第6話 王都の変 中編

 1

「なんだって・・・」

 俺の声が神殿の内部に溶けるように消えていった。これまで意識していなかったが、この広大な宝物庫のような場所ではしっかり腹から出さないと声は直ぐに静寂に飲まれてしまう。

「そんなに驚くなんて、この子が男でがっかりのようね!でも可愛らしい子じゃない。好みの性別ではないからと言って邪険することはないわ!」

 俺の驚きをドラゴンは微笑で受け止める。未だに勘違いを訂正する気はないようだが、俺は括目して彼女の膝に乗るミシスの顔を眺めていた。指摘されたように確かにミシスは可愛らしかった。栗色の髪は捕らわれの身であったためか、肩に届くほど無造作に伸ばされたままだが、逆にその素朴さが整った顔立ちを惹き立てている。何しろ、完璧とも言える美女の近くに居ながら存在感を保っていられるのだ。これだけでミシスの器量の良さが並の水準を越えていることが知れるだろう。

 こんな美少女を男と間違えたとあっては恥ずかしいとも言えるが、声変わり前の少年の中には中性的な魅力を持つ者も少ないし、元より俺がミシスと出会ったのは数時間前のことだ。俺はこの少年・・・いや、少女に対して何も知らないのと同然だったのだ。

「・・・邪険するわけではありません。その・・・性別は特に気にしていなかったので・・・」

「・・・ふうん、可愛らしい子だから見境なく弟子・・・配下に加えたってこと?・・・あなた、まさかこの子に無理強いをさせているわけではないでしょうね?私はそういうことは許さないって伝えていたわよね!」

 ドラゴンは俺の曖昧な返事に怒気を含ませながら問い質してくる。完全な誤解だが、ミシスのような子供をその詳しい身の上を知ることなく配下に加えたとならば、疑われても仕方なかった。彼女は変なところで人間に近い道徳観を持っているのだ。

「あ、あの・・・違います。お、お兄さんはおいらを助けてくれたんです。おいら・・・悪い奴らに捕まってたんだけど、そのお兄さんが閉じ込められていた部屋から出してくれたんです!」

「・・・なんだ、そういうことなら。・・・最初からそう言いなさい。つまりあなたはその恩に応えるために彼の配下になったのね?」

「・・・そ、そうなんです。綺麗なお姉さん!」

 それまで怯えてように縮こまっていたミシスが、ドラゴンへ事実を伝える。更に空気を読んだのか、弟子についても話を合わせてくれた。この試みは彼女にとってかなり勇気のいる行動だったと思うが、ドラゴンはそれを聞いた途端に態度を軟化させる。ひょっとしたら『綺麗なお姉さん』が効いたのかもしれない。ミシスは俺が思っていたよりも頭が切れるようだ。

 その後俺は、機嫌を取り戻した古龍の化身にミシスを俺の弟子として認めてもらい、彼女は〝転移の鏡〟を使用する許可も含めて〝イーシャベルクオール〟の正式な従者となった。事前の承諾もなくミシスを俺と同じ運命に引き込んでしまったが、あの状況ではそれ以外に方法がなく。やむを得ないことだった。

 だが、このような事態を招いた元凶でもある俺とミシスを襲った連中については言及することなく隠し通した。彼女の自分の財産に対する執着からすると、従者である俺達に危害を加えた彼らに対して何かしらの報復を取る可能性があったからだ。正直に言えばドラゴンに頼りたい気持ちもあったが、俺はその期待を跳ねのける。何しろ彼女の力は強大過ぎる。人間世界への介入は極力避けるべきなのだ。

「ミシス、いつでも顔を見せに来なさいね!あなたならいつでも歓迎してあげるわよ!」

「はい、ありがとうございますイーシャ様!」

 紹介を終えてドラゴンの下を去る前に、ミシスは彼女から朗らかな声を掛けられる。当初は苦渋の選択として逃げて来たわけだが、結果的にはミシスはドラゴンのお気に入りとなっていた。何しろ従者となった褒美として、イーシャと愛称で呼ぶ権利も得ている。これは子供ならではの順応力だろう。

「それでは、失礼いたします。今回は唐突にご主人様のお邪魔をして申し訳ありませんでした」

「・・・そうね、私の眠りを予定外のことで覚ましたのは褒めることではないけど・・・ミシスみたいな可愛い子を直ぐに私に紹介したのは良い判断だったわ。・・・次の日を持っているわね!」 

 俺は主人への挨拶を終えると、マイゼラに戻る決断を下した。ドラゴンの塒は人里離れた森林地帯の奥に存在している。具体的にはバーレガル王国の東に存在するリデミア大公国の更に北に位置する。ここから人間の文明圏を目指すには充分な食料と装備がないと不可能だ。それにマイゼラに残している鏡の回収もあるので、危険を承知でも戻らねばならない。もっとも、俺の目論見が上手くいっていれば、時間的に倉庫を調べに来た敵をやり過ごしていると思われた。

「ミシス、マイゼラに戻るぞ・・・俺が先に向かう。戻ってこなかったらお前も来い!」」

 俺は真の姿を取り戻したドラゴンの寝姿に驚いているミシスへ覚悟を促す。

「うん・・・いえ、はい!」

 ミシスの返事を聞いた俺は〝転移の鏡〟を起動させた。


 鏡から出た俺はそのまま一気に木箱から抜け出すと周囲の警戒に入る。おそらくは期待どおりに敵を上手くやり過ごしたのだろう、倉庫には動く者の気配は感じられなかった。

「・・・うぐ!」

 しばらくして鏡から淡い光が溢れミシスが現れるが、変な体勢で出たのか木箱に引っ掛かるようにお尻を挟んでいる。俺は苦笑を浮かべつつ、押し殺したような悲鳴を上げる彼女を助け起こした。

「す、すいません・・・」

「いや、気にしなくて良い。そりよりミシス、さっきのことはしっかりと覚えているか?」

 鏡を再び服の下に隠して一先ずの安全を確認した俺は、改めてミシスに問い掛ける。彼女が少女だった事実は俺にとっても衝撃的だったが、今はそれを忘れて一人の人格として扱う。

「は、はい・・・」

「そう、あれは現実だ!改めて説明するが俺はあのドラゴンに仕えている従者だったのだ。そして、敵から逃れるためにあのドラゴンの塒の逃げ込んだことで、お前もあのドラゴンの従者、いわゆる子分にしてしまった。あの時にはあれしか方法がなかったと納得してくれるな?」

「それは・・・おいらにもわかります。でも・・・子分になるとどうなるの・・・ですか?」

「週に一度、金の日にあのドラゴンが気に入るような話を聞かせなくてはならない!」

「え、それだけ?」

「それだけって言うがな・・・」

 俺の言葉を怯えながら聞いていたミシスだったが、契約の条件に至ると面白い冗談でも聞いたように笑顔を浮かべる。彼女からすれば取るに足らない条件に思えたのだろう。

「まあ・・・この仕事の苦労は後でしっかり教えてやろう。いずれにしてもミシス・・・お前もドラゴンと契約を交わしたことで、もう家に返すことは出来なくなった。これからは本当に俺の弟分として一緒に行動してもらうぞ!」

「それなら大丈夫・・・です。爺ちゃんが死んじまって、おいらの家にはもう誰もいないから・・・」

「そうか・・・」

 一度は笑顔を取り戻したミシスだったが、祖父の死の悲しみを思い出したのか、涙を浮かべて俯いてしまう。彼女は唯一と思われる肉親の死の悲しみが癒える暇もなく、囚われの身となったのだ。よくぞ、この小さな身体で今まで耐えていたものだ。

「とりあえず・・・夜が明ける前にここを抜け出して、装備を整えた後に街を出る。ミシスや俺を襲った奴らの正体は不明だが、まともに相手にすることはないからな。南の港町であるラグリドを目指すぞ!ミシス、海は見たことあるか?!」

「・・・ううん、ないよ・・・ないです」

「どこまで塩水が広がっているんだ!見たら驚くぞ!それにラグリドじゃ新鮮な魚がいくらでも食えるしな!」

「いくらでも?!」

「ああ、大の男の背丈よりも大きい魚がわんさか獲れるって話だからな!」

 気を紛らわせようとした俺の言葉にミシスは食いついてくる。どうやらミシスは食欲に愛着があるようだ。

「・・・でも・・・」

「故郷を去るのが寂しいのはわかる・・・俺も昨日マイゼラに帰って来たばかりなのに、また逃げるように出なきゃならないほどだ。・・・だが、今はこの街から逃げるのが最善なんだ!」

「いえ、違うんです。街を出るのは良い・・・んですが、その前に爺ちゃんの形見を取りに行きたいんです。爺ちゃんにこれは一族の宝だから死ぬまで持っていろと言われた物なんです!家の屋根裏にずっと隠していたからまだあるはずで・・・」

 ミシスの訴えに俺は自分の首から下げるメイズル家の指輪のことを思い出した。どうやら、一族で何かを引き継ぐのは珍しいことではないらしい。ミシスの家系に何が残されているかは知る由もないが、ここで無理に諦めさせては彼女の一生の後悔になるだろう。

「わかった・・・、何とか回収する時間を作る。まずは、明るくなる前にここから出るぞ。コソ泥と間違われるからな!」

「はい!」

 俺はミシスから返事を得ると倉庫の出口へと急いだ。東の空が白み始めている。もうすぐ街が眠りから覚めるだろう。


 2

 倉庫を抜け出した俺達は、やむを得ず下層街でも特にいかがわしい通りを目指し〝連れ込み宿〟と呼ばれる男女の逢引に使われる宿に身を寄せることにする。まともな宿では追手の監視があると想定したからだが、こんな宿でも最低限の寝台は備わっている。これまでのミシスの境遇と年齢を考えると彼女には休息が必要だと思われた。

 ミシスは男装しているので一見すれば男と少年の二人連れではあるが、店を仕切ると思われる老婆は俺達を見ても何も言わず、代金の引き換えに部屋の鍵を差し出す。おそらくこの辺りではそっちの趣味の客も特に珍しくないのだろう。

 ここでミシスに仮眠をとらせると、俺はこれからの具体的な方針を定めた。とりあえずミシスには俺の弟として、このまま少年として過ごしてもらうことにする。これまで男子として育てられていた彼女である。直ぐには少女らしい言葉使いや態度は出来ないであろうし、これから港町のラグリドを目指して旅を行うつもりだ。行商人に限らず旅人は何かと立場の弱い存在である。厄介ごとを避けるためには美少女の妹よりも、美少年の弟の方が都合良いのだ。

「ミシス、これらがお前の新しい衣類と荷物を入れる背負い袋だ」

「これを、おいらが貰っていいの・・・ですか?」

「ああ、構わない。俺はあのド・・・主人からそれなりに金を貰っているし、それにこれは旅の準備に必要な出費だ。気にしなくていい。それと、世間的にはミシスは俺の弟とするから、慣れない敬語はもう使わなくていいぞ。お前もその方が良いだろう?俺のことは兄さんか兄貴と呼べ!」

「あ、ありがと・・・に、兄さん!」

 ミシスが仮眠している間に揃えた真新しい装備に、彼女は満面の笑みを上げて喜ぶ。下層街で手早く買った代物だけに品質的に優れているわけではないが、子供らしい素直な反応は俺としても気持ちが良かった。もっとも、囚われの立場にあったミシスだが、身に纏っているのはわりと清潔な衣服である。話によれば週に一度は着替えと身体を洗う桶を与えられていたようであるし、敵はミシスの健康に最低限の配慮はしていたようだ。

 それが呼び水となったように、俺は襲撃者に関する考えを再び頭に浮かべる。これまでの事実から、俺は敵の正体を国王死後の摂政の座を狙う貴族の一派だと睨んでいた。俺が狙われた理由はトロチの実が関係するに違いないからだ。俺がもっと多くのトロチの実を確保していると思ったか、あるいは売りに行ったモーセルの店がその一派と対立関係にあり、協力者として疑われたのかもしれない。だが、その一派とミシスとの関係は理解出来なかった。まさか、ミシスが美少女もしくは美少年だからといって誘拐されたとも思えない。それなりに大事されていたこともあり、何か表に出ていない事実が隠されているはずだが、それは現時点では謎だった。

「ミシス・・・しつこいようだが、お前が攫われた理由は何か思いつかないのか?」

「・・・うん、やっぱりわからないや。・・・ひょっとしたら爺ちゃんの宝を狙っていたのかも・・・でも、あれを寄越せと言われたことはなかったかな・・・」

「なるほど・・・やはり、手掛かりがあるとすれば、ミシスの家に残された家宝か・・・」

 ミシスの答えに俺は頷いた。王国上層の争いにこれ以上関わる気もないし、直ぐにでも街を出るつもりだったが、ミシスの家宝はやはり手に入れるべきだと結論を下す。彼女の願いでもあったが、万が一に備えて取引の材料として使えるかもしれないからだ。切り札は確保すべきだった。

「それを食べ終えたら、家宝とやらを回収しに行くぞ。その後は街を出る!」

「う、うん!!」

 俺は今後の予定を告げながらミシスにパンとチーズを手渡すと、すかさず自分の分に齧りついた。身長のわりに痩せた肉付きの彼女にはもっと上手い食べ物を食べさせてやりたいが、今は軽めに抑えた方が良いだろう。食事を堪能するのは無事にマイゼラを脱出してからだ。そんな簡単で最低限の食事ではあるがミシスは受け取ったパンを嬉しそうに頬張り始める。彼女の様子を眺めながら俺は心の中で思いを馳せた。

 結果的に見れば足手纏いを背負いこんでしまったわけだが、これは運命と思って受け入れるしかないだろう。しがらみを捨ててマイゼラを旅立った俺が、故郷に帰った途端に新たなしがらみを課せられたのは皮肉ではあるが、これは俺が選んだ結果だ。・・・少なくても生きるべき理由が一つ増えた。これは悪いことではないだろう。


 準備を整えた俺達は、昼前に潜んでいた宿と下層街を出る。彼女にはフード付きのマントを着させて、俺も同じような姿となる。襲撃者達がどこかで俺達を探しているに違いないからだが、季節は日差しの強い真夏ということもあり、通りには似たような恰好の者達で溢れている。よほどのことがない限り発覚することはないだろう。

 その格好で俺達はミシスの生家がある西地区に向かう。彼女の家は当然ながら王城のある中心地からは離れているが、平民が暮らす地区としてはやや上位にあたる立地にあった。何でもミシスの祖父は両親を揃って流行病で亡くした幼いミシスを引き取ってからは、一度引退した代書屋を再開させて、それを生業として彼女を養っていたそうだ。

 この代書屋とは読み書き出来ない依頼人の代わりに手紙や書類等を書く商売のことで、マイゼラのような大都市では需要のある仕事だ。そのため、ミシスも一通りの読み書きを祖父から習っているとのことだった。それでいてあの田舎臭い喋り方なのかと思えるが、この事実を指摘したところ、祖父から男装と同時にわざと素朴な言葉使いをするように言い付けられていたらしい。どうやら、彼女の祖父はミシスが女性であることばかりでなく、頭の良さも隠そうとしたようだ。もちろんこれは、ミシスを守るためだろう。祖父は世間の目から彼女を遠ざけようとしたのだ。確かに読み書きの出来る聡明な美少女となれば、いやでも目立つに違いない。

 これらの事実によりミシスの家系には謎が積もるばかりだが、俺にとってはミシスの生家の場所そのものも驚きだった。何しろ俺が生れ育った家にわりと近いのだ。同じ街に住んでいたのだから、このような偶然もありえるわけだが、俺とミシスの年齢差は十歳程度と思われるので、かつて街のどこかですれ違っていた可能性もある。人生とは奇妙な因縁で彩られていると思うしかなかった。

「あそこだよ・・・」

 横を歩むミシスが俺に知らせる。彼女が示したのは小さいながらも庭を持った家だった。残念なことにその庭は今では雑草が生え放題になっていたが、それでも以前はちょっとした花壇があったことが窺える。ミシスは誘拐されるまで祖父と慎ましいながら充実した日々を送っていたに違いなかった。

「一応、一回りして辺りを確認しよう・・・」

「・・・わかった!」

 玄関に向かおうとするミシスを一旦制すると、俺は彼女に告げる。ミシスにとっては自分の家であるが、ここは彼女が襲撃者達に連れ去れた場所だ。つまり既に敵に知られている場所でもある。慎重に行動する必要性があった。そしてミシスも俺の意図に気付いたのだろう。納得して頷いた。

「よし、裏庭から入るぞ。その方が目立たないからな・・・」

 一通り周囲の警戒を終え、安全を確認した俺はミシスに告げる。この頃になるとミシスは素直にただ頷くだけだ。俺は素直な助手になりつつある彼女を連れて行動を開始した。

 まずは俺が先に木製の塀を超えて裏庭に侵入し、安全を確保した後にミシスを助けて中に引き入れる。そして彼女の案内で家の勝手口へと進む。現在、ミシスの家を誰が管理しているのかは不明だが、勝手口には鍵が掛けられていたので、俺は彼女の前で錠前破りの腕を披露することになる。おそらくミシスは自分の家に忍び込む不条理さを感じているに違いなかった。

「待て、俺が先に行く!それから・・・万が一、俺に何があっても逃げられそうだったら逃げていいからな!」

 鍵を開けたことで、中に入ろうとするミシスを俺は再び制する。既に聞き耳で何かしらの気配が感じられないことは確認しているが、彼女を先頭にするわけにいかない。それは兄貴分である俺の領分だ。

「・・・はい・・・」

 複雑な表情をするミシスだが、結局は頷く。やはり、彼女は聡明な少女だ。やや、せっかちなところもあるが俺の意見が最善と改めて納得したのだろう。

 俺達はいよいよ屋内に侵入した。


 数か月の間放置されていた家の中は微かに埃とカビの匂いが漂っていた。以前の幽霊屋敷に比べれば大した臭さではないが、どうやら今年の夏はこの手の場所に縁があるようだ。

 俺はミシスの案内に従って忍び足で階段を登る。その配慮を無駄にするようにミシスが音を立てて階段を軋ませるが、それを責めるは筋違いだろう。彼女はそのような技術を持たないのだからどうしようもない。とは言え、これから行動を共にするからには、最低限の技は覚えて貰わねばなるまい。俺はミシスに授ける技術の筆頭に忍び足を定めた。

「ここ!この上に隠してあるんだ・・・」

「手伝えば良いんだな!」

 屋根裏部屋までやって来るとミシスが前に出て柱の一つを指差したので、俺は彼女の腰を掴んで抱え上げてやる。これで指を差した高さに手が届くはずだった。

「ありがとう!」

 素早く察した俺にミシスは笑顔で答える。彼女を足手纏いで無くすには授けなくてはならない技術は多いが、俺達はわりと良いコンビになれそうだ。

「取れた!もういいよ!」

 合図を受けて俺はミシスの身体を床へと降ろす。彼女の手には短い棒のような物が握られていた。

「それが家宝?ちょっと見せてもらってもいいか?」

「どうぞ、に、兄さん!」

 慣れない呼び掛けに、未だ戸惑いを見せるミシスだが、家宝に関しては迷いを見せずに俺に差し出してくれた。もっとも、その家宝は俺の予想に反してかなり粗末な代物だった。古びた革の鞘に何かの骨らしい材料から削り出した短剣が包まれているだけだ。素材が金属ではないのでかなり軽いが、飾りらしい物は一切ない実用本位の拵えだ。短剣としては悪くないが、正直に言ってしまうと家宝として代々残す価値があるとは思えなかった。

「いい短剣だ・・・失くすなよ!」

「これは・・・兄さんが持っていて!おいらが持ってたら、失くしてしまうかも・・・」

「・・・わかった。しばらくは俺が責任持って預かる。街を出たら短剣の扱い方も教えてやるからな」

「お願いします!」

 ミシスの頼みを俺は承諾する。他者にとってはそうでなくともミシスの家には家宝として伝わっていた品だ。俺は敬意を払うことを忘れなかった。

「・・・名残惜しいかもしれんが、もうここを離れるぞ。衣服等は途中でいくらでも買えるからな。行くぞ!」

「うん!」

 俺の呼び掛けにミシスは頷く。彼女は当初、衣服等の日用品も持ち出す許可を俺に求めていたのだが、その考えは危険性を考えて却下していた。もしかしたら諦めきれずにここで再主張するかと予め釘を刺したわけだが、それは取り越し苦労だったようだ。彼女の目には生家を離れる決意が宿っていた。

「よし!」

 長居は無用と俺はミシスを連れて撤退を開始する。この後は門から街を出て南にある港街ラグリドを目指すだけだ。まだ昼を過ぎたばかりなので、急げば夕暮れまでには次の宿場街に辿り着けるはずだった。

 食堂を抜けて勝手口に向かおうとしたところで俺は違和感を覚える。俺達は家宝の短剣を最優先としていたので食堂はただ通り過ぎただけだった。それなのに食堂には激しく誇りが舞い上がっている。まるで、床の足跡を消そうと埃を払ったかのようだった。そんな直感を得た俺はミシスを近くに手繰り寄せると別の出口、居間の窓を目指そうとした。

 だが、俺の目論見は食器棚の影から飛び出して来た襲撃者によって唐突に邪魔をされる。待ち伏せを受けた驚きはあったが、一瞬前に異変を察知したので俺は頭を狙う棍棒の攻撃を紙一重で避けることが出来た。そのまま縺れ合う様な体勢になるが、お返しとばかりに強烈な肘撃ちを相手の顔に食らわせる。本来なら一気に止めを刺したいところだが、俺は相手に足払いを掛けて転倒させるとミシスの身を案じるために後ろを振り向いた。

「痛い!」

 ミシスの悲鳴が鼓膜を震わせたのと彼女の状態が俺の目に映ったのは同時だった。ミシスは昨晩俺を苦しめたあのフードの男に腕を引かれて抑えつけられていた。

「お前!」

 俺は怒りの声を上げて、無意識に抜いていた愛用の短剣でそいつに攻撃を仕掛けようとする。だが、別の男が横から遮るように飛び出して来たので、新手に対応するために間合いを確保しなければならなかった。その間にフードの男はミシスを肩に担ぎ上げると食堂から姿を消す。敵の最優先目標は彼女の身柄ということだろう。

 残された俺は激しく憤りながらも、置かれた状況を整理していた。直ぐにでもミシスを奪い返したいが、まずは目の前の敵を倒さねばならない。そして敵はもう一人後ろにいるのだった。

 この時ほど俺はジレンマに駆られたことはないだろう。今直ぐミシスを助け出したいという気持ちが血肉に溢れていたが、同時にこの戦いに負けてしまってはミシスを助ける者がいなくなるという客観的な考えがそれを抑えつけていたのだ。それでも悩んでいる暇はなかった。俺は食堂のテーブルを蹴り飛ばして目の前の敵にぶつけると戦うための空間を作る。まずは目の前の敵を倒すのみに意識を集中させた。人間と本格的に戦うのは久し振りのことだが、やるしかない。

 テーブルを避けようとする敵に俺は間髪を入れず短剣の突きを繰り出す。相手は片手剣を得物としているが、狭い室内においては短剣の方が取り回しやすい。剣を振るう隙を作らせずに一気に仕留めるつもりだ。

「うぐ!」

 俺の短剣はテーブルに注意を散漫させた敵の肩を捕えた。首を狙っても良かったのだが、敵の規模を知らずに一線を越えるのは危険と判断し致命傷は避ける。そして怯んだ敵に膝蹴りを与えて昏倒させると、急いで後ろを振り返った。

 肘打ちを受けた最初の敵だったが、いつの間にか棍棒に換えて新たに片手剣を抜いて身構えていた。武器の長さで劣る俺だが、敵の技量を見て取ると間合いをゆっくりと詰めて攻撃を誘う。そして焦って繰り出された斬撃を躱して懐に飛び込み、太腿に短剣を突き刺す。最後は倒れて悲鳴を上げる敵の頭を床に叩きつけて黙らせた。

 二人の刺客を倒した俺は彼らの一人から剣とその鞘を奪うと、ミシスを連れ去った敵を追うために家を出た。もちろん、その頃には彼女達の姿はどこにもなかった。・・・やがて騒ぎを聞きつけた街の衛士がやって来るだろう。俺は怒号を上げたい気持ちを抑えて足早にここから立ち去ることにする。今はそれが最良の行動に違いなかった。


 3

 後悔の念に押しつぶされそうになりながらも、俺は次の手段に行動を移していた。今更だが俺達の足取りを見失った敵は、唯一の手掛かりであるミシスの家を監視していたに違いない。彼女自身の頼みだったとは言え、そこまで読み通すことが出来なかった俺の判断ミスだった。

 敵のミシスに対する執着を甘く見ていたのだ。唯一救いがあるとすれば、彼女が虐待や拷問を受ける心配は低いということだろう。やつらはミシスに対して一定の配慮をしていた。おそらく何かしらの協力をさせるつもりなのだ。しかもそれは暴力で従わせることが出来る類ではない。可能なら既にやっていたからだ・・・。

 そんな思いで自分を慰めながら俺はモーセルの店にやって来ていた。万が一に掛けて、最初にミシスと出会った敵のアジトも調べていたが、やつらも同じ場所に連れ込むような間抜けではなく。そこは既にもぬけの殻だった。

 昨日は取引相手としてモーセルの店にやって来ていたが、今日はそんな悠長なことをするつもりはない。今回の事件はここから始まっている。街を出るつもりでいたので不問としていたが、ミシスを攫われた以上捨て置くことは出来ない。今では唯一の手掛かりであるし、ミシス誘拐の件に関わっているなら落とし前を払わせるつもりだ。俺は明るい内に周囲の様子と侵入経路を充分に吟味すると、夜が更けるのを待って行動を開始した。

 モーセルの店は南門から王城に続く大通りに面して店舗を構えており、その敷地内には店舗と繋がるように居住区とする邸宅が建てられていた。また周囲は塀で囲まれ、倉庫や厩等の施設も併設されている。さすがはマイゼラでも有数の大商人と言うべきだろう。当然のことながら警備は万全であり、商いを終えると表の店舗は堅い扉で閉められ、裏門にも歩哨が一人立っていた。

 今思えば、メリーナは俺との商談を可能な限り人目に付けさせたくなかったのだろう。昨日の商談では店先ではなく居住区の静かな応接室に通されていた。その時は忍び込む気などまったく無かったが、俺は習慣として建物の構造や配置には普段から気を使っている。内部の下調べは既に済んでいるようなものだった。

 俺は歩哨の交代を見届けると、しばらくしてから塀に助走をつけて飛び付いた。一度塀の中腹を蹴って高さを稼ぎ頂点を掴む。人の背丈の倍近くある塀だが、この程度なら俺は道具なしで登ることが出来る。そのまま腕の力で塀を乗り越え、着地の際には細心の注意を払って衝撃と音を受身で中和させた。

 最初の難関を越えた俺は居住区の影まで移動し、闇に乗じて灯りのない部屋の窓を一つ一つ調べ始める。地味で単純だが、真夏ということもあり充分に期待出来る侵入方法なのだ。やがて俺は鍵を掛け忘れたであろう窓を見つけると屋内に侵入を開始する。滅多に神に祈ることのない俺だが、この時は全ての光の神々に感謝した。

 さすがに昨日の商談では彼女の寝室まで知ることは出来なかったが、屋敷や邸宅というものはどこでも基本的な作りは同じだ。主人やその家族の部屋は安全で快適な場所に置くのが通例である。俺はその法則に従って二階に上がると廊下の南側を進んで行く。

 二番目に良いと思われる部屋の前で、俺は中の様子を知ろうと聞き耳を立てる。一番良い部屋は主人であるモーセルの寝室だと思われたので、二番目をメリーナの部屋だと定めたのだ。だが、既に寝入っているか、もしくは無人なのか人の気配を感じることはなかった。

 俺は中への入るために鍵の解除を試みる。屋敷内と思い油断しているのだろう。部屋の鍵は簡単な代物で一分も掛からず開けることが出来た。

 部屋に入った俺は直ぐに自分の判断が正しかったことを知る。内部は微かだが若い女を思わせる化粧品の香りがしたからだ。商売柄メリーナは香水を付けてはいなかったが、さすがに化粧までは自重していない。それは意識しなければ気付かない匂いだったが、俺はメリーナの存在を嗅ぎ取った。

 扉を慎重に閉めつつ俺は窓から漏れる僅かな光で寝台に横たわるメリーナの姿を発見する。彼女は薄着の夜着を纏っただけの無防備な姿で眠っていた。まあ、自分の寝室なのだから当たり前とも言える。

 商談の時は意識していなかったが、仰向けに寝ているのも関わらずメリーナの胸は豊かな膨らみがあった。これから彼女には無理矢理にでも知っていることを洗いざらい喋って貰うわけだが、俺は変な気を起こさないように意識して自重する必要があるだろう。ここに来たのは夜這いのためでなく、ミシスを助け出す手掛かりを手に入れるためなのだから。

「騒いでも無駄だ」

「・・うぐ!ぐぐぐ!」

 俺は目を覚ましたメリーナに抑制した声で告げた。驚いた彼女は悲鳴を上げようとするが、既に彼女の口には猿轡を噛ましてある。蛙が潰されたような醜い音を漏らすだけだった。もちろん、身体の自由も彼女の豊かな胸に覆い被さるように腰を降ろし、足を使って両手の自由を奪っている。逃げ出すことは不可能だった。それでもメリーナは無駄な抵抗を続けようとしたので、俺は彼女の頬に短剣の腹を押し付ける。金属の冷たい感触は言葉の警告よりも効果を発揮させた。

「俺の質問に正直に答えてくれれば危害は加えない。だが嘘を吐いたり、助けを呼んだりしたら、この短剣はあんたの首に刺さることになる。こっちも必死なんだ。俺の決意を甘い考えで確かめようとするなよ。騒いだらあんたは確実に死ぬ!いいな!」

 脅し文句を聞かせると俺はメリーナの猿轡を外してやる。今の段階で彼女を傷付ける気持ちはなかったが、愚かな選択を取った場合には容赦をするつもりはなかった。

「・・・あ、あなた!昨日のトロチの実の人ね!」

 期待どおりメリーナは、深夜に寝所を襲う男を刺激するほど愚かではなかった。驚きの声を上げるがそれは充分に抑えられていた。

「・・・そうだ!あんたの店にトロチの実を売った後、何者かに襲われて報復に来たってわけだ!なぜ俺を襲った?!」

「ご、誤解よ!私はあなたを襲ったりしてないわ!」

「もっと、静かに話せ!では俺を襲ったのは何者なんだ?心当たりがあるのか?!」

 俺としても襲撃者達とメリーナが直接繋がっているとは思っていなかったが、探りも兼ねて敢えて責任を追及するように問い質す。案の定メリーナは自分の潔白を証明しようと必死になった。

「それは・・・ゼルラントか宰相派の手による者だと思います・・・彼らは陛下の逝去を願っているから・・・」

「そいつらはなぜ俺を狙った?」

 ゼルラントの名前は王都の政情に疎い俺でも知っていた。現在、王国の宰相を務める貴族だ。常識的に考えれば国王の死後、最も摂政の座に近い位置にいる。充分にあり得る話だった。それでも俺は惚けてメリーナに更なる情報を促す。話を合わせてくる可能性もあるからだ。

「う、うちの店は王女、いえ王室派と懇意にあって・・・しかも薬を扱っているから宰相派に睨まれ監視されていたのだと思います。私もそれに注意していたのですが・・・あなたがうちにトロチの実を降ろしたことで、仲間と思われたのかもしれません。まさかそこまで・・・関係が悪化しているとは私も思っていなかったんのです!」

「なるほど筋は通っているな・・・」

 メリーナの釈明はこれまでの事実を裏付けし、俺の予想とも一致したが、俺は半信半疑のフリを続ける。

「ご、ごめんなさい。あなたには警告をするべきでした。ですが、まさか宰相派がそこまでしてくるとは思っていなかったのです!」

「では、俺を襲ったのが宰相派だとしよう。俺はそいつらに襲われて・・・色々あって荷物を奪い返しにアジトに侵入した。そしてそこで捕えられていた一人の・・・少年を助け出してやったのだが、残念なことに彼は再び捕まってしまい、俺は彼をもう一度助け出したいと思っている。その手掛かりを求めてこうしてあんたに事情を聞きに来たわけだが・・・この少年がなぜ宰相派に捕まっていたのか理由を知っているか?それと、もし彼がどこに連れ込まれたかわかるなら教えてほしい!」

 俺はメリーナの証言が信用出来ると判断し本題を切り出した。それでもミシスの性別は少年とする。彼女を守ろうとした祖父の思いを与すると簡単に明かしてはならないと思ったのだ。

「そ、そんなことが・・・でも、少年のことはわから・・・いえ、ひょっとしたら・・・」

「ひょっとしたらなんだ?」

 俺は否定しようとして、再び考え込んだメリーナに催促する。今はどんな小さなことでも縋りたい気持ちだった。

「・・・以前、宰相派が先代か先々代の王の血を引く隠し子を探しているという噂がありました。だから、もしかしたらその少年は王家の血を引く者なのかもしれません。王女の身に何かあれば・・・」

「その子が新しい王の資格を持つと・・・」

「ええ。ですが・・・傀儡にするなら王女の摂政で充分でもあり・・・私の父は危機とは認識していませんでしたが・・・」

「奥の手として確保したのかもしれないな。王家に連なる者なら利用価値が後々出て来るかもしれん」

 俺はメリーナの言葉を引き継ぐ。憶測に過ぎないがミシスの正体がおぼろげながらに見えてきた思いだった。先代の隠し子とするとミシスは若過ぎる気もするが、先代国王には以前出合った女魔術士リディアという前科があった。それにミシス自体が隠し子なのではなく、彼女の両親のどちらか、あるいは祖父がかなり前の王の落し胤という可能性もある。あの家宝の短剣はそれを証明する証拠というわけだ。何かの骨で作られた狩猟用の短剣と思っていたが、もっと詳しく調べれば王家に繋がる痕跡が残されているかもしれなかった。

「ねえ・・・その少年を助けたいなら、私、いえモーセル家としても協力するわ。あなたを巻き込んでしまった負い目もあるし、宰相派の目論見を邪魔することは王女のためでもあるから・・・」

「そして王室と懇意な関係にある、あんたらのためでもあるな・・・具体的にはどうしてくれるんだ?」

 考えを纏めていた俺にメリーナは提案を持ち掛ける。俺も嫌味を言いつつもこれまでメリーナに突きつけていた短剣を片付ける。彼女を完全に信用したわけではないが、協力してくれるならそれにこしたことはない。譲歩の印としたのだ。

「その少年が連れ去られた場所を私達の情報網を使って調べて上げられるし、助け出す時には手を貸すことも出来ると思う。それにあなたが指摘したとおり・・・その子を助けだす行為は王女派であるうちにとっても有益なこと・・・私の父は王女派に属しているから喜んで手を貸してくれるはずよ」

「善意から協力するのではなく、利害が一致するだけと認めるのだな?」

「そうなるわね・・・。怒らないで聞いて欲しいのだけど・・・私はその少年のことは何も知らないから・・・なんとも思えないわ・・・」

「やはりあんたは素直過ぎるな。頭も切れるし交渉能力も低くはないが、恥知らずに甘んじることは出来ないようだ。・・・商人には向いていない。だが、その提案を受けよう。手を貸してくれ!」

 俺は馬乗りにしていたメリーナを解放する。これは賭けでもあったが、俺は彼女の言葉を信じた。あの状況で俺の気持ちを逆撫でするような本音を口にしたのだ。腹に一物を企てている者が取る行動とは思えなかった。

「信じてくれて、ありがとう。・・・父にも同じようなことを言われたことがある。お前には店を任せられないから、そのかわり薬師としての才能を伸ばせってね」

「・・・手荒なことをして済まなかったな・・・」

 友好関係を結ぶ意味を込めて俺は、痺れたであろう腕を擦るメリーナに詫びを告げる。自由になった彼女は俺との約束を守り、助けを呼ぶような仕草は見せなかった。もっとも、今の段階はと言うべきか・・・。

「早速だけど、父にあなたを紹介するわ!・・・私から説明するからあなたはしばらく黙っていて。父は私を後継者にはしなかったけど・・・娘としては溺愛しているの、これまでのこと知ったらあなたを殺そうとするはずよ。あなたは私に雇われた密偵よ!いいわね!」

「わかった・・・」

 俺はメリーナに承諾した。本気で協力してくれるなら。感謝こそすれ邪魔をする気はなかった。

 

 4

 メリーナの協力申し入れは本物だった。彼女は自分の父親を叩き起こすと、俺の紹介とともに現在置かれている状況を説明した。つまり俺はメリーナに雇われた密偵であり、彼女の命でトロチの実を入手し、その見返りとして宰相派に攫われた仲間の情報を催促しに来たということになった。

「お前、そんなことをしていたのか?」

「ええ、そうよ。そうでなければ、トロチの実をこんなに早く入手出来るわけないじゃない」

「そ、そうか・・・」

 訝しげな視線を俺に向けるモーセルから庇うようにメリーナは父親に再度説明を行なう。内容は嘘ではあるが、整合性は持っているのでモーセルは納得したように頷く。ちなみに俺が売ったトロチの実は既に精薬されて秘密裡に王城に届けられているらしい。

「だからって、朝まで待てなかったのか?」

「・・・彼は昨日私に会いに来たことで宰相側に存在が知られてしまったの。だから、人目を避けて私に会いに来るにはこの時間しかなかったのよ!」

 当然と思われる疑問を口にするモーセルだが、これもメリーナは上手くごまかす。もっとも、これは事実でもあった。

「そうか・・・で、私にどうしろと言うのだ?」

「父さんにはその少年が連れ去れた場所を調べて欲しいの、私は少年を助け出す手伝いを条件に彼とトロチの実を交換する取引を交わした。だから今度はこちらが彼に支払う番なのよ」

「そんな大事な取引・・・なんで今まで報せなかったんだ!」

「それは・・・まさか本当にトロチの実をこんなに早く入手できると思っていなかったから・・・それに攫われ少年は王族の隠し子、もしくはその子孫かもしれないの!もしよ、もし王位継承者の王女も亡くなることがあってこの少年が・・・」

「そういうことか・・・」

 それまでは不機嫌と戸惑いを合わせたような表情を見せていたモーセルだが、自分の娘が伝えたい核心を察したのだろう。顔を引き締めた。現時点では憶測に過ぎないがミシスが王位につくことになれば、モーセルと王室との関係は全て白紙に戻される可能性がある。それは塩の専売権を始めとする多くの優遇処置を失うことでもあった。娘がこれほど騒ぐ理由を彼は理解したのだ。

「もう一度詳しく聞かせてほしい!」

 モーセルは俺を見る目を変えると唸るように語り掛けた。

 

 会談を終えた俺はメリーナの計らいもあってモーセルの協力を得られることとなった。娘の説得により彼も宰相派の動きに対して、なんらかの手段を講じる必要があることに気付かされたのだ。それでも彼は生粋の商人であるから、宰相派との全面的な対決は望んでいなかった。

 モーセルは現国王とその後継者である王女を支持する王室派と呼ばれる派閥に属しているが、それはどちらかと言えば消極的支持だ。彼は口にはしないが、宰相派が勝利した場合も想定しているに違いない。これは彼の商人らしい打算的な考えとも言えるが具体的な理由があった。

 それは王国上層の力関係が単純な構図ではないからだ。宰相派は国王の死を願っていると思われるが、国王の妻である王妃は宰相ゼルラントの姪にあたる女性だ。これは国内の力関係によって結ばれた政略結婚でもあったが夫婦仲は悪くなく、世継の王女にとっても宰相は大叔父となる。水面下では次代の権力争いが行われているわけだが、端から見れば親類者同士の内輪揉めである。このような状況では他人が一方に肩入れするのは危険だ。和解か妥協が成立すれば梯子を外される可能性がある。それだけにモーセルは王室派から国王の病の特効薬になるトロチの実の入手を依頼されてはいたが、表立った宰相派への対立は避けたいのだ。

 だが、ミシスの存在はそんな彼も動かさずにはいられなかった。王家の血を引く者を確保した事実は、正当後継者である王女の排除も視野に入れているということである。これは由々しき事態だった。

 結論を言えば、モーセルはミシスを助け出した後に南に逃げるという俺の考えに賛同し、協力するとことを約束してくれた。彼からすれば、ミシスがどこか宰相派の手の届かない場所に落ちのびてくれれば好都合だ。王女以外に王位継承権を持つ者がいなくなれば、宰相派が過激な動きを取る可能性は極端に低くなる。穏健的な王室派といえるモーセルには理想的な展開だ。

 もっとも、 彼の目論見は俺の感知することではなかった。俺としてはミシスを助けられればそれで充分だ。利害関係が成立して協力してくれるのならば文句はない。

 俺は話を進めて具体的にミシスの情報をどうやって入手するのかモーセルに問い掛けた。

「君も表向きには行商人を装っているのだろう。商人には横への繋がりがあるし、うちは取引相手も多い。宰相派が持つ屋敷や建物は既に把握しているから、今日いや昨日の昼に何か動きがなかったか、うちの息にかかった者から聞き出せば何かしら情報が出てくるはずだ」

「なるほど、あんたらの情報網を使えば連れ去られた場所を特定するのは難しくないということか」

「そうだ。荒事は私の性分ではないが、その少年の居場所を突き止めることくらいは簡単に出来る。それからのことは状況を把握してからまた考えよう。君としては直ぐにでもなんとかしたいようだが、力押しが全てではないぞ。末端の人間なら買収出来るかもしれんしな!」

「わかった・・・、では情報が集まる明日の夜にまた来させてもらう」

 モーセルの言い分に理解を示した俺は別れを告げる。彼の協力を取り付けることは出来たが、全面的に頼ることは出来ない。明日は俺も独自に動いてミシスの行方と宰相派について調べるつもりだ。そのためには明るくなる前にここを出る必要があった。

「う・・・」

 メリーナの案内でモーセルの寝室を出た俺だが、ほんの少し歩くと眩暈を起こして倒れそうになる。昨日から一睡もしていない俺の身体はこれまでの酷使に悲鳴を上げたのだ。

「だ、大丈夫?!」

 そんな俺の様子にメリーナが横から肩を支える。協力の約束を取り付けたとはいえ、ほんの少し前まで短剣を突き付けていた相手に心配されるのは奇妙な気分だった。

「だ、大丈夫だ」

「いえ、大丈夫じゃないわ!顔色も悪いし下手に動くと逆に宰相派に気取られるかもしれない。その少年、ミシス君の手掛かりが掴めるまでは、うちに隠れて英気を養う方がいいわ。使用人には私の客で・・・愛人と仄めかしておけば外には漏らさないはずよ」

「ありがたい申し出だが、なぜそこまで親身になる?共通の利害は生まれているが、さっきのことに腹を立ててはいないのか?」

「・・・もちろん、とても怖かったし、怒りもあるけど・・・あなたがその子のために必死になる様子が伝わってくるのよ。それに脅かされたけど、あなたは乱暴なことはしなかった。いえ、大事な胸を踏まれたかしら?でも、そのことは忘れてあげる。ああするしかなかったのはわかるから」

「それには感謝するが、俺は他人を全幅に信用するほどお人好しじゃない。独自に・・・」

 そこまで口にしたところで俺の腹が盛大に鳴る。思い出せばミシスと分け合って食べたパンとチーズ以来何も口にしていなかった。

「倒れる前に何か食べた方がいいわね。いらっしゃい!」

 バツの悪い思いをした俺だが、メリーナは込み上げる笑みを隠しながら腕を引っ張り歩き出す。俺も意地を張るのを諦めると彼女に従った。このままでは屋敷を出る前に本当に倒れるに違いなかった。


 メリーナの勧めに従って食事をご馳走になると俺は翌日の昼過ぎまで案内された客室で睡眠を摂った。こんなに深く眠ったのは数年ぶりのことだろう。もしメリーナが俺を嵌める演技をしていたとしたら簡単に寝首を掻かれていたに違いない。だが、俺は五体満足の状態で並の宿では味わえない快適な寝台で目を覚ました。

 意地を張るのを止めた俺は結果的に、充分な英気を養い夕暮れ頃にはモーセルの配下から集まった情報をいち早く受け取ることが出来たのだった。

 そして、モーセルの配下の商人達からは二つの興味深い証言が上がっており、一つは宰相派に属する貴族の屋敷に袋詰めに大型の荷物が運び込まれるのを目撃したという証言。二つ目はその家の使用人が子供用の衣服を吸う着分買い込んだという証言だ。どちらも事情を知らない者からすれば特に疑問に感じるようなことではないが、俺からすればミシスが運び込まれた証拠にしか思えなかった。このようにして昨夜のモーセルの言い分が正しいことが証明された。

「まだ確定ではないけれど、場所は突き止めることが出来たわね!」

「ああ、感謝する!」

「付け加えると、その使用人が購入した子供用の衣服は貴族向けの服だったそうなの。ミシス君は丁重に扱われているようね」

「それはある程度予想していた。ミシスを傀儡の王に担ぎ上げる気があるなら。宮廷の作法を教えるべきだからな。貴族の屋敷に連れ込んだのも警備とともにその辺りの事情なのだろう」

 メリーナは焦る俺を宥めてくれるようだった。その後も俺達は細かい打ち合わせを続ける。ミシスが連れ込まれた屋敷の正確な場所はもちろんだが、規模や近くにどのような施設があるかも把握する必要があるのだ。

 その夜、俺とメリーナはモーセルとの作戦会議に臨もうとしていた。彼女は俺の一刻も早くミシスを助け出したいという考えに理解を示し、時間を掛けて穏便な解決を目指すモーセルを、もっと積極的に介入するよう説得してくれると約束してくれていた。何しろ、ドラゴンとの約束の金の日は明日に迫っている。ミシスが顔を出さなければ疑問に思われるだろう。もしかすれば一日くらいなら体調を言い訳に出来るかも知れないが、それ以上は無理だ。どうしても早期の解決が必要だった。

「父さん、聞いて!例の事件で理解して欲しいことがあるの!」

 相談場所に指定されている書斎にやって来たモーセルにメリーナは開口一番で告げた。

「ああ、揃っているな!たった今新しい情報が入ったぞ!」

 慌てて父親に語りかけたメリーナだったが、モーセル自身もどこかぎこちない様子で受け答える。さすがに親子だけのことはあり、こういった仕草はそっくりだった。

「・・・私から言うぞ!例の少年は街の外に連れ出されるかもしれん!例の屋敷に旅支度を整えた馬車が用意されているらしい。このまま街を出たら行方を知るのは困難となる・・・」

「くそ!そう来たか!」

 俺は苦々しく言葉を吐き出す。宰相派にとってミシスが奥の手であるなら、一度俺に救出されかけたマイゼラに置くよりも、他の街の方が安全と思うのは当たり前だ。おそらくは宰相派の貴族の領地に匿うのだと思われた。そして、それを許してしまってはミシスの行方を知るのは、モーセルは難しいと言ったが・・・事実上不可能となるだろう。

「・・・あなた達のこれまで協力は感謝する。これからは荒事を避けらない。俺のやり方でやらせてもらう」

 俺はモーセルとの協力を断念する判断を下す。敵の動きはこちらよりも遙かに早い。もはやメリーナがモーセルを説得出来たとしても、何かの度に話し合いをするのでは追いつけない。根本的にやり方を変える必要があった。しかも、この状況では街を出る前に襲うくらいの荒技しか残されていない。穏健派の彼が納得してくれるとは思えなかった。

「待って!馬車を襲うつもり?!一人じゃ無理よ!ねえ、父さん!何か手立てはないの?!」

「状況は変わりつつある・・・私達は商人だ。大貴族の争いに正面から立ち向かう武力はないし、この派閥争いにどちらが勝つのか見通しもまだない。これ以上の介入は危険のようだ・・・」

「そんな!」

「あんたの親父さんの考えは正しい。彼の立場では全てを失うリスクは犯せない。宰相派が実権を握れば、この店も今の勢いは失くすだろうが、取潰しまではないだろう。だが、明確に敵対したのでは話しは別だ。いくらでも理由を付けて財宝を没収出来る。あるいは逆らった見せしめとして縛り首もあるだろう」

 激昂して席を立つメリーナの肩を俺は抑えながら説得する。彼女が協力してくれるのはありがたかったが、俺は既にミシスを運命に巻き込んでいる。彼女を破綻させたくなかった。

「それは・・・でも」

「俺としても、情報を掴んだ今となったら一人の方が自由に動ける。もうあんたの助けはいらない!」

「・・・」

 俺が決別するように告げるとメリーナは涙を浮かべて書斎を出て行った。

「娘さんを箱入りに育て過ぎたのでは?男に耐性がないので勘違いをしている」

 自惚れるつもりはなかったが、メリーナが俺に好意を持っていることは昼間の内に気付いていた。まさかとも思ったが、女性には劇的な出会いを運命の出会いだと勘違いすることがあるらしい。普通は十代後半頃に起きる麻疹みたいなものだが、彼女の場合は少し遅く来たのだろう。俺への真摯な態度は奇妙な恋心だったのだ。

「かもしれない。だが・・・君が話の解る人物で助かったよ」

 俺の言葉にモーセルは頷く。彼としては俺がメリーナを利用するような悪党ではなくて、安堵の気持ちだろう。恐ろしいことだか、世の中にはその手のことをする者もいるのだ。

「情報については改めて感謝します。ですが、もう俺はそちらとは無関係です」

 それ以上は恩着せがましいと思った俺は、モーセルに別れを告げて彼の書斎から出る。そしてメリーナが消えたと思われる寝室へと視線を走らせた。彼女には気の毒なことをしたが、これ以上俺の運命に巻き込む者を増やしたくなかった。

 

 5

 メリーナ達の情報のとおりミシスが連れ込まれたとされる貴族の屋敷には。旅支度を整えた馬車が用意されていた。馬を繋げば直ぐにでも出せる状態だ。貴族の屋敷なら馬車も珍しくないが、この馬車は随分と無骨な作りで扉に設けられた窓は急遽拵えたと思われる板で塞がれている。嫌がる者を無理やり移動させるにはこれほど相応しい乗り物はない。ミシスがこの屋敷に囚われているのはほぼ間違いないと思われた。

 そのまま夜の闇に乗じて屋敷の周りを周回するが、塀には盗賊除けの鉤が備えてあり、庭にも番犬が放たれていた。やつらは一度俺にミシスを連れ出されているので、同じ轍を踏む気はないのだろう。悔しいが、計略もなしに屋敷内に侵入するのは無理だと判断する。

 やはり当初の予定どおり、馬車での輸送中を襲うしかない。この屋敷から城門に至るまでの間が、ミシスを助け出す最大で最後の機会となるだろう。夜間は街の城門は閉ざされているので動き出すとしたら明日の朝一番だ。つまり夜明けまでの数時間が俺に残された希望だった。この僅かな猶予に策を練り、準備を整えるのだ。


 東の空が明るくなった頃、遠目から馬車に乗り込むミシスの姿を垣間見た俺は確固たる思いを胸に走り出した。もしかしたら、この輸送計画が宰相派の画策した反対勢力をおびき出すための盛大な罠の可能性もあったからだ。馬車の襲撃を成功させたところで、中には誰も居なかったではやりきれない。だが、ミシスは確かにそこにいた。俺は疲れも忘れてひたすら走った。

 予定している襲撃地点に先回りすると、俺は通りを見下ろせる建物の屋根に這い上がる。そこには昨日の夜から小型の樽を幾つも用意していた。あとは馬車がやって来たらその前と周辺に投げ込むだけだ。俺は焦る気持ちを抑えてその時を待った。

 俺の投げ込んだ樽は馬車を引く馬の鼻面を掠めるようにして石畳の通りに落ちていった。二頭の馬はそれに驚いて嘶きながら暴れるが、それは混乱の序章でしかなかった。砕けた樽からは白い粉が勢いよく撒き散らされる。粉の正体は良質の小麦粉だ。基本的に人体には無害だが、おそらく下は呼吸も満足に出来ない状況だろう。俺は更に二つの樽を通りに投げ込むと、用意していたロープで一気に下へと降り立った。

 すかさず、俺は馬車へと駆け寄る。幸いにして御者と護衛と思われる男達は激しく咳き込みながら馬を制御するのに必死だ。

「ミシス、俺だ!扉を開けるから下がってろ!」

 小麦粉を吸わないように巻いていた手拭いを降ろすと、俺は中のミシスに大声で警告を告げてから金梃子を使って扉を無理やりこじ開けた。

「ミシス!」

「駄目、危ない!」

 俺の呼びかけはミシスの悲鳴によって遮られたが、もし彼女の声がほんの少しでも遅れていたら俺は死んでいただろう。扉を開ける瞬間、俺の耳に届いた彼女の声が馬車の中から突かれた剣の存在を予見させたのだ。

 喉を狙ったと思われる攻撃を俺は半身にして避けた。追撃を恐れて後ろに下がったところで馬車から一人の男が飛び出て来た。

「またお前か!何者なんだお前は!」

 そいつは俺の顔を見ると癇癪を起こしたように吠えた。俺よりやや年上でキザったらいし顔をしている。顔を見るのは始めてだったが、直ぐにわかった。こいつはこれまで俺達を苦しめたフードの男に違いない。

 俺は男の声を無視して金梃子を投げつけると同時に片手剣を抜いた。ミシスを助けるにはこいつと倒すしかないのだ。男も俺と同じく決着を付けるつもりであったのか、金梃子を避けると積極的に攻めてきた。その鋭い斬撃を俺は剣で受ける。認めたくはなかったが、敵の攻勢を防ぐのでやっとだ。

「く!」

 敵を倒そうと何回も剣を交える俺だが、甘い太刀筋を読まれ逆に左肩を浅く斬られてしまう。状況は時間が経つほど俺に不利になる。いずれ他の護衛達も復帰するだろう。

 俺は撤退の考えを思い浮かべるが、直ぐに誘惑を捨てて踏み止まる。今ここで逃げ出せばミシスを永遠に失うことになる。それは・・・仮にドラゴンのことがなかったとして受け入れられない現実だった。

「に、兄さん!!!」

 そんな俺の耳にミシスの叫び声が響く。俺の不利を見た彼女は敵に向かって体当たりを行ったのだ。予想外の後ろからの攻撃に敵は身体を仰け反せながら体勢を崩す。俺はそれに乗じて攻撃を放った。

 首を跳ねる思いで繰り出した一撃だったが、敵はギリギリのところでそれを受け止める。驚くべき執念と腕前だが、俺はガラ空きとなった腹部に蹴りを叩き込んだ。さしもの敵もこれには参ってその場に前のめりに蹲る。

「後ろ!」

 トドメを刺そうとしたところで、ミシスの警告に従い後ろを振り返る。そこには別の護衛が迫っていた。俺はそいつの足を牽制として切り裂くとミシスの手を取った。

「逃げるぞ!」

「うん!」

 俺達はとびきりの笑顔を見せ合うと辻に向かって走り出した。

「く、くそが!」

 辻の出口を塞ぐ荷馬車を見つけると俺は喘ぐ呼吸で悪態を吐いた。逃走経路は予め下見をしていたはずだったが、朝になって移動して来たのだろう。幌で覆われた馬車が嫌がらせのように止まっていたのだ。ある程度の隙間は空いているので無理をすれば通れないこともないが、追われているこの状況では数秒さえも惜しかった。

「こっちよ!」

「なに?!」

 俺の悪態を合図にしたように幌の中から人の顔が現れる。それは地味な服を纏ったメリーナだった。

「どうし・・・」

「早く乗って!」

 疑問を遮られて俺だが、ミシスに手を貸して荷台へと上がらせる。俺が乗ったのも確認するとメリーナは荷台にあった大型の樽を指した。

「この中・・・」

「わかった!」

 彼女の意図を理解した俺がミシスとともに樽の中に隠れると、直ぐに荷馬車は動き出す。乗り心地は最悪だが、追手をまくには良い方法と思われた。


 6

「これで良し!浅い傷だからといって侮ってはダメよ」

「済まない。ところでここは?」

「父さんの持ち家の一つよ。あ、別人の名義になっているから、心配はいらないわ。モーセルの名前を使えない商品を扱う場所なの。大っぴらに売れないような物のね・・・」

「なるほど」

 メリーナに従い荷馬車で追手の追跡を逃れた俺達はその後、南地区のどこかと思われる小さな邸宅に身を寄せていた。積もる話はあったが、メリーナはまずはこれからと言って、ミシスとの再会を喜ぶ俺を食堂のテーブルに案内し肩の傷を慣れた手つきで治療をしてくれた。

 宰相派の力は侮れないが、メリーナの話からするとこの場所は安全と見て良さそうだ。もちろん、その商品について聞くような不粋なことはしない。一代で財をなした人物が清廉潔白などありえない。誰にでも秘密はあるのだ。

「とりあえず、礼を言う。今更だが、彼が俺の弟分のミシス。ミシス、彼女はメリーナ。この街でも有数の商人であるモーセルの娘で、お前を助けるのに協力してくれた」

「あ、ありがとう。メリーナさん・・・」

「いえ、どんな少年かと思っていたけど、想像以上に可愛らしいのね!」

 メリーナに感謝を告げながら、俺は二人を紹介する。ミシスはこれまで境遇からか人見知りをしているが、メリーナは彼女を気に入ったようだ。また、ミシスの性別に関してはこのまま少年とした。まさかメリーナがミシスに嫉妬するとも思えなかったが、やはりミシスの祖父の考えを尊重したのだ。

「どうして、あそこに?いや、なんであんな危険な真似をした?!」

 落ち着いた頃を見計らって俺はメリーナを責めた。彼女には感謝するが、あれは褒められた行動ではない。下手をすれば父親を破滅させるだけでなく、メリーナ自身の命を脅かす行為だった。

「あなたが馬車を襲うとわかっていたから、もしかしたらと思って用意していたの。・・・それと、あなたが助けをいらないと思うのは自由よ。でも、私が助けたいと思って行動するのもまた自由のはずよ!」

「・・・」

 メリーナの言葉に俺は押し黙る。女性からこのようなことを告げられて喜ばない男はいないだろう。しかも彼女は美人だ。さすがにあのドラゴンの化身には敵わないが、胸の大きさに至っては優っている。もし近くにミシスがいなければ、俺は彼女を抱きしめていたかもしれない。

「ま、まあ、やってしまったのは仕方ない。正直に言えば、こうしてゆっくり話が出来るのもメリーナのおかげだ!これからの対策を練ろう!」

 俺は照れ臭さと男の本能をごまかすために話題を変える。いずれにしても対策は立てる必要があった。

「そうしましょう!」

 俺の反応にメリーナは笑顔を浮かべて身を寄せて来る。箱入り娘として育てられて彼女は、これまで父親に抑圧されていた恋愛への渇望に火が付いたのかもしれない。

「そ、そうだ!ミシス!お前から預かっていた短剣をもう一度調べてみよう!俺達はお前が狙われる理由をお前が王族の血を引いているからだと想定している。短剣にそれを証明する手掛かりがあるかもしれない!」

「お、おいらが王様の家族ってこと?!」

「ああ、その可能性が高い。早速調べよう!」

 メリーナの攻勢から逃れるように俺はミシスに語りかけると、鏡とともに服の下に隠していた家宝の短剣を取り出した。

「これが例の短剣?」

「そうだ、こいつを取り戻すためにミシスは再び攫われて、これまで苦労したんだ」

 メリーナの質問に答えながら俺は短剣を鞘から引き抜いて二人に見せる。以前は刃まで改める余裕はなかったので見るのは俺も始めてだ。何かの骨か角で削り出された短剣はかなり軽いが刃こぼれ一つしていない。これを回収しようとしなければ、俺もメリーナの寝室に忍び込むこともなかったろうし、今頃は南に向かって街道を歩んでいただろう。俺達三人の運命を分けた品でもあった。

「こ、これは・・・」

 誰に向けられたか定かではない声を漏らしてよろける俺をメリーナが急いで支えるが、俺は自分の身体の心配よりもミシスの顔を見つめていた。刃の根元にはある紋章が刻まれていた。その紋章は俺がよく知る紋章だ。・・・それは滅んだはずのバーニス帝国皇家の紋章だった。

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