼルラントは俺の提案を聞き終えると、俺の顔と指輪を見比べる。かつての帝国貴族であるメイズル家は表向きには滅んだとはいえ、家格ではバーレガル王国のどの貴族よりも上だ。その末裔を証明する指輪の価値は決して小さくない。彼はその利用法を考えているに違いなかった。俺にとっては一族を証明する家宝でもあるが、もう失って困るような代物ではなかった。俺は一族の宿命ではなく俺の意志で仲間を助けたいのだ。

「君は現在・・・私の手の内にあると言える。この指輪を奪い、君の口からあの少年もしくは少女か・・・の居場所を割らせることも出来る。その可能性を考慮していないのかね?」

「ええ、もちろんその危険性は承知の上です。ですが、俺はあなたを訪ねる前にあなたについて徹底的に調べました。あなたは確かに王室との関係を深くして勢力を拡大させましたが、それはただ私腹を肥やすためではなかった。もちろん、あなたも清廉潔白な聖人ではないから、あなたとあなたの近い人間は多少の財を増やしたようですが、あなたはこの国のために南部の主街道の再整備等の公共事業に尽力されていた。・・・このような一般的には評価されない地味な仕事をやり遂げる人間が、好んで卑劣なことをするとは思えなかった。そう判断したのです。それに・・・俺にはまだ切り札があります!」

「・・・君は興味深い男だな。度胸もあるし・・・本質を見抜く目も持っている。そして、人の自尊心を擽るのも上手い。・・・私の品性に期待するなら、まずは少年の性別を確認させてくれるかな?」

「ミシスが少女と判明したら、自由にすると約束してくれますか?それとモーセル氏も」

「・・・わかった約束しよう!」

 ゼルラントは遂に俺との取引に応じた。切り札についてはブラフだが、俺の消息が途絶えればドラゴンが何かしら動き出すはずなので満更嘘ではない。もっとも、その時にはマイゼラそのものが消え失せている可能性があるので、〝切り札〟というよりは災厄の〝きっかけ〟だろう。

 

 その後、俺とゼルラントは取引内容の細かい調整に入る。明日の朝にはミシスをこの屋敷に連れて来て、彼女はゼルラントの妻とその侍女達によって少女である確認を行われることになった。そしてミシスが少女であることが確定した場合、約束が履行され宰相派は彼女から一切の手を引くことなる。もっとも、その代わりにミシスと俺にはマイゼラからの永久追放が課せられるのだが、当初から街を出るつもりでいた俺達にとっては大きな不都合ではなかった。宰相派としては俺達が王室派との結託を阻止するための予防策なのだろう。

 モーセルについてはメリーナとも合わせて容疑が取り消され、釈放が約束された。宰相派へ参加はモーセル自身の意志に任せることなる。宰相からすればミシスを手放すことに比べれば小事に過ぎないのだろう。

 いすれにしても宰相との約束を交わした俺は〝手付〟として指輪を差し出すとミシス達の待つ宿屋に戻り、結果を説明する。下手をすれば再びミシスの自由が奪われる危険な賭けではあったが、ミシスとメリーナは俺を信じて従ってくれた。

 翌日の朝には護衛としてあのフード男を始めとする宰相の部下達が迎えに現れる。おそらくは昨日の夜から宿を見張っていたと思われるが、この事実によって宰相が本気で俺との約束を履行する気があると判明したと言っていいだろう。俺達はこれまでの敵に守られて宰相の屋敷に彼の所有する馬車で向った。


「・・・事実だったようだ」

 品の良い家具で飾られた居間に侍女を連れた年配の貴婦人が現れると、上座に座っていたゼルラントへ耳打ちをする。おそらくはこの女性が宰相の妻なのだろう。それを受けて彼はしばらく考え込むが、遂に俺に向かって言葉を紡ぎだした。

「それでは約束を守って頂けますね?」

「むろんだ。君達は自由だが、こちらの条件のとおり、今から三日以内にこの街を離れてもらいたい」

「ええ。もちろんそのつもりです」

 三日と言わず、直ぐにでも街を出るつもりだったが俺は恭しくお辞儀をした。

「ではこれで取引は終了だ・・・君と会うのはこれで最後だが、私の仕事を正当に評価し理解してくれる者がいたことは嬉しいことだった」

 ゼルラントは最後にそう告げると妻達を連れて部屋を出て行った。

「兄さん!」

 複雑な思いでゼルラントが出て行った扉を見つめていた俺の耳にミシスの声が届く。別の扉から彼女がメリーナとともに居間に現れていた。今ミシスが着ているのは貴族の向けのドレスだ。彼女は宰相の妻から検分を受ける際に風呂に入れられ、着替えを求められたのだが、どうやら宰相の妻は着ている服を返せとは言わなかったらしい。

「大丈夫だったか?」

「うん!」

 俺に抱き付くミシスに今更な言葉を掛ける。咄嗟にはこれくらしか浮かばなかったのだ。

「これで、もうミシスも父さんも大丈夫なのね!」

「ああ、そうだ!」

 ミシスに付き添っていたメリーナはそれまで緊張が解けたように笑顔を浮かべる。

「これからの予定だが・・・一度、君の親父さんの家に戻って無事を確認しよう。その後、ミシスをもっと動きやすい服に着替えさせてから街を出る。もし・・・君が父を残して置けないといいうのなら、街に残っても構わない・・・」

「本当にありがとう・・・でも、大丈夫よ!父の姿を見ても絶対に決心は変わらないわ!むしろ私を置いて行く口実にするのではないでしょうね?!許さないわよ!」

「そんなわけないだろう!」

 俺の言葉にメリーナはミシスとは反対側から抱き着いてくる。俺は二人を支えるために踏ん張れねばならなかった。

「・・・んん、邪魔する気はないが、私がいることを伝えておくぞ。お前達が街を出るまで見張る約束だからな」

 部屋の隅にいたフードの男が咳払いとともに警告のように伝える。彼からすれば居心地の悪い場面を見せつけられている気分なのだろう。

「それは承知しているし、もうお暇させてもらうさ!」

「それでは馬車を用意しよう。閣下は寛大なお方だからな」

 男は芝居じみた態度で返答するが、馬車を用意してくれるのならばそれに越したことない。俺達は素直に従った。

 

 ゼルラントはやるとなったら一気に行動する男なのだろう、俺達がメリーナの実家でもあるモーセルの邸宅に戻ってミシスを着替えさせた頃には、迎えに行った使用人に連れられてモーセルが帰って来た。これで宰相側は約束を完全に履行したわけだった。

 事件のあらましはメリーナから父親に伝えてもらうことにして、俺とミシスはその間に旅支度を整える。大方は昨日の内に済ませていたが、宰相と話を付けたことで街を離れる障害はなくなり、隠れ家に残していたメリーナの荷馬車を用意する。これでミシスとメリーナへの負担がかなり軽減させるだろう。

「今の内に行きましょう!」

「大丈夫なのか?」

 背負い袋を担いだメリーナが控えていた厩舎に現れると慌てた調子で俺とミシスに告げた。

「ええ、事情は話したから、父がどちらの派閥に付くかはもう父次第。私の憂いはないわ!行きましょう!」

「・・・わかった。こっちも準備は出来ている。行こう!ミシスも乗れ!・・・あと、あんたもな!街を出るまでは離れないのだろう!」

「・・・そういうことだ」

 俺は仲間と宰相のお目付け役が荷馬車に乗ったのを確認すると馬に鞭を当てた。邪魔者がいるが、城門を越えるまでの辛抱だった。

「・・・ここで降ろしてくれ」

 昼過ぎには南門を越えてマイゼラを出た俺達に男が告げる。宰相との約束で俺とミシスはもうこの街に戻って来ることは出来ない。南の港街ラグリドへの期待はあったが、やはり感慨深いものがあった。

 そんな思いを抱きながらも俺は男の要求のために荷馬車を止める。ミシスを攫った実行犯で何回か命のやり取りをした間柄だが、さすがに動いている荷馬車から飛び降りろと言うほど俺も意地は悪くない。彼は自分の主人である宰相の命令を実行していたに過ぎない。その宰相との手打ちが済んだことで俺達には争う意味はなくなっていた。

「街を出たのを確かに見届けた。もしマイゼラに戻ることがあれば、閣下はお前達を許さないだろう」

「もちろんそれは承知している」

 今更だが、男の警告に俺は頷く。

「うむ。では、これはお前達が約束通り街に出たら渡せと閣下が私に託した物だ」

 男は俺にメイズル家の指輪を差し出した。

「な、これは・・・取引にしたはず・・・」

「閣下は、この指輪はメイズル家の末裔が持ってこそ価値があると判断されたのだろう」

「・・・そういうことなら頂こう」

 俺は男の手から自分の物だった指輪を改めて受け取った。

「閣下に気に入られるとは大した奴だよ。お前は!」

「・・・」

 俺と男はほぼ同時に手を差し出すと堅い握手を交わした。それを最後に男は背を向けて城門に向かって帰って行き。俺もミシスとメリーナが待つ荷馬車に戻り再び馬に鞭を当てる。

「・・・あの人は敵だったのよね?」

「ああ、敵だった」

「なら、どうして最後はあんなに仲良くなっていたの?」

「もう敵ではなくなったからだ。それにあいつは強かった!」

「・・・二つ目は説明になってないわ・・・ミシスあなたもそう思うわよね?」

「うん・・・ちょっとわからないかも・・・」

 荷馬車からやり取りを見ていたメリーナがミシスを交えて俺に疑問をぶつけてくる。

「じゃあ、二人とも、俺という人間をこれからもっと理解してくれ!これから三人で一緒に旅を続けるんだからな。時間はたっぷりあるさ!」

「・・・ふふ、そうね。そうするわ!あなたといると飽きることはないわね!」

「うん、おいらも兄さんのことをもっと知りたいよ!それにおいらに短剣の使い方も教えてくれるって約束もしてくれたよね!」

「ああ、そうだ!あれはお前に貸しておこう。・・・ほら、こうやってベルトに鞘を固定して、上着で隠すといいだろう。まずは感触に慣れるんだ。使い方はこれからじっくり教えてやるから人前では抜くなよな」

 俺はメリーナに御者役を代わってもらうと、家宝の短剣をミシスに返して装備として身に付けさせてやる。何かの骨で出来たこの短剣は軽量でもあるのでミシスが扱うには最適と言えた。やはりこういった物は本人が持つべきだと俺も思い直したのだ。

「ありがとう。兄さん!」

「ああ!じゃあ、改めて出発だ!」

「ええ!」

「おお!」

 こうして俺の二度目の故郷との別れが始まった。四年前は一人で逃げるように後にした王都マイゼラだったが、今の俺には二人の仲間がいた。

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