第4話 幽霊屋敷

 1

 寒気を感じさせる澱んだ空気の中、俺は灰色の埃が溜まった絨毯の上を忍び足で歩く。季節はあと二週間もすれば夏至祭を迎える頃だが、屋敷内の気温は外の暑さとは無縁のようだった。

 居間と思われる部屋に備え付けられている家具は豪華と呼ぶほどではないが、しっかりとした作りで余裕のあった生活の名残を今に伝えている。もっとも、飾り棚に置かれた花瓶の下には黒い残骸が散らばっており、この場所がこれまで人々の記憶から忘れさられた存在であることを物語っていた。

 永らく人手が入っていなかったためだろう。周囲には饐えたようなカビの匂いが漂い、俺の鼻腔を刺激する。だが、かつて廃墟の探索を生業としていた俺にとって、この程度の匂いは大きな障害ではない。沼地に没した古代の寺院を探索した時には、今回とは比べものにならない激しい悪臭と蛭等の毒虫に悩まされたことがあった。・・・それでも、この屋敷と腐った泥に塗れた廃墟のどちらかが〝マシ〟かと問われれば、俺は迷わず後者を選ぶだろう。なぜなら、一歩この屋敷に足を踏み入れてから俺は絶えることのない女の泣き声に悩まされ続けていたからだ。

 啜り泣くような泣き声の音源ははっきりしない。廊下の奥から響くように感じることもあれば、直ぐ後ろで鼻水を啜る音が聞こえることもある。まるで近くで一挙一動を見張られている気分だ。いや、実際に監視されているのだろう。何しろこの鳴き声の正体は屋敷に棲みついている女幽霊である。どこからか俺を見つめているに違いなかった。

 気味の悪い泣き声に悩まされながらも、居間の探索を終えた俺は二階に繋がる階段へと向かう。既に一階は台所や食堂そして使用人の部屋まで隅々を調べ終えている。これらの場所では当初の予想どおり幽霊に関する手掛かりを見つけることは出来なかった。俺は本命と思われる二階の主人用の寝室を目指した。

 何十年間も放置されていた階段は、眠りを覚まされたことを抗議するかのように軋む音を鳴らすが、それすらもどこかからか響く女の鳴き声に比べれば無邪気な雑音に感じられる。俺は階段を一歩登るごとに大きくなる女の声に対してありったけの度胸を集めて耐えた。

「・・・!」

 登った先、二階の階段間近に立つ後ろ女の姿を捉えた俺は、上げそうになった悲鳴を辛うじて飲み込んだ。彼女は一昔流行った良家の女性が着る普段着用のドレスを纏っていて、両手で顔を隠すようにして嗚咽を漏らしている。それだけでも不気味だが、全体的に青白くぼんやりと光る身体は後ろが透けて見えていた。もちろん生きた人間ではない。この屋敷に巣食う幽霊に違いなかった。

「・・・俺は味方だ。あなたがこの屋敷にばけ・・・現れている理由を調べている。出来れば成仏させたいと思っている・・・」

 一時は心臓を口から飛び出すほど驚いた俺だったが、事前に情報は得ていたのでショックを乗り切ると、遂に姿を現した幽霊に優しく語り掛ける。このような不気味な存在を前にして自分でもなかなかの胆力だと思うが、毎週ドラゴンの前に立つことで恐怖に対する抗体が出来ているのかもしれない。あるいは鈍くなっているだけか。

「・・・」

 女幽霊は俺の言葉に答えることなくその姿を更に薄くして姿を消した。だが、啜り泣く声は変わらず俺の鼓膜を不気味に震わせる。見えなくなっただけで、またどこかで俺のことを見つめているのだろう。

 無視された俺だが、元より返答があるとは思っていない。明確に拒絶されなかったことを肯定と受け取って二階に上がると予定どおりに寝室を目指した。

 重厚な樫の木で作られた扉を開いて寝室内に入った俺は、色褪せたカーテンから僅かに漏れる光を頼りに探索を開始する。あの窓の向こうには夏の厳しい日差しと熱気が存在しているはずだったが、何十里の先の世界のように感じられた。

 俺の胸中はいつまたあの女幽霊が現れるかわからぬ恐怖と不安が渦巻いているが、ドラゴンの従僕となったこの一年間で得た経験の一つが〝ネタ〟に使えそうなことなら、とことん喰らいつけ!という教訓だ。契約の曜日まで余裕があるからと言って、えり好みしていると結局はドラゴンに聞かせる逸話を見つけられずにギリギリの段階まで追い詰められて苦労することになる。例え幽霊屋敷の探索であろうと、それが〝あの女〟の関心を得られる可能性があるのなら実施すべきであり、俺はこの教訓に従って実行に移していた。

 部屋の中央に位置する天蓋付きの寝台を回り込むようにして、俺は奥に置かれた小さな文机を調べる。そして机の上に開かれたままの本を見つけると慎重にそれを手に取った。思ったとおりその本は日記帳であり、一番上のページには女らしい細かく整った字で、その日の天気や食事そして自身の体調に関することが簡潔に書かれていた。この日記の書き手と女幽霊が同一人物である確証はまだないが、詳しく調べることで明らかになるだろう。俺は貴重な手掛かりである日記帳を小脇に抱えると今度は反対側の衣装箪笥の物色を開始した。

 盗賊のセオリーに沿って俺は箪笥の下側の抽斗から調べ始める。ちょっとした心得だが、下から開ける事で効率に作業を行うことが出来る。本格的な家探し・・・いや、探索は久し振りだったが、俺の身体はかつてのコツを忘れていなかった。

 この屋敷は女幽霊が出るようになってから直ぐに閉鎖されたらしく、衣装箪笥には女物の衣服がそのまま手付かずで残されていた。それらは当時では上等であったに違いないが、年月によって所々変色し擦り切れている。もう資産としての価値はないだろう。だが、抽斗の中には指輪やネックレスといった宝石や貴金属の類も収められており、そちらは当時と変わらない美しさを保っていた。

 古龍の塒を知っている俺の目からすれば特別に高額な品物には見えないが、このような価値のある装飾品までもそのままにしておくのだから屋敷の閉鎖は本当に急なことだったに違いない。とは言え、今回の目的は宝探しではないので、これらの宝石類は元の場所に戻す。俺は残っている一番上の抽斗を開けた。

 中に入っていたのは子供用、いや乳幼児に着せると思われる服だった。これまでの衣服と同じように損傷が激しいが、一度も洗濯された様子がなく綺麗に折りたたまれて仕舞われているところを見ると、実際に使われたことはないようだ。俺は更に詳しく調べようと手を伸ばした。

「・・・駄目!それには触らないで!!」

「うわ!!」

 突如目の前に現れた女の姿に俺は悲鳴を漏らしながら身構える。先程までは恐ろしくも悲しげな気配を湛えていた幽霊だが、今俺の前に現れたのは激しい怒りに顔を歪ませた悪鬼のような顔だ。長い髪を激しく振り乱して襲い掛かる寸前のように両手を前に突き出している。

「・・・落ち着け!盗むつもりはない!俺はあんたのことを調べているだけだ!」

 無駄とは思いながらも俺は必死に説得の言葉を喉から紡ぎ出す。そして最悪の状況に備えて窓との距離を目測する。いざとなったら窓から飛び出るためだ。

「・・・」

 説得が通じたとは思わないが、後ろに距離を取ろうとする俺を女幽霊は追撃して来なかった。寝室の探索は完全に終えてはいないが、既に日記帳を手に入れていることもあり俺はこのまま部屋を出て屋敷からも逃げ出した。俺は大胆なこともするが、引き際はだけは見間違わない自信があった。

「・・・ふう・・・」

 外に出た俺は溜息とともに新鮮な空気を肺に取り込む。同時に身体中の毛穴から汗が一気に溢れ出すが、それはもちろん夏の暑さのせいだけではなかった。


 2

 レズナー河を越えて、双子の街エスンとニアンを後にした俺はロドールの街に辿り着いた。この街は王の直轄領の最東端にあり、ロドールより徒歩で五日ほどの距離に王都マイゼラが存在している。そのため鉱山街シュゲルと王都を結ぶ中継地点であると同時に、バーレガル王国の中枢を守護する出城の役割も持っていた。

 街の周囲は地方都市とは比較にならないほど堅牢な城壁に囲まれており、常駐している兵士の数も多い。王国の東側に位置するリデミア大公国との関係は姉妹国家ということもあって極めて良好にあったが、歴代の国王達はロドールを含めて国防に関して手を抜くようなことはしていなかった。

 もっとも、これは当然とも言える処置だろう。何しろ人間の敵は隣国の人間だけではない。この世界には神代の時代において混沌の神に味方した闇の種族が多数生息している。その代表格はゴブリンと呼ばれる小鬼だが、彼らは光の神側で戦いに参加した人間を今でも激しく憎んでいる。現在は先日遭遇したアラクネのように個体かせいぜい群単位で人間に危害を与える程度だが、かつての神代の時代のように闇の軍勢となって人間に襲い掛かる可能性も否定出来ない。バーレガル国王に限らず人の上に立つ者、支配者には来るべき日に備える義務があるのだ。

 そんなことを考えながらロドールの城壁を潜った俺だが、旅籠屋に落ち着いた頃には大袈裟な思量は頭から消えていた。人間にはそれぞれ本分という物が存在している。ロドールの市井の人々にとっては立派な城壁よりもそれを維持する税の負担の方が重要な関心事だろう。本当にやって来るかもわからない闇の軍勢よりも今日、もしくは明日を無事に迎えることの方が大事なのだ。そして、俺も遠い未来の脅威を気にするより次の金の日を迎える準備に専念する必要があった。〝あの女〟は俺や人間に対して好意的ではあるが、控えに見ても人間世界を滅ぼす力を秘めている。俺は自分の命を含めてこの問題に対処しなければならなかった。

 それでも、古代の人間達があのドラゴンに計り知れないほどの財宝を捧げ、崇め祀っていたことを考えると、現在の一週間に一度逸話を聞かせるだけで満足してくれている状況は奇跡に近い現象なのかもしれない。その役目を担うことになった俺個人としては複雑な気分だが、苦労とともに幾つかの恩恵も得ている。・・・運命の悪戯と思って諦めるしかないのだろう。


 こうして試練の日を三日後に控えていた俺だったが、無理に旅路を急がずにロドールの街で金の日を迎える判断を下した。王都までは目と鼻の先といった距離とも言えるが、それでもロドールと王都マイゼラまでは五日の距離があり、その間には小さな宿場街があるのみだ。どう急いでも金の日までには王都に辿り着くことは不可能である。下手に先を進んで人の少ない宿場街で〝ネタ〟を探すよりも、このロドールで金の日を迎えるのが正解と思われた。何しろ、逸話や噂話というのは人の数に正比例して集まるモノだからだ。

 決断を下した俺はいつものように宿とした旅籠屋の酒場に繰り出したのだが、その日の夜はこれはと思う逸話を聞き出すことは出来なかった。初日を手応えなしで終えた俺は翌日からは宿を変えることにする。

 昼間から酒を飲んで暇そうな輩が集まる場所と言えば、やはり冒険者達が出入りする旅籠屋や宿屋しかなく、俺は安全性を心配しつつもロドールの下町にある冒険者向けの宿〝風のまにまに亭〟を新たな拠点とした。余談だが、冒険者が出入りする宿の名前は牧歌的な印象を与える名前が多いと思う。偶然のような気もするが、もしかしたら客層に対する皮肉なのかもしれない。

 話が逸れた。エスン、河渡しの街以前ではこういった安宿を敬遠してきたが俺だが、最近では冒険者達から積極的に逸話を聞き出すのが正解と感じ始めていた。やはり〝濃い〟人生を歩んでいるだけに彼らの体験や逸話には期待できる部分が多い。これは以前に出合ったリディアの影響だろう。彼女との出会いが俺の意識を変えたのかもしれない。そしてこの手の宿なら依頼という形で奇妙な事件が舞い込んでいる可能性もあった。


 やはり、リスクを負った行動は良くも悪くも顕著な結果にとなって現れるものだ。俺は宿を出入りする冒険者達から誰も受けたがらないとある依頼の噂を聞き出した。

 何でもその依頼人は最近亡くなった叔父から街内にある屋敷を相続したらしいのだが、この屋敷は古くから幽霊が出る曰く付きの物件であったそうだ。依頼人の叔父はこの街の資産家の一人で他にも財産や不動産を持っていたが、子供に恵まれず妻にも先立たれており、彼の財産は依頼人を含む三人の甥と姪に分配された。そして三人中で一番年下の甥が依頼人であり、件の幽霊屋敷を押し付けられたらしい。幽霊が出るといっても街中にある屋敷であり、立地的にはロドールを統治する代官の城にも近い街の中心地域にあって資産価値は決して低くはない。彼はせっかく手に入れた財産である屋敷を幽霊から自分の手に取り返そうと行動を開始した。

 聞くところによると最初は神官の祈りによって幽霊を成仏さようとしたそうなのだが、よほど幽霊の念が強いのかこの試みは全て失敗していた。そして依頼人は溺れる者が藁を掴むように幽霊退治を冒険者に依頼する。だが当然と言うべきか、この目論見は失敗に終わる。まあ当然だろう、実体のある怪物相手なら金を積めば命を張る冒険者も現れるだろうが、物理的に戦いようがない幽霊の前には鋭い剣も強力な攻撃魔法も無力だ。そして並程度の神官の力では成仏させることが出来ないと明らかになっている。こうして誰も受けたがらない依頼が誕生したというわけだった。

 この噂を聞いた時、俺は自分でも興味をそそられるのがわかった。依頼人の説明によれば屋敷に出る女の幽霊には見当が付かないと言う。原因と正体が不明で屋敷に縛られている幽霊の謎は〝あの女〟の好みに合うと思われたのだ。幽霊、亡霊の類は恐ろしくて不気味な存在だが、不幸の中の幸いか屋敷に出る女幽霊は生ある者を激しく憎んで襲い掛かる〝死霊〟ではないらしい。そんな事情もあって、俺は依頼人に会って詳しい話を聞くことにした。

 

 幾つかの段取りを経て出合った依頼人のマーセルは、俺と同世代ほどの若い男だった。中肉中背だが、幽霊に悩まされているためか、やや顔色が悪いように見る。相続した屋敷の敷地内にある離れに移り住んでいて、案内された仮の居間には多くの家具が倉庫のように置かれていた。彼としては直ぐにでも本棟である屋敷で暮らすつもりだったようだが、手強い幽霊によって計画が崩されたのだろう。もっとも、そんな状態だからこそ一人で依頼を請けに来た俺に会うつもりになったのかもしれない。

「屋敷の中に入って幽霊の正体を暴いてくれるのですね?」

「ええ、私は神官ではありませんが、幽霊とはこの世に未練を残しているために成仏出来ない存在だと知っています。その未練の原因を見つけ出すことが出来れば、屋敷に化けて出る幽霊を成仏させることが出来るかもしれません。私は廃墟に残された古代の宝物を探すことを生業としています。それで培った度胸と技術は屋敷に残された幽霊の正体を見つけ出すのに役立てるはずです」

「そ、それでは、ぜひお願いします!幽霊を完全に退治してくれれば約束どおり金貨一枚と銀貨十枚を、幽霊の正体を突き止めて・・・なぜあんなに悲しげに泣き続けるのか明らかにして頂ければ、半分の銀貨十五枚をお支払します!」

「では、これまでわかっていることを教えて下さい」

 このような具合で屋敷を探索する許可は直ぐに下りた。俺が現役の廃墟専門の盗賊だったのは一年前のことだが、この程度のことは嘘にも入らないだろう。また、ドラゴンが真の依頼人とも言える俺としては無償でも構わなかったのだが、只ですり寄って来るほど怪しい者はいない。形どおりに依頼の契約を結んで正式な仕事として屋敷の探索する準備を整えた。何しろ、金はありすぎて困る物でもないからだ。

「・・・そうすると、この屋敷は三十年近くも閉鎖されていたのですか?」

「ええ、正確には二十七年間ですね。私が生れるずっと以前から忘れさられたように閉鎖していたようです。元は母方の祖父の持ち物で、嫁として家を出た母ではなく叔父が全ての不動産を相続したのですが、その叔父も亡くなって財産を整理した時にこの屋敷の存在が明らかになりました。そして財産分けで末っ子の私に押しつけられたというわけです。この物件は私の物になる前から幽霊屋敷として有名でしたが、まさか自分が相続するとは思っていませんでしたね。まあ、最初はそんな噂も迷信だと思っていたのですが・・・」

「確認のために中に入ったら本当にいたと?」

「・・・ええ、驚きましたよ。・・・あんなにはっきり女性の泣き声が聞こえるんですからね。雇った掃除夫や大工は皆一目散に逃げて行きました。この街の神殿にも寄付をして除霊を何回か頼みましたが、結局は駄目でした。このままでは人間が住むなんて出来ません。どうりでこんな一等地にあるのに今まで塩漬けされていたわけですよ」

「屋敷に化けて出ているのは女の幽霊とのことですが、心当たりはないのですか?」

「ありません。私も一族のことを改めて調べました・・・幽霊が着ている衣服は使用人が着るような物ではないのでそれなりの立場の婦人のようですが、一族の中であの幽霊に該当する者はいませんでした。屋敷が閉鎖されたのは祖父が死んで直ぐのことですから、祖父と繋がりあると思われますが・・・それに叔父、いや一族はあの屋敷と幽霊に関することはワザと隠していたようなのです。私の母も既に他界しており聞き出すことも出来ません。叔父が亡くなって財産整理をしてやっと、一族の地所だと判明したほどなのです」

「なるほど・・・やはり幽霊の正体を知る手掛かりがあるとすれば、当の屋敷の中というわけですね?」

「そういうことです・・・私も自分で突きとめようと何回か屋敷に入ったのですが、あの幽霊はどうも私が入ると活性化するようで・・・もうあの鳴き声と恐ろしい顔は見たくありません」

「・・・わかりました。早速、陽が明るい内に調べてみましょう!」

 こうして俺は依頼人のマーセルから予備知識を得ると件の幽霊屋敷の探索を開始したのだった。


 3

「ど、どうでした?」

 屋敷から生還し、離れに戻った俺をマーセルは焦る面持ちで出迎えた。彼からすると俺は唯一の希望に見えるのかもしれない。

「とりあえず、二階の寝室から日記帳を回収しました。これを読み解けば幽霊の正体がわかるかもしれません」

「おお!二階まで上がれたのですか!」

「ええ、何回か驚かせられましたが、私にはそこまで攻撃的ではありませんでした。ただ、寝室の衣装箪笥を調べて乳幼児用の衣服を見つけた時には恐ろしい形相で迫って来ました。・・・それで赤ん坊がいたか、生まれる形跡が見つかったわけですが、心当たりはありませんか?・・・あなたからすると一つ上の世代になりますが」

「・・・いえ、やはり心当たりはありません。女幽霊には子供がいたということでしょうか?」

「現時点ではまだはっきりしませんが・・・幽霊は恨みや後悔、嘆きといった激しい感情を持って死んだ人間の魂が成仏出来ずにこの世に残った存在だと言われています。あの女幽霊が幼い子供を残して死んだ母親とすると、化けて出るのも納得出来ます。自分よりも子供の運命を嘆いているのかもしれません。・・・いずれにしろ、この中に何らかの手掛かりがあるはずです!」

 俺は戦利品とも言える屋敷から持ち出した日記を改めてマーセルに掲げて見せた。


「・・・そんな、あの女幽霊は祖父の愛人だったなんて・・・」

 しばらくして日記を解読し、事実を探り出したマーセルは呻くように呟いた。日記の内容は期待したとおりの結果を齎した。やはりこの日記の書き手と屋敷に出る女幽霊は同一の存在だったのだ。

 結論から言えば、幽霊の正体はメイフィアと言う名前の女性で生前はマーセルの祖父の妾であり、この屋敷は彼女との生活のために用意された住居であった。妾や愛人ならば正式な一族として認められず記録に残されていないのも当然のことだ。とは言え、この事実自体はそれほど驚くことではない。有力者が政略的な理由で結婚した妻と上手くいかずに家庭の外に安らぎを求めたり、単に精力を満たしたりするために妾を持つのは珍しいことではないからだ。俺も一攫千金を手に入れたら愛人の二人や三人くらいは持ちたいと思っていたほどだ。

 だが、この日記の内容は読み解いた俺の胸の中に心苦しい感情を芽生えさせた。なぜなら書き手であるメイフィアが愛人であるピート、つまりはマーセルの祖父を事故で亡くした死のショックから立ち直り、身籠っている忘れ形見への愛情と自身の健康状態を綴っていた日記がある日を境に急に途切れるからだ。おそらくはその日に彼女が亡くなったのだろうが、それは彼女が慈しんでいたお腹の子も同じ運命を辿ったことを意味していた。彼女の最後がどうであったかは日記には伝えられていないが、激しい感情に揺さぶられたのは間違いない。嘆く幽霊となって今日まで現れるのも無理はなかった。

「・・・日記に書かれている彼女の健康状態は良好そのものです。病気になったとは思えません。また事故で亡くなったとしたら、なんらかの記録が街側にも残っているでしょう。・・・それにあなたの祖父が亡くなってから一カ月もたたない内に身籠った妾も亡くなるのは・・・偶然にしては出来過ぎていますね」

 やや酷とも思えたが俺はマーセルに諭すように疑問点をぶつける。屋敷に現れる嘆く女の幽霊、日記の内容、使われることになかった赤子の服、不自然な屋敷の閉鎖と隠蔽、そして女幽霊のマーセルへの敵意。これらを結び付けると一つの結論が紡ぎ出されると思われた。

「・・・彼女は私の祖母あるいは一族に殺されたのですね・・・」

「そう見るのが妥当でしょう。元々正妻にとって妾は仇敵のような存在です。女だけなら手切れ金を渡して放り出せますが、遺児となると正式な財産相続人になります。かなりの資産を持っていたようですし、殺人の動悸としては充分です」

「彼女は・・・メイフィアさんの遺体は・・・やはり屋敷のどこかに?」

 マーセルは目に涙を浮かべて震える声で俺に問い掛ける。居直るように否定した場合はどうしようかと思ったが彼は頭も悪くなく善良な人物のようだ。

「おそらくは地下室、もしくは屋敷の裏庭のどこかでしょうか?詳しく調べればわかるはずです」

「・・・許されるとは思えませんが・・・手厚く弔わないと・・・」

「そうするべきですね」

 マーセルの言葉に俺は頷いた。正確には死体探しは依頼には含まれていないが、俺も仕事を抜きにしてもメイフィアをなんとかしたいと思ったのだ。


 俺の予想どおりメイフィアと彼女の胎児の遺体は地下室で発見された。場所を特定するよりも石畳の地下室を掘る作業の方が遥かに難儀な仕事であったが、メイフィアと彼女のお腹に抱かれるようにして横たわる小さな白骨死体を見た時には、そんなことはどうでもいいことになっていた。憐れな母と子の亡骸は部外者である俺の目頭にも涙を湧き上がらせた。

「止めて!その子に触らないで!」

 親子の遺体を毛布で包もうとする俺を前にメイフィアの幽霊が現れて絶叫する。彼女は先程まではマーセルに抱き着くようにして啜り泣いていたのだが、俺が子供に危害を与えると思ったに違いない。

「・・・敵意はない!きちんと埋葬したいだけだ!」

「・・・ああ・・・があぁぁぁ!」

 恐ろしい形相で迫るメイフィアの霊に俺は訴えかけるが、相手は人ではなく激しい恨みと嘆きによってこの世に留まっている残留思念だ。俺の正論が彼女の耳に届くことはなく、霊体はその不可思議な力で雄叫びを上げた。地下室はこれまで以上に気温が下がり、嵐のような気流が発生する。

「・・・メイフィアさん!私の祖母や一族があなたとあなたの子供にした仕打ちに謝罪します!とうてい許されるとは思えませんが、お願いです、私達を許して下さい!」

 それまで恐怖と良心の呵責から怯えるように泣いていたマーセルがメイフィアの霊に向かって頭を地に付けながら悔恨の念を叫んだ。彼自身にこの一連の出来事に対して責任はないはずだが、一族が犯した酷い犯罪に心から悔いているようだった。その想いが通じたのか、俺に襲い掛かろうとしていたメイフィアは掲げていた両手を下げて後ろのマーセルに振り向いた。彼女の感情に同調していた部屋の空気も平静を取り戻しつつあった。

「・・・謝罪なんていらない・・・あの子を、あの子を返して・・・あの子が気掛かりで・・・」

「うう・・・ごめんなさい許して下さい・・・」

 自分を見下ろすメイフィアの霊に対してマーセルはそれだけを伝えるのが背一杯だった。

「・・・死んだ者はもうどうすることも出来ない!あなた達親子に起こった悲劇には同情するが、その人はあなたの想い人の子孫でもある。あなた達を手厚く弔うから許してやってくれ。・・・そして幽霊となって現れているのはメイフィアさん、あなただけだ。あなたの可愛い子はもう成仏している。あなたもその子の下に行くべきじゃないか?!」

 俺はメイフィアの変化に気付くと説得するように大声で問い掛ける。先程までは他人の声には全くと言って良いほど無反応だったが、マーセルの真摯な謝罪の声が彼女の僅かに残っていた人間らしさを取り戻させたと思いたかった。

「そんな・・・あの子は・・・」

「ああ、そこに横たわっているのはあなたとあなたの子の亡骸だ。俺達はあなた達をこんな地下室ではなく、しかりした場所に埋葬し直すつもりだ。だからもう成仏するべきだ!」

「・・・そんな嘘よ!また私達を騙して暗い所に閉じ込めるつもりでしょう!」

「そんなことはしない!俺達を信じてくれ。ピートの孫もそうやって泣いて謝っているだろう!」

「・・・ピートの・・・」

「そうだ、彼はピートの孫なんだ!」

「・・・本当に約束してくれるの?」

 かつての想い人の名前が効いたのか、女幽霊は正気を取り戻したように泣き崩れているマーセルに問い掛ける。

「・・・します。だから許して下さい・・・」

「・・・わかった・・・あなたを信じる・・・私も・・・」

 顔を上げて訴え掛けるマーセルにメイフィアは頷くように答えると、それまで悲しみに満ちていた顔を一瞬だけ笑顔に変えて姿を消し去った。それまで存在した負の空気は消えてなり、地下室に残されたのは俺と泣き続けるマーセル、そして親子の亡骸だった。


 4

「その後は約束どおりにマーセルは二人の亡骸を彼女の想い人であった祖父の墓の近くに埋葬し、メイフィアと彼女の子の霊を手厚く弔いました。・・・こうして何十年間も屋敷に縛り付けられていて女の幽霊は解放され、供養されたのです!」

「・・・」

 話を披露し終えた俺に金髪の乙女は含みのある視線を送る。長い睫毛に覆われた緑の眼差しはこの世のモノと思えないほど美しいが、そこから彼女の心情を察することは出来ない。

 この美女の正体は古代から生きる金色の古龍だ。人間が織りなす逸話に興味を持ち、俺は週に一度これはと思う話を語る役割を負っているが、彼女の感性を人間如きが理解することは不可能と思われた。今回の女幽霊の鎮魂は関わった俺でさえも良くできた逸話であり、苦労の甲斐があったと思うほどだが、気に入るか入らないかはドラゴン次第なのだ。もし彼女がこの逸話を気に入らずに新たな話を所望しても、他に〝ネタ〟がない俺にはどうすることも出来ない。最悪の場合、土下座がドラゴンに通じるか泣きながら試すことになるだろう。

「人間とは面白い生き物よね・・・神々たちが魂の輪廻をこの世界の理として定めたのに、人間の中にはそれに抗う者達も現れる。いえ・・・神が定める理にも逆らえるようにして・・・造られた種族というべきかしら。そして人間は私と違い常命で脆弱ながらも、魂そのものは不滅・・・・この世界が存在する限り何度でも生まれ変わる・・・その女の霊体があなた達の呼び掛けによって魂の輪廻に戻ったのはなぜだと思う?」

「・・・マーセルが真摯に謝罪を行なったからでしょうか?」

 魂の輪廻、ドラゴンの口から出されたこの言葉に俺は一瞬たじろいだ。光の神々を祀る教義の中心的な教えだが、それが彼女の口から肯定するように伝えられるとは思わなかったからだ。人間である俺自身も今まで特別に意識したことはない。それでも俺は内心の動揺を抑えると、義務を果たすべく質問に答えた。

「それもあるけど、おそらくはマーセルという男に自分の子の面影を見たのでしょうね。彼が母親の女とともに殺された子供の生まれ変わりだった。そう思うのが一番無難な結論じゃないかしら。まあ、私の息吹なら未練の欠片も残さずに一瞬で肉体も霊体も焼き払って、魂を輪廻の歯車の下に送って上げられるのだけれど」

「・・・わ、我々人間は儚い種族ですので・・・」

 俺は自分の考えに酔うドラゴンの化身に追従するように言葉を掛ける。彼女の出した結論は俺としてもそうあって欲しいと思う内容だったが、最後の一言には改めて畏怖を覚えるしかなかった。古龍の吐く炎に焼かれると幽霊になることも出来ないらしい。

「本当に儚いわね・・・人間は。生まれてきても一緒に過ごせるのは一瞬の間だけ・・・次に会おうとしても交わした約束を忘れてしまっているし。あなたとも・・・いや何でもない・・・今回の話は人間の同族に対しても発揮される欲深さや意地の悪さと伝えるとともに、健気な一面も表わしていてなかなか興味深い内容だったわ!輪廻を外れかけた憐れな魂の救済にあなたも一役買ったみたいだし。まあまあってところかしら!」

「は、ありがたきお言葉で御座います!」

 主人の言葉に俺は頭を垂れて礼を述べる。頭のどこかでは彼女が言い掛けた言葉に対して疑問を抱いていたのだが、この時は試練を乗り越えた安堵と解放感でそれどころではなかった。

「ええ、今回の話はここしばらくの中では良作だった・・・だから今日は私が・・・いや、やっぱり何でもない!・・・また来週を楽しみにしているわね。金貨は好きなのを持っていきなさい!」

「は、ではこれを」

 俺は足元の金貨を拾うと、再び本来の姿に戻った主人に退出の挨拶を捧げてロドールの安宿へと帰還を果たした。一人になり気持ちが落ち着いたところで、俺は寝台に寝転びながら先程の主人である金色の古龍が途中で遮った言葉の意味を考える。いつもなら試練の乗り越えた解放感から直ぐに酒場に繰り出すのだが、今回は妙な胸騒ぎを感じたのだ。彼女は神代の大戦も生き残り、人間とは比べものにならないほどの永い時間を生きている。その計り知れない時の中には俺の前世やそれ以前の存在が生れては死んでいったのは間違いない。もしかしたら彼女はその中の一人と出会ったことがあるのかもしれないと・・・。だが、俺はそれをつまらない妄想として忘れることにした。俺が〝あの女〟と出会い従僕となったのは偶然の産物のはずだ。それ以外にありえない。

 雑念を払うように俺は寝台から起き出すと、酒を求めて部屋を出た。幸いにして俺の懐にはドラゴンから与えられた金貨の他にもマーセルから色つけて支払われた依頼成功の報酬がある。今夜は朝まで上等の酒を飲み明かすつもりだ!

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